複雑・ファジー小説
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- まなうらのあか
- 日時: 2019/02/11 17:04
- 名前: 凛太 (ID: aruie.9C)
再利用。試験的。
SFです。
- Re: まなうらのあか ( No.1 )
- 日時: 2019/02/09 19:41
- 名前: り (ID: aruie.9C)
ようこそ、ビオトープへ。ここは地上のシャングリラ。ビオトープはあなたを歓迎します。先の見えない霧も、得体の知れない化け物も、ここにはいません。丈夫で巨大なドームがあなたを外敵から守ってくれるでしょう。あなたは管理塔の定めた規律に従うだけでいいのです。そうすれば、平穏な暮らしが保証されます。
ですが、気をつけてください。二等市民以下は旧世界へ赴いてはなりません。外は恐ろしいものばかりですからね。
繰り返します。ようこそ、ビオトープへ。ここは地上のシャングリラ。
- Re: まなうらのあか ( No.2 )
- 日時: 2019/02/09 21:38
- 名前: り (ID: aruie.9C)
朝食は堅いパンを一切れ、それをカモミールミルクで流し込む。次に管理棟から支給された制服に袖を通し、支度を整え、八時半には寮を出なければならない。そうすれば、ビオトープを巡回する公営バスに乗り込める。あとは単調な揺れに身を任せれば、定刻通り管理棟にたどり着くだろう。退屈なルーティンだ。
「最後に、貴方はエラーを起こした。間違い無いですね?」
「……ああ。何も覚えてない」
並んだリストの項目に、順にチェックを入れていく。向かいに座る男は、しきりに視線を彷徨わせ、動揺した様子を隠そうともしない。赤い虹彩が不安そうに瞬く様子を眺めた。
エラー。
ビオトープに住む誰もが、忌避していること。要因は、よくわかっていない。ある日ある時、急に自己の記憶を喪失してしまうのだ。それこそ、生まれてから、今日に至るまで。
私の職務は、そうしたビオトープ市民のサポートをすることだ。これまで、エラーを起こした人を、多く見てきた。だからこそ、彼を可哀想に思った。
「それでは、貴方は一等市民から三等市民へ降格します。異議は認めません。管理棟の決定です」
エラーを起こせば、それまでの地位が失われる。とりわけ、一等市民と呼ばれる立場にいたのだ。率直にいえば、勿体ないと思う。一等市民なんて、並の人がなろうと思ってなれるわけじゃない。厳粛な試験を潜り抜け、適性を受けたものしか認められないのだ。それだけに、給与なんて破格のものだったろう。
物の言わぬ彼を横目に、私は手続きを進める。
「それでは、こちらの書類にサインを」
紙とペンを差し出す。彼はおずおずと受け取って、ペンを握った。やがて、手がぎこちなく滑りだす。
ルート-N-25087。
先程教えた、彼の名前だ。書き終えると、彼ははっと顔を上げて、私を見つめた。目つきは鋭いのに、眼差しは迷子の子どものようだ。
「俺は、これからどうなる」
声が震えていた。無理もない。自分のことすらわからないのだ。
「これから、検査を受けてもらい、その結果に基づいて職が決まります。住む場所は、当面こちらで提供しますので」
彼は私の言葉をよく吟味するように、繰り返し頷いた。
本当は、家族や身内がいるのが、一番いい。しかし、彼の場合は特殊だった。データベースに問い合わせたところ、両親はすでに亡くなっており、身内もいない。厄介なパターンだ。
「……大丈夫です。ちゃんと、我々がサポートしますから」
励ますよう、声をかける。この職についてから、1年と半年が経つけれど、こういう雰囲気に、未だに慣れることができない。
「では、立ち上がってください。さあ、検査に行きましょう」
そう促して、彼を後ろに控えていた職員に引き渡す。彼は振り返り、私を縋るような目で見つめ、やがては部屋を去っていった。
「あれが、ルートですか。ルイ先輩、毅然としてかっこよかったっす」
別の職員が私の肩を叩き、軽薄そうに笑った。最近この課にきたばかりのライラだ。彼は鮮やかな赤毛を指で弄びながら、私の隣に並ぶ。
「いや、さすがに緊張したよ」
「ですよね。だって、あのルートだもんなあ」
あのルート。私は彼がエラーを起こして、ここに来る前から、よく知っていた。一等市民はいわばエリートの集まりだ。でも、彼は群を抜いていた。軍部に所属し、外に跋扈する化け物たちを、何度も屠ってきた英雄なのだ。私だって、今目にしたことなのに信じられない。あのルートが、あんなに怯えた表情をするなんて。
「本当に軍部の人間って、赤い目なんですね。かっけえなあ、俺も軍部に転属されないかな」
「馬鹿言わないの。それにライラが軍人だったら、すぐに持ち場から逃げ出しちゃうと思う」
「俺だって、やるときはやりますよ。たぶん」
ライラはおどけて肩を竦めてみせる。少々不真面目なところが傷だが、私は彼の明るい性格を気に入っていた。まるで、弟みたいだった。
「ていうか、マジで運悪いですよね。エラーなんて、滅多になるもんでもないのに」
「こら、とやかく言わないの。彼は私の正規担当になったんだから」
「……はあい」
ライラは間延びした声で返事をする。わかっているんだか、わかっていないんだか。
でも、確かにライラが言ったことは一理ある。よりによって、ルートが。なんて、誰しもが思うことだろう。この件で軍部の方は揉めに揉めたらしい。噂では、降格を取りやめる声も上がったという。しかし、今の彼は戦うことができない。これまでの戦場の経験と、知識。その双方を失ってしまったのだ。この処分も、仕方がないといえるだろう。
「てか、ルイ先輩! 大変すよ!」
ライラは腕時計に視線を落とし、声を張り上げた。
「いきなり大きな声だして、どうしたの」
「昼休憩の時間! はやく食堂行きましょう!」
ライラが大真面目に言うものだから、私はつい笑ってしまった。はしゃぐライラの背中を追いながら、ルートのことを考える。彼については、これまで以上に慎重に扱わなければならないだろう。随分大変な役目を担ってしまった。若干、胃が痛んできた。昼食、とれるだろうか。まあ、やってみないとわからないだろう。
- Re: まなうらのあか ( No.3 )
- 日時: 2019/02/11 17:03
- 名前: り (ID: aruie.9C)
管理塔はビオトープの中枢機関だ。広大なドームの中央に、高くそびえ立つ。市民の平和と秩序を遵守するため、多くの職員が働いているのだ。
だから、昼時の食堂は人でひしめきあっている。私とライラは運良く、二人がけのテーブルを見つけ、そこへ滑り込むことに成功した。銀のプレートの上は、無味乾燥としたパンがふたつ、野菜のペースト、ゼリーが並んでいる。栄養補給と効率を重視した、味気ないメニューだ。私としては、食事はもう少し、味と彩りを楽しみたいと思う。
「ライラは、こう言う食事、好きだよね」
「慣れてみると、結構美味しいですよ」
ライラはパンを口に放り込みながら、そう言った。ビオトープの人間は、大きく分けて2つに分かれる、と思う。すなわち、食事を娯楽とみなすか、否かだ。ライラは後者の人間なのだろう。
スプーンで野菜のペーストを掬う。ある程度食べやすくはなっているが、やはり素材の味がする。
「それにしても、やっぱり、ルイさんすごいっすよ! ルートの担当になるなんて」
ライラが嬉しそうにはしゃぎ声をあげる。指定の制服は着崩すし、勤務態度はちょっと不真面目だけど、憎めない後輩だ。この無邪気さは、天性のものだろう。
「たまたまだよ」
「そんなことないっすよ!」
きっぱりと言われて、なんだか耳の裏が赤い。ライラは良くも悪くも素直だから、本心で言ってるのだろう。彼の橙色のまなこが爛々と輝いている。
「マジな話、ライラさんが羨ましいです。だって、ルートってかっこいいし、ミステリアスだし、男の憧れですね」
「やっぱり男の人から見ても、かっこいいんだ」
「はい!」
随分威勢のいい返事だ。やはり、彼の人懐っこさは好ましい。
「ルートが降格されたってことは、データベースで情報見れないですかね」
名案を思いついた、と言わんばかりに、ライラは人差し指をぴんと立てた。私は苦笑いでかぶりを振る。
データベースには、あらゆる市民の情報が集積されている。しかし、同じ等級かそれ以下の者しか、情報を引き出すことはできない。
「無理だよ。一等市民の時の情報はセキュリティがかかって見れないから」
「ふうん。なんだか、ややこしいんすね」
「私は、ルートの担当だから。ある程度は、見れるけどね」
「え、じゃあなんか教えてくれても!」
ライラはなおも食い下がらない。相当、ルートのファンというやつなのだろう。確かに、彼は熱狂的な人気を持つ。容姿だって整っているし、腕だって確かだ。
それでも、今の彼はただの三等市民に過ぎない。
「駄目」
「ケチ」
ライラは口を尖らせ、不平不満を並べ立てる。ケチと言われようが、ビオトープの規律は絶対だ。
「俺、片付けるついでに、飲み物買ってきます」
そう言うや否や、ライラは立ち上がる。いつのまにか、プレートは空になっていた。一人になった私は、この無機質な食事に、黙々と従事することに決めた。
そうしていると、一人の女性がこちらへ真っ直ぐ歩み寄ってくるのが見えた。随分、背が高い。金の髪をベリーショートに切りそろえ、大股を切って歩く姿は勇ましく、男性のようにも思えた。しかし、最も着目するべきなのは、そこではない。濃紺の制服に、朱色の腕章。極め付けは、艶やかな光沢を帯びた、赤々とした一双のまなこ。すなわち、彼女は軍部所属の一等市民であることを示している。しかし、ここは二等市民以下の食堂だ。
彼女が前へ進むたび、人混みが割れる。彼女に投げかけられた無数の視線を物ともせず、前からの決まりごとみたいに、私の前へ辿り着くとぴたりと止まった。
「ルイ-F-27853で間違い無いな」
彼女の口から、はっきりと私の名前が発される。私は恐る恐る頷いた。
「悪いが、データベースで情報開示請求を行った。私はエリザ-N-59452。軍部所属だ」
はきはきとした喋り方だ。ここでようやく、私はエリザを正面から見据えることができた。彫りの深い、陰影のある美しい顔の作りをしていると思った。
「君がルートの担当になった。そうだな?」
「……はい」
詰問されているかのようだった。自分の等級より上のものに、嘘をついてはならない。私はおとなしく従うしかなかった。
「なあ、本当に、あのルートにエラーが発生したのか?」
「はい。間違いありません。通達書が届きましたし、あの様子を見ても……」
そこで、私は口を噤んだ。エリザが肩を震わせ、声を張り上げたからだ。
「どうして、ルートが。誰よりも強く、孤高だった! なのに、なぜ!」
そう問われても、私に分かるわけがない。まず、この状況がうまく飲み込めないのだ。
エリザは唇を戦慄かせ、肩で息をしていたが、しばらくたって平静を取り戻した。
「……すまない、取り乱した。私はルートと同期だったから」
「い、いえ」
逡巡しているのだろう。エリザは唇を開いては、躊躇ったように閉じた。数秒の後、決意が固まったらしく、彼女は軽く頭を下げた。
「彼の精神が落ち着いたら、会っても構わないかということを、確認しにきたんだ」
「……はい、ぜひ」
「ありがとう、それじゃあ」
エリザは片手を上げ、颯爽と踵を返す。食堂の熱気は、いつのまにやら宙に溶けていった。エリザが居た場所を、呆然と眺める。
「ルイ先輩の分のコーラも、買ってきました!」
エリザが去るのと入れ違いに、ばたばたとライラが駆け寄ってきた。騒がしい彼の様子に、安堵する。ライラは私にペットボトルを手渡すと、不思議そうに首を傾げた。
「ってあれ、どうしたんすか。なんか顔、疲れてません?」
他人から見ても、そんな顔をしていたなんて。私は長いため息をついた。
「……ライラの顔見ると、安心するなあ」
「どう意味ですか、それ」
ライラは軽快な笑みを浮かべ、私に尋ねる。
「そのままの意味だよ」
ライラは私の言葉を、どう受け止めるべきか思案していたが、終いには賞賛とみなしたらしい。彼はそうでしょう、とでも言いたげに、誇らしそうに胸を張った。
- Re: まなうらのあか ( No.4 )
- 日時: 2019/02/12 20:48
- 名前: りんたろ (ID: G1aoRKsm)
2週間ぶりにあったルートは、落ち着いているように見えた。彼には、日記をつけるよう勧めてある。エラーが発生した市民にとって、日記は精神的な支えになる場合が多い。彼は1日も欠かすことなく、丁寧に日々の仔細を綴ってくれた。それを読む限りでは、あまり問題はないように思われた。
エラーとは、本人にとって、かなりの心理的負荷がかかる。だからこうして、定期的にカンファレンスの場を設けなければいけないのだ。ビオトープ市民は、皆が幸福であらねばならぬという、管理塔の意志だ。簡素で清潔な室内に、円形のテーブルが1つと、椅子が数脚。互いに腰掛け、淡々と業務をはじめる。ライトブルーのシャツを着たルートの姿は、この殺風景な部屋には似つかわしくない。布の下でも、彼の軍人らしい筋肉の稜線を認めることができた。
「暮らしには慣れましたか」
「……とても、良くしてもらっている、と思う」
ルートは言葉を選ぶよう、慎重にそう告げた。声色には未だに戸惑いが含まれるが、視線は真っ直ぐ私に据えられている。
「では、何か困ったこととか」
「困ったこと……」
ルートが呟く。わずかに伏せられた顔は、仄暗く精悍な印象を浮き彫りにさせる。
やがて、彼は弾けたように顔を上げた。ダークブラウンの髪が揺れる。
「記憶が戻ることは、あるのか?」
「……いいえ、そのような例は聞いたことがありません。ですが、どうして?」
これが、エラーの恐ろしいところだ。一度失われた記憶は、何をしたって戻ることはない。いくら時間をかけて積み木を重ねても、崩れるのは一瞬だ。私に出来ることは、散らばった積み木を拾い集めることくらい。
「時折、ふとした瞬間、知らない光景が脳に浮かぶんだ。これって、ひょっとしたら」
気持ち、ルートが早口になる。私は片手をあげ、それを制した。
「フラッシュバック、と呼ばれる現象ですね」
「フラッシュバック?」
ルートが私の言葉を反芻する。
「ええ。昔の記憶が、断片的に脳裏に浮かぶことがあるそうです。フラッシュバックの前後、酩酊感が生じたことは?」
覚えがあるのだろう、ルートが首を縦に振った。
「もしかしたら、元に戻る兆候なんじゃ」
「残念ながら、そういったことはありません」
かといって、フラッシュバックを放っておくのもまずい。目眩や吐き気を伴うからだ。日常生活に支障をきたす恐れがある。不安の芽は摘まなければいけない。
「フラッシュバックは、ストレス下にある時、生じやすいと言われます。たぶん、まだ緊張がほぐれていないんでしょうね」
「確かに、そうなのかもしれない」
「このまま放っておくのは良くないですし……。たとえば趣味、なんてものを作るといいのかもしれませんね」
ルートが眉をひそめる。結構、真面目というか、堅物そうだからなあ。あまり笑顔で何かに熱中する彼を想像することはできそうになかった。
「音楽とか、食事とか。何でもいいんです、興味を持てそうなものはありませんか?」
ここで再び、ルートは深く考え込んだ様子をみせた。以前の彼の暮らしぶりは、非常に淡白なものだったと聞く。仕事に実直で、評価も高いが、つまらないやつ。そういう、扱いだったそうだ。
しばらくして、人生で大きな決断をするみたいに、彼はひどく重々しく口を開いた。
「……次までの、課題でいいだろうか」
どうやら、ルートはかなりの堅物のようだ。
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