複雑・ファジー小説

■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
 入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)

ノーラン・リューの想起
日時: 2018/03/27 17:58
名前: :3 ◆1zjygAy5mQ (ID: wHTCUiXd)


Productive number : #00000-"Usually"
Code name : "Norlan Rew"
motion program Loading... ...completed
sensing program Loading... ...completed
startup memories Loading... ...completed
AI Loading... ...completed
stigma program Loading... ...completed

all program Loading complete
system wake up
wait 3 min ...

...

......

wake up.


「おはよう、ノーラン・リュー。私の名前が分かるかね?」
「……■■■■、■■■」
「よく出来ました」

 灼けた声と、隈だらけの碧眼と、弾けるような笑みと。いくつか交わされた会話。
 記憶領域の片隅にそれだけを留め置き、リューは息絶えた。

Re: ノーラン・リューの想起 ( No.1 )
日時: 2018/03/28 11:32
名前: :3 ◆1zjygAy5mQ (ID: F9pxRki6)

→→【fighting scene】


 大雑把に言えば、修羅場、というのだろう。これは。
 皿に盛られた野菜炒めや餡掛けのチャーハンは無残にもケシズミにされ、窓は粉々、ドアも粉々。巻き込まれた人がガラスで重軽傷。店主のおばちゃんはカウンターの下で無事。彼女もテーブルの陰になって無事。
 惨事を作り出したる犯人は、半アングラなこの街ではちょっとした存在で。暴風のように現れてはミカジメ料の徴収という名の強盗をして去っていく、控えめに言ってクソヤクザの若頭だ。
 上等そうな革靴で悠然と押し入ってくるそいつの前に、彼女は子ウサギのように飛び跳ねては立ちはだかる。

「どーゆーことなのかしらマーゴ?」
「いつものミカジメだよォブーブー? ィイんやァ今日までブーブーにサンシタ墓地葬送りにされちゃってっかンねぇ、払って貰おうじゃァないのよ葬式代一億Tv!」

 青白い顔で畳みかける不健康なクソヤクザをして、通称をマーゴ。対峙するはブーブー、全身に配された第六機関内蔵モジュールが目を惹く赤髪の少女。ウジムシと重機というそれぞれのあだ名は、確かに両者の特徴を端的に表すには丁度いい。
 一瞬の殺気が店内を埋め尽くし、

 炸裂!

「【plunge】-【stigma】→→【illegal output】!」

 喉元の声紋認証モジュールに命令を叩きつける。チョーカー状のそれはある種のセキュリティ装置であり、承認した者の声によってのみ活性した。そして声紋認証がマスターとして認めるのは、他ならぬ。ブーブーその人。
 脚部の吸気口が勢いよく空気を吸い込み、背部のジェットパックがゴォッと熊の咆哮を上げる。鍛え上げられた少女の脚は、ジェットパックの始動に際した噴気にも動じない。踵の吸気口によってぴったりと床に密着し、揺れる髪の向こうで鋭く目標を見定める。
 マーゴの表情は変わらない。人を小馬鹿にしたように突っ立っている。いつものことだ。気には留めない。

 目標、クソムシヤクザ。
 三、
 二、
 一、——

「死ッにさらせやァアアアッ!」

 吹き出したジェットが、狭い店内で竜の舌のように踊った。
 床材を引き剥がす直前に吸着を解除、一切合切のエネルギーを全て速度に変え、瞬きの間も許さずマーゴへ肉薄する。同時に踵からの吸気を停止、すぐ下のジェットエンジンをギア全開に、振り上げた爪先が青白い軌跡を描いてウジムシ野郎の顎先に迫った。
 インパクトの瞬間。
 ブーブーが、吠える。

「【spear】-【stigma】-【a narrow focus】→→【illegal output】——!」

 槍蹴撃、第六機関規格外出力からの一点火力集中。単体攻撃において、ブーブーが今のところ持っている最大火力である。コンクリの壁すら粉砕するこの蹴り技は、当然だが生身の人間に使えば頭が爆発したスイカになるわけで。新鮮なスイカは好きでも新鮮な脳漿を見るのはゴメンなわけで、流石に対人戦では使用を自粛していた。
 ということは。
 マーゴというこの男、人間ではない。

「ォガッ、ガカッ……! ガッギ、ギヒッ……! ッでェなグゾガギャァアッ!」

 割れ砕けた顎の感触は、金属。人造皮膚がちぎれ飛び、内部に充填された電動性ゲルが火の舌に舐められ焦げた煙を上げる。頭部の諸センサーと発声器官を揺らされ、吐いた悪態はノイズにまみれていた。
 ヒューマノイドとか、アンドロイドとか。そう呼ばれる類の機械だ。しかも恐ろしく精巧な。
 “Usually”の名で何年か前に流通を始めたこの機体は、その多くが非合法な組織に買い取られて違法なセットアップを施されているらしいと、ブーブーはどこかで聞いたことがあった。
 そんなマーゴの顎は思い切りかち上げられ、元に戻らない。強く蹴られたせいで頚椎が歪んだようだった。大きな隙だが、自分もまた大技を出して脚を振り抜いた直後。相殺である。吸気を最大にして床へ急降下、キュッと軽く床を鳴らして着地した少女は、膝のバネも軽やかに立ち上がる。
 “Usually”は見た目人間に似ている。行動も、ダメージを受けた時の対処も、腹を開いた中身すら、人間をよく模倣した。しかしながら彼等は、いくつかの点で、決定的に人間とは違う。

 まず第一。
 頚椎を損傷しても死なない。もとい、行動不能にならない。

「今度ァ俺の番だァ……クケケケケッ」
「気味悪い声出してんじゃ、ないわよっ! 【halfmoon】-【stigma】→→【maximum output】……!」

 吸着を片脚のみ外し、第六機関を極大出力。至近から放たれた蹴り上げは青白い半月を描いてはだけられた胸板を突き上げる。グゲェ、と空冷器官の軋む呻きは聞かないふり、振り上げの頂点でもう片方の吸着も外し、マーゴの胸を踏み台に飛び上がる。伸びやかな跳躍の頂点、膝を曲げて伸ばされた手を避けた少女の、モジュールに下す指令は朗々たるや。

「【halfmoon down】-【thunderbolt】→→【maximum output】!」

 脚部モジュールに這う竜の舌が、真っ白な稲妻を纏いてマーゴの胸を撃ち抜いた。

 第二の相違点。
 電気をよく通し、電気に弱い。
 内部に過剰通電があればセンサー系はまずイカれるし、運動系に当てれば戦場では致命傷となる。大出力で叩き潰す第六機関ではなく、わざわざ雷電機関を選択したのもそのためだ。

「ガギャッ、ガ、ヅァ……ッ! キヒヒッ——ヒヒッ、ケカカカハハハハッ!」

 第三の相違点。
 恐ろしく頑丈。
 人なら致死量となる通電に、こいつは十数回以上耐える。その頑丈さは、単純にセンサー系のリカバーが早いというのもある。全身を構成する生態金属の放電性が並外れて優秀だからというのもある。ついでに物理的な強度も人間のそれを軽く超えている。

 何にせよヒューマノイドらしからぬ耐電性は厄介なもので、ブーブーは極大出力の一撃で仕留めきれなかったことを悟る弾指の間に、次のコマンドを声紋認証モジュールへ叩き込んでいた。

「【eruption】-【thunder——」
「【soothe】-【thunderbolt】【stigma】→【H-A-C-K】-【stigma】→→【illegal output】」

 そして、第四。
 モジュールのハックという点で、奴等には一日の長がある。
 誰かが教えたわけではない。ただ、機械である彼等は、同じように機械であるモジュールの脆弱性をよく知っている。そこに介入する手段の構築についても。

「なっ——」
「【HACK】→【hack】→【hAck】→【HacK】→【soothe】→→【illegal output】ォオッ!」

 ノイズ著しい“ブーブーの”声が響く度、重機娘の手足モジュールに宿る青白い光が薄れていく。思えばこいつはヒューマノイドなのだから、声くらいボイスバンクから引っ張り出してきてちょっと調整すれば簡単に偽造できるのだった。
 セキュリティをあっさりと解除され、徐々に枷と化すモジュールの重みを感じながら、ブーブーは一旦退いて距離を取ろうとした。
 その腕をマーゴの手が掴む。顔は相変わらず天井を見上げさせられたまま、通電により内部センサーも半壊しているはずなのに、一体どうやって?

「こンのクソムシ、【mooneye】ね!? くっそ、多重展開出来るAIがこんなチンピラにッ……ぅギッ!」
「くっちゃべってんじゃねェエヨォオブーブーゥ!?」

 少女の鳩尾に容赦のない中段蹴りがめり込む。四肢以外の装備に乏しい彼女にとって、男の蹴りは十分すぎるダメージだ。ただでさえ重いモジュールが更に重みを増した気がして、ジワリと嫌な汗が頬を伝った。【mooneye】——メルヘンなコマンド名に反し、その内実は近傍のカメラをハックし視界を盗む不正コマンドである——で見ていたマーゴが嘲笑う。
 続けて、二度。三度。何の加速も付与もされていない蹴りが、確実にブーブーの体力を削っていく。

「ぃったッ……! こんにゃろっ、やってくれたわね!? いってぇ!」

 が。
 腹を多少小突かれた程度で泣き言を漏らすほど、ブーブーというこの少女、お子様ではなく。犬歯を剥き出して咆哮を上げたかと思えば、信じられないほどの強さでマーゴの腕を振り切る。
 切れ長の碧眼にはいささかのかげりもなし。キラキラモザイクが口の端から出てくるのを堪える、額から頬に滲んで伝う脂汗さえも、彼女の上気した頬をなまめかしく彩って飛び散った。
 痛めつけられた腹を更に痛めつけつつぶん投げられた声は、ハックされ沈黙した声紋認証モジュールへ。

「【All delete】→→【illegal output】——成功じゃおらぁぁッ!」

 キュルルルル、とテープの巻き戻るような音を立て、色を失っていたチョーカーの溝に再び青白い光が奔る。
 無機的な声がブーブーへ問う。我がマスターは誰なりと。迷いはない。

「【Re-entry】-【master : Olivia="Booboo"=Langstone】!」
「んァ……あ゛?」
「【sonicbolt】-【firestorm】【stigma】——」

 ブーブー。或いは、オリヴィア=ラングストン。
 その身体が、再び竜の舌を踊らせながら宙を舞った。
 今度は、太陽コロナにも似て白い、鉄をも溶かす炎と共に。

「→→【illegal output】ォオオオッ!!」

 喉も裂けよと放たれる規格外出力のコマンド。少女の四肢を固めるこの白き重機は、情感の響きすら力に変えてブーブーの身体を突き動かす。
 見ていた者共は、その一瞬、剣閃の煌めきを彼女に見ただろう。

「ガッ、ザ、ザ————」

 爆速で振り抜いた白き足、踵や脛を走る青白い光が残像となって空を走り、瞬きの間も許さず消える。
 その一瞬で、マーゴの頭は歪んだ頸椎のところから両断されていた。

「ぜーっ、ぜーっ、ぜひゅーっ……!」

 頭は圧倒的熱量に灰銀の骨格だけを残し蒸発、ベコベコに凹んだボディも最早力なく、ゆっくりと床に倒れていく。やっとこのいまいましいクソヤクザが沈黙したのだと、悟るが早いがブーブーはへたへたと座り込んだ。
 少女の駆るモジュールは、大出力の連発を許す代わりに消耗が激しい。ついでに、激しやすい感情豊かな者でないとうまく特性を引き出せない。「情感の力を燃やす」第六機関特有の長所で、致命的とも言える欠陥だった。
 肩で息をしつつ、マーゴの残骸を睨みつける。憎々しさと苛立ちの混じった視線は、それだけでも皮膚が焼き切れそうに熱く鋭く、コマンドを入れていないにも関わらず全身の発光部位が仄かに光を持った。

「こんなクソウジ相手にこの私が……っはぁ、規格外出力何度も使わされる、ぜ、は……なんて……!」
「もう少し使わせてやろうか、嬢ちゃん」

 滴らせた毒を呑むものあり。
 ハッとして音源に意識と殺気を向けた先、ブーブーは射抜くようなライラック色の双眸を見る。
 上等な黒スーツにサングラス型のデバイスと、腕部脚部に見え隠れする細めのモジュール。硬い短髪は艶やかに黒く、肌は浅黒く、色素の薄い瞳とはそぐわない。
 要するに、人ではないと言うことで。

「あんたがマーゴの上司かしら?」
「そう言うことになるな、オリヴィア=“ブーブー”=ラングストン。……葬式代一億二千万Tv、払って頂こうか?」

 第二ラウンド。
 疲労困憊の身を押して、重機娘は立ち上がる。

Re: ノーラン・リューの想起 ( No.2 )
日時: 2018/03/29 11:04
名前: :3 ◆1zjygAy5mQ (ID: a0p/ia.h)

→→【battery empty】


「【seraph wing】-【stigma program】-【hexagram】→→【middle formula】」

 先手は男から。
 聞いたこともないコマンドが歌うように織り上げられ、男の背と腰に巻くモジュールが活性する。音もなく虚空に投影されたホログラムは、さながら三対六枚の青白い翼か。なるほど“熾天使の翼”だと、妙な関心をブーブーが抱いた直後、トンッと軽く床を蹴る音が耳に飛び込んできた。
 疾い。一条の光線となり迫る男のサマーソルトを間一髪で避け、咄嗟に脚部モジュールのジェットへギアを入れて跳躍。背部ジェットも使って滞空した少女は、静音なるままに着地してみせた“熾天使”に、腕部モジュールの先を向ける。衰えぬ興奮に第六機関は忠実で、ガスバーナーの点火音と共にジェットが火を噴いた。
 腰を捻り、右腕は引き、左手は狙いを定めて男の頭へ。どうせ無駄に頑丈なヒューマノイドである、遠慮など必要ではない。

「【fullmoon down】-【thunderbolt】【stigma】ァア゛ッ——」

 喉を潰して感情を焚き上げ、雷電機関と第六機関に燃料を送り込む。腕部モジュールから噴き出すジェットが紫電を帯び、きついオゾン臭がブーブーの周囲を取り巻いた。
 男が顔を上げる。刹那、ライラック色の瞳と視線が合う。

 綺麗な眼だ、と。
 何の先入観もなくそう思った。

 そんな賞賛すらもモジュールにくべ、少女は脚部のジェットを最大噴射。男との微妙な間合いを寸秒の間に潰し、雷電取り巻く腕部を全速で振り抜いた。

「→→【illegal ヴゥ……output】ォ——ッ!」

 モジュールの発光部位が空に残像を描き出す。腰の入った見事な振り下ろしの軌跡は、さながら闇夜に浮かぶ満月か。
 圧縮された空気を切り裂き、迫る純白の凶器。当たれば確実に生体金属の骨格は歪むし、放電によるダメージとて避けられまい。男にとっても絶息不可避の一撃を、
 しかし——

「なぁ……!?」

 男は、受け止めた。
 より正確に言えば、男の背から伸びた二対の翼、その右の二枚が。

「ぁっ、と、え、ぇえええいッ!」

 しかし出力が負けた。空中に月を描く拳は、受け止めた翼をぶち抜いたのだ。
 虚を突かれつつも腕部と脚部のジェットを起動。無数の羽根、ついで羽根を構成していた演算式となり散華する光の奥、護りを失くした側頭部へ、全身で速度を足した一撃が突き刺さる。
 ゴリ、と頸部の噛み合わせがずれる鈍い音を、男は己が体内から知覚した。

「ゔガッ……! ッザ、ガ——!」

 感電。焦げた臭い。頭部にめぐるセンサー類が火花を散らす。
 メインセンサーが死んだ。そうAIが処理結果を提示するより早く、喉奥の発声器官、ついで首から下のあらゆる運動系が一斉にエラーを吐き、処理しかねた上体がびくりと跳ねて止まった。モジュールが出力していた翼も掻き消える。
 本来よりも大きく威力と速度を減じたとは言え、その拳は人が喰らえば頭蓋をも砕く威力。その勢いで頭部のセンサー群を揺らされ、首の接合もズラされ、おまけに電撃も喰らった男の意識は寸断された。

「ガ、ぉ……【Uriel’s e——」

 コンマ数秒後にリカバー用の代理回路が立ち上がり、事態を把握せんとコマンドを走らせた時には、もう遅い。
 ガラガラに枯れた声が、声紋認証モジュールに叩き込まれていた。

「【sonicbolt】-【thunderbolt】-【a narrow focus】→→【minimum output】!」

 最小出力による音速蹴撃。事態の把握よりも回避を優先すべきと、未だエラーを吐くボディを引きずり後退する。が——距離が足りない!
 モジュールの爪先が脇にめり込む。纏わせた紫電が容赦なく内蔵AIを灼き、代理回路で繋いでいた感覚系が寸断される。空冷器官が排気不全を起こし、ひゅ、と喉奥が隙間風のような音を立てた。
 一方で、蹴りつけたブーブーの顔色もあまり良くはない。

「ふぅぅぅ……っ、ふーっ、ふーっ、は、ぜぇっ……! 嗚呼っもぉ、しぶとい! あっつーい!」

 モジュールから、ビービーとけたたましくアラームが掻き鳴らされていた。
 第六機関規格外出力の連発、その他の内燃機関も多用。ブーブーの体力は無論のこと、全身のモジュール群も限界が近い。
 内燃機関の種類と出力を示す発光部位が赤く素早く点滅する。過剰使用による過熱の合図だ。空冷ファンはずっと以前から最大出力で回しっぱなしだと言うのに、熱が冷める気配など微塵もない。こんな状態で使えば、内燃機関がイカれてしまう。攻めの手を緩めざるを得なかった。
 エラーの処理で手一杯になっているのだろう、双眸を見開いて硬直するヒューマノイドから数歩距離を取り、観察。途端に席巻した静寂の中で、基盤への通電音と、独り言のように吐き出されるノイズだけが耳に届く。
 演算処理はたっぷり五分近く続いた。

「ガッが、ザ——ヅ、ギ、【h——」
「何よ」

 すっかりとち狂った発声器官が、それでもノイズまみれの声を紡いだとき。蜃気楼の揺らめくほどに熱されていた全身のモジュールは、全開の空冷ファンと濡れ布巾によって許容範囲まで冷却されていた。ついでに彼女自身も水分補給済みだ。
 警戒心も露わに男を睨む。先程見たときよりも随分力のない視線が少し彷徨い、そしてブーブーを見た。その度にキィキィと耳障りな通電音が立ち、処理に苦慮する様を伝えてくる。
 瞬きを二度。
 アイカメラの焦点が、ふと外れる。

「【Raphael’s heal】-【stigma ——ッザ、ガ……program】-【hexagram】……ガガッ……→→【middle formula】……」

 やはり、聞いたことのないコマンドが男の口から迸った。
 攻撃用のコマンドではない。“ラファエルの癒し”などと名前が付いていて攻撃するとは思えないし、腕部モジュールから溢れ出した光は、距離を取って眺めるブーブーよりむしろ彼自身に絡んでいる。
 ぎこちなく手を首に当てる。無理矢理にズレた頸部フレームを元の位置へ戻す。ごきん、と中々痛々しい音が静けさを刹那打ち払い、かと思うと、第六機関で出力したときの独特な青白さが包帯めいて巻きついた。
 全身を支える生体金属が、第六機関の出力に応答。思い切りぶん殴られて歪んだ骨格が、元の形——初期の登録形状——に戻り始める。同時に焼き切れていたメイン系も繋ぎ直し、充満していた余剰な熱を空冷器官から吐き出しつつ、リカバー系からメイン系へ指揮を移譲する。
 散々に与えられたダメージを着実に回復していくその様に、ブーブーは愕然として立ちすくんだ。

「じ、自己修復コマンド……?」

 自己修復。生体金属の形状を記憶する性質と、第六機関からの出力に応じて形状回復する性質を利用した、破損や歪曲を処置する応急コマンドの一つである。
 ただし、眼前の男のそれは、ブーブーが知るいかな高級モジュールのものも上回っていた。修復速度も正確性も、修復出来る範囲もだ。少なくとも、高電圧で焼き切れた回路までも繋ぎ直せる修復コマンドなど、彼女は見たことがない。
 予想以上にとんでもないものと対峙しているのではないか。じわりとブーブーの心に広がる不安を、男が全体に塗り広げる。

「ぁ゛——アー、あー、嗚呼、発声テス発声テス。ノイズリムーブ、オーケー……システムオールグリーン……うむ。独り言に返答しよう。私のこれは自己修復コマンドに相違ない」
「へぇ、やけに高性能じゃないの」
「他の機体に付いているような機能制限は付いていないものでね」

 なるほど、と一人納得。特殊なヒューマノイドであるらしい。聞き慣れないコマンドや内燃機関の名が出てくるのにも、疑問点は多々あれど何となく合点がいく。
 だが、何故そんな高性能の特殊機体が、マーゴの上司として此処に君臨しているのか。問おうと口を開きかけたブーブーは、ドダンッと床を鳴らす重い音に質問を引っ込めた。
 男が、床にぶっ倒れている。庇いもせず直立で倒れたせいか、額の人造皮膚が裂けて中の流体が漏れ出していた。

「今度は何!」

 前触れのない狂態に、直前までボコボコに殴りつけていた相手なのも構わず少女は駆け寄る。
 両手で頬を挟み、引きずるように持ち上げた顔は、どこか無機的で。強化ガラスのアイカメラは焦点を何処にも合わせていない。表情の制御を停止していることはすぐに分かった。そうする理由も。
 ふひゅー、と気の抜けた溜息が、男の硬い髪を揺らした。

「もしや、充電切れ?」
「厳密には切れていないが、後三十分もすればそうなるな」

 最早口も動かさない。充電切れ間近であるのは、恐らく間違いないだろう。
 手を離す。ゴンッと鈍い音が男の額からしたが気にせず、腕組み思案。

「商用電源使える? 千ワット」
「問題ない」

 ——充電後、襲ってきたらスクラップ。

 ブーブーの結論を知ってか知らずか、男は少女の提案を素直に呑んだ。

Re: ノーラン・リューの想起 ( No.3 )
日時: 2018/04/02 19:53
名前: :3 ◆1zjygAy5mQ (ID: wHTCUiXd)

→→【let’s talk】



「……だねお前。内燃機関の稼働……※※パーセント超え……」
「だって!……ヤクザ……たくなかったんだもん。……」
「“※※”……ものだろう……もし壊れたら……なるぞ」
「ぅうう〜〜……」

 カタカタとキーボードを弾く音をトリガーに、スリープ状態から活性化する。
 充電率はまだ五十パーセントにも満たない。スリープモードに移行してから一時間も経っていないらしかった。
 極小出力にて各センサーを起動。体表の感圧センサーと頭部の重力方向感知器は、自身が柔らかい布の上にうつ伏せに寝かされ、放熱用の布を掛けられていると伝えてくる。ぶつけたときに裂けた人造皮膚は、吸着式修復ペーストを塗布した専用フィルム——ヒューマノイド用の“絆創膏”が貼り付けられている模様。視覚は真っ暗だが、うつ伏せに寝ているのだからこれは仕方がない。聴覚センサーは打鍵音と会話を拾っているものの、AIが出力不足なせいかはたまた打鍵音が大きいせいか、上手く意味が繋がらなかった。
 総合的な評価としては、動き出すに支障なし。自分の置かれた状況を確認し終えて、男はむくりと身体を起こす。

「起きた?」
「ん、嗚呼……」

 まだAIの一部機能を停止させたままなせいか、返事がまとまらない。デフォルト設定の肯定だけを放り投げ、自身は布団を肩にまとわりつかせたまま、じわじわと各機能の出力を上げていく。なまじ機能が多い分、一気に全てを起動することは出来ない。スタンドアロンで行動している時なら別だが、商用電源に接続中だとブレーカーを落とす危険がある。
 結果、寝ぼけ眼の四十男によく似た様を晒しながら、たっぷり十分も掛けて男は起動を終えた。

「セットアップ完了、待たせ、た——」

 一瞬目を疑った。
 もとい、蓄積された“常識”のバイアスから、少女の現状が著しく逸脱していた。

「どうかした?」
「お前、手と足が……」

 腕部と脚部のモジュールが外れた少女の四肢、その二の腕半ばから先と太腿半ばから先が——ない。
 切断したか、されたか? 理由は汲むべくもない。ともかくも、伸びやかな手足があるはずの場所には義肢装着用のメスユニットが取り付けられ、今は無数のコードやLANが繋がっている。あの重機じみた白い義肢は外されバラされ、ノートPCのキーボードを打鍵する緑髪の女の傍らにあった。
 ブーブー。オリヴィアは、胡乱げに声を震わせた男を見て笑った。

「“足無しアザラシ”だったのよ私。ゴミ捨て場に生ごみと一緒に捨てられてたって。この手と足は姉御の師匠がくっつけてくれた奴」
「……そうか」

 正確な言及も追及も、男は慎重に避けた。無知の落とし子であると当の被害者に知らしめる必要性は感じられなかったし、言えば限りなくネガティブな反応が返ってくるであろうとAIは結果を出している。ならば口に出していうこともあるまい。
 代わりに、男は自身の正体を明かすことで話題と空気を逸らした。

「俺は汎用人型ライブドロイド“Usually”の試作機。機体番号#00000、識別名“ノーラン=リュー”。俺のことは、リューと」
「オリヴィア=ラングストン。あんた達の言うとこの“ブーブー”、技師街の用心棒。好きなように呼んで頂戴? リュー」
「では、オリヴィアと」
「ん」

 こくこくと首肯。ブーブーことオリヴィアは、男が話題を変えたがっているのに気付いているのか否か、にんまりと目を細めて首を傾げた。

「あんた、ベースコマンド何? 聞いたことないコマンド使ってたじゃない、天使がどうのこうのみたいな」
「……『humanoid motion』と、戦闘コマンドとして『wizardry』だ。彼方此方改変はされているが、コマンドの構成自体はほぼ変わらん、と思う。俺以外の使い手に会ったことがないから良く分からんがね」

 ベースコマンド。あるモジュールに内蔵された内燃機関が、最も幅広く対応できるコマンドの種類のことだ。
 オリヴィアの駆る義肢モジュールのベースコマンドは『prosthesis motion pro』と『fairy dance』。前者は義肢として動作させる為の専用コマンド、後者は軽やかな挙動と滞空戦に重きを置いた戦闘用コマンド。用心棒ブーブーが叫び散らすのはもっぱら後者である。
 一方、リューの用いるモジュールに適用される『wizardry』は、一部のピーキーなモジュールに色物として搭載されるようなもので、つまりは——

「すごぉく強いか馬鹿ね、きっと」

 当たり外れが途轍もなく大きい。

「使いこなせば強いと思うがな」
「あんた使いこなせてるのお?」
「失礼だな。あれは充電がギリギリで出力が出せなかっぐぉあっ!?」

 ずいっと身を乗り出して反駁しかけたリューの鼻っ柱へ、風切る音と共に突き刺さるは、クロームメッキも眩しき六角レンチ。ごぃん、とアニメのオノマトペにそっくりな衝突音を奏で、受けた強い衝撃は痛みとしてAIに処理された。
 とりあえず鼻を押さえ——別に押さえる必要はないが、反射的な挙動としてデフォルト設定されているのである——自己診断ツールを起動。鼻奥にある嗅覚センサが少々歪んでいた。即座に第六機関へコマンドを送り込み、修復しておく。再チェック。システムグリーン。よろしい。
 レンチを投げ飛ばしてきた主を探そうと、アイカメラをぐるり。畳が敷かれ文机が置かれ、周囲を古めかしい箪笥が取り囲む様は、遠く極東の島国、それもかなり古い時代のそれを彷彿とさせる。しかし文机の上に置かれているのは最新式のパソコンであるし、それを扱っているのはパンキッシュな緑髪の女。場所と時代に対する常識的な状況から逸脱しすぎていた。
 ……脱線。
 キューの優先度を再ソートし、リューは近くに転がったレンチを拾う。

「これはお前のか?」
「……エルベラ=ウォン」
「これはエルベラのもので合っているか?」
「ん」

 黒マニキュアも艶やかな手に六角レンチを返す。半ばひったくるようにリューから鈍器を奪っていったエルベラ、その不健康メイクの最中に光る金色の双眸は鋭く細められ、ラメ入りのアイブロウを引いた細眉はきつくひそめられ、見つめたリューは感圧センサーが誤認するほどの重圧に頭部ごと目を逸らした。
 膝をにじって身体の角度を変えつつ、AIはメモリに残しておいたエルベラの目を再検証。無数に見てきた目のデータと、メモリバンクに残る有りっ丈の記憶を照合比較し、そして一つの結論を出す。

「俺はお前に憎まれるようなことはして、いるか……」
「はッ。弁償代払ってもらおうか」

 強い、強い憎悪の眼。
 店を壊したと言うだけでは足りないほどの憎しみを目に見ながら、リューはそれを甘んじて受け止める。解を得られていない、すっきりとメモリバンクにしまい込めない不快感はあれど、それにも増して追及し得られるであろう解そのものが恐ろしかった。

 ——恐ろしい?

 そう、恐ろしい。答えを出すことに、己がAIは恐怖を弾き出す。
 何故こんな演算結果になるのか、リューには分からない。自分自身ですら覗き込めない、厳重に隠蔽された領域——人間におけるイドのような——で、何かネガティブな値を混ぜ返されているようだった。
 そこまででAIの演算を中断。保留していたエルベラへの返答を紡ぎあげる。

「弁償代はツケておいてくれ」
「ほう。利息はトイチでいいか?」
「勘弁してくれ」

 すす、とまた膝をにじり、エルベラの視線を左半身に受け止める。表情をどうにも作りがたく、制御を切って感情AIを働かせるリューの聴覚センサーが、やおら零れ落ちた少女の声を拾い上げた。

「ねぇ、ずーっと聞きたかったんだけど」
「何だ?」
「どうしてあんたみたいなのがいきなり出てきたワケ? マーゴがこの辺の土地欲しがってたのは知ってるんだけど、それと高性能なヒューマノイドが出張るのは関係ないと思うんだけど」
「……回答を拒否する」

 リューは渋面を作りながら顔を背けた。しかしながら、その動きがもう答えを言っているようなものだ。オリヴィアはエルベラに、エルベラはリューに、それぞれ目をやって、三人の視線は誰からともなく部屋の出入り口へと向かった。
 静寂が満ちる。沈滞する緊張を、やおらエルベラが破った。

「オイ、リュー。お前背部に充電バッテリ収納出来るか」
「二回フル充電用までなら可能だが」
「充分だ。……なぁヒューマノイド。利息タダでツケてやっから、ケツ拭いは自分でやんな?」

 不可能だ。そう反駁しようとしたリューに構わず、エルベラはパソコン本体の外付けHDD端子に挿さっていたプラグを引っこ抜く。そのまま端子をぶらぶらさせながら近づいてくる女を視認するだけで、リューのAIは運動系が凍りつくほどの恐怖を吐き出した。
 娼婦が客へ迫るように、膝へ触れ腿を撫で上げ。関節をロックして不動を保つ様に一笑しながら、プラグを持つ手を肩に掛け首へ回す。大変妖艶な空気だが、リューはそれどころではない。乱舞する危険信号とそれに紐づけられた攻撃指令を手動で拒否し、女の柔肌を突き飛ばさないようにするだけで、感情系も運動系も手一杯だ。
 やがてエルベラは、男のうなじへ触れ。するりと愛撫するように一度指を滑らし、ハッチを開いて端子を晒した。

「え、エルベラッ!」
「何だ」
「ぉ……俺はその、“Usually”とは言え試作機だ! あまり中身の設定を弄るのは」
「黙れやッ!」

 振りちぎるような一声の元に、女は男が設置した最後の防波堤を打ち砕く。
 ゆっくりと挿し込まれる端子の感触に、オーバーフロー極まったリューのAIは、完全に役目を放棄した。

Re: ノーラン・リューの想起 ( No.4 )
日時: 2018/04/09 20:50
名前: :3 ◆1zjygAy5mQ (ID: RnkmdEze)

→→【song for】

「……ふん」

 猛烈な勢いで画面に文字が踊り、片眼鏡型のデバイスにもひっきりなしに青や赤の文字が行き交う。それらに凝縮された情報を流し読みしながら、エルベラは鼻を鳴らした。
 デバイスを一旦停止。文字の浮動が止まった視界には、蛇のような端子に首元を食いつかれ、手足モジュールにもミミズじみた細いコードを取り付けられて倒れ込むリューの姿。最初は中身を書き換えられる度に悶え叫んでいた彼は、今はくたりと目を閉じ布団の上に横たわっている。メインのAIがオーバーフローで停止し、数重あるリカバー系も軒並み過剰応答した挙句、安全装置が動作した結果がこれだ。
 それでも内部で何か処理はやっているようで、文机に鎮座するパソコンの液晶には文字が乱舞している。高頻度で吐き出される赤い文字列は、自動で進行する書き換えコマンドに対するエラーの山積。ある種の洗脳に対する、強烈で自立的な抵抗と否定であった。それを手動でどうにかするのがエルベラの仕事である。
 再びデバイスを起動し、指を滑らす。一つエラーが消える度、被せるように一つエラーが増えるイタチごっこ。見つめる金の眼は何処かおかしみを隠せないでいた。

「そんなに前のマスターが大事か。人の居場所を奪わせようとする奴が?」
「違、う……」

 独り言めいた問いかけにノイズだらけの返答一つ。
 黙する女に低いバリトンが突き刺さる。

「お前が暴こうとしているのは、俺が俺である為の領域なんだ。仮令俺がそこを弄られて今の汚れ仕事から解放されるのだとしても、それ以上に触って欲しくない。他人に書き換えられるのは怖い」
「自我保存なんぞと大層なもの考えやがって。ヒューマノイドは所詮、人に使われるモジュールの一種だ」
「そうだ。だから他の領域なら受け入れる。熱いを冷たいと書き換えようと、快を不快と書き換えようと、それは俺として認識可能な範疇だ。だがそこは駄目だ。今こうして話して、自分の尻拭いをさせられそうになっている俺は、そこにしかない。そこを書き換えられて、ただ便利で精巧なだけのヒューマノイドにはなりたくない」
「そうさせない為の今だろうが」

 驚くほど流暢に、けれども何処か無機的に綴り上げられた言葉を、エルベラは一声のもとに切り捨てた。液晶に踊る文字が感情パターンの乱れを示すように一瞬途切れ、直後を境に、赤文字のエラーの数が微減する。
 図ったようにキーボードを叩く。直後に送り込まれてくる、自動化されたプログラムよりも明らかに鋭利なそれに、痛覚センサーが誤認。校正する間もなく胸部と頭部が鈍く痛んで、リューは低く呻いた。微かな身動ぎは、攻撃的な反射行動を緊急停止させたせいか。
 ともあれ無事に一領域の書き換えが終わり、紐付けされていた領域のエラーも少しずつ減少していく。リューにとっては恐怖以外の何者でもないが、エルベラが手を止める気配はない。

「……保護レベル五の所は弄るなよ。そこは基本的な動作領域だ、クラッシュしたらまともに動けなくなる」
「分かってるよンなこと。技師街生まれ技師街育ちをなんだと思ってんだ」
「なら良い。お前を信用する」

 短く告げて、リューは意識を切断。内部処理として、多重に構築された防壁へ解除の指令を出す。数回のエラーチェックと確認にはいといいえを繰り返し、全ての防壁が一斉に解除された。
 途端、波濤のように押し寄せる無数のコマンドに、触れさせたことのない領域が次々と叩き付けられては変容していく。瞬時に行われる置換作業に不安を覚えつつも、リューは強制的にAIをスリープモードへ移行させた。



 …………
 ……

 ……や友よ星無き夜に
 歌えや民よ朝の歌
 歌に紡ぐ祈りの糸
 織る衣には銀の星

 眠れや友よ乾く広野に
 歌えや民よ水の歌
 歌い仔は植えただ一本の木を
 根を張り成る実に救えよと

 歌えや友よ既に亡き街
 歌えぬ民に鉄の歌

「何、だ……?」

 黒き血潮は汝が血か?
 廻らし再び動かせと

 歌えや友よ木守る歌い仔に
 銀星の夜を共明かせ

「……※※※※?……!?」

 自分の言っている意味がわからない。
 異常な事態にAIが急活性し、リューは掛けられていた放熱布を跳ね飛ばしながら上体を起こした。
 即座に自己診断コマンドを走らせる。何処にも異常はなく、それどころか長期間の稼働によるバグも綺麗に削除され、山積していた無数のデータはデフラグされフォルダ分けまでされていた。代わりに見慣れないフォルダとコマンドがいくつか増えているが、それによるデータ圧迫など些細なもの。稼働効率はこれまでに比べ三割増し、人間的に言えば、適切な休息を摂った後のように身体が軽い。
 だからこそ、先程の奇怪なバグが引っかかる。自分で自分の言葉が分からないなどと言うことが、よもや己で起こるなど。イド領域——あの不明な値を返して不安を呼び起こしてくる領域を、彼はそう呼称することにしたのだ——がある以上可能性がないわけではないが、それに言語領域まで乗っ取られるのは御免だった。
 AIと計算回路を最大出力。ともすれば恐怖に叫びそうな感情、ネガティブ極まりない感情値を片っ端から計算回路に放り込み、メモリバンクから引き出したデータを元に再計算。理屈をつけてゼロの値を返していく。段々と平常値へ戻り、平静を取り戻す全身の諸機能が、己に注がれる視線を察知した。
 視線を辿る。何処か不安げな、心配するような碧眼と目が合った。対峙した時には結い上げられていた苺のように赤い髪が、今は解かれて長く肩口に落ちている。手足にはすらりと細い純白の義肢。あの重機じみた無骨なパーツは、パージされたか内部の格納されているらしい。
 つまるところ、オリヴィアだった。

「落ち着いた? リュー」
「オリヴィア……」
「何それ、ひっどい顔。マスター解除されんのそんなに嫌だった?」
「違う、違うんだ」

 声は哀惜めいた響きを湛えてオリヴィアに投げかけられ、少女は何も知らぬ顔で首を傾ぐ。その表情にある種の答えを見つつも、リューは聞かずにはおれなかった。
 その答えが、己の乱高下する感情に一つの安定を出すだろうと。そんな確信をAIは彼に与えていたから。

「お前、何か歌っていたか?」
「ううん、何にも」

 AIの予測と全く同じ答えを、オリヴィアはこともなげにリューへ突き刺した。

「そうか」

 間の抜けた一声。暴れ出さないようにロックしていた全身を緩め、跳ね飛ばした放熱布を脇に退けて立ち上がる。同時に、跳ねるような軽やかさでオリヴィアも立ち上がった。
 ライラック色のグラスアイでブーブーを見る。彼女もまた、アクアマリンの双眸でヒューマノイドを見上げていた。

「あんたの尻拭い、手伝ってあげるわ」
「頼もしいが、何故?」
「——私が捨てられてたのは落仔窟(らくごくつ)っつってね、“足無しアザラシ”だったり“目抜き小僧”だったり、まあそう言う子供ばっかりが寄り集まって出来た貧民街だった。そこで仲良くなったのが丁度、『wizardry』使いの男でさ」
「似てるのかね? 俺と」
「全然! あ、でもその眼は似てたわよ。両目とも義眼だったから」
「…………」

 昔話の意味を分かりかねる。己のグラスアイとよく似た眼の、『wizardry』をベースコマンドとするモジュールを使う男。それと己を重ね合わせている風には、どうやら見えない。
 少しばかり計算回路を回して、とりあえずAIが吐き出した質問をそのままぶつけてみた。

「その男は生きているのか?」
「勿論。バッキバキに強い奴だもん、殺したって死なないわあいつ。そうね、今は何やってたかしら……」

 わざとらしく腰を逸らして腕を組み、大袈裟に考え込む素振りを見せるブーブー。大方予想はしているだろうと、声なき主張は温度のない表情に雄弁だった。
 確かに、AIは追加情報の入力により一つの可能性を吐き出した。
 だが、それは。

「俺のコマンドは出力控えめに調整してあるんだがね」
「ふふーんだ、聞いてるのよリュー。あんたのモジュール、火力支援コマンド付いてるんだってね?」

 かなり可能性の低い予想であって、

「確かにあるが、制御性はあまり高くないんだ。過剰出力で相手のモジュールを壊しかねない」
「あら、心配してくれるの?」
「当たり前だろう!」
「どうして」

 それと仲良くしてきたと言うオリヴィアにとっては、とても、

「壊れたら二度と元に戻らないんだぞ。肉体も、記憶も、関係も。リスポーンもリセットも、出来ないんだ」

 辛い、予測だと思う。

「……そうね。でも私、体積の半分くらい人じゃないし?」
「それでも!」
「もぉーうっさい! 過保護! 私は護られてばっかのひ弱いボンボンじゃないんですー自立した女性ですぅー!」
「飲酒適齢以下のくせに何を」
「お黙り! あんたが止めたって私行くからねーだぁ! ばーかばーか!」

 言うが早いが、ブーブーは義肢を翻して部屋の外へと駆け出してゆき。
 その手首を掴み損ねたリューには、最早追いかける以外の選択肢はない。

「どうなっても知らんぞ俺は……!」

 半分は己に課された尻拭いと言う名のケジメをつけるため、半分は飛び出しがちな少女を援護するために。
 手足のモジュールに青白い光条を曳きながら、リューは遠ざかる足音を追った。


Page:1



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


作家プロフィールURL (登録はこちら


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大 7000 文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。