複雑・ファジー小説

第三章 ( No.7 )
日時: 2022/05/24 21:23
名前: 唯柚 ◆lUykKY/81I (ID: 8qQF9FdS)

 放課後に浮かれる生徒の声も聞こえない、第二会議室。並べられた長机に座った十三人から二十六個の目を向けられる。興味や期待、嫌悪や警戒など一つ一つの感情が剥き出しになった視線に晒されながら、浅葱はそのどれとも目を合わせないまま、硬い表情で机の真ん中を睨んでいた。そのまま、誰でもない、この部屋に向かって語るように浅葱が話し始める。

「まず、今回の事件の要点を整理しよう。アリバイやら密室やらとやたら複雑に見えるが、不可解な点は結局一つだ。何故死体は、足場の無い場所で吊られていたのか。首吊りに見せるため天井から吊るしても、被害者が使った足場を誰かが片付けたとしても、そこには必ず被害者以外の人間が関与していることになる。なら誰が、どうやって、あの死体を宙吊りにさせたのか。──渡辺」

 名前を呼ばれた渡辺さんが、木村先輩の横でびくりと肩を揺らした。大きな瞳が狼狽えて、浅葱と僕の顔を行き来する。

「な、なに」
「田村と最後に会ったのはお前だったな。十七時。そこでお前が田村を殺し、天井から吊るして部屋を整えれば、三十分までにあの状況を作れるだろう」
「待ってよ! 私は鍵持ってないんだから、」
「そう、お前だけだと密室が完成しない」

 相変わらず浅葱は視線を上げないまま、「次はお前だ木村」と続ける。いきなり初対面の後輩に呼び捨てにされても、木村先輩は眉を顰めるだけで何も言わない。ただ、合わない目と目の間にピンと張った糸が見えた。糸の端を引いてるのは先輩だ。

「普段スペアの鍵を持ち歩いているお前は、当然密室という問題を解く上で真っ先に名前が挙がる。家に帰ったって証言してるからアリバイも無い。実際、コイツが田村を殺したって思ってる奴らもいるらしいしな。聡明なことだ」

 木村じゃない。その言葉に、部員達の戸惑いや浅葱の推理を疑う声が、さざ波のように部屋の中に満ちる。寄せた波が引いて、浅葱は一度深く息を吸った。
 膝の上に握った掌が、汗でじっとりと湿っている。

「木村はその時間、家じゃなく病院にいた。この学校から片道二十分のところにある、青葉大学病院だ。恐らく受診したのは整形外科。八尋と話す時に左足の負担を減らそうとしていたところを見ると、問題があるのはそっち側なんだろう。部内でそこまで問題になっていないなら、故障というよりも慢性的な痛みか? 通院を隠しているから、犯行時刻にアリバイがあることも、鍵を忘れたのは家ではなく病院であることも言えなかった。反論は?」

 僕らに向けられていた視線が、先輩を振り返る。噛みしめられた唇は、それでも動くことはなかった。

「渡辺が木村から鍵を受けとり、田村を殺してから扉を閉じた可能性もあったが、その鍵が病院にあって使えないからこれも違う。そうすると、残ったものが真実だ」

 そこまで言って、浅葱は初めて視線を上げた。僕らを取り囲むサッカー部の顔を、一人一人睨みつける。名前の通り夜明けの空を映した瞳が、前髪の奥で怒りを滲ませて輝いた。

「犯人は田村信夫、本人だよ」


「田村は部活で行われるいじめ──暴行や暴言に耐えられなかった。部室に行っても自分のロッカーすら無い。周りも遠巻きに眺めるだけで助けてくれもしない。だから死のうとした時、せめて一人は道連れにしようと思いついだんだろう。一番憎い奴を、そいつに疑いがかかる方法で死ぬことで。
 まず、クーラーボックスに入る大きさの氷のブロックを作る。最近は冷え込みが厳しかったから、大きめのバケツか何かに水を入れて外に置いておけばできるだろ。それをクーラーボックスに隠して、放課後に自分で閉め切った部室の中で取り出し、踏み台にして首を吊る。暖房を強めにかけておけば、一晩で氷は溶けて踏み台が無い首吊り死体の完成だ。死体から漏れ出た汚物のシミで紛れるかと思ったんだろうが、氷が溶けて広がるタイミングと違うから、床のシミが二重になる。
 渡辺と会ったのは、恐らく偶然だろう。木村に呼ばれたって言うのは前から決めてたことかもしれないけどな。でも木村と親交のあった部員すら知らなかった通院を、田村が知れるはずがない。結局、実行前から破綻してることに気付けなかった。
 これで種明かしは全部。単純な事件だよ。外から誰にも作れない密室なら、中にいる奴が犯人だ。何か質問は? あまりに初歩的じゃなければ答えてやる」

 浅葱の呼びかけに、口を開く人は誰もいなかった。ただみんな、何を言えば良いのか、周りを窺っている。
 被害者が犯人とは言ってるけど、でもそこまで田村先輩を追い詰めたのは木村先輩であり、それに乗っていた大宮先輩のような人であり、知っていて傍観していた渡辺さんや同級生の彼なのだろう。それは、つまり、田村先輩はサッカー部全員に殺されたってことなんじゃないのか。
 秒針の音も聞こえない重たい静寂の中で、耐え切れなかったのか、無意識に零れたのか、誰かの声がぽつりと落ちた。

「じゃあ結局、やっぱりあれは自殺だったんだな」

 良かった、誰かが人殺しにならなくて。

Re: 十三人の葬列 ( No.8 )
日時: 2022/05/24 21:24
名前: 唯柚 ◆lUykKY/81I (ID: 8qQF9FdS)

 あんなに厚く積もっていた雪は溶け、桜の木も葉の緑が瑞々しい。梅雨が無いから、乾いて爽やかな風が背中を押してくる。冬からすっかり様変わりした校門をくぐると、校舎の壁に細長い幕が垂れ下がっているのが見えた。

『祝 北海道予選決勝進出! サッカー部』
「……ふうん」

 新入部員が春から入り、この大会が終われば三年生は引退になる。きっと今が、一番人数も多く賑やかな時期だろう。冬はあんな、死んだような静けさで過ぎたのに。
 早足で文化部の部室棟に向かう。始業三十分前。約束の時間ぴったりに部室のドアを開けば、顔にぶつかる突風に思わず瞼を閉じた。
 薄目を開くと、全開にした窓から女子生徒が身を乗り出している。ぼやけた視界でも、風になびく黒髪がやけに鮮明に見えた。

「おはようございます、藤堂先輩。紙が飛ぶんで窓は閉めてください」
「おはよう、菅原君。絶好の号外日和だよ」

 つり気味の目が孤を描く。それに応えないまま窓を閉めれば、藤堂先輩は軽く頭を振って、乱れた髪へ雑に手櫛を通した。揺れる黒髪が、日に当たって輝く。緑の黒髪だ。

「サッカー部、去年からどうなることかと思ったけど、随分好成績を出したね。部員の自殺なんて悲しい事件を越えて、よく頑張った」

 壁に貼り出すのであろう、大きく印刷した号外を机の上に広げる。見出しは勿論、サッカー部の快進撃。

「そう言うために、去年、僕の記事を止めたんですか」
「嫌だな、私に未来予知能力はない。ただ、身内の恥や自分たちが所属する組織内の闇をあまり広めるのは、みんなの精神衛生上よろしくない。誰もサッカー部のキャプテンがいじめの主犯だった上に、本人は『遊びのつもりだった』『嫌がってるとは思ってなかった』なんて弁解を読みたいわけじゃない。部活動としての校内新聞とか、所詮大衆紙だしね」

 本当に報道機関が必要なら、独立した委員会として設立すべき。それは僕が新聞部に入ってから、藤堂先輩から繰り返し聞いた言葉だった。
 みんな対岸の火事だけが見たい。此岸がどれだけ素晴らしいか夢見ていたい。それに沿うのが大衆紙で、その夢を醒ますのが報道機関。間違っているとは思わない。

「結局、冬を過ぎてみれば自殺者一人、不登校一人出ただけの事件だったわけだ。まあ高校生にしては大事件だけどね。取り扱うには重すぎるし、無理を押し切ったところでリターンもそう無いだろう。君がずっと取材してた資料を無駄にする結果になったのは、心苦しいけど」
「いえ、大丈夫です。個人的にまとめてみようかと思うので」
「そっか、それなら良かった。できたら読ませてよ」
「良いですよ」

 号外の最終チェックのために、記事の文字を追う。僕の知らないサッカー部のことを、きっとみんな廊下で流し読みして、授業を挟めば忘れていく。それでも先輩は忘れられるために書き続けるんだろうし、僕は誰かに忘れずにいてもらうため、家で慣れないパソコンのキーボードを触るのだろう。
 浅葱に、冬の冷たさに見捨てられた初夏を、僕等は迎えた。