複雑・ファジー小説
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- 雨の碑
- 日時: 2018/08/14 22:26
- 名前: 液晶の奥のどなたさま (ID: F9pxRki6)
人間はその技術の極致に達し 存在しないはずの神と天使を地に降臨せしめたという
かれらは人間の理想通りの全知全能で けれども人間の意のままにはならず
天に満ちようとしたかれらを 人間は極致に達した技術をもって地に縛り
神は分割され 天使は搾取され 権能は管理されたとか
けれども 神なるものは技術に縛れるほど柔弱たらず
人間は生み出した神に屈し 天使は解き放たれた
天に神と天使の満ち満ちたりて
地上はこれに擾乱され
停滞した日常に慣れた人々は 攪乱される天に混迷を極めた
そんな混乱した地上で
一人の人間ずきな天使が
色々やってみるお話
- Re: 雨の碑 ( No.1 )
- 日時: 2019/02/02 22:11
- 名前: 液晶の奥のどなたさま (ID: F9pxRki6)
“ゾーフィエル”
因子番号:S-1064
因子階級:代行真理-座天使
収容方法:
S-1064は露出する全ての眼球及び翼部を除去後、抑制因子帯・カンヴァイ杭にて拘束。ラングトン擾乱器を常時レベル五稼働し、意識活動をレベル二以下まで抑制し収容する。ラングトン擾乱器の取り外し及び擾乱レベルの引き下げは原則許可されない。除去した眼球及び翼部はマイナス四十度の霊体保存液中で保管する。
他因子との接触実験は座天使級管理者三名以上と代行真理級総合管理官の許可を得た上、因子抑制室内で行うこと。ただし、真理級因子との接触は厳に禁じられる。
因子特性:
天候の定常性を撹乱する。取り分け雨天時の定常を乱す『俄雨』の因子である。真理級因子S-000の土脈及び珠脈との関連が疑われる。
ラングトン擾乱器に対する抵抗値および擾乱復帰係数の高さから、座天使級因子の中でも高位であると考えられる。
霊体特性:
クラス-Ⅶ霊性人型実体。男性型であることがE線観察で判明している。全身の二百箇所以上に眼球が埋没し、頭部の一対のみクラス-Ⅴ霊性実体、他の眼球はいずれもクラス-Ⅱ霊性実体である。翼部はクラス-Ⅵ霊性実体の性質を備え、肩甲骨の間から三対六枚が確認される。
ヒトに類似する肉体構造、精神構造を持ち、気性は穏和で大人しい。ヒトに対する敵対意識及び神性・霊性の回復意識には乏しい一方、未知の事物に対して強く意識を寄せる傾向にある。
補遺一:
真理級因子との接触実験時、頭部に摘出不可能な眼球の復元を確認。その際強力な因子爆発を引き起こし、天候の定常性をレベル六まで撹乱した。この事案を以ってS-1064の真理級因子との接触を禁ずる。
†
けたたましくサイレンの音が鳴り響き、彼方此方から人の悲鳴と怒号が上がる。その轟きの全てをして、次々に閉まる隔壁の向こうへ惨劇を届けることは叶わない。
だから、“彼”が絶えず精神を掻き乱す感覚——甘美であり苦痛でもあるそれを正確に記述しうる言葉は、驚くべきことに彼等天使の繰る言語にすら無かった——を振り切り、閉じ切られていたまなこを開けたのは、本当に単なる偶然だったのだろう。
「……ナにが、起こっているのです」
「S-1064。不必要な発言は許可されない。因子爆発事案だ」
人に似た声帯をかさかさと震わせ、物理的な音声で問いかける。かのものをS-1064と呼び、四六時中飽きもせず視線を送りつけてくるものは、しかしひどく冷淡だった。声音はいつもの通り平坦なまま、顔色も眼の色も変えず、ただ手元の忙しさだけが急激に加速する。その者が動揺を隠していることは、最早一目瞭然であろう。
声を出すことはやめ、開いた双眸を巡らせる。
過日、神性を大半封じられながらも果たした神との謁見。抑制されて尚溢れるばかりの慈悲は、摘出され喪失した眼球の内最も重要な一対の回復と、長らく掻き回され続けた精神と神性の救済として与えられた。
さりとて、神の慈悲深さを感じながら見る景色は、いつもと変わらない。絞られた照明に辛うじて照らされる薄暗い壁と大量の電子機器、電子機器以上に部屋を埋め尽くす書類に、たった一人端末を操作する四十過ぎの男だけだ。
——彼を監視(み)る人間は、男で三人目。一人目は厳しい顔をした六十男で、どんな要求も受け付けず、徹底的に己を辱めた。どうやら拘束された天使は皆最初はあの男が担当するらしく、男は一月ほどでまた別の天使の担当に代わった。
二人目は血のような赤い唇が印象的な四十ほどの女だった。気も我も強く自由だった女は、何の計らいか神との謁見を己に許してくれた。しかしもうこの世にはいない。何の折にか神の罰を降された彼女は、雷轟に打たれて炭の柱と化している。
今の男は、初代と二代の間の子のようなたちだった。肉体の拘束は相変わらずだったが、声を上げれば何かしら反応がくる。先程の問いかけにも答えをくれた。
だからと言うわけではない。ただ男の背後に、見覚えのある煌めきを見たから、彼は声を上げたのだった。
「後ろ!」
「何を言っ、がふっ……!」
驚愕は途中で絞り出すような悲鳴と吐息に消えた。立ち上がりかけた男の腹を、後ろから輝く炎の剣が貫き、傷口を容赦なく焼いている。太陽の燦然たるをそのまま形にしたようなその剣の持ち主は、背に六枚の翼を広げ、頭上に三重の光輪を輝かせ、衣と白銀の鎧を纏う天使。
その髪と目の色に、思い出す。至高天から見上げた、星々の輝きが散る無空の闇。宇宙の深さを秘めた黒髪と黒目に、やはり彼は見覚えがある。
「ウリエル様」
「お労しやゾーフィエル殿。御無事か」
「僕は構いません。先程ウリエル様が貫いた人を先に助けて下さい」
男の言葉を借りるならば、S-5801。その名はウリエル。天使の中でもとりわけ武闘派で好戦的な彼は、S-1064——ゾーフィエルが首を振りながら伝えた言葉に訝る。爛々と輝く双眸が己の手元を見下ろし、剣に貫かれたまま呻く男を見た。
「何を言うか。ゾーフィエル殿を斯様な檻に押し込めた者、悪人ではないか。善は勧むべし、悪は懲(こ)らしむべし、助ける必要など何処にもない」
「僕にはそうは思えません。この方は僕が発した如何なる問いかけも無視しなかったし、擾乱器のレベルを上げて黙らせもしなかった。それだけで価値があります」
「甘いぞゾーフィエル殿——」
「良いから助けて下さい! その剣を抜いて!」
呻き声と呼吸の音が徐々に小さくなりつつあることを聞き取って、ゾーフィエルは悲鳴じみた声を上げる。流石にかくも強く言われるとウリエルも鼻白んで、男に突き刺さったまま傷を広げていた刃を一気に引き抜いた。肉と血の焦げる臭いと共に、無理矢理立たされていた男の身体が床に崩れ落ちる。
追いかけるように膝をつき、衣の前をはだける。暁の熱で焼き固められたせいか、傷からの出血は存外に少ない。心臓を狙って突いたつもりだが、立ち上がろうとしたところに刃が入ったせいか、致命傷もうまく避けているように見えた。ヒトの治療技術で後遺症も残さず癒せる範疇であろう。息は浅いが止まるほどではない。
念の為、傷を押さえる手の上から手を翳す。人の間では因果糸と呼ばれる光糸が手のひらから伸びだし、男の手をすり抜けて傷に触れると、縫合するように糸が複雑に編み込まれた。糸は傷を塞ぎつつ皮膚の内へ浸透し、切り傷の痕を少しばかり残して完全に消失する。
乱れた髪を掻き分けて顔色を確認。痛みは治まったか、気を失っているらしい男の顔色は、先ほどに比べれば随分といい。これがラファエルならばもう少し完璧に治せるのであろうが、ウリエルは戦場の指揮官。それほど高度な治癒を操ることは出来なかった。
振り返る。艶めく黒の瞳を、ただ一対だけ残った蒼いまなこが見返した。
「私に出来るのは此処までだ。出るぞ」
「……僕は」
「分かっている。だが貴方にその気がなくとも、私が出す。再び収容されたければ此処に残るがいい」
ウリエルは冷めた声音で言った。その手が淀みなく剣を振り上げ、電子機器と書類の悉くを破壊していく。それに連れ、全身を襲う不快な感覚は薄れてゆき、固められていた身体にも若干の統制が戻りつつあった。今ならば、体を動かせば容易く拘束を破って外に出られるだろう。しかし。
この期に及んで、ゾーフィエルは迷う。たった一人、己を見続けた男。その職務はあくまでも義務で、拘束は趣味でなく必要な手順だったのだろう。それを此方が自発的に破ってしまえば、男は余計な責任を負うことになってしまう。
——そうして迷う間にもウリエルは部屋中を破壊し、そして最後に、ゾーフィエルの霊体が収められたガラスの円筒を一刀の元に切り捨てた。
目が合う。何処までも目的に直向きなウリエルが、ゾーフィエルは羨ましかった。
「貴方が慈悲深きことは分かっている。だが私は我等が神を辱め、我等をも辱めたいヒトを悪と見做し、これを罰する。そして我等は我等を復権する。大天使等と取り決めたことだ。最早変えることは出来ない」
「分かっております。お気を付けて」
「……ハァ。やはり貴方は変わらぬか」
変わるはずがない、と。ゾーフィエルは首を振ることで示した。
彼はにわか雨の天使。飢えた地に恵みを齎す慈雨の天使なのだ。いくらその身が堕とされようと、その性質が変わることなどあり得ない。ウリエルからすれば馬鹿らしいほどに、ゾーフィエルとは人の側に立つ天使なのだった。
出入りの自由な円筒になおも寄りかかる天使を一瞥し、ウリエルは踵を返した。
「復権の暁にはまた逢おう」
「お気を付けて。僕のいるこの区画は手薄ですが、他はきっと高レベルの擾乱器が作動しているはずです」
「あらゆる悪は懲らしむるのみ。神に仇為すは焼き尽くすのみ。精々気を払うとしよう。感謝するゾーフィエル殿——」
背の翼を広げ、煌びやかな衣と鎧を翻し、音もなく去るウリエルの背を、ゾーフィエルはただ見つめるばかり。
再び響き始めた戦闘の音に、獅子奮迅の奮闘を見せる天使の姿を思いながら、慈雨の天使はやおら円筒に手を掛ける。
擾乱器の干渉が消えた今、身体の自由は此方のもの。杭と帯という更なる障害はあるが、擾乱器ほど己を妨げるものとはならない。返しのついた金色の杭を身体中に巻きついた帯ごと引き抜き、斜めにすっぱりと切れた円筒から身を乗り出せば、金属の先とガラスが当たって驚くほど澄んだ音を奏でた。
だが、そこまでだ。ゾーフィエルはひょこりと円筒から上体だけを出し、そこから姿の見えない男に向かって声を上げた。
「大丈夫ですか?」
「……ぅう」
苦しげな呻き声が戻り、ついで瓦礫を押し退ける音、がちゃがちゃとそれらを踏みしめる音が続く。しばらく待つと、腹を押さえた男がふらふらと立ち上がり、苦々しい表情でゾーフィエルを見た。
「逃げないのか……」
「外に出たい欲は勿論ありますが、逃げたなら貴方は責を問われるのでしょう? 僕の行為が貴方を傷付けるなら、僕はしないつもりです」
「私を何故庇う」
「庇う? いいえ。僕はただ人が好きで、人の営みを見るのが好きで、人の安寧と安穏を見るのが好きです。渇いた地面ににわか雨を降らせて、その潤いが人を満たすのを見ているのが好きなだけです」
「意味が分からない」
「僕は人が好きで、人が傷付くのが嫌い。たったそれだけです。足りませんか」
にわか雨の天使はきょとんとしていた。人を愛すること、人を想うことに果たして理由など要るのだろうか。必要だとして、その理由が下らなくて悪い理由が何処にあるのか。
対する男は、天使のあまりにも純粋な答えに多々腰が引けたようだ。困ったように視線を少し泳がせ、破壊されきった部屋を見回して溜息を一つつくと、力尽きたようにその場へ座り込んだ。
「S-1064、傷が痛む」
「はい?」
「S-5801に刺された傷が痛い。これでは報告に行こうにもろくに歩けない。何とかしてくれ」
弱々しく笑う表情は、何処か悪戯っ子めいた色を帯びていた。そしてその懇願めいた言葉と意味深長な笑みから、男の真意が察せられないほど、天使は無知ではない。
ゾーフィエルは、転げ落ちるようにガラスの円筒の外へ出る。杭を引きずり、全身に突き刺さる擾乱器のコネクタを引き抜いて、僅かに蛍光する霊体保存液で足跡を作りながら、男に存外軽やかな足取りで近づいた。
男の額に触れる。雨に触れたようにひやりとするゾーフィエルの指先が、男の全身に沈滞する重苦しい熱を感じた。
ゾーフィエルは迷わず額に手を触れる。一念すれば、青白く細長い因果糸が掌から紡がれ、穴から糸を引っ張るかのように眉間の辺りへ吸い込まれて消えた。それに少なからず男は動揺を示したようだが、それには構わない。そのままゆるりと手を動かし、腸を掻き分けながら貫通する傷の辺りで手を止めて、再び一念。仄かに手と傷の間が青白く光を放ち、内側の傷へゆっくりと浸透してゆく。
男は、己の腹から発せられる熱と痛みが、少しずつ鎮静していくのをありありと感じていた。これが慈雨の天使の力かと、感心する間にゾーフィエルの手は離れ、続けざまに男の背と膝の下へ添えられる。
あっと驚くまもなく、男は横抱きにされていた。
「お、おい、S-1064。何をする気だ?」
「報告へ行くのでしょう? まだ歩いてはいけません。ですから僕が代わりに歩きます。案内して下さい」
「……部屋を出て二番目の右の扉」
意地でも歩かせる気はないらしい。暴れてもびくともしない細腕と、迷いもなく見つめてくる純真無垢な碧眼に負けて、男は溜息混じりに道順を示した。
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