複雑・ファジー小説

Re: 軋む、歯車 ( No.1 )
日時: 2023/01/04 18:55
名前: まぼ (ID: dYnSNeny)

0、「日本、アメリカの。」

1945年、太平洋戦争に敗し、ポツダム宣言を受諾した大日本帝国はGHQ…アメリカの占領下に置かれた。51年には独立を取り戻し二度と戦争を繰り返さぬよう、時の政府は国民とともに荒廃した街々から立ち上がった。
今日の平和は仮初の姿に過ぎず、常に日本は戦争の危機と向き合いながらも平和の精神を享受していた。だが2087年7月7日…その姿は塵のごとく消え去ったのだった。

「じゃあ、行ってくるよ。」

夏の初め、騒がしい東京の一角にはとある家族が暮らしている。
父親である常本明憲は防衛省に勤める官僚だった。毎朝7時、混雑するからと玄関に立つ明憲は、妻の舞子、2歳の娘の優に微笑みそう告げた。
「行ってらっしゃい、あなた。」と舞子も返す。

近所の地下鉄駅には既に多くの人が並んでいる。学生服やスーツに揉まれながら、明憲は霞が関へ行く電車に乗り込んだ。もう夏なのだ、汗に滲むシャツを掴んで鳴らし、涼しもうとした。間もなくして車両は出発し、暗い地下のトンネルを進んでいく。
そうして次の駅へ差し掛かるところだった。
その時だ、車両に不快な音、いやサイレンが響く。元は分かった、ほぼ全ての乗客の携帯がそれを鳴らしているのだ。明憲は「なんだ」と多少驚き、乗客がざわめく中、自らのスマートフォンを開いた。

「緊急速報。ミサイル発射ミサイル発射…」

と言う文言が目に飛び込んでくる。心で独り「ミサイル発射?」と。焦りというよりも一時的にその意味が理解できないと脳が答える。だがその次には考えるどころでもないのだ。
ドーン、とは簡単に表現できたものではないが大きな音が頭上から響いて、そして電車の車両が上下か左右かに揺れる。地震ではない、何か大きな爆発が地上で起きたのだ。
明憲はハッとした、

「ミサイルが落ちた。この日本にミサイルが」

車両は緊急停止する。ブレーキで車輪と線路が鳴らす金切り音が耳をつんざく。
ミサイルの揺れよりも大きな揺れが起き、乗客は立っている者は倒れ、座っている者は隣に体を押し付けた。明憲は倒れこみ、隣の客の下敷きになった。直後、放送が流れる。

「お客様にご案内申し上げます。只今、大きな揺れを感知し、安全のため緊急停止しました。安全が確認されるまでしばらくお待ちください。」

「大丈夫か」「邪魔だ!」「すみません…」、車内の客がそれぞれ立ち上がり、互いに声を上げる。
明憲は落としてしまった鞄を持ち上げ、スーツの汚れを払う。
程なくして新たな放送が流れる。

「お客様にご案内申し上げます。政府から弾道ミサイル発射情報が発令されました。この電車は安全を確認するまで運行ができません。お客様におかれましては次の駅まで徒歩で移動頂きます。」

窓を覗くと外には複数名の作業員が集まっている。ヘルメットのライトが眩しい。
各車両のドアが開き、乗客は一人ずつ降車していく。「焦らず、押さずにお降りください。この電車は動きません!」と案内する声が静かなトンネルに響く。
明憲は降車し、辺りを見回し作業員の先導に着いていく。

…ふと思い出した。

「舞子…優…!」

暗いトンネルの奥に揺らぐ、二人の幻影は当然なのか偶然なのかとても儚く見えた。
…日本、アメリカの戦争ではない。中国との戦争として現代に戦火は降り注いでいた。