複雑・ファジー小説

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戦争についての下らぬ考察文
日時: 2017/11/18 10:09
名前: pp931 (ID: u/mfVk0T)

 ニッポンと言う国の近現代史を二分するとき、たいていの人は、第二次世界大戦前/第二次世界大戦後と言う分け方をするのではないか。そして、日本現代史と言えば、たいていが、一九四五年の敗戦以降のことを指す。それは、近世と近代の間に、時代の変化を象徴すること(大政奉還、新政府の誕生)があったのと同様に、近代、現代の間に挟まった、終戦(敗戦、天皇人間宣言、GHQによる占領政策の開始)と言う物が、一つの時代の象徴として扱われているということである。最も身近な歴史の大転換期。

 けれども、僕らにとって、第二次世界大戦は、近くて遠い。

 戦争を知らない子供達と言う歌がある。歌が発表されたのは、一九七〇年。丁度ベトナム戦争の雲ゆきが怪しくなってきたころである。この曲は歌詞中で、「僕たちの名前を憶えて欲しい、戦争を知らない子供達さ、」とうたい、戦争とかかわりのない世代として、自分たちを「覚えて」ほしいといっている。つまり、自分たちを一種異端なものだと認めて歌っているのだ(これは、人口的にもそうであり、この時代、いくらベビーブームがあったからと言って、0—24歳の人口が、25歳以上の総人口より多いということはない)。だから、この曲は、戦争のしがらみから離れようとして歌われた歌でありながら、いや、戦争から離れようとしたからこそ、戦争の影響を伝えてくる。
 
 今、我々(なんでもいいが、各々のコミュニティと言うことだ)の中で、73歳以上の人間が、何人いるのだろうか(読者の中に73歳以上の方がおられましたら申し訳ございません)。戦争を、わずかでも、「直接的に」体験した人間が何人いるのだろうか。1970年から2017年。たかが47年。短い人間の半生に満たぬ時間。けれども、戦争は風化してしまった。いや、1970年の時点で、すでに風化していたのかもしれない。しかし、戦争と平和に対する意識として、1950—70年代に、若者が団結して、デモをし、しまいには殺人まで引き起こしたのと比べれば、我々は、随分とのんきではないか(なお、ここで言っているのは安保—赤軍のことだがこれらの現象は、第二次世界大戦と関係なく、近代国家の過渡期として起こった出来事であるというとらえ方もある)。今も世界では、北朝鮮が核発射の釦を押そうとしているのに。日本の現政府は、核兵器禁止条約についぞ判を押さなかったというのに、過激な行動に出る団体もない(日本赤軍みたいなものを支持するわけでは無い)。もちろん、学校では、道徳教育の一環として、戦争に触れることはある。そういう意味で、日本の学生にとって、戦争は近いはずだ。けれども、平和の大切さ、戦争の悲惨さ、なんて物を実感を持って語ってくれる人は随分と減った。実感として、「今」を生きる若者にとっては、戦争は、昔どこぞの老人が体験した悲惨な出来事でしかないのである。
 そして、こんなことをエラそうに語っている僕自身、戦後半世紀以上たった、二一世紀の住人なのだ。この文章は、恰好を付けた思春期の餓鬼が、書いた稚拙な文章である。
ひょっとしたら、こんな餓鬼が、遊び半分で戦争を書く時代になったこと自体、戦争の風化を示しているも知れない。

 今、我々は、戦争と言う物を他人事としてとらえている。僕は、これを、酷く怖いことだと思っている。戦争は、忘れ去られるべきではないと思う。けれども、これを書いている僕こそ、戦争に対する嫌悪感を、危機感を失っているのに気が付くのである。



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