複雑・ファジー小説
- Re: 流星メタルに精錬フォージ ( No.1 )
- 日時: 2022/06/01 01:32
- 名前: 波坂 ◆nI0A1IA1oU (ID: ZTqYxzs4)
人は前に進むものだと言うが、過去を知らねば自分が何をしたかったのかさえ忘れてしまう。そんな事を思いながら少年──狩野進は、何処へ行くことも無く、フラフラと彷徨いていた。
進には文字通り何も無かった。金も荷物もない。そして何よりも、少年は記憶を失っていた。覚えている事は数日前、訳も分からず街中の路地裏で目覚め、公園で水を飲んだりして何とか凌いでいた。
しかしそれでも限界が近付いていたのだろう。遂に進はその場に倒れ伏してしまう。道の真っ只中だろうが関係無い。何故なら彼はもうその場から一歩も動ける気がしなかったからだ。
「死ぬ前に……飯のひとつ……食べたかった……」
パタリ、と事切れたように少年は目を閉じた。一応胸は上下しているが、このままでは衰弱死してもおかしくないだろう。
「もしもーし、大丈夫かい?」
消えゆく意識に、一人の男の声だけが残った。
○
先程の死にかけの様子とは打って変わった様子で、いや死に物狂いと言うべきか、進は一心不乱に箸を動かし、どんぶりから麺を啜っていた。
「んんんんっ! んっ! んっ!」
「ははは。余程腹が減っていたと見える」
熱の篭ったラーメン屋の一角で、進はとある男性と向かい合って食事をしていた。男性は既に夕飯を済ませていたのか、その手元には餃子の乗った皿が置いてある程度。一方進は今なお減っていく、元々は山ほど盛られていたラーメンがあった。
進はどんぶりを持ち上げ、そのままグイッとあおる。スープや具、少し残った麺を纏めて口の中に入れていく。一欠片だろうと一滴だろうと残さないという気迫のまま全てを飲み干し、勢いよくどんぶりをテーブルに叩き付けた。
「ごちそうさまでした……!」
「凄い食べっぷりだねぇ」
「いやほんと、ありがとうございました。あなたが居なかったら今頃……」
「まあ積もる話は置いといて、ここはラーメン代の分というか、少し聞きたい事があるんだ」
進は男性に質問されるまま答える。何故あそこで倒れていたのか、名前、最近の事などだ。だが進は殆どのことに具体的な返答が出来ないでいた。
「記憶喪失か……なるほどねぇ。覚えているのは名前だけ?」
「はい。後は……物の名前とか言葉は分かりますけど、自分が何者なのかとか、そこら辺はサッパリ」
「それじゃ……見当違いか」
「え?」
男性がポツリと呟いた言葉は、少し騒がしめな店内では進の耳に入らなかった。進が聞き返すと、男性はバツの悪そうな顔をした。
「あー、何か聞きたいことはあるかい?」
「名前、聞いてもいいですか?」
「私は灰谷哲人。今は仕事中でねぇ」
へー、と進は返事をしてから改めて哲人を眺める。彼の出で立ちは黒いスーツ姿に黒コートと、確かに私服にしては少し固い。天然パーマがかかった黒い髪だけが、彼の中の柔らかい印象だった。
「さて君。このあと着いてきてくれるかな?」
ラーメン屋で会計を済ませた後、進は哲人の背後をピッタリとついて行った。彼としては何もかも不明瞭な現状で、唯一頼れる存在が哲人であり、そんな彼が着いてこいと言えば願ったり叶ったりであった。
だから、何も考慮していなかった。
哲人は特に何も言わず、早足気味に歩く。大通りを外れ、少し閑散とした場所についてもその足取りは止まらない。流石に何処へ行くのか進も疑問を抱き始めたところで、哲人はとある建物の前で止まった。
「こっちだよ」
哲人がその建物──流通倉庫の一つに入った。彼がそのまま奥に入ってから、初めて進の方を振り返った。
その表情は、進の中では、あまり哲人の印象とは違うものだった。常に微笑みを絶やさない優しい印象とは違う顔だ。その顔はまるで、鉄のように硬く冷たいものだった。
「……哲人さん?」
「舐められたものだねぇ。バレてるよ。君」
あらぬ疑いを掛けられたのかと思って、慌てて手を振りながら進は弁明をしようとした。
が、ふと気が付く。
その目で見据えているのは、自分ではなく、自分の背後だということに。
「いや、君たちと言うべきかな?」
彼がそう言うのと同時に進が背後を振り向く。すると、自分の入ってきた入口から人影が現れた。数にして三つ。そのうちの一つの男が、口を開く。
「何故だ?」
「私が使ったのは大通りじゃない人気のない道だし回り道だ。なのにピッタリついてきている人間が居たら、流石にバレバレだねぇ。何より」
哲人は呆れたように目を伏せながら言う。
「普通、飯屋に人の事を訳もなくジロジロ見る奴はいないだろう?」
「ほう、褒めてやる。だが頭が良いとは言えないな」
後ろに居た二人の男が、各々腰から何かを取り出す。そのフォルムは、記憶のない進でも知識として頭の中に入っているものだった。
ピストルだ。そして前にいた男も片手でピストルを取り出し、それを進に向ける。
「わざわざ人気のない場所に来るとは、こちらとしても願ったり叶ったりだ」
向けられたそれに、進は何も出来ない。恐怖で硬直してしまっていた。頭も回らない進に理解出来ることは一つ。彼らは自分を殺そうとしている。それだけだった。
「死ね」
破裂音がした。
「うわぁぁぁぁぁあっ!」
思わず進は叫び、反射的に目を強く閉ざす。どんな痛みが、衝撃が襲ってくるのか。先程とは対称的に高速回転する頭に、ひたすらに最悪の想像が過ぎる。
不意に、金属音がした。
しかし、それ以降は何も起こらなかった。何も感じなかった。余りにも静寂で、死んだのかと思った。進が不自然に思いながら、ゆっくりと目を開ける。
「すまないね」
自分の前には、真っ黒の彼が立っていた。
「君を守るつもりだったんだが……彼の狙いは私だったらしい」
文字通り、真っ黒に染まった手を前に突き出した哲人は、首だけ背後に回す。
「巻き込んでしまったお詫びは、今日の寝床と明日の飯で何とか頼むよ。ね」
哲人は前に突き出していた手を無造作に振る。カランカランという音と共に、何かが落ちた。
それを見て進は呆然と口を開く。何かに突撃し先端が潰れた弾丸を見て。
一方、男は焦りを顕にしたように騒ぎ始める。
「こ、こいつ……『フォージ』を!」
「おおっと流石に知っていたか」
「化け物め! お前ら!」
男達が一斉に銃弾を放つ。だがそれらは哲人に傷を付けることすら出来ずに地面に散らばっていく。
当たっていない訳では無い。ただ傷が付かないのだ。彼の不自然に真っ黒く染まった肌が、本来ならば身を貫くはずのそれらを弾いている。
「僕のフォージ、《鉄人》だ。この鉄の体は、そんな豆鉄砲じゃ傷付けられないよ」
そして哲人も自分のポケットから拳銃を抜く。彼らのピストルよりも少しバレルの長い、セミオート式のものだ。彼らのものより少し重たい銃声が響く。
それが一人の足を貫き、鮮血が噴き出す。男が悲鳴を上げながら、傷口を抑えて倒れ込む。
だが他の二人の男がそれまで何もしなかった訳でもない。二人は無駄と分かっても再び弾丸を放つ。そのうちの一発が、哲人の右手にヒット。鉄と化した体を傷付けることは叶わなかったが、彼の武器を弾き落とすことには成功した。
「へっ、武器が無けりゃ……」
そう男が言い放ったのとほぼ同時だった。
哲人が身を屈め、自分を撃ち出すように地面を蹴ったのは。
その姿は、まるで砲弾だった。人間の瞬発力とは思えないそれが、一瞬にして男達との距離を詰める。
「残念、私はこちらの方が得意なんだ」
一撃。突撃の威力そのまま放たれた肘打ちが、男の鳩尾を捉え、体をくの字に曲げる。吹き飛ばされた男は壁に激突し、そのままズルズルと背を壁に預けたまま気絶する。
「こ、こっちに来るなっ!」
男は落ち着いて正常な射撃が出来ないのか、銃弾が哲人を捉えることすらなく床を跳ねる。
哲人は容赦なく右手という弾丸で、男の顔面を撃ち抜いた。勢いのまま回転しながら、男は地面に倒れ伏した。
進はその光景をただ棒立ちのまま眺めていた。目の前で起こっていることが何もかも、現実でないように感じていた。
「君、危ない!」
だから、哲人からの警告があるまで、足から血を流した男が、自分に銃口を向けている事など気が付きはしなかった。
進は慌てて、自分の体を守るように両腕を組む。だがそんな事をしたところで意味が無い。それこそ哲人のような力がなければ、彼が弾丸に貫かれるのは必然に思えた。
哲人が砲弾のように、銃を構えた男に迫る。
複数の音が、交錯した。
衝撃がないことを確認し、進は痛みに備え瞑っていた目を開く。
手を抑えてのたうち回る男と、片足を振り抜いた哲人が視界に入った。弾き飛ばされたピストルが、クルクルと回って壁に当たる。
進はほっとした様子で脱力し、そのまま崩れ落ちるようにして膝を着く。余りの事態の変化に、進の緊張の糸が切れてしまった。
だが哲人はそうではなかった。彼は足を下ろすと、男達ではなく進を真っ先に見つめる。
その表情は、進に向けていた柔らかいものではなかった。
「……哲人……さん……?」
進の戸惑うような声に、ハッとしたように哲人は表情を緩めた。能力が解除され手も肌色に戻った哲人は進に駆け寄る。
「大丈夫かい? 最後のは……」
「え? 哲人さんが何とかしたんじゃ……」
哲人は腑に落ちないといった顔をしたが、すぐにその表情を隠す。幸い、進にはバレなかったようだ。
「ああ、間に合っていたのか。良かった良かった」
ははは、とわざとらしく笑う哲人。進も少し変に感じたが、余り追求はしなかった。
「とにかく、今は落ち着こう。この人達は……まあ然るべき所に突き出すとして……ええと」
哲人は少しだけ困ったように言葉に詰まる。
「名前、聞いてなかったね。なんというんだい?」
そう言えば彼は知らなかったな、元々彼の質問には何も答えられなかったな。と思いつつ、進は初めて哲人の問いに答えた。
「狩野進です」
この時、進の真っ黒な瞳には見えていなかった。
足元に転がる銃弾の数が、先程よりも一つだけ増えていたのが。