複雑・ファジー小説
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- この世にゃバグが多すぎる
- 日時: 2018/05/16 15:24
- 名前: インセクター羽蛾 ◆fKyb7/SVPw (ID: FBVqmVan)
コメント下さい!!!
冗談です。ゆっくり更新するのでゆっくり眺めていてください。
筆が遅いので、一応週に一回の更新を目標にしていますが、もっと遅くなると思います……。
そんな亀更新でも構わない方は暖かく見守りつつ応援お願いします。
割りとスプラッタ寄りなシーンもあるので血生臭いのが苦手な方はブラウザバック推奨です。
キャラクター
□アキオ・スズシロ
□ラッセ・インスパイダ
□レイナ・トウドウ
□ダイゴ・ランドウ
□セツナ・キリサキ
■ウルハ・コクジョウ
プロローグ
>>1
第一話
>>2 >>3
- Re: この世にゃバグが多すぎる ( No.1 )
- 日時: 2018/04/30 12:57
- 名前: インセクター羽蛾 ◆fKyb7/SVPw (ID: EnyMsQhk)
あれが悪夢で済むならば、今すぐにでも醒めて欲しいと願ってしまう。あの悲劇が一昔以上前になった今でも、あの日に帰りたい、と。目を閉じるだけでありありと思い浮かぶ、赤にまみれた大部屋。駆けつけた時には皆事切れていたというのに、その惨状から悲鳴が聞こえてくるようだった。見知った顔は、愛した両親は物言わぬ人形となっていた。
その日は、母の弟、すなわち叔父の結婚式の前日だった。明日には挙式、その前に身内だけを集め、祖父のいる大きな屋敷で宴会をすることになっていた。その準備に父も母も、親戚達も駆り出されていた。当時五歳にも満たなかったため、年の近い親戚はおらず、数少ない子供達が各々その両親から手伝いをしろと指示されて料理の準備を手伝う中、自分だけ裏で遊んでいた。
Anti-BUGs Army Ant、通称AAA【トリプルエー】がローチ掃討戦を終結させた報せを発して、近い日であった。人々を恐怖のどん底に叩き落としてきたバグ、その一端であるローチと呼ばれる種が根絶され、安堵しきってしまったのだろう。
さらには、AAAが当時人員難であったことも、今となっては知っている。片田舎に常時気を配り、見張るほどの余裕が軍にも無かったのだ。それは、駆けつけるのも遅くなってしまうだろうなと納得するしかない、のに。やはり人は、己のこととなるとそう易々とは飲み込めなかった。
明日には式を迎える、幸せの絶頂にいた叔父はというと、血潮の池に浸りながら、もう閉じることの無い瞳孔で虚空を見つめていた。大きな部屋の真ん中を陣取るように配置された机、その上に所狭しと並べられた色とりどりな料理。しかしそれらは何人もの、何十人もの体液を浴びてしまい、瓶に詰められたイチゴジャムみたいな色になっていた。周囲を飾り付けるように転がる、先刻まで家族だったはずの、肉塊。
たった四年ぽっちの人生経験において、その光景はあまりに衝撃的だった。自我が目覚めてから、と考えればもっと短い期間であろう。それ以外の当時の記憶など、月日の流れと共に風化して薄れていくというに、あの部屋の様相だけは今でも色褪せる事はない。まだ、鮮明に、細部まで、正確に思い返すことができる。
記憶は映像のみに止まらない。嗅覚に触覚、聴覚にまで克明にその出来事は刻まれている。充満した鉄の臭いが鼻腔を埋め尽くす。排泄物の臭気や、胃酸や汗の酸っぱい臭いも混じっていた。ざわざわと、指先の方から肌が粟立つのが伝播していく。走り回って汗をかいていて、顔に昇った血が熱くて仕方なかったのに、急速に冷えゆく体温。きっとその瞬間、顔色は紅潮から真っ青へと変化したに違いない。そして耳には、血を啜る汚い音と、筋を引きちぎる獰猛な音。ズズズだとか、ブチブチだとかが、交互に。
その中で動く影は、たった一つだけ。青白い、人魂みたいな、嫌悪が募る色と光沢とを放つ翅。当時自分が幼く小さな体だったとはいえ、その屈強な体は小高い丘のようであった。その目は、よく見れば六角形の小さな目が規則正しく隙間なく敷き詰められていた。真っ赤で、その目だけで大人の顔くらいの大きさをしていた。
口らしい口は見つけられず、代わりにブラシのようなものが、人の顔であれば口があるべき所に付いていた。ぞわぞわと、生え揃った細かな毛が蠢くと、血がボタリボタリと垂れる。勿体無いと言わんがばかりに、意地汚くもその生物は、血が垂れた地面に筆のような口をあてがって、溢れた朱の染みを啜った。畳みごと食らうような掘削音。事実畳みは荒々しくその藺草の繊維をささくれさせていた。
筆やブラシのように思われたその口の繊維の下には、小さな棘のような歯が、やすりみたいに狭い空間に立ち並んでいた。あれで肉を引っ掻けて、引きちぎり、喰らっていたのかと幼いながらもすぐに悟ることができた。
触角の生えた顔から次第に、その胴体の方へと視線を向けていく。ドラム缶みたいな太さの胴体はよく見れば胸と腹の二つのパーツから構成されていた。その内、胸からは三対六本の足が伸びている。細長い癖に、しっかりと大地に踏ん張っていた。腹はというと、捕食したものが詰まっているのかパンパンに膨れているようにも見えた。腹の横の穴からは、興奮した人間の鼻息のように空気が吸ったり、吐かれたり。
背から伸びた長い翅はまるで刃のように鋭かった。全長は後に聞いたが、大の大人と同じぐらいだったのだとか。そんな偉業の化け物は、誰かが後ずさる足音を感じ取ったのか、ゆっくりと体ごとこちらへ顔を向けた。
幾百幾千、あるいは一万の複眼と目が合い、家族と同じようにここで人生が終わるものなのだと覚悟した。鈍い音を上げて、その翅が上下に震える。重力に逆らって、その巨躯が持ち上がったかと思うと、次の瞬間。
一直線にそれは、目の前に飛びかかってきたのだ。
それも、あのやすりみたいな歯で噛みつこうとするように。
身構え、襲い来る痛みに耐えようとしていた時の事だ。目を閉じ、待ち構えていたのにも関わらず、その異形の虫は一向に手を出してこないように思えた。
さっきあれほど準備万端といった風だったのにと思い返し、いつの間にか羽音が止んでいるその事実に気がついた。何が起きたのだろうか。目を開くと同時に、刮目。「嘘……」と感嘆を漏らしつつも僕は、ただ一刀のもとに切り捨てられた蝿の化け物の亡骸に目を奪われた。
バグは、背筋に複数の神経節を持っているのだが、それら全てを一度に斬り裂かれるよう、正面から真っ二つにされ、左右に両断。消化管からは、やはりどくどくと真っ赤な洪水があふれた。
剣を振り抜いた主は、父と同じぐらいの年頃に見える、男の人だった。朱色に燃え上がる、炎のような隈取りが顔に浮き上がっていたのが特徴的だった。
「すまない……遅くなってしまって」
部屋の惨状を見回し、そしてただ一人生き残った姿を見たその人は、悔やむような涙を浮かべて頭を下げた。その髪は、虫の返り血を浴びたせいで汚れていた。見回してみても、血の海に浸った一族の頭部もすっかり赤いペンキに染まってしまっているようだ。
そんな中、自分だけが綺麗なままだった。歪だと思えた。何一つ汚れてなんか無いのに、つまみ出された気分。蝿を殺した彼はさておき、化け物と、化け物に食い荒らされた家族とは、弱肉強食の世界を体現するように、物言わぬ死体と貸していた。
ならお前は何だと、胸中にて問い質す。弱い癖に生き残ってしまった、お前は誰なのかと。生者と言う枠に未だ取り残された君こそが、何より歪で汚らわしい存在なのではないかと、誰かが耳元で囁いた。無論当時にはそんな高尚な言葉など使えなかった。それゆえ、僕の口を突いて出た言葉は、あまりに簡単で、無垢で、現着の遅れたその大人にとっては、あまりに残酷な代物だった。
「どうして僕だけ生きてるの?」
「どうして僕だけ死ねなかったの?」
「どうせなら、一緒に死んでいればよかったのかもね」
記憶らしい記憶はここで途絶えている。ただし、ここまでの記憶だけがあまりにも鮮明だった。最後に焼き付けたのは、助けてくれたあの人の顔。
十年強の歳月が流れた今、あの人が誰であるのか今さら探しだせはしないだろう。もしかしたら既に死んでいるかもしれない。けれどもその人は、涙を失った俺に代わるように、泣いてくれたんだ。
- Re: この世にゃバグが多すぎる ( No.2 )
- 日時: 2018/05/08 08:42
- 名前: インセクター羽蛾 ◆fKyb7/SVPw (ID: hgzyUMgo)
目覚まし時計は鳴っていたものの、目を覚ましたのは全く別の理由からだ。まず自覚したのは、夏だというのに体が震えていることだった。首から上は暑苦しいだなんて感じているのに、胴体は驚くほどに冷たかった。なぜだろうと目脂のついた睫毛を擦ってようやっと目を開く。それは寒いはずだと、季節外れの寒気の中に、夏らしさを感じた。
着ていた服は汗で変色していた。淡いグレーの寝間着であるはずなのに、裾の方数センチを残し、濡れ鼠のように濃い色となっていたのだ。貼り付く薄着が気持ち悪い。肌に接しているところからどんどんと体温を奪っていく。そのせいか、寒くて冷たくて仕方がない。着替えなくてはならないなと、急いでその服を脱ぎ捨てた。毎日鍛えている体が目に飛び込んだ。細身ながらも引き締まった体。綺麗に割れた腹筋も、細くしなやかなようで力を込めれば固くなる二の腕も調子はよさそうだ。
脱いですぐは、やはり一層熱を奪われる悪寒に襲われたが、カーテンを開けて日光を浴びた途端にそんな薄気味悪さは吹き飛んだ。高い気温のせいで、肌の表面の水分も乾ききったのだろう。ギラギラと、照らしたもの全て焼き付くすような真夏の太陽。直視すればこの眼球さえも溶かされてしまいそうなので、掌でひさしを作る。輻射熱のおかげか、秒を追うごとに体が表面から芯までじんわりと暖まっていく。心地よい。
「また……か」
またあの夢か。そう言おうとしたつもりだった。しかし、体内の水分が汗で持っていかれたのか、掠れた喉からは枯れ果てた木の葉みたいなカサカサの声しか出てこなかった。ひりひりと焼けるような痛みが胸元から鼻腔の根本の方までを走り抜ける。風邪気味だろうか、とりあえず喉を潤すためにも冷蔵庫の方へと向かう。
体が暖まって、ようやっと動き始める。その様子がどこか本物の虫のようで、そんな自分の体が嫌いで堪らない。虫はあの日から、大嫌いだというのに。
よく冷えた紙パック入りの牛乳を取り出した。1リットルサイズの容器に、まだ後半分以上残っている。けれども自分以外飲む者もいない以上誰に遠慮することもない。注ぎ口から直接飲む。大きく喉を鳴らして、一気に胃へと注ぎ込んだ。乾燥しきった口内を通り抜ける牛乳はとても甘く、冷たく、さっき暖まったばかりの体がまたクールダウンしていく。口の脇から漏れた白い滴が、顎から首筋に垂れてきた。体の方を這う前に急いで手で拭う。親父臭く大きな感嘆を含んだ息を漏らして、もう後四分の一くらいになった紙パックをまた冷蔵庫に戻した。
部屋にあるものと言えば、ベッドと冷蔵庫、そして小さなテレビと勉強机くらいであろうか。八畳程度の広さ、それが新米兵士、三級ソルジャーアントに与えられた個室である。我ながらそれほど几帳面でもない男だが、部屋が散らかることはない、何せ置くものがこれ以上は何も無いのだから。
ひと度喉が潤ってしまうと、先程まで感じていた息苦しさに似た喉の痛みは消え去ってしまった。なるほどただの脱水ゆえの症状かと、体調を崩していないことに安堵する。今日は訓練でなく外回りの日であるため、病気など患っては班長にも班員にも迷惑がかかるだろう。
いや、迷惑は普段からかけているか。トウドウのゴミを見るような目を思い出す。黒くて太いフレームに支えられたレンズの向こう側、切れ長の目が嘲るように見下している。そりゃ、ラッセの足を引っ張っている自覚はあるが、わざわざオペレーターのトウドウに罵られる謂われは無い。
そもそもラッセが規格外なのが仕方ない。誰が組もうと同期の中ならば、誰もが彼女の足を引っ張ることになるだろう。それほどに、彼女の才能は群を抜いていると言える。本当に同じ、入隊初年度の兵士なのかと尋ねたくなる程度だ。アカデミー時代から、ラッセが優秀なことは知っていた。しかし、それでもだ。四ヶ月前AAAに所属してからの華々しい戦果は、新人にしては常軌を逸している。そんな奴の比較対照として班員となった足手まといの俺の気持ちを誰か一人くらい汲んで欲しい、と愚痴をこぼしてしまうのも仕方ない。
そんな愚痴すらも、きっと班長はおおらかに笑って見ているのだろうな。口を大きく開ける彼の様子が思い浮かんだ。歯医者にかかったことなど無いと豪語するほど、綺麗に並んだエナメル質。山みたいに大きなあの人なら、きっと班員個々の能力に大きな差があろうとそうは気にしないだろうなと。
外回りに出るまではまだ時間がある。余裕を持って飯くらい摂っておいた方がいいなと、背と腹がくっつきそうな空腹感を自覚した。部屋の入り口には本部の者から物資が届けられる支給ボックスがある。ポストのように外から物を投じ、中から回収できる仕組みだ。洗濯、修繕の済んだ戦闘服なんかはもっぱらここに返される。
前回の勤務では、危うく右腕を失いかけた。蟷螂の鎌が簡単に腕を引き裂いた。何とか飛び退こうとしていたところなので腕は飛びきらなかったが、丁度骨に到達するようなところまでは肉が断たれていた。無事に傷跡がその日の内に接着したのはアントの力の賜物だ。神経も問題なく繋がっている。指先の感覚まで、麻痺することなくいつも通り。
それでも戦闘服は穴が開いてしまったので修繕に出した。強靭な蜘蛛の糸で編まれたこの戦闘服は体にぴたりと合い、とても軽く、その上工業的に生産できるどんな合成繊維で編んだ布よりも強靭だった。やはり自然の神秘というものは、人の手だけで乗り越えるには少し手強いところがあるのだろう。これのせいで、丈夫な繊維を産出できる蜘蛛ベースの職人アントの需要が急増したのだから。
蜘蛛なのに、肩書きはアントなのが未だに抵抗がある。組織の施設を蟻の巣に見立てており、組織の名前にもアントと入っているため仕方ないのだが。
日の当たる窓の前に戻ってさっさと着替えようとしたところで、ノックの音が眼前の扉からした。誰かがこの部屋の前に訪れたらしい。時間はまだ、六時くらいのはずだ。こんな時間に誰だろうか。ドア越しに返事をし、魚眼から外を覗き込んでみる。緑色の何かが見えたかと思うと、すぐさまそれは遠ざかった。レンズの向こうの視界が開けたかと思うと、鮮やかな金糸が揺れる輪郭が見えた。
なるほど、さっきの緑は向こうから覗きこんできた瞳の色だったのかと納得した。その顔が離れていった今、廊下や向かいの扉の様子もよく見える。
誰が訪れたのかはすぐに分かった。あんな目立つ髪と目をした者はこの基地には数少ない。東日本支部にいる、渡来兵は片手で数えるほどにしかいない。部屋の扉をおいそれと開ける訳にはいかなかった。初めに、ここは男子の居住棟だぞと釘を刺し、来訪者の名を呼んだ。
「朝っぱらから何の用だよ、ラッセ」
「いや何、起きているかと思ってな。もし起きているなら私の朝練に手を貸してもらおうかと」
相変わらず日本語が堪能なことだ。この国に棲み始めて、四年と少ししか経っていないのに、いつしか発音まで完璧に習得していた。初めて会った頃には日本語なんて全然分からなかったくせに。あの頃はまだ、可愛いげがあった。
「起きたばっかなんだけど」
「何、私もだ。気にするな」
「気にするっつの」
せめて飯食うまでは待っていろ。そう告げると自分も食事前だと彼女は言う。どうせなら食事から共にしようという誘いらしい。おそらく拒否権は無いのだろうな。
「よし、なら出てこい。一番乗りであさげと行こうじゃないか」
「待て、まだ着替えてないんだよ」
「別にここにいる同期は家族のようなものだろう? 何、部屋着のままで構わんさ、開けるぞ」
「おい馬鹿、上は脱いだまんまなんだよ」
言うが早いか、向こうから彼女は扉を押し開けた。そのまま、上裸のままの自分と、顔色一つ変えないラッセとの目が合った。こっちで俺が服を来てなかったのは予想外だったろうに、目が泳ぎすらしなかった。
ソルジャーアントの居室は何事かあった際に鍵の故障ですぐに出られないといった事態を引き起こさないためにも、鍵がつけられていない。支給ボックスを使うことで、あまり他者がその人の部屋の中に入らずとも済むようになっているし、住む者は皆他人の部屋に勝手に入るなという暗黙のマナーを守っている。勝手に部屋の扉を開けるのもナンセンスだ。
とはいえ、ラッセにその理屈は通用してくれないのだが。その上、男の脱いだ姿になど一切動じやしない。此方はというと、下を脱いでいなくてまだ助かったと安堵しているというのに。
「自室だからとそんな格好をするのはどうかと思うぞ。夏とはいえ、風邪をひく」
「心配どうも、早く閉めてく……れ」
魚眼からは見えない死角にいたのだろう、もう一人の来訪者を見つけ、言葉に詰まる。ラッセとは違う、大和撫子らしい、墨のように真っ黒な髪を揺らしたトウドウの姿。その目は嫌悪ゆえか、眉間に皺を寄せながら細められ、見下すような冷たい眼光でこちらを睨んでいる。
棘のある、平淡でどすの利いた声が、這うように耳まで届いた。静かだが、隠しようのない彼女の感情が込められている。
「そんな汚ならしい体見せつけないでくれる?」
「ならラッセに閉めるよう言ってくれよ……」
「ラッセ、目の毒よ。早くドアから手を離して」
「そこまで言うかよ……」
凍堂 麗奈。男嫌いでよく知れ渡っている。薄い顔立ちに、太いフレームで厚いレンズの眼鏡をかけており、容姿に関しては一言で言えば地味の一言で片付く。オペレーターにありがちな、細い手足。女性に対し別段優しい訳ではないが、男性へのあまりに苛烈な物言いに辟易する者は多い。上司であろうと容赦は無く、それさえ受け入れる班長として、今のリーダーが選ばれたのは納得だった。
「手に服を握っていたな、すぐに来て出てこい」
「下はまだ部屋着脱いでねぇよ」
「言い訳せずに早くしてくれるかしら? ラッセは朝練したいって言ってるの聞こえてる?」
「わーってるよ」
性の悪い姑かお前はと、疲れのせいかため息が出た。しかし、聞こえているぞと向こう側からまた声が。地獄耳めと、今度は胸中にこぼして、いそいそと着替え始めた俺は、一分後にまたトウドウに「遅い」と罵られるのであった。
- Re: この世にゃバグが多すぎる ( No.3 )
- 日時: 2018/05/16 15:23
- 名前: インセクター羽蛾 ◆fKyb7/SVPw (ID: FBVqmVan)
「危うく置いていくところだったわ」
「ラッセが待ってたのは俺なのにか」
そいつは少しラッセの言葉を無視してやいないかと、さっきの皮肉を込めてみる。案の定というべきか、舌打ちを一つ。同じ班の仲間に向ける態度ではないな、毎度のことだが。
「本当に口が減らないわね」
心外だ。お前にだけは言われたくない。鋭い眼光に嘆息で応じる。それだけで言わんとせんことは伝わったようだ。また一つ、大きく舌を打ち鳴らし、お前と話すことは無いと告げる代わりにトウドウは背を向けた。
その様子を見て、君たちは相変わらずだなと、嗜めるようなラッセの言葉。だが主張したい、どう考えても相変わらずなのはあっちの方だ。世の中班長まで含めて女だけのチームまであるというのに、なぜよりによってトウドウがこの班に。何ならチームメイトたる此方としても抗議をしたい。
世の中実際のところ間違いだらけなのではないか、そう思ったが故に口にしてしまう。同音異義語が奴等の総称なので、不謹慎だと咎められてしまう、自分の口癖。
「全く、この世にゃバグが多すぎる」
決め台詞にしては気取りすぎてやいないか。いつものように、この言葉を聞き届けたラッセは、快活な声を上げて笑っていた。
人間は日の光を浴びて育つべきだ、という理由から居住区は地上にある。ビタミンの一種は日を浴びてようやく活性するのだとか何とか。それゆえ、居住区にはちゃんと陽光が差し込むための、強化ガラス製の窓が設置されていた。しかし、開けることは叶わない。何せ、奴等が入ってきたらたまったものではないからだ。
例え近くに奴等が現れ、ここを襲われても内部に被害が出ないようにと、地上エリアはどこよりも頑強な素材で作られていた。二十年前、AAA設立の数年後に開発された特殊な合金。それは自分達アントの武器としても用いられているが、今まで見られてきたどんな虫の外甲より堅く、奴等には砕くことができない。
安全性を確保するためというのは理解している。だがそれでも、全面が合金に覆われた通路というのはあまりに無機質で、冷たい。経費の削減のため壁紙なんて用意されておらず、錆びないことをいいことに材質が剥き出しだ。ぎらぎら蛍光灯の光を受けたまま反射するのが目に優しくない。この居住区において、木製の代物は各居室と通路とを隔てた扉くらいのものだ。
俺と並ぶラッセ、三歩先を歩むトウドウは一様に視線を集める。何せここは男子棟、女子がわざわざ来ることなどそうは無い。しかし、女子以外立ち入れないあちらの棟とは異なり、男子棟は女性も入ることができる。
好奇の目では決してない。両手に華の男に向けた羨望でないことも分かっている。ラッセは体つきこそ女であるが、それ以外は男と相違無い。トウドウの男嫌いもよく認知されている。またお前は振り回されているのかという、同情の目だ。よく言われる、「俺がお前の立場じゃなくてほんとによかった」と。
ただ、ほんとにこいつらと居るのが苦痛かと問われればそうでもない。ラッセは当然、同い年の中では一番強い。同期の中で俺自身が最下位争いをしていることに目を瞑れば、これ以上無いお手本のようなアントだ。体捌きに立ち回り、学ぶべき事は沢山ある。それにトウドウだって、大きな口を叩くだけあり、指揮能力、戦況の把握能力は著しく高い。ラッセとトウドウを組ませることで、新人同士ハイレベルに連携させたいとの願いから同じ班になったのだとか。
対して自分はというと、座学と武道の成績こそよかったものの、アントとしての、虫の特性を利用した実戦の成績があまりに酷かった。特異形質が何一つ発現しない。それゆえ一人、性能が初めから劣っていた。そのハンデを背負いながら戦わねばならぬ。縛りプレイで勝たしてくれるような者は、訓練兵時代から誰一人としていなかった。
不出来な劣等生にはあまりに上等な味方。それは分かっている。だからせめて、これ以上足手まといと言われぬよう、精進せねばならない。できるのかなんて弱音は吐かない。並んでみせる、追い付いてみせる。一匹でも多くの、バグ共を抹殺するために。
「どうしたアキオ、何やら固い顔つきのようだが」
「別に。元から仏頂面なんだよ」
「馬鹿言うな、陽気なムードメーカーのくせして」
「おっかしいな、寡黙で憂いのある儚げな男のつもりだったんだけど」
そういうところが陽気だと言うんだ。ほがらかな彼女の声が金属質の廊下に響いた。鈴のような声とまでは行かないが、鐘くらいには淀みの無いラッセの声。手を口元に添えて笑いを噛み殺している。そうか、そんなに可笑しかったか。今度から、もう少しお調子者な言葉は控えようと思う。
かなり早い時間に訪れたゆえ、食堂はかなり空いていた。入り口の指紋認証を通して中へと入る。AAAに勤める者しか入れないものの、ここでの食事は無料で受けられる。給料も悪くないが、このあたりの福利も中々によい。それだけAAAで働くというのは命がけではあるのだが。
AAA、トリプルエーと称される組織の正式名称は、Anti-BUGs Army Antという。バグに対抗する蟻の軍。まさしく末端の兵隊は、働き蟻といったところだろう。勇猛果敢に、しかし群れを為して巨大な虫どもに立ち向かう姿を指してこの名が付けられたのだとか。
「おばちゃん、洋食のセットを頼む」
「はいよ。ラッセは今日も元気だね」
「いや何、元気で無いと勤めなど果たせんからな。気力が第一だ」
「さっすが。期待の新人は違うね。レイナちゃんは?」
「和食の、鮭で。ご飯は少な目でお願いします」
あんたはもう少し食べればいいのにと、食堂のおばちゃんは陽気に笑った。注文通りの内容を奥にいる職員達に伝え、自分はというとトウドウの白飯を茶碗によそっていた。
「はい、アキオ。あんたは?」
「んー、じゃあサンドイッチとサラダとヨーグルト」
「あんたも男とは思えない食の細さだね。それにやけに怠そうじゃないか。しっかりしておくれよ」
「寝起きなんすよ」
「実際鍛えた体が可哀想なくらいに頼りないでしょ、もう少し精のつくもの食べたら」
こりゃ手厳しいと、おばちゃんがトウドウの毒舌に微笑む。厳しいなんてもんじゃないよと、自分のものより遥かに立派な食事が盆に盛られた、ラッセの朝食を見ながら、ただ溜め息が漏れるのを他人事のように実感していた。
トウドウにしたってほうれん草のお浸しに豆腐とワカメの味噌汁、焼き鮭まで添えられており、健康的で量も女子にしては満足と言える。
野菜こそ摂ってはいるものの、サンドイッチやサラダだけだと確かに、昼には空腹が限界に達してしまいそうだ。しかも今はまだ七時にも満たない。
しかし、だ。この後ラッセと訓練させられることを考えればあまり胃にものを入れたくない。というよりラッセはどうして、目玉焼きにクロワッサン三つ、ソーセージ数本にサラダまで腹に入れた上で戦闘訓練なんてしようと言うのだ。
それくらいのハンデを貰っている方が丁度いいのかもしれないな。レタスにフォークを突き刺しながら、そんな事を考えた。
「ほんとあんた、草ばっか食べてるわよね」
「草言うな、野菜だ野菜。実だってあんだろがよ」
さっきの皮肉にまだ苛立っているのか、トウドウの声には険があった。トマトの鮮やかな果肉を見せつけて俺はその言葉に抗議する。
だがそんな細やかな抵抗など、気にも留めていない彼女は口をつぐむつもりはないらしい。音も無く上品に味噌汁の出汁を口に含み、飲み込むと同時にまた冷淡な目を向けてきた。
「そうね、確かに草ばかりではないわね」
「だろ、人をバッタやキリギリス呼ばわりしないでくれよ」
「そうね。……確かにアキオはそう言ったものがベースになっていないけど、なっていない分むしろ、怖がってるみたい」
その言葉に、フォークを握った手が止まる。こちらを睨んでくる彼女と真っ向から目があった。トウドウの瞳に写る己の姿まで見える。その目は自分で思っているよりも遥かに、冷たい瞳をしていた。
「まるで、蜘蛛であることを認めたくないみた……」
「……レイナ」
此方から見て向かいの席、あるいはトウドウに座っているラッセがその言葉を諌めた。語り続けようとするトウドウを制するように、名前を呼び掛ける。棘こそ無い。しかしだからこそ、その強い声音に二人揃って押し黙るしかなかった。
毎日毎日言い争うのもいい加減にしろとラッセは叱責する。子供のような言い争いばかり、確かに16とまだ我々は若いが、それでもここではいっぱしの兵であるべきだ、なんて。日本で生まれ育った自分たちよりずっと丁寧な言葉で叱られれば、大人しく従うしかない。
「レイナ、言っていいことと悪いことがある。意趣返しの皮肉と人格を踏みにじる罵倒を履き違えるな」
「……分かったわ」
「アキオ、気を悪くしているのは当然だろうが、落ち着いてくれ。私はこれ以上、君たち二人の言い争いのために、後ろ指さされたくないんだ」
「……悪い。いつも、迷惑かけてるのは分かってるよ」
「何、それはお互い様だ。あまり重たく受け止めすぎないでくれ」
そう、ラッセはあまりに優秀だ。人間としてもよくできているし、弱者の気持ちや考えを今一理解できない以外に欠点らしい短所は無い。だからこそ誰もが彼女に期待している。あのような人と共に戦いたいと。だというのに残された我々は、互いに不和を引き起こすのみで、そうそうラッセの役になんて立てた事はない。
トウドウは、口こそ悪いが能力は高い。それこそ、オペレートされずとも勝手に活躍するラッセでもなければ、誰もが重宝する優秀な、戦線に出るオペレーター。戦闘能力こそ決して高くは無いが、それでも類い稀なる分析能力などでいくらでも班をアシストすることができる。無能な俺ですら、駒として使ってくれるくらいにはトウドウは役に立つ。それなのに不和を招くもう一方のお荷物である俺は、単に人数合わせのお荷物でしかない。
だからせめて、命懸けで戦い抜かなくてはならぬと躍起になる。でも、どれだけ誠心誠意、全霊で取り組もうが、結果は出ない。そんな情けない姿に呆れてだろうか。日に日にトウドウが睨んでくる眼光が、強くなっているようにしか見えない。
努力しなければ足手まといのままだ。それなのに、努力したとしても認めてもらえそうには無い。班長は気長に頑張れと笑い飛ばしてくれるけれど、いつまでもその声に甘えてはいられない。
せめて特異形質さえ、発現してくれれば。特異形質の存在しないアントなど存在しない。だから今はまだ、発現する程には卵が馴染んでいないのだろうと主治医から言われていた。
今でさえそこそこ程度には動けるんだ。何、それさえ発現してしまえばアキオも私に並ぶさ。本心からだろうか、慰めのつもりだろうか、ラッセはよくそう言ってくれる。トウドウはその言葉に一笑して「まさか」と吐き捨てるけれど。
まるで、蜘蛛であることを認めたくないみたい。さっきのトウドウはきっと、そう言おうとしたのだろうな。多分に、その言葉は間違っていない。あいつは何だかんだ付き合いが長いだけあってよく分かってる。
自分がバグ達と同類だなんて、認めたくない。きっとそれが飾り気の無い俺の想い。俺の幸せを、家族を奪い取った虫ども。そいつらと同じ力を宿していることに嫌悪してならない。例えそれが、戦う力を得るためだったとしても。
だからだろうか、特異形質が現れてくれないのは。虫を拒絶するこの心のせいで、この身の内に巣食う虫の部分もまた、力を貸すことに抵抗を示しているやもしれぬ。そう思えば、納得せざるを得なかった。
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