複雑・ファジー小説
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- アンサイズニア
- 日時: 2018/07/28 00:09
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
いつも守護神アクセスという作品を書いています。
ちょっと最近上手い事あちらに向き合えておりませんので、ずっと前から書きたいと思っていた短い作品で少し気晴らししようかなと。
あらすじ、プロットはもう最後まで考えましたので、多少長引いても20レス以内で終わります。
ですので、それほど長い作品になりません。
もしよろしければ今後も読んでいってあげてください。
ジャンルとしては魔王と勇者がいた、そんな世界のハイファンタジー。
先に行っておきますと、小説の内容や表現自体、ワンオクとよく呼ばれるバンドの、同名の曲の影響を色濃く受けています。
#0 前奏 >>1
#1 I think this way >>2
#2 何の変哲も無い答え >>3
- Re: アンサイズニア ( No.1 )
- 日時: 2018/07/25 20:13
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
#0 前奏
今でも夢に見る、二年前のあの日のことを。
肌を焦がす紅炎が走る。魔王の放った紅蓮の火球を何とか避け、見送った。背後でレンガが灰と化すのも気にかけず、男は駆ける。白銀に煌く刃をかざし、背負う赤のマントをひらめかせ。
大気を焼き、爆ぜる雷光。どす黒い鋼皮が覆った魔王の掌に、青白く燃ゆる電撃が走る。掌が男へと向けられ、稲妻が瞬時に空間を走り抜けた。だが、勇者である彼は怯まない。後方からの支援を信じて疑っていないからだ。
勇者を雷光が射抜くより早く、光の膜が勇者の身体を覆った。衝突した雷撃はそれ以上男に近づくこともできず、むしろ避けるように四方へと散らばっていく。後方に立つ僧侶による防護魔法、これまでの旅で鍛え抜かれたその防御力は、魔王の魔法にもひけを取らない。
直接狙うのは無駄、そう判断した魔王は雷雲を作り出した。屋内だと言うのに、泥のような雲が天井を隠し頭上に広がる。刹那、煌く極光、堕ちる稲光。落雷を自覚するのと同時に轟く雷鳴、肌を焼く雷電、耳を引き千切るような怒号、全てが折り重ねられ、炸裂する。
縦横無尽に、ランダムに降り注ぐ雷。魔王城の床が、落雷の熱と衝撃とで砕け散り、舞い上がる。僧侶は何とか雷撃が仲間たちに当たらないよう、上方のみを必死に庇っている。バリアを張る度に手を合わせ、指を組んでいるが雷を受ける度に、その衝撃が合わせた掌にも伝播し、痺れそうな衝撃で今にも解けそうだ。
お互いの連携さえかき消そうとする雷の鳴り響く轟音。だがその中でも、けたたましい音に不快感をも示さず、ただ前へと進む男が一人。言わずと知れた、人類の救世主。あらゆる魔法をその身に修め、あらゆる剣技をも吸収し、これまで幾度となく逆境を超えてきた神に愛された男。
聖剣の勇者、そう呼ばれている。肝心の聖剣は当然、彼が握るその一太刀に他ならない。舞い散る砂塵を魔力で押し固めた魔王は、土の槍を四方八方から勇者へと撃ち放した。稲光が瞬いた地を避け、狭い隙間を縫うように走る。ただ、ひたすらに。討つべき仇敵だけをその目に据えて。
空を飛び交う槍が迫る。というのに、勇者は慌てない。雷撃から他の仲間を護るのに精いっぱいの僧侶が、これらに対して魔法の障壁を張る余裕は無いだろう。すなわち、自分で処理しなければならないというのに。
走る足を止めようともせず、眼前から迫る一槍をまず砕く。前に走るだけで、その他ほとんどの槍は避けることができた。左右から迫っていた何本もの石槍は、互いにその身を打ち付け合い、砕け散ってしまった。礫が飛ぼうにも、もう勇者はその地点から見て遥か彼方。風さえも置き去りにする彼の脚に、そんなものは追いつかない。
ただ、その一群だけでは当然終わらない。撃ち砕かれた礫をもう一度寄せ集め、同じような石の剣を錬成。今度は後方や上方向も含めて、全方位から勇者へと一斉掃射。ネズミ一匹逃さない。それほどの物量の剣が、槍が、矛が、矢が、数十数百数千と降りかかる。
しかしどうして、それで怯むと思ったのか。勇者の前進から迸る魔力の奔流。属性は風、漏れ出る魔力が気流を作り、砂塵、砂埃を吹き飛ばす。彼を中心として視界の晴れた空間が広がった。
途端に急停止、前方へと進むエネルギーが行き詰まる。行き詰ったその勢いに押され、勇者の体勢が崩れることは無い。その勢いを利用して、その場で回転、斬撃に合わせ刃に風の魔法を乗せ、彼を中心として広がっていく。炸裂する翡翠色の強風、同時に幾重にも走り抜けたかまいたちが、迫る土くれの矢や剣を全て粉微塵に斬り裂き、吹き飛ばした。
まだ攻め手を緩めるつもりは無いのだろう。魔王の発した氷の魔術に炎の魔力、次々と飛んでくる魔法の連撃を次々と聖剣で切り伏せる。一に斬撃、二に薙ぎ払い、三に引き裂いて四に両断。
距離を詰める。魔王も臆さない。互いに理解している。己こそが自軍で最も強いと、勝つには限界だろうと超えていき、精を力を魂を振り絞るしか無いと。恐怖に退けばそれは勝鬨からも遠ざかり、臆せばそのまま勝利の女神に置いて行かれる。
この僕ならば、この俺ならば、目の前の者を屠れる。その信念が揺らぐことは、決してない。
その懐にまで詰め寄った勇者。その距離に、これ以上魔法で抵抗しても無意味と悟った魔王はというと、己も抜刀した。手を空中に翳すと、闇の粒子が収束し、一本の大剣が生成される。
そして最後に、凄絶な剣戟。邪気を孕んだ大剣と、光の加護を受けた聖剣、相反する二つの刀が、何度も何度も切り結ぶ。火花が舞い散り、鋼の軋む悲鳴が上がる。刃が零れると同時に火花散る。受けきれなかった斬撃に薄皮一枚を持っていかれる。激しく動く度に互いの血が宙に舞い、星の海のような火花の群れに呑まれて消えていく。
交差する剣を押し合い、一進一退の攻防が続く。もはや、勇者の仲間は両者の戦いに割って入ることはできなかった。体力も、魔力もまったく残っていない。邪魔にならないところで見ている事しかできず、悔しさを噛み締める。
切り結ぶ両者の影を、ただはらはらと見守ることしかできない。勇者の顔に走った切創から血が飛ぶごとに、心臓をわしづかみされた心地になる。彼が力で打ち負けると、息が詰まりそうになる。
今日ここで、彼が敗北の辛酸を舐めるとすれば、そのまま人類は衰退するしか無いだろう。ただそれは、魔物たちから見た魔王に関しても同じだった。
全ての者が固唾を呑んで見守る中、決着は唐突に訪れた。
勇者が態勢を崩した瞬間、追撃に迫る魔王の大ぶりな一撃。隙を突いたその一瞬で、勝敗が決すると誰もが理解した。しかし、その勝敗の予想は見ていた者全てを裏切ることとなる。
隙を突いたと魔王の側は思っていた。しかしそれは、敢えて作った隙だとしたら。確信してしまった勝利の美酒に、呑む前から酔いしれてしまったその最期の一振りは、驚くほどに隙だらけであった。
乾坤一擲。待っていたぞとばかりに、全ての力を乗せた鋭い一太刀を、彼の甘えを貫くように合わせた。魔物の王が握りしめた、大ぶりな剣の刃が綺麗に切断され、大きな刃は吹き飛んだ。と同時に、魔王の胴体には大きな傷が一直線に走った。噴水のように真っ黒な血潮が噴き出て、目の前の勇者の身体を穢していく。
「僕の勝ちだね」
その返り血を浴びた彼は、地面に伏し、もはや動けなくなった魔王に、そう呼びかけた。
それこそが、この物語の前日譚。
さらには、未来に怒る悲劇の発端であった。
- Re: アンサイズニア ( No.2 )
- 日時: 2018/07/27 22:32
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
#1 I think this way
甘い花の香りが、そよ風に乗ってやって来た。日差しがずっと強く、雨も降らず暑くて仕方の無い乾季が終わり、雨季がやって来る前触れ。本来どんな土地にでも咲くはずのリルチェの花の香を嗅ぐのは、今年が三度目の事であった。その事実に、今の世の中は平和になったものだと男は前髪をかきあげながら空を見た。
もう空に、紫色の雲は浮かんでいない。降り注ぐ雨には酸も瘴気も溶けておらず、ろ過せずとも、聖属性魔法で浄化せずとも、口に含むことができる。二年前まではそのような事は夢物語に過ぎなかったというのに。
リルチェの花が咲いたということは、もうすぐその果実も実ることであろう。瑞々しい果肉が持つ強い甘みと爽やかな酸味を想像する。記憶の中の甘露が蘇り、おのずと彼の口の中に涎が溢れた。能天気な妄想に、我ながら何を考えているのかと苦笑を隠し切れない。やれやれと、若い男は首を横に振った。
二年前まで、この花はある南方の町でしか見ることができなかった。本来、寒い土地から暑く雨が多い地域でも育つ、特別強い草木であるのにだ。ただし、一つだけ厄介なことに、痩せた土地では芽を出さない。それが問題であった。
二年前、勇者一行と呼ばれる一団が魔王を討ち倒すまで、魔王軍の魔法により人間の住む大地には土地が痩せ、水が穢れ、大気が侵される呪いをかけられていた。それゆえ魔物たちの住む大地、オスカレード近縁の北方の大地ほど影響が強く、最南端のフローリアでのみリルチェの草花は毎年芽を出し、蕾を付け、花開き、果肉を抱え込んだ。
花弁も、燃えさかる炎のような鮮やかな紅色をしているのだが、子葉や本葉も朱に染まっている。これは光合成に用いる色素が赤色であるためだと植物学者が解明していた。
フローリアには確か、リースの復活魔法を習得するために行ったはずだ。机の上に置いたままの、彼女達から来た手紙を見て彼は当時のことを思い返す。魔物との戦いで死にかけ、仮死状態に陥った者を回復し、再び戦えるようにするための魔法。フローリアに寄るのは大きな寄り道になることは理解していたが、そうでもしなければきっと、魔王討伐は無し得なかった。
「本当に、懐かしい話だ」
あの戦いから二年。もうとっくに、住みよい世界となった。当時の事を思い返す。あの頃は、信じる正義のために、大事な人のために聖剣を振るい続けたものだ。魔王を屠った、その時まで。
残暑故に開けた窓から差し込む風、それが彼の、聖剣の勇者ラティの金色の髪を揺らして見せた。蜂蜜のように艶めかしく光を受ける柔らかな髪は、風が止むのと同時にぴたりとその動きを止めた。
ゆらゆらと、使命感という風に揺り動かされていた激動の日々。それが終焉を迎えると同時に、ぴたりとラティの時間も止まったようであった。歳こそ二歳多く取った。かつては十六のひよっこだった自分が、今では十八となり成人した。旅に出ていた頃は、カナテが喉を鳴らしてあおるエールの泡を物欲しげに見つめることしかできなかったが、今ではもう自分で買う事が出来る。
ただ、思っていたよりも美味しくなかった。村の酒屋から仕入れたエールを勧められた通りに蜂蜜酒などと混ぜ、割って飲んでみたものの、詰まらない。静けさに包まれた食卓は、落ち着いたと言えば聞こえはいい。けれども、魔王軍との戦争を吹き飛ばすためにも、明るく陽気に騒いでいた当時の夕餉を思い返すと、寂寥に押しつぶされてしまいそうになる。美味しい食べ物が、中々喉を通ってくれない。匙を運ぶ腕が、やけに重たくて仕方ないのだ。
目を閉じて、耳を澄ます。だが、相反するような事ではあるが、耳の穴から入る物音の全てから意識を逸らす。そうでもしないと、思い出したい声は思い出せない。カナテの耳が痛くなるような馬鹿騒ぎに、それを諫めるリース。全くお前たちは子供だなと、小柄な体をふんぞり返らせたパンプ。
正直なところ、この穏やかな日々は何にも代えがたい。そのため、あの頃に戻りたいとは口が裂けても言えない。何せ自分が魔王を討ったが故に、この暮らしは訪れたのだから。人類が平和に暮らせる世の中を作り上げた彼が、疑心暗鬼になる訳には行かない。人類の救世主は、今の世の中が何よりも大切だと信じて然るべきなのだから。
けれども、彼はふとした時に考えてしまう。己が今歩いている、この道のことを考えてしまう。果たしてこれは本当に、自分が望んでいた生活だったのか、などと。右腕の付け根、服の裏に隠れた肌が疼いた。まるで、蛇が締め付けてくるように、キリキリと鈍い痛みを伝えてくる。
平和になった後、自分たちはそれぞれ別れて、自分なりの人生を歩もうと決めた。自分はこの、旅の途中で見つけた東の村へ。パンプは、魔法研究の聖地、ジンジャーガーデンへ。そしてカナテとリースとは、共に手を取り合ってフローリアの一歩手前、故郷である聖都アークバースへ。ずっと四人で連れ添っていた、離れたことなど旅の二年を通して片時も無かった。それなのにいつしか、勇者一行はもはや、一行などではなくなっていた。
胸に風穴が開いたようで、冷たくて仕方ない。昼夜暑くて仕方の無い乾季でさえ、毛布が恋しく感じる程に。けれども、厚着をしたところで薪を燃やしたところで、温まるはずなど無い。人肌が恋しい心を温められるのは、同じく人の温もりぐらいなのだから。
それを今までで最も強く感じたのは、丁度去年のこの時期の事だ。ラティは勇者だった頃訪れたフローリアの街で、リルチェの花に心を奪われた。何と迷いなく咲く花であろうかと。何と美しく燃える赤であろうかと。地平線に沈みゆく日の光よりも、噴き出たばかりの血潮よりも、ずっと、ずっと真っ赤だった。
それゆえ決めた。本来この花がどんな土地でも育つと言うのなら、自分の住む土地に植えてみせようと。その街を離れる際、村長からその種を譲り受けた。魔王を倒したあかつきには、リルチェの花を大陸全土で咲き誇らせてみせると。その足掛かりが、この村であった。
魔王がいなくなっただけで、人の世は劇的に回復した。魔王軍がずっと圧力をかけてきたせいで、皮肉にも逆境でも生き抜ける、強い生命となっていた。それは何も人間に限った話ではなく、一年どころか一か月も経たない間に、国全域がこれまでにない活気を見せ始めたのだと言う。
そして念願かなって、乾季を乗り越え、雨季がその顔を見せ始めた頃の事だ。緑色のがくに隠れていた花が一斉に開いたのだ。星型の大ぶりなリルチェの花が、何十本とラティの花壇で咲き誇った。その様子は、かつて見たフローリアの花草園と同じ姿をしていた。流石に、その絢爛ぶりでは劣るものの、目にした際の感動の強さは引けを取らない。
「ねえ皆、見てよ。懐かしくない? 俺たちがフローリアに行ったときに見たあの姿と……」
そっくりだよ。
そう、言いたかった。
けれどもそこには誰もいなかった。勢いよく振り返るのが癖になっていた。勇者一行と呼ばれるようになった頃から、ラティが四人の先頭に立つ事が多くなった。それゆえ、話しかけようと思えば振り向く癖がついていたのだ。
そして、前でなくて後ろにずっと仲間がいたため、振り返らなければある事に気が付けなかった。今はもう、後ろには誰もいなくて、独りぼっちになってしまったという事を。
もうずいぶんとそんな仕草をしていなかったものだからなと、自嘲気味に彼は笑った。当時でさえもう、同行していた仲間と別れて、一年も経っていたのに。
「そうだったね」
当時の彼は、目を伏せながらそう呟いた。誰もいない中呟いたその言葉は、当然自分に言い聞かせるためのものだったのだが、それで簡単に納得できるほど、彼は大人では無かった。
彼は、今自分が歩んでいる道が、あまりに見通し悪くて仕方なかった。真っ白な靄がかかっているようで、次はどちらに進めばいいのか、どちらに進めば正解なのか、そもそも、今の自分は迷ってはいないだろうか、それら全てが何一つ分からなかった。
幾通りもある、人生の分岐路。どの道が最も幸せなのか、笑っていられるのか、正しいのか。そんな問いかけがぐるぐると、毎晩毎晩、眠る度に脳裏を駆け巡る。
その問いの答えは、まだ出そうになかった。
人間という種族全体を脅かしていた魔王を斬り殺した。それゆえ、誰もが安心して暮らせる世界になった。夜寝る時に、次の朝自分が起きれるのか心配することも無い。飲み水が綺麗か憂慮することも無い。次の瞬間には魔物が襲ってこないかどうか怯えなくてもいい。
そんな未来を描き出すことができた。それだけで充分幸せで、正しいことだったと言えるのではないか。ただひたすらに、そんな理論に従っている。いや、むしろ縋りついているというべきだろうか。
己が選び取った道は、進むと決めた分岐は、決して間違ってなどいないのだと。間違いとは忌むべきものだから。避けるべきものであるから。正解の道を選べなければ、何の意味も無いのだから。
深い深い、ため息を吐き出した。何にこんなに疲れているのか、元勇者自身全く理解できていなかった。永く、実際の年月よりもずっと永く待ち望んでいた邂逅がもうすぐそこまで迫っていると言うのに、心は晴れなかった。体が怠く、何だか肩も腰の荷も重い。
溜め息が渦巻く部屋に、ふとノックの音が転がった。木の扉の向こうには気配が二つ。よく集中してみると、落ち着いた女性の声と快活な男の声が交互に聞こえてくる。
どうやら着いたようだ。一月前に手紙を差し出した相手の来訪を知ったラティは、ほんの少し目を輝かせた。先ほどまでの物思いはどこへやら、年頃の青年の真っ直ぐなあどけなさを取り戻している。
心なしか、ゆっくりと死を待つように弱く波打っていた心臓も、活発に血を送り始めたような気がする。規則正しさに少し欠けるものの、期待と高揚とで活発になった拍動のリズムは、どんな交響合奏よりも自分の弱音を打ち消し、鼓舞してくれる。
扉を開ければ、懐かしい顔が二つ。それを目にしてようやく、顔の憂いも取れた青年は、輝く満面の笑みを浮かべ、明るい声で呼びかけた。
「久しぶりだね、カナテ。リースも」
「おう、元気だったかラティ」
「うん。睡眠も栄養も足りてるよ」
「睡眠と言えば聞いてよラティ、カナテったら昨日『久しぶりにラティと会える』って子供みたいにはしゃいで寝れなかったのよ。ほんっとパンプの言う通り一番子供みたいよね」
「おいおいリース、そりゃないだろ。お前も昨日はいつもより酔ってたじゃんかよ」
「あら、それは貴方が次々注いでくるから……」
「待って待って、二人とも」
痴話げんかなんて、胸やけしてしまって見ていられない。懐かしい二人の様子を楽しみながらもラティは二人の言い争いに割って入った。そんな仲裁さえも久しぶりで、あんなに面倒だと思っていたのに、今じゃ心地よく感じてしまった。
ああ、待ち望んでいたのは、この空気なのだと。
「二人が愛し合ってるのは分かったから、そういう話は中で座ってしよう? お茶、居れるからさ」
「ちょっとラティったら、何言って……」
「お前、二年して少しは言うようになったじゃねえか」
顔を赤らめるリースに、目線が泳ぐカナテ。ラティのたったの一言で、いくつか年上の二人が翻弄されていた。あの頃にはこんな事も無かったのになと、悪戯っぽい笑みを彼は隠し切れない。
得意げに、もう子供じゃないんだとラティは二人にはっきりと告げた。
「俺ももう成人したんだよ」
「うわ、『僕』じゃなくて『俺』に変わってやがる」
「似合わないわねえ」
「別に似合わなくもねえさ。ちょっと違和感あるけどな」
「はいはい。そう言うのも中でゆっくり聞くよ。入って」
「おう、邪魔するぜ」
「お邪魔します」
そして、二人はラティの住む家へと踏み入ったのである。
- Re: アンサイズニア ( No.3 )
- 日時: 2018/07/28 00:08
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
#2 何の変哲も無い答え・前
彼自慢のリルチェの咲き誇る花壇を眼で堪能し、今度は久々に話でもしようかと提案されたところであった。フローリアの近くに住んでいるとは言っても、特に訪れるような用事も無かったようで、カナテ達も見るのは久しぶりであったらしい。そのため、その真紅の花弁に目を奪われたが故に、初めは気が付いていなかったようだ。
しかし、そろそろ家の中に引き返そうかと思った時の事だ。裏の畑の隅、そこには見覚えのある金色の十時が日を受けて輝いていたのだ。しかし、記憶に残るその姿と比べると、些か老いた印象に思えた。老いた、と表現するのはおそらく正しくないだろう。それこそ、錆び付いたと言ってやる方が正しく感じられた。
しかしカナテには、それは老衰だとしか思えなかったのだ。特別な剣と呼ばれるだけあって、その錆び付き方は一般的な鉄の剣とは違っていた。赤茶色の錆が斑に付くのではなく、その輝きを失ったかのように全身が黒ずんでしまっていた。その柄だけは、未だに黄金に輝き続けている。
「ラティ、畑の隅に刺してるあれって……」
「あっ……」
流石に彼も、明確な後悔を声には出さなかった。しかし、その顔色が全てを物語っていた。自分が失態を犯した時に、宥めようとする癖が出ていた。下唇の右の方を、犬歯で噛む癖。魔王軍と戦っていた頃から、その習慣は何も変わっていないらしい。
言葉にせずとも、「しまった」と考えていることは一目瞭然。それはひとえに、彼らがずっと旅をしていたからだ。たとえ二年間会っていなかったとしても、その過去は変わらない。見れば思い出してしまう、お互いのいいところも、悪いところも。
「……中に入ってからで、いいかな?」
カナテ、リース、そしてこの場に居ないパンプ。かつての仲間には決して伝えぬようにと隠してきた秘密が彼にはあった。いや、カナテ達からすれば、いつの間にかラティに秘密が出来ていたと呼ぶべきか。何せ、この秘密が生じたのは、彼らと別れてからの話なのだから。
無用な心配をかける訳にはいかない。そのために、ずっと隠し通してきた。今日もできることなら、知られずに帰ってもらおうと思っていたぐらいだ。平和になった今の時勢で、あれを抜かざるを得ない時は、もう来ないと思っていたからだ。
一度、言葉をまとめるための時間が欲しいと正直に伝えると、二人の表情が強張った。何か深刻な事情があるのだろうと、すぐに理解できたためだ。ラティの顔つきは今、かつての旅の途中ですら見たことが無い程弱弱しさが浮き彫りになっていた。当時は弱音を見せられない状況だったと言うのもあるだろうが。魔王と対峙したその瞬間などより、ずっと青ざめている。
腰を据えて話したい。その要求を飲んだ二人はラティに屋内へと案内してもらった。忘れ去られた遺物のように、庭の隅に人知れず眠っている、聖剣に背を向けて。居間へと通して貰い、丈夫そうな木の椅子に座る。少し待っていて欲しいと告げ、奥の方へとラティは果物と水とを取りに向かった。
細い首の便に、瓶の中の水を入れる。戸棚に入れておいたリルチェの実や、近くの青果店で仕入れたその他の果実を木の器に盛る。事前に準備をしたものではあったが、こんな心地で出すことになるとは思ってもいなかった。この秘密は、墓場まで持っていこうと決めていたはずなのに。
「おや、随分と顔色が悪いな。折角の再会だというに」
影も現れないまま亡霊が、勇者だった男に囁いた。嫌味らしい口調を交えた幻聴、声が聞こえどもその姿も気配も無い。これはただ、自分が見ているだけの幻想に過ぎない。聞こえないふりをした彼は、片手に瓶、もう一方の手に器を手にした。
「聞こえないふりか。哀れな男だな」
耳を貸すなと感情が叫ぶ。あくまで、ありもしない幻を感情が再生している訳では無いと理性の側がむしろ自覚していた。これは妄想でも無ければ、ただの思い込みであってもくれない。無視していても改善はされない、厄介な後遺症であった。
「この俺を倒したというからには、さぞかし豪胆であろうなと思っていたのだが。とんだ見込み違いだったようだな。ただ剣に使われていただけのちっぽけな傀儡。俺を真に討ち倒したのは聖剣の勇者でなくて、勇者の聖剣だったという訳だ」
「黙れレルハロード」
ついには彼の我慢も堪え切れなくなる。これまで無視していたのも感情であれば、地雷を踏み抜かれ噛み付いたのもまた、感情であった。
「おや、逆鱗に触れたかね」
「いい加減にしろ。お前が出てくると気が散るんだ。……二人の前では、出てこないでくれ」
「やれやれ、人類の救世主は思ったより我儘な事だ」
せめてもの嫌がらせだ。そう言い残して、去り際に声の主は嗤ってみせた。次の瞬間、ラティの心臓が飛び跳ねた。先ほど腕に走ったのと、同じような痛みに心臓をわしづかみにされる。息を吐くことも吸うこともできなくなり、呻くこともできずそのまま蹲った。
大きな音を立て、手に持っていた瓶たちが床の上に転がった。息が詰まった閉塞感に対抗するためか、目も口も大きく開いて、大きく咳をしては、深く空気を吸い込む。
苦しさよりも、悔しさに胸が痛くなる。どうして自分がこんな目に。誰が見ている訳でもないのに、顔を伏せながら彼は地面を大きく殴りつけた。
それと同時に、重なりながら二つの足音が迫る。心配して現れたリースは、ラティの様子を見て、より一層目を丸くした。床に広がった水に、転がった果物の様子を見て、何があったのかと問いただしながらラティの身体を起こす。
その頃にはもう、情けなさと投げようのない怒りとでぐちゃぐちゃになっていた青年の顔は、取り繕った儚い笑みへと変わっていた。ただそこで転んでしまっただけだと、恥ずかしそうに頬を上気させる。これまでずっと、不安そうな人たちを励ますために、弱音を隠す演技をしてきた勇者一行、その代表であるラティだ。凶事があったことを隠すのは、酷く得意だった。
「ごめん。もう一度水入れて、果物は洗ってから持っていくよ」
「それはいいけど……どうせだし手伝うわ」
「あはは、お客さんだからゆっくりしてもらおうと思ったんだけど……やっぱりリースには手伝ってもらおうかな」
「いや、俺らに変に気ぃ遣うなよ今更。俺だって手伝うから、早く立てよ」
カナテが伸ばした手をとり、立ち上がる。その顔は、かつて共に旅をしてきたあの日々によく見たものだった。少し不安材料や懸念があったものの、考え過ぎだったかとカナテは一安心する。こうして見直せば、いつも見ていた彼と何ら変わりない。
しかし、リースはというと、むしろあの頃と何ら変わりない表情だからこそ、一抹の不安を抱いた。僧侶であるがゆえに理解していた。ラティは、体力がギリギリでも、毒に体を蝕まれていようと、他の人間の治療を優先させる男だという事を。
ただ、彼から言い出さない以上、追及してしまえばそれは世話焼きでなくただのお節介になってしまう。彼はもう、子供じゃないと主張していた。ならば年下扱いして庇おうとするのは快く思わないであろう。
久々の再開を楽しみたい、それも事実でありさらに理由はもう一つ。
しかし三つ目の理由については、カナテから語らせるべきであろう。そう判断した彼女は、その場を何とか丸く収めることにだけ努め、青年を支えるようにして椅子と机のある部屋へと戻ることにしたのだ。
「そうか、パンプの奴はまだ来れないのか」
「学会の発表があるらしいよ。こうやって話を聞いて初めて分かるけど、パンプってやっぱり頭良かったんだね」
腕を組み、神妙な顔つきで意外だと同意している二人の男を見て、リースは笑う。いつも難しい言葉や宿泊代の計算間違いをパンプから咎められていた二人がそれを言うのかと、声を上げて明るく笑った。それを言われると耳が痛いと、二人は揃って苦笑した。
「でも実際、あいつ居なかったらやばい局面はいっぱいあったよな」
「それを言い出したら二人だってそうだよ。カナテ達が居なかったら、僕たちはきっと、魔王討伐なんてできなかった」
「よく言うよ。お前ありきの勇者一行なのに。ていうか俺より強い奴は拳聖の山に呆れるほどいたし、リース以上の僧侶はフローリアに何人もいたろ?」
「まさか。俺が背中を預けられたのは、間違いなくカナテ達三人だけだよ。だから、君たち以上はあり得ない」
「お前は驚くほど恥ずかしいことをあっさりと言うな……」
「昔からそうよね、ラティって……」
「何さその目は。褒めてるんだから喜んでよ」
柔らかい表情を二人に向け、ラティは水を注ぐ。近くの井戸水を汲んだものだが、この土地の水は驚くほど質が良い。口に含み、飲み込んだ途端にリースも、綺麗な水ねと水質を認めた。
一応、熱魔法で加熱して、中毒にならないようにしているから安心だとラティは補足する。
ただ、いつまでもこんな穏やかな談笑が続かないことは覚悟していた。庭に刺したままの剣を見られてしまったのだから。彼の覚悟した通りに、明るく楽しいだけの談義はそこで終わった。
しかし、カナテ達から切り出された話は、彼の予想から大きく外れた話題であった。今しがた、不可解な聖剣の姿を見られたばかりだと言うのに、その話がされるものだと思っていたのに。
しかし二人は、それ以上に不穏な噂を彼のもとへと持って来ていた。これは、ノースコースト地方からの商人に聞いた話なのだけれど、そんな前置きをしてカナテは、ラティに『ある出来事』について切り出した。
「暗澹の蜘蛛……って話があるんだ」
「あんたんの、くも?」
彼らにとっては難しい名を付けられたものだったが、詰まるところ真っ暗な蜘蛛と言いたいらしい。そんな風にリースが横から支援した。
「魔王城ってさ、ずっと暗い霧が立ち込めてたろ?」
「うん、確かそうだったね」
「それと同じように、黒い靄を身に纏っているらしいんだ」
それも、人間よりもずっと大きな蜘蛛が。何も知らない呑気な子供は、蜘蛛が雲を纏っているんだってと笑っているらしいが、事態はそう呑気に笑っていられるものではないと、眉をやや吊り上げながらカナテは力強く述べた。
「足は家屋さえ簡単に踏みつぶし、牙は岩をも砕く。半端な鎧ぐらいなら鎌で一裂き。魔王程じゃないとはいえ、正真正銘の化け物だ」
「噂じゃなくて、そんな魔物がまだいるの?」
瞠目し、驚きを露わにする。そんな話信じられないとでも言いたげだ。魔王との戦いが終わる以前に、魔王軍幹部などの魔王に次ぐ強力な面々も打ち漏らすことなく全て屠ったはずだ。今聞いたような化け物がいたとしたら、当時から噂になっていただろうし、自分たちが戦っていなければおかしい。
「どうして、今更になって……」
「今更だからこそ、らしい」
「えっ?」
魔王討伐を為し遂げた今になってから、だからこそ現れたのだとの言葉に、声を失う。しかしその沈黙こそが雄弁に、何故かという問いを表現していた。問われてもいないが、尋ねてくるのを待つまでも無い。事の顛末を語るため、カナテは続けた。
「聖騎士長を覚えているか?」
「ああ、聖都を守っている聖騎士団の隊長さんだよね。ニーシュさんだっけ」
「そうだ。聖騎士団の一部の人員が、魔王城跡地をたまに視察するらしい。残党狩りの目的でな」
「その時、何か目にしたって事?」
「流石、そう言う察しは良いな」
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