複雑・ファジー小説

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飛んでヒに入る夏の虫【完結】
日時: 2020/08/20 17:53
名前: 今際 夜喪 (ID: 6hC8ApqV)

飛んでヒに入る夏の虫

 暗がりを恐れているのか、灯りが恋しかったのか。それとも君も、死にたかったのか。
 白熱灯に触れた羽虫は、ジジッとノイズと共に生命を散らして、地に落ちる。イカロスだっけ、太陽を目指してロウで固めた翼を羽ばたかせたのは。少しだけ似ているかもしれない。
 いいな。空を掴めない掌で、太陽に焦がれた。遠い、遠い、蒼穹の中の光への羨望は、日に日に募っていく。
 
 きっと、どこかで野垂れ死んでしまう、羽虫のような存在。死んだって誰も気にかけない、ちっぽけな何か。
 夏は嫌い。溶けて消えてしまえとでも言いたげな炎天下が嫌いだった。夏休みの宿題を終わらせなければと焦らされる感覚が嫌だった。何かしなければいけない気がする感覚も嫌で、堪らなく嫌いなのに、夏の終わりが来ると、どうしてか寂しくなるのが、何よりも嫌いだった。
 ヒグラシの声に、耳を塞ぎたくなる。毎年同じ臭いのする、別の夏を見てきて、思う。
 
 死んでしまいたいなって。
 
 
初めまして、今際 夜喪(いまわ やそう)と申します。夏が来たらこの話を書こうと思っていたので。
短いですが、この猛暑で溶けて消えてしまいたいような、そのくせ溶け残ってしまった、何かみたいな、暗い話です。
(二年前の夏に更新停止したものを再始動しております)
 
目次
♯01 陽炎/カゲロウ>>1>>2>>3
♯02 蛍火/ホタルビ>>4>>5>>6>>7>>8
♯03 空蝉/ウツセミ>>9>>10>>11>>12
 
登場人物
日暮 禅/ヒグラシ ゼン
源氏 蛍/ゲンジ ケイ
薄羽 秋津/ウスバ アキツ
 

Re: 飛んでヒに入る夏の虫 ( No.1 )
日時: 2020/04/28 15:22
名前: 今際 夜喪 (ID: Whg7i3Yd)

#01 陽炎/カゲロウ

 7日目。

拝啓
 
 恥の多い生涯を送ってきました、なんて。有名な書き出しを真似してみる事しかできない私を、あなたはどう思うでしょう。
 ありがちな事しか綴れないけれど、よくあるやつです。

“あなたがこれを読んでいるとき、私はもうこの世にいないでしょう”

 そう。遺書です。迷惑を承知でこの手紙をあなたに遺そうと思います。逝ってしまう私を、許してほしいとは言いません。私はあなたに恨まれ、罪の意識を背負う覚悟なんてありません。だから死ぬのですから。臆病で、挑戦よりも逃亡を繰り返してきた私だから。

 そもそも、私が何故この手紙を君に宛てたか。それは言ってしまえば君に対して抱いてきた「名前のない感情」によるもの。
 何だそれは、と思うでしょうが、その名の通り、既存の言葉では表せない感情です。
 私は君が好きでした。でも、恋のように甘く酸っぱく苦い、なんてものではありません。味で表すならもっと苦々しい、とても飲み込む事のできない激しい感情。苦くて辛い、何よりも痛々しい。蛇みたいに心の奥でとぐろを巻いて、のたうち回っては私の気持ちに荒波を立たせて、どうにも無視することができない。愛おしいのに、狂おしいほどの嫌悪とも相違ない。それを恋などとは呼べやしない。
 そう、私は君のことが大嫌いでした。


 3日目。

 蝉の声が煩い。
 肺いっぱいに吸い込んだ空気はムワッとした熱気を孕んでいて、肌に纏わり付く温度同様に気持ち悪い。照り付ける日差しに焼き焦がされて、皮膚は痛いくらいだ。俺は額に滲んだ汗を拭いながら、炎天下の住宅路を進んでいく。

 8月の日差しは、人を殺すためにあると思う。制服のワイシャツが汗で肌にくっついて気持ち悪いし、そろそろ目眩がしてきたし、こんなの人間が出歩ける気温じゃないだろう。
 そう思うくせに、俺は態々クーラーで冷やされた自宅から出て、直射日光に殺されかけながら、フラフラと道を歩く。生ける屍。リビングデッドみたいだ。でも俺はまだ死んでない。死にかけの生者だ。真逆の存在だった。死にかけの生者って英語でなんて言うのだろう。リビングデッドの真逆なら、デッドングリッビとか。
 ……残念ながら、これでも英語は得意科目のつもりだったのだが。高校3年生、日暮 禅(ヒグラシ ゼン)、こんな事で大丈夫だろうか、大丈夫である筈が無いだろう。もう駄目だ。国語の成績だけがいいのが取り柄なのだけど。灼熱の太陽に頭をやられて、全体的な機能が駄目になっているように思う。

 俺が目指していたのは、駅から徒歩20分程度のところに位置する大きな病院だった。比較的健康な少年として育った俺には、殆ど無縁の場所で、あの日、彼女に出会わなければ、これからもずっと無縁になる筈だった。

 病院内に入った途端、温度が変わる。煩かった蝉の声も止んで、火照った体を冷たい空気が包んでいく。別世界みたいだ。本当に、別世界みたいなものだと思う。ここには沢山の死んじゃうかもしれない人とか、生きたくても生きられない人がいる。死にたくてここに来たあの日の俺は、その人たちを愚弄してるみたいだった。
 階段を上がって行って、彼女の入院している病室へ向かう。
 部屋の扉を軽くノックしたけれど、返事は無い。

「ケイ、俺だよ?」

 返事は無い。寝ているのかも知れない。だとしたら、寝ている女の子の部屋に勝手に入るのってどうなのだろう、と迷いが生じる。この病室、1人部屋なのだ。寝ている女子の1人部屋に入ろうとする18歳男子、という字面が結構危ない感じがする。
 帰ろうかと思って病室から離れかけたが、家から駅まで5分歩き、電車に乗り込み、1つ隣の駅で降りて、20分かけて此処までお見舞いに来た。その労力を思うと、簡単に帰るわけにもいかないだろう。

「入るからね」

 小さく声をかけ、意を決して横開きの扉を開く。
 白い病室の中、白いカーテンが風に揺れていて、廊下よりも少しだけ温い空気が肌を撫でた。窓を開けっ放しにしているせいで、冷気が逃げてしまっているのだ。
 白いベッドの上には、白いシーツと布団が綺麗に畳まれていて──ケイの姿は何処にもない。彼女のいるべき空間は、空っぽだった。
 白に囲まれた病室の中、窓際の花瓶の中にあるオレンジの色彩が、やけに異質に見えた。ケイが好きな花。マリーゴールド、というらしい。小さな太陽のような花だと思ったことがある。
 外出しているだけかもしれない。しばらく待っていれば、帰ってくるはず。俺はそう思って、ケイのいない、空っぽのベッドに腰掛けた。窓の外から蝉の声が喧しい。

 20分は経ったか。待っても、待っても、ケイが帰ってくる気配はなかった。窓の外からジイワジイワと鳴く声が煩くて、窓を閉めようかと思った。
 ふと、マリーゴールドのオレンジが、視界の端を掠めた。白い病室の太陽のように咲き誇る、その一輪。
 俺は花の茎を指先で摘んで、ぐっと力を入れた。そうすれば、簡単に折れてしまう。圧し折られたマリーゴールドは情けなく項垂れて、その姿を見ていると、少しだけ清々しく思えた。

 ケイがこれを見たら、怒られてしまうだろうか。俺よりも、こんな植物を気にかけるのだろうか。ケイならそうするかもしれない。
 俺の気持ちなんか、全然知らないから。

 その花の本体がなければ、俺がマリーゴールドにしたことだってなかったことにできる。花瓶から取り出したマリーゴールドを窓の外に放り捨てて、窓を閉めた。途端に喧しかった声も止んで、病室内はクーラーのフィルターの音だけが満たしていた。
 俺はもう少しだけ待ってみようと、スマホを弄りながら時間を潰していたが、突然、通話が掛かってきて、肩を震わせた。
 源氏 蛍(ゲンジ ケイ)……。期待した彼女の名前では無くて、薄羽 秋津(ウスバ アキツ)とかいう、根暗の引き篭もり男の名前が表示されていて、なんとなく腹が立ったので、無視してやることにした。
 アキツの事はよく知らないが、ケイの幼馴染らしくて、しょっちゅうケイとも仲良さげにしていて、あまり好きじゃない。悪いやつではないのだろうから、これは俺自身に問題がある。そうはわかっていても、心が認めることを拒むから、アキツを受け入れることは難しかった。
 ケイの帰りを待って、スマホで動画でも見ながら時間を潰そうとする。時間を潰すためだけの、本当に下らない内容の動画を眺めて、何が楽しいのかもよくわからない。対して興味の無い、無駄にキラキラした食べ物の紹介動画だった。表情も変えずに画面を眺めていると、動画が突然止まる。

 ──着信。薄羽 秋津。

 変に腹立てて無視したのに、まだ電話をかけてくるなんて、何の用だ。若干の苛立ちを感じつつも、無視するのも面倒になって電話に出た。

『……ゼン、』
「何の用だよ、俺忙しいんだけど?」
『ごめん……』

 適当な俺の嘘に対して、電話口から聞こえてくる声は虫の羽音みたいに弱々しかった。それも少し、俺の精神を逆撫でする。でも、用があるからこうして電話をかけてきたのだろうから、とりあえずアキツの要件を聞くことにする。

『……』
「……」
『……えっと』
「いや、早く言えよ」

 アキツは電話を掛けてきたくせに、話がまとまってないのか、しばらく切り出せないでいた。もう切ってしまおうかとも思ったが、アキツがまともに喋れないのはいつものことなので、黙って耳を澄ませる。

『僕の家に、来て欲しいんだ。渡したいものが、あるから』
「なんでよ。俺今、ケイの病室にいるから、お前が来たら?」

 アキツの家は電車を幾つか乗り継いで、更に駅から15分近く歩かなければならなくて、単純に行くのが面倒で、そういうふうに返した。
 電話口の向こうで、息を呑むような微かな呼吸が聞こえた。

『ケイ、いるの?』

 少しだけ、震えた声。なんだか、怯えているみたいに聞こえた。それを不思議に思って首を傾げつつ、俺は短く「いないけど」と返答する。

『そう。そっか……』

 今度は、雪のように儚く消え入りそうな声。瞬間、何故か胸騒ぎがした。

「なあ、ケイとなんかあったの?」

 俺の質問に、アキツは答えなかった。否定さえしないということは、肯定とも捉えることが出来る。渡したい物がどうとか言っていたことと関わりがあるのだろうか。
 俺は通話を切って、ベッドから立ち上がった。
 渡したい物があるなら、お前が会いに来い。そう、思う気持ちもあるのだが、アキツは高2の夏辺りからずっとひきこもっていて、学校にも顔を出してなかったから、無理もないのかもしれない。春の始業式には来たらしいが、終業式には来なかったし。
 御見舞にきたのに、ケイもいないし。仕方なく、俺は病室を後にした。
 去り際に一度、ケイのいない病室を一瞥する。真っ白な空間は、何の色彩もなくなって、やけに質素に見えた。

Re: 飛んでヒに入る夏の虫 ( No.2 )
日時: 2020/07/01 22:51
名前: 今際 夜喪 (ID: Whg7i3Yd)



 再び猛暑の中をフラフラと歩くリビングデッド? デッドングリッビ? となりつつ、駅を目指す。陽射しは強くて眩しくて、ちゃんと目を開けていられないくらいだ。熱されたコンクリートから放たれる熱気にもクラクラしてしまう。
 そんな中、どうにか辿り着いた駅は、やけに人の量が多く見えた。……嫌な予感がする。改札前にできた人混みを見るに、予感は確信に変わりつつあったが、駅員さんが拡声器を使用してアナウンスする内容から、やはり人身事故の影響で電車が止まってるのだと知った。
 この時点で、アキツに会いに行く気は失せたため、真っ直ぐ家に帰ろうかと思ったが、どうやら人身事故が起こったのがこの駅での事らしく、上り方面にも下り方面にも電車は動いていないらしい。つまり、俺は帰れなくなった。
 1駅程度なら歩いて帰れそうとも考えたが、正直この炎天下を30分近く歩く気力はなかった。

 改札前の人混みの中にいると「電車が復旧するまでに2時間くらいかかる」なんていう話し声が聞こえてきて、思わず俺は項垂れる。更に「近くのドーナツ屋で時間を潰そう」という話し声が聞こえてきたので、俺もそうしようか、とその人たちに着いていった。

 ドーナツ屋に入って、カフェオレだけ注文して、適当に時間を潰す。こんな事になるくらいなら、夏休みの課題各種も持ってくればよかった、なんて普段の真面目な思考が働きかけたが、自分に夏休み明けがこないことを思い出して、馬鹿馬鹿しく思った。
 先程盗み聞きさせて頂いた2人組が近くの席に座っていて、今回の人身事故の詳細について話していた。どうやら女性がホームから線路に飛び込んだとか、足を滑らせただけとか、誰かに突き落とされた可能性があるとか、事件性もあるため、電車の復旧が遅れるかもしれないらしい。

「めっちゃ血ついてるじゃん」
「こっちの人は轢いた電車の中にいたらしいよ。ゴリゴリゴリって、やばい音したって」
「こっわー」

 SNSに載せられた画像でも見ながら話しているのだろう。不謹慎にも、その女性が轢かれた瞬間、ホームで電車を待っていた誰かが、写真を撮って画像を載せたらしい。
 暇を持て余す俺は、カフェオレをひとくち口に含んで、アキツに電話をかける。コール音がしばらく鳴り続けて、もう切ろうかと思いかけたところで、ようやく電話口からボソボソとした声が聞こえた。

『……もしもし』
「悪い、なんか人身事故の影響で電車動かなくなったから、お前んち行けなくなったよ」

 と、告げた瞬間、電話口から酷いノイズ混じりの騒音が響いて、思わず耳からスマホを遠ざけた。

「な、なんだよ煩いな……」
『──あ、ごめん。ケータイ落としちゃって』

 ドジっ子か? なにしてんだよ、と苦笑しつつ、カフェオレを一口。

「そういうわけだから、オケ?」
『あんまりオッケーじゃないけど。うん』

 ピ、と通話終了の電子音がしてアキツの声が途切れた。

 暗くなった画面に写った俺の顔をぼんやりと見つめる。不眠続きの隈の目立つ、霊鬼のような顔。
 最近は両親の声が煩くて、もっと眠れなくなってきていた。何も聞こえないように耳を塞ぎ、眠ってしまいたいのに、浅い眠りを繰り返しては深夜に胸騒ぎがして目を覚ましたり、眠いのに眠るのが怖くなって、ベッドに横になったまま、薄暗い部屋に視線を彷徨わせる日々が続いていた。眠ろうとすればするほど、急に不安になって、過去の嫌なこととか、思い出したくもない記憶ばかりが頭を巡る。そうして、気が付けば空が白み始めて、夜に置いてかれていて。蝉の声が煩い朝がくる。リフレイン。

 カフェオレを口に含んだ。冷えた店内で、温かいそれを飲む。苦くて美味しくない。でも、身体の内側から温まる感覚が心地よい。カフェオレは懐かしい匂いがする。朝、目を醒ましてリビングに行けば、食卓に着いた両親が美味しそうに飲んでいて、試しにちょっと味見させてもらっても、ちっとも美味しくなくて。「大きくなったらゼンにもわかるよ」と笑う親の顔が、好きだった。
 今だって全然美味しくない。だけど、幸福の記憶に縋るみたいに口内を満たす。苦味が舌に纏わりついて、脳内を満たすのは不快感だけなのに。


 ──1年前の6月。
 雨の匂いを肺いっぱいに吸い込んで、地表を見下ろした病院の屋上。久しぶりに晴れた透明の空の下、そういえばなんで雨の匂いがするんだろうって考えて、俺を屋上に閉じ込めるフェンスから滴る水滴に、早朝のうちに降ったのだと知る、午前9時。
 無色の街並みをもう一度見渡す。今からあの中に吸い込まれて、俺も無色になるのだろう。憂鬱な家から逃げるみたいに飛び出して、学校に行くために電車に揺られて、でも気が付いたらこんなところにいて。俺はもう、疲れていた。
 静かにフェンスに手を掛けた。冷たい雨粒に指先が濡れる。構わずよじ登って、飛んでしまおうとした。

「死ぬの?」

 唐突に背後から聞こえた女性の声。振り返ると、肩の辺りで切り揃えられた髪の、同い年くらいの女の子が薄っすら微笑みながらそこに立っていた。病院着姿で、右手で点滴スタンドを引いていたから、すぐにここの患者だとわかった。

「……止めないでよ。なんの事情も知らないで、なんの責任も取る気もないくせに、死んじゃダメとか言う奴は、偽善者だ」
「止めてなんかあげない。わたし、善人だもん」

 クスクスと小馬鹿にするみたいに笑っていたけれど、顔の造形がいいからか、そこまで腹は立たなかった。

「あなた、ここの患者さん? 何の病気?」

 彼女の質問に、俺は首を横に振って答える。

「俺は、ただ死にたくて高いところ探していたら、偶々この病院に辿り着いただけ」

 それを聞くと彼女は瞠目して、嬉しそうに手を叩いた。

「生きたくて足掻く人が溢れ返ってる場所を自殺場所に選ぶなんてハイセンス! わたしも病気でそんなに永くないんだけど、そんな人の前で自殺するのってどんな気分?」
「……生きたい君は、命を粗末にしやがって、とか思ってんの?」
「なわけ」

 俺の質問に嘲笑するような声で否定する。それがちょっと意外で、フェンスを握る手に力が篭もる。
 なんとなく、勝手に、俺と同じ人なのかもしれないって思ったから。期待を込めて、意を決して、口にする。

「じゃあ、一緒に死なない?」

 俺がそう言うと、彼女は目を剥いて、固まった。
 それから、腹を抱えて笑いだした。引かれるような発言はしたかもしれないが、面白いことを言ったつもりはなかったのだが。

「あなたのその制服、近くの高校の生徒でしょ? 何年生」

 急に話題を変えられて戸惑いつつも、右手の人差し指と中指を突き立てて答えた気になったが、なんだか突然ピースサインをつくるおかしなやつみたいだなって思って、既に自分が最高におかしなことをしているんだから、どうでもいいかと考えを改める。
 彼女は「一緒だ」と、嬉しそうに声に出してから、すこし俺に歩み寄ってきた。

「わたしと一緒に死んでくれるなら、あと1年生きてくれる? それくらいが源氏 蛍(ゲンジ ケイ)の余命なの」
「ケイ?」
「わたしの名前。蛍って書いて、ケイ。短命なの。儚い命、蛍の光みたいでしょう?」

 それが、ケイとの出会いだった。
 その後、アキツとはケイ繋がりで知り合ったけれど、よくよく話を聞いてみれば、同じ高校で、しかも同じ学年だった。そのくせ全然知らなかったのは、彼が不登校だったからだ。理由は知らないが、年単位で引きこもり続けているらしく、一生の殆どを水中で過ごす蜉蝣みたいだ、なんて思った。ついでに本人に言った。そうしたら「蜉蝣は2、3年くらいだけど、蝉なんか10年くらい土の中で過ごすらしいよ」と返された。蝉って、俺のことを言っているらしかった。でも俺はむしろアウトドア派だ。……あまり家に、居たくないから。

Re: 飛んでヒに入る夏の虫 ( No.3 )
日時: 2020/07/10 06:15
名前: 今際 夜喪 (ID: Whg7i3Yd)


 彼から掛かってきた電話を言い訳にしたのか。それとも彼女がぼくに託した紙切れ1枚を理由に逃げたのか。どっちもだったかも。自室の床に転がりながら、首に巻き付けたままだった縄をどうしようかと考えていたら、解くのも億劫になったので、そのままにしておいた。
 薄羽 秋津(ウスバ アキツ)という人間は、そんなやつだ。逃げる理由や辞める理由や諦める理由ばかり探して、そうやって結局、今までなんとなく生命活動を続けてきてしまったのだ。

 ケイとゼンが1年後心中計画を立ててから、その1年が経過していた。ケイが「アキちゃんもどう?」と誘ってくれたので、興味本位で一緒に死ぬことになって、それとは関係なしに日々死ぬ努力をしていたぼくは、今日も首に縄を巻いてみたわけだが、まあ、死ねなかった。

 手元の茶封筒に視線を落として、ぼくは肩を落とした。今思えば、心中計画に誘ったのも、この手紙をぼくに託したのも、ケイなりにぼくを陽の下に連れ出そうとしていたのかも知れない。病院のベッドに縛り付けられたままの彼女としては、元気な体があるくせに家に引き込もるぼくが、気にくわなかったのだろう。
 ぼくだって、好きで外に出ようとしない訳ではなかったのだけど。
 でも、このまま何もしなければケイ、怒るだろうなあ。
 ケイがぼくに託したのは、キッカケだ。逃げる理由を作るのは簡単だが、挑戦のキッカケは自分では作れない。だって、作ることからも逃れようとするから。
 時間の感覚が曖昧になった体が、果たして電子音1つで動けるようになるかは疑問だったが、取り敢えず。取り敢えず、目覚しをセットしてみる。既にデジタル時計が1桁の数字を表示する真夜中。起きられなかったらその時はその時だ。起きられたら、その後の事は、その時の気分次第だ。そういうわけで、布団に潜り、目を閉した。


 4日目。

 蝉の声が煩い。
 ──飛んで陽に入る夏の虫。とでも呼べばいいだろうか。前髪がやたら長い癖毛の歩行型のもやし。何故か首に縄が巻き付いている。そういうファッションなのか。ケイに写真を見せてもらったことはあるが、実物の歩行型もやしを見るのは初めてで、俺は驚きを隠せなかった。
 夏休み4日目の朝、鳴り響くインターホンに反応して戸を開けると、家の前に薄羽 秋津が立っていた。

 長きに渡る引きこもり生活のせいで病的に白く細い四肢は正にもやしで、まだ午前中と言えど30度を越す直射日光の中、こんなのがいると不安になる。顔色は青ざめている気もするし、既に熱中症にでもなっているのではないだろうか。

「……え、よく外出れたな……え? お外出て大丈夫なの、お前」
「何年ぶりに陽の下に出たか、分かんない」

 1歩歩み寄ってきて、アキツは1つの細長い茶封筒を差し出してきた。その足取りが不安定で覚束無いものだったのが気になったけれど、それよりも俺の意識は、差し出された茶封筒の表面に持っていかれる。

「これ、ケイの遺書」

 夏休みが始まると同時に、心中計画の話を持ち出したから、それにあわせて書いたのだろう。ヒョロっとした丸文字でわかりやすく“遺書”と書かれている。

「お前、引きこもりなのによく外出てきたな……。渡したいものってこれだったのか? 俺が今日取りに行こうと思ってたのに。ていうか、なんでお前がケイの遺書を俺に渡すの?」

 よく考えたらおかしい。それに気付いたのは、なんで、とアキツに疑問を投げかけてからだ。
 どうしてコイツがケイの遺書を持っていて、しかも本人に返すのではなく俺に渡したがったのか。それも、何年も引きこもり続けた男が、態々外に出てきてまで。病院までの距離と俺の家までの距離は、そんなに変わらないはずで、この男が外出をするという異常事態を説明する理由が、想像つかない。

 途端に、なんだか気持ち悪くなってくる。蝉の声がやけに煩い。
 説明を求めて見つめたアキツの表情は翳っていて、少しだけ言いづらそうに、モゴモゴと口を開いた。

「一昨日、ケイに、わたしが死んだらゼンにも見せてあげてって言われて。ぼくに渡してきたんだ」

 一昨日というと、夏休み2日目。俺が心中計画の話を切り出した次の日だ。
 アキツは更に言いづらそうにしていたように見えたが、顔を俯かせたまま、静かな声で言う。










「ケイ、昨日死んじゃったんだ」

 蝉時雨が止む。
 酷い目眩がして、一瞬空の青と植木の緑とコンクリートの灰が綯交ぜになって、足元が揺れた。

「は?」
「飛んだんだよ。駅のホームから、線路に。そうやって死ぬつもりなんだって、ケイ、笑ってた」

 吐き気すらした。
 急に、全てのパズルのピースが噛み合ってしまった。昨日のこと全部に、答えが出る。だから彼女は病室に居るはずなんか無くて、だから電車は止まって。昨日盗み聞きした他人の声が脳裏に過る。「めっちゃ血ついてるじゃん」ケイの生命の色が。「こっちの人は轢いた電車の中にいたらしいよ。ゴリゴリゴリって、やばい音したって」ケイの生命の音が。車輪に巻き込まれて、激しく撒き散らして、引き摺られて、ぐちゃぐちゃに、粉々に。磨り潰された。
 立っていることが難しくなって、重心が振れる。

「なんで」

 玄関の壁に手を付いて、倒れそうになるのをなんとか持ち堪える。それから、佇むアキツの顔を睨み付けた。

「なんで止めなかったんだよッ!?」

 感情のやり場がわからなくなって、アキツにぶつける。睨まれたアキツは、ビクリと肩を震わせて、1歩、後退った。
 そうだ。遺書を渡された時点で、アキツにはケイを止めることができたのに。こいつは昨日何もしなかった。ケイが死んだのはこいつのせいだ。ケイは、こいつに殺された。
 アキツは俺と視線が合わないように、顔を俯かせたが、それでも困ったようにボソボソと反論する。

「……止めなかったって。それ、変だよ。どうせケイは病気で、この夏休みが明ける頃まで保たなかったじゃないか。どうせ死ぬじゃないか」

 瞬間、頭に血が登る感じがして、俺はアキツに掴みかかっていた。もやしみたいなアキツは、その衝撃に耐える脚力も無く、後方に俺ごと倒れ込む。触れたアスファルトは陽の光に焼かれて熱かった。

「そうじゃねぇよ! ケイは俺がッ、俺と一緒に死ぬんだ! 俺がケイを殺してケイが俺を殺すはずだったんだ! 一緒に死ぬって約束したんだ! ケイが俺を置いていくわけ無いッ……約束して、1年待って、やっとって思ってたのに、これから一緒に死に方考えたかったのに、なんだよ、電車? そんなものがケイを奪ったのかよ、ケイは俺に殺されたかったんじゃないのかよ、なあ、そうだろ。ケイ。ケイは、俺の……太陽なのに」

 いい年こいて、泣きそうになる。アキツはそんな俺をぼんやりとした表情で見上げていた。

「ゼンには、ケイのことが見えてなかったんだよ」

 俺の体を押し退けて上体を起こしながら、アキツが言う。一瞬何を言われたのかわからなくて、俺はただアキツの横顔を凝視することしかできなかった。

「ケイも、ゼンのこと、見てなかったんだ」
「お前にっ、お前に何がわかんだよ……!?」

 アキツは、覚束ない足取りで立ち上がって、俺を見下ろした。束の間、夏の暑さが分からなくなってしまいそうな程、冷たい目だった。

「知らない。でも君らは同じ方向を見ていただけ。向き合ってないと、見えないものもあるんだよ」

 その声色すらも冷え切っていて。
 地面に落ちたケイの遺書を見る。感情に任せてアキツに掴みかかったとき、落としたらしい。少しシワがよって、砂がついてしまっていたので、そっと手に取ると、軽く払った。

「わかるのは、ケイがもう、死んでることだけだよ」

 すぐ側にジジッと声を上げながら、蝉が落ちてきた。しばらく、また飛び立とうと藻掻いていたが、そのうち動かなくなってしまった。


#01 陽炎/カゲロウ 終

Re: 飛んでヒに入る夏の虫 ( No.4 )
日時: 2020/07/16 07:05
名前: 今際 夜喪 (ID: XetqwM7o)

#02 蛍火/ホタルビ

 7日目。

 あの日出会った君は、私にとっての太陽でした。
 眩しくて眩しくて、ジリジリと灼熱で私を溶かしてゆく。真夏の陽射しの如き君が、私は大好きでした。
 草木を伸ばし、自然を豊かにさせていく反面、君のその明るさは、水を殺す。私はきっと水だった。君の灼熱に苦しんでいました。
 それでも私が君の側にいたがったのは、枯れてしまいたかったのだと思います。君と一緒に、枯れたかった。

 私の人生は君に狂わされてばかりだったらしいです。君がいなければ駄目になってしまう。だから先に死んでしまうことにしたんだ。逆の立場なら、私は君の後を追って何処までも行くけれど、君はどうだろう? 後追い自殺なんて馬鹿げてるって、病室のベッドで笑い飛ばして、私との約束なんてなかったことにするかもしれないですよね。そんなのは悔しい。私だけが君に狂わされていたと思うと、やっぱり妬ましいです。祟ってしまいたい。冗談ではないよ。今度は私が君の人生を狂わせてしまいたいと本気で思ってるよ。
 
 私は透明でした。
 君と出会うまでの十数年に色はなかった。君と見た景色にだけ、鮮やかな色彩が溢れていました。空が青いのも、金魚が紅いのも。君の好きな花、マリーゴールドだっけ。君と一緒だから、あんなに綺麗に見えたんだと思います。君がいたから知ったことでした。それまでの空も金魚も、あの花も、無色透明の質素な物でした。君がいなければ色彩を知ることは無かった。
 ……君が俺に色をくれたんだ。


 2日目。

 ケイが死ぬ前日。

「なんでケイがここに居るの」

 病院着ではなくて、夏空のような澄んだ青のワンピースに身を包んだケイが、ぼくの家の前にいた。傾きかけた陽で茜に燃える空を背景に佇むその姿は、どこか現実離れしている気がした。
 ケイが最近退院したなんて話は聞いてないし、そもそも、退院なんかできる見込みも無いのに、どうしてこんなところに。
 病院からぼくの家まで結構な距離がある筈なのに。駅まで歩き、電車に乗ってここまで来たのか。身体は大丈夫なのだろうか。

「抜け出してきたの。アキちゃんにこれを渡したくて」

 差し出された細長い茶封筒の表には“遺書”の文字。

「わたしが死んだら、ゼンにも見せてあげてね」

 ケイはニコニコと笑っている。何となく不自然な微笑。その笑顔の裏に隠された感情を伺い知る事は、ぼくには難しい。

「わたし、死に方決めたの。線路に飛び込みたいんだ」

 どうしてそんなことをぼくに言うのだろうか。止めてほしいの? 止めてどうするの。どうせ、ケイはこの夏休み中に終わってしまう。その命は蛍火よりも儚く、頼りなく燃えている。
 ぼくにとって、自殺というのは救いだから、止めようなんて1ミリも思わない。死に方についても口出しする気はない。線路に飛び込めば、電車が止まる。沢山の人に迷惑がかかるだろう。当然、家族にも。多分、そういう沢山の人に迷惑が掛かる死に方を、ケイはあえて選んだんだと思う。それについて理由を問いただそうとも思わなかった。
 ただ、少しケイらしくない、なんて感じて、ぼくの思うケイらしさなんて、虚像に過ぎなかったのだろうと考え直す。身体が弱くて、頑張り屋で、明るくて、時々寂しそうに笑っていた彼女の、表面的なことしか知らない。他人について考える余裕なんか、ぼくにはなかったから。
 受け取った遺書が、ぼくの手の中でとても場違いに見えた。

「……なんでコレをぼくに渡しに来たの。ゼンの方が、見たがってると思うよ」
「さあ? アキちゃんなりの答えを見つけてみなよ」

 ぼくなりの答えって、何。
 狼狽するぼくのことなんか気にも止めず、ケイはくるりと回って背を向けた。

「アキちゃんは、わたしの幼馴染だから、勝手に色々思うところがあるんだ。でも、それもわたしの独りよがり。だから、気にしないで」
「気にするなって……」
「それじゃあ、バイバイ」

 そう言って、軽く手を振りながらケイは去っていった。燃える空の中に、焼かれて、灰になっていくような。自ら火の中に飛び込んで命を散らす、羽虫のような。その後ろ姿。多分、これが彼女と話す最後の瞬間になるって、薄々気付いていた。
 ケイは、ぼくにお別れをしに来てくれたのだろうか。一緒に死ぬ筈のゼンではなくて、ぼくに。
 ぼくはちゃんとお別れを言えただろうか。

 彼女に託された茶封筒を開いて、三つ折りにされた白い紙を取り出して、目を通した。

『 世界のすべてが憎い。

 体が弱くって、わたしにはみんなと同じことができなくて、いつも失敗ばかりで、でも本当は、生まれたことが1番の失敗だったと思う。努力すればみんなと同じことができると思ってたけど、まわりもそう言ったけど、そんなことなかった。わたしはがんばった。だれよりもがんばったのに、できない。できない、できない、できない。同じじゃない。わたしだけがダメなんだ。この体がダメなんだ。それはあなたの個性だからとか言ってさ、はげまそうとしてくるのだってうざかった。しょせんはお前の人生にわたしは関係ないから他人事なんだろ。いいかげんにしろ。こんな体で、生きていたくない。
 毎日、ベッドに横になって何もできないわたしを見にくる人がいる。同情してんじゃねーよ。わたしはかわいそうか? やっぱりわたしはかわいそうなのか。そうだろうね、思うように動けなくて、みんなと同じことができなくて、早く元気になるといいね、だってさ。なれるわけ無いじゃん。
 ケイちゃん、ケイちゃんって、毎日のようにくる親がうざったい。あんたのせいでこうなったのに、こんな体で生まれたくなかったのに、どんな顔してわたしに会いに来るのさ。わたしを心配して、想いやっている良い親をしている自分に酔っているだけだろが。ふざけんな。しんじゃえ。お前がしんじゃえ。

 誰もこんな気持ち知らないだろう。みんなにあわれまれる苦痛も、思うように動かない体も、できないから、めいわくをかけて生きなければならないはがゆさも。愛情深い母親みたいなツラして、本当はわたしのこと、やっかいで面倒だと思っていることだって知っている。わたしだって、めいわくかけたくないのに。うとむなら、死なせてくれればよかったのに。

 全部嫌い。嫌い。

 わたしの体はもう、そんなにもたない。病気に殺されちゃうくらいなら、自分でわたしを殺してやる。世界が嫌いだから、たくさんめいわくかかるように、ハデに、汚く、せいだいに死んでやろう。ざまあみろ。こんな体で生んだこと、わたしを生んだこと、後悔しろ。

 わたしはきっと、飛んで非に入る夏の虫。』

 文字が、視界に入ってはサラサラと滑るように感じた。ケイが書いたにしては汚い文字列。彼女らしくない言葉遣い。多分、表に出さなかったケイが、閉じ込められていた彼女がここにいる。ぼくの知らなかったケイ。コレを、ぼくに知ってほしかったのか? どうして。
 ぼくには、よく分からない。ただ、飲み下せない異物感が、喉の奥に居座ったまま。


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