複雑・ファジー小説
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- 月とあなた 〜潰えし恋〜
- 日時: 2017/06/28 22:22
- 名前: 白川ユーリ (ID: sIp24Xs0)
僕は見ていた。
笑った。
泣いた。
また笑った。
また泣いた。
楽しい思い出は涙に消えて。
幸せな日々は闇に葬られ。
「もうすぐ、会いに行くよ」
僕は、笑った。
* * *
僕はろくでなし。貴族の家の出だけど、学問は嫌い。武術も嫌い。今日も武の稽古が嫌で、逃げ出してきた次第だ。
「なんで、僕ばっかり……」
愛馬アトウッドにまたがり、僕は空にぼやく。
兄さん二人の出来はいいのに、僕にはその血は受け継がれなかった。そのために両親、兄さんたちからは疎まれている。
出生と才能は選べない。
だから、誰かを憎むこともできない。
夏の若葉が空に香り、爽やかな風が前髪をくすぐる。ふと目に止まったのは、小さな村だ。
平穏無害な村。
けれども満ち足りた、羨ましい世界。
遠目に眺めていると、ふと気づいた。そうだ、僕は今、ぼろぼろの稽古着だ。
僕はニヤリと片頬の口角をあげ、アトウッドの腹を蹴った。すかすがしいいななきが、空をついた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
生い茂る深い緑。清涼な川に小魚が流れる。
小さな村だが、日の光の下、皆が輝いていた。
村民も。緑も。川も。動物たちも。
僕は木々の横にアトウッドを隠し、のんびりと小川の縁に沿って歩いていた。
「へぇ、こんな村あったーーうわぁッ!」
こんな村あったんだ。
そう言いかけた僕の言葉は、文字通り投げ出された。誰かが体当たりしてきたのだ。もちろん運動神経の鈍い僕が耐えられる訳もなく、川に倒れてしまった。
ばしゃん、と銀燭の灯りにも似た水玉が、空に舞って爆ぜていく。小川とはいえ、僕が倒れられる程度の広さはあった。幸い、深くはない。頭から突っ込んだ僕は、全身ずぶ濡れになった。それだけでない。右腕を岩に裂かれてしまった。
一体なんなんだ!?
動物か? いや、動物にしては背が高すぎる。僕がぶつかったのは肩だぞ? それに僕は背だけは高い。動物ではないだろう。ならば人間? 人間なのか!?
痛みとどうしようもない怒りに震える僕は、怒鳴り付ける気分で顔をあげた。
言葉が出なかった。
目の前に立っていたのは、弱々しい雪兎を思わせる少女。雪どけ水のように混じりけのない涙を滲ませた瞳で、僕を見ていた。
可愛くはなかった。
それは美しいと評するべきだろう。白い頬にかかる長い黒髪は艶めき、うるんだ瞳は水色。異国の血でも混ざっているのだろうか。しばらく見ていたい。そんな謎の誘惑に駆られるようだった。
「あの……すみません……」
「あぁー、うん。そんなに怒ってないよ? 僕、案外寛容だからね」
嘘だ。本当は怒りしかなかった。だがそんな負の感情など、少女の前では無意味。泥汚い服や足など、関係ない。
全てが、無に等しい。
「あの、本当にごめんなさい!」
「いいって……」
少女に苦笑しながら、助け起こされ
る。目に入ったのは、月だ。まだ昼間だというのに、月は仄白い光を放つ。
上弦の月。輝かしきあの村。
一目で僕は、君に恋をしました。
ーーーーーーーーーーーーーーー
僕は貴族。
君は農民。
村で出会った時の僕はぼろをまとっていたので気づかれなかったが、真実を話すと君はずいぶん驚いたようだった。もちろん両親からは反対。ろくでなしのくせに、次は家潰しか、と言われた。会いに行くな、とも言われた。
でも、僕は君を愛した。
第三者にどうこう言われて終わる恋など、それは恋であって恋でない。
君のように美しく輝く、青白い満月の輝く夜。
僕らは、“ひとつ”になった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
響く銃声。馬のいななき。蛮声。火のぱちぱち爆ぜる音。
それらは闇を裂き、世界を飲み込んだ。
けれど、僕の耳には入らない。聞こえるのは、共に走る君の荒い息づかいだけ。
やはり、両親兄たちは、僕らを快くは思わなかったらしい。隠れて会うことを止めなかった僕らを、僕を汚名とみなし、消すに至ったらしい。
ーーなぜ、僕ばかり。
村を抜け、あの小川を飛び越えた。
ーー僕ばかり、不幸になって。
走る。走る。君の温もりを感じ。
ーー決して、幸せにはなれないんだ。
むせぶ息に、挫けもつれる足。君を握る手に滲む汗。
僕は握る手を強めた。
君も握り返した。
暗く、苦しい光を瞬かせる君を、離したくはなかった。
会えなくなる気がして。
終わりまで、君といたくて。
「もう、無理なのでしょうか」
「そんなことないッ! 諦めるな!」
どこか遠く、家族の手の及ばない場所へ。
追っ手が近づく。近づくのは野獣の奇声。
僕らは逃げる。逃げた。
僕は逃げる。逃げていた。
学問から。武術から。才から。家族の罵倒から。
そして、死から。
けれども、この恋から逃げる。訳にはいかないーー!
ーーパスン。
「ーーえ……」
浮いた半身。いつかに似た感覚に、平衡感覚を失う。突然の出来事に、為すすべなく倒れた。時間が歩みを止めたか、無慈悲に目の前の光景はゆっくり進んでいく。
伸ばした手はなにも掴めず、空を切った。僕は地面を蹴りつけ、崩れる君を抱えた。
赤い花は衣服を伝い、森の青葉を赤に染める。散り行く花びらは、君の青白い肌に色を成した。
ーー嘘だ。
「ね、え……?」
ーー嘘なんでしょ?
「ねぇ……?」
たちの悪い悪戯は止めてくれよ。
ーーなんで、目を開けないの?
すぐそこに感じていた温もりが、徐々に失っていくのがわかる。僕は君を、ありったけの力を込めて抱き締めた。
「嘘、だ……ッ」
つたなく、弱々しく、そして虚しく。
男の声は、哀れに闇夜に消えるだけ。
「嘘だ。嘘だ」
君の頬を、僕の涙が濡らした。とめどなく溢れるそれは、僕の感情の温度。仄かに温かい。それは僕の涙。もう君に、温もりはない。歪な視界の君は、やはり目を覚まさない。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……」
森の呼吸が聞こえる。
虫の音。鳥の声。風の音。獣たちの笑声。
「嘘だぁぁぁぁああああああ!!」
空には片割れを失った、下弦の月が輝いている。
それを僕は、覚えていない。
* * *
僕は月を見ていた。
青白く。美しく。光り輝いて。
穏やかな死に顔の君に見えた。
僕は笑った。
楽しかった時間。幸せだった世界。
されどすべて、過去の話。
僕は涙を流した。
楽しかった記憶を思い出そうとすると、君が“消えた”悲しみがやって来る。
鉄格子の向こうの、滑らかな暗がりに染まる世界。
おかしいくらいに欠けた月は、闇夜に少しの光を灯す。
「もうすぐ、会いに逝くよ」
明日は、新月だ。
ーー終焉ーー