複雑・ファジー小説

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逢魔譚【黄昏編】
日時: 2017/12/13 18:02
名前: Cerisier ◆C6y/eP1VWE (ID: 84ALaHox)

はじめまして、Cerisier (スリジエ) です。

今ここを読んで下さっている皆様、この小説を開いて下さり、ありがとうございます。

また、学生の身分である為、更新頻度は期待しないで下さい。

そして、設定が細かいです。自己満で書いているので、『?』となる事もあると思いますが、温かい目で見てやって下さい。


※2016年に数話掲載しており、1年ほど放置していたのですが、再び物語を書きたいと意欲が湧いてきたので、もう一度物語を作り直す事に決めました。


【目次】

設定・用語集 >>02

登場人物 >>03


1 >>04 >>05 >>06 >>07

Re: 逢魔譚【黄昏編】 ( No.3 )
日時: 2017/09/27 19:39
名前: Cerisier ◆C6y/eP1VWE (ID: BjWvuHd0)


登場人物【黄昏編】

● 古毬 初 (こまり・うい)
空っぽの人生を歩む、袴姿の少女。16歳。
自分の確かな在り方を求め、ヒトと怪魔、生と死の境界を渡り歩く事となる主人公。
表面上ぶっきらぼうに見えたり冷たく感じる事もあるが、根は純真。

●軻々里 (カガリ)
この町に住む怪魔の1人。10代後半の少年の姿をしており、初が気付いた時から一緒にいた存在。
常にマイペースな自由人。自由奔放だが自分勝手ではない。
朗らかな雰囲気を纏っているが色々と謎多き人物。

●英 寿々丸 (はなぶさ・すずまる)
陰陽師の名家の長子。23歳。
怪魔を毛嫌いする陰陽師。良くも悪くも実直で生真面目。怪魔に対してはひどく冷徹だが、陰陽師の尊敬と畏怖を集める圧倒的な強さ、カリスマ性を持つ。

●華染 放 (はなぞめ・はなつ)
英の分家、華染家の次子。19歳。
さっぱりとした性格であり、陰陽師ながら良い意味で親しみやすい溌剌とした少女。
怪魔を式神にしたり友好的に接したりするなどそこまで怪魔に対して嫌悪感はない。

●黎泉寺 雨京 (れいせんじ・うきょう)
資産家「黎泉寺家」の若き当主であり、この町の大地主。24歳。
陰陽師ではないが地主という立場上、怪魔と関わらざるを得ない。
常に冷静かつ穏やかであり、たとえ怪魔であっても穏当な態度で接する。

●酒呑童子 (しゅてんどうじ)
ふらりと現れる気まぐれな鬼の頭領。殺し損ねた大妖怪の1人。
怪魔の中でも特に強力であり、陰陽師達の目の敵。
人を食った様な態度と小馬鹿にした様な笑みを浮かべている。

Re: 逢魔譚【黄昏編】 ( No.4 )
日時: 2017/10/03 19:15
名前: Cerisier ◆C6y/eP1VWE (ID: BjWvuHd0)


1/

 最期の記憶も、原初の記憶も、朱。
 
 私という意識が生まれた日も、私が死んだ日も、同じ朱色の空を見上げていた。同じ色でも物騒な赤色を見なくて良かったとは今だから思える事だが、あの時はこんな下らない事を考えている余裕も猶予もなかった気がする。
 
 記憶に鮮明に焼き付いているその色は眩しくて、でもどこか懐かしい逢魔刻の空。逢魔刻、なんて言葉は誰がいつ創ったのだろう。この町、いやこの国に住んでいればヒトと怪魔の境界なんてとうに入り乱れているというのに。
 
 人間や怪魔がどうという事でもないが、何となく自分が言っても良い資格なんて無かった様な言葉を吐いた気がして、思わず片手を口に当てた。何しろ、私だって人としてあるべき境界が曖昧なのだから。石段に腰掛けたまま、空を仰ぎ見ると相変わらず朱の空は記憶に焼き付いたままの色だった。石段の最上段に構えている鳥居に寄り掛かれば、朱く照らされた何も変わらない穏やかな非日常を送る町を見渡せる。ここから見る空と町は初めて見た時と何も変わらなくて、少しの落胆と安堵をくれた。
 
 ふと視線を横に向けると、先程まで影も形も気配すらも無だった場所に、1人の男が涼やかに佇んでいた。
 
 それに対して私は驚く訳でも怯える訳でもない。私の記憶に刻まれた最古の人物だからだ。
 
「また来たの、軻々里」
 
 目線を町から外さずに呟きにも似た問いを私は隣の男に投げ掛ける。目線は合わせていない筈なのに横で表情を緩めた気配は分かるのだから不思議だ。いつも現れる時は気配すら感じ取れないくせに。
 
「うん、此処にいるのが一番落ち着くから。
 それと初、また態度がぶっきらぼうになってるぞ」
 
 深海を流し込んだかの様な瞳を細め、薄い唇を持ち上げて柔らかく笑ったこの男は出逢った時と全く変わらない。私はあの時から背丈も伸びたし幼さも失いつつある。同じ時を過ごして来たのに軻々里は今現在、背丈どころか纏う雰囲気も何もかも変わっていない。つまり何が言いたいかというと、彼は人間とは違う存在、怪魔だという事。
 
 絹糸の様な銀髪、雪で創られた様な純白の肌、真夏でも真冬でも変わらず浴衣を1枚纏う姿。一目見れば人間離れしている事が分かる。だがどうした事か、私は初めて見た生き物がこの者だったからかどうかは分からないが、どうしても人間と怪魔を隔てる事が出来なかった。私が今も怪魔に対して苦手意識がないのもそのお陰なんだろう。
 
 だから私はしばしば軻々里が怪魔だという事も忘れるし、逆に自分が一応人間という区分に入っている事も忘れる。
 
「ぶっきらぼう、だろうか」
 
 先程軻々里が指摘した事を省みる。人間と怪魔で態度を分けているつもりはないから、普段の生活でもこの態度を取っている事になる訳だが、それが真実だとするならばかなり問題ではなかろうか。
 
「うん、初めて会った時もそんな調子だったけどね」
 
 軻々里は私の顔を指差して今度は陽気に笑った。先程浮かべた笑みとは別の笑顔。そういえば笑顔も軻々里のものを最初に見たなと思いながら、気を付ける、とだけ呟いた。どんなに明るい笑顔を向けられても私はそれを真似や模倣なんて出来ないが、仏頂面を保たない様に努力する事は出来る。表情だけでも生きている様に見られたいからなのかもしれないな、などと頭の片隅で思う。
 軻々里の口から初めて会った時、という言葉が飛び出すのは珍しい。私の見た目は成長し続けていくが、中身は変わっていないと暗に言われている様な気もしたが、まぁ心当たりは大いにあるので、せめて最初に見た笑顔が冷笑や嘲笑の類いであったならば、私は自分の境遇を割りきれていたのだろうかなどと意味も応えも亡い問いを朱の空に放った。
 
 
 自分でも信じられない事なのだが、私は一度死んでいる身らしい。だがどうした事か、まだ私は現世にこうして存在している。心臓が動いているのか、自我の意識はあるのか、身体は正常に機能するのか、と何をして生死を隔てるのかがこの世は酷く曖昧であるし、その境界とやらに私自身を当て嵌めてみても当然の如く答えは出ないままだ。
 
 生きている実感がない。
 死んでいる感覚がない。
 私は私が人であるという確証がない。
 
 人にあるべき境界線が私の中にはない程、私の身体は空の器だ。

Re: 逢魔譚【黄昏編】 ( No.5 )
日時: 2017/10/12 16:41
名前: Cerisier ◆C6y/eP1VWE (ID: bbibssY.)

 腹が減った、という軻々里が言うので、町の頂上にそびえ立つ鳥居から降り、町へ下る事にした。別に私がついて行かなくても良いだろうと思ったのだが、手を引く動作と共に促されたので仕方なく同行する。
 
 石段を一段一段降りるたび、人の気配が濃くなっていく。この町、戯七町は住み着く怪魔も多いが人も多い。怪魔が多い地は治安が悪いと度々言われているが、この町はそこまで荒廃した地ではない。幼い頃からの慣れや愛着の視点を抜きにしてもこれだけは確かだ。
 
「今日もまた賑わってるなぁ」
 
 石段を全て下り、平地へと降り立った軻々里はどこか楽しそうに呟いた。大通りまでまだ少しあるのだが、彼の聴力は凄まじい。私では見えない景色すらも聴こえてしまうのだから。
 
「賑わってる事がそんなに良いのか」
 
 私はどちらかというと人混みは苦手だ。人間も怪魔も等しく嫌いではないから、ただ単に生き物が密集している場が苦手なんだろう、とは以前軻々里に言われた事だ。
 
「まあね。楽しく騒ぐって平和な証拠だろ?」
 
「そうとも言うね」
 
 私より少し背丈のある軻々里は私の前を踊るように歩く。見た目だけならば狐や猫を連想させられるのに中身や表情を見ると犬のようだな、などとふと思う。まぁ彼は野犬や猟犬の様に獲物や弱者を狩る事は出来ないだろう。仮に獰猛な獣の類であれば、弱者である私は出会った時に殺されているだろうし。
 
 私の履き古したブーツの音と軻々里の下駄の堅い音を交互に鳴らしながら歩く。
 
 全く接点のない音同士にも関わらず共鳴する奇妙な感覚。
 闇と夕日が混じり合い、朱が侵食されつつある空。
 そして目の前には幽美な男。
 
 安っぽい伝奇物語の一場面の様だが、なるほど確かに怪奇的な状況だ。在り来たりだ、とその話をどこかで聞いた時は思ったものだが、擬似的な風景に呑まれただけなのに、それは幻想的かつ蠱惑的なものに姿を変える。死に憧れる怪物の様に。生を渇望する亡霊の様に。果たして私はどちらの立場なのだろうか。
 
「初、そろそろ着くよ」
 
 そんな感傷めいた私の心情を知ってか知らずか、前を向いていた軻々里が私を振り返る。はっとして意識を前方に集中させると、いつの間にか大勢の人で賑わう通りが直ぐそこにあった。
 
 きらびやかな装飾の洋服を纏った貴婦人、私のものとは比べ物にならないくらい上質な袴を来た女学生。不自然なくらい洋装の似合った紳士に、学生服に下駄を履いた粋な少年。様々な人々が行き交うこの大通りは町から街へと姿を変えつつある。
 
 西洋と東洋が混じり合うその中に軻々里は何の躊躇いもなく溶け込んでいく。いとも容易に人との境界線を飛び越える様に。それが私にはいつも眩しく見える。
 
「目的地は決まっているのか」
 
 無意識に無意味な質問を口にした。度々、軻々里の背中を見ると彼がどこか遠くの存在と錯覚を起こして、私は無駄な言動をしてしまう事があった。
 
「いや?まだ決まってない」
 
 返答したという行動は安心するが、返答の中身に不安を覚えるのもいつも通りだ。
 
「……お前な」
 
「ふらっと歩くのも悪くないだろ?決まった時間に決まった場所に決まった動作をして、なんてつまらないしな」
 
 全く彼らしい答えだった。行き当たりばったり、という言葉は軻々里の為に作られたのではないかと私は本気で思った時期があるほど、彼は自由人だ。
 
 怪魔なんて皆こんな者だよ、と軻々里は言っていたが、断じて違うと思う。彼らが人間より自由なのは認めるが、何というか軻々里のそれは、方向性が違うというか。
 
 軻々里に倣って視線を緩慢な動きで左右へと交互に向けると、温かな光を灯す店と共に、すれ違う人物にも意識が注がれる。軻々里の様に、人物、と言って正しいのかどうか解らない者もそこそこ人に混じっているけれど、彼らの表情は皆穏やかだ。怪魔と関わりの薄い人間ならば、彼らの正体に気付く事は難しいだろうと思うほど人に馴染んでいる。
 
 けれど、目の前にいた和装の男が私達を見た瞬間、すぐに顔をしかめた。それを隠す様子もなく、冷徹な視線を此方へ寄越したまま立ち去る。幾度となく見た光景で、怪魔が人に馴染んでいるのと同様に、ここではそんな態度も大して珍しくはない。私もいつしか慣れてしまっており、軻々里も苦笑している。
 
「俺みたいな怪魔と行動してると初にまで苦労かけるな」
 
 いつもは自由奔放の癖に、軻々里は変な事に気を遣う。
 
 怪魔に良い印象を持たない人々は確かにいる。人間に危害を加える怪魔もいる事も事実だ。しかし軻々里の様に人間と共存出来る怪魔や尊重する怪魔も同じくらい存在する。先程すれ違う群衆の中にいた者達だってそうだ。
 
 私は別に、全人類が怪魔に好印象を抱いて欲しい訳ではない。思想や価値観は強制すべきものではないし、私だって苦手な怪魔は1人や2人いるのだから、博愛主義めいた事を願えはしない。怪魔の事を嫌う人間はその分彼らの事を知らないだけで、悪でも何でもないのだ。
 
 単に、私の目の前の銀髪を靡かせる男を悪く思われたままでは哀しいと思っただけだ。非のない人間が、非のない怪魔を誤認識する事を傍観した私の身勝手な感情の一片に過ぎない。
 
「私の事はいい、苦労の内に入らない」
 
 一度死んで再び現世で人の姿で生きている私は、きっと人や怪魔の区分にも入る事すら出来ないだろう。何処の区分にも入らないというのはどちらの立場にも立たないという事と同義なのだから、自分の立場は卑怯だと思う。
 
 ただ、軻々里が苦くではあるが笑顔を浮かべているのがよく解らない。先程の男の行動に対して笑っているのか、それとも彼自身が怪魔であるという事に対して笑っているのか。いつもこのような場面で、困った様な苦い様な笑顔を向けながら謝罪の言葉を口にするが、未だに彼の心情は読み取れない。怒りを覚えたならば憤怒を叫べば良いし、悲しみを覚えたならば悲哀を嘆けば良い。たったそれだけの事で感情は簡素なものに形を変えるのに、軻々里は回りくどい。
 
「……何か不機嫌?」
 
「何でもない。ついでに言えば怒ってない」
 
 何でも良いので、軻々里から眼を逸らしたかった。これ以上見ていると、ますます昔からの疑問が大きくなってしまいそうだったからだ。
 
 肩上で適当に切り揃えた黒髪を軽く弄りながら意味もなく私は街に視線を泳がせる。前方は軻々里が歩いていたはずが、私が足を早めたせいかいつの間にか隣に並んでいた。
 
 しばらく会話もなく、けれど張り詰めた空気はないままにゆったりと歩いていると、どこからともなく聞き覚えのある声が聴こえてきた。溌剌とした、良く通る声。そのくせ、暑苦しく押し付けがましくもなく、明るく温かい少女の声は、見知った者の声だった。
 

Re: 逢魔譚【黄昏編】 ( No.6 )
日時: 2017/10/25 19:22
名前: Cerisier ◆C6y/eP1VWE (ID: R3roQ1XX)

「あら、初ちゃんに軻々里くんじゃない」
 その声の主は、私達にやはり気付いたようで、何処からか名前を読んだ。声は聴こえるのに姿は見えない。
 
 その姿を探そうとして首を動かそうとすると、隣にいた軻々里が私の肩を軽く叩く。反射で意識をそちらにやると、軻々里の指が差す方角には笑みをたたえる可憐な少女の姿がそこにはあった。
 
 遠い距離からでも分かる上質な白いブラウスと深紅のロングスカート。流行り始めた洋装を着こなしながらも彼女の持つ長く艶やかな黒髪は忘れてはならない和を負ける事なく主張している。爛々と光る活発な瞳と、出来の良い人形の様な無駄なき顔の輪郭を合わせ持つ者に該当するのは一人しかいない。
 
「放、またここにいたのか」
 
 少女、もとい華染 放が座るその店を仰ぎ見て意識せずとも半ば呆れた様な声色が出てしまう。放がいる「ここ」とは甘味処。この店の売上の半分は彼女が占めているのではないかと冗談じみた推測をしてみるが、記憶を思い返す途中で段々と戯れ言と笑えない話になってきたので中断する。
 
「またとは何よ、またとは。
貴方達も私の事は言えないでしょう、いつも2人でいるじゃない」
 
「流石にいつもではないよ」
 
「そうそう、ふらっと立ち寄った先に初が偶々いるだけ」
 
 放の言葉こそ刺々しいが、表情は微笑を浮かべたままなので、単なる軽口なのだろう。私も軻々里も言葉を適当に投げ、放の隣へ腰を掛ける。
 
 この店には壁というものがなく、床は畳、奥に調理場と食事用の座卓が数個ある簡素な造りになっており、道に面した端の部分は座卓がない分腰掛け椅子の様に座る事が可能で、大通りを人が行き交うさまを見る事が出来る。恐らく放も人混みの中からこの特等席で私達を見つけたのだろうと思う。
 
 微かに放の横に視線をずらすと、常人では積めないほどの皿がそこにはあり、どれだけ腹の中に収まっているのかは言うまでもない。放がこの店にいる事には慣れたが、未だに彼女の摂取量には驚かざるをえない。
 
 私の視線の先を見て慌てた様に、放は皿を自分の陰に隠す。
 
 「ほ、ほら陰陽術って体力とか気力とか色々使うじゃない?それら全て補えるのが甘味処の菓子というか」
 
 その彼女の一言で改めて目の前の可憐な町娘、華染 放は陰陽師なのだとふと思う。
 
 一目見た人物ならば恐らく信じないであろうこの事実は裏も表もない真実なのだから全く恐ろしい。初めは警戒心を無くす為かと推測してみたのだが、そんな思想は放にはなかったようで、逆に感心されてしまった過去もある事だし。
 
 気さくで華やか。優美でありながら温和。上流家庭の娘であるのに庶民である私達にも親近感が自然に湧く。そして何より、陰陽師だからといって問答無用に怪魔を忌み嫌う事がない所に私は好感を持っている。
 
 実際、怪魔である軻々里とも、人間とは断定出来ない私にも態度を変える事なく交流しているのが放の人となりの何よりの証拠だ。
 
 くるくると巡る表情と、陽気で寛大な心。その姿は紛れもなく完璧な少女であり、人間としての在り方だ。
 
 だが。
 
 「それにね、英の野郎……じゃなくて、英家の長子が最近頻繁にこっちに顔出す様になっててね。お陰で心労も倍よ、倍」
 
 華染 放は完璧な人間の少女であるが故に、やはり嫌悪感というものも存在する。反感を持たない者は、もはや人間の域を超えてしまうのだから、人である為には多少の憎悪も必要なのだ。
 
 少々口汚く罵られかけた「英家の長子」とやらはこの当たりでは有名だ。私も知り合いでは無いけれど、放の口から愚痴と共に必ず発せられる名前であるし、顔も思い出す事が出来る。放が人をここまで嫌悪するのは珍しいが、彼らにどんな事情があるのか定かでは無い。知っているのは、放の家が英家の分家という事、英の家は此処を取り締まる由緒正しい陰陽師の名家という事だけだ。
 
「英の長子ってあれだろ、英 寿々丸。俺、割と長く生きてるけどあれほど陰陽師に向いている人物は中々いないよ」
 
 感心した様に軻々里は頷く。そもそも私には彼、すなわち英 寿々丸という人物も、陰陽師の資質というものさえ良く理解していないのだから同調することも批判する事も出来ない。知らないものは推測や周りの批評に任せて判断してはならないし、それでは何より私自身が納得出来ない。
 
 どうしようかと考えあぐねていたが、英 寿々丸という人物像は悪い印象ばかりではないという無難な答に行き着くのだろう。放からの印象こそ最悪だが、この町の人々からの評判は耳に入っただけでも非常に良かったと記憶している。矛盾しているようで整合がとれている。人間、極端に善と見なされる事も絶対に悪と評される事もあってはならないのだから、人としての性質はとうであれ、英 寿々丸は奇妙な存在ではなく真っ当な人間なのだろう。放といい彼といい、陰陽師はどうしてこうも人として完全なのか。
 
「軻々里くん、あいつに会った事あるの?」
 
 放が軻々里の言葉を受けて意外そうに尋ねる。
 
「いや?ただ見かけた事があるだけ。それに奴の前にふらっと現れようものなら、俺今此処にいないよ」
 
 随分と物騒な仮定を立てているにも関わらず、いつもの涼しい笑みを浮かべながら、軻々里は淡々と返す。相変わらず私には冗談か本気か判別はつかなかったけれど。
 
「まぁあいつなら有り得る話ではあるわね。
 ところで2人とも」
 
 放がさりげなく恐ろしい肯定をした所で話を転換させた。彼女は愚痴こそ吐くが、必要以上の噂話や悪口は言わない。あくまで自分が不満に思った事のみを露呈するだけだ。その行動は嘲笑や怨念より怒りに近い。彼女の抱えた怒りは彼女だけのものだから、他人に共感させる隙を与えない。共に嗤う事よりも、共に憤る事の方が難しい。笑う事は1日に必ず在る位身近な感情だが、怒りは身近な感情とは言い辛い。不快感を覚えたりはするだろうが、そのほとんどが怒りに成らずに萎んで行く。
 
 その事を知ってか知らずか、放の話の切り上げ方はいつも唐突で後腐れがない。そもそも、愚痴のほとんどは陰陽師関連なので、会話の返事に私が困るという事も多少あるのだろうが。
 
 「私達がどうかしたか」
 
 だから私は放の転換先へ乗る。私は話す事も苦手だが、聞く事も得意ではない。話は聴いているのだが、気の効いた返事が返せないのだ。せめて相手の話したい様に話させる。これが私にとって最も単純で簡単な話しの聞き方だ。
 
「どうせ夕食をとる場所を探していたのでしょう?
 丁度私も行く所だったのよね、折角だから一緒に行きましょ」
 
 そう言うやいなや、放は代金を置いてその場から立ち上がる。もう山積みの皿を隠す事は諦めたのか、はたまた開き直ったのか。
 
「私は構わない。軻々里、お前はどうだ」
 
「俺も異論はないよ。そもそも其処に行こうとしてたんだし」
 
 結局私と軻々里は何も口にする事もなく甘味処を後にした。本来立ち寄る場所ではなかったのだから当然といえば当然だが。
 
 放と軻々里が示唆するそれは、私の知る限りでは料亭でも食堂でもなかったはずだが、私にも大方検討がついている時点で気の毒に思いつつも他人の事はいえない。
 
 頭の片隅で浮かんだとある人物に謝罪しながら、私は放と軻々里の後へ続いて行った。その人物は謝罪など必要ないと言うだろうから、せめて自分の頭の中で事前に謝っておこう、そう思って。
 

Re: 逢魔譚【黄昏編】 ( No.7 )
日時: 2017/12/13 17:58
名前: Cerisier ◆C6y/eP1VWE (ID: 84ALaHox)


 この町の一番高い場所にある家。
 厳かに構えた門、萎縮してしまう様な武家屋敷にも似た豪邸。
 普段生きている中で、こんな荘厳な建物とは私は無縁だ。せいぜい、木々が茂った森の中か、簡易さや安価さが滲み出る、建物と呼称出来る最低基準を保ったものが私には見合っている。
 門に掛かった鈴を、放は何の躊躇いもなく手を伸ばして音を響かせる。決して雑な鳴らし方をした訳ではないが、建物内へ良く響いた。
 
「そういえば放。わざわざ俺達を誘った理由は何?」
 
 この家は敷地が広い。門から玄関まで多少の時間を要するので世間話の代わりか、ただ単に自分の疑問を晴らす為かは分からないが軻々里は放に問い掛けた。
 
 放は少しの驚愕と迷いを秘めた瞳を見開いたが、それも一瞬の事。言葉を発しようとしたが、彼女の口の代わりに目の前の門が予想外に想定内よりも早く動いた。
 
 門を開いた人物は、色素の薄い柔らかな髪を靡かせ、同じく彩の淡い瞳を細めながら此方に視線を緩やかに向ける。その動作は緩慢なのに、不快感は全くない。むしろ可憐だ、思わず性別を忘れて見とれてしまうぐらいに。
 
 だが、この可憐な雰囲気とは裏腹の高い背丈や和服の袖から覗く骨ばった手は彼の性別を紛う事なく主張していて、可憐さと精悍さが共存している不思議で綺麗な人物だ。男に綺麗、という表現が世にも文にも適さないとしても、私はそれに変わる言葉が出てくるほどの学識はないし、率直にそう思ったのだから、私の中では有り得るという事にしておきたい。
 
 大地主、黎泉寺 雨京。この怪魔と陰陽師が蔓延る戯七町を治める黎泉寺家の現当主。こんな大層な肩書きすらもまるで着物か何かをさらりと着流す様に似合ってしまう風貌が目の前の男には存在している。
 
「こんばんは、夕餉なら準備は出来ているよ」
 
 突然押し掛けた私達の行動にも動じる事はなく、彼は穏和に応える。慣れでもなく、いつもこの男はこんな調子だ。これで本当の緊急事態だったとしてもこの穏やかでたおやかな姿勢を崩さないのではないのかというほど、雨京が動揺している所は未だに私は見た事はない。
 
「さっすが雨京さん。そういえば門が開くのが早かったけど、御庭にでもいたのかしら?」
 
「ああ。庭の手入れは趣味みたいなものだからね。この庭や家は代々継いで来たものだし、それを俺が枯らしてしまったら先代に顔向け出来ないよ」
 
 ちなみに、放を始め、私達が此処に来るという事は誰も雨京に伝えていない。ましてやいつも黎泉寺邸で食事を頂いているという訳でもない。
 
 にも関わらず、彼が食事の支度を整えていた理由は、私の言葉と記憶の限りでは、よくある事、としか言い様がなかった。食事時に向かえば朝餉だろうが夕餉だろうが提供してくれるし、帰る場所がないといえば寝床すらも用意してくれる。どちらも私は経験した事があるが、その時も雨京は穏やかな笑みを浮かべ、この地の長として当然の事だと言葉にしていたが、明らかに大地主の範疇を超えている。
 
 本心が分からない、というか行動は読めるのに心が読めない人。それが黎泉寺 雨京の印象として相応しい。
 
「ところで軻々里、初ちゃん。最近そちらに変化はあった?」
 
 門から玄関まで歩けば数分掛かるからか、雨京は私達に目線と言葉を投げかける。そちら、とは怪魔側の事だろう。
 
「特に何もないよ。まぁ大事にならなかったり人間に迷惑掛けない程度の些末事なら日常茶飯事だけどね」
 
 軻々里はいくら人間と近い距離の存在であるものの、腐っても怪魔らしい。曖昧な私には感じ取れないものも彼には本能的に見抜いてしまう事もあるし、ましてや小さな諍いなんて人間や怪魔を問わず勘づいている。そして勘づいた後は必ず首を突っ込むまでがお約束だ。
 
「そうか……。いずれ大きな不満にならないとも言い切れないのが難しいな」
 
 軻々里の言葉を受けた雨京は、すらりとした顎に長い指を当て、何かを考えている様な動作をする。私には理解しようの無い難解な物が思考回路へと流れているのだろう。
 
「ともかく、いつも助かるよ。俺には感知出来ないものだし」
 
 雨京は怪魔と陰陽師という何とも奇怪な存在が蔓延るこの町の長だが、彼自身は陰陽師でもなんでもない普通の人間だ。本来ならば怪魔と関わらない、いや関わる事の出来ないくらい陰陽師や怪魔と遠い在り方をしている。
 
 だが、彼の生まれは大地主の家、黎泉寺。この町を治めるという役割を担えば、どんな者であれ怪魔や陰陽師との関わりは避けられない。
 
 何も知らない町人は黎泉寺を哀れみや同情の目で見たらしいが、それとは反対に力の弱い怪魔や人と共存し生きている怪魔からはありがたられたらしい。無論、怪魔と親交のある人間からも、だ。
 
 人や地を統べる、というのは私には想像出来ないくらい苦労するものなのだろうと思う。ましてや、生物上では種別が違うとみられる人と怪魔の板挟みとなれば。
 その後ろ姿は細く可憐に見えるが、軻々里よりも背丈はあり、何よりも色々なものを今背負っている。軻々里とは別の強さを持っている頼もしい背中だ。
 
 ようやく玄関が見えて来た時、雨京は何事もない様に放にゆるりと視線をやり、ふらりと言葉を口にした。
 
「そういえば放ちゃん。何か悩み事かい?
 いやでも、初ちゃんと軻々里も連れて来てるって事は悩みというよりは相談事に近いのかな」
 
 それは門が開く前、軻々里が問いた言葉と同意語なものだった。放も放で「軻々里くんに悟られたんじゃ雨京さんにもそりゃ悟られるわよね」と一人納得して頷いている。つまり肯定。
 
 軻々里も雨京も、放の態度から何かしらを読み取っている。これは彼らが鋭いのか、それとも私が鈍いのだろうか。
 


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