複雑・ファジー小説

Re: Mech-Psych. ( No.1 )
日時: 2023/11/22 22:56
名前: 通りすがり (ID: eVCTiC43)

 第零話「シェリー」

――――僕の初恋の相手は機械のハートを持つ、それはとても美しい女性です。
 彼女はシリコンの肌でできていて、目は青く大きな瞳。髪はロングの優しい光のような金髪。常に僕を支え、まるで母親のように暖かい存在なのです。彼女の名は、シェリー。家族ではシェリーと呼んで親しんでいます。
 シェリーとの出会いは、きっと生まれた時からでしょう。僕に物心がついたその時から、シェリーは僕を柔らかく抱きしめ、幼い僕の身の回りの世話をしてくれていました。当初、僕はシェリーが僕の母親なのだと勘違いするくらいでした。シェリーは普通の「人間」とまったく同じ見た目をしているので、そういうものなのです。…首元に外部情報共有のためのプラグ穴があることを除いて。
 実の母は、僕が生まれた日から一か月半後、何らかのバグを起こした自動運転のタクシーにひかれてそのまま亡くなってしまったそうです。だから、シェリーが母の代わりに育ててくれたのだと、僕が中学に上がる頃に父が教えてくれました。もちろんですが、少しも寂しくはありません。むしろ、なぜシェリーが僕の小さい頃から姿形が全く変わらないのか、その疑問が解消されたものです。
 シェリーは官僚の仕事に忙しい父の代わりに、僕の世話をするために購入された「AI搭載家庭用人型機械」。そう、シェリーは人間ではなく「機械」なのです。でも、それでも僕はシェリーを機械でも、母親でもなく、「一人の女性」として好いているのです。そして、シェリーも僕を好いていてくれている。つまり、そういう関係ということです。

 ***

 「ただいま、シェリー」
 夕方、高校から帰宅した修一は、背負うリュックを片方下ろしながら、自宅の玄関のドアを軽快に開けた。
 「お帰りなさい、修一君」
 シェリーは玄関に向かい、修一の帰宅を迎えた。修一が二階の部屋に行き、荷物を片付け、服を着替えて一階のリビングに戻ると、髪を束ねたシェリーがキッチンで料理をしているのが見える。
 「シェリー、今日の夕飯は何だい」
 「今日は、材料の供給が安定していたので、カレーにしました」
 シェリーが機械的にそう答えると、そっか、と修一は軽く返した。その後、修一がリビングでくつろいでいると、シェリーがいつものように学校での一日を尋ねてくる。
 「今日はどんな一日でしたか、修一君」
 「特になにも変わらない、普通の一日だよ。数学の授業が眠かっただけ」
 「それはいけませんね。真面目に授業を聞かないと成績に響きますよ?」
 はは、大丈夫だよ。修一は自身の成績の高さに自信を覚えていることから、余裕そうに振舞った。シェリーも、普段の彼の成績を把握しているため、その答えが信用にたるものだと判断し、深くは追及しなかった。
 「まぁ、やはり大丈夫ですね。修一君の成績なら問題はないでしょう」
 鍋が煮え、カレーのルーが完成すると、シェリーはリビングでゲームに勤しむ修一に、お夕飯にしますよ、と呼びかけた。サラダとカレーライスをテーブルの彼の席に並べると、修一も同じくしてイスに腰かけた。
 シェリーは機械であるため、食事を要しないが、彼の世話をすることがシェリーの仕事であるため、彼の反対側に座り、向かい合っている。これが加賀原家のいつもの食事風景だ。
 丁寧、かつ、正確に並べられたランチマットの上の料理を眺め、修一は満足そうに言った。
 「ありがとう、シェリー。いただきます」
 「はい、修一君。どうぞ」
 顔を合わせて、彼が食事を始める。シェリーはいつものように、修一の食事風景を見つめ、彼が食べ終えるのを待っている。もし、彼が食事をこぼす等があっても、シェリーがすぐに対応できるようにしているのだ。
 「ああ、でもシェリー。今日は数学の授業でミニテストがあったんだよ」
 「そうなのですか、それは大変でしたね。でも、修一君なら問題なく回答できたのでしょう」
 「まぁね、因数分解の計算なんて簡単だよ」
 少々自慢げに話す修一を見て、シェリーは人間らしく微笑み、そうでしたか、よく頑張りましたね。と返事をした。
 そのまま修一は食事を終えては、シェリーに、ごちそうさま。と伝えて、シェリーは食器を一通りキッチンに運んで行った。
 シェリーが皿洗いをしているとき、テーブルに座っている修一が尋ねた。
 「今日もお父さんは帰ってこないのかい?」
 「ええと…」
 シェリーの皿を洗う手が一時止まると、その脳内では裕也から送られたメールを読み返していた。
 「はい、お父様は今日も仕事が忙しく、まだ帰宅できないそうです。修一君は帰りを待たずにちゃんと寝るようにと、指示がされております」
 修一が悲しげに小さなため息をこぼすと、気遣うようにシェリーは言葉をつづけた。
 「お父様は今日も国と東京都のために頑張られております。修一君のことももちろん大事にしてくれておりますよ」
 家のことはシェリーがいるので安心してください。と最後に付け加え、彼が寂しい思いをすることのないようにAIが編み出した言葉を述べた。修一も、まぁそうだよね。と不満げに返した。
 修一は仕事優先な父親に不満を抱きつつも、シェリーと二人で暮らして不自由のない生活をさせてくれていることに感謝していた。何より、シェリーが大好きな彼だからこそ、シェリーを迎えてくれた父親は、彼の尊敬すべき人と思っているものだ。
 父の帰宅について尋ねた後、修一は風呂を済ませにいった。洗面所にはシェリーがタオルを持って待っており、彼の体を丁寧に拭いてくれる。そして、濡れた髪を乾かしてもらいながら、シェリーは、いいお風呂でしたか?と尋ねてくる。これも日常の一つなのだ。
 「うん、よかったよ。よかったけど…」
 シェリーは修一の反応が想定とは違って微妙なことに気づき、重ねて尋ねた。
 「けど…?」
 「けど、毎回こうして裸の僕を拭いてくれるのはそろそろやめにしないかい?」
 15歳の高校生にもなる男子が、毎日、女性にまるで赤子のように体を丁寧に拭かれるというのは、やはり恥ずかしい。しかし、シェリーも自身に課せられた仕事を果たす必要があるため、彼の要望には応えられずにいた。
 「それは不可能です、修一君。私は修一君の身の回りを世話し、修一君の安全を守ることをお父様に命じられておりますので、その命令を守る必要があります」
 「そ、そうだけど。でもちょっと恥ずかしいんだよな…」
 そして体と頭を乾かし終えると、そのまま寝間着に着替え、修一は自室に戻っては明日の準備をして、ベッドで眠る。
 これが加賀原家の「日常」である。