複雑・ファジー小説
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- 夢見ズ探偵【完結】
- 日時: 2018/05/27 12:29
- 名前: サニ。 ◆6owQRz8NsM (ID: dUTUbnu5)
- 参照: https://m.youtube.com/watch?v=oJVJsDY605Y
「私は───死んだ人間の死の記憶が見える」
イメージソング『Lilium』(参照より)
登場人物
夏織(カオリ)
『死んだ人間の死の記憶が見える』少女。ある日突然それに目覚めてから、それまでの日々が地獄に変わった。彼女を気味悪がり両親は追い出し、途方に暮れて公園で倒れていたところを、自称探偵を名乗る男に引き取られ、助手となる。
家事はてんでできない。探偵が入れる紅茶は口には合わないようで、いつもオレンジジュースをチョイスする。
右京 雅人(ウキョウ マサト)
探偵。少女を保護し、『夏織』という名を与えた。実は元公安の人間で、そのまま残っていればもっと上の役職につけたのだが、突如『僕には合わない』と言って辞職し、探偵業を始めた。とはいっても彼が主としているのは、『人知の領域を超えた不可解な事件』や『未解決で終わった事件』であり、普通の事件には顔を出さない。
少女を引き取ってからは、表情がいくらか増えたそうだ。
ジャンル:空想ミステリー
年齢制限:R15
話数:6話完結
目次(予定)
プロローグ『現実はいかなる時でも、その真の姿を人々に見せることはなく、また形を崩すこともない』
>>1
第1話『人間というものは、人間であるように振る舞う生き物である』
>>2 >>3
第2話『空想上の理論は、けして現実として現れることもないし、消え失せることもない』
>>4
第3話『死んだ人間に関わることで、まず最初に消える記憶は、その人自身の声である』
>>5 >>6
第4話『そこにいる人物が、見知った人間だと決めつけるのは、とてつもない大きな間違いの第一歩だ』
>>7
第5話『他人の何かに気付いたとき、気をつけるといい。もしかしなくても自分はその他人によって、全て気づかれている』
>>8
第6話『夢とは何か?例えそれがどんなに空虚なものであろうと、見ることをやめられない』
>>9
- Re: 夢見ズ探偵 ( No.1 )
- 日時: 2018/05/04 08:11
- 名前: サニ。 ◆6owQRz8NsM (ID: dUTUbnu5)
雨。しとどに降る、雨。
私はたったひとり、雨の中公園にいる。
公園には誰もいなくて。誰もかもがいなくて。そこにあるのは錆び付いた遊具だけ。遊具たちは遊ばれるのを待つかのように、ただそこにあり続ける。
私は帰るところがない。いや、厳密には帰る場所が、『ついさっき』なくなったところ。呪いにも似た私に宿された『体質』に、両親とそれまで呼んでいた人たちは恐れ、気味悪がり、また存在をなかったことにし、家という暖かなものから私を廃棄した。それはまるで、ぬいぐるみをあたかも最初からなかったかのように、軽く捨ててしまう無邪気な子供のように。私は捨てられた。行く宛などない。頼るすべも持ってはいない。繋がれる板のような端末も、かつて両親と呼んでいた人たちに目の前で潰された。
もう疲れてしまった。願わくば、親切なお人が『毒薬』を持ってきて、私の口に入れてくれることを。安らかに『休める』ことを。そんな祈りにも似た『願い』を心の中で唱え、私は目を瞑る。もうどうなってもいい。
「───君、どうしたんだい」
そう思っていたのに。『悪趣味なその人』は私に声をかけた。まるで私を心配するかのように。助けを求めてくれと言わんばかりに。私は帰って頂戴ということを言外に含ませて、口を開く。
「ただここで寝ていただけよ」
「お昼寝とは言えないお天気だが?」
その人は傘を指している、けれども私には傘のひとつすらない。雨から身を守るすべもない。本当に親切なら、毒薬でもひとつは渡すべきなのに。あるいは傘を差し出すべきなのに。その人は私にまた声をかける。
「何があったんだい?」
「貴方は知らなくていいことよ」
「僕ではだめかい?」
「毒薬のひとつでも寄越さないようならお断りね」
「あいにく今日は品切れでね」
そういってその人は肩をすくめる。なぜこの人はこんなにも粘るのだろう。普通なら最初の時点で、見限ってこの場を立ち去るものだとばかり思っていた。でもなぜこの人は私に話しかけるのだろう。物珍しいのだろうか。いい加減に『そういう年頃の気まぐれ』だと思って帰ってくれないのだろうか。
「───君、僕の助手にならないか」
唐突にかけられた言葉に、私は何事かと思う。雨の中、公園で寝ていた女子高生に向かって、それもほとんど何もかもを聞かないまま、そんなことを言うなんて。いや、そもそも『助手にならないか』などという戯れ言を口に出す方が可笑しいのだろう。何も言わぬまま次の言葉を待っていると、その人はふっと笑う。
「そうしたら、毒薬のひとつでも君にくれてやろう」
「素性も知らないで、よく唐突に助手になれなんて言えるわね」
「詳しい話を聞くのは、後ででいいかなと思っただけだ。こんな場所で話し込むのも、僕も君も嫌だろう?」
そういってその人は私に、傘を持つ手とは反対の手を差し伸べる。まるでこの手に捕まれと言うように。その手はちゃんとした男の人の手だった。この手に捕まれば私は死ねるのだろうか。それとも生かされるのか、それとも。
でも。既にもうどうでも良くなっていた。今はただ───帰る場所が欲しかった。ゴミ捨て場であろうと、焼却炉であろうと。私は帰る場所が欲しかった。与えられるのなら、誰からでもよかった。
───私はその手にゆっくりと、自らの手を乗せた。
プロローグ
『現実はいかなる時でも、その真の姿を人々に見せることはなく、また形を崩すこともない』
「湯加減は如何だったかな」
あの後。私は彼が運転するという車に乗せられ、彼の事務所である『右京探偵事務所』にいる。右京探偵事務所というのだから、彼の名は『右京』と言うのだろう。昔テレビで見たホームズのような人物の名前と一致していたが、とてもそんな雰囲気は彼からは出ていない。あちらは探偵ではなく、警察官だったけれど。彼はホームズと言うよりは、3つの顔を持つ誰かに似ている気がする。考えすぎなのか、疲れて思考がままならないのか。私はため息をついて、自らの髪を拭いていたタオルを、そこにあったカゴに投げ入れる。今日はとても疲れた。本来なら寝る時間ではないのだけれど、泥のように眠りたい。けれど彼は、そうさせてはくれないようだ。
「さてと。話を詳しく聞かせてもらおうか。君はなぜ、あんな所で、傘もささずに、しかも寝ていたんだ?」
目の前に出された紅茶を一口飲むけれど、正直私の口には合わない。悪趣味な味がした。ティーカップをソーサーに置き、私は口を開く。
「家を追い出されたのよ」
「家を?」
「気味が悪いって。可笑しいわね」
多少自嘲気味に呟くと、彼はふむ、と顎を撫でる。癖なのか、それとも意識しているのか。
「君の存在が、かい?」
「……正確に言えば、『体質』かしら」
「体質?」
彼は多少前のめりになって聞いてくる。少し間を開けて、意を決した私は、体質のことを話す。
「───私は、死んだ人間の死の記憶が見える」
そういうと彼は、少し驚いた顔になって……興味深そうに、続けて、とだけ。悪趣味だなと思う。けど話さないわけにもいかない。ここまで来てしまったのなら、すべてを話す。
「ある日突然、見えるようになったわ。それは予兆もなしに見えるの。フラッシュバックのように。いつでもどこでも、そこで『死んだ人間が過去にいる限り』、突然見えるわ。───だから。私はどこにも行けなくなった。どこへも行く気を失くした。部屋にこもるようになった。行く先々で吐き気を催すようになった、体調を崩すようになった、よく気絶するようになった……だから。あの人たちは気味悪がったのね。心配するでなく。元から私が気に入らなかったのだろうけど。それで今日、ついに家を失くしたわ」
「……成程。行く宛もなくふらふらしていたら公園に辿り着いたと」
「その時点でもう雨は降っていたわ。本当ならあの場所で死ぬつもりだったのだけれど」
「僕が邪魔をした感じかな」
「ええそうよ」
私はため息をついて、悪趣味な紅茶を一気に飲み干す。ちょうどいい具合に冷めていたので、どうにか味を感じることなく、飲み干すことが出来た。
話を一通り聞いた目の前の彼は、神妙な顔で何かを考えた後に、少し笑って口を開く。まるで運がいいぞというように。
「なら尚更。この事務所、というか、探偵である僕の助手をしてほしい。僕は普通の事件に興味なくてね。誰も追ってないような、未解決に至った事件を探るのが好きなんだ。というかそれを仕事にしてるんだけど」
「……悪趣味ね」
「それはそれ。で、君のその体質を使って、仕事を楽にしたい。君は帰る場所がほしい。ある程度は合致してるんじゃないか?」
「……」
確かにこの用件を呑めば、私はこの事務所という『家』が、新たなる帰る場所となる。かつ、ある程度は生き延びることが出来る。ただそうなるためには、この『体質』を利用しなければならない。場合によっては精神をも壊すほどの『死の記憶』を見ることになるかもしれない。そもそも私は───
「無言は肯定と捉えていいかな?」
にっこりと彼が言うものだから、私が今まで考えていたことがすべて吹き飛んだ。その笑顔を見るなり、私はもうどうでも良くなってしまった。帰る場所があるのなら。もういい。
「……もういいわ。好きにして頂戴」
「決まりだね」
彼は私に手を伸ばす。もしかしなくても、この手は握手を求めている?
「僕の名前は──『右京 雅人(ウキョウ マサト)』。変わり者の探偵さ」
やっぱり。右京って名前だったんだ。顔に似合わず古風な名前だと思った。私はなんだか毒気を抜かれて、無意識のうちにその手を握り、握手する。
「───君の名前は、今日から『夏織(カオリ)』だ。夏を織ると書いて、夏織。夏の終わり際だからね」
「……ネーミングセンスの欠けらも無いのね」
「そう?いい名前だと思うけど」
「いいわ。夏織と呼んでちょうだい。『探偵さん』」
そこから。私たちの『探偵劇』は始まった。
「ところで毒薬は?」
「君みたいなのに渡すわけがないだろう」
プロローグ 終
- Re: 夢見ズ探偵 ( No.2 )
- 日時: 2018/05/06 11:05
- 名前: サニ。 ◆6owQRz8NsM (ID: dUTUbnu5)
夜が明ければ太陽が昇る。
私たちを照らす太陽が。無差別に私たちを照らし、光を与える。
「おはよう。よく眠れたかい?」
昨日雨の中、私に帰る場所を与えた変わり者の探偵さんは笑顔で、趣味の悪い紅茶を私に差し出す。私はそれを断り、ソファに座って窓の景色を遠目に見る。
「口に合わなかったかな」
「貴方の紅茶は、悪趣味だわ」
「へえ?それは失礼。何をお望みかな」
私は少し考えた後、頭に浮かんだそれを口に出す。今は、それが非常に飲みたくて仕方がない。
「オレンジジュース」
第1話
『人間というものは、人間であるように振る舞う生き物である』
「さてと。早速だが仕事がある」
「唐突ね」
氷を入れていないオレンジジュースを、ご丁寧にコースターに載せて私の前に出てきた探偵さんは、目の前に座って話し出す。突然に放たれたその言葉は、私を呆れさせるには簡単なものだった。
「昨日の今日でもう仕事?悪趣味だわ」
「そう言わなさんな。今回の仕事は随分の前に起こった、『小田ビル』での殺人事件の事なんだがね」
「……『小田ビル猟奇的殺人事件』かしら」
「当たり」
そう嬉しそうに探偵さんは笑う。私はこの人の笑顔があまり好きじゃない。糊付けされたかのように、偽りにしか見えない。切って貼って、それで笑顔に見せている。表情を作るのが得意なのだろうけど、いくら作ったとしても私には全てがまがい物にしか見えない。オレンジジュースを一気に飲み干すと、自然にため息が出る。
「で、それがどうしたのかしら」
「この事件の犯人は既に死んでるんじゃないかっていう、噂を聞いて。興味はなかったが、一応確認してみようとね」
「悪趣味ね」
ほぼ自然に出されたその言葉は、探偵さんによって軽くかわされる。正確には、『流された』と言った方がいいかもしれない。でもなぜこの人は、『犯人が死んだ』と言うのだろう。いや、『聞いた』と言うだけだから断定はしてないのだろうか。いずれにせよ、この人の中では、その現場に私を連れていく気らしい。正直気が乗らない、と言うよりは、あまり行きたくない。面倒だし、早速私のこの体質を利用するつもりなのだから。私はオレンジジュースのお代わりを、しかめっ面をして探偵さんに頼む。探偵さんはカラになったグラスを受け取り、また笑顔で去っていく。
「……悪趣味」
そうとしか思えない。探偵さんは何を思って、あんな笑顔を私に向けているのか。何のために、あんな笑顔を貼り付けているのか。今一度思う。悪趣味だと。
探偵さんの帰りは案外早かった。グラス一杯に満たされたオレンジジュースを持ち、変わらぬ笑顔で私の前に出す。氷はもちろん、入っていなかった。
「氷、入れないでおいたけど」
「悪趣味なのに気遣いはよく回るのね」
「それほどでも」
「褒めてないわよ」
わかってる、と探偵さんは付け足す。けれど私もわかってる。はなからそんなつもりで放った言葉じゃないと。悪趣味だ。改めてそう思う。
「それで。小田ビル猟奇的殺人事件の事なんだけど。事件が起きた日時は」
「3年前の。5月7日ね」
「詳しいね」
「……」
それ以上、何故か聞かれたくなくて私は口を閉じ、オレンジジュースを飲む。探偵さんも察したのか、それ以上は聞かずに悪趣味な紅茶を一口。
「ざっと被害者を振り返ってみるとするか。まず1人目。『足立 ひさし』。この小田ビルでは花屋を営んでいた。次に『鈴木 真知子』。この人は花屋にたまたま来ていた客。3人目は『粕田 阿左美』。彼女は小田ビルにあったケーキショップの店員。4人目は『上田 亨』。この男は3人目の粕田さんの交際相手だったそうだ。そして5人目。『幅霧 沙奈』。この少女は……君の通っていたらしい学校の生徒だったらしいが、知っているかい?」
その言葉は、どうにも私の中で引っかかった。『見たことがないのに見たことがある』気がした。何故だろう。私はこの人のことを知らない。けれど何故か『知っている』。とても矛盾している。でもそう思わざるをえなかった。どうしてだか、脳がこの女性を『認識したくない』と拒絶しているようで。訳が分からなかった。
「……」
「知らない、かな?それとも思い出せないとか」
「……知らないわ」
「そうか」
結局出された結論はそれだった。例えわかっているような気はしても、分からないと答えてしまえば、そこから抜け出せるように思えた。私はふうと息をついて、オレンジジュースを一口。嫌な汗が背中を伝う。
「殺害されたこの5人は、後に小田ビルの外へ、まるでキリストのように磔にされていたそうだ。ご丁寧に関節部位には、釘がグッサリ」
「本当に悪趣味ね」
「そうだね。犯人の気が知れないが……」
探偵さんはそこまで言うと、私をちらりと見やる。私のわけがない。そもそもそんなことが出来るはずがない。私は眉をひそめて、少し睨むように探偵さんを見返す。すると探偵さんはごったように笑って、君を疑ってるわけじゃないさ、と。なぜ私が疑われなきゃならないのだろう。
「それで犯人がなかなか捕まらないし、ついには死亡説が出てきたから、私の体質を使って見てほしい……と?」
「ああ。話が早くて助かる」
「でもなんで今更、3年前の殺人事件なんて」
「僕が興味を持ったから」
楽しげに言い放つ。ああ、やっぱりこの人は悪趣味だ。自分の興味だけで、未解決の事件に首を突っ込んでいく。到底理解できない趣味だ。私は深く深く、わざとらしくため息をつく。こうでもしないとやってられない気がした。
「とりあえず昼から行くとしよう。それでいいかな」
「行かないと言っても、貴方は行かせるのでしょう」
「ご名答」
じゃあ、昼過ぎまでには準備してくれ。と、探偵さんは悪戯好きの子供のように微笑んで、既にカラになっていたグラスを持って、私の前から去っていった。
「悪趣味……」
なにか仕返しのように呟いてみたその言葉は、虚空に消えて。
深い深いため息だけが、その場に留まった。
続く
- Re: 夢見ズ探偵 ( No.3 )
- 日時: 2018/05/16 19:03
- 名前: サニ。 ◆6owQRz8NsM (ID: dUTUbnu5)
『小田ビル猟奇的殺人事件』
3年前に起こった、極めて凶悪で猟奇的な殺人事件。計5人が犠牲となった。犯行時刻は───。犯行に使われたと思われる凶器は発見されていない。
死因は多量失血。ナイフのようなもので体を引き裂き、体の中身を文字通りカラにした後に、表へ引きずり出して、まるでキリストのように磔にされたものと思われる。関節部位には釘が何本も打ち付けられてあった。あまりにも惨い現場に、発見を聞き、駆けつけた警察官もえずいてしまうほど。今まで何度も事件を取材し、記事にしてきた私も、見せられた写真と話を耳に入れたら、背筋がそっとするものではなかった。あまりにも残酷、あまりにも凄惨なものだった。
事件は未だ解決には至ってないどころか、捜査は難航を極めていた。凶器は見つからない、犯人と思しき姿も浮かび上がらない。3年経った今でも、事件は前に進んではいない。
「……」
そこまで読むと、私は表示されていたウィンドウをタップして閉じる。小田ビル猟奇的殺人事件について、何かあれば良かったのだけれど、出てくるものはそういった感想文のような記事ばかり。もっと具体的に、もっと詳細に書かれた記事が欲しいのだけれど、そう上手くは行かないようだ。
「夏織くん」
ふいに、探偵さんの声が耳に入る。探偵さんは、黒い革手袋を手に持ち、ソファでくつろいでいた私の元へと歩み寄る。その間も貼り付けた『空虚な』微笑みは外さないで。ああ、気持ち悪い。
「服のサイズはどうだい」
今朝探偵さんから渡された服───白いワイシャツに黒に近い緑のベスト、ジャケットに色を合わせたロングスカートと、黒タイツとブリティッシュなブーツ───は、ゾッとするほどに私にぴったりだった。サイズも、何もかも。好みではあるのだけれど、昨日の今日で何故これらが集められたのか。というより買ってくる時間はいつあったのか。考えたら寒気が止まらない。
「恐ろしい程にあっているわ」
「それはよかった」
ははは、と笑うけど、気味の悪いことがもうひとつある。
「なぜ下着までピッタリなのかしら」
「なんでだと思う?」
「聞かないでおくわ」
ダメだ。この人は詮索すればするほど、そこらの心霊現象や殺人鬼なんかより、よっぽど怖いと思える。貼り付けた笑顔も相まって、気味が悪い。探偵さんは笑顔のまま、私にその手にしていた黒の革手袋を差し出す。使えというのだろうか。一応聞いておく。
「……これは」
「使うといい。色々と便利だ」
「指紋を残さない……ということかしら」
「それもあるね」
そういいつつ、また新たなものを私に差し出す。これはポシェット?持ってみると、異様に重い。何が入っているのか、気になって中を見てみる。するとそこには、ぎっしりと針のようなものが詰まっていた。なぜこれを渡す必要があるのか。
「もしもの時に使うといい」
「……ダーツをしろと?」
それ以上は何も言わぬまま、探偵さんはひらひらと手を振って去っていく。一体何がしたかったのだろう。
それにしても、やけにぎっしりと詰められた針たちだ。試しにひとつ取り出して確認してみる。先端は鋭く尖っており、まるで注射器を思い起こさせる姿だ。確かに武器にはなり得るだろう。だけれど、どうやって投げればいいのやら。指と指の間に挟めば良いのだろうか。でもなんだかそれはなにかのモノマネのようで、あまり気に入らない。けれど現状、それしか思いつかない。というよりいつ使うんだろうか。
その時。ピンと来たように、私は針を数本指と指の間に挟んで、こちらにやってくる人の気配に向けて投擲する。すぐにトトトンッという小気味いい音が鳴った。
「……僕を的にしないでくれるか」
「この時に使うべきだったようね」
納得した。これはこういう時に使う代物なのだと。その前に渡された黒い革手袋と合わせれば、尚いい代物になるだろう。いそいそと手袋をはめ、針を構えてみる。うん。しっくりとくる。
「身の危険を感じた時のためにって、渡したんだけどな」
「今この状況に他ないわ」
「心外だな。それはともかく。準備は出来たかい?そろそろ出発しよう」
探偵さんは車の鍵を取り出し、さっさと事務所を後にする。あのキー、見間違いでなければ、牛の名を冠したやたらと速くて高い車のものだった気がするのだけれど。きっと気のせいでしょう。私はポシェットを腰につけて、後を追うように外へと向かった。
◇
「見間違いじゃなかったわ」
「なんだい?」
車に乗り、事件が起きた小田ビルへと向かう途中。私はようやく口からその言葉を吐き出した。探偵さんはニッコリと笑いながら、えげつないハンドルテクニックで車を操る。
───カウンタック。ランボルギーニ社の看板とも言えるイタリアの車。ただ速いだけをもとめ、ただカッコ良さをもとめ作られた車。真っ赤に染まった特徴的なボディは、見る者を魅了し、離さない。当然の事ながら左ハンドル、マニュアルだ。今買うと8桁以上は行くのではないだろうか。なぜそんな車を、探偵さんはさも当然のごとく、普通のように運転しているのか。表をを見れば面白いように皆道を譲る。それはモーゼの十戒の、海を割るあの絵のように。心底悪趣味だ。
「もっとなかったの?RX7とか、ビートルとか、フェラーリだとか」
「ランボルギーニが好きでね。あとRX7はもう作られてないよ。今はRX8だ」
「そう」
探偵さんはにこやかに話す。まるで子供の頃に戻ったかのような、無邪気な笑顔だ。本当に好きなんだなあ、とは思うけど、普段浮かべてる笑顔を思い出すと、悪趣味だとしか思えなくなってきた。
「車高低いわね。思ったより」
「そういう車さ」
とうとう鼻歌まで歌い出した。なんだか気味が悪い。何を歌っているのかは知らないけど、とにかく探偵さんが鼻歌を歌っているという時点で、気味悪さしかない。
「そういえば、現場を見るって言ってもどうするの。警察が捜査しているのなら、入れないと思うのだけど」
「近くまで寄るだけさ。君が見れればいい」
「……悪趣味」
聞こえないようにそう呟いた言葉は、カウンタックの切る風に飲まれて消えていった。本気で私の体質を利用したいらしい。猟奇的殺人の記憶なんて、死んでも見たくないのだけれど。それでも見るしかないのだろう。願わくば、『何も見えない』ことを祈って。
「そろそろだよ、夏織くん」
私はため息をついて、目を瞑った。
◇
車の止まる音がする。近くまで来たのだろう。探偵さんは私の肩をトントンと叩き、声を出す。
「うん、やっぱり入れないね。入れないようにテープが引いてある」
「……」
それでも私は目を開かない。絶対に開いてなるものか。というか開きたくない。猟奇的殺人の記憶なんて、見たくもない。だけど探偵さんは無慈悲に、目を開いて、と言う。勘弁して頂戴。ああ、嫌だ。この体質、この人にそっくりそのままあげられたらいいのに。
「見てくれたら何か本でも、買ってあげるからさ」
「……京極夏彦、4冊」
「はは、了解」
どうせこのままやっていても、帰ることなどないのだろう。私はそう言いつつ、諦めて目を開く。目の前にはいくつものコンビニやビルが立ち並ぶ中、ひときわ異様に目立つビルがある。テープが引かれまくった、こぢんまりとしたビル。あれが小田ビルだろう。
そう認識した瞬間。突如目の前が砂嵐になる。
───視界の端々に映る、血にまみれたナイフ。飛び散る臓物。あたりを覆う赤い液体。逃げ惑う記憶の主。目の前は行き止まり。後ろを振り向いたその時。目の前に映る───あれ?
あれ?あれ?あれ?あれれ?あれ?
あれ?あれは?誰?ダレ?だれ?
────わたし、笑ってる?
「夏織くん!」
ハッと意識が戻ってきた。つう、と頬を伝うものがあり、それをハンカチで拭き取る。汗?やけに冷たい汗だ。それに手もかなり震えている。いや、体がとにかく寒い。ガタガタと歯が震えている。
「……」
「夏織くん、しっかりしろ」
「……右京、さん」
「大丈夫か、何が見えた」
わたしは口を開こうとする。この人に見たものを伝えるために。なのに何故だろう。口は喋ることを躊躇っている。それどころか、まともに体がいうことを聞いてくれない。どうして?
「……一旦、戻るか。休もう」
その言葉を聞いた時。安堵なのか、疲れなのか。わたしの意識はすっかり飛んでしまった。
◇
目が覚めた先は、探偵事務所だった。その中の、私の寝室だった。いつの間にか手袋やジャケットは外されており、息はかなり楽になっていた。布団はしっかり肩まで入っていて、それとなく暖かい。
試しに起き上がってみる。何故だろう、どういう訳か体が重い。それに睡魔も完全には引いてくれていないようだ。このまま、また寝てしまおうと考えた時、寝室の扉が開かれる。
「起きたか、夏織くん」
「……探偵さん」
「体は大丈夫かい?」
「少し重くて、とても眠いわ」
そうか、と探偵さんは返す。その顔に笑顔はなく、なにか考え込んでいるようだった。何かあったのか、聞いてみた。
「……夏織くん、小田ビルを見た時、何が『見えた』?」
「え?」
今度はそう聞かれ、私は記憶を探ってみる。───でも。
「……覚えて、ない」
「……そうか」
「ごめんなさい」
「いや、いいんだ。それより今は休んだ方がいい。起きたら連絡をくれないか、スープを用意する」
「ええ。ありがとう」
じゃあ。という言葉を最後にして、探偵さんは寝室をあとにする。それを見届けた私は、くあ、と欠伸をして布団に潜り込む。今はとにかく眠い。何があったのかは思い出せない。けどとにかく眠いのだ。寝させてもらおう。
「……」
でも引っかかる。何か引っかかる。
────あの時、私はどこにいたの?
第1話 終
- Re: 夢見ズ探偵 ( No.4 )
- 日時: 2018/05/16 19:01
- 名前: サニ。 ◆6owQRz8NsM (ID: dUTUbnu5)
やあ、ご機嫌いかがかな。僕は私立探偵、右京 雅人という者だ。先日、『夏織』と名付けた少女を保護したばかりなのだが、彼女には色々と振り回されっぱなしだ。僕が入れた紅茶は口に合わないようで、一気飲みでカラにしてしまったし、かと思えばことある事に僕のことを『悪趣味』だと言う。いやはや、面白い女性だ。それに彼女の『体質』とやらも、とても興味深い。何故そうなったのか、いつ頃見えるようになったのか、どの範囲で見えるのか、僕の好奇心はとどまることを知らない。まあ、あまり深く詮索すれば、彼女からこれ以上にない冷たさの眼光を貰うだけなので、やめておく。
さて、そんな彼女との生活も、速いものでもう1週間が経とうとしている。本当に時の流れというものは速いものだ。今までいた職場より、かなりのんびりした生活を送れているから、それとなく健康になりつつある……気がする。それに『夏織』もいるおかげで、毎日が退屈しない。仕事は気になったものを引き受けて出向けばいいし、紙の山に囲われてそれらを死んだ目をして必死に潰さなくてもいい。なんと素晴らしいことか。やはり僕には、こういった生活スタイルがあっているようだ。
そう言えば気になる話を聞いたのだった。後でかき集めた資料に目を通しておくとしよう。
「────『三島 夕希子』、か」
第2話
『空想上の理論は、けして現実として現れることもないし、消え失せることもない』
元々は公安警察にいた。気がついたらいつの間にか、というところだ。確かに給料はよかったし、生活には困らなかった。けどあまりにも多忙(これは警察だから仕方がない)で、日々紙の柱に囲まれて事務仕事したり、そのせいでろくに眠れない、ろくに食事が取れない、健康的な生活などありはしなかった。けど給料はよかった。カウンタック買えたし。それでも。長年務めてきたけど、かなり上の立場には行けたけど。それでも僕の気には合わなくて、突然ともいえるタイミングで、退職届を突きつけてきた。あのまま仕事をしていたら、確実に僕は首を吊っていただろう。
とまあそんなふうに仕事を辞めて、さてどうしたものかと考えた矢先に思いついた仕事が、『探偵』だった。元から『探偵』という仕事は興味があったし、なにより『やってみたい』という気持ちが強くあった。だから僕は自分だけの探偵事務所を設立し、僕の興味をひいた仕事だけ引き受ける。給料は波があるけど、今までの地獄のような生活に比べればなんてことは無い。今まで積み上げてきた金だって、充分すぎるほどある。
そんな中で彼女───夏織くんと出会ったのは、本当に『偶然だった』。依頼が終わってさて帰ろうかなと思ったところで、雨の中公園でひとり、ベンチにもたれかかって、今にも『死にたいです』、なんて言わんばかりの女子高生を見つけたら、誰だって興味が湧いて駆け寄るだろう。助けて欲しいのか、それともただの家出か。家出だったら保護しようかな、探偵には付き物の『助手』という存在がちょうど欲しかったところだし。と思っていた。けど彼女は本当に『死にたがっていた』。この世なぞもうどうでもいい。さっさと私を楽に死なせてくれ。彼女のその時の瞳はそう語っていた。
僕はそんな彼女に、何よりも『興味を持った』。こんな子が助手になったら、面白そうだなと。彼女が欲しがった毒薬なんて持ってないから、多少強引にでも保護して助手にしてしまおう。だから僕は、彼女を保護した。それ以外に理由なんてない。むしろ、それ以外の理由なんてあったら、彼女はきっと差し出した手を振り払ってたんだろう。
「……顔が悪趣味」
「そう?」
夏織くんとの出会いを思い出しながら、手元の興味深い資料をパラ読みしていたところで、無くなっていたオレンジジュースを買い足しに行っていた夏織くんが戻ってきた。戻ってくるなり言い放ったその一言は、僕の耳を素通りする。
「オレンジジュース、買えた?」
「はじめてのおつかいじゃないんだから、ちゃんと買ってきたわよ」
「あっはは。そう拗ねないでくれよ」
「拗ねてないわ。悪趣味」
はあ、とため息をひとつついて、彼女は調理場にある冷蔵庫に向かっていった。きっと手元にはグラスいっぱいに入ったオレンジジュースが、次の僕の視界に入る時にはあるのだろう。なんて遠回しに考えてみる。なかなか遠回しすぎると何を話しているんだか分からなくなるから、適度に。
そういえば彼女の名前、『夏織』と付けたのはいいものの、彼女の本来の名を聞いていなかった気がする。と言うより彼女も話してない気がする。今度聞いてみるかな。でも親に捨てられたと言うのだから、今更名を聞いても何も無いか?『夏織』で支障はないわけだし。どうでもいいか。
「ふむ……三島夕希子か」
今僕の視界に映るのは、資料に連ねられてあるある少女のこと。その名を、『三島 夕希子(みしま ゆきこ)』。なんでも突然、いなくなったそうなのだ。彼女の捜索をしてみるも、どこへ行ったかなんていう形跡はほとんどない。朝学校に行くために家を出たっきり、連絡はなし。学校にすら来ていないという。彼女が行きそうな場所はくまなく探したものの、彼女の気配は一切ない。これ以上探しても状況が変わることはないだろうと踏んだらしい、捜索は打ち切られたそうだ。
彼女には姉妹がいたらしい。だが話すことはほとんどなかったという。その姉妹が今何をしているのかは、良くも悪くも分からなかった。どこにいるだとかという情報も。まあ仕方ないか。
三島夕希子は今何をしているのだろうか、果たして生きているのか。これはきっと、三島夕希子本人にしかわからないのだろう。案外街中にいたりして。なんて、ないか。もしそうだとしたら大騒ぎになる。
そういえば三島夕希子の顔写真は手に入れられなかった。なんでも彼女は大の写真嫌いだったらしく、カメラを向ければ全力で逃げてしまうそうだ。無理やりとったとしても彼女からきついお怒りを受ける羽目になるのだとか。その内容はあえて聞かないことにしておく。きっとろくなもんじゃないだろうから。
「何を見ているのかしら」
「夏織くん」
気がつけば僕のすぐ側に、彼女はいた。僕の推察通りに、手元には氷の入っていない、グラスいっぱいに入ったオレンジジュース。
「君は『三島夕希子』という女性を知っているかな?」
「三島夕希子……?」
「そう、突然いなくなった───」
「やめなさい」
少女さ、と言いかけたところで、彼女から冷水のような声が降りかかる。その声は聞いたこともない声だった。いや、冷水よりももっと冷たい───氷水と表現するのでさえまだ暖かいくらいに冷たい声だった。彼女の顔を見やれば、初めて見る険しい顔。目つきは鋭く、まるでこちらを殺そうとするばかりの目だ。手元のグラスは力いっぱいに握りしめられ、ヒビが入る。
「……いなくなった女の子に首を突っ込んで探そうなんて、悪趣味よ」
「……話を聞いただけさ。探すなんて一言も言ってない」
「どうかしら。右京さん、貴方は『自分が興味を持ったものにはとことん首を突っ込まずにはいられない』探偵よ。信用性がないわ」
「はは、困ったなあ」
その瞬間、僕の目の前には針の先が突き立てられていた。無論、彼女が向けているものだ。僕は資料を机に置いて手を上げる。降参だ、の意を込めて。
「何のつもりかしら」
「これ以上調べると、なんでか分からないけど君の針で蜂の巣にされそうだからやめとくよ。今後一切、これには首を突っ込まない。いいかい」
そこまで言うと、彼女は軽く舌打ちをして針を戻す。僕の視界に平穏が訪れた。
「……生憎目玉のキャンディは趣味じゃないわ」
「君の言い回しは本当に奇妙だね」
「何かしら」
「なんにも」
そう言うと彼女はヒビの入ったグラスを手に、自らの寝室へと去っていった。ああ、怖かった。
「……にしても」
────君は『彼女』と、何かあったのかい?
第2話 終
- Re: 夢見ズ探偵 ( No.5 )
- 日時: 2018/05/17 20:37
- 名前: サニ。 ◆6owQRz8NsM (ID: dUTUbnu5)
目を覚ました時にはもう朝だった。空は小鳥がさえずり、太陽はあまねく光を部屋に注ぐ。風もあまり吹いてはいないようで、窓を開ければ、そよ、と心地よく私の肌を撫でる。雲ひとつない良い天気だ。眩しいともさえ思える。
私はまだ半分寝ぼけている眼をこすり、ベッドから降り立つ。寝巻きであるパジャマのボタンをひとつずつ丁寧に外し、壁にかけてあったいつもの服を身につける。ドレッサーの前に座り、幾らかヘアスプレーをかけてやって櫛で髪をけずる。その後でハーフアップに仕立ててやり、洗面所で顔を洗ってそれなりの化粧をして、いつもの黒い手袋を付ければ、今ではすっかり板についた『夏織』が出来上がる。今日もなかなか良い出来だと思う。自分で思うのもなんだけれど。
私はいくらか満足して、探偵さんがいるであろう応接室へと顔を出す。
「おはよう、夏織くん」
「おはよう───探偵さん」
第3話
『死んだ人間に関わることで、まず最初に消える記憶は、その人自身の声である』
探偵さんはいつものように、そこにいた。悪趣味な紅茶を一口飲み、私に挨拶したあとは手元の本へと目線を戻した。それなりに分厚い本だ。ちらりとタイトルを見れば、『十角館の殺人』と書かれてあるのがわかり、私は思わず口に出す。
「……綾辻行人」
「ああ。少し気になってね。買ってきたんだ」
「『館シリーズ』、読んでなかったの」
「生憎『最後の記憶』と『眼球奇譚』くらいしか読んでなかったんだ」
「……」
最後の記憶と眼球奇譚。私もどちらも読んだのだけれど、しばらくホラーものは勘弁だと思うほど、どっしりと来た。正直途中で挫折しそうになった。あれほどまでにどっしりと居座るホラーも、なかなかないと思う。特に最後の記憶は。にしても、今の探偵さんの顔は非常に悪趣味だ。犯人がそうそうに分かったのか、ニヤニヤしている。気味が悪い。
「分かったのね」
「ここまでわかりやすいとね」
「私に対する嫌味かしら」
そう、私は十角館の殺人の犯人は、最後明らかになるまで分からなかった。どんなトリックを使ったのか、そもそも招待したのは誰だったのか。それと好みの登場人物が結局……という事もあったので、読み終わったあとしばらく別の本に手がつけられなかった。なのにそれを知らずとも、探偵さんはこれみよがしににやけている。若干私の方へ目線をちらりとやって。
「悪趣味よ」
「はは。ごめんごめん」
そう言うと探偵さんは、栞を挟んで本を閉じる。椅子から立ち上がれば、オレンジジュースを持ってきてあげよう、と、調理場へと向かっていった。
「……」
そう言えば探偵さんがいつも座っている椅子は、かなり良いものだ。座ったことはないけれど、見た目からしてとても高いものなのだろうな、と思う。いつもは探偵さんが座っていて、私は座ろうなどとは到底思わなかったけど、今こうしてみると、非常に座りたいと思える。今ならいいか。どうせ探偵さんはオレンジジュースを取りに行っているし。
「えい」
ポスン、と座る。かなり良いものだ。座り心地は最高で、背もたれも丁度いい具合。なによりフカフカしていて、軽く1時間はこうしていられる。いや、そうしたい。例え探偵さんが帰ってきたとしても、返さないでおこう。きっとこの椅子に座れるのは、ほとんどないだろうし。
「……」
ふと思う。ぬるい人肌が残っていて、探偵さん意外と体温高いんだな、と。何を馬鹿げたことを考えているのだろう。けど何故かこの椅子のフカフカのせいで、おかしなことを考えざるにはいられなくなっている。ついに私の思考回路は狂ってしまったのだろうか。
「夏織くん、持ってきたよ」
「……」
だがそんな時間は、帰ってきた探偵さんによって終わりを告げる。無慈悲にも。私は渋々椅子から立ち上がり、応接室のソファに座って、探偵さんからオレンジジュースを受け取り、一気に半分を飲み干す。ちゃんと氷のない、グラスいっぱいのオレンジジュースだ。私は探偵さんをひと睨みする。だけど彼はニッコリと笑って、先程まで私が座っていた上質な椅子に座って、こちらを見る。
「ここ、座る?」
「お断りするわ」
───────
暫くオレンジジュースを飲みながら、ぼうっと何をするでもなく過ごしていると、本を閉じる音がする。探偵さんが本を読み終えたのだろう。軽く伸びをして私に話しかける。
「そういえば夏織くん」
「何かしら」
「廃墟探索に興味はあるかい?」
「廃墟?」
私がオウム返しのように復唱すれば、探偵さんはそう、と頷く。
「廃墟探検だ。実はここの近辺にひとつあってね。もうボロボロなんだけど。そこの捜索をして、何かあったら連絡してくれないかって」
「誰から?」
「知り合いから」
そこまで言うと、彼は珍しくため息をつく。額に手の甲を載せて、虚空を仰ぐ。何かあったのだろうか、そのお知り合いの人と。でもそれは私が踏み込んでいい場所ではないのだろう。その話には触れずに、次の話を探偵さんに促す。探偵さんはすまないね、と謝って話を再開する。
「それで、君も来ないかと」
「貴方1人じゃダメなのかしら」
「君に留守を任せてもいいけど、君、人と話すの嫌いだろ」
「……否定はしないわ」
そう、否定はしない。あくまでも。ただ好きとか嫌いとか、そんな生易しいもので片付けられるものではないけど。私は最後に残った少しだけのオレンジジュースを飲む。
「なら僕と来た方が退屈しないだろ。京極夏彦の新刊も買ってあげるから」
「……なら、5冊ね」
「なんで1冊?」
探偵さんは首を傾げる。もう忘れたのか、この人は。
「この前の『4冊』、まだ買ってないでしょう」
「……ああ。そういうこと」
私はグラスを目の前のテーブルに起き、探偵さんの方へ顔を向ける。
「だから5冊よ。いい?」
「はいはい。夏織さんの仰せの通りに」
探偵さんはわざとらしくそう言うと、じゃあ出かける準備でもするかな、と言って応接室をあとにする。また今回もカウンタックなのだろうか。まあ別にいいけれど。
「……でも、悪趣味」
まるで私を『姫様』と言いたげなあの目は、『潰してしまいたい』。
続く
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