複雑・ファジー小説
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- 101の日常達
- 日時: 2018/12/09 20:45
- 名前: 雷燕03 ◆bizc.dLEtA (ID: XYGrm/hO)
こんにちは。このスレッドを覗いてくださってありがとうございます。
ライトにするかこちらにするか迷いましたが、暗い話も書く予定なのでこちらに。
短編集になります。
とんでもない遅筆なので、作品によって書いた時期にだいぶ差があります。
企画などに出したものも、企画が終了した後こちらに載せています。
それでは、この物語たちが少しでも、あなたの日々の潤いになりますように。
■目次
1. >>01 水色のシュシュ
2. >>04 この町
3. >>05 冬の雨の日
4. >>09 嘘
5. >>13 夏の終わりと夜の空
6. >>14 雪を翼に
7. >>15 幻と再会
8. >>16 窓の向こうの景色
9. >>17 十か月の追憶
10. >>18 折りたたみ傘
11. >>19 優しさの成果
12. >>21>>22>>25 君と共に足音を
13. >>26 黒の女
14. >>27 イチョウ葉と革靴
- Re: 101の日常達 ( No.23 )
- 日時: 2015/09/04 18:52
- 名前: 風死 ◆Z1iQc90X/A (ID: pcVc9ZHc)
お久しぶりです。
雑談版では私のスレにレス下さり有難うございました。
新しく更新した話、さわりだけ読ませてもらいました。
やはり、良い文章能力を持っているようで。
全部読み終わったら改めてまともな感想を載せたいと思います。
頑張ってください。
適度に。
- Re: 101の日常達 ( No.24 )
- 日時: 2015/09/05 18:45
- 名前: 雷燕 ◆bizc.dLEtA (ID: a6RsoL4B)
>風死さま
こんにちは、コメントありがとうございます!
読んでいただけたばかりか嬉しいお言葉まで……。
今の話は次のレスで終わりますので、最後まで彼らを見守っていただければこの上ない幸せです。
ありがとうございます、頑張ります!
- 君と共に足音を ( No.25 )
- 日時: 2015/09/05 18:56
- 名前: 雷燕 ◆bizc.dLEtA (ID: a6RsoL4B)
また別の日、いつものように彼女のいる病院に行き、扉の前でいったん足を止めた。中から話し声がする。今日行くとメールをした時「もうすぐ帰ると思うけど一応親が来てる」と返信があったから、彼女の両親だろう。
何度も会ったことはあるけど一緒に見舞うというのもなあ、と思っていると、こちらへ向かってくる足音が聞こえた。あ、と言ううちに扉が開かれる。向こうも「あ」と声を漏らした。
「すみません」とりあえず扉の真ん中から逃げる。「こんにちは、ご無沙汰してます」
「あらサトル君」
「ああ、きみは」
彼女の母親に次いで父親が個室から出てきて、扉を閉める。二人はそこで足を止めてしまって、何か気の利いたことを口にしようと思ったがすぐには思いつかなくて視線を軽く落とす。すると両手に提げられた荷物が目に入った。
「あの、荷物、車まで運びましょうか」彼女に頼まれたものを持ち帰りして、俺が買ってきた本なんかも持って帰ってるみたいだから、結構重いだろう。
「あー、じゃあお願いしようかしら。ね」
母親のほうが最後は父親のほうを見ながら答えた。二人からひとつずつ、見た目に重そうな袋を持って駐車場まで歩いた。
車の横でご両親に荷物を渡しているとき、「はーいありがとうー」という荷物運びに対するお礼のあと。母親のほうがふと言った。
「あと、ずっとあの子のところにいてくれて、ありがとうね」
悲しげに笑いながら。
俺としては彼女の傍にはいたいからいるだけで、感謝されることだとは思わないのだけど、それを伝えようとして気恥ずかしくなって、
「それは、その……ミカさんですから」
しどろもどろに言うことになった。それを聞いたご両親共々笑ってから、それじゃあね、と車のドアを閉めた。
「ねえ、蛍が見たい」
部屋に戻ると開口一番に彼女が言った。
「蛍? 連れてくのはいいけど、そんな遠くまで行けんの?」
彼女の従姉妹が見舞いに来たあの日よりは体調もマシになったようで、ベッドテーブルを見るに見舞いが来るまでは本を読んでいたらしいが、とても遠出なんてできる体力はないはずだ。片手で捻られそうなほど細い脚は、まあ俺が車椅子を押すからいいとして、車に長時間乗って大丈夫なのか。
「それがね、ここからそんなに離れてない渓流で、たくさんじゃないけど見れるらしいの。ちゃんとした道があるか微妙だけど……車椅子押してくれないかな」
断る理由はなかった。ちょうど親に懐中電灯を持ってきてもらったとか言うし。オレンジ色の光がだいぶ弱まった頃に、少し外を散歩したいから車椅子を貸してくれないかとスタッフへ頼む。森の中には入らないでくださいね、と守るつもりのない注意を聞き流した。
外へ出て彼女に渓流の場所聞くと、「駐車場の周りをぐるっと行って、どこかで山に入ればいいはず」なんて言う。
「いや適当すぎるだろ。本当にあるの」
「まあなかったらどんまいってことで」
こりゃあ蛍を見れる可能性は低いな……と思っていると、一箇所、森の中へ続く小道が見える場所があった。人が歩いて草を掻き分けた跡が道のようになっているだけではあるが。
車椅子が入れる様子ではなかったので、彼女をおんぶして山の中に入る。彼女の軽さが胸に刺さった。幸い道はあまり坂道を上り下りはしておらず、それでも決してよろけたりしないよう、一歩一歩気をつけて歩く。ざっ、ざっ、と、地面を踏みしめる確かな足音がした。俺たちがここにいる音がした。
「サトルにおんぶしてもらうの初めてかなあ」
耳元で細い声がした。
「たしか初めて」
「そっかあ……」
彼女はそれきり黙ってしまった。
しばらく歩いたが景色に変化は見られない。そういえば人が歩いた形跡があるからといってその先に渓流がある保障はどこにもないわけで、病院の方に心配をかけるわけにはいかないからどれくらい経ったら引き返そうか……と、考えていた頃。さらさらと水の流れる音が耳に入ってきた。
「正面だね」
「正面だな」
まっすぐ進むと、確かに小川があった。蛍はいなかったが辺りはまだ薄明るく、待っていたら見られるかもしれない。きょろきょろと見回すと座るのに都合のよさそうな岩があったので、そこまで行って彼女を降ろした。「少し待とうか」と俺も彼女の隣に腰かけて、ぼんやりと水の流れを眺める。
さらさらと、一時も止まることなく流れ続ける水。さらさらと、水がそれを望んでいようがいまいが、おかまいなしに。さらさらと、俺がそれを望んでいようがいまいが、おかまいなしに。
この音がやんでしまえばいいのに。水の流れが止まって、時間の流れが止まって、太陽が沈んでもまだ薄明るいこの瞬間のままで、永遠に彼女と二人で。
彼女の左手が俺の右手に重なってきたのでそっと握りしめた。
彼女へと近づく死の足取りが、止まってしまえばいいのに。
「ゆっくり死んでいくことの唯一いいところは、準備ができることかなって思ってたの」
水温と虫の声だけが響いていた中、唐突に聞き取りにくい声がしたので右側に顔を向ける。彼女は無表情に水の流れを見つめていた。
「自分が覚悟しなきゃいけないのは余計だけど……周りの人の悲しみが少しは減るのかなあって」
「減らない。いきなりだろうが分かってようが同じくらい苦しい」
「そっか。きっとそうだよねえ」
辺りがどんどん暗くなってきた。
「あとね、やり残したことは無くせるのかなあって、思ってた。無くすつもりで今のとこに移ったの。でもね、結構絵は描けたけど、興味があった本は読んだけど、まだまだなんだ」
かすかに彼女の手に力が入るのを感じた。
「サトルが得意だって言ってたスキーにもまだ行ってないし、治るって信じてた頃に買った新しい水着も浴衣も着れずじまいだったし、生で見れてないバンドいっぱいあるし、サトルと海外旅行にも行きたかったし」
彼女の手は震えていた。
「一緒に蛍が見たかったのもここのこと聞くまで諦めて──」
「あ」
彼女は突然話をやめ、俺は思わず声を漏らした。
一瞬黄色の光がついて、すぐに消えた気がした。二人で黙って前方を凝視していると、すぐに同じ光が現れる。小さな光がゆらゆらと不規則に飛んでいた。ひとつだけだった光は、俺たちが呆気に取られている間に、ふたつみっつと増えていく。
暗闇の中でゆらゆらと流れる光。水とは違って、自らの思うがままに。
「蛍、見れたな」
前方に視線を奪われたままそう呟くと、視界の隅で彼女が頷いたのが分かった。それから、「ひっく……」彼女の嗚咽が聞こえてきたので驚いて隣を見る。彼女は下を向いて右手で涙を拭っていた。
「ミカ」
「いやだ、私、死にたくない」
彼女からそんな言葉を聞いたのは初めてで、俺は声を失った。たぶん彼女も俺も臆病だったから、今の病院に移ってきた事実に「もうすぐ死ぬよ」というメッセージを含ませて、受け取って、直接口にするのは避けていた。彼女が肉体的そして精神的にどれほど苦しんでいるのか分からなくて下手に触れられなかったし、それにそんなことを口にしたら俺の方まで……。
少しでも彼女を安心させたくて、あと目が潤んでたと思うからたぶんそれを隠したいのもあって、座ったまま体を捻り彼女の顔を自分の胸に押し付けた。腕の中で彼女はまだ泣いている。
「死にたくない、まだ一緒にいたい、もっといろんなことしたい、いやだ」
「大丈夫、まだ死なないから。まだ一緒にいるから」
こんなことしか言えなかったけど、彼女はそれで黙って、俺の腕の中でしばらく泣いていた。どこかでかさりと草の音がして、俺にはそれがやつの足音のように聞こえて、彼女を抱きしめる腕に力をこめる。まだだ。まだお前になんか渡すものか。
彼女は「たくさんじゃない」と言っていたけれど、辺りにはいつの間にか数え切れないほどの蛍が飛んでいた。
*終わりです。お読みいただきありがとうございました。
- Re: 101の日常達 ( No.26 )
- 日時: 2017/09/10 00:03
- 名前: 雷燕 ◆bizc.dLEtA (ID: tf4uw3Mj)
黒の女
ある日、妹が見慣れないぬいぐるみを持っていることに気が付いた。私より九つ年下でまだ小学校にも上がっていない彼女は、お気に入りの赤いワンピースの胸元に、犬とも猫ともつかぬ、黒いぬいぐるみを抱えている。
「朱莉、そのぬいぐるみ、どうしたの?」
「えへへ、サオリおねーさんがくれたんだ」
朱莉は屈託のない笑顔で答えた。
沙織さんとは最近朱莉とよく遊んでくれている近所の女性のことだ。母親はよく平日の昼間、幼稚園が終わった後に朱莉を公園へ連れて行くのだけど、朱莉は私と似て引っ込み思案で、近所の子供たちとうまく馴染めていないらしい。一年ほど前、朱莉がひとりで砂遊びをしていたところ、話しかけてくれたのが沙織さんだった。公園では近所のママさんたちが子供たちを遊ばせる傍らでお喋りをしているのが通例なのだが、沙織さんは母に挨拶をするくらいでママさんたちの方に混ざることはなく、公園に来るといつも朱莉を遊んでいるそうだ。
沙織さんには私も何度か会ったことがある。見た目から察するに二十代だろうか。物静かな人で、朱莉を見るときはずっと、大きな口を横に伸ばして薄笑いを浮かべていた。微笑んでいた、と言うべきなのかもしれないが、そのしっとりとした笑みが私は少し苦手だった。彼女がいつ見ても黒い服を着ているというのが、原因のひとつだったと思う。
このように彼女に対してあまり良い印象を持っていなかったから、彼女がくれたというぬいぐるみも少し不気味に見えてしまった。他の人からのプレゼントでそんなことを気にしたことはなかったのに、人に物をあげるという行為は、相手の家でも自分の存在を主張する手段であるように感じる。あの、黒の女性が、家でも朱莉を見ている。
でも、そんなことを思うのは、きっとただの嫉妬だ。勉強と部活に忙しいからと言って自分は朱莉とあまり遊んであげられないくせに、朱莉が沙織さんに懐いているのが気に食わないだけなのだろう。
そう自分に言い聞かせ、ぬいぐるみの黒光りする瞳をしばらく見つめてから、朱莉のいるリビングを離れた。
それから一週間ほど経ったある日、私が部活から帰ると、朱莉が大泣きしていた。
「いやだあああああ! おねーさんのところにとまるのおおおおお!」
朱莉は私のことは「お姉ちゃん」と呼ぶから、「お姉さん」と言えば沙織さんのことだ。そしてこの発言から大体の状況は読める。おおよそ、朱莉が沙織さんの家に泊まりたいと駄々をこね、母親に反対されているのだろう。
「ただいまー」
「あらおかえりなさい。ほら朱莉、お姉ちゃん帰ってきたからご飯にするよ! とにかくお泊りは駄目だからね!」
なおも泣きじゃくる朱莉を無視して、母はご飯をよそい始めた。調理台上の皿には既に冷しゃぶが盛り付けられていて、お腹がすいていた私の興味もすぐにそちらに移ってしまう。
まだ幼い妹が駄々をこねて不機嫌になるなどいつものことなので、母も私も慣れっこだ。実際にこの日も、無理やり朱莉を席に着かせると不機嫌そうながらもご飯を食べ始めた。父親は単身赴任で普段家にいないので、女三人で食卓を囲む。
食事のあと、朱莉は泣き疲れたのかリビングのソファーで寝てしまった。ルルと名付けたらしい黒いぬいぐるみに抱きついて、寝息を立てている。ぬいぐるみが上を向いている形になっていたので、私はぬいぐるみと目が合ってしまい、あの女性の黒い服が頭に浮かんだ。
「さっき朱莉が泣いてたのって、沙織さんの家に泊まりたいって言ってたの?」
テレビをつけながら母親に聞く。画面ではニュースが熱中症を警告し始めたが、興味もないので適当にチャンネルをいじる。
「そうそう。朱莉の相手をしてくれるのは助かるんだけど、相手のお宅に行ったこともないし、正直よく分からない人でちょっと怖いわ……」
私のような嫉妬はともかく、得体の知れない女の人が朱莉の心に入り込んでいることへの不気味さについては、母も感じているのかもしれない。
「泊まるっていうのも話を持ち出したのは向こうらしいし、そういうのは困るって伝えておこうかしら……そういえばぬいぐるみのお礼をしてないし、お菓子でも渡すついでに」
「ふーん、いいんじゃない?」
ちらと朱莉の方を見ると、ぬいぐるみが黙って私たちの会話を聞いている。
チャンネルを転がしたものの面白そうな番組がなかったので、私は諦めて、置きっぱなしだったかばんを取って自分の部屋へ向かう。
次の日、私は午後の授業中に驚愕の知らせを聞いて学校を早退することになった。電車を乗り継いで目指すのは、病院。最後の駅を出ると私は駆け足で受付まで行き、面会の許可を貰った。聞かされた番号の病室の前で、患者の名前を確認して中へ入る。
個室のベッドで横になる母は、右腕をギプスで固定し、顔や腕のいたるところにガーゼを当てた痛ましい姿で、部屋に入ると私は一瞬足が止まってしまった。ベッドの脇では朱莉がちょこんと座っていた。私も二人もとへ駆け寄る。
「お母さん! 大丈夫!?」
「来てくれてありがとう。命に別状はなかったから大丈夫よ。学校の途中だったでしょうにごめんね」
母は弱弱しく笑いながら言った。命に別状はない、という言葉に私はひとまず胸を撫でおろす。
話を聞くと、母親は公園からの帰り道で交通事故にあったらしい。横断歩道を渡りきった時、朱莉が突然手を放し、道路へ戻って飛び出したそうだ。視界の端に車をとらえた母親が咄嗟に朱莉を庇い、自身が轢かれる形になってしまった。見ると、朱莉も腕に絆創膏をしている。
「なんで飛び出したりなんか!」
思わず私がそう言うと、母親は「まあまだ子供だから……」と言いつつ、ぬいぐるみを道路に落としたらしいことを教えてくれた。
ぬいぐるみ……!
朱莉はあの黒いぬいぐるみを抱きかかえて座っている。まだ注意力の散漫な幼稚園児を怒ったところで何にもならないことなんて分かっているけど、ましてやぬいぐるみなんて朱莉が落としただけなのだけど、やり場のない怒りが私の胸で暴れていた。さっきの私の声で縮こまった朱莉に対して何かを言う気も起きず、私は黙り込んだ。
母親の怪我は命に別状になかったとはいえ、見込みでは一ヶ月近く入院しなければならないらしく、全く安心できる状況ではなかった。父親は普段家にいないのだから、その間私が家のことを全部やって、朱莉の面倒も見なければならない。母親が退院してもしばらくは通院生活で、体だって不自由だろう。母親と話して今後のことを考えるうちに、肩にずっしりと不安がのしかかってくるようだった。いや、母親が事故にあった時点で存在していたその重みに、ようやく気が付いてきたのだろう。
外が暗くなってから、妹と共に家へ帰った。何度も説明はしたのに、朱莉は「お母さんは帰らないの?」なんて言っていた。
部活道具を持たずに学校へ来たから、体は軽いはずなのに、私の足取りは重い。放課後、いつもなら着替えて部活前のストレッチをしている時間だけれど、私は朱莉を迎えに幼稚園へ向かっている。
顧問の先生には、少なくとも母親が退院するまでは部活を休む旨を伝えた。父親はすぐに帰ってこられる場所にはいないし、幼稚園の預かり保育も、私が部活を終える時間まで預かってもらうのはさすがに不可能だそうだ。秋の大会を諦めることに等しいので本当は嫌だったけれど、自分がけがをしたというのに朱莉と私のことを気遣ってくれる母親には、なるべく安心してもらいたかった。
「おねーちゃん! おそーい!」
朱莉は顔を出すなり大きな声でそう言った。学校が終わって幼稚園まで直行してこの時間なのだから、遅いと言われても困る。
「お姉ちゃんはこの時間にしか来れないから、他の預かり保育の子たちとお友達になって遊んでてね」
そう言って朱莉をたしなめたものの、人見知りの彼女には難しいだろうなと予想はついていた。今だって早くいつもの公園で遊びたいとばかり言っている。一旦帰宅して朱莉を赤いワンピースに着替えさせ、私も私服に着替えてすぐに二人で出かけた。朱莉は忘れずにぬいぐるみを持ち出す。
公園では見覚えのある子供たちが遊び、見覚えのあるママさんたちが井戸端会議をしていた。
「お母さんはどうしたの?」
「え、交通事故! 今は病院なの?」
「お父さんは? 帰ってこないの?」
質問攻めをされて、私はすぐに疲れてしまった。こちらは本当に困っているのに、手助けする気もなく根掘り葉掘り聞かないでほしい。父親は半日程度では帰ってこられないから仕方がないのに、勝手に責めないでほしい。……そう思うのは、本当は私も父親に対して不満を抱えていて、それを「仕方がない」と押しこめているからなのだろうか。
妹と遊ぶので、と言ってママさんたちとの会話は早めに切り上げた。朱莉と一緒に砂場へ行く。すると、ちょうど私たちが砂場に座り込んだタイミングで、上から女性の声がした。
「あら、今日はお姉さんだけなの?」
先ほどのママさんたちとは全く質が違う、落ち着いた声だった。顔を上げると、黒い服に身を包んだ女性がこちらを覗きこんでいる。記憶と同じように、顔には笑みを張り付けて。
「お母さんがちょっと、しばらく来れないので」
何となく沙織さんには交通事故のことを言いたくなくて、曖昧な言い方をした。真夏、まだうだるような暑さの夕方だというのに、彼女は汗の一滴も浮かべておらず、一人だけ冷気を纏っているかのようだ。
「何かあったのかしら?」
「まあ、大したことじゃないので、少しの間だけです」
「そう……頂いたお菓子が美味しかったから、お礼を言いたかったのだけど、残念ね」
残念だと言いながら、しっとりとした笑顔はそのままである。そういえば母親が事故にあったのは沙織さんにお泊りの件を話した後だ。関係がないことなんて分かっているのに、全て知られているような気がしてしまう。これから朱莉とここで遊ぶということは、沙織さんと一緒に遊ぶということか……。嫌だなと思ったし、そう思ってしまった自分自身も嫌だった。そうだよ、久々に妹と長く一緒にいられるのだから、変な嫉妬も必要ないじゃない。
朱莉がおままごとをしたいと言うので、おもちゃに砂を詰めて、みんなで食事を用意する振りをする。ちょうどいいと思って、「今日朱莉さんが食べたいご飯は何かな?」と聞いてみた。
「今日はねー、ハンバーグを作ります!」
元気いっぱいに答えてくれたので、帰りにスーパーに寄って挽肉を買おうかな。お惣菜や買ったお弁当ばかりというのも良くないだろうから、なるべく私がご飯は作りたいけど、一ヶ月もできるだろうか。ご飯だけじゃない。掃除も洗濯も、家のことは私がしなければならないのだ。
砂を口の付近に運びながらそんなことを考えていると、朱莉が突然立ち上がった。
「あかりは、お風呂あらいなら一人でできるよ! おねーちゃんだけじゃないよ!」
私はきょとんとしてしまった。そして朱莉が、私を手伝うよ、と言おうとしているのだと気づいた。思わず笑みがこぼれる。不安が顔に出てしまっていたのだろうか。そうだ、朱莉はただの重荷なんかじゃない。大切な家族だ。当たり前のことだ。
「ありがとう。じゃあお風呂は任せちゃって、お姉ちゃんはご飯の後片付けするね」
「じゃあ私はお手伝いをしようかしら?」
一緒に遊ぶことにしたのは、朱莉を放っておくわけにはいかないからという気持ちだったけど、自分も妹と一緒に遊ぶことを楽しんだら、案外悪いものじゃないかもしれない。
その時、ポケットで着信音がした。画面を見ると父親だ。ちょっと失礼します、と言って少し離れた場所で電話を取る。
「もしもし、お父さん? どうしたの?」
「もしもし、元気でやってる? 二人で家に残してごめんな。週末には家に帰れることになったから。来週からも、週末だけでも家にいるようにした」
「本当! やったあ!」
やっぱり父親も、ちゃんと私たちと母親のことを大切にしてくれてるんだ。週末に父が家に来てくれるなら心強いし、月に一度も会えなかった父親に毎週会えるのは、単純に嬉しい。母親が家にいない間も、案外、何とかなるかもしれない。むしろ、妹とめいっぱい遊ぶために利用するくらいでいいかもしれない。そう思えるようになってきた。
「平日は朱莉をよろしくね。今は一緒にいるのか?」
「うん、ちょうど二人で公園に来てて——」
そこで砂場に目を戻すと、二人はいなかった。心がざわつく。いや、単に別の遊びを始めたのかもしれない。ざっと公演を見渡したが、朱莉の赤いワンピースも、沙織さんの黒いブラウスも、見当たらない。
「どうした?」
父親の声がして、はっと意識が電話に戻った。
「ううん、何でもない。今ちょうど朱莉と遊んでるとこだから、そろそろ切るね」
「わかった。バイバイ」
いなくなった、なんて言って無駄な心配をかけたくない。まずはトイレへ向かった、女子トイレの個室も、多目的トイレも全て空いている。公園の周りをぐるっと一周した。知らない通行人ばかりだ。ママさんたちに聞いてみた。「あら、さっき一緒に砂場で遊んでたわよね?」。
もう一度砂場へ行くと、おままごとに使っていたバケツやスコップがそのまま放置されていた。それだけじゃない。あの黒いぬいぐるみも、放置されていた。最近の朱莉は、幼稚園以外のどこへ行くにも手放さなかったのに。不安が一気に膨れ上がる。
待っていれば戻ってくるかもとは思ったが、いてもたってもいられなくなって、近くを走りまわって人に聞いて回った。赤いワンピースの子供と全身黒い服の女性。誰も、そんな人は見ていないという。そのうち空がオレンジに染まり、他のママさんたちは帰宅したようだった。何度公園に戻っても二人はいない。黒いぬいぐるみがこちらを見ているばかり。
朱莉は見つからなかった。交番に駆け込んでも、日が暮れても、そのうち日が昇っても、それを何度繰り返しても、朱莉は見つからなかった。
*****
(夏だから——なんて言って突然ホラーをぶち込んでくる作家が、私は嫌いです。)
- Re: 101の日常達 ( No.27 )
- 日時: 2018/12/01 20:08
- 名前: 雷燕 ◆bizc.dLEtA (ID: tf4uw3Mj)
イチョウ葉と革靴
恋した相手が待つ家というのはいいものだ。これは彼女の好物だからきっと喜んでくれるぞ、と考えるだけで残業帰りのスーパーも楽しめる。安い総菜を片手に、昼間あんなにうるさかった蝉も静まり返った暗闇の中、革靴を鳴らす。
アパートのドアを開けると、いつものように彼女が出迎えてくれた。今日は遅くなってごめんね、と謝りながらもついつい笑顔になる。暑苦しいスーツを脱いでから二人ぶんの食事を皿に盛って、彼女ががっつく様子を微笑ましく眺めながら私も惣菜を口に運んだ。余裕がなくて全然料理をできなくても、文句を言わないどころかいつでも楽しそうに食べる彼女が大好きだ。
食事を終えてから風呂に入るまでは、彼女とともにゆったり過ごす毎日の癒しの時間。昔みたいにはしゃいで遊んだりはしないけれど、彼女の体温や柔らかい毛の流れを指先で感じていると、うん、明日も仕事を頑張れる気がする。
さあ、朝が早いから寝なくては。風呂から出て石鹸の匂いを漂わせていると彼女がすり寄ってくる。可愛い。私がセミダブルのベッドに入ってから掛布団をまくし上げて「おいで」の合図をすると、いつものように彼女もベッドに上ってくる。夏にはたいへん迷惑な天然湯たんぽである。
こんな生活がかれこれ十二年は続いている。
マツムシとコオロギの声を聞きながら帰宅する季節になると、彼女の体はずいぶんと弱ってしまっていた。それでも、仕事から帰ると必ず玄関で出迎えてくれる。たぶん朝見送ってくれてから、ほとんど動いていないのだと思う。以前なら残業がない日は夕食前に一緒に外へ出かけたものだが、彼女の体力の低下に伴ってそれもしなくなった。年二回は病院で健康診断を受けてもらっているが、これといった病気ではないそうなので、私も覚悟はできている。
色づいたイチョウの葉がすっかり落ちてしまったあと、彼女は自分からは何も口にしなくなった。私は無理を言って来週の金曜まで有休を取った。
その三日後には寝たきりになった。たまに私が寝返りを打たせてやる。スポイトで口に入れれば水分は摂ってくれるので、塩と砂糖を溶かした薄いスポーツドリンクのようなものを飲んでもらった。
彼女の、浅くゆっくりだった呼吸が突然激しくなった。一見元気になったようにも思われるが、幸か不幸か私はこれが本当に最期の合図であることを知っている。すっかり力が抜けてしまってぐにゃぐにゃの肉塊と変わらない彼女の体を抱きかかえ、ただただ頭を撫でることしかできなかった。ありがとう、愛してるよ、ありがとう、と声をかけ続けるが、彼女は最近耳が遠くなっていたので、ちゃんと伝わっているかはわからない。
やがて、喘ぐような呼吸が止まった。ああ終わったのかと認識して視界が滲んだ時、彼女は全身を震わせ始めた。死後の痙攣という現象を思い出すまでの二秒間、私は本気で彼女が生き返ったのだと思った。
ひとしきり涙を流したあと、彼女をベッドに寝かせ、冷蔵庫に大量に用意しておいたドライアイスで周りを囲った。まともに喋れるようになったら葬儀屋に電話をして、明後日に火葬することになった。
亡くなったあとのお供え物まで先に用意しておくのは嫌だったので添えられるものが何もないのだが、とても外出できる状態ではない。明日起きたら買いに行こう。彼女が埋もれてしまわんばかりの花を買ってこよう。
長らく休んでいたぶんを取り戻すという名目で、ただただ気を紛らわすために仕事に打ち込んだ。先週までなるべく避けていた残業は、むしろ家にいる時間を減らしてくれるので進んでやった。そうやって、オフィスに私と事務職の女の子一人だけが残された日だった。その子が作成した資料を貰ってから帰りたくて、雑務をしながら待っていたような気がする。ファミレスで夕食を取りながら説明をしたいと言われたので、オフィスに用事もない私は素直についていった。注文をしてから料理が届くまでに説明自体は終わってしまった。
「廣瀬さんって、付き合ってる方はいるんですか」
……あれ、どうしてこんな話の流れになったんだっけ。思った以上に心ここにあらずだったらしく、ライスに全然手を付けないままハンバーグを食べ終えてしまいかけていることにも今気づいた。白い米粒をフォークですくいながら、もういないよ、と質問に答える。このライス冷えてて味もないな。米って味があるものだったっけな。
「よかった」
向かいに座る子が顔を晴れさせる。全然よくないよ、と胸のあたりでもやもやとした渦が巻いたが、相手は何も知らないのだから仕方がない。
「あの、図々しいのはわかってるんですけど、二十四日、よければ空けておいてくれませんか」
そうか。世間はそんな時期になっていたか。寒くなると、出社前に私を散歩に連れ出そうと起こしてくる彼女に抱き着いて、たっぷり体温を貰ってからベッドを離れるのが日課だった。そういえば今年の冬はずいぶん冷えると思っていたが、そうか、布団の中の体温が単純に一つ減っているからだ。
「廣瀬さんて、飲み会とかほとんど来なくて、仕事もすぐ帰っちゃうし、クールな人だなって思ってたんです。でも、この前の長期休暇が愛犬を看取るためだったって聞いて……本当はすごく優しい人なんじゃないかって」
そういえばこの子、同僚のおしゃべり好きな女性から話を聞いたことがある気がする。「ちょっと可愛いことを自覚してて計算高いけど、悪意はないから賢く上手くやる子」と評されていたっけ。
視線を正面に向けると、オフィスでは見たことがないような真剣な表情をした後輩の女の子がいた。あまりに真剣なものだから、視線に引きずられて思考が目の前の風景に戻ってくる。ああ、そうだな、こういう子に騙されることができたなら、あるいはわかって可愛がることができたなら、どんなに幸せだったろう。誰にも否定されない恋愛をして、自分と同じだけの時間を生きるヒトと添い遂げられたなら、どれだけ楽だったことか。
ごめん、君の期待には応えられないから、その日は予定を入れておくよ。
「な、なにもすぐに付き合ってくれってわけじゃなくて、まずは仲良くなってお互いを知りたいなって」
でも君は、私のことを知ったらまず間違いなく気持ち悪いと感じるよ。実家で飼っていた犬で精通しただなんて、そもそも知りたくもないだろう? 君には絶対に反応できないだなんて、知らないほうがいいだろう。
そうして思考は再びふわふわと飛び立って戻ってこなかった。そのあとどんな会話をして店を出たんだっけ。はっきりと理由を言うわけにもいかず、ひたすらごめんと繰り返していた気はする。
革靴の音が止んでアパートのドアを開けると、真っ暗で静まり返った部屋が出迎えてくれた。そのあと四日ぶりに泣いた。