複雑・ファジー小説

Re: 軋む、歯車 ( No.2 )
日時: 2023/01/04 18:59
名前: まぼ (ID: dYnSNeny)

1、「あの夏は。」

あれから13年という時間が流れ、日本の都市部にミサイルの雨が降り注いだ日と同じ7月7日の午前8時。セミの鳴き声があたかも傍にいるかのように聞こえてくる高校の校庭で黙祷のサイレンが響いた。
高校生の優は目を瞑り俯き、幼きあの頃に起きた惨劇、母の最期の姿と黒く濁った空気から現れた父の姿がまぶたの裏をぐるぐると廻っているのを感じていた。

「黙祷、終わり。」

教頭の声がスピーカーから流れた。生徒一同が顔を上げ、朝礼台に立つ校長の姿を見つめる。朝礼台の横には担任やその他の教員が並び、セミの声に交じりながら校長の講話が聞こえてくる。

「皆さん、今から13年前は…皆さんはまだ幼かったでしょうか。当時の日本にはミサイルが降り注ぎ、多くの人々が亡くなりました。この日、この時間に多くの命が失われました。特に昔の東京には、沢山の人が住んでいましたので、最も多く貴重な命が失われてしまい…、当時の傷は忘れてはならないのです。皆さんは次の日本を担う…」

このような言葉が九州の方言を交えながら、校庭に並ぶ生徒に向けて述べられた。
「そうなのかな…。酷かったのかな。」と優は頭の中で呟いた。

ここ長崎や、被害の少ない地方には都市部の国民が避難し、住み着いた。常本家の本家がある長崎県のとある高校に優は通い、学生生活を送り、一見平和な日常を送っていた。
そのまま朝礼の解散が告げられ、生徒は各々自分の教室へと戻っていく。戻る中で「覚えとらんわぁ。」「そんなことあったんね?」「うちも教科書でくらいしか知らんかった~」と呑気な会話も聞こえる。優も同じ教室で出来た友達と雑談しながら戻っていく。

7限までの授業を終え、終礼を終わらせ、学級活動が終わって下校をする。
優は通学で使ういつもの電車に乗り、使い込まれた英単語帳を開き自習をしながら降車駅まで過ごしていた。辺りには同じ高校の学生や友人集団が談笑している。一際勉強に熱心だった優の姿に気づく者はいない。
…英単語帳の次のページを開こうかとした時、降車駅に着く放送が流れた。

「まもなく~市布~市布~、降車の際は…」

自身の降車駅にたどり着いた。市布駅の辺りは山に囲まれ緑にあふれている。
小さなロータリーに出、優は自宅に向かって歩き出した。既に日は落ち、同級生の姿は降車駅についた時点で見つからない。昼間は突き刺すような日差しと暑さは消え去ってしまい、やかましかったセミの声も聞こえてこない。
一面薄暗く続く歩道を歩き、登り坂を少し上がった先に開けた土地がある。
真ん中に堂々と構える平屋が今の優の家だ。東京の家は三階建てに窮屈な庭があったが、ここは田舎で広がって余る土地には畑もあるぐらいだった。

「ただいま。」

そういい、引き戸の玄関に入ると、すぐ右にある台所からにこやかな顔で「おかえりぃ優~。ご苦労様だねぇ~」と訛りながら祖母が顔を出す。もう70を越えている。少し曲がった腰で小さな眼鏡をかけている祖母は優の元へ歩み寄り、廊下に上がった孫娘を労った。
教材の詰まっている重たいリュックを持ってくれ、「ありがとう、おばあちゃん」と優は微笑み返す。
奥からは夕飯の香りが漂っており、学業に疲れた体から空腹を知らせる腹の虫が鳴いていた。自室に入り、制服を脱ぎ着替え、明日の準備などを一通り終わらせると、和室のほうからご飯を食べようか、と優を呼ぶ声が聞こえた。
部屋にある少し大きなちゃぶ台には、何か気難しそうに新聞を読んでいる祖父の姿もあった。
白髪の隙間から頭皮が見え隠れしている祖父は一目優を見ると

「優ちゃん、お帰り。じゃ、食べようか。」

と新聞を置いた。
父の明憲はまだ帰っていないようだ。

「いただきます。」

優は目の前の肉じゃがに手をつけ、頬張りながらちゃぶ台の上にある母の遺影に目をやった。今朝の朝礼のことが思い出された。
そして祖父の方を向き、今日の校長の話を伝えた。

「おじいちゃん。今日は朝礼でさ、米中戦争のことを校長先生が話してたんだ。でもよくわからなくてさ…。」

「あぁ。優ちゃんはまだ2歳だったもんなぁ。そりゃあ知らんでもしゃあない、あれは酷かったもんやな。…昔の中国がな、ミサイルっちゅうもんを日本全体に降らしてきたんや。優ちゃんのお母さんもその時に死んでもうた。あの戦争はひどかったんや。」

「もう10年以上経ったんねぇ…。都市から多くの人が流れてきて…もう大変やったねぇ。日本もあっちゅう間に負けてしもて、アメリカに入れてもらって、お父さん。明憲と一緒に逃げてきた優の怯えていた顔を忘れられんねぇ~…。」

「後でお母さんのお墓に行こうねぇ。」と祖母が優に言った。
母の遺体は後に続いた容赦ない攻撃で探すに探せなかった。そして終戦後、米軍と自衛隊によって回収された遺体の中に、母・舞子の姿があり火葬されていった。墓は壊れてしまい、本来は東京にあるところ、長崎に作り常本家に遺骨を納めたのだった。

「うん、わかった。」

優は返し、出された夕食を食べ、空腹を満たしたのだった。わざわざ着替えるのも大変だろう、と祖父母も優も部屋着のままですぐ近くの墓場に向かった。時計の針は20時を回っており、空には星が浮かんでいる。
墓地は一軒家の入るくらいの土地にいくつかの家の墓場が建てられている。中央に「常本家之墓」とあり、ここに母の遺骨も納められている。月明りの照らす墓地に三人集まり、手を合わせひとみを閉じた。

「ここにお母さんがいるんだね。」

と祖母に尋ね、

「そうよ。ずっと優のことを見守ってくれているんよ~。」

と、優しく返してくれた。
少し墓の掃除をして、すぐに帰宅した。…未だ父の明憲は帰っていない。

「お父さんはまだ帰ってこないのかな。」

「今はまだ会社におるしな、まだ帰れんようやな…いつも遅くてなぁ。」

祖父はそう言って顎をポリポリ掻きながら、先ほどの和室へと戻っていった。
優もまた今日の授業の復習をするために自室へ戻り教科書を開いた。
勉強机の時計が21時をさす頃には風呂も入り、優は布団に潜って横になった。

「はぁ…。お父さん、今日も帰ってこないのかな。もう一週間会ってないな。」

優は明憲が一体何処で何をしているのか、また何の仕事をしているかさえ知らずにいた。
小さい頃、長崎に来た頃からずっとそうだった。父はいつもフラッと現れ、フラッといなくなっている。
たまに会って仕事を聞くと

「優にはまだ分からないかな」

と言い、これはいつものことだった。父は何もわからない、ある意味不思議な存在だった。優が母の姿や在りし日の生活を知らないのもこれ故だった。

優は「何もわからないや。明日は帰ってるかな。」と寝返り、意識が遠のいていった。