複雑・ファジー小説

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SoA 大戦編 月影に吼える
日時: 2018/07/12 01:01
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=598.png

 「獣の王」と揶揄された、ある少年の物語。


  ◆


  目次


プロローグ 獣の子 >>1


用語解説 >>2
キャラクター紹介 >>3


第一部 はじめてのしあわせ >>4-

 一章 人間になるために >>4-10
 二章 心に「鍵」を >>11-
 三章 小さな秋の物語 >>
 四章 さよならの予感 >>


第二部 暗闇の中で >>

 五章 闇への飛翔 >>
 六章 最高のチーム >>
 七章 優しき冬の休日に >>
 八章 解き放たれし災厄 >>
 九章 

 Coming Soon!


  ◆


 この世界は、つながっている。物語後半まで行けば、「夜明けの演者」との接点もあることだろう。「SoA 大戦編」は、物語は違えど同じ世界観と同じ時間軸、そして同じ「大戦」を共有している。宣伝になるが、良かったらダーク・ファンタジー板の「SoA 夜明けの演者」も見て頂けると幸いだ。
 この物語の更新は週一くらいになるだろう。
 ちなみにURLはこの物語のメイン舞台となる場所の地図である。


  ◆

Re: SoA 大戦編 月影に吼える ( No.1 )
日時: 2018/06/08 21:17
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


〈プロローグ 獣の子〉


——今日も、暴れ出す。
 グオルルル、ガオルルル。檻の中から響くは獣の声。
「ちょっと、あなた、何とかして!」
「知るかよ! 俺に振るな!」
「でももう、私には無理よ。耐えられないわ……」
 唸る獣は家の地下。上の階ではある夫婦が言い争っている。何十、何百と続いた口論。それは今日もまた、繰り返される。
 グオルルル、ガオルルル。地下では獣の唸り声。そのうち、何かを破壊しようとするような激しい衝撃音が家中を揺らし始めた。妻は悲鳴を上げてうずくまる。
「もう嫌、もう嫌ッ! ねぇね、あなた。こんな子、捨ててしまいましょう……」
 彼女はそう言うと、何かに憑かれたような顔をして一気にまくし立て始めた。
「そうよそうよ、そうしましょう。あの子の餌に睡眠薬を混ぜて、麻痺毒も混ぜて動けないようにして、ここから遠く離れた村に捨てましょう。村に逆らう権利なんてないわ。私たちはふつうの身分じゃないんですもの。そうよそうよ、それがいいわ。最初からこうしていればよかったのよ。そうすれば私たちはもっともっと幸せな時間を過ごせたわ。最初の子も出来損ない、次の子は獸! ああ、私たちはいったい何がいけなかったの? みんなみんな、社会不適合者じゃないの!」
「落ち着きなさい、リルーサ」
 夫が妻の名を呼んで、優しく彼女の肩を抱く。
「君の気持ちもわからなくはないが、そんなことをしたら罪に問われるぞ。俺たちは普通の身分じゃないんだ。この子を捨てたとして、その先俺たちに穏やかな日々が訪れるとは限らない。君が犯そうとしているのは国外追放されてもおかしくはない大罪だ」
「……覚悟の上よ」
 リルーサの顔には深い深い苦悩の色があった。
「それでもそうするしかないの。ねぇね、ヴェリン。私たちは一生このままでいなければならないの? そんなの嫌よ。だから……あの子のことは忘れましょう。私たちは二人でまた、新しい子をつくればいいの。今度こそ、出来損ないでも獣でもない、普通の子を。それで私が普通の男の子を産めばきっと、罪は赦されるわ。——信じましょうよ」
 いつしか唸り声も衝撃音、破壊音も止んでいた。暴れ疲れたのだろうか。また覚醒されたら面倒なことになる。その獣は、目覚めている内には止められない。
 ああ、とリルーサは嘆息した。
「私たちは普通の人間なのに、どうして」
 その綺麗なエメラルドグリーンの瞳からは、涙の雫がひとつ、ふたつ。
「どうして——どうして、あんな子が産まれたのでしょう」
 神様教えて、と彼女は嘆いた。その背をヴェリンが無言で抱きしめた。

 獣の子は二人の子。そしてヴェリンはこの国、共和政シエンルの次期国王だ。この国では生まれつき獣の耳や獣の尻尾を持つ者が多く生まれ、その人数はこの国の総人口の約40%もいるという。彼らは総合的に「獣人」と呼ばれ、その中でも「猫人」や「狼人」、「鳥人」や「蛇人」、「水人」など様々な種族に分かれる。彼らは両親が普通の人間でも生まれることがあり、この国の中ではありふれた存在である。
 しかし「その子」は違った。最初から獣の姿で生まれたその子はひたすらに暴れて人を傷付け、暴れ疲れると人間の姿に戻って眠る。その子は己の力を制御できずに人を傷付けるため、否応なく檻に囚われなければならなくなった。その子は他人だけでなく自分すらも傷付け、手負いの獣のようにただひたすらに暴れ続けた。その凶暴性は他の獣人たちに見られるものでではなかった。
 その子はとにかく異常だった。ある日その子は力任せに檻を破壊して脱出し、檻の看守を殺してしまったことすらあるのだ。そしてその日から、皇太子と皇太子妃であるヴェリンとリルーサは、暗い確信を抱き始める。
——いずれこの子を何とかしなければ、自分たちが殺される!
 暗い気持ちは溜まりに溜まり、小さなことで爆発するような状況にあった。
 一触即発。
 その爆発が単に、今日だったというだけの話だ。

  ◆

——痛い。
 人間に戻った少年は、涙を流していた。その身体には何一つ纏っておらず、彼の両の拳からは血が流れ出して辺りを赤く染めている。獣であった時にあちこち所構わず殴りつけた拳の皮は裂けて骨が露出し、しかもその骨すらバキバキに折れていて、それはもう手の形をしていなかった。
 少年の身体を限りない疲労感が襲うが、痛みに意識は覚醒し、彼は眠ることすら許されない。
 苦しみに悶える少年の口から声が溢れた。それは苦痛の咆哮。
 オオオォォォォ……オオォ……ォ……
 弱々しく、痛々しく。大小便も垂れ流しの床の上、己の血と汚物にまみれながら。
 そんな惨めで哀れな姿が王子であるとは、誰も信じられないだろう。しかし現実はこれなのだ。
 ぐったりとした彼の前、無表情の看守がやってきて檻の中に何かを投げ、逃げるようにして去った。彼に「エサ」として与えられたのは血の滴る生肉。それはまさに、動物にするような仕打ち。彼はそれを犬みたいに口だけで食べる。地に這いずりながらも食べる。彼の、肉を持つべき手は既に手の形をしていないし、彼はこの方法以外の食べ方を知らなかった。だから彼は犬食いで食べる。ガツガツと、咀嚼する音だけが檻の中響いた。
 人間として扱われず、獣のようにして生きる。それが、「獣」として生まれた彼の宿命であった。
 彼は「エサ」に毒が含まれているのを食べ始めてから知ったが、構わず全て食べ切った。
——もう、しんでもいいや。
 少年は全てを諦めていた。
 かくして彼は眠りに落ちる。毒によって、強制的に。
 このままめざめなければいいのにと、ぼんやりとした意識の中、彼は思った。

  ◆

「眠ったね」
「眠ったみたいね」
 血と汚物にまみれる床の上、横たわる我が子を見て二人は安堵の息をつく。
「護送車は手配した。後はこの子を送るだけだ」
「私、ようやくこの生活からおさらばできるのね」
 夫婦には子に対する愛がない。当然だ。二人はこれまでずっと、「獣の子を産んだ」として世間から白い目で見られ、我が子のせいで様々な苦汁を舐めさせられたのだから。二人は我が子との別れを悲しまない。いっそのこと、別れられて清々しているのだろう。
「時間です」
 声がする。
手袋をした看守が出てきて檻を開け、傷だらけの少年の身体を運び出した。看守は檻のそばにたたずむ夫婦を見ると首を傾げた。
「お別れは、しなくてもよろしいのですか」
「したくないわ。それよりもさっさと私の目の前からその子を消して頂戴。穢らわしいわ、見ていたくないの」
「……畏まりました」
 看守は少年を抱いて地下を出る。そのしばらく後に、夫婦も続いて外に出た。外には頑丈な檻の乗っかった物々しい護送車がある。
 これから少年は捨てられる。ついに両親からも見捨てられる。
「何も生まれたくて獣に生まれたわけじゃあないでしょうに」
 看守はその目に憐れみを浮かべ、
「ならばせめて、神の加護のあらんことを」
 少年を護送車に横たえると、その首に何かを掛けた。それは金色のメダル。幸運の神フォルトゥーンの証したる福寿草の描かれた、純金のメダル。昔、看守の先祖がフォルトゥーンから直接もらったという秘宝のメダル。それは看守にとってとても大切なものだったけれど、彼が哀れな少年に与えられるのはこれくらいしかなかったから。
「さらばです……ジオ様、ジオファーダ様」
 ついぞ親からは呼ばれたことのなかったその名を呼び、看守は護送車の扉を閉めた。
「出発進行!」
 小さな獣の少年を乗せて、護送車はいなくなる。
 看守はその光景を、ずっと見つめていた。


「終わったか」
「終わったわね」
「これで平穏な毎日が訪れるんだな」
「これで平穏な毎日が訪れるのよ」
「俺たちは解放されたのか?」
「私たちは解放されたのよ!」
 ヴェリンとリルーサ。夫婦たる二人は互いに顔を見合わせて、嬉しそうに笑った。
 ジオファーダが、忌々しい獣が、厄介な、王家の面汚しが、ついに。
「「いなくなった!」」


 しかしこのことはすぐに、国王リュブドにばれることになる。事態を重く見たリュブドは二人から位を剥奪して都から追放し、皇太子をジオファーダとした。リュブドはジオファーダを捜そうとしたが、夫婦は頑として口を割らず、また、普通に捜しても簡単には見つからなかった。
 結局、少年が見つかったのはそれから五年後、ジオファーダ十歳の時だった。
 それまで彼はずっと、「獣」であることを強いられたのだ——。

  ◆

Re: SoA 大戦編 月影に吼える ( No.2 )
日時: 2018/06/10 13:05
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

 用語解説(随時追加)

異世界アンダルシア……
 神々と人間が共に暮らす世界。魔法があり、独自のシステムで発動させる。地理は北大陸、南大陸、シエランディア、東方諸島群、プルリタニアと主に大別できる。シエランディアとプルリタニアは大陸一つで国が成っている。

北大陸……
 今作の舞台となる大陸。帝政アルドフェックなる国が周囲の国々を侵略しつつあるようだ。帝政アルドフェック、アンディルーヴ魔道王国、セラン王国、ティファイ聖王国、アーチャド法国、神聖エルドキア、共和政シエンル、皇国イグノシアの八つの国々から成る。

共和政シエンル……
 今作の舞台となる国。王朝を三代ごとに選挙で変える、「三代共和政」なる独自システムが取り入れられている。昔はまともな共和政だったが、いつの間にか今の形に落ち着いた。獣人けものびとと呼ばれる、頭に獣の耳が生えていたり、尻尾が生えていたりする人々が全国民の四割を占める。そのため異種族には寛大。

獣性……
 獣人の持つ凶暴性のこと。これが強い者は一生人間としての生活はできず、獣のようにして扱われる。これが強い者はそうそういないが、稀にそういった者が現れる。

魔法素マナ……
 空気中に無数満ちる、目に見えぬエネルギー物質。魔導士たちはこれを感覚的に組み合わせて「式」を作り、それを崩壊させて、そのことによって生まれた「歪み」を利用して魔法を放つ。可視化させることも可能。

式……
 魔法素を組んで作る、魔法の素体のようなもののこと。様々な種類の式があり、複雑なものほど威力は高いが消費魔力も多くなる。

魔力……
 魔法を放つ能力。生まれつき、人によって上限が決まっている。これを消費することで魔導士たちは魔法を放つ。これを消費しすぎるとぶっ倒れたり、身体に内出血が浮かんだりと身体的被害も出るので無理は禁物。


 一時保存

Re: SoA 大戦編 月影に吼える ( No.3 )
日時: 2018/06/15 17:20
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


 キャラクター紹介(随時追加、および変更)

ジオファーダ・シエル……
 獣の姿として生まれた狼人。人間の時は黒髪緑目、狼の耳と尻尾を持つ。獣の時は、全長三メートルほどの漆黒の狼の姿となり、非常に凶暴化する。
 共和政シエンルの第一王子で、次の王様になるべき人物。

リュブド・シエル……
 共和政シエンルの王様。歳は六十歳を超える。ジオファーダの祖父で兎人。白髪や毛で全身モコモコで、兎の耳とウサギの尻尾が生えている。

ルエンス・アルトゥーゼ……
 ???

Re: SoA 大戦編 月影に吼える ( No.4 )
日時: 2018/06/15 17:22
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

〈一章 人間になるために〉

 王宮から連れ出された少年は、これまでの記憶を全て失っていた。護送車に入れられ、暴れ出さないように手足を鎖でつながれ、薬を飲まされて朦朧とする意識の中、少年は己に問うた。
——ぼくは、だれ?
 あまりにも辛すぎる記憶は、少年から己の名前すら忘れさせた。ずたぼろになった手の痛みが、思い出すなと囁きかける。そんな彼が彼たる唯一の証は首に掛けられた金のメダルだけれど、彼にはそれが何であるかわからなかった。少しでも字を知っている者ならばそこにフォルトゥーンの字を読み取ることができるだろうが、獣の少年はそもそも言葉というものをほとんど知らなかった。文字なんて読めるわけも無い。
 ガタンゴトンと、馬に引かれて護送車は揺れる。どこへ行くのだろう、どこへ連れていかれるのだろうと少年は胸の内に不安を抱く。何一つ身に纏わぬ少年は、隙間風に身を縮こまらせ、獣の尻尾を幼い身体に懸命に巻きつけて暖を取った。少年は孤独だった。少年は独りだった。実の親でさえ彼を捨てた。少年を助ける者なんていないのだ。
 少年の脳裏にふっと、このメダルをくれた人の顔が浮かびそうになったがそれすらも曖昧で。
——わからないや。
 諦めて少年は眠りについた。それぐらいしか彼にはすることがなかった。
 フォルトゥーンのメダルは彼を幸せにできるのだろうか。
 託された願いの成就はいまだわからない。

 六日か、七日か。時の感覚の消える旅。やがて少年は「到着だ」の声とともに起こされて、檻の隙間から外を見た。
そこは小さな村だった。木で作られた家々の立ち並ぶ小さな村。道端には花が咲き、小鳥のさえずりの聞こえるのどかな村。
「お前の家は、今日からここだ」
 護送車を操っていた御者の声。しかしその瞬間、何の前触れも無く少年の中の「獣」が頭をもたげた。それは水に墨汁を落とすように、見る見るうちに少年の心を侵食した。先程まで穏やかな微笑みを浮かべていた少年の顔に影が落ちる。そしてその姿が、変化し始めた。
 全身に漆黒の毛が生え、小柄な体は巨大化する。手足には鋭い爪が生え、手は長くなり、二足歩行から四足歩行へとシフトする。
 数秒後にはそこに全裸の少年の姿はなくなって、代わりにただただ緑の瞳を殺意にぎらつかせた漆黒の狼が、その場で咆哮を上げていた。狼は唸り声を上げて勢いよく檻にぶつかったが、鎖が邪魔してうまく動けないようだ。村人たちが怯えた顔をした。
「…………」
 御者は無言で荷台から弓と矢と毒壺を出すと、矢の先を毒壺に浸して弓につがえ、狼に向かって放った。その手捌きには一切の遠慮がない。放たれた矢は風を切って飛んで行き、狼の腕に突き刺さった。狼は唸り声を上げて、ますます猛り狂う。
「……悪く思うな、獣よ」
 淡々とした声とともに、第二矢が放たれる。今度は狼の後肢に突き刺さった。狼はしばらく暴れていたが、やがて大人しくなった。毒壺に入っていたのは麻痺毒だ。それが効き始めたようである。
 身体の自由を奪われた狼は、とてつもない憎悪を含んだ目で御者を睨んだ。御者は疲れたように息をつき、その様をじっと見ていた村人たちに声をかける。
「そちらが預からねばならぬのはこんな奴だが、皇太子殿下のご命令だ、宜しく頼むぞ」
 簡潔に彼はそんなことを言う。
「檻は荷台から取り外せるようになっているから彼ごとここに置いていく。戻ったら秘密隠蔽のために俺は始末されるだろうから、仕事を終えたら行方をくらます。こいつの世話の仕方は看守が紙に残してくれたからここに置いていく。ではな」
 御者の男は紙の束を地面に置くと、馬と護送車とを切り離し、馬にまたがった。
「任務、終了。これ以上、関わることも無いだろう。こっちだってこんなことになんか関わりたくはなかった。餞別に名前をくれてやる。俺はウィオ。名字すらない平民さ」
 言うだけ言うと、御者ウィオは馬の腹を蹴り、風のようにその場を去った。残されたのは、不安げな村人たちと獣のうずくまる不気味な檻。
 村人の一人が、思わずと言った体で呟いた。
「私たちはこれから……どうなるんだ?」
 重い空気が村中を包んだ。


 「ジオファーダは人の姿をした獣である」。それが、この村の人々から見た少年の印象だった。暴れるだけ暴れ、暴れ疲れたら人の姿になって眠る少年。彼が人間であるときは彼が獣である時よりも長いけれど、彼に意識があるのは獣の時の方が長い。彼は人間に戻った時間のほとんどを眠って過ごした。暴れることによって消費した体力を、眠ることによって回復するのだ。
 彼が暴れる理由。それを人は「自由になりたいからだろう」と解釈した。檻にひたすら身体を打ちつける獣の少年。それは自由を求めているようにも見える。だがその理由は少年自身にもわからない。彼の中でただひたすらに、意味も無く荒れ狂う感情が、彼にそういった暴力を起こさせる。それを制御するすべを少年は持たず、また、そう言ったどうにもならない思いを伝えるための言葉もまた、彼は知らなかった。暴力しか持たず、何も知らない少年はただ、暴れることしかできなかった。
 グオルルル、ガオルルル。少年の叫びが村を震わせる。彼の胸の上、金のメダルがちらり、ちらりと輝いた。まるで運命を嘲笑うように、まるで少年を嘲るように。
 かくして悪夢はまだ続く。


 暑い夏も、寒い冬も。気温差の激しい春も秋も。少年の生活は変わらず、誰も少年を人間として扱わなかった。向けられるのは恐怖と侮蔑。獣として育てられた少年はいつしか、人間らしい感情をも喪失していった。わずかに覚えていた言葉も、彼の脳が不要と判断して忘却した。少年は施行する能力すら失い、惰性で生きるようになった。
 「生きている」のではなくて、「生かされている」命。
 そんな日々が五年も続いた頃、余所者の来ないこの村に一人の余所者がやってきた。それは老人だった。髪も眉も髭も白く、そういった毛でモコモコしている低身長のその老人の頭からは、先の折れた兎の耳が生えていた。獣人の一種、兎人である証である。そんな彼は、

 共和政シエンルが王、「平和の白兎」リュブド・シエル。

 五年の歳月を経てついに彼は、己の後を託すべき孫息子を見つけたのだった。

Re: SoA 大戦編 月影に吼える ( No.5 )
日時: 2018/06/18 18:40
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


「話は聞いておる。しかし私はそなたらを処罰したりはせぬ。私はのう、可愛い孫息子の顔を見に来ただけなんじゃ。じゃから恐れる必要などないぞ?」

 リュブドは村に着いて名乗りを上げると、安心させるように村人たちにそう言った。しかし村人たちは皆不安げな顔をしている。リュブドは困ったような顔をした。
「私はただ、孫息子に会いたいだけなんじゃ。元皇太子夫妻に巻き込まれ、強制されただけのそなたらを私は責めぬ。じゃから、案内してくれんかの。……現状が、知りたいのじゃ」
「……ご案内致します」
 その言葉を受け、一人の青年が前に進み出た。その顔にはどこか諦めたような表情が浮かんでいる。彼はリュブドを追い越して歩いて行き、リュブドに背を向けたまま、立ち止まって言葉を発した。
「一言、言わせてもらいますが……あれは人間ではない」
「承知の上よ」
 リュブドは真剣な顔でうなずいた。それを確認すると、青年は歩き出す。
「……ついてきて下さい」

 エサをくれる人のものではない足音を聞きつけて、くたびれきっていた少年は目を覚ます。獣の耳が敏感に音をキャッチして、ぴく、とどこか怯えたように震えた。
 檻には布がかけられており、それが郊外に置いてある。その布が取り払われた。少年は突如飛び込んできた光の眩しさに、何度も目をしばたたいた。
 光の中にさらされた少年の裸身。何も纏わぬ肌はいたるところ傷だらけで汚れていた。漆黒の髪は己の血と汚れによってやや茶色みががり、エメラルドグリーンの瞳は虚ろで人間らしさなど存在しない。外見こそ人間の姿をしてはいるが、そこにいたのは紛れも無い獣だった。檻に入れられて見せ物にされている、哀れな手負いの獣だった。その手足には、拘束の鎖が伸びていた。
「ジオファーダ……」
 思わずリュブドは少年の名を呟くが、少年は首をかしげるだけだ。名前すら忘却した少年は、リュブドを見て警戒の唸り声を上げた。
「私は敵ではないよ、ジオ」
 リュブドは優しく微笑むと、少年のいる檻へ近づいていく。その背を慌てて青年が呼び止めた。
「駄目です、この方は危険ですよ! 近づかない方が——」
 リュブドは青年をぎろりと睨んだ。
「そうやって遠ざけて、誰もこの子を愛そうとしなかったのだろう。違うか?」
「…………」
 黙り込んでしまった青年を尻目に、リュブドは唸り続ける少年に近づいていく。少年は警戒の唸り声を強くしていくが、リュブドの歩みは止まらない。
 やがて、
「——ジオファーダ」
「……ッ!」
 リュブドの手が、少年の腕に触れた。リュブドは優しく語りかける。
「私は、お前に会いたかった」
 言ってリュブドは少年の身体を引き寄せると、檻の鉄格子ごと彼の身体を抱き締めた。驚きに少年の身体が硬直する。リュブドはその背を何度も何度も、優しくいたわるようにさすった。
 少年はこれまで、こうやって誰かに抱きしめられたことなんてなかった。誰かに優しくしてもらったことなんてなかった。そして今、彼は溢れんばかりの愛情を身に浴びて、ただ戸惑うばかりだった。その時少年の心に生まれた感情は暗いものではなく、彼は自分でも理解できない感情の奔流に涙を流した。
 しかしその感情に導かれるように、少年の中の「獣」が目を覚ます。これまでならば、少年は簡単に己の内に眠る獣に意識を乗っ取られていたことだろう。だが、今になってようやく少年の心の中にきざした小さな「自我」は、今まさに荒れ狂わんとする「獣」を必死で抑えつける。目の前の人は敵ではない、だから傷つけてはいけないと、少年は「思考」する。少年はおぼろげながらもこの「獣」が他者を傷つけ得るものだと知っていた。だから——起こしてはいけないと。
 止まれ。
 最初に少年が思いだした言葉はその一語だ。少年はその言葉をひたすらに心の中で呟き続けた。止まれ止まれ止まれ——。それは、彼に初めて「喜び」という明るい感情を与えてくれた、目の前の人間を傷つけないようにするために。
 リュブドは体を硬直させた少年の顔に、苦悩の色を垣間見た。
 その瞬間、
「ッ! 離れて下さいッ!」
 青年の叫び声。彼の手によってリュブドは檻から引き剝がされた。刹那、檻の中から恐ろしい唸り声がした。
「ジオ……」
 少年は、まだ持てる自我の少ない少年は、「獣」に克つことができなかった。彼は「獣」に己の身体の支配権を譲り渡してしまった。先程までは少年のいたそこには、通常の三倍はあろうかという大きさの狼が、目に映るもの全てを憎悪の眼差しで睨みつけている。
「でも……驚きました」
 額から汗を流しながらも、青年はリュブドに向かって言った。
「彼……一瞬でしたが確かに、自分を制御していましたよね。そして『人間らしく』涙まで流した」
 リュブドは頷く。
「ジオは獣ではなく人間なのじゃよ。ただ一般人よりも、獣性を強くして生まれただけで」
 リュブドが檻の中に目をやれば、自我を失った獣が狂ったように暴れている。リュブドは顎に手を当てて考え込んだ。
「獣性か……。『封印』すればもしかしたら……?」
 リュブドの頭の中に、自分の手駒として使える腹心の部下の顔が浮かんだ。
「成程、現状は理解したぞ。今回は一旦帰ることにするが、次はある人物を連れてまた訪れる。彼ならばきっと、ジオファーダの強すぎる獣性も、封じられるじゃろうて……」
「……畏まりました」
 青年は何かの装置を動かして、元通り檻に布を掛けた。檻が獣の突進を受けて、激しく揺れた。
 何かを考え考えしながらも、リュブドはその場を、村を去る。
 こうして初めての邂逅は、終わった。

  ◆


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