複雑・ファジー小説

■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
 入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)

もうきっと、世界の誰もが夢中だ
日時: 2018/02/18 02:05
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: rBo/LDwv)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=18913

 しあわせは星を崩し、夜明け前きみは、ほほえんで誰かのすてきな偶像に変わる。



女性アイドルものです。どうかよろしくお願いします。
前作「失墜」URL先にて 
原題 エデン 1/6 改題


0 プロローグ >>1

Ⅰ 天瀬乙葉は死ぬことにした

 1 TOKYO BLACK HOLE >>2-6
 2 透明な日 >>7


Ⅱ 彼女の持つ少女性について、またそれを失う時について

Ⅲ いつか夢見た日の昨日

Ⅳ 地球最後のふたり

Re: エデン ( No.1 )
日時: 2018/01/05 22:55
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: Uj9lR0Ik)



 Mysherryという五人組のアイドルがいる。
 201X年、彼女達は彗星のごとく現れ、ほぼセルフプロデュースながらアンダーグラウンドを制圧し、地上波へと乗り出していった。その活躍はめざましく、TVを見れば可憐な女の子たちが笑顔を振りまいているアイドル戦国時代に、彼女達は頂点に立った。今や、Mysherryの名を知らぬ若者はいないだろう、と言ってもいいほどである。男性向けに商売を展開しているものの、メンバーのルックスや楽曲の共感性から、女性ファンも多く付いている。
 私もそのうちの一人だ。Mysherryが地下で活動していた頃から、追いかけ続けてきた。Mysherryは五人とも魅力的で、私はいわゆる「箱推し」というものをしている。グループのリーダーで、ひたむきな頑張り屋の園宮アリサ、頭の回転が早くメンバー思いの天瀬乙葉、ルックスの良さで多少のわがままも武器にしてしまう星野純華、おっとりした上品な雰囲気を持つ守谷静穂、天真爛漫なムードメーカーの柳ひなせ、この五人全員が、お互いに尊敬しあって、ここまで歩んできたのがMysherryであり、そう考えると、私は一人に絞って応援することはできなかった。地下で見ていた頃からずっと五人は心から信頼しあっていたし、それはメジャーデビューしてからも絶対に変わらない。

 その日私は仕事帰りに友達と会う約束をしていた。学生時代の友人で、もともと口数が少なく引っ込み思案な私に懲りずに付き合ってくれた恩人である。約束の時間まではまだ少しあったので、駅の改札を出て、近くのタワーレコードに寄った。目が痛くなりそうな黄色い看板の奥で、流行りの音楽が大々的に宣伝されていた。
 その少し横に、MysherryのCDもあった。やっぱり今回も、センターは星野純華だ。ジャケットの真ん中で優しく微笑む彼女は、悔しいほど正統派の美少女で、アイドルというものの模範のようであった。飾られたポップには、「紅白出場濃厚! 新鋭アイドル」と書いてある。
足を止めて、流れる音楽に耳を傾けながら、私はそれを見ていた。
 地下の安い劇場で、初めてMysherryを見た時、客は五人程度しかいなかったのに、よくここまで成長したな、と思う。それは嬉しいのか悲しいのか、今の私にはわからない。応援していた大好きな女の子たちが、華やかなステージへと上り詰めていくことは素直に喜ばしいことだし、もしもまったく売れなかったとしたら、今頃Mysherryは解散していたかもしれない。
 だけど、なんとなく、「もう絶対に手の届くことのない女の子たち」になってしまったMysherryが、なんだか悔しいと思う。こんなんじゃファンとしてダメだな、と無理やり思い直す。そして歩き出す。コンサートだってあるし、TVでいつでも見れるんだから、Mysherryが遠くなった訳では無い。私は、ファンたちは、彼女達が笑顔で活動できていれば、それで幸せなのだ。

 店を出て、そろそろ時間だろうか、友人を待たせてはいないだろうかと、鞄からスマホを取り出してホーム画面を開いた。友人から通知はきていなかったが、何やら適当に入れていたニュースアプリが、緊急速報を出している。地震でもあっただろうかとタップし、トピックを開く。
そこには、「人気アイドルMysherryのリーダー、自宅マンションで首吊り 自殺の可能性」と書いてあった。

Re: エデン ( No.2 )
日時: 2018/01/05 23:06
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: Uj9lR0Ik)

1 TOKYO BLACK HOLE

 朝から釈然としない天気が続いていたが、とうとう雨が降り出したようだ。外から聞こえるぱらぱら、という音で、私は我に返る。まとわりつくような線香の匂いが、悪夢みたいな現実を嫌というほど突きつけてくるようで、黒い縁取り写真の中で笑っている彼女から目をそらした。
 仕事仲間が自殺した。仕事仲間と言うととても他人のようだけれど、いちおう、同じアイドルグループのメンバーとして活動してきた間柄だった。彼女、園宮アリサはグループでも中心的な人物で、仲間内でも外でも明るく社交的な性格であったので、いきなり命を絶ってしまったことについて、私も他のメンバーも、おそらくはこの会場にいる彼女を知るすべての人間が、知らせを聞いて悲しみより先に疑問がこみ上げてきたことだろうと思う。もっとも、直後見つかったアリサの遺書に全ての事情が記してあり、生まれた疑問はすぐに怒りや救ってやれなかった虚無感に変わったのだけれども、そこに書いてあった出来事は同じ仕事に従じていた私ですら知らなかったことが多く、またマスコミにも大きく報道され、たやすく言及することは、今の段階ではできずにいる。まあ、簡単に言ってしまえばアリサは枕営業をして仕事を得ていて、最初は沢山メディアに出れることを喜んでいたが、いつしか夢見ていたアイドルと自分にはっきりとした断絶を感じるようになり、挫折し、死んでしまったわけだった。
 遺書を見たとき、妙に納得してしまった。最近やたらと仕事が流れ込んでくると思ったらこれだ。残されたほかの三人のメンバーも、なにかを察していたような顔でうつむいていた。
 アイドルなんて命を投げ捨ててまでやるものではないだろう、死んだら元も子もないだろう、と直後は思っていたが、アリサにとってこの仕事が生き甲斐であることは、一緒に活動をしてきた私もわかっていた。そして、彼女のような一流のアイドルは、自分自身に価値を見出せなくなった瞬間に、終わる。比喩ではなく、自分の魅力もわからないやつが客に己を売りこめるわけがないのだ。今となっては遅いが、せめてメンバーに相談してくれればなんとかなったかもしれないとも思う。しかし私たちのグループは間違っても仲が良いとは言えなかったし、プライベートで連絡を取り合うということもほとんどなかったので、こんな事実を招いたのも仕方がなかったのだろう。遺族には冷たい目で見られ、私たちは一年半も共に苦楽を共にしたメンバーだというのに、会場の隅に座らせられてしまい、今も居場所のなさをひしひしと感じている。なんでメンバーのお前たちが助けてやらなかったんだとでも言いたげに、アリサの親族や友達が通りすがりにこっちを見てくる。知らなかったからどうしようもなかったです、私たちはテレビや週刊誌で報道されている通りの汚いアイドルグループで、それに加えて不仲なんです、と言ってしまえば、どうなるんだろう。遺影の前で泣き崩れる、アリサが通っていた高校の制服を着た女子を見て、さすがにそんな馬鹿げたことを言う気にはなかったけれど、線香の香りで思考がふらふらしてきた。変なことを言いださないように、唇を結んで悲しい顔を作った。そんな演技をする自分が嫌だった。享年十七歳、アイドルであり、一人の女の子である彼女は、その生涯を自分で終わらせてしまった。

 「これから私たち、どうなるんだろうね」

 タクシーに乗り込み、会場を出てしばらく住宅街を走っていた。澱んだ不透明の空から降る雨が窓を叩く。鞄ひとつ挟んで隣に座っている、喪服姿の星野純華が、何気なくその言葉を放った。それは本当に昨日見たテレビの話でも切り出すような口ぶりで、私は、まったくこいつは、少しは悲しいふりをしろよ等と思うのだが、大して仲良くもない、同じステージで歌って踊っていただけの人間がいなくなったところで、星野はあまり気にしていないようだった。私もうまく悲しみに浸れずにいた。先週まで共に打ち合わせをしたりレッスンを受けたりした人間が、急にもういませんよ、と言われても現実味が無いし、しかもそのきっかけを、同じ分仕事をこなしていた私たちですら知らなかったのだ。ちょうど最近、アリサのおかげか私たちはメディア露出が増え、歌番組やバラエティ番組に出始めた頃だったため、売り出し中のアイドルが枕営業を苦に自殺という情報にマスコミは水を得た魚のように食いついてきた。この会場を出るときにも何台ものカメラに囲まれた。枕営業があったのは本当でしょうかと群がる人間たちをかわして、やっとタクシーに乗りこんだ時には、私たちは肉体的にも精神的にも疲れ果てていた。
 これからどうなるんだろうねと、星野の言葉を頭の中で反芻して考えてみる。詳しくは今後話し合うのだろうけれど、もう答えは出ているようなものだ。どうあがいたところで、私たち、Mysherryは解散だ。上の人間に体を差し出して仕事を得ていた上に、死人が出たアイドルグループが、これから活動ができるわけがない。
 思い返せば、初期のころはアリサやマネージャーに唆されて、五人でご飯を食べに行ったりカラオケをしたりしてお互いに歩み寄ろうとしていたが、一年半経った今となっては、メンバーの自殺を止められなかったほどに私たちの結束力は低かった。人前に出たりSNSを発信したりするときこそ仲良さげに振舞うものの、ひとたび楽屋に戻れば会話はないし、所詮私たちは仕事仲間なのだから、仲良くする必要性を感じないとすら思っていた。もともと人と話すのが得意で友達も沢山いたアリサだけは最後まで私たちを仲良くさせようと奮闘していたが、今となっては後の祭りである。
 しかし、アイドルを精一杯やりたいという気持ちは全員に共通していた。互いに関心がないようなグループにもかかわらず、アリサが死んでしまうまでは特に大きな事件もなくやってこれたのはたぶん、そのおかげだ。私だって私なりに頑張ってやってきたし、こんなところで終わるのは嫌だ。これから沢山、ステージに立っていくつもりだったのに、こんな終わりなんて締まらない。隣の星野が何を思っているかは、わからないけれど、少なくとも私はここでおしまいにしたくはなかった。今となってはもう居ないアリサのためにできることがまだある気がした。仲の良い友達としてではなく、仕事仲間と言う意味での話だけれど、自分が成し遂げるはずであった仕事をせめて全うしてやるのが、Mysherryのメンバーとしての償いなのかもしれないと、ここ三日ほど考えて思った。

 「解散、なんだろうけどさあー、あっけないよね、もう歌番組とか出れないんだろうねー」

 間延びした声で星野は言う。私は変わらず、窓の向こうを見つめている。
 星野純華はもともと、アイドル活動に対して真摯ではなかった。私たちが拠点とする恵比寿の劇場の支配人の姪で、その整ったルックスを見かねてもともと四人だったMysherryのメンバーとして加入させたのだ。一応、オーディションを勝ち抜いて、歌やダンスのレッスンに取り組んでいた私たちは、初めて新メンバーとして紹介された星野純華の外見の整いように、軽い絶望感さえ覚えた。けれどこの星野という女は歌も歌えなければダンスもできず、さらには毎日打ち合わせやレッスンに三時間以上の遅刻をしてくるというダメっぷりを発揮してきたので、私たちはいつしか星野がとても形の綺麗な女の子ということも忘れていたし、良くも悪くも一メンバーとして扱うようになった。
 当初はアイドルというそのものを「馬鹿な大人から金を搾取するくだらない商売」と切り捨てた星野が、今やこんな惜しむようなことを言うのだから、私たちの一年半は、少なくとも無駄ではなかった。それなのに、これからの未来を、当事者の私たちが知らないところでぱったりと絶たれてしまった。タクシーから流れる景色を見ていた。雨に濡れる窓越しに反射して写る星野は、ただ無表情だった。
 

Re: エデン ( No.3 )
日時: 2018/01/05 23:12
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: Uj9lR0Ik)

 タクシーは右折し、入り組んだ路地を淡々と進んでいく。
 いつも私たちは移動中は音楽を聴いたりスマホを見たりしながら過ごしているが、今日だけは私も星野も、何もせず窓の向こうを眺めていた。私と星野以外のメンバー、静穂とひなせを乗せたタクシーでも、きっと同じ空気が漂っているのだろう。
 悪い夢なら覚めてくれと思っている。残された、Mysherryに命を懸けていた四人はどうなるんだ。身勝手すぎないかと、自棄になりそうになっている。何度も言う通り私たちはメンバー間で友情を共有することはなかったが、それでもいきなり訪れた、身近な人間の死だ。
 とつぜん、星野は私にこう切り出した。

 「天瀬はこのまま解散でいいと思う?」
 「あたしに決められることじゃあないでしょ」
 「私は絶対嫌。こんなダサい終わり方、絶対したくない……」

 雨はとうとう土砂降りになり、星野の声は微かにしか聞こえない。叩きつけられた雨粒でどろどろになった窓に反射して写る、薄い唇を思い切り噛んで悔しそうにしているその姿に驚く。
 感情をむき出しにした表情をする女の子は素敵だと思う。素直に笑ったり泣いたりする少女たちを、私は沢山見てきた。私も同業者の少女たちもみな、完璧な女の子になる、もしくはそれを演じることが仕事であり宿命。前髪をミリ単位で整えたり、まつげを上げたり、ピンクのグロスを塗ったり、少し高いヒールを履いたりして、私たちは理想の少女になってステージに上がるけれど、その袖でスポットライトを浴びることができず、泣いている女子も数えきれないほど見てきた。
 星野は本当に綺麗だ。何をしても様になる。いつもは緩く巻いている長い黒髪も今日は伸ばしっぱなしで、化粧もしていなくて、その簡素さが彼女が今は表舞台に立つアイドルではないことを証明しているのだけれど、それでも見とれてしまうほど綺麗だった。
 私はやっぱりアイドルが好きだ。辞めたくない。星野やほかのメンバーの終わりも見たくはない。ただ、それを口にすることはできなかった。私たち二人がアイドルを続けたいと泣きついたところで、判断を下すのは上の人間だし、そいつらが出した結論はもう決まっているようなものだ。年齢的な意味では私は星野の先輩にあたる。星野は確か十六歳だから三つも年上だ。だから、私が大人になるしかない。
 諦めたくないと喚く子供に、諦めなければいけないと告げるのは辛い。こっちだってこうなりたくてこうなったんじゃないし、アイドル活動に対して不真面目であった星野がこんなことを言ってくれるのは、単純にうれしいことだ。どんな言葉を発するか迷った末、タイミングを完全に逃し、私はとうとうなんにも言えなかった。つくづく、弱い人間だなぁと思う。タクシーは恵比寿の事務所に到着し、刺すような雨が降る中、私は憂鬱な気持ちで傘を手にした。

 お疲れさまと挨拶をして、喪服姿のマネージャーとメンバーと別れた。疲れ果てて、事務所の階段を上ることもできなかったので、タクシーを降りてすぐ解散した。星野はさっきまでとは打って変わって完全な無表情で、静穂とひなせは泣いていたのか、目が腫れていた。私がどんな顔をしていたかはわからない。マネージャーは明らかに私たちにかける言葉に迷っており、ざあざあと雨の降る音だけが耳に残っている。
 静穂とひなせは家の人が車で迎えに来ており、すぐに帰ることができたみたいで、星野も早々に別のタクシーを呼び駅のほうへ向かってしまったから、私はひとり取り残された。Mysherryの人間は良くも悪くも好き勝手に生きているため、私がひとりでいても、マネージャーは気にも留めなかったし、忙しそうに電話をかけたり折り返したりしているのを見る限り、私にかまっている暇などないようであった。
 しばらく私はその場にいたが、雨が止むまでは近くのカフェにいることにした。Mysherryが変に有名になってしまったさなか、喪服姿の天瀬乙葉を目撃されようものならマスコミが飛びついてきそうなものだが、たいていそういうものは星野へ行く。私は少し変装していればまったく気づかれないほどオーラもないし、顔を覚えられてもいない。選んだ場所は、雨をしのぐ人たちで込み合っている大衆チェーン店。どうせ私だなんてばれやしないだろう、という気持ちで、私のためにわざわざ開いてくれる自動ドアを通り抜けた。

Re: もうきっと、世界の誰もが夢中だ ( No.4 )
日時: 2018/01/15 18:44
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: uDks5pC4)

 ホットコーヒーだけを注文し、それなりに混んでいる店の一角に座っている。すぐそこに事務所があるというのに、誰も私には気づかない。グループ一番人気である星野純華との格の違いを感じながら、私は、幸か不幸か、ここで一利用客として溶け込むことが出来ていた。
 ベージュ色のジャケットのボタンを閉めてしまえば喪服を着ていることなどわからず、周りが気づく気配は今のところまったくない。ハエのように集ってくるマスコミを恐れ、なんとか帰宅手段を得た他のメンバーとは違って、天瀬乙葉は、恵比寿の駅前にある大衆チェーン店でコーヒーを飲んでいても、バレない。悲しきかな、私はグループ内で一番地味なんだ。アリサみたいに歌が上手いでもないし、ひなせみたいに難しいダンスができるわけでもないし、頭の良い静穂みたいにクイズ番組に呼ばれることもないし、星野のような整ったルックスは持っていない。私はいつでもなんでも五人中三番目。器用貧乏と言えばまだマシで、はっきり言って私は、何も魅力のないつまらない人間だ。そのつまらない人間をここまで引っ張りあげてくれたメンバーやスタッフには感謝しなければならないのだが、それも今となっては本末転倒だろう。
 外はまだ雨が降り続けている。
 コーヒーには砂糖とミルクを入れないと飲めない。まだ大人にはなりたくないからだ。テーブルの上に転がっている容器たちを冷めた目で見下ろして、なんだか、今の私たちみたいだと思う。甘い部分だけ搾り取るだけ取って、役目を終えてゴミになる。バカみたいだな、何やってたんだろうな、私たちは。やるせない。やってられない。気づかないうちに私は泣いていたらしく、ぽたぽたと雫が落ちていく。いや、私が泣いてどうすんだ、本当に泣きたいのはアリサとその身内だろうに。なんの相談もしてくれなかったということは、アリサは、私たちのことなんか、諦めていたのだろうな。もう少しお互いに歩み寄るべきだったな。「もしあの時ああしていたら」を考えると、きりがなくて、こんなに泣いたら周りに怪しまれるのに、視界はずっと歪みっぱなしだ。友達ではないから、と突き放してきたメンバーを、せめて仕事仲間としてもっと思いやるべきだった。私はなんにもできないのだから、せめて、グループがもっと活動しやすいように仲を取り持ったり、するべきだったのだ。もう遅いか、もう駄目なのか。涙は止まらず、未だ俯いたまま、テーブルに落ちる水滴を見ていた。直後、上から声が降ってきた。

 「天瀬乙葉さんですか?」

 やばい、見つかった。
 何とかして、逃げないといけない。ていうかまず、この泣いてボロボロになった顔をなんとかしないといけない。慌てて鞄からティッシュを取り出す間際、テーブルの横に立っていた声の主と目が合った。

 「あっ、桐山さん……」

 席を立とうとした手を止める。何度か現場で会った事のある人だった。大きな帽子を被って、全身を黒に包んだ彼は、明らかに変装をしている芸能人って感じで、周りの人間とは、纏っているオーラさえ違うように感じた。なんで彼がこんなところに、とは今更言えないだろう、天瀬乙葉だってここに居るのだから。
 桐山さんは、今流行っているtoxicというロックバンドの、確かベースを弾いている人だ。基本的に情報が回るのが遅い私でさえも名前を知っているし、星野純華も好んで彼らの音楽を聴いている。toxicのラジオにMysherryが呼ばれた時、星野は今までで一番というほど喜んでいた。なんでもメンバーが全員私たちとあまり歳が変わらないほど若くてかっこいいらしくて、また星野は異性関連のスキャンダルを起こす気かと思ったものだ。桐山さんは、特にビジュアル面での人気が高くて、高身長に、黒髪に、憂いを帯びたような、とても整った顔立ちと、まあ最近の若者がこぞって好みそうなルックスを持つ人で、星野も桐山さんと一緒に仕事が出来ることを何よりも喜んでいた。
 これだけ見た目にも恵まれていてバンドも軌道に乗ってきているのに、天瀬乙葉を覚えていてくれるなんて、いい人なんだな。
 この場から逃げなくてよくなったのは幸いだけれど、私はまったくいい人ではないので、いい人という生き物は苦手である。作り笑いを浮かべて、お疲れ様です、と言った。さっきまで泣いていたから、たぶん私は今相当ひどい顔をしているのだけれど、桐山さんは柔らかく笑って、お疲れ様、と返してくれた。やっぱりすごくいい人だ。

 「大変だったね、Mysherry」
 「たぶん、辛いのはこれからですよ。
どうなるのか、まだ全然わからないけど……」

 だめだ、全然笑えない。事務会話くらい、できるようになるべきなのに、次何を言っていいのか分からないし、なんだか頭が回らなくて、ふらふらする。言葉を探そうとして考え込んでしまう私に、桐山さんは優しく笑いかける。

 「まあ、天瀬さんたちは、今はゆっくり休んだ方が良いよ」

 私は、アイドル辞めたくない。そう言おうとしたけれど、言えなかった。素っ頓狂なことを言うんだな、と思われたくないからだ。死人まで出しておいて、まだ活動を続けたいなどと思っていいはずがない。桐山さんの言うとおり、私たちは今、休むべきなのだ。
 だけれども、休んでいる間にも、私達は年を重ねていく。だんだん、少女ではなくなっていく。アイドルでいれる期間なんてほんの刹那だ、一秒も無駄にしたくはない。まだ表彰台に立ちたい。ステージいっぱいの光を浴びて、誰かの完璧な偶像でいたい。

 「もう遅いよなぁ……」

 なんだかとても、具合が悪い。私は疲れていたのだろうか。疲れているんだろうな。ここ三日くらい、アリサが首を吊って、マスコミが押しかけてきて、大変だったから。桐山さんの声が、遠くで聞こえる。大丈夫かと、私に問うている。ほっといてくれ、もう遅いんだから。
 ふわふわと視界が曇っていき、そして真っ白になる。最後に掠めたのは飲みかけのコーヒーの香りと、周りの喧騒の声で、そしてそのまま、私は意識を手放してしまった。


Page:1 2



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


作家プロフィールURL (登録はこちら


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大 7000 文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。