複雑・ファジー小説
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- うつくしきものたち
- 日時: 2019/06/20 17:06
- 名前: 葉鹿 澪 (ID: 06in9.NX)
- 参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=11967
わたしには、ひみつの友達がいる。
家の近くにある、小さな図書館。本がたくさん置いている部屋の、ずっと奥のとびら。そのむこうで、いつもその友達はわたしを待っている。
図書館でみんなが読んでいるものよりも、ずっと古い本たちに囲まれたそこで、友達はにっこり笑ってわたしに「おはよう」と言ってくれた。
「おはよう! ねぇねぇ、今日はどんなお話を聞かせてくれるの?」
「そんなに楽しみにしていてくれるなら、私達も嬉しいな。良いよ、今日もいろんな話を聞かせてあげる。……でも、約束は忘れてないよね?」
「うん、守ってるよ。だいじょうぶ!」
わたしと、この友達とのたった一つの約束。それは、ここで聞いたお話を決して外で誰かに話さないこと。この友達のことを、この部屋の外で喋らないこと。
ふしぎな約束だけど、友達のお願いだ。たまにお母さんや学校のみんなに、自慢したくなるけど。
ちょっとお行儀がわるいけど、床に座って友達を見上げる。
友達はないしょばなしをするみたいに、人差し指をくちびるにあてた。
「さあ、今日も語って聞かせましょう。これは、東から旅してきた風が囁く物語。西で揺れる花が見た幻。北に降り積もる雪が包んだ夢。南の鳥たちの噂話」
——世界の秘密を覗きましょう。
>>1 群青/>>2 濡れない水/>>3 足りない人間/>>4 夜喰む化物/>>5 木曜午後三時/>>6 小匙一杯分の悪意/>>7 黒い港/>>8 鳥籠/>>9 造花葬/>>10 春は憎し 桜は愛おし/>>11 胡蝶の夢
- 濡れない水 ( No.2 )
- 日時: 2017/08/31 17:00
- 名前: 葉鹿 澪 (ID: k30LHxXc)
白昼夢を見たことがある。
お盆に田舎で、墓参りに行った時の事だ。一緒に来ていたはずの両親や祖父母は、気が付いた時にはどこにもいなかった。僕一人が自分の苗字が彫られた墓の前で、水と杓子が入った重たい桶を持って立ち竦んでいた。
白いアスファルトも、灰色の墓も、何もかもがやけに白っぽく光っていて目が眩む。持っている桶から、水の匂いが立ち上がった。電車が走る音が、やけに遠くぼんやりと聞こえてきた。
誰か探しに行きたかったけど桶を地面に置くのも躊躇われて、僕はいつも大人達がやっているように墓に水をかけようと、杓子を掴んだ。
なみなみに汲んで、勢い良く墓へと水をぶつける。本来はそんな荒っぽくやるものではなくて、優しく上からかけるものだと知ったのは後になってからだった。
水と石がぶつかって、飛沫が飛び散る。光をその中に閉じ込めた水滴は、そのままアスファルトや僕の服に吸い込まれていくことはなく、小さく透明な石ころになって地面へ散らばった。雨が降るような音がした。
ふと顔を上げると、僕の方を見ている人影が一つあった。揺らめくその影は、僕だった。
同じ視線で僕を見つめる僕は、真っ直ぐこっちを指差して何かを言った後、そのまま僕に背を向けてどこかへと歩いて行った。
確かに僕に向けられたはずの言葉が何も聞こえなくて、追いかけて尋ねようとした時。家族の声が後ろから聞こえてきて、僕の足は止まった。
気付けば僕は一人、お寺に入っている家族を外で待っていたらしい。
見上げれば、墓はひたすら太陽に焼けていた。
蝉の声がやけに煩く感じた。
- 足りない人間 ( No.3 )
- 日時: 2017/09/09 12:13
- 名前: 葉鹿 澪 (ID: k30LHxXc)
次に君に会った時、うまく笑えるかが心配だった。
あの日の夜。雨の中縋ってくる腕を拒んでおいて、その頼りなさに怖くなったのは俺の方だった。
「……ごめん」
何に謝ったのか、今ではもう分からない。思ったよりも強く当たってしまった腕に対してなのか、それとも君が絞り出すように言ったあの言葉への返事のつもりだったのか。
ただ、君がそれに酷く傷付いた顔をしたのに、すぐに唇の端を上げて「こっちこそ、ごめん」と言ったのが何故だか無性に腹が立って、俺はその場から逃げた。
そう、逃げたんだ。君の前から。自分で君を傷付けた、その事実から。
走りながら、傘が邪魔になってどこかへ投げ捨てた。途端に雨粒が顔に当たって、目に沁みた。閉じると、君の下手くそな作り笑いが瞼の裏に貼りついていた。
そのまま自分の部屋まで帰って、何も考えたくなくて無理矢理寝て、起きるとまた朝が来ていた。
君も、昨日の朝と何も変わらずに、玄関の前に立っていた。
俺を見上げて「おはよう」と笑うその顔が、あまりにも完璧で。俺はそれに案の定、笑い返せなかった。一瞬、君の顔にも雨が過った気がした。
それからの日々は、気味が悪いくらいに普段通りだ。あの雨夜だけ、切り取られてゴミ箱に捨てられたみたいに。
もしも君が本当に捨てようとしているなら、そうさせたのは俺なんだろう。いつだって、俺の我儘を聞いてくれた君だから。
でも、それならもう一つくらい我儘を聞いてほしい。
君が捨てた夜を拾って、二人で話をしよう。今度は逃げないから。
- 夜喰む化物 ( No.4 )
- 日時: 2017/10/02 21:39
- 名前: 葉鹿 澪 ◆cZHiRljssY (ID: k30LHxXc)
私が初めて自分というものを認識したのは、薄暗い部屋の中でした。
大きな手が私の頭を撫で、顔をそっと動かして離れていきました。「……完成だ」柔らかなテノールの囁きで、私は声というものを知りました。
正面を向くと、大きな手をそっと戻す大きな人がいました。そうして、その後ろからこちらをじっと見つめる、硝子玉のような二つの瞳も見えました。
硝子玉は私に向かったまま、「パパ、このお人形さん抱っこしてもいい?」その声は、鈴が転がるようなソプラノでした。
「ああ、良いとも。重いから気を付けなさい。お前の妹だよ」
その言葉と共に私の体は二本の長い腕に支えられて宙に浮かび上がり、一瞬の空中遊泳の後、小さく細い腕の中に抱きかかえられました。
さっきよりもずっと近い距離で、小さな二つの硝子玉は私のことを見ていました。私も、自分の硝子の瞳でそれを覗き返していました。
その瞳に映った私が、その子の中へ融けていくような気がしました。
「まいの、妹……。お名前は? なんていうの?」
「そうだね……舞が決めなさい」
「まいが決めていいの? やったあ! それじゃあ、うーん……パパ、この子のかみの色って、なんていうの? きれいな青色」
「それは藍色だよ。斑ができずに染まって良かった」
「藍色? じゃあね、この子の名前は藍!」
藍。私には意味は分からないけれど、良い名前だと思いました。
藍と名付けられてから、私は色々なことを知りました。
あの時私の頭を撫でていたのは、私と舞のお父様であるということ。
この部屋は、お父様が私達を作るための部屋だということ。
壁一面に吊り下げられている胴体や手足。棚の上に並んだ空っぽの頭。瓶の中に入れられた、色とりどりのグラスアイ。それらから私は作られ、そして妹達が作られていくこと。
舞が全て、その小さな手で私の髪を撫でながら教えてくれました。
お父様は、私と舞をいつもドレスで着飾らせてくれました。舞は私とお揃いのドレスに「かわいいねぇ」と喜んでいました。
この部屋はいつだって薄暗く、窓もありません。それでも舞は空っぽの体に囲まれたこの部屋が気に入っているようでした。
私と舞はいつだって一緒でした。
私が目を覚ましてから、随分と日が経った気がしました。
妹達は徐々に増えていきましたが、私はいつも舞やお父様がお手入れをしてくれるので、綺麗なままで座っていました。
舞は大きくなり、ドレスを着ることもなくなりました。その代わり、お父様がドレスを縫う手元をじっと見ることが多くなりました。昔は怖いと言っていたグラスアイを綺麗だと言うようになりました。
お父様は変わらず、妹達を作っていました。出来上がった妹は私と同じように椅子に座らされたり、暫くしたらどこかへ消えてしまったり、また分解されて別の妹になったりしていました。
舞が大きくなるにつれ、舞がいないときにお父様が私に触れることが増えました。髪を撫でる手が頬になり、腕や足へと伸びていきました。
その間、お父様は一言もお話しになりませんでした。
舞はドレスの縫い方を覚え、初めて作ったドレスを私に着せてくれました。
お父様のドレスとは違って舞のドレスは装飾が少なく、舞はそれを気にしているように「藍、次はもっと豪華なやつ着させてあげるからね」と話していました。
それから舞は、自分で人形を作る方法もお父様から教えてもらい始めました。舞が言うには、お父様が作る子達は私達の姉妹だけど舞の作る子は姉妹ではないそうです。
お父様の前で腕の長さを考え、頭の形を決め、胴体の曲線に悩む舞を見るようになりました。舞はとても楽しそうでしたが、お父様のお顔はよく見えませんでした。
けれど舞は、それを組み立てることはしませんでした。
舞は、少しずつ一緒ではなくなっていくようでした。
その頃になると、お父様の手はドレスの中へと潜っていくようになりました。
手だけではなく、唇を使って頬や首、肩へも触れるようになりました。そういう時、お父様は私の名前を呼ぶことはありませんでした。
ある日、お父様は床に布を敷いてその上に私を横たえました。お父様はその上へと覆いかぶさり、ドレスを少しずつ脱がせながら私の冷たい陶器の体へ触れました。
「舞……お前は美しい……」
耳を少し上擦ったテノールが擽っていきました。
お父様が私の背中へと手を回し、すこし体を持ち上げられた時。私はお父様の背中の後ろが見えました。
少しだけ開いた扉の先。あの時のように、私を見つめる瞳がありました。
見開いたその瞳は、硝子玉というにはあまりにくすんでいました。
お父様の腕に抱かれているその間、私はくすんでしまった二つの瞳にずっと見つめられていました。
私はもう、舞の妹ではありませんでした。
それから、舞は一心不乱にお人形を作り始めました。それはきっと、舞の理想の手足を持ち、理想の顔をして、この世で一番美しいと思う色に彩られたお人形でした。グラスアイは深い青色をしていました。
私はお父様に触れられながら、少しずつ出来上がっていくお人形を見つめていました。
ある日、お父様がいないとき。舞はそのお人形にそっとドレスを着せ、真白なウィッグを着けました。
「嗚呼……なんて美しい……」
舞の腕の中に収まったその子に、舞は震える唇で口付けを一つ落としました。頬を伝って零れた雫が、床に消えていきました。
私はそれを、ずっと見ていました。
- 木曜午後三時 ( No.5 )
- 日時: 2018/03/02 17:50
- 名前: 葉鹿 澪 ◆3i2uRLP5kE (ID: TimtCppP)
シーツの上に広がった癖のある黒髪を、綺麗だとは思えなかった。
愛してる。こんな薄っぺらの言葉が、他にこの世にあるだろうか。胸の中でこちらを見上げてくる彼女は、それでも嬉しそうに微笑んだ。
「貴方といる時だけ、本当の姿になれるの」
その言葉を吸い込んでしまおうと、嘘のように真っ赤な唇を塞ぐ。思わず笑いそうになった顔は見られていなければ良い。
他人の唾液は甘くない。ただ、このホテルに備え付けられたシャンプーの匂いは好きだと感じた。清潔感なんて考えてない、安い匂い。
「週に一度会うかどうか、会っても数時間でしょ。随分息苦しい生活だね」
黄色っぽい首筋から、浮き出た鎖骨。更にその下へ下へ唇で擽る。ボディソープの合間から立ち上る微かな匂いは、枯れて乾いた花を思わせる。これを求めているわけじゃないと主張する本能は、ぐっと扁桃体の奥へ押し込んだ。そんなことは分かってる。
「貴方が卒業してしまったらどうしようなんて、たまに考えるの。今みたいに平日の昼間に会うのは、難しくなるでしょう」
「そこまで長く付き合ってたら旦那さんにバレそうだね」
「気付かれたっていいわ」
もう気付かれているのかも。その言葉に今まで平坦だった心拍数が跳ね上がる。冷たくなる背筋と指先に、熱くなる頭と心臓。倒錯した興奮についていけない脳味噌が、快楽に誤認する。
「貴方が愛してくれるなら、もうどうなったっていいの」
可愛い人だ。初めてそう思った。愛情が欲しいあまりに、あまりに高い買い物をしている。理性も何も無い。
そしてそれは、彼女だけじゃない。誰かを愛したいだけで他人のものに手を出してしまった。そしてそれを後悔もしていない。こんなのもう、正気じゃない。
「愛してるよ、世界で一番」
この言葉を渡す相手は、貴方じゃなくても良いけれど。そして貴女も、囁く相手は誰でも良いのだろう。
平らな腰を撫ぜると、甘えるような吐息と共にシーツが波打つ。
腕の中に抱いた枯れた花束は、まだ手放せそうにない。
- 小匙一杯分の悪意 ( No.6 )
- 日時: 2018/03/18 07:53
- 名前: 葉鹿 澪 (ID: xplvrg7n)
ポットに入れる茶葉は小匙一杯分。そこに入れるのは沸騰する直前の熱いお湯。
その小匙の中に込める思いを、お湯と一緒に煮立たせる気持ちを、多分君はずっと知らないままなんだろう。
珈琲と紅茶の匂いが染み付いた、焦げ茶のカウンターに缶を置く。
豆を挽くのも、茶葉が開くためにポットを温めるのも、ここに来てから随分と手慣れたものだ。初めの頃はどうにも覚束なくて、お湯が冷めてしまったりフィルターから溢れてしまったり忙しかった。
アールグレイ、とアルファベットで書いてある缶を、カウンターと掌の間で転がして遊ぶ。窓ガラスの向こうで揺れる薄桃に飾られた枝に、ふと視線を引き寄せられた。
高校生になって、通学路沿いにこの店を見つけて、もう一年。この一年で変わったことといえば、おやつの時間に強くなったことくらいじゃないだろうか。接客業でこの無愛想な性格をどうにかしようと思ったのに、それはあまり進展が見られない。何人かの常連客が顔を出すだけで、店の中にはいつも緩やかな時間が流れていた。三分を知らせる砂時計と、壁にかかった振り子時計、そしてカレンダーの進みがバラバラだ。
缶を立たせて、ふとその振り子時計を見上げる。棚に戻そうと持ち上げた缶は、またカウンターの上へと置き直した。どうせそろそろ、また開く時間だ。
カラン、と乾いた鈴の音が響いて壁にぶつかる。開いたドアとそこから入ってきた茶色い頭に「やっぱり」と声を出した。
「んだよ、やっぱりって」
「そろそろ来る時間だと思った。なに、その頭。染めたの? 剥かれた甘栗みたいな色してる癖にワックスでトゲトゲさせちゃってさあ」
「お前には別に関係ねぇだろ。つーか俺は客だぞ。へったくそな紅茶飲みに来てやったんだから接客しろよ」
「はいはい。ご注文はー?」
訊きながら、メニューは渡さない。だってその後に続く言葉を私は覚えてる。
「アールグレイ。アイス。ストレート」
ポットの中にお湯を注ぎながら、ぶっきらぼうな声を聞く。一週間に一度必ず唱えられる、世界で一番簡単な呪文だ。
一度ポットのお湯を捨て、網を嵌める。その中に、ティースプーン一杯の茶葉を入れて再びお湯を入れる。三分の砂時計をひっくり返し、大きめのグラスを棚の中からカウンターの上へ。
「……本当、飽きずに飲みに来るよね」
「ここの紅茶はそこら辺のクソみたいな味の色水よりはマシだからな」
「そういうところ本当お坊ちゃん。高校も変に近場で探さずに、良いとこ通えば良かったのに。高校デビュー失敗してるし」
「失敗してねぇし! お前こそ、バイトなんざするくらいなら身の丈に合ったところにしとけば良かっただろ」
「社会学習ですー」
口から言葉を放れば、小気味良く打ち返される。キャッチボールという比喩をよく聞くけど、私とこいつの会話はラリーみたいだ。相手の言葉をちゃんと掴む前に、腕に染み付いたテンポがラケットを振ってる。
グラスの中に氷を入れると、とうとう茶葉が蒸れるのを待つだけになってしまう。何となく顔が見れなくて、落ちていく砂を眺めていた。
小さな砂山が完成したら、ポットからグラスの氷に中身を注ぐ。氷に罅が入る音と共に、微かなベルガモットが鼻をくすぐった。
ストローを差して、コースターの上に置く。
「はい、どうぞ」
「……どうも」
わざわざ呟かれる礼にそういうところが、と出かけた言葉を飲み込んだ。その代わりに、別の言葉を頭の中から探し出す。
「……やっぱり、その頭似合わないよ。七年前が一番良かった」
「七年前って……子供じゃん……」
返ってきたボールの勢いが思っていたよりも弱くて、思わず振ったラケットは空振りをした。
子供だよ。子供だった。だって、その頃が一番真っ直ぐ見れたから。
コロン、と涼しい音を立てて氷の塔がグラスの中で崩れる。
「……ごちそうさま」
「三百五十円です」
言い終わる前に、カウンターに小銭が置かれる。几帳面に広げられた、銀色四枚。
黙って出て行く背中を見送る。並んでいた時よりも、気付けば広く大きくなっていた。さっきと同じはずの鈴の音が、床に落ちていく。
小匙一杯分に乗せた悪意。お湯で開かせたそれでしか、もうボールは投げられない。
いつかこの缶の最後の一杯が来たら、その時は悪意じゃなくてもっと別の物を掬ってポットへ入れよう。
一年前と同じ決意をしながら、私は茶葉を棚へ戻した。