複雑・ファジー小説
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- アネモネを敷き詰めた棺桶に
- 日時: 2015/11/08 16:46
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: eldbtQ7Y)
- 参照: https://twitter.com/bumprack/status/569331579027206145?s=06
□初めまして、浅葱といいます。
以前から書こう書こうと思っていたものを、やっと形にすることができました。
久々の執筆で拙い文章では有りますが、一読頂けたなら幸いである次第です。
□多忙のため、更新は遅いです。
□URLは当作品の表紙となります。
難しい依頼を快く受けてくださったエリックさん、有り難う御座いました。
□序章 アネモネの棺
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第一章 紫煙
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2015.02.26
- Re: アネモネを敷き詰めた棺桶に ( No.1 )
- 日時: 2015/05/17 18:27
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: vnwOaJ75)
- 参照: 序章 アネモネの棺
「今日こそは、あいつ倒そうぜ!」
物陰からひっそりと、立ち入り禁止と看板にかかれたところに立つ中年の男を見る。男の服は全体的に黄ばみ、裾や袖は茶色く汚れていた。あごと首の区別がつかないその男は暇そうに、手作りとも思える煙草を吸いながら腹を掻く。
周りは少し薄暗く、道端には糞尿や動物の死骸、襤褸布で作られた簡素な家などが乱立している。二人の少年はその家の影から、男の行動を監視していた。
「なあ、あいつってあそこから動くことあったっけ?」
金髪が伸びたままの一人が、もう一人のほうを向きながらたずねる。黒髪の、金髪の少年よりもやや背が低い少年は、小首をかしげた。男が定位置から離れるときは、近くで何か面倒ごとが起こったときだけしか知らない。
「アキ、強行突破するか!」
嬉々とした笑顔で金髪の少年は言う。アキと呼ばれた黒髪の少年は「えっ」と声を出したが、金髪の少年には聞こえなかったのかアキの手を掴み駆け出す。土と砂で汚れた裸足で、男のほうへ二人は駆け出した。
二人が男との距離をつめる度、砂埃が舞う。男が二人に気付くのは、意外にも早かった。
「おい餓鬼ども、何走ってんだ?」
煙草の煙をふう、とはきながら男は面倒くさそうに、突っ込んでくる二人の少年をじろりと睨む。アキはぎゅっと目を瞑り、金髪の少年に手を引かれるまま足だけを動かしていた。
「どりゃああああああああああああ!!」
「エド!?」
叫んだ瞬間離れた金髪の少年の手に驚き、アキは大きく声をあげエド——金髪の少年——を呼んだ。真っ直ぐ男に突っ込んでいったエドは、思い切り地を蹴り飛び上がる。その次に、エドの片足は男の鳩尾付近にめり込んだ。
着地はバランスを崩したエドだが、急いで戻り呆気に取られるアキの手を取るとまた駆け出す。苦悶の表情を浮かべむせる男を横目に見て、立ち入り禁止のその先へと二人は吸い込まれていった。
痛みと苦しみが引いた後、男は少年達が入っていった立ち入り禁止の先をじっと見つめる。けれど、中に入ってまで追いかけようとする素振りは一つも見せない。ただ小さな声で「生き急いだな」と、哀れむように呟いた。
テル=ベラ地区三番街、通称『貧困街』は他の地区では生活が出来なくなった者ばかり集まっている。ギャンブルに溺れ借金まみれになり破綻した者、罪を犯した者。貧困街にくる経緯はそれぞれ違ったが、それぞれが干渉せずに生活していた。
相手を詮索することは暗黙の了解でタブーとされている。
この街で生まれる子どもは、総じて娼婦が産んだ父無し子であった。アキとエドも例外ではなく、父の顔も母の顔もよく分からないまま生活をしていた。物心付く頃からは、盗みをすることで日々食べ物にありついていた。
貧困街には昔から語り継がれる悪い噂が存在していた。そのため大人達はこの地区の中央部に通じる細道に、立ち入り禁止の看板をつけ、人が入らないように見張り番をつくっていた。
それでもあらゆる手を使って立ち入り禁止の先へと進もうとする若者達がいる。そういう輩の内、ほんの一握りはその先へと進んでいく。見張り番をする男たちは止めようとはせず、ただ哀れむ目でその背中を見送る。
「な、アキ。この辺の道、俺たちが住んでるところでは見ないような変なのばっかあるな」
二人は手を繋いだまま、木漏れ日程度にしか日光が差し込まない道を進んでいた。エドは普段見ない植物やアスファルトに興味をしめす。今まで見たことのある植物は、道端に生えた名前の分からない草だけだった。
「なんか、あっち広くない?」
アキが指差した先には、拓けた空間があった。貧困街に暮らして十年近くなる二人だったが、このような場所があることは知らなかった。角ばった太い柱が規則的にたっている。その根元や片面にはツル植物などが生えているところもある。
この場所には二人が通ってきた道以外にも、無数の道があった。大きさは分からないが、正面に見える道らしき部分がとても小さく見えるため、それなりの距離があることは分かる。
右を見ると薄汚れた布がかけられた材木置き場のような場所があった。そこは結構な広さがある。二人は入ってきた道からは確認されないように、あえて正面の柱の裏に腰を下ろした。
慣れない硬い道を歩いたからか、二人の足裏は所々赤くなっていた。エドは長い前髪を右でわけ、アキを見る。そんなエドをアキは不思議そうに見返し、ふにゃりと笑顔を見せた。
「こーんないい所があったんなら、教えてくれればいーのにな。あのおっさんけちんぼだな」
「ね。あそこより空気綺麗」
三番街とは同じ地区にあるとは思えないほど、二人が今居る場所は吸いやすい空気。実状、三番街は大気汚染がひどく進んでいた。原因は低賃金の労働者が集まる工場は、乱立しているから。
廃液などの投棄が国の問題になるほどだ。加えて糞尿や死体などを放置するため、必然的に異臭が立ち込める。
そんなことを思い出しながら、二人は疲労が溜まった足を休めながら、他愛も無い話をした。
それから何分、何十分と話していたかは分からないが、何かに気付いたのかエドが遠くを指差した。その方をアキも同じように見る。けれど、何も見えない。エドはすっと立ち上がり、アキの手を掴み強く握った。
アキはつられる様に立ち上がりエドが手を引くまま、歩いていく。憑かれたかのように歩いていく先には、廃材置き場があった。隠したいものがあるかのように高く積まれ、大きな壁にも見える。
「エド、何があったの?」
不安げに聞くアキへの返事はなかった。ずんずんと進んでいくエドの小さな背中を、弱弱しく見る。ぴたりと足を止めたエドの後ろで、アキもとまった。すっとエドが指をさす。
「あれ」
指の先を見ると、ずるずると引っ張られる黒い物体があった。廃材置き場のかげに吸い込まれるようにして、黒い物体は消えていく。エドはそれをじっと見つめ、アキは驚いたように目を丸くした。
黒い物体が完全に陰に隠れてから数秒ほど経った後、がたんという物音が二人の鼓膜を震わす。思わず肩がびくつき、二人で顔を見合わせて恥ずかしそうに笑った。
「……いくぞ」
「……いこう?」
同じタイミングで発した言葉に、また二人は驚いたように笑いあう。一度手を離しお互いの手汗を汚れた服で拭き、もう一度ぎゅっと手を握る。何が起こるか分からない恐怖と、好奇心で、二人の足は小刻みに震えていた。
視線を合わせエドがニヤッと笑ったのが合図になった。
二人は極力足音をたてないようにしながら、黒い物体が入っていった物陰へと歩を進める。静かに慎重に。それでいて、思い切りの良さは欠けていなかった。
物陰のぎりぎりまで体を寄せたところで、二人は息を整えた。たった数メートルであったが、二人の緊張は限界近くまで達していた。二人の首筋には汗が光り、前髪は額に張り付いている。
二の腕あたりまでしかない袖で汗を拭き、エドは大きく深呼吸をした。
「アキ、ちゃんと手握ってろよ」
「うん」
アキはエドの手を握る。エドもぎゅっと握り返し、意を決したように物陰の先にある小さな空間に二人足を踏み入れた。
- Re: アネモネを敷き詰めた棺桶に ( No.2 )
- 日時: 2015/03/08 20:58
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: hjs3.iQ/)
- 参照: 第一章 アネモネの棺
そこは背の高い大人が縦に四人並んだときくらいの広さで、廃材が低く詰まれている。二人が腰掛けるには十分な高さだった。二人とも辺りを見回すが、特別目立っているものはなく、エドは拍子抜けだとでも言うように溜息をはいた。
その姿を見たアキも、なんだか残念な気分になってしまう。
「なーんも無いな、さっきの何だったのかすっげー気になるのに!」
うあーと叫びながらエドは廃材の上に乱暴に座る。手を繋いだままのアキも引っ張られるようにして、エドの横に腰掛けた。エドは足をぷらぷらと宙で遊ばせながら、大きく欠伸をした。動きっぱなしで疲れたアキも、もらい欠伸をする。
エドを見ると重たそうな瞼が下りてきているところだった。
「ちょびっと休んでさ、またもっかい探してみない?」
「……おー」
今にも寝そうなエドの返事に苦笑いをして、アキは廃材の上に寝転んだ。まだ手を繋いでいたため、エドを見るような状態で。そのアキを横目で見てからエドも寝転んだ。
「ふおあああああああ!?」
寝転んだはずだったエドの体が、廃材の中に埋もれる。エドの声にぱっと目を開け、アキは飛び起きた。エドが埋もれた拍子に手は離れていて、アキは急いでエドの手を取り引っ張る。
エドが片手を付いて立ち上がろうとしたとき、エドは布についた手を不思議そうに見つめた。その様子にアキがどうしたの、と聞いたがエドは「なんでもないと思う」と言って、立ち上がった。
「ね、エドが落ちたとこだけ変にへっこんでるよ」
そう言ってアキが指差す所を見ると、凹んだ部分は変に盛り上がりがあり二人は目を合わす。
「他のとこって、こんな風にへっこんでないよな」
「うん……」
二人はごくりとつばを飲み込んだ。エドが恐る恐る布に手を掛け、思い切り自分の側へと引っ張った。勢い良く布はエドの足元へと集まる。
「……きれいだ」
ため息をもらすように、自然とアキの口からは嘆息が言葉と同時に漏れ出た。ぎょっとしているエドを尻目に、アキは布の下に隠れていたものに近づいていく。エドが青い顔をしているのも目に留めず、一心不乱に。
アキはじっと、それを見つめた。
廃材で作られた空間に、黒塗りの棺が埋め込まれている。その中に胸元と顔を赤黒く染めた男が、胸の上で腕を交叉していた。エドが弱弱しくアキの右手を掴む。救いを求めているかのような弱弱しさに、アキはエドに向き直った。
「アキ……なんだよ、これ」
今にも泣きそうな表情で、エドはアキの手を強く握った。アキは「大丈夫だよ」といって、手を繋ぎあったまま座っていた廃材に膝立ちする。エドはアキの影に隠れながら、恐る恐る棺の中を覗いた。
男は赤黒い血で汚れてしまっているが、安らかに眠っているようで、苦しさとは無縁の表情。その周りには綺麗な花が敷き詰められていた。
「これって、アネモネ?」
怖がっていたエドがアキの横に膝立ちして、棺内の花の名を言う。アキもよく知らないが、エドはもともと貧困街には居なかったらしい。それまでは遠くのハルティエン地区で暮らしており、家族の中でエドだけが何故か貧困街に捨てられていた。
幼かったエドは、昔アキを育てていた老婆に保護され、それからアキとともに暮らしていた。そのためエドはアキの知らないことを知っていたりする。どうしてそんな記憶が残っているのかは、アキには分からなかった。
「はっいはーい! そこの子達、何でこんな所に来てるのかなー?」
後ろから聞こえた声に、二人は勢い良く振り返った。後ろに居たのは黒塗りのスーツを着た若い男。まろ眉をした男は、にっこりと笑ってアキとエドを見下ろしていた。長身細身、誰もが目を見張るような端正な顔立ちの男。
「あ、自己紹介しよーっか。俺は竹光 花ってーの。外の奴から連絡が入ってさ、駆けつけてみたら……こういう、ねぇ?」
優しげな視線は一瞬で変わり、アキとエドを見定めるような疑わしい視線を投げかける。じっとりとした視線と裏腹な笑顔に、二人は感じたことも無いほどの威圧感や恐怖を感じていた。
「ね、もしここでさあ、俺が君たちの事殺しちゃったとして罰せられると思う?」
そう満面の笑みで告げた竹光の手には、木漏れ日が淡く反射する黒い拳銃がとれも冷酷に二人を見つめる。二人の震える足に竹光が気付き、またいやらしくにやりと笑った。
顎をくい、と上下に小さく動かすと、エドは何か気付いたかのように死んだ男の腰にホルダーがあるのを見つける。ぱっともう一度竹光を見ると、竹光は変わらず笑顔だった。
「アキ! こっち!」
そういったエドの動きは早く、アキは何が起こっているか分からないままエドの後ろに立たされていた。その手には男から取った銃が握られていた。それっぽく構えてはいるが、銃に伝わるほどエドの全身は震えている。
その様子を竹光は心底愛しそうにして見ていたが、一切の隙は見せていなかった。徐々に緊張が高まる。
「初めて持ったって丸分かりだよ、金髪の君」
おどけた調子で竹光は言う。エドは震える全身にぐっと力を込める。怖がりながらも、その銃口は竹光を見たままだ。
「これっ……これやったの、お、お前か!」
かちかちと上下の歯がぶつかりながら、必死にエドは竹光に言う。首をかしげ視線を宙に投げてから、「もしそうだっていったらどうする?」と厭らしそうに竹光は笑う。
「どうせ、なーんも出来ないでしょ? 金髪の君がするのは何? 可哀想な人を見たから取り敢えず助けるっていう偽善からくる悦を得るため? 悪い事をしてる人を裁く優越感? もし俺がその人を殺したとして、君に俺を裁く理由はあるのかな? そもそも君だって若いくせに悪いことばっかりしてるじゃない。お兄さんは何でも知ってるよ? 君が毎日毎日盗人をしていることだって、誰に捨てられたか、どこから捨てられたかまで。ぜーんぶね」
そう淡々と紡ぐ言葉の折々にエドは悲痛そうな顔を浮かべていく。何のために自分が銃を握っているのか、エド自身分からなくなってしまっていた。竹光と名乗る男を裁くためなのか、自身とアキの安全を確保するためなのか。もしくはそのどれでもないのか。
竹光の最後の言葉はエドの心をそぎ落とすのには十分すぎるほどの威力を持ち、エドはもう“何となく”そこにあった銃を手に持ち、“何となく”竹光に銃を構えているだけだ。ゆっくりと下に落ちていく銃口に、不安そうなアキはエドの服をぎゅっとつまむ。
「残念だけど、俺はその男を殺してないよ。こんな状況で信じろって言うのも馬鹿げてるけど、信用してよ」
ね、と笑い竹光は銃をしまった。ころころと変わる竹光の表情にアキは多少の面白さを感じていた。エドのもつ銃はもう既に地面を見ており、竹光の前に立ち尽くしているばかり。
「……あの」
エドはその声に反応しなかった。それを眉根を下げる怯えた表情のアキは横目で見る。そうして怖がりながらもエドの前へと出た。
「えっと……ごめん、なさい……」
「ん?」
貧困街では嗅ぎ慣れた火薬のにおいが、アキの、竹光の、エドの鼻腔を刺激する。
刹那、どさりと音を立てその場に倒れこんだ。
- Re: アネモネを敷き詰めた棺桶に ( No.3 )
- 日時: 2015/05/16 16:50
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: z5ML5wzR)
- 参照: 序章 アネモネの棺
やわらかくゆらめいた金の髪が、音を立てて地面に倒れる。後ろに倒れたためか、廃材に一度体をぶつけた後地面に落ちたのか、音が二つ聞こえた。かしゃん、と銃が地面に落ちる。
「あ……エ、ド……?」
「あーあ、自業自得ってなると思ったのになあ」
悲愴な面持ちでエドの元に膝をついたアキの背中に、強がった声色で竹光が言い放った。竹光は前身を折り大腿を押さえていた。大腿からは止まるところを知らないように、血が流れ続ける。
落ちた拳銃は、アキが手に持っていたものだった。
しかしエドを撃ち抜いたはずの弾痕は、竹光の場所からでは到底撃てようもない部分にあった。竹光はゆっくりとその場に座り込み、ネクタイをはずす。それでぎゅっと太ももをしばった。
「ね、黒髪の君。その金髪の子、エドくんだっけ? 多分もう死んじゃってるんだと思うよ」
必死で「エド」と名前を呼びながら、アキはエドの体を揺らす。エドからの返事はない。そんなアキの後姿を痛みに歯を食いしばりながら、竹光は見ていた。撃ったの人物には心当たりがある。
じっと自分が出てきた陰を見る。なんとなくだが、その場から硝煙が昇っている気がしていた。いつ出てくるのかも分からないが、もしかしたら見捨てられるかもしれないという言いようの無い不安と、焦燥感が竹光の中に生まれていた。
「花」
唐突に呼ばれた名前に、竹光は声の方を急いで振り返る。煙草をふかす初老の男。少し垂れた瞳の端には、皺が伺えた。出てきた男は煙草を吸いながらアキへと銃口を向ける。
間髪入れず乾いた音がしたと同時に、アキもエドと同様その場に倒れこんだ。
「あ、えっとすいません漆原さん……」
視線を伏せ謝罪をする竹光に、漆原はふうっと煙を吐いた。
「大丈夫か、脚。立てないだろ? 肩貸してやるからゆっくり立て」
そう言いてきぱきと銃を片付け左手でアキを荷物のように持つ。竹光のわきの下に半身を入れ、息をあわせ立ち上がると、竹光は苦しそうに息を吐き出した。ゆっくりと歩幅を合わせる漆原に申し訳なさを感じながら、竹光は痛みに耐えつつ帰路に着く。
「……ん、ぅ」
柔らかな金髪が小さく揺れた。上がり、左右へと毛先が揺れる。淡い水色の瞳が、驚いたように見開かれた。
「アキ……? アキ?」
急いで立ち上がると腕に鈍痛が走る。直ぐに座り込み、体験したことの無い痛みに苦悶の表情を浮かべる。刺さったままの不思議な形をした銃弾を抜き取り、傷口をぐっと押さえた。
「お前、何してる?」
不意に聞こえた凛とした声色に、エドは怯えたように視線を向ける。慣れない痛みに支配された体は、自分以外の全てに警戒し怯えていた。
「通報があったから来てみれば、餓鬼一人じゃねェか。内容と全然違うだろ……何が餓鬼二人だ、あの見張り使えねェな……」
ぶつぶつと悪態をつく男の呟きの一つに、エドは過敏に反応する。一緒に居たアキと、竹光という男、どこからともなく撃たれた感触。
「おじ、おじさんっ! アキが、アキが!」
最後に見たアキの顔を必死で思い出しながら、アキは初対面の男に必死に説明する。アキと呼ばれる少年と一緒に居たこと、竹光と名乗った男が姿を消したこと、誰かに撃たれてから記憶がなかったこと。
それら全てを告げていくと、男の表情は曇っていった。正確に言うと、切れ長の緑の目が細く険しくなった。不思議なマスクをつけた男が顎に手をつけて悩む姿に、意図せずして魅入ってしまう。
「言っとくけどな餓鬼。俺はおじさんじゃない、燕村漣崋っつー名前がちゃんとある」
ぎろりと睨みつけられながら言われ、エドはこくこくと頷いた。どんな人かは分からないが、頭の片隅で燕村と自分とでは住む世界が違うのだろうと、感じていた。何日も風呂に入っていないエドの髪はきしみ、汗臭さが全身から漂う。
燕村から、そういった匂いは一つもしない。嗅いだことの無い香りが、風に乗ってふわりと感じられる程度だ。
「竹光ってことは、漆原もいたのか……? 餓鬼が一人居ないって事は連れて行かれたか」
考える燕村を、エドは見つめる。痛む箇所を、痛みで上書きするように握りながら。燕村の出す結論よりも先に、エドの口が開く。
「——何でもするから、俺をアキのところまで連れてって! アキとずっと一緒だったの! ねえ、お願い……俺もアキも、一人じゃだめなんだっ! アキに会えるなら何でもするから、お願い!」
きっと今まで生きてきた中で、一番切羽詰った顔をしていたんだろう。言ってるそばから涙が溢れた。自力じゃどうしようもない自分への悔しさ。悪いことばかりをする自分の言葉を聞き入れてもらえるか分からない、そんな恐ろしさがエドの背筋を滑っては、彼に寒気を感じさせていた。
「分かった」
燕村の言葉にエドは驚いたような表情をした。そしてすぐ太陽のように明るい笑顔が、自然とでる。その表情を見た燕村の瞳は、先ほどとは違う優しさが含まれているようだった。
エドの手を握り、二人は闇へと吸い込まれていった。
- Re: アネモネを敷き詰めた棺桶に ( No.4 )
- 日時: 2015/05/17 18:34
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: vnwOaJ75)
- 参照: 第一章 紫煙
第一章 紫煙
様々な文字が印刷された紙が、壁一面余すところなく貼られている。幾重にも重ねられた部分もあるが、それらは全て十年前に起きた事件のものだった。殺人から、新聞にも載らないような小さな事件まで様々。
夕日が差し込むだけの薄暗い部屋には、煌々とパソコンの明かりが照っている。薄いまろ眉を人差し指で掻き、くあ、と猫のように大きな欠伸をした。ディスプレイの電源を消し、男は目じりを掻きながら部屋を出る。
古都メリア=アスティックは、十余年前都市としての機能を停止した。新都となったユースレティアが、古都を捨てたハルティエン地区に吸収されることとなったのが八年前のことだ。
古都に住んでいた人々の殆どはハルティエン地区のほかの都市に移住し、少数の残留者は独自の生活を形成している。そこ、メリア=アスティックに“メリア・シン”と名の付いた組織が生まれた。
メリア・シンは古都では親しみを込められ、シンと呼ばれる組織。構成員は一切非公開で活動し、公衆の面前に出るのは決まった人だけだ。古都は現在秘密結社集合禁止令が発布され、メリア・シンも観察対象となっている。
しかし都市としての機能を失った古都に秩序はなく、警察が介入してどうにかなる事態ではなくなっていた。そのため、禁止令が発布されたところで、それが正常に機能しているかどうかは確かめようが無いのが現状である。
メリア・シンと呼ばれる組織は、古都が正常に機能しているころから裏で作られた秘密結社だった。詳しい構成員については何も語られていないが、風の噂で、新たに一人が加えられたという。
それも、年端も満たない子どもだという噂だった。
「竹光さん、もう調べごと終わったの?」
考え事をしたまま冷蔵庫を開け放していた竹光に、マッシュで目の隠れた女が離しかける。豊満な胸を漆黒のベストにしまい、何処か怯えているように腕を抱えていた。
「終わったよーさっちゃーん、漆原さん帰ってきた? ちょっと話したいことあったんだけど。あと、杲に」
「さっちゃんって呼び方じゃなくて、ちゃんと、その……五月雨と呼んでください」
控えめな口調で伝えられ、竹光は思わず苦笑いをこぼす。出会った当初から、この五月雨という女性は引っ込み思案というか、融通が利かない面があった。
呼び名のことも。未だに愛称で呼ぶことを、竹光は許されていなかった。
「ごめんごめん、ところで漆原さんは?」
いつものようにへらへらと笑い、漆原の所在を尋ねる。五月雨は考える素振りをしたあと「多分、もう少しで帰ってきます」と告げた。竹光はそれに笑顔で返し、また、パソコンの光だけが照る部屋へと戻った。
冷蔵庫からだした、レモンサワー入りのタンブラーを片手に、またパソコンの前に座る。電子メールが届いてるのに気付き、カーソルを動かした。一度酒を嚥下する。
パソコンのモーター音に加え、ダブルクリックの無機質な音が室内の闇に吸収された。宛名は見たことのないアドレス、加えて匿名希望という名で届いていた。
匿名でくることは特に気にすることでもないが、このときだけ、竹光の疑心をかきたてた。内容を見て、タンブラーに口をつけたまま竹光は固まる。
静かにタンブラーをデスクに置く。口元に宛がわれた手には、驚きと焦燥が含まれていた。
「急がないと駄目、っかなー」
そういい竹光は着ていた服をベッドに投げ捨て、クローゼットにしまわれた喪服のようなスーツを身に纏う。ホルダーには一丁の銃がしまわれた。
まろ眉をいずそうに指で掻いて、タンブラーの中身を一気に飲み干す。レモンの酸味と、アルコール独特の苦味とが、喉奥に流れ込んだ。
部屋の戸を開け放しにしたまま、先ほど五月雨と話したキッチンへ向かう。もうそろそろ漆原が戻っている頃だろうと期待しながら。
ちょうどあたりを見渡したあたりで、嗅ぎ慣れた煙草のにおいがした。それは窓の外から漂ってくるもので、竹光は蜜に吸い寄せられる虫の如く、その匂いに釣られ外へと出る。
「漆原さん、今戻ったんですか?」
バルコニーの手すりに腕をおき煙草を吸う、初老の男——漆原——に竹光は笑顔で話しかけた。オールバックに固めた髪は部屋の白熱灯に照らされ、淡く光る。
「ああ、竹光か。今さっき戻って、今は二本目が吸い終わる頃だ。五月雨から聞いたが、何かあったのか?」
言葉通り漆原の持つ煙草は持ち手ギリギリまで、減っていた。相変わらずのスモーカー具合だと、内心で苦笑し、先ほど届いたメールの内容を告げる。
打って変わった真剣な竹光の様子に、漆原は煙草を消し、同じように真剣な眼差しで竹光を見た。
竹光の口から紡がれる一言一句を聞き漏らすまいと、漆原は真剣に話しを聞き、時折相槌をうつ。
「——ってわけなんですよ。どうします? つっても、行かないことにはなんも分からないよなーとか思ってるんすけど」
頭を掻きながらへらっと口元を緩ませた竹光。漆原はにっと口角を上げ、室内へと戻った。竹光は「へ?」と素っ頓狂な声を上げ、室内で五月雨に話しかける漆原の背中を見る。
そうして直ぐに後を追い、漆原の部屋へと進んだ。こじんまりとして、必要最低限の家具以外何も置いていない部屋。
漆原の吸う煙草のにおいが、部屋には充満していた。
「で。どうするつもりだ?」
部屋の中央に置かれた、木で作られた簡素な椅子に漆原は腰掛ける。その正面に竹光も座った。二人の間には、同じく木の簡素な机が置かれていた。
「んー。でも殺人猫なんていうもん、聞いたこと無いっすよ? 此処に住んでる人たちも、きっと知らないと思うんですよねー」
先ほどの会話の続きが、自然に始まる。
メールの内容はテル=ベラ地区に殺人猫なるものが現れた、というものだった。メリア・シンに寄せられるメールには裏ルートでの密売に関するものや、街の便利屋代わりなど様々。
悪戯も少なからず送られてくるが、今回の殺人猫という内容は竹光の興味をひきつけた。
「場所、テル=ベラなんですよ」
そう告げた竹光の顔は真剣味を帯びていた。テル=ベラ、という言葉に漆原も反応を示す。二人にとってテル=ベラ地区は、多数ある地区の一つ、のような括りではないからだ。
漆原も竹光も、互いに真剣な表情のまま視線を交える。
「杲、どうする」
「やっぱそこっすよねー……」
煙草に火をつけた漆原の言葉に、竹光は頭を抱えた。杲——十年前二人が連れ帰った少年——にとって、テル=ベラ地区は思い出が集まるところであると同時に、最大のトラウマが眠る場所でもある。
「どうします? 杲連れて行くのは、ちょっとあれですよね」
難しい顔をする竹光の気持ちは、漆原にも分かっていた。だからこそ、二人は同じタイミングでため息を吐く。
「悩みどころっすね」
そういって笑う竹光は、困り顔だ。
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