複雑・ファジー小説
■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- 夜明けのファルズフ
- 日時: 2018/06/15 20:24
- 名前: ヨモツカミ (ID: NAPnyItZ)
私は神様になんてなれないバケモノで。自分が何者であるか、なんのために存在するのかさえ分からない。
それでもきっと、あなたのための神様になりたかった。
夜明けと共に、マートルの下で罰を乞う。
私はあなたのためのファルズフ。
………………………………
こんにちは、ヨモツカミです。多分短い話です。
妙にファンタジーな夢をみてしまって、あの夢の光景が忘れられなかったので、文章してみようかと思いました。
一気読みしたい? そんなあなたへ
>>1-5
一つずつ読みたい? そんなあなたへ
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5
- Re: 夜明けのファルズフ ( No.1 )
- 日時: 2018/04/18 00:47
- 名前: ヨモツカミ (ID: NAPnyItZ)
1
私は、影。淀み。暗闇。そういったものの中から生まれたのだろう。光は私自身が呑み込んでしまったのか。暗い。何も見えはしない。
しかし、何処からか音が聴こえた。旋律。音色。歌声だ。高く耳に心地よいメロディ。私を呼んでいるかのよう。なのに、私は蹲ったまま動きはしない。動けないのだ。まだ足が無いから。
やがて、何も聴こえなくなってしまう。はじめから何も無かったかのように。あれは幻聴だったのだろうか。そう疑ってしまうほどの静寂に、私はまた沈みこんでいく。
土の匂いと、冷たい床の感触に目を覚した。
どうやら自分は横たわっていたようで、ぼやける視界に飛び込んできたのは、土気色をした石の床と、なにやら装飾を施された石の柱だった。よく見るとどちらもヒビが入っていたり、所々欠けていたり、表面が削れている。長い時間をかけて、雨風に晒されて朽ちかけているのだろう。
ゆったりと上体を起こしてみて最初に抱いた疑問は、ここは何処だろう、ということ。辺りを見回してみても、ひび割れた床の上に太い石の柱が等間隔で生えている景色が何処までも広がっているだけだ。目を凝らして遠くを見れば、何処からか光が差し込んでいるのがわかる。天井に穴が空いて、光が漏れているのだろうか。
次に抱いた疑問は、自分が何者であるか、ということ。自分に関連する情報が、何一つ思い出せないのだ。名前も自分の容姿も。
とりあえず、身体を起こすときに使った腕であろうものに視線を落とす。人間と似たような形をしているが、二の腕の辺りまで黒い羽毛に覆われた腕。そこから覗く、爬虫類を思わせる細く鋭い爪を携えた指先がある。記憶にある生物のどれとも結び付かないその姿に、若干の恐怖を覚えた。
ふと、自分の容姿を確認しながら新たな疑問が浮かぶ。今、知識として知っていた人間だの羽毛だの爬虫類だのという存在を、私は一度も見たことがないはずなのだ。だというのに、知っている。それを薄気味悪いと感じた──が、その感覚さえも、過去に何かの経験をしていないと抱くことがないのではないか? 先程自分自身に抱いた恐怖もそうだ。“何か”を知っていなければ抱かない。だとしたら、私は何であったのか。
私は、何者だ。
不意に木霊した騒音に、思考が遮られる。何処からだろう、と音のした方に顔を向ければ、先程天井が崩れて光が差し込んでいるのだろうと推測した方向だった。瓦礫が崩れるような音だった──と、思うのも、私は瓦礫が崩れる音を知っているからなのか? わからない。現時点で分からないことが多すぎる。それならやることは一つ。謎の解明。調べるのだ。
床に手を付いて、地に足をついて、立ち上がる。その時初めて自らの脚を目にすることになった。脚の付け根は腕同様に、黒い羽毛に覆われているが、膝から下は黒く細長い……鳥の脚の様なものになっている。鋭く鋭利な爪は、なんのためにあるのか。
「不気味……」
口を開閉させ、喉を震わせる。案外高く、聞き取りやすい音が出た。今のが自分の声であろう。人間の女性のような声だった。姿は鳥のようであったり、爬虫類のようであったりするのに、人間に近い特徴も多い。自分のことがよくわからない。
ふう、と小さく嘆息しながら光の方へと歩き出す。こんな細い足で体重が支えられるのかと不安だったが、特に問題なく地を踏みしめて、先へ進むことができた。
自分がいた場所は随分広い空間だったようで、前にも後ろにも左右にも、同じような景色が広がっていたが、光が差し込んでいる場所に近づくと、高い壁が見えてきた。その壁もまた、石の柱と同じような装飾が施されており、所々塗装が剥がれている。
光の差し込んでいた部分は、天井が崩れてできた穴では無く、意図的に作られたものらしく、そこへ繋がる石の階段があった。勿論、その階段も所々ひびがあったり、欠けていたりして、登ったら底が抜けてしまうのではないかと心配になる。だからといって、諦めて別の道を探すという発想には至らなかったので、そのまま進むことにした。
階段を上がり切ると、あまりの眩しさにおもわず目を瞑る。涼しい風が頬を撫でて、私の長い髪を攫う。そこで初めて自分の頭皮から生える長髪の存在を意識した。膝の上辺りまであり、風に煽られると煩わしく感じる。光に当たると透明にすら見える白髪だ。手に取ってみると、毛質は柔らかく、指の間を逃れるように滑り落ちてゆく。見たこともないはずなのに、雪のようだと思った。
辺りを見渡すと、さっきいた場所同様に石の床から生えた柱が等間隔に並んでいたが、此方には天井も壁もない。見上げれば見事な青空が広がっており、心地良い風や日差しを遮るものもないためか、石の床の隙間から雑草や苔が生えていた。どうしてか、その風景を懐かしいと感じた。
「おや、珍しい」
不意に、後方から低く威厳のある声が響いた。反射的に振り返り、声の主を睨み付ける。
「そう警戒しなさるな。どうせ我もお主も、淀みから生まれしファンタズマよ」
軽快に笑いながら言う声の主を目にして、鳥肌が立つのがわかった……が、鳥肌が立つなんて、本当に私は人間なのか爬虫類なのか鳥なのか。鳥寄りの爬虫類風人間もどきといったところだろうか。いや、今はどうでもいいか。
声を発していたのは、私の体よりも大きな、灰色の大蛇──の頭を持ち、大型の鳥の体と、蹄のついた脚を持つ生物。
恐らく、羽毛に覆われた爬虫類の腕と鳥類の脚を持つ私の見た目もなかなかキモいはずだが、この得体の知れない生物のほうが遥かにキモいだろう。蛇も鳥も、蹄を持つ生き物も見たことはないが、それらを複合させた生物なんてもっと知らない。ゾッとした私は思わず声を上げた。
「ばっ、バケモノ!」
「いや、それ、お主もだろう……」
「む、確かにそうだったな」
私もなんの生物にも分類できぬバケモノであった。しかし、目の前の蛇頭のバケモノのほうがキモい。そこは譲れない。
「お前は、何者だ? さっき、ふぁんたじすた? とかなんとか言っていたが……」
私が咳払いをしてからそう言うと、蛇頭のバケモノは呆れたように首を振って、嘆息する。表情筋も無いくせに、何処か表情豊かだ。
「ファンタズマじゃな。我らのことを誰かがそう呼ぶ。お主、まさかそんな事も知らぬのか?」
「当たり前だ。誰も教えてくれてないのだから」
蛇頭のバケモノはきょとんとした顔で──と言っても表情筋が無いのだから、そういうふうに見えただけだが。そんな目で私を凝視した。それからもたげていた首を下げて、舌をチロチロと出しながら唸るような声で言う。
「哀れな子よ……しかし、知らぬならそれもまた運命なのかも知れんな」
「お前が教えてくれるわけではないのか?」
「それがお主に与えられた理なのだろう。ならば、我がこれ以上干渉する必要もあるまい」
「何が運命だ、説明が面倒だからはぐらかそうとしているだけじゃないか? 教えてくれよ」
私の言葉を無視して、蛇頭のバケモノは大きな灰白色の翼を広げ、飛び去ろうとする。私は慌てて羽毛に掴みかかり、引き止める。わからないままは嫌だったし、ここで一人にされたくは無かった。
「どこへ行く気だ。話は終わってないぞ。私を一人にするな!」
「ふふ、可愛い子だ。しかしお嬢さん、誰かに頼っていては道は開けぬよ」
「ん? わ、私が……可愛い? そうか、そうかな? えへっ」
火照る頬に右手を当てる。鱗でガサガサした掌が顔に触れるのが不快だったし、尖った爪が当たって痛かったので直ぐに手を降ろした。
「そういう意味では言っとらんよ。面倒臭いからナチュラルに照れるでないよ……」
蛇頭のバケモノは口を小さく開けて、はあ、と深く息を吐く。本日二度目の溜め息である。
「ファンタズマは影。淀み。暗闇。お主がその姿で生まれたからにはそこに意味がある。でも、それを見つけるのはお主の役目だ」
役目。生まれた意味。私が私である理由。声に出さずに脳内で復唱してみて、理解できたような気になってみたが、分からないことが増えただけのように感じる。
「意味が見つかると良いな」
その言葉は妙に優しげに響いた。ちょっと驚いて蛇の頭を見つめてみるが、表情なんて分かりっこない。舌をチロチロと出す仕草は、何を意味するのか、知るはずもないし。
「……あなたは見つけたのか?」
私の問いに、蛇頭のバケモノは首を振りながら翼を広げた。大きく開いた両翼は5メートル近くある。その姿に慄いて、私は僅かに後ずさる。
「さてね。ここでお主と語らうことも我の生まれた意味だったのかもしれぬし、もっと別にあるかも知れん。我にも知らぬことばかりよ。ただまあ、最後にお主と話せてよかった。そんな気がするわい」
「最後?」
蛇頭のバケモノは広げた翼を激しく羽ばたかせて、蹄の脚で地を蹴った。風に巻き上げられた土埃に思わず目を伏せる。次に目を開いたときには、眼前に彼はいなかった。影が落ちている。見上げれば快晴の宙を舞う大型の鳥類。舞いながら、脚が灰色の粒子に変わり始めていた。ぎょっとして目で追っていると、脚が完全に消失し、身体も少しずつ粒子に変わっていき、やがて翼を失って落下。地に付くまでに首も頭も灰白色の粒子に変わってしまい、最後はキラキラと空気に溶けていった。
私達は影。淀み。暗闇。それはやがて消えゆくもの。だから彼は消えた。私もいつか、いなくなるのだろう。
その前に。
“意味が見つかると良いな”。彼の言葉が脳裏で反響する。果たして私に見つけられるだろうか。
- Re: 夜明けのファルズフ ( No.2 )
- 日時: 2018/04/26 19:47
- 名前: ヨモツカミ (ID: NAPnyItZ)
2
一人取り残された私は、適当に遺跡の中を見て回っていた。遺跡と呼んでいいのか知らないが、私の謎の記憶と知識の中で一番この場所を形容するのに相応しい名前が遺跡だったため、そう呼ぶことにしている。
遺跡の周りは森で囲まれているのか、小鳥のさえずりがずっと聞こえていた。上空を羽ばたく鳥の姿も見た。けれど、この場所に入り込んでくる事はなく、なんだか避けられているみたいだなと感じる。
遺跡の中は、同じような眺めが何処までも広がっているだけで、目立った特徴は無かった。石の柱、床、壁、階段、天井。見回してもそんな代わり映えしないものばかり。それでいて、静かだった。風と小鳥のさえずり以外の音は無く、酷く心細い。私は一人だと自覚すると、胸の辺りが握り締められるみたいに痛む。あの蛇頭のバケモノと話したせいか。一人でいることが苦痛だ。無音が苦痛だから、わざと自分の足の爪が地面に擦れるように歩いてみる。一歩ごとにカリ、カリと、耳障りの良くない音が付き纏った。
空が燃えるような朱に染まり、照らされた柱や地面も同じ色になる。長く伸びた濃い影をぼんやりと眺める夕方。
不意に自分の影の形に違和感を覚えた。頭部に、謎の突起がある。左右にギザギザと三つ。なんだこれ、と即頭部に触れてみると、固く冷たいものに触れて、ギョッとした私は手を引っ込める。恐る恐るもう一度触れてみると、ザラリとした質感。石の表面に似ていて、でもそれよりは少し滑らかなで、無機質な手触り──角だ。しかも、左右に三本ずつ。
蛇の頭部と鳥類の身体と蹄の脚を持つファンアズマをキモいと言ったが、これじゃ中々良い勝負じゃないか。
私はへなへなとその辺に座りこんだ。一日中歩き回って疲れたわけではない。今日一日色々探索してみたが、自分のことは何一つ分からなかった。その不安に気疲れしたのだ。結局この場所は何なのだ。私はなんでこんな場所にいるのだ。私は何なのだ。わからない。わかんない。超無理。
体の力が抜けて、その場に寝そべる。仰向けになろうと寝返りを打つときに、角が地面に支えて、イテテと声を漏らした。
仰いだ空には、遠く沈む夕日のオレンジと、時期にやってくる夜空の青が混じり合って、どこか幻想的だった。眺めているとそのうち、オレンジが完全に消え失せて、青と濃い紫のグラデーションがやってくる。散りばめられた光の粒は星と言い、一際大きく金色に輝く球体は月という。誰に教えられたわけでもないのに知っていて、懐かしいと思う。そうだ、いつだったか、誰かと一緒にこうやって、野原に寝そべって夜空を見上げたことがある。あのときも綺麗だった。幼かった君が、光の尾を引き連れて消えていく箒星にはしゃいでいた声も、今となっては遠い記憶だが。あの頃は楽しかった。思い出して頬が緩む。
瞬間、ゾッとする。
“君”とは誰だ。この記憶は、何だ。
思い浮かべかけた“君”の顔はモヤがかかったように霞んでいて、記憶も霧散する。頭が痛い。誰だ。何故忘れている。違う、何故覚えている。
どうして、私は泣いている?
鼻の奥がツンとして、両目からパタパタと雫が溢れる。慌てて拭っても、後から後から、どうしてか悲しくなって、涙が止まらない。
拭うことも億劫になってきたので、垂れ流しておくことにした。
「何が悲しいのだろうな」
自分のことなのに、何もわからないのだ。だが、今は気が済むまで泣かせておこう。何処か他人事にそう思ったら、嗚咽を上げて泣きだしていた。誰もいない夜空の下、自分の声が響いていた。
そのまま、私は眠ってしまったらしい。泣き疲れて寝るなんて、子供のようだ。実際、ファンタズマになったばかりの私は赤子同然なのかもしれないが。
目が覚めた頃には空はほんのり明るくなっていた。一瞬、夕日が戻ってきたのかと錯覚したが、あれは朝日だ。夕暮れとは違って、澄んだ水色とオレンジの淡いグラデーションが目に優しい。いつの間にか夜が明けようとしていた。
どれくらいの時間眠っていたのだろう。夕暮れから夜明けまで、ぐっすり安眠だった。此処には音が少ないし、風も心地よいから仕方がない、と言い聞かせてもやはり寝過ぎな気もする。そのせいか、体が僅かにだるかった。
何処からか響く、誰かの声を聴いた。柔らかい女性の声。
そうだ。私はそれで目を覚したのだった。確か、私が“私”になる前にも聴いたんだ。そう思って、手の平で地面を押して、上体を起こす。
ただの声ではない。それは旋律。言葉の意味は知らないが、何かを訴えるような、ただ嘆き悲しむような、歌。
何処からだ。風に流されて消えてしまいそうな歌声を追いかけて、私は地面を蹴った。下の方からだ。目についた階段を駆け降りて、少しだけ近くなった声を辿る。薄暗い太い石の柱が等間隔に並ぶ廊下を通り抜けて、辿り着いた部屋は、天井が崩れているお陰で、木漏れ日程度の日が差し込んでいた。
埃臭い。所々欠けた石でできた長机に、これまた石でできた無数の椅子が等間隔に並べられている。会議室か食堂みたいな、細長い部屋。そんな部屋の片隅に、忘れられた事を嘆くみたいに歌う、彼女の姿があった。
それは花だった。
溶けて消えてしまいそうな白い花弁。全体が月の光みたいに優しく光る花。花が光の点滅に合わせて、踊るように歌う。茎は深海を思わせる深い青で、葉の代わりに硝子細工みたいに透明に透き通った魚のヒレが付いていた。彼女の存在はとても幻想的で、そこに咲いている事が嘘みたいに、儚く見えた。たった一人で、泣いてるみたいに歌う彼女の姿を、私はぼんやりと見つめ続けていた。
しばらくすると、静寂が戻ってくる。彼女の光も消え失せていた。心が満たされている感じがする。自然と、「綺麗な旋律だった」という賞賛の言葉と共に拍手を贈っていた。そうすると、彼女は透明のヒレを小さく振るわせる。照れ笑いみたいだった。
「ありがとう。でも、お別れの歌ですよ」
彼女が言う。だから泣いてるみたいに歌っていたんだ。彼女と共に、少しだけ胸が痛むのがわかった。
「誰かに会いたいのか?」
「いいえ。わかりません。でも、生まれたときからずっと歌い続けているのです。朝を告げる代わりにこの歌を、ね。何処で覚えたかも知らないのに、なんのために歌ってるかもわからないのに。歌わないと、苦しいの」
誰に聴かせるわけでもないのに、なんのために歌っているか、本人さえわかってないくせに。それでも、歌っていないと、苦しいのだと言う。
首を傾げている私に、花はお辞儀をするみたいに揺れた。
「誰かに聴いてもらったのは初めてでした。ありがとうございます」
「勿体無いな。お前の歌声はこんなに綺麗なのに」
もう一度、花はヒレをパタパタとはためかせた。やっぱり照れているらしい。
「もう、歌ってくれないのか?」
「歌いたいのは朝が来るときだけなのですよ」
「そうか。じゃあ、また聴きに来てもいいか?」
「ええ。あなたは私のたった一人のお客様です。どうか、いつまでも聴いて下さってね」
ならば、何時までも歌っておくれ。そう思ったが、彼女が歌いたい歌を聴きたいのだから、それ以外は何かが違うのだろう。
去り際に彼女がヒレを上下させる。手を振っているのだ。私も振り返した。そうすると、彼女がもっと激しくヒレを振る。嬉しそうで何よりだった。
- Re: 夜明けのファルズフ ( No.3 )
- 日時: 2018/05/03 03:01
- 名前: ヨモツカミ (ID: NAPnyItZ)
3
元いた場所に戻る道中、私の脳内で何度も再生される彼女の歌を、自分でも口ずさんでみる。あの旋律を、意味も知らない歌詞を、思い出しながら恐る恐る音にしてみた。外れた音程と綺麗とは言い難い歌声が耳を掠めて、思わず笑ってしまう。彼女のように上手くはいかない。当然と言えば当然だが、少し悔しく思う。同時に、彼女への羨望と憧憬が募る。
また聴きたいなあ。そう、独りごちて空の下に戻ってきた。
起きたときよりも少しだけ高い位置に登ってきた太陽が、いつの間にか出てきた雲の輪郭を、金色に染め上げていた。黄金の空と透明感の強い水色の境目に、見惚れてしまう。
「綺麗だよね」
唐突に耳に入り込んできたその声に、私は大袈裟に肩を跳ねさせた。
弾かれたように振り返って、その姿を目にする。
灰白色の髪に、膝下まである漆黒のローブの若い男が、柔らかく微笑んでいた。結構な長髪らしく、後ろで一つに結んだその毛が風に煽られて緩やかに揺れている。眠たそうだけど優しげな目元を見て、どうして私は懐かしいと思ったのか。
彼は靴音を鳴らしながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。一瞬警戒したものの、彼をあまり脅威だとは感じられず、黙ってその様子を見守った。
すぐ側までくると、目線がほとんど変わらないので、あまり背の高くない男なのだとわかった。彼は絶えず笑みを浮かべており、何処となく嬉しそうに見える。
「君は、誰だ」
「僕の名前?」
聞かれると思っていなかったのか、男はきょとんとして、一瞬固まった。
「えと、僕はノワゼット。ノワゼットっていうんだ。……君の名前も、教えてよ」
私も聞かれると思っていなかったから、きょとんとして、一瞬固まる。
名前。そういえば、私の名前とは、なんであろうか。
「私は誰だ?」
「それは僕が聞いてるんだけどな」
男は苦笑する。私は顎に手を当てて思考する。が。
「……私も知らない」
そういえばあの蛇頭のバケモノも歌を歌う花も、名乗りはしなかったし、名前を訊ねてこなかった。一応“ファンタズマ”という呼び方を聞きはしたが、それくらいである。
ノワゼットと名乗った男が困ったように笑っていたが、しばらくすると、ぽん、と手を合わせて発言する。
「名前を付けてあげようか?」
「私の名前を……君がか?」
困惑する私を他所に、ノワゼットは一人で嬉しそうに笑って言う。
「では、考えてくるとしよう。次合うときまでにね」
「次……。そういえば君は──」
何も考えずに話していたが、彼には違和感があった。今までに出会った二人がおかしかったから、逆に彼が異端に見えるのだ。人間の頭部と人間の胴体と人間の手足を持つ彼は、この場に置いては奇妙な存在だった。
だって、彼はただの人間にしか見えないのだ。
「人間……?」
いぶかしむような視線を向ける私に対して、ノワゼットは首を傾げてみせる。
「そうだけど」
即答。しかも軽い返事。
「ノワゼット……君は私を見て驚かなかったな。それどころか、自然に話しかけてきた。なんだ、この遺跡の外には私のようなのが何処にでもいるのか?」
疑問をぶつけると、ノワゼットはけらけらと愉快そうに笑って答えた。
「そんな事はないよ。最初君を見たときはちょっと驚いた。でも、君の視線の先にあったのは、金色に輝く雲と青空だったから。同じだなって思って」
ノワゼットは天を仰いで、眩しそうに目を細める。私も彼を真似て、空を見上げた。
「空。綺麗だよね」
「ああ。そうだな」
眩しいけれど、陽の光は暖かく心地良い。なんてことのない早朝の空だ、と言われれば確かにそれだけのことだが、それにどうも目を奪われてしまう。ノワゼットもそうらしい。
何故だろうな。そう声をかけると、さあね、と短い返事が返ってくるだけだった。
「ファンタズマって、初めて見た。話に聞くファンタズマは醜悪な容姿をしていたり、何処か神秘的な見た目をしていたり……でも、君はそういう感じじゃなかった」
そう言って笑うノワゼットの視線は妙に温かい。ほぼ初対面の私に対しては不自然な気もする。
一瞬、唇を噛み締めて、泣きだしてしまいそうな目をしていた気がしたが、顔を逸らされてしまった。
「どうかしたのか」
「いーや。なんでもないよ」
それなら、どうしてその声は震えている。
そのあと、ノワゼットは私の知らないことを沢山教えてくれた。
この遺跡は神の門という意味の言葉“バベル”と呼ばれている場所らしい。万物の魂が帰るところであり、淀みと闇が溜まる場所。そうして、生物の特徴を持ちながら、生物とは似ても似つかない異形のバケモノが、“ファンタズマ”が生まれる。そういう場所だと言う。
話を聞いても私にははっきりとは理解できなかったが、それでもノワゼットは続けた。
ファンタズマは皆、何か理由を持って生まれるのだという。それが何であるかは誰にもわからないが、それを果たしたとき、ファンタズマは消失する。昨日、蛇頭の奴が消えたのもそういうことだったのだろう。しかし、彼の生まれた理由は何だったのだろう。
「でさ、君の生まれた理由は何?」
「誰も知らないのだと、君が言ったんだろう? そんなの、私が知りたいよ」
ノワゼットは、まあそうだよねーと気の抜けた声で言う。
それから彼は笑顔を崩して、何か考え込むように視線を落とした。その横顔をなんとなく見つめて、彼の瞳が今朝方目にした淡いオレンジの空と同じ色をしていたことに気付く。ぼんやりと見つめ続けていると、顔を上げたノワゼットと視線がばっちり合ってしまって、思わず目を逸らした。
「もしも。もしも、君が良ければ……」
ノワゼットが言いづらそうに口を開く。私はその続きを聞こうと耳を傾けるが、彼は口を閉ざしたまま。曖昧な笑顔を浮かべて、黙り込んでしまった。
「いいや。また今度話すよ……」
「お前、また来るのか? こんなところに」
「勿論さ。僕は君に用があったんだから」
「…………」
なのに、その用件は話してくれないらしい。
「今回は、とりあえず君に会えたから。それだけでよかったよ」
ノワゼットは微笑んでそう言う。実によく笑う男だ。何がそんなに楽しいのだろうか。
それじゃあね、と言って、ノワゼットは遺跡──確か、バベルと呼ばれていたのだったか。バベルの外側を囲む森の方へと歩き出した。
「ノワゼット」
呼び止めると、彼が緩慢な動きで振り返る。灰白色の毛が揺れる。
本当は、もう少しここに居てくれ、と言いたかった。けれど、こんなところに引き止めたって迷惑だろう。きっとそうだ。
「絶対に、来い。待っているからな」
ノワゼットは勿論さ、と笑った。
それからふと思い出して、私は付け加える。
「夜明けだ。今の時間より、少し早めに来い」
月の光を放つ、消え入りそうな白の花弁と、深海色の茎と透明のヒレ。孤独を嘆くように切なく、美しく歌う彼女の姿を、こいつにも見せてやりたいと思った。
「善処する」
そう、彼は答えた。断言はしない、少しだけずるい言い方だと思う。遅れてきて困るのは私ではなく彼なのだ。別に構わない。言い聞かせてみたが、遅れてくる彼を待っていたら、特等席で彼女の歌を聴けないではないか、と気付いて、遠のく背中に「約束しろ!」と叫んだ。
ノワゼットは振り返って、驚いた顔でこっちを見ていたが、すぐに笑って、右手の親指を突き立ててみせた。
彼が去ってしまえば、バベルを元の静寂が包む。風の音と、森に住む小鳥たちのさえずり。あとはなんにもない。随分と寂しい場所である。
そういえば、私は、私の瞳の色を知らない。瞳の色を知るには、それを教えてくれる誰かが必要なのだ。
ノワゼットの去っていった方向を見る。木々の覆い茂る深い森があるだけで、彼の姿はもう見えない。ノワゼットは帰ってしまった。
「今度。名前と一緒に教えて貰おうか」
私の瞳は、どんな色をしているだろう。どうせならあの夜明けの空のような、澄んだ水色とオレンジが混ざったような、綺麗な色をしていたらいい。
- Re: 夜明けのファルズフ ( No.4 )
- 日時: 2018/05/05 14:52
- 名前: ヨモツカミ (ID: NAPnyItZ)
4
次の日、ノワゼットは来なかった。
いつ来るとは言わなかったのだから、翌日に来なくてもおかしいことではないのだが。夜から淀み始めた空の下では時間の経過もわからず、明け方と共に響いた彼女の歌声で夜が明けたことを知ったが、歌は一人で聞いた。
朝はバベル内をぷらぷらと歩き回ったり、高い石の柱によじ登って遊んだりして過ごしていたが、昼頃からはとうとう雨が降り出した。冷たい水に打たれて、羽毛やら髪の毛が濡れるのは嫌で、バベル内の天井のある部屋に逃げ込んだ。
「あら、またいらっしゃったんですか。お暇なのですか」
「君だって夜明けの歌を歌う以外にやることないんだから暇だろう」
石の長机と椅子の並んだ部屋の奥、ぽつんと咲き誇る彼女の元へ来ていた。天井の一箇所に穴が空いているため、そこから雨水が入り込んできて、長机を濡らしていたが、彼女や私が濡れてしまう位置ではない。
暇を持て余した私は、彼女のとなりに腰を下ろして、話しかける。
「君はいつからファンタズマとして存在しているんだ?」
「さあ。星の数よりも沢山の歌を紡いで来た気がしますが、正確な数までは」
彼女は首を傾げるみたいに小さく体を揺らした。
星の数を数えたことはないが、それがどれ程途方も無いことなのかは想像が付く。
「ずっと……途方も無いほど昔から独りで歌い続けているのか? それって、寂しくはないか? 誰も聞いてくれないのに」
彼女は体を左右に揺さぶる。
「寂しいと感じられるのは、寂しくないを知ってるからです。あなたはそれを知っている、ということでしょう。でも、私には教えないで下さいね」
今度は萎れたみたいに項垂れる。彼女といい、あの蛇頭のバケモノといい、表情もないくせに随分表情豊かだな、と思う。
「知識が無いわけではないので、寂しいというものはなんとなく知ってます。だからそれを歌にして紡げるのですから。でも、はっきりとそれを理解してしまうのは嫌。寒くて、痛くて、花弁が張り裂けてしまいそうですから」
彼女に私と同じように顔があったなら、きっと悲しげに微笑んで見せていたのだろう。
「私は花だから、自らの脚で探しものをすることはありません。存在理由を満たして、散りゆくのをただ待ってます。待つというのは、途方も無いことかもしれませんが、私にはそれしかありませんから。これからもただ、夜明けと共に歌う。それだけです。体の奥底で、叫びたがるんですよ。この声が枯れるくらいに、届けって」
私は慰めるみたいに手を伸ばして、彼女の白い花弁に触れた。薄くて手触りのいい花弁は、ほんのり暖かかった。
「この歌は、誰に届けたいのでしょうね? わかりませんが」
表情はないけれど、酷く寂しそうに見えたし、その声は悲痛に響いた。彼女はもうすでに寂しさを理解して、私はここにいるよって歌を、日々歌い続けているのかもしれない。誰よりも孤独で、寂しくて仕方がないから、誰に届けたいのかもわからないまま、叫んでいるのだ。
「……理由。早く見つけような。お互いに」
「そうですね」
それから、夜明けではないけれど、彼女は歌ってくれた。やはり歌われる言葉の意味は分からなかったが、明るくて楽しげに。自分を励ますみたいに歌っていた。
翌日。柱にもたれかかってうたた寝していたら、顔に影がかかって目が覚めた。目を擦って顔をあげると、期待通りの人物の姿があった。黒いローブを身にまとった灰白色の長髪の男。ノワゼットだ。
未だに頭が覚醒しきらない私を見下ろして、彼はニッコリと笑う。朝日よりも眩しい笑顔をしていた。
「きたよ、アルバ」
「……アルバというのはなんだ? 挨拶か?」
石の柱に手を付いて立ち上がりながら問う。
「いいや。君の名前だよ。素敵でしょう? 僕からのプレゼントだ」
私は目を丸くした。名前。そうか、私の名前か。
アルバ。口の中で転がして、響きを確かめる。綺麗、なのだろうか。アルバという音の並びを聞いて、胸に抱いたこの感覚は。私はそれを、綺麗だと感じたということなのだろうか。
「……悪くない」
「えー? もうちょっと喜んでほしかったなあ」
ぽつりと感想を零すと、ノワゼットがそんなことを言うから、私は少しだけ困ってしまう。
アルバ。もう一度その余韻を確かめてみる。
喜んでいないわけではない。それだけは否定したかった。わからないのだ、この喜びの正しい表し方が!
でもきっと、自然と高揚する思いと、何故か吊り上がる口角に、好き勝手させればいいのだ。だから私は笑う。多分、これまでに無いほどの、屈託の無い笑顔だった。
「気に入った! 今日から私はアルバだ。好きなだけ呼ぶといい!」
朝焼けの赤を背に、白雪の髪を揺らしながらアルバが笑う。眩しいなあ、なんて思いながらノワゼットは、彼女の名を呼ぶ。そうすると、アルバは少しはにかみながら返事をして。胸が締め付けられる。目の奥がじわりと熱くなるのを、誤魔化すみたいにノワゼットは微笑んだ。
「……それで。前よりも少し早めに来たつもりだけど」
「む。そうだ。そろそろ行かないと、聞き逃してしまうな」
散りゆくのを待ち続ける、寂しい一輪のファンタズマ。彼女の元へ。
そう思って、私はノワゼットに手を差し出した。が、すぐに引っ込める。人間の彼からしたら、黒い羽毛の中から生える黒い爬虫類のような指先を、気持ち悪く思うかもしれないから。一連の動作を見て首を傾げているノワゼットに曖昧に笑いかけて「付いてこい。お前に見せたいものがある」と言って、私は先に進もうとした。
掌に何か触れる。優しい温度だった。
「え……」
振り返ると、ノワゼットに右手を掴まれていた。
「見せてくれるんでしょう? 連れてってよ、アルバ」
他人の温度に、また懐かしさを覚えていた。この感覚が何なのか、未だによくわからないが。
呼び名というものにはまだ慣れないな、と思いながら首肯して、ノワゼットの手を引いて彼女の元へと向かう。
等間隔に並ぶ石の柱の廊下を進む途中で、彼女の歌声が響き始めていた。私達が来るまで待っていてくれてもいいじゃないか、と思いつつ、ノワゼットの方に顔を向けると、彼は目を剥いて歌声に聞き入っていた。
「これ……」
「綺麗だろう? ちゃんと特等席で聞きに行こう」
長机と椅子の並ぶ長細い部屋。そこにたどり着くと、白い花弁と海色の茎と硝子細工のヒレを持った彼女は、月光の光を放ちながら揺れていた。やっぱり泣いているみたいに奏でられる、別れの歌。
「…………」
二人して聴き入って、終わった頃にノワゼットの顔を覗き込むと、その頬を雨のように伝う水滴を見る。ほとんど豪雨だ。次から次へと、ダバダバと流れる。集めて流せば川にでもなりそうだ。
「あら、私の歌で泣いて下さっているの?」
花が問うと、ノワゼットは涙を拭いながら、何度も首を上下させる。
「ずごぐ……ぎれいで、ホント、あだだがぐで、グスッ」
「あらあら。お優しい方ですね」
花は照れ臭そうにヒレをパタパタと動かして揺れる。ノワゼットにも聞かせたいな、くらいに思っていたが、まさかこんなに感動してくれるとは思わなかった。少し引いてしまう程だ。
「なづがじい……懐しいなあ」
「なんだ、この歌を知っているのか?」
ノワゼットが涙を拭い、深呼吸してから答える。
「いや。僕のために歌ってくれた人がいたんだ。昔」
遠くを見つめるようにして、ノワゼットは優しく微笑む。彼にそんな顔をさせるくらいには、愛おしい記憶なのだろう。
「どんな人だ」
少し興味を持ったから訊ねてみた。それで、どうしてそんなに悲しそうな、苦しそうな顔をされるのかはわからなくて、一瞬怯む。けれど、ノワゼットは、空を眺めるみたいに上を向いて話してくれた。
「僕の……。僕の、姉さんだよ。小さい頃にいなくなっちゃったけど。夜が怖いって泣く僕に、歌ってくれたんだ。星の光よりも明るくてキラキラ輝く歌をね」
「……すまない。嫌なことを思い出させてしまったな」
「アルバは気にしなくていいよ。嫌なことじゃない。暖かい記憶だよ」
私とノワゼットのやり取りを傍観していた花が「アルバ?」と不思議そうに揺れる。
「ああ、君には教えてなかったな。私の名だ。さっき、ノワゼットに貰ったのさ」
「そうなの? ふふ、あなたにぴったりな名前だと思いますよ。とても綺麗ですもの」
「ありがとう!」
ノワゼットも、自分の考えた名前を褒められて嬉しそうにしていた。
「照れるなあ。素敵な歌を聴かせてくれたお礼に君にも名前を考えようか?」
「お気持ちはとても嬉しいけれど、遠慮させて頂きますね」
しかし花はきっぱりと断った。
「私には待っている人がいますから」
誰、とは聞けなかった。多分、彼女も知らない誰かが。日々歌うその歌を届けたい誰かが現れる日を、待っているのだ。待ち続けているのだ。星の数を超えるほどの歌を紡ぎながら。
何十年、何百年だって待ち続けましょうという、彼女の覚悟を見た気がする。美しくも儚い。しかし、強かで気高い彼女はやっぱり誰よりも寂しがりやなのに。
- Re: 夜明けのファルズフ ( No.5 )
- 日時: 2018/06/15 20:18
- 名前: ヨモツカミ (ID: NAPnyItZ)
5
深緑が流れてゆく。風に運ばれて鼻孔をくすぐる土の臭いは、昨日の雨のせいか。
木々の向こうでカタカタと揺れながら遠ざかって行くバベルの景色をぼんやりと眺めながら、私は心地の良い振動に身を任せていた。馬車なんて初めて乗ったはずなのに、やはりどこか懐かしく感じて、どういう訳か安らぎすら感じていたし、なんならこのまま横になって、居眠りでもしてしまいたかった。
これから自分の身に何が待ち受けるかもわからないのに。いや、だからこそ私はいっそ眠ってしまいたかったのだろう。そもそも、あまりにも突拍子のないことを言われて、状況を飲み込めていないのだ。
私は深く吸い込んだ息を、ゆっくりと吐き出した。胃の中に沈殿したこの不安や居心地の悪さも吐き出したかったから。
このまま眠ってしまって、目が覚めたら全て夢だったらいいのに、とさえ思う。
──私は神様になる。
数時間前。
「それで。昨日はなんで来なかったんだ?」
私達は歌う花の元を離れて、地上に戻ってきていた。
高い位置に登ってきた日の光を受けながら、私がノワゼットに咎めるように聞くと、彼は苦笑を浮かべながら頬をかいた。
「もしかして、僕が来ないから寂しかったの?」
「そ、そんなこと言ってないだろう。何故来なかったのか聞いてるだけだ」
少し狼狽える私をノワゼットは楽しそうに眺めながら言う。
「村長を言いくるめるのが大変だったんだよね」
何が。とは、聞かずとも彼は説明してくれるだろう。いぶかしむ様にノワゼットを見つめ続けていると、彼は急に真剣な顔をして、あのねアルバ、と私の名を呼んだ。
でも、彼はしばらく迷うように口を開閉させて、言葉を発しない。何か大切なことを言おうとしているのだけは理解できたから、私は黙って彼を見守った。真剣さには誠実さを返さなければならないから、私も真面目な顔で。
やがて、意を消したように彼が目を瞑って、開いて、それからノワゼットは私の手を取った。真っ直ぐに揺るぎない眼差しが私を捉えていた。
「アルバ。君は、僕らの神様だ」
「………………は」
微かな声が漏れたが、言葉を失う。
沈黙。
衝撃。
驚きのあまり、私は表情さえ浮かべられないままノワゼットを凝視した。
聞き間違えではないだろうか。耳にした言葉を脳内で反芻させて、噛み砕くが、やはり意味を理解しきれない。
「あの、どういう……ことだ?」
困惑する私に、ノワゼットもまた少し困ったように笑って説明する。
「昨日君を一目見たときから、“見つけた”って思ってた」
ノワゼットは息を吸い込んで、悲しげに何処か遠くを見つめた。
「僕の村は今、酷い飢饉で、作物は育たなくなって、家畜もどんどん死んで、大変なことになってるんだ……本当に。みんな参ってるよ。このままじゃこの村は終わりだって。だから僕はそれをどうにかするために、バベルまで“神様”を探しにきたんだ。
君の髪。白い髪はね、神様の生まれ変わりと言われてるんだ。一昨日君を見たときから、君が神様だと思った。
だから。僕の村に来て、神様になって欲しいんだ」
私は息を呑んだ。それから、酷く動揺した。
「何馬鹿な事を言ってる……。髪が白いから? そ、そんな理由で、私が神様、だと?」
ノワゼットは真剣な目で私を見つめていた。
「私に、飢饉だのなんだのをどうにかする力なんてないぞ? 私が行ったところで、村の作物やら家畜が復活するわけでは無い。だろう……?」
「そう、かもね」
「……なら、それは」
私の声を遮るように、ノワゼットは声を荒らげる。
「頼むよ、アルバ……! 偽りでもいい、僕らのためにみんなを騙す神様が必要なんだ!!」
「騙す……? ノワゼット、君は」
「君に自覚があるかどうか、君が本当の神であるかどうかなんて、この際どうでもいいんだ。僕らが信じて縋る証が必要なんだ。この村は神の寵愛を受けているから、いつか復興できるからって、信じて進むための、何かが必要なんだ!
……このままじゃ、村人みんな諦めてしまう! それだけは避けないと……! だから僕は神様を探しに来たんだ!」
ノワゼットは真剣だ。揺るぎない太陽の瞳が私を射抜いていた。その奥に渦巻く覚悟を知る。彼は理解しているのだ。それが具体的な改善につながるわけでもない。それでも。
「どうか、アルバ! 僕らのための守り神に!」
神という名前を与えただけの、偶像に。
「私は……自分がなんだかわからない。でも、神様なんて崇高なものではいよ」
縋りつくその目を見るに耐えなくて、私は視線を落とす。
もしも運命というものがあるなら、この場所で目を覚まし、蛇頭のファンタズマと言葉を交わし、歌う花と言葉を交わし、ノワゼットと出会い、そして、その先に進むこと。それがきっと。
「私は、私の存在の意味を知りたい。君が。君たちが、私を必要とするなら……それもきっと、運命なのかもしれない」
だとしても、迷いはあった。だって、私がやろうとしていることは。
「私は、誰かのための神様になろう」
きっと、ただの偽善だ。
なのに、ノワゼットが笑う。安心したように、嬉しそうに。それが痛々しくて、見てられない。
「アルバ、ありがとう……」
私は何も答えなかった。
ただ、胃の底に蔓延る言い様のない気持ち悪さを押し殺した。
押し殺して、話を変えてみる。
「なあ、最も悲しくない別れの告げ方とは、なんだ?」
ノワゼットは目を丸くしていた。
「また会いに来ると告げれば、彼女は寂しくないだろうか」
ノワゼットの村に行くということは、バベルを離れることになるのだ。それはつまり、あの歌う花ともお別れということ。
ああ、と彼も私の言いたいことを理解したようで、少しだけ考えたあとに口を開く。
「嘘は、駄目だよ。君の言葉を信じ続けても、いつかは真実を知る。そのとき、騙された者は──深く、深く傷付くんだ」
そうやって、ノワゼットが苦しそうに言った。自分のことのように、その時の記憶を思い出すように。
少しだけ遠い目をしていたから、そんなふうに聞こえたのだ。
だから、思わず私は訊ねた。
「嘘を付かれたことがあるのか?」
「……いいや?」
直ぐに薄く笑みを浮かべて帰ってきた否定の言葉を、簡単に信じるほど私は阿呆ではない。なんで隠す。訊ねたかったが、多分きっと、ノワゼットはその笑顔で蓋をしてしまうだろうから。何も知らないふりして私は口を噤むだけだった。
「それなら、何も言わずに去ったほうが良いのだろうか」
「うーん。僕だったら、それも嫌かもね。一言くらい言ってくれないと、心配になるよ」
「そう、か」
俯いて考え込む私の肩をポンポンと叩いて、ノワゼットは微笑んだ。
「無理にお願いはしないからさ。君が一番だと思う選択をしてほしい」
さっきあれだけ必死に頼み込んできたくせに。殆ど断らせる気など無かっただろう。内心そんなことを思ったが流石に口には出さなかった。
再び歌う花の元へ戻ってきた。
部屋の入り口から顔だけ出す私に気が付くと、彼女はサファイア色のヒレを振って挨拶をする。何だか嬉しそうだ。
私は彼女の前に来ても、中々切り出せずに、数回口を開閉させ、結局閉ざした。それを急かすこともせず、(というか急かす手段が無いのかもしれない)彼女はそんな私の様子を黙って見守っていた。
「あ、あのさ」
「はい」
「……私、ここを出て、ノワゼットと一緒に行くことにしたんだ」
一瞬、空気が固まったみたいに、花も完全に静止した。
「お別れ、ですね」
「ああ。だからその、ごめん」
「何故謝るのですか」
花は首を傾げるみたいに横に揺れる。表情がないから、彼女が何を考えているかが窺えない。彼女が人間のような顔を持っていたなら、泣きそうな顔をしているのだろうか。憶測でしかないが、そんな風に思って、私は肩を落とす。
でも、花はふふっと笑ってから話し出す。声は明るく、弾んでいるように聞こえた。
「私、嬉しかったんですよ。アルバに歌を聴いてもらえて。綺麗だって言ってもらえて。また聴きに来てくださって。私はアルバから、沢山のものをもらいました」
だから、私は大丈夫。言葉もなく、彼女はそう言っているのだ。強くて真っ直ぐな言葉は、しっかりと私の胸に染み込んでくる。
「アルバに会えて良かった。またいつか、お会いできるといいですね。……さよなら」
「──ああ。またな」
私が使ったのは、また会える二人が交わす、別れの言葉だ。そうだ。ノワゼットと共にバベルを離れたとしても、それが一生の別れになるわけでは無いはずだ。
再会を誓い合って。今だけはさようなら。
「彼女、『龍とファルズフの花』の物語に出てくる花みたいだったなあ」
馬車を運転するノワゼットが、ポツリと言った。カタカタという雑音にかき消されて、聞き取りづらかったので、聞き返す。
「そういう童話があるんだよ。知らない?」
少しだけ声を張り上げてくれたので、今度はちゃんと聞き取れた。
「知らないな。どんな話なんだ。村までは大分かかるんだろう? 聞かせてくれ」
そうだねえ。と呟いて、ノワゼットは静かに語り始めた。
「それはね。龍と、龍に呪われたとある少女の物語さ」
Page:1