複雑・ファジー小説

Re: 紫電スパイダー ( No.16 )
日時: 2022/06/13 00:49
名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)

 いきなり介入した紫苑がみるみる内に雀卓の空気を変えていく間、オレは胸の奥から言い知れない黒いモヤが湧き上がるのを感じていた。
 他の5人と一緒に縞鋼板の階段を上がっていく中で、ガラにも無く思い悩む。

 オレ達は勝った。これで大太法師だいだらぼっちへの手掛かりを得られる。
 一昨日の岩猿戦だって、紫苑が勝ったお陰でオレは生き永らえた。
 そうだ、全てが藤堂紫苑という男の勝利によって展開しているのだ。オレの実力も意思も、まるで無関係な所で運命が廻っている。
 それは阪成たち家守組が押し入ってきた、あの凍えるほど冷たい夜の日と同じだ。

 オレの悔しさや怒りとか、悲しみと全く無関係な所で、ただ強い奴らがオレの運命を好き勝手に振り回していく。
 為すべき事のついでみたいに、オレを救う事も見向きもせず、オレを大きな物語の端役に貶めている気がした。
 命があるだけ儲けもの、あるいはむしろラッキーだった。それはそうだろう。
 けれど、どうしようもなく座りが悪いのは、納得が行かないのは何故だろう。
 
「この世って生き様の押し付け合いで、結局は強い奴が正義なのかなあ……」
 
 思わず小さな声でぼやく。
 それは紫苑を追い掛け、狭い隙間を縫って二段飛ばしで駆け上がる蛭に、たまたま聞かれてしまっていた。
 
「急にどうした」
「いやあ……別に」
 
 適当にはぐらかすと、蛭は一度だけ首を傾げ、すぐに再び階段を駆け上がる。それから紫苑の隣へ辿り着くと、並ぶようにして彼の横を付きまとった。
 それを、オレは後ろでぼんやりと眺めている。
 
 
 

 
 
 
「お待たせしました。そば処こやま謹製の、つけ蕎麦が4人前です」
 
 負けた事が不服なのか、透狐は未だにむくれた様子のまま、厨房から歩いてくる。
 小さな|簾《すだれ》に盛り付けられた蕎麦と、器に注がれた麺つゆと、生姜とネギ等の薬味が透狐の手で配膳される。蕎麦の上には刻まれた海苔も載せられていた。
 座敷席で向かい合っているオレたち4人は、手を合わせてお辞儀した。
 
「いただきます!」
「頂きます……紫苑、これで合っているか?」
「礼儀を守るのは良い事だ。頂きます」
「オッシャア、まずは腹ごしらえと行こうじゃねえかあ。いただきァす!」
 
 めいめいに割り箸を小気味良い音で分ける。
 蕎麦を麺つゆに浸して啜り上げる。塩気と瑞々しさをたっぷり纏った細麺が、噛み締めるごとに確かなモッチリさを伝え、けれど小気味良く噛み切れてゆく。
 
「あ……うまっ……」
「うん……紫苑、この蕎麦、非常に美味だ」
「美味いな。十割蕎麦なのに喉越しが良い。麺つゆも絶妙だ」
「うめえな……まさかこの蕎麦って透狐が打ってんのかあ?」
「あたしの祖父よ、蕎麦を作っているのは。今も厨房に居るわ」
 
 岩猿が首を伸ばして「おやっさあん、ここの蕎麦は最高だ、うまいぜ」と厨房の方へ大声を張り上げる。厨房の方から、負けじと「そうか、嬉しいねえ、あんがとよ」と壮年男性の明朗な声が返ってきた。

 老舗っぽい佇まいと言えば確かにそうだが、この店は非常に質素だ。悪く言うなら寂れているし、ちょっとオンボロな感じもする。
 そんな店構えからは、想像も付かない程に上品な味わいだ。麺つゆは鰹出汁の良い匂いが漂い、淡い口当たりの優しい味がする。そして主張し過ぎない麺つゆが、蕎麦の旨味と香り高さをよりいっそう際立たせる。
 
「|狂うジングなう」
 
 全員の簾から蕎麦が消え失せた頃である。
 蕎麦湯を啜りながらボソッと呟いた蛭の方には誰も見向きせず、オレと紫苑と岩猿の視線はザイツェフへと向いていた。
 ザイツェフはカウンター席に腰掛けて長い脚を組み、身体をこちらに向ける。それから両手を叩き、少し大きめな声を上げる。
 
「アレクサ。モニターを出せ」
「OK, I’ll show you」
 
 いきなり木造りの天井がパカーッと割れて開き、物々しいロボットアームが何本も滑らかに出てくる。ロボットアームはそれぞれ幾つもモニターやコンソールらしき物を装着していた。
 すぐに蕎麦屋の店内が「これぞ情報屋のアジト」という様相に成り果てる。
 まるで秘密基地だ。オレと岩猿は大興奮で叫びながら抱き締め合ってしまった。
 
「オレこういうの大好き」
「俺様もだあ」
「岩猿、アンタはザイツェフの常連じゃなかったか?」
「岩猿クンは毎回そのテンションだよ」
 
 モニターの前へ立った透狐が、タッチパネルの上で指を滑らかに滑らせる。
 あれ良いなあ、カッコいいなあ、パソコンすら持ってないもんなあ、オレは。オレもあんな風に沢山あるモニターの前でカタカタ、ターンッてやってみたいなあ。

 羨ましくてアホみたいに口を半分開きながら眺めていると、モニターはある画像を映し出す。海のド真ん中で屹立する大きな影があった。何十、何百メートルあろうかというほどの黒い巨躯に、禍々しく紅い紋様が浮かび上がっている。
 きっとあれが大太法師だいだらぼっちだ。

「残念ながら私でさえも大太法師だいだらぼっちが今どこで何をしているのか、そして奴の居場所も分からない。だから私が知りうる限りの……黒澤會に関する情報を提供しよう」

 そう前置きをしてから、ザイツェフは語り始める。
 
「キミ達の何人かは既に知っていると思うが、とりわけ強力な篝火イグニスの中には、代償や発動条件などを要するモノが存在する。これは『副作用ノシーボ』と呼ばれている」
「そうなの? 岩猿、知ってた?」
「当たり前だろォがあ。もっとも俺様が持つ【国つ神の槌(ギガースハンド)】に副作用ノシーボなんてのは存在しねえがなあ。長年ヴェリタスで培った経験値と想像力の賜物ってやつだあ!」

 岩猿は大口を開けて豪快に笑う。
 何気なく紫苑と蛭の方へ視線をやる。紫苑はテーブルに頬杖を突いたまま、蛭は彼の肩にアゴを乗せたまま、2人ともモニターを注視している。
 紫苑と蛭の篝火イグニスには相応の副作用ノシーボがあるのだろうか。特に蛭の【21期60号(ヴァンパイア)】は異様だ。
 
「結論から言うと大太法師だいだらぼっちは生きている。ヤツは規格外の篝火イグニスを持っているが……およそ十数年前に日本海を渡って隣国へ強襲したきり、一度も姿を現していない」
「恐らく篝火イグニスを使った反動で動けなかった、という事だな」
「その通りだ紫苑クン。だが……」
 
 ザイツェフが言葉を区切ると、透狐がそれに合わせて新たな画像を別のモニターへ映す。どこかの監視カメラを経由したのか、粗い画質で3人の男を捉えていた。
 長髪に着流し姿の老人と、革ジャンを羽織っている銀髪の青年と、神父服姿の男という、あまり共通項を感じられない顔ぶれだ。
 
「彼らは黒澤會の幹部だ。ここ最近になって活発な動きを見せている。有力な篝火イグニス使いやヴェリタスユーザーを、傘下の組織を使い積極的に引き入れている、らしい」

 歯切れの悪い言い方に訝しむと、ザイツェフは顎ひげをなぞりながら補足する。

「引き入れられたヴェリタスユーザーは、その後の消息が途絶えているんだ。これに限らず都内では篝火イグニス使いの不自然な失踪が、徐々に増えている」
「そういやあ俺様も、1年前くらいだったかあ……黒澤組のナントカってモブに何か持ち掛けられた気がするぜえ。テメエらの下に付くなんざ真っ平ゴメンだ、つって突っぱねた気もするがよお」

 岩猿といえば都内でもトップクラスのヴェリタスユーザーだ。確かに黒澤會が目を付けないハズもないか。
 ザイツェフが透狐へと目配せすると、透狐は投影された3人のうち、神父服の男をクローズアップした。
 
「その中で……この神父然とした男はコードネームを『喰蛇くいばみ』という。幹部の内で彼だけはヴェリタスユーザーを殺し、殺害時の動画を、一応は匿名でネットに上げている……何度もな」
 
 標的にされたヴェリタスユーザーは、動画では冒頭から既に瀕死まで追い込まれており、殺される時は決まって篝火イグニスなど使わず複数人にリンチされているらしい。
 現場にも、犯人特定に至る証拠はほとんど残されない。やったのが喰蛇であるという事は、ザイツェフだけが辿り着いた真実だ。
 それを透狐は補足として、淡々とオレ達に語る。
 この悪趣味な愉快犯を、世間一般では『ユーザー狩り』と呼んでいるらしい。
 
「それってすぐ警察か……『灯籠機関』に捕まるんじゃねえの?」
「事実として未だに検挙されていない。黒澤會の後ろ盾に依るものか、彼らの手口が巧いのか……恐らくは両方だろうがな」
 
 ザイツェフが心底から忌々しげにため息をつく。その苛立った様子に、何か違和感を覚える。単に「情報屋でありながら不完全な情報しか提供できない」という以上の、明確な憤りを抱いているように思えた。

「どうあれ、これで今後の方針は決まったな」
 
 声が聞こえた方向へ振り返る。紫苑だ。
 紫苑は蛭がもたれかかっているのもお構いなく、寛いだ様子で麺つゆが入っていた器に、蕎麦湯を急須から注ぐ。
 器を傾け、蕎麦湯を堪能した後で、モニターの方へと指差した。
 
「要はヴェリタスで勝ち続ければ、黒澤會が来る。だったらやる事はシンプルだ」