複雑・ファジー小説
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- error
- 日時: 2017/08/28 11:26
- 名前: 赤熊太 (ID: Prfa052C)
注意事項
・この作品は推理、解明ものです。
・この作品は、筆者の創作です。実際の個人、団体とは一切関係ありません。また、いくらか根拠のない考察や事実無根の事を表記することがあります。
・無断転載、晒し、荒らしはおやめください。誹謗中傷などもやめてください。
・定期的な更新や返信はお約束できません。立ち消えになる可能性もあります。
以上の注意事項は前置き無く変更する場合が御座います。
至らない文章ですが、どうぞよろしくお願いします。
- Re: error ( No.1 )
- 日時: 2017/08/29 22:34
- 名前: 赤熊太 (ID: Prfa052C)
「先輩、赤坂教授ってどんな人ですか?」
捜査資料と現場検証の際の写真の束が余さず詰まった茶封筒を持たされた熊井は、間違っても一般人の目に触れてはいけないそれを睨みながら問うた。
本来それらを必死に紐解いて、或いは屋外や屋内を走り回って正解を導き出し、大それたことをしでかした外法者に手錠をかけるのが二人の仕事である。だが今日に限っては熊井は猪瀬と共に聞き込みの面子を外れて、重量以上の重さのある茶封筒を両手でしっかり持って、職場を同じくする同期にお使いかと揶揄われ乍ら職場を出てきた。
熊井の心中は穏やかではない。お使いではないのだ。識者に意見を聞きに行くのだ。だから白衣とつなぎの集団の中を、よそ者向きの好奇的な視線を一身に受けながら歩いているのだ。
「どんな……そうねぇ……」
今回が初めての潜入となる熊井とは違い、ここで顔を知られているらしい猪瀬は時折親し気に会釈をされてそれに笑顔で返答をしている。狭い廊下で学生を一人避けそこなった猪瀬は、軽く肩を接触させてブラウンの紙袋の音を立てた。
「……人望偏差値二十一、かな」
「は」
高々人間一人を適当に説明するだけで難しそうな顔をして、悩んだうえで、説明というには遠慮のない評価を下す。間抜けな顔で茶封筒から目を離した熊井は、同じ方向へ歩いていた前方の学生が二人噴き出すのを見た。
「振り切れてるじゃないですか、それ。偏差値って二十五まででしょう?」
「平均点次第よ? 小学生のテストで五点を取ったら流石にマイナスとか聞いたわ。私はそういう計算に強くはないけれど」
「……常識人の中のサイコパス?」
「大人の中の子供、ね」
マイナスじゃないんだから、と猪瀬は言った。そういえば二十一だが、熊井はむうと唸って訝る。常識人の大人からしたら、二十一もマイナスも大した差はない。大丈夫なのか、その赤坂という人は、と。
「カリスマ偏差値十九!」
「莫迦、お前っ」
先ほど噴き出してからずっとにやにやが止まらない学生が、半身で熊井たちを振り返って歩きながら挙手をする。一抱えもある重い製図板が大きく振れたが、相方が手を出して接触事故を避けた。セリフは軽率な挙動を窘めているが、青年達は共に笑顔である。また別の学生が笑い声を漏らした。
「……マジですか?」
「マジっす。怒鳴るぅ、喚くぅ、我儘言うぅ、机叩くぅ、」
「機嫌悪くしたら単位くれないし、キレるし、突然講義入れるし、講義消すし、講義場所変えるし、無申請で学校のコンピューター使うし、図書館の本平気で延滞するし、研究室棟のブレーカー落とすし」
「俺さっきの講義中にスマホ没収された」
「それ講義中にガチャ引いてたお前が悪いだろ!」
男子学生がすれ違いざまにスマホを掲げて得意げに報告してくる。その丁度没収されていたスマホを取り返してきたとこらしく、熊井は猪瀬の案内に従って男子学生が曲がってきた廊下を曲がる。製図板の大学生二名とは軽く手を振ってここで別れた。
「顔面偏差値二十」
「え」
この廊下、どこからどこまで声が通りやすいのか、前からすれ違った学生がぼそっと言うのを熊井は聞いた。歩きを止めずに振り返るが、男子学生はさっさと廊下を折れて熊井の視界から外れてしまう。
猪瀬は苦笑だけした。あの学生の言う事は事実だと思っていいのだろう。普段から整った顔の先輩を見慣れている熊井は、コーラだと思ったペットボトルの中身が醤油味だった時の顔をした。
「……迷路みたいですね、ここ。研究室棟ってことは研究室しかないんですよね?」
「四年前にできたばっかりなんです。当時の——今もいるんですが——教授たちが設計に口を出し過ぎて、研究室同士が三次元的にパズルみたいに組み合わさってるんですよ」
「三次元的に」
「三次元的に」
山と積んだ資料を両手に歩いていた学生の説明を熊井が鸚鵡返しにする。学生は噛み締めるようにもう一度返答して、一つの研究室の扉を押し開けて入っていった。ひとまずあの研究室は廊下よりゆうに天井が高い事が解った。
「火事とか起きたら、奥の研究室にいる人とか逃げ遅れませんか」
「外付けのあの階段は増設だそうよ」
「建築科の教授が流石に遊び過ぎたって言ってました」
自覚はあったようだ。女子というだけでこの建物では珍しい白衣の学生は、どうもとにこやかに手を振って熊井の隣に並んだ。猪瀬が手を振り返す。
「他の教授とかは自重したんですけど、赤坂教授の研究室は一番広くて、縦は三階分使ってるんですよ。まあ、赤坂教授が提出した我儘要望を、建築科が挙って実現しきっちゃっただけなんですけど。エントランスに設計図と3Dモデル、飾ってありますよ」
「楽しかったんでしょうか」
「全力で楽しかったんでしょうねぇ。建築科と土木科と素材科と知能機械科が本気出して遊んで理事が許可と金を出すと研究室棟が建つって赤坂教授が言ってました。因みに、設計とかシミュレーションとか実際の工事とかは、各研究室の教授に話を聞けば嬉々として自分の偉業を語ってくれますよ」
「どこからどこまでやってしまったんですか」
「お金は本来のより大幅に削減できたことでしょう」
誇らしげに語る女子学生を曲がり角で見送ると、すぐに廊下が終わってつきあたりに扉があった。これまでの道のりで何度か見たデザインの扉だが、中が見える高い位置の覗き窓は墨か何かで乱暴に塗りつぶされ、扉の外周は塗装が剥げて所々角が取れている。
そこへ二人の大人が到着するより早く、その一つだけ年を取ったような扉が慌ただしく開いて、中からぼさぼさ頭の男子学生が現れた。カバンのベルトを中途半端に握っており、そそくさと立ち去ろうという姿勢に、熊井が首を傾げる。
「あっ。猪瀬さん、お久しぶりです。教授、今お気に入りのコーヒーカップおじゃんにしちゃって機嫌悪いですよ」
「あら、どうしよう。珍しいわね、岡本さんがミスするなんて」
「あ、ちいがいます。教授がやったんです。デスクが資料でいっぱいになっちゃってんのに、メモろうとしたときにスペースがないのに苛々しちゃって……一気に資料押しのけたら、端っこにあったカップが落ちちゃってがっちゃん。因みにあそこにカップ置いたの教授ですからね。俺は落としますよって言いましたから」
「やめときましょう。先輩、僕には荷が重いです。ここまでとは思ってませんでした。帰りましょう。署には優秀で常識のあるまともな人がたくさんいます。出てくる時だって同期に揶揄われたし、事情知ってそうな人たちは反対してたじゃないですか。赤坂って教授に協力を求めようって言ったの先輩と水留さんだけですよ? やめときましょう。そもそも僕は嫌だったん」
扉が向こうから強かに叩かれた。次いで紙らしきものがばさばさと音を立てて落ちるのがわかる。男子学生は扉を振り返った後、ひょいと手を上げて潔く立ち去った。
猪瀬は持参してきた紙袋を何故か背中に隠すように持ち、口を結んだまま首を振り続ける熊井に無言のまま微笑みかける。じりじりと移動していた彼女は、着実に熊井の退路を断って、彼を挟んで扉の向かい側に立った。
さあ。
熊井はほろりと考える。ああ、職場きっての美人、猪瀬奈美佳に同行を頼まれたからって、ほいほいついてくるんじゃなかった。
こわばった面持ちのままぱくぱくと口を開閉する熊井は、猪瀬から目を離せないまま、後ろ手で漸く扉に触れる。先ほどから学生が扉を押し開けていくのを何度か見ていたので仕様はわかっているのだが、熊井が扉に触れてからそれが開くまでは無駄な時間を要した。猪瀬は、怖くないからと熊井に微笑みかけたまま。
こんこんとか弱いノックが成されるが、待ってましたと言わんばかりのタイミングで、資料の塊らしきものがまた投げられる。その間接触していた右手の関節が痛い。熊井は矢鱈とぼろいこの研究室の扉に得心がいった。
あれだけ廊下をせわしなく歩いていた学生はどこへ消えた。移動中よそ者に絡んできた程の活発な工学科系の大学生諸君は、ここまでたどり着いてしまった熊井を置いてどこへ消えた。
開ければいいんでしょうと、熊井はくっと一度目を閉じた。
そろりと扉が開けられる。一時的に小心者に磨きがかかった熊井が少し力を入れただけで軽く開いたので、扉自体が大して重くないか、扉の仕組みがなにやらかんやらなのだろう。ノックはした。ノックはした。
部屋の中の構造は熊井にはよくわからないが、遠近感が利かないほど雑多に置かれた資料の向こうには本棚があるように見える。もう少し扉を押す。
シンプルな作りのテーブルが本棚から間隔を開けて、並列になるように配置されているらしい。それらは夥しい量の資料に四つ足をとられ、断固としてそこから一歩も動けないようにと固定されているようだった。もう少し扉を開けてもいいかもしれない。
そう思う熊井は短慮だった。
安い床に重いものを落としたような音が立て続けに四回。最後の一回が一致する瞬間にテーブルの天板を蹴った細い素足を見て熊井の警戒心は真っ白に戻された。強く引っ張られた猪瀬になされるままにたたらを踏む。中途半端に開いた研究室と外界をつなぐ唯一の扉は、大凡彼のこなせる仕事の範疇外の威力をもってして盛大に閉められた。
僅かな風圧すらある。
明らかに教授とやらに拒絶されている。
しかし扉はすっと開けられてしまう。
凶器を持った殺人犯を目前にした淑女の様な男としての無様を晒す熊井は、先ずいかにも寡黙そうな執事服の長身の二枚目の戸惑い顔と、
——嘘だ。何処が顔面偏差値二十だ。
包帯だらけの腕を組んでしかめっ面で仁王立ちする、同じく顔面包帯だらけのぼさぼさ頭の、
「久しぶりね。お元気ですか、岡本さんに赤坂教授?」
にこやかな猪瀬の挨拶を受けてその不審過ぎる顔を最大限不愉快に歪めた、身長恐らく百四十センチ台の、白いワンピースの裸足の女の子。
女の子は猪瀬をぎりっと睨みあげて、ギリギリ研究室内の木目を右足で荒々しく踏みつけた。
幼い身長の膝裏まであろうかというぼさぼさの長髪がばさりと舞う。
「御蔭様で健勝だ! 御託は結構だ帰れ!」
女の子の仰る通りにしたい熊井だった。
- Re: error ( No.2 )
- 日時: 2017/09/06 16:52
- 名前: 赤熊太 (ID: nA9aoCfQ)
熊井は自分の目を疑った。この子は、いったい、だれだろうか、と。
身の丈百四十センチ台。年齢は二十九歳だと聞いていたが、別に成人していても低身長というのは、ありえないという程の事ではないと熊井は思う。平均身長が低いのは日本人の性であるし、女性ならば尚更である。だが、
しかし、彼女は少女だった。
身長以前に顔立ちが幼かった。彼女がもう頭二つ分くらい背が高くても、そのかんばせに二回り分の時間の堆積を感じることができないままでは、話に聞いていた赤崎女史のお子さんか、と視線を合わせてやりたいくらいだ。大きな瞳が印象的で、骨格も雰囲気も何もかもが、まるで少女だと熊井は思ったのだ。
しかし、彼女は少女ではなかった。
「お前、お前! 猪瀬何某! そこから一歩もこちらへきてくれるなよ! 学内をいくら勝手に徘徊しようとお前の勝手だがな、この木枠から先は私の生活空間だ! 不法侵入罪で訴えてくれる!」
猪瀬を指さし大声で怒鳴り散らす彼女は、台詞さえ聞こえていなければ子供が大人に駄々をこねているように見えていただろう。だがここはお菓子売り場への曲がり角ではないし、相手はスーツ姿で警察手帳を帯びている。熊井は目を丸くしたまま、異常が過ぎて注視していなかった赤坂の外見を改めてみた。
包帯。顔を覆う包帯が左目すら隠して念入りにまかれ、ワンピースからのぞく白い首筋と、ゆったりとした袖から延びる白い腕を隠している。包帯の隙間から、手酷いまま古くなった火傷が僅かに這い出していた。
——顔面偏差値二十。
今回猪瀬、熊井両名が捜査協力を仰ぎたい件の赤坂教授は、二十九歳という若さでこの信州広義工学科大学で電気電子知能機械系を専門とする女性教授だという。
この研究室の小さな城主、女の子——少女——女性、赤坂彩那は、怒鳴るや否やドアノブすら無視して扉の枠をがしっと掴み閉めようと大振りで引き寄せる。それを閉まる側にいた執事服の男、岡本が赤坂のはるか頭上で受け止める。
赤坂は睨んだ。岡本は黙した。猪瀬は微笑んだ。熊井は困った。
「止めるんじゃない、岡本! 閉めろ! 閉めろ!」
「ありがとう岡本さん。赤坂教授、私達今日、捜査協力のお願いがあってきたのよ」
「なぁにがお願いだ裏切者! お前、三か月も報酬を放っておいてよくものこのこと来れたものだな!」
「ちゃんとご所望の品をあげたじゃないの。初夏は油断ならないからちゃんと冷蔵庫に入れなさいって言ったでしょ。いつもはもらってすぐに食べちゃうのに、なんであの時だけ一昼夜放置しちゃったのよ」
「喧しい! 経過は意味を持たないのだ! 私があれにありつけなかったという結果が大事なのだ! だというのにお前はその後与えられたやり直しの機会を丸めてふいにしたまま三か月だ! 帰れ! 私は私の世界に引きこもるのに忙しい!」
猫の様な大きな目を吊り上げて怒鳴りっぱなしの赤坂が発する言葉は、彼女の見目の幼さに似合わない荒い調子で猪瀬を突き放そうとする。尚も持参した紙袋を背中に隠したまま、ともすればかみつきかねない彼女から一定の距離を置いたまま、猪瀬は赤坂の剣幕にひるんだ様子も見せずににこやかに会話を重ねていた。
細い腕は一所懸命に扉を閉めたいようだが、岡本がつっかえ棒になっていてそれはかなわない。熊井が視線を向けると、少し目が合った岡本は、困った顔のまま黙って視線を外した。
「ね、お話聞いて、赤坂教授。埋め合わせはちゃんとするから」
「くどいぞ年増ババア! そんな履行されるかどうかもわからん口約束を『仕方ないな』で飲み込む私だとどうして思う?! 私はっ、お前をっ、許さんか——」
「まあそういわず」
押し問答は永遠に続くと思われた。が、赤坂は目の前にずいっと差し出された平たい箱を目の当たりにして不自然に黙った。
信じられないといったような瞠目を続ける赤坂の目前で、既に封を切られていたそれがもったいぶって開かれる。網目状に仕切られた箱の中に黙して整列するそれは、一貫して三日月型をテーマに形作られたかわいらしいチョコレートだった。
「クレセント。二十八個入り。Sクラスビター。予約不可の限定一日二十箱」
ぱっかりと開かれたかわいらしい口が閉じられないまま、赤坂は震える手をブラウンの箱に伸ばしかける。しかしやがて挙動を止めて少しだけ制止すると、先ほどまで閉めようと奮闘していた扉を逆側に乱暴に開け放って、つっかえ棒を睨みあげて怒鳴った。
「岡本ぉ! ——コーヒー!!」
——執事はそのままずんずんと歩いていこうとする赤坂をひょいと抱き上げ、割れたコーヒーカップを遥か超えて、研究室の椅子の一つに座らせた。
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