複雑・ファジー小説
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- 罪の名のエーテル
- 日時: 2017/02/03 01:46
- 名前: 夢野ぱぴこ ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
ずっとずっと、ふたりでその傷を埋め合っていこうね。
罪の名のエーテル
芹野奉一/せりの ほういち
渡瀬みなも/わたらせ -
香月玲史/かづき れいじ
日比谷みれい/ひびや -
*BLGL板から移転してまいりました。あまり過激なシーンはありませんが、男→男、女→女の片想いと、キスまでの性描写を含みますので、苦手な方はご遠慮ください。
ありあまる幸せを、甘い日常にそっと溶かして。
終わる事のない苦しみも、どうか私を離したりしないで。
- Re: 罪の名のエーテル ( No.3 )
- 日時: 2017/02/03 01:52
- 名前: 夢野ぱぴこ ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
その日から音楽室が私の常駐場になった。私は入学当初から授業をサボってばかりいたので、「音楽」という授業を受ける学年は、一年生だけであることを、芹野に聞くまで知らなかった。しかも、進学クラスは音楽や家庭科などの技能教科は免除される。そしてさらに、冬季期間は音楽室が冷えるので、特別音楽的な授業をする日以外は、教師が各教室に出向いて、歌を歌ったり安いスピーカーでつまらない音楽を聞かせているらしい。
音楽室は、実質私たちの貸し切りだった。
確かに寒かったけれど、気になるほどでもなかったし、教室に戻る方が嫌だった。就職先も決まったから、あとは留年しない程度に、定期テストで点を取りづらそうな科目だけ出席していればいい。芹野たちのクラスは、もう授業と言うものがないという事も聞いた。各個人、大学入試に向けて、図書室や進路指導室で勉強に励んでいるみたいで、芹野は、あいつらみんな馬鹿だからね、と吐き捨てていた。
飲食禁止と張り紙がされている音楽室に、私たちは購買で買ったパンをたくさん持ち込んだ。棟が違う芹野の教室より、私の教室の方が購買に近いから、限定二十個しか販売していないチョコチップメロンパンを、頑張って走れば買う事が出来る。それを渡せば、芹野は喜んで私を音楽室に入れてくれた。全体的に甘党なのか、それともメロンパンが好きなのか、芹野はクリームパンやジャムパンを全部私に回して、メロンパンばかりを食べていた。
私たちの間に、会話は数えるほどしかなかった。芹野は自分の機嫌のいい時しか声を発してくれなかったからだ。私は私で、気まぐれに彼に話しかけた。どこの大学へ行くのか、彼女はいるのか、まず好きな女の子はいるのか、初体験の年齢は、とか、いろいろと冗談交じりに聞いたけど、返事が返ってきた問いは、今のところ「好きな子のタイプは?」だけである。「ワタラセみたいにデリカシーのないブスが嫌い」と切り捨てて、机の上に転がっていたイヤホンを耳に押し込む芹野を見て、「私は好きなタイプの話をしてるのに」と負け惜しみのようなことを言っては、グランドピアノの鍵盤を見つめていた。ちなみに、最初の日以来ピアノは弾いていない。どうせノクターンしか覚えていないし、芹野が褒めてくれるわけでもないし、私の気が乗らないからだ。私は時折定位置であるピアノの椅子を降りては、大きな窓から、グラウンドを走っている後輩を見たり、音楽室に置いてある楽譜を眺めたりした。今日もそうしていた。担任に、「真面目に授業に出ろ」とこっぴどく叱られたにもかかわらず、音楽室に来る私の事を、芹野は「すごく馬鹿」と評したが、追い出しもしなかった。ワタラセにもなんか、事情があるんだろうし、邪魔してくるわけじゃないからいいよと、その何も細工がされていない綺麗な黒髪を、細い指で弄りながら言うのだ。
芹野の事は、少し好きだった。もちろん恋愛感情ではない。顔が綺麗だから眺めていて飽きないし、(私の話を聞いてくれるわけではないけれど)私を否定しない。「好きにすれば」と、どうでもよさそうに彼は言う。そうやって放ってくれるところが好きだった。
「もうすぐ卒業だよ? 私達、どんな大人になるんだろうね」
「少なくとも僕は、ワタラセよりはまともな大人になるよ」
あ、反応した。今までの経験上、芹野は四回に一回の確率で私の独り言に返事をしてくれる。私は少しうれしくなって、勝手に二つくっつけた机に沢山あがっているパンを一つ、手に取った。ゆっくり時間が流れる音楽室の事が、そんなに嫌いでは無かった。
□
私は、愛されることに疲れていた。
放課後になると、芹野はすぐに下校してしまう。だから私は、ひとりで音楽準備室に身を潜めている。ついさっきまで私と芹野が居て、時折私が何かを言って無視されるということを六時間繰り返していた音楽室では、吹奏楽部員がきゃっきゃと楽しそうに雑談をしている。うちの学校は基本的に不真面目だから、部活だって不真面目てある。実績があると言えば、野球部がまぐれで四十二年前に甲子園に出ただけだし、真面目な女子が集っている印象のある吹奏楽部だって、うちの学校にかかれば底抜けにやる気が無いのだ。楽器など触らずに、ずっとずっと、下校時間までくだらない雑談を楽しむらしい。
「ワタラセ、帰んないの? 僕もう帰るから、職員室に鍵返しといてね」
音楽準備室の狭いドアを開けて、帰り支度を終えた芹野がこっちを見ている。芹野から話しかけられることは珍しかったが、そういうこともたまにはあるのだ。
私が今朝担任に怒られて職員室に行きたくないの知ってるくせに、この鬼畜、って、頭の中では思うけれど、私は「わかった」といつものヘラヘラな笑顔を浮かべた。鍵なんて吹奏楽部員に適当に任せておけばいい。
じゃあねも言わずに、芹野はぱたぱたと、軽い足音を静かな廊下に響かせていく。後ろ姿を見ていると、かなり華奢だな、と思う。身長は決して低くないが、とにかく線が細くて、あんなにメロンパン食べてるのに、なんでだろ。私だって、好きなものを好きなだけ食べても細いままでいたい。ダイエットは二週間以上続いたことがないし、本気でする気もないけれど、努力もしていないのに綺麗な体形を保てている人には、どうしても羨望の気持ちを持ってしまう。
……芹野以外で例えるならば、みれいとか。
「わっ、お姉ちゃん、こんなところにいたの? 私の教室まで来てくれてもよかったのに」
ひっ、と思わず声が出る。芹野の姿がもう見えなくなったころ、突然ドアが開いて、上から甘くて舌っ足らずの声が降ってきた。
私の妹と言うにはあまりにも姿が可愛すぎる少女と、その恋人にふさわしい美形の男子が立っている。私も慌てて立ち上がり、準備室に長い間住んでいた埃を叩き落とした。なんでここがわかったんだろう。みれいは、私にGPSでもつけているのだろうか。まだ高鳴っている心臓のあたりをきゅっと押さえて、私は私の事を純真無垢な瞳で見つめているみれいに言った。
「……お姉ちゃんって呼ぶの、やめてよね。私とみれいは、赤の他人でしょ」
何千回この言葉を言っただろうか。そして、みれいのこの仕草を何千回見ただろうか。ゆっくりと、その漫画みたいに大きな瞳を細めて笑う。穏やかで、可憐で、私が男だったらすぐに好きになってしまうであろうその微笑と、その後のお決まりの台詞。
「そんなことないよ。みれいとお姉ちゃんは、姉妹でしょ?」
ぴたりと、時の止まったような感覚。何度経験しても、みれいの本気のまなざしには慣れない。隣の男が、またか、と言いたそうに、とても邪魔そうに私の事を見る。
あぁもういいよ、帰ろ。私はそう言って荷物を持ち上げた。お姉ちゃん、今日はケーキ屋さんに行こうね。みれいの楽しそうな声が聞こえる。茜色に染まる廊下を、三人並んで歩きだした。
- Re: 罪の名のエーテル ( No.4 )
- 日時: 2017/02/04 09:32
- 名前: 夢野ぱぴこ ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
みれいは洒落た店をたくさん知っている。今日来た喫茶店だって、洋風の小さなお屋敷のような外観をしているし、ウェイトレスの格好もレトロなメイド服でとても可愛らしい。店の内装も、季節に合った物を飾りつつ、かといって店の雰囲気を崩しすぎずで、店主のセンスを感じた。そして、この店を選んだみれいにも、ある種の尊敬らしい念を抱く。
私は今三年生で、みれいは一年生だけれど、みれいは私よりも大人びていると感じることがある。私はこれまで、どうでもいい、してもしなくても変わらないような経験ばかり積んできた。しかしみれいは悲しいことも辛いことも経験し、それ以上に「周りからちやほやされる」という、容姿の整った女の子特有の喜びを知っている。こういった女の子には、周りの人間は目に見えて優しい。だから、私の知らない事もたくさん知っているんだろうし、私よりもいつも先の世界を見ている。
こんなお洒落な店に私は不似合いだ。周りもきっと同じことを思っていることだろう。私たち以外の客も、年齢や性別はそれぞれに異なっていたが、みれいと同じく、生まれた時からすでに何かに勝っている、そんな容貌をしていた。たくさんお金を持っていそうなおばさんのグループも、雰囲気がキラキラしている女子大生たちも、きっと居る世界はみれいの側。私が居るべき場所は、もっと暗くて地味なところだ。ここでは私なんかゴミ同然だけど、その地味なところに居れば、今よりは輝ける気がする。だから、できれば早く帰りたかった。私がいるべき場所へ、戻りたかった。
だんだん夕陽が傾いて、白のフリルのカーテン越しに濃い赤の光が透けている。
運ばれてきたケーキを半分くらい食べたころ、友達から電話が来たからと、みれいは席を立ってお店の外へ出て行った。残されたのは、私と、右斜め前に座ってコーヒーを飲んでいる男だけである。
「……ほんっと、邪魔だな」
吐き捨てるように呟いて、その男は私を睨みつける。基本的に私のことはどうでもよさそうな芹野とは違って、こっちは本気で嫌悪を露わにした瞳をしている。
私だって、居たくてここにいるわけじゃない。みれいが私を誘うからだ。私はみれいの誘いをかわせるほど器用ではないし、この彼だって、私とみれいを引き離せば、自分がみれいに嫌われることを知っている。
「……ごめん、香月」
コーヒーをテーブルに音もなく置いて、彼、香月玲史はため息をついた。
香月は私と同じ学年で、クラスはD組に在籍している。みれいに一目惚れをし、二か月くらい前から付き合っているらしいが、みれいはいつだって、何をするにも私を加えて三人で行動したがる。香月にとって、私の存在は邪魔でしかなかった。いつも学校では、イケメンだとか、好青年だとかって騒がれているけれど、誰にでも優しい彼は、私に対してだけ冷たくなる。
みれいは確かに可愛い子だが、他にも女はたくさんいるのだから、さっさと諦めて次に行けばいいのにと助言をしたこともあった。恋人として付き合う事になったって、みれいの中の優先順位はいつも私が先だ。みれいに告白をして、交際を始めた男は今までに何人も居た、しかしその誰もが、その異常性に気付いてすぐに離れていった。香月もそうなると思っていたのに、「俺が本気で可愛いって思える女はみれいだけだし、落としにくい方が燃えるし」なんて寝言を言って、未だにみれいにくっついている。
みれいは、香月の事なんか全然見ていないのに。
「……香月ってさ、もっと遊んでるイメージあったのに、意外と一途なんだね」
「いや、遊んでるからこそああいうのに惹かれるんだよ。従順すぎる奴はつまんないだろ。しかも、みれいは浮気したって許してくれるしな。他の奴と適当に遊びつつ、本命のみれいと距離を縮めていく。うまいやり方だと思うけどね」
「そのうまいやり方に、私は邪魔ってことでしょ?」
「そうそう、わかってんじゃん。金は払っとくから、今のうちに帰りなよ。俺は、今日こそみれいを家に連れ込んで二人っきりにするから」
香月の薄い茶色の髪に、夕陽の赤が差し込んでいる。私はそれをぼんやり眺めながら、もし香月がみれいを家に連れ込み、それこそ二人っきりで一線を越えたのならば、もう彼はみれいのことはどうでもよくなるのだろうか、と考えていた。
香月はみれいという本命が居ながらも、他の女と遊んでばかりいる。みれいは大切ではないのかと聞くと、みれいも大切だと言う。絵に書いたような遊び人だった。その恵まれた容姿と対人コミュニケーション能力ですぐに距離を詰め、誰とでも仲良くなる。私と同じくらい成績も悪いはずなのに、うまく教師のコネを獲得し、卒業の目途だってちゃんと立っている。
みれいと香月は、傍から見ていれば完璧なカップルだった。みれいは、何をするにも私という存在を加えたがるが、かと言って香月の事をぞんざいに扱うわけではない。その場のノリで手も繋ぐし、香月の提案でお揃いのキーホルダーを買ったこともある。だけど、例えばキスをするとか、好きだよとちょっと恥ずかしいことを言い合うとか、そんな恋人らしいことは一切していない。なぜならいつも私がいるからである。さすがの香月も、なんでもない第三者の女の前でいちゃつくのは憚られるらしく、ちょっといい雰囲気がぶち壊されるたびに、非常に嫌そうな顔で私の方を見ていた。
「……あ、帰る前にひとつ、聞いていい?」
みれいは一度電話を取ると会話が長い。だから、まだ帰ってこないと踏んだのだろう。リュックから財布を取り出す私に向かって、香月は言った。
「渡瀬とみれいって、本当に姉妹なの?」
「違うよ」
「じゃあなんで、お姉ちゃんって呼ぶんだよ」
それについて話すと長くなるなぁ、と私は言った。みれいが帰ってくるかもよと付け足した。
しかし香月は、それでもいいから話せと言う。あんまり突然訪れたチャンスだったから、まだみれいを家に連れ込む心の準備が出来ていないのだろうか。私はケーキを切り分ける手を止めて、大した話じゃないけどねと前置きをする。暇だからぜんぶ、話すことにした。
私とみれいは、父親が同じである。私の父と母は結婚して、普通の家庭を築いていたが、その裏で父は職場の若い女と不倫をしていた。その女との間にできた子が、みれいだった。
妊娠が発覚して、私の父は逃げるように会社を辞めた。ちょうど母方の祖母の体調も悪かったから、幼い私と両親は実家の方へ戻って、しばらく静かに暮らしていた。あまり裕福とは言えなかったが、不自由をしたことはなかった。そして私が中学三年生の時祖母が亡くなり、私たちは実家を出て、私の高校入学と同時期に、元々住んでいたこの街へ帰ってきた。
私が高校三年生に上がった時の入学式で、はじめてみれいを見た。可愛い子だと思ったが、私はみれいという名前の、異母の姉妹がいることすら知らなかったので、そのまま見過ごすつもりだった。しかし、みれいは「お姉ちゃん」と私を呼んで、キラキラした目で私の元へやってくる。戸惑う私に、みれいは自分の半生を語った。
不倫相手の子として生まれた自分は、母親に「あんたのせいで恋人を失った」と罵られ、虐待に近い行為を受け、施設に送られた。施設の人達はみんな優しくて、支援を受けながらも、こうやって独立することが出来た。でも、本当はずっと家族に会いたかった。お姉ちゃんを追ってこの高校に入って良かった、血がつながっているたった一人の姉妹を、もう絶対に離しはしない、と。
私は臆病だから、みれいという存在について、両親にまだ聞けずにいる。仲の良い両親の、このささやかな幸せが壊れてしまったらと思うと怖くて仕方がない。みれいの母親が、みれいの名前を若干私に似せたのは、正式に私の父の妻になりたかったかららしい。怖かった。もし、私のせいでお父さんとお母さんが離婚したら、私はどうすればいいんだろう。
「……姉妹、なんだろうけど、私はみれいのこと他人だと思ってる。今更妹を名乗られたって、受け入れられないのが現実」
「……ふーん」
香月は別に興味が無さそうな顔で、コーヒーカップを手に取った。私もできればこの話はあまりしたくないので、無関心でいてくれた方が助かる。
私は、みれいに愛されることに疲れている。そもそも女に好かれたって嬉しくないのだが、こうも盲目的なうえに、香月という全然関係のない人間にさえ迷惑をかけてしまうのだから、みれいはさっさと私から離れて、幸せになる道を選んだ方が良い。
そろそろ帰ってくるかな。私は中途半端にみれいと感覚が合うので、きっと三分後にはここに戻ってくるだろうという、そんな根拠のない予感も、八割くらいの確率で当ててしまう。黙り込んだ香月のまねをして私も黙り、小ぶりのナイフをケーキに差し込んでいく。
- Re: 罪の名のエーテル ( No.5 )
- 日時: 2017/02/06 02:18
- 名前: 夢野ぱぴこ ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
暇だなぁ、と思いながら、今日も音楽室の外を眺めている。
この場所は、世界から隔離されている。とてもゆっくり時間が流れていく。一歩外に出ると、広がるのは学校というコミュニティで、私たちはただの生徒の一人として、退屈な日々と同化してしまう。しかし、ここに居る時だけは、そんな彼らを少し離れた場所から冷めた瞳で見ていられる。だから私も芹野も、音楽室が好きなのだ。
今日は今年で一番寒いらしいよ。私は窓に向かって言い放った。私の吐いた息で白く曇った窓ガラスを指でなぞって、意味のない落書きをはじめる。音楽室は誰も使っていないという事になっているので、当然備え付けのストーブも静かなままだ。さすがに、ここまで寒いと風邪を引きそうで、今日はさすがの芹野もどこからか持ち込んだひざ掛けを肩に羽織っている。そのやたらと可愛らしいデザインのひざ掛けと似たような物を、確かみれいも持っていたような気がして、「それは流行りなのか」と聞くと、彼は寒くて人肌恋しいのか、はたまたただの気まぐれか、珍しくにっこり微笑んだ。
「いいでしょ、これ」
音楽室に通うようになって一週間は経ったが、間違いなくはじめて見る表情だった。
芹野はあまり笑ってくれない。ていうか、ちゃんと笑ったところを今まで見たことがない。いつも、私がどんな話を振ってもつまらなさそうにする。私じゃなくて、みれいのような可愛い女の子が一緒に音楽室に、ふたりっきりで居てくれたのなら、芹野はもっとニコニコしていたのかもしれないが、生憎私なんかに付きまとわれたところで、その表情は退屈そうなままだった。だから、私の目をしっかりと見て、ちゃんと微笑んだ芹野を見て、胸が高鳴るような感じがした。よく見なくても整った顔立ちをしている芹野は、よく見てみたら、それはそれは綺麗だった。同じく整った造形をしている香月をイケメンと定義するならば、こっちは美少年。さらさらの黒髪、長いまつ毛の奥の、どこか憂いを含んだ瞳、線の細い華奢な体。
綺麗なものは見ていると心地が良い。みれいに対しても同じことを思う時がある。どんなに不快になったって、どんなに悲しくなったって、「きれい」の暴力には勝てない。人間は綺麗なものがとことん好きなのである。私も例に漏れず、綺麗な芹野をじっと見ていた。音楽室の外の、色あせた景色を見ている時よりも、意味のある時間のように感じた。
「……どうしたの、そんなに見てさあ」
「……嬉しそうだな、って思って。そのひざ掛け、誰かから貰ったの?」
私も珍しく、穏やかな笑顔を浮かべているのが自分でもわかる。
芹野は、「べつに」と言って、外を眺める作業に戻ってしまったが、あんなに嬉しそうな顔をするんだから、何かがあったに違いない。
恋だろうな、と踏んでいた。好きな女の子から貰ったんだろう、と。女の子が使うような可愛いデザインだし、芹野くらい綺麗で頭も良い男子なんて、女が放っておくわけがないし。きっと、特別進学クラスの、大人しいけれど頭が良くて、目立たないけど可愛らしい、そんな子だ。私とは正反対の。授業をよく抜けるせいで目立つけれど不良にはなれない、クラスの奴等とはうまく会話ができない、それでいて頭も悪い、極めつけに容姿もパッとしない、私なんかとは全然違う女の子。悲しくなってきたなあ、芹野はそういう女の子が好きなんだ。
「好きな子? ねえ、好きな子から貰ったんでしょ」
あんまり聞いても良い気持ちはしないだろうけれど、そういうのをわざと聞いてしまいたくなるのが私という人間だ。思えば昔から治りかけのかさぶたを剥がすのが好きだった。
芹野は食い入るように聞いてくる私に対して、面倒だなぁ、と声を零したが、顔は笑っていた。本当に珍しいことだった。いつもなら、絶対に無視されるような問いなのに。
窓の外からは、体育をしている生徒たちの楽しそうな声が聞こえてくる。芹野は嬉しそうな顔のまま私を見て、そして、普段よりワントーンは高い、あからさまにご機嫌な色を含んだ声で、こう言った。
「僕だけの秘密だよ」
- Re: 罪の名のエーテル ( No.6 )
- 日時: 2017/02/09 02:21
- 名前: 夢野ぱぴこ ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
芹野の言ったその言葉が、ずっと気にかかっていたけれど、私は何も聞けずにいる。芹野は今までにないくらい機嫌が良い。無理矢理に「秘密」を聞き出そうとして、それが彼の気分を下げてしまったら、もう二度と元には戻れない気がした。
当たり前だけど、私にみれいや香月という人間関係があるように、芹野にも芹野の人間関係がある。私の知らない人と、知らないところでコミュニケーションを取り合って、笑ったり泣いたり怒ったりしている。いつもはここで、ずっとずっと二人きりだから、芹野の世界は私だけで、私の世界は芹野だけ、というような、ある種の錯覚をしていた。だけど実際は全然そんな事なくて、私がみれいに振り回され、不愛想な香月に申し訳なさを覚えているその間にも、芹野はクラスの可愛い女の子と親睦を深めていたわけだ。
こっちの機嫌が悪くなりそうだった。私はこんな感じだから、生まれてこの方彼氏が出来たこともないし、好きになった人に限っていつも、電車でOLに痴漢をして退学になったり、私たちが考える「B」を遥かに凌駕するレベルのB専だったりする。自分の男を見定めるセンスは、悪い方向で、とても優秀なのではないかと思う。このまま、これからも音楽室にずっと二人で居て、たまに会話をして、数日に一度こんな笑顔を見せられると、単純な私は、芹野の事を好きになってしまう。たぶんきっと、恋愛的な意味で。
勝算のない戦いを続けるほど馬鹿ではないし、好きになってしまった人をすぐ諦められるほど頭は良くできていない。だから、最初から好きにならなければいい。私はいつも、そうやって心にブレーキをかけるから、「好きになってはいけない」と思い込むのは得意だった。いかに相手に対して恋愛的に幻滅するポイントを探すか大事で、一度冷めればもう後は早い。
ただ私は、この音楽室で過ごす時間は手放したくないのである。
私が何かを失いたくないと感じることは、芹野が私に対してにっこりと笑い、その秘密に関して自分から嬉々として語るのと同じくらい珍しいことだと自負することにする。衣食住の関係で世話になっている家族を差し引くと、私の人生は、「無くなっても別に困らないもの」だけで構成されているのだ。特に、人間関係に対しては強くそう感じる。私の持つ人間関係などみれいと香月くらいなのだけれど、みれいには一方的に付きまとわれているだけだし、香月とは一定の距離を保ち、お互いの幸せと平穏を適当に願い合っている、とても希薄な関係でしか繋がっていないのだ。明日みれいが死んでも私は特に困りはしないだろうし、香月がみれいを手放して他の女と付き合い始めたとしても、どうぞお幸せに、としか思わないだろう。
だけど、音楽室に居ることを否定されると、私はもう学校には居れない。つまり私はここに依存している。芹野には、私の事を否定されたくない。
「ワタラセ。今日は大事な用事があるから、昼休みはここを僕の貸し切りにさせてよ。十五分くらいでいいからさ」
芹野は穏やかに微笑んでいる。私は、なんだかもやもやした気分のまま頷いた。
□
昼休みを告げるチャイムが鳴る。音楽室から出たくないと主張する芹野に代わって、私が購買に行き、いくつかのパンを買うのが日課だった。今日はそれに加えて、芹野から十五分間の音楽室立ち入り禁止令が出ている。
普段の私なら、それを素直に聞き入れただろう。購買でパンを購入する時間を五分として、残りの十分間は、適当に校内をぶらぶらして、音楽室に戻る。過干渉は、するのもされるのも大嫌いだ。私は芹野の願いは聞き入れるし、困った時には芹野に私の頼みも聞いてほしい。ほどほどの距離感を保ち、より快適に暮らせるように利用しあう、そんな人間関係が、一番楽だ。どちらかがどちらかに入れ込んでしまった時、その関係は崩れる。男女の付き合いと言えば大抵これで、「友達」なんて都合のいい関係は、よほどの人格者同士で、さらに運も良くないと成立しないと思っている。
ただ、今日の私はなぜか、芹野に過干渉がしたかった。今まで私は、芹野本人にも言われるほどデリカシーのない質問をしては彼をイラつかせてきたけれど、一度拒否されたら素直に引き下がるし、あまり深くは入れ込まずに付き合いを続けてきたつもりだ。だから、私は芹野の事をあまり知らない。
つまらない有象無象のような人間には興味はないが、一週間くらい一緒に過ごしても、ほとんど何の情報も得られない芹野のことは、やっぱりかなり気になっていた。今まで出会ったことのないタイプだったし、姿形も整っているし、その身に纏った儚くアンニュイな雰囲気に、過去に何かあったんだろうなぁ、もしくは現在進行形で何かがあるんだろうなぁ、と感じて、興味は尽きない。どうやら私は物憂げなオーラが好きらしい。みれいや香月のように、外見が整った奴なんてのはこの世にごまんと居るけれど、芹野だけは少し違う気がして。
パンを買った後、私はすぐ音楽室に戻ることにした。私をわざわざ追い出した十五分間、芹野が何をしているのかが知りたかった。
音楽室のある棟に向かう。通り過ぎていく生徒たちは、隣の友人と会話をしながら、あるいは一人で、暇そうに、呑気に歩いていく。私にはそんな奴等とは違って、やることがある。久しぶりに感じる、生きている心地に、心臓が脈を打つスピードも速くなる。
時計を確認して、ふう、と息をついた。芹野に提示された時間までは、あと七分あった。私はパンを持って音楽室のドアの前に立っている。ドアにガラス窓が組み込まれているとはいえ、ここからでは音楽室の全貌は見えない。だけど、見たところ、芹野はいつもの定位置にはいなかった。
芹野が私に内緒で、音楽室を貸し切るほど大事な用事って、なんなんだろう。そう考えた時に脳裏に浮かんだのは、午前中ずっと機嫌が良かった彼の姿だった。きっと恋だろうと勝手に予想していたけれど、音楽室に好きな女の子でも招待しているのだろうか。それなら私が積極的に邪魔をしてやろう。三人でパンでも食べて、和やかな昼休みを過ごすのだ。
直前に少し躊躇したが、私は引き戸に手を伸ばす。静かにそれを引いたとき、目の前に広がったのは静まり返った音楽室だった。やっぱり、この部屋は他とは全然空気が違う。どこか遠くで聞こえる誰かの楽しそうな声でさえ、幻想的で荘厳なものに思わせる。ふと訪れた、一瞬の沈黙の後、誰も居ない音楽室に風がふわりと入り込む。舞い上がったカーテンの下に、人影が二つある事に、やっと気が付いた。
そして、その二つの人影が、唇を重ね合わせていることにも。
- Re: 罪の名のエーテル ( No.7 )
- 日時: 2017/02/23 02:35
- 名前: 夢野ぱぴこ ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
逃げ出そうと思った。だけど、こんな時に限って私はしょうもないドジをする。持っていたパンが、音を立てて床に落ちていく。
カーテンの下の男と目が合った。よく見知った男だった。彼は、さっきまで抱き合っていた芹野から手を離して、やっぱり邪魔そうに私を見ていた。
私は、気が付いたら二人に詰め寄っていた。パンも、時間を破ったこともどうでもいい。振り向いた芹野の表情が、とても辛そうで、放ってはおけない気がした。
「……香月、なにしてんの、ねえ、芹野も、あんたたち、なにやってたの」
「……渡瀬って、ほんとどこにでも湧いてくるよな」
「香月こそどこにでもいるじゃん」
「……一応言っとくけど、俺は、そういうんじゃないから。みれいには絶対言うなよ」
すぐ隣にいた芹野のことを軽く突き飛ばして、次に私を一瞥し、香月は部屋を出て行った。ばたん、と勢いよくドアが閉まる音が、とても遠くで、ひとごとみたいに聞こえた。
みれいの彼氏で、容姿端麗で、成績は悪いけれど人望はあって、私以外には誰にでも優しい香月が、私以外に冷たい態度を見せるのを初めて見た。香月はオンオフの切り替えが異常なくらいに上手い。相手に合わせてうまく媚びを売り、信用と地位を勝ち取ることにとことん長けている。そんな香月が一切の飾り気を取り除いた、黒々とした中身を見せる相手は、私くらいしかいないと思っていた。相当嫌いな相手にしか見せないであろう素振りだと思っていたのに。香月は芹野の事が、私と同じくらい嫌いなんだ。
「ちょっと、大丈夫?」
我に返った私は、床にへたり込んでいる芹野に手を伸ばした。「十五分は来るなって言ったよね」と私を睨みつける瞳は真っ赤だった。病的なほどに白い肌と、瞳の色のコントラストが綺麗で、息を呑んでしまいそうになる。でもこいつは、さっきまで男と抱き合っていたような奴で。他人の性的嗜好については様々あることを理解しなければいけない世の中になってきているのはわかっているし、私とみれいも傍から見れば同じような物なのに、いざ目の当たりにするとどう声を掛ければいいのかわからなくなる。そんなふうに思っているのを芹野も察したのか、気まずそうに目を逸らして、「あんなの見せてごめん」と初めて素直に謝った。
ひざ掛けの事、やけにご機嫌だった事、全部踏まえて考えると、芹野は香月の事が好きなのだろうという結論に至る。普段からセクハラまがいの質問ばかりしてきたのに、今更「あんたって男の方が好きなの?」と聞くことには引けてしまう。香月も香月で、いつもあんなにみれいみれい言っているくせに、(たまに他の女に浮気もするけど)まさか男もいけるとは思わなかった。パニックになって頭の上にクエスチョンマークを量産している私が、黙り込んだ芹野にかける気の利いた言葉など、思い浮かぶはずもなかった。
「……好きな子って香月のことだったの?」
咄嗟に口から飛び出た直接的すぎる質問に、なんてデリカシーのない、と自分でも思うし、芹野も何も言わずに床を睨みつけている。本当は、こんなことを言いたかったわけじゃない。何も浮かばない頭の中で、芹野の言いつけを守っておくべきだったなと、今頃になって思うのだ。
次に放つ言葉を、張りつめた沈黙の中で探すけれど、当然なにも浮かばない。私より先に、芹野が口を開いた。
「……そうだよ、ワタラセは、どうせ軽蔑するんだろうけど……」
そう呟く表情には、諦めと、どこか悲哀さが滲んでいた。
私は、床に投げ出されていた芹野の手を取った。はじめて、彼に触れた。さっきまで体温が上がっていたせいか、思っていたよりも熱かった。
「そんなことよりも、好きな人からあんな乱暴にされるほうがおかしいって。大体、香月には付き合ってる女も居るんだし、それでいて他の奴とあんなことするんだよ、ほんとにクズだよ、あいつ」
そこまで言い切った時、真っ赤な瞳の芹野と、ようやく目が合った。私が私らしくないことを言ったからか、物珍しそうにこっちを見ている。もし私に女の子の友達がいたら、こんな風に恋の話をするのかもしれないが、生憎今までの人生、そんなものとはまったくの無縁だったのだ。
「……香月くんは、自分を好いてくれる人が好きなんだ。それが男でも女でもどうでもいいだけ。誰かを夢中にさせて、依存させて、自分無しじゃ生きていけなくなるまで追い詰めて、あっさり捨てるのが好きなんだ」
四年も一緒にいるからわかるよ、と芹野は言う。香月がどれだけ人間としてダメかなんて、私が教えなくても芹野は知っていた。四年の付き合いの中で、何があって、どういう経緯でこんなことになっているかなんて、私が知る権利も余地もないし、今聞いても、絶対に頭が追い付かない。
「ぜったいに叶わないし、叶っちゃいけない恋だと思ってたのに、中途半端に餌だけ与えられてさ、期待しちゃうじゃん」
赤く腫れた瞳の奥の光が、また揺らぐ。簡単に崩れてしまいそうなほど、儚くて、危うい。制服の袖で目尻を拭って芹野は、私が握った手を、弱弱しく握り返した。
「芹野」
「……みなも」
「……えっ?」
「……もうちょっとだけ、手握っててよ。何もしないから」
昼休み、音楽室は静かに時を刻む。窓側でふたり、愛されなかった彼と、愛されることに疲れた私。
私は、壊してしまわないように、ほんの少しだけ、強く手を握り締めた。ついに腕で目を隠して、肩を震わせる芹野の背中を、反対側の手で摩ってあげたかったけれど、私の手は、勇気は、やっぱり簡単には芹野には届かなかった。それどころか、音楽室に来れるのは今日で最後かもな、なんて、ここまで来ても自分の保身を考えてしまう自分に嫌気がさしていた。
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