複雑・ファジー小説
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- 君が焼け朽ちるその前に。
- 日時: 2018/02/06 01:04
- 名前: 彼岸花 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
月並みな言葉だが、まるでその顔は眠っているようだった。いつも気丈に振る舞っていた彼女が、穏やかな表情で目を閉じ、ピクリともしないその様子に、僕は違和感を覚える。死人に対して抱く感慨としては不相応かもしれないが、目の前で黙する彼女に対する僕の第一印象は、冴山 涼子(さえやま りょうこ)を精巧に模したマネキンのようだな、であった。
彼女はもっとやかましい。やかましいと言うと語弊が生じるかなと、どことなく周囲と乖離した調子で僕の頭は回転する。音量が大きいとか、口数が多いとかそういうのでなく、その人が突かれたくない弱味や正論をぴたりと言うような、口やかましい人物。何にせよ、多くの人にじろじろ見つめられながら、ずっと黙っているような者ではない。
ということは、やはり死んだのかとようやく僕は彼女の、涼子の死を実感した。旧知の友であり、好敵手であり、共に切磋琢磨してきたはずの女性。絵画と写真、歩む道は違えども確かに僕らは立派なライバルだった。そして彼女はつい先日出会った時も元気そうにしていた。そのため、信じられなかったのだ、今朝届いた彼女の訃報も。
そして続いた言葉は、より一層に信じられなかった。彼女の死因は、劇物でもある睡眠薬の過剰摂取。そして、自殺だった。
「自殺なんて、逃げに過ぎないわ」
自殺者が近年増えているとテレビ番組で取り上げられた時、一緒に見ていた彼女は確かにそう言った。闘いから逃げて楽な方へと向かいたいだけ。彼女の言い分はそうだった。僕としては死というものは絶対的な恐怖に包まれていると信じて疑っていなかったから、死ぬ方が勇気ある行動だと反論しようとしたが、僕では彼女に口では叶わないため、諦めた。
そんな彼女が自殺するなんて、どうしても理由がつかない。僕はただ、それだけが納得できない。そう、思っていた。
お通夜は明晩、葬式は明後日。とりあえず一目だけ、静かなうちに出会えてよかったかと今一実感できない彼女の死に対して感傷に浸ろうとする。胸のうちで言い聞かせるように呟いたありきたりな言葉は、一切僕の胸には響かない。ただ、信じがたい彼女の死をきちんと事実だと受け止めただけだ。
涼子の両親は、兄弟は、皆涙していた。本当の意味で彼女の死を受け入れたのだろう。僕と彼らとの間にある、その熱量の差こそが僕を今現実から乖離させ、一人違和感の檻の中に閉じ込めている。
一度家に帰ろうと立ち上がったその時、彼女の妹に僕は呼び止められた。何でも、話したいことがある、だとか。
妹さんの話を聞いたその後に、僕は決めた。彼女の死の真相を突き止めて見せると。そして、どこの誰ともわからない「彼」に贖罪させてみせると。
タイムリミットは明後日の三時、それまでに真実を解き明かす。
君が焼け朽ちるその前に。
◆1日目
>>1
- Re: 君が焼け朽ちるその前に。 ( No.1 )
- 日時: 2018/02/06 01:09
- 名前: 彼岸花 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
だしと味噌の混ざった香気が湯気に乗ってゆるりと流れてきた。少しずつ夕食の献立が並んでいくダイニングの前に座りつつ、作業の手を止めて僕は母親が作業するキッチンの方に目を遣やった。我が家の味噌汁は確かにこんな匂いだったなと、今独り暮らししている下宿先の近所にある定食屋の味噌汁と比べてみる。多分に、だしは向こうのほうが丁寧で、味噌は実家の方がいいものを使っているはずだ。
思えば、毎晩啜っていたに関わらず、これはずっと好物だったなと思い返す。美大に入って後、ほとんど実家に帰らずに自らの腕を磨き続けた。高校を出てから、何度実家に帰省しただろうか。きっと、両手の指さえあれば数えるのに事足りるだろう。
つくづく自分は親不孝者だなと思うが、幸いに両親はあまり僕にとやかく言ってくるようなタイプではなかった。放任主義という訳でもなく、定期的に電話をかけたり仕送りを送ってはくれたが、そっと見守るように自由に絵の勉強をさせてくれた。その事に僕は、感謝と敬意を表するほかない。
友人の訃報で帰ってきているため、あまり本人は顔に出してはいないが、どことなくうれしそうであった。母は嬉しいとき、下唇を舐める癖がある。小さな荷物に着替えだけ詰めて実家に帰ってきた僕の顔を見るやその仕草を現した母だったが、事情が事情ゆえにあからさまに嬉しそうな態度をとることはなかった。
むしろ、友人の死に淡白な反応しか示していない僕のことを気にかけているように思える。ただ僕自身、彼女の死に何の感慨も抱いていないことは不思議だった。きっとそう、彼女の死体を目にした時に抱いた感慨と同じようなことを無意識のうちに考えているのだろう。あの涼子の死というのは、それほどまでに僕にとって、現実味のないおとぎ話のような出来事なのだ。
ドッキリなんじゃないか、眠っているだけなんじゃないか。そう思って触れた彼女の頬は、腐敗防止のための氷のせいで、驚くほど冷たかった。それが肉の塊だと認めなくてはならなくなり、続いて思ったのはこれは本当に彼女なのかということだった。穏やかに眠る彼女の様子は、失礼な話かもしれないが、僕の知っている彼女とは正反対のものだった。いつだって気高く、何にも屈せず、世界全てを挑発するような人だ。そんな人が毒気のない顔で黙するだなんて、別人のようにしか思えなかった。
そして母が夕餉の支度をしている間に僕がしていることはというと、小ぶりな箱との格闘だった。格闘とは言ってもただただ四桁の数字を試しているだけ。縦横20センチ、高さ10センチ程度の、中々強固な黒い箱は、四桁の暗証番号をダイヤルの数字で合わせれば開くようになっている。
「お姉ちゃんが死んだ日に、これが家に届きました」
先刻、涼子と対面した後に、思いつめた声でその妹はそう切り出してきた。話したいことがあると言って自室へ僕を呼び出したかと思うと、神妙な面持ちでずっと黙っていた彼女の、最初の言葉だった。渡された段ボールの小包からは、一枚の紙と今僕が手にしている黒い箱が出てきた。
「ちょうど一週間前、急に姉から思いつめたような電話がかかってきました」
自信が無くなった、もうダメかもしれない。いつも自信に満ち溢れた涼子にしては珍しい発言だったという。確かに僕自身、彼女がそんな風に弱気な言葉を発しているところを見たり聞いたりした記憶はない。
様子が変だと思ったのは妹さんも同じようで、何があったのとしきりに問いただしたが、答えたくないの一点張りだったらしい。そもそも彼女が弱っている姿を見せただけでも滅多にないことなのに、その弱みすら曝け出してしまうのはあり得ないことだと僕は納得した。
その後涼子は日に日に何か気晴らしを試してはより一層沈んでいく毎日だったらしい。僕よりはまだ実家に顔を出しがちな涼子だが、それでも妹、つまりは家族に毎日のように電話をするのは異常だったと彼女の妹も証言していた。
確かに、そんなに殊勝で危うげな涼子など、別人と呼んでしかるべきなのだろう。一週間前に起きた出来事、おそらくはそれがターニングポイントなのだろう。五日間続いた実家への、妹への電話だったらしいが、六日目はかかってこなかった。おかしいなと思って七日目を迎えてみると、知らない山荘の管理人から急に訃報が届いたとのことだ。何でも、山荘近辺の岩陰で睡眠薬を過剰に服用して死んでいたらしい。
どうしてそんなところで、と思ったが、人に迷惑をかけず、かつ人に見つかりやすくしたのだろう。山荘の近くの岩陰なら誰か従業員に見つかりやすいだろう。山荘にて自殺などしようものなら、自殺者が出た山荘としてその施設の客足は減るだろうし、それに付随して実家が訴えられる訳にもいかない。死してなお家族に迷惑をかけるような弱い人間には涼子はなろうとしないはずだ。
どちらかといえば彼女は、死してなお復讐を遂げるタイプだ。
「紙は姉の頼みが書いてありました」
確かにその一枚の紙には、彼女の書く丁寧な字で『箱を一年 和樹(ひととせ かずき)に託せ』と短く書かれていた。そうありふれた苗字でもないため、彼女の知人でこの名を持つのは僕以外にいなかった。
ずしりと掌の上に乗る黒い箱は、何となく災厄を詰めた箱のように思えて重苦しく感じた。本当にパンドラの箱なら最後には希望が残るのだけれど。世迷いごとを妹さんの前で呟くわけにもいかず、その言葉は飲み込んでおいた。
「それにしても、暗証番号は何なんだろうな」
たった四桁の数字、ノーヒントでも一応一万しかパターンが無いため開けられなくはない。だが、きっと彼女がヒントを残さなかったのは僕が当てずっぽうや虱潰し以外の方法で開けられると思ったからに違いないはずだった。彼女の性格から、使いそうな番号を考える。
まずあり得ないのは安直に自分の誕生日を使うというもの。一応試すだけ損はないので彼女の誕生日を入れてみたが、当然開かなかった。次に試したのが生まれた年。これもびくともしなかった。逆に死んだ日ならどうだろうかと、命日を入れてみる。それでもびくともしなかった。多少ひねくれているきらいが彼女にあるとはいえ、流石に自分が死ぬ日など入れないかと納得した。
ならば、と僕の誕生日を入れてみる。当然それも開かない。確かに僕は過激な人間性をした彼女にとって数少ない友人の一人で、分野の違う好敵手だったとはいえ、流石にそんなものをパスワードにするほどではない、か。
だが、本当にそうかなのだろうか。こんなものわざわざ僕宛に残すくらいだ。おそらくはこの認証番号は僕と何かしら関連している数字だろう。窓から見える空模様が段々赤みを増していく中、僕もより一層集中して考え込む。包丁がまな板を叩く音、カチカチと秒針が刻む音の中で僕と彼女の間にある四桁の数字を一つ一つ試していく。
美大に入った年、卒業した年、初めて作品が入賞した日。わずかな可能性でもあればそれを着実に確認していく。どこだ。誕生日にするぐらいなら、もっと別な記念日を選ぶ。彼女の趣味を思い出せ。
天啓がやってきたのはその時だった。確か彼女はロックが好きだった。彼女が好きだったバンドは世間的にもとりわけ有名なバンドグループだったはずだ。彼らの曲の中でも一、二を争うメジャーなナンバーの歌詞にそれはある。『僕らが出会った日は二人にとって一番目に記念すべき日だね』、なら僕と涼子が初めて言葉を交わしたその日、のはずだ。だがさすがにそれが何月何日の話かなんて僕は覚えていない。僕がそんな日付はとうに忘れてしまっていることを涼子もちゃんと知っている。
だが、西暦何年の話かは覚えている。僕らが小学校の二年生だった時。静かにダイヤルを回し、自分の年齢から逆算しながら該当する数字にたどり着く。開くと思ったら開かなかったので何か変だなと思って数字を一つずらしたら、開いた。計算を間違えたかと思ったが、一月以降の話だったんだろうと思いなおした。
中に入っていたのは、涼子の使っていたとおぼしきスマートフォンだった。ボタンを押してみると、画面がぱっと明るくなった。正確に今この時の時間を指している。電池はというと残り70パーセントと少々。死ぬ前に充電してあったのだろうか。何のために? それは何となく予想できた。この中に何かしらのメッセージが込められている。確認してみよう。
だが、中のデータを確認してみようと思った際に厄介な壁が立ちはだかった。先ほど格闘したばかりだというのに、またしても新たな鍵が必要となった。パスワードを入力してください、とのことだ。今度はアルファベットで入力するようである。もう思いつくようなことは何もないぞと、返事をしない彼女にぼやきたくなる。
何かヒントは無いのかと思い、箱をもう一度見る。スマートフォンの影に隠れるように収納されていた紙片がある。これがヒント、あるいは答えかと僕はそちらも見てみることにした。
『virgin』
ヒントというにはあまりに不親切だった。さっぱり分からない訳でもないが、常用しない英単語がたった一語。ヴァージン、口にしながら、そのままパスワードに打ち込んでみる。が、勿論答えをそのまま渡すような正直な性格を彼女はしていない。だが、何の意味もなくこんな言葉を書いて寄越すような人間でもない。
とりあえず日本語の意味を考えてみる。『けがれのない』『処女』、そういった意味らしい。処女、という言葉に作品を手掛ける人間としてはある発想に至る。『処女作』きっとそれだ。ただ、練習や授業の中でも僕らは多数の作品を提出してきた。処女作とは、いったい何を指しているのだろうか。初めて描いた絵、ということだろうか。だとするとそんなものにタイトルは……ある。
「母さん」
メインのおかずにとりかかっている母に呼びかける。肉が焦げるジュウジュウという音と、その香ばしい匂いに空腹感が煽られるが、今はそれどころではない。何だいと、声だけが向こうから帰ってきた。
「ご飯は父さんが帰ってからでいいよね」
「いいよ。それでさ、俺が小学校のころ描いた絵ってまだ残ってる?」
「残ってるよ、賞取ったやつだけだけどね」
ありがとうとだけ言い残して、僕は二階の両親の部屋へと向かった。昔から賞を取った絵は額に入れて飾ったり筒に入れて大事にしたり、形こそ様々だが母は全て大事に保管してくれていた。母なりの応援だったのだろうか、単純にその絵を気に入ってくれたのだろうか、分からないけれども大事に保管してくれているというその事実だけでも、僕にとってはうれしくて仕方がない。
小学校の頃だけでも、絵で色んな賞は取ってきたけれども一番最初のものだけは鮮明に覚えている。学校の裏にあった山の中で描いた風景画だったと思う。子供ながらに綺麗に描けたと思ったが、それ以上に大人たちから褒められた。そうして僕は、十歳にも満たないうちにその道を選ぶと漠然と決めたのだ。
その絵は、第一作なだけあって、額に入れて目立って飾られていた。今見ると少々あどけない筆致だが、これを書いたころはまだ小学校の低学年だったと思うとそれなりにすごいようにも思える。
「タイトルは何かな」
額の裏には、市の管轄する施設の掲示板で飾られていた際に一緒に貼られていたタグがテープで止められていた。『庭』、それがこの絵のタイトルだった。確かにあの頃は裏山を庭のように思って遊んでいた。
庭は英語で『garden』にすべきだろうか、『yard』にすべきだろうか。迷ったが、両方試せばよいと思って両方試す。一回目、『garden』の方のコードでスマートフォンのロックは開いた。
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