複雑・ファジー小説
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- さいわいを編む
- 日時: 2018/11/26 18:17
- 名前: 遠野 (ID: aruie.9C)
ハイファンタジーらしくないかもしれないけど、異世界ものです。
お手柔らかに、よろしくお願いします。
【1話】>>1
【2話】>>2
【3話】
【4話】
【5話】
【6話】
【7話】
- Re: さいわいを編む ( No.1 )
- 日時: 2018/11/26 16:59
- 名前: 遠野 (ID: aruie.9C)
姉が、名も知れぬ男と駆け落ちをはかった。
その知らせが届いたのは、ティヤムが20歳を迎えた、夏の日のことだ。かくして、彼は夏期休暇の折に生家へ戻ることとなったのだ。
「それで、渋々結婚を認めたってわけさ」
そう話を切り結んだのは、ティヤムの従兄弟だった。
良く晴れた、うららかな午後。寄宿学校から帰郷したティヤムを待ち構えていたのは、いかめしい顔をした、血縁者たちだった。皆が姉を、姉の婚約者の名を口にする。つつしみとならわしを、誰よりも尊ぶ一族のことだ。此度のことは、一層いとわしく映るのだろう。鬱々とした空気は、屋敷中に瀰漫する。いかに朴訥としたティヤムといえど、その雰囲気に耐えきることなど、到底かなわなかった。そういう顛末で、従兄弟と連れ立って庭園へと逃げ込んだというわけだ。
「お前の姉さん、泣くわ喚くわの大騒ぎだったんだ」
夏の庭園はとりどりの花がやわく綻ぶ。その間を縫いながら、年近い従兄弟のカミルはそう呟いた。ティヤムの姉は、いたく頑固で気が強い。一度決めたら意地でも曲げない性格ゆえに、先に折れたのは一族の方だった。
「さすがに、隣街まで逃げていた時は、笑い事じゃなかったけどな」
その光景が、ティヤムの眼に浮かぶようだった。きっと、親族が揃いに揃って、汗を散らして奔走したのだろう。
「俺の姉が、迷惑をかけて申し訳ない」
ティヤムは黒褐色の髪を掻きながら頭を下げた。彼の物憂い顔立ちが、わずかに歪む。それをうけて、カミルは意地悪そうに笑った。
「いいや、迷惑を被ったのはお前の方さ」
「どういうことだ」
返事の代わりにと、カミルは大げさな仕草で肩を竦めてみせた。彼のまなこが、皮肉めいたようにかがよう。
「姉が辺鄙な田舎へ嫁ぐことになった。じゃあ、残された弟の方はどうだろう。いまや落ちぶれた一族にだって、立派な矜持があるというのに」
「……まさか」
「そう、そのまさか」
ティヤムのうなじに、嫌な汗が伝う。ちょうどその折、こちらへ駆寄る足音がひとつ。
「おおい、ティヤム! お前の嫁さんが決まったぞ!」
父の朗らかな声が、澄んだ空に響き渡る。奔放な姉の始末を拭うのは、いつだって弟のティヤムだった。
*
恋というものは、ひどく厄介なものだ。特に、苛烈なものほどわずらわしい。それが、ティヤムが一等一番に学んだことだった。恋に恋する姉を、間近で眺めた彼だからこそ。結婚というものに淡白だったのだ。
眼前の父は、人好きのする笑顔を浮かべている。ティヤムは居心地が悪そうに、革張りのソファに腰掛けていた。
「お前こそ、我が一族の希望なんだ」
力強く、ティヤムの父は告げる。
「格と歴史がある、お前に似合いの相手だ。少々、変わり者らしいがね。けれど大丈夫、きっと素敵な娘さんだよ」
マラミク。それが、ティヤムの婚約者の名だった。古く継がれた仕立物師の血統で、曰く、夜を編む一族という。彼らの手ずから産み落とされる品々は、王の祭事に献上される。父がまことに望む、箔のある家系なのだ。
「けれど、父上。先方は、なんと仰っているのですか」
「もちろん、マラミク嬢のお父上も喜んでおられるよ」
「父上、どうか本当のことを」
恨めがましい視線を遣れば、父は気まずそうに身じろいだ。そうしてわざとらしく、咳払いをしてみせる。
「……マラミク嬢は、あまり気乗りではないと聞く。けれどね、ティヤム。嫁入り前は、皆そのようなものだよ。お前に一目会えば、きっと気に入ってくれるさ」
言い訳がましく、慌てて言葉をたぐる父を横目にして、ティヤムはため息をついた。夜を編む一族の、マラミク。世事に疎いティヤムだけれど、彼女の噂は知っていた。
マラミクの仕立てるドレスはうつくしい。けれども、当の彼女を見たものは誰もいない。なぜなら、極度の人嫌いなのだから。
そのような彼女が、どうしてこの婚約に喜べるだろう。ティヤムは頭を抱えた。
「いいかい、ティヤム。夜を編む一族との婚姻は、大切なことなんだよ。我が一族の、失われた栄光が戻るかもしれない。賢いお前なら、よくわかるね」
「……わかっておりますとも」
ティヤムだって、いつかは誰かを嫁にもらうことを、重々承知していた。けれども、あまりにも事が急いている。姉の代わりの重責と、人嫌いの娘を嫁にとる憂い。そのふたつが、ティヤムの背にのしかかる。
「なに、今という話じゃない。縁付くのは、お前が寄宿学校を卒業した後の話だ」
「だけれども、近いうちに顔を合わせねばならないでしょう」
夏が過ぎれば、ティヤムは寄宿学校に戻る決まりだ。時間はあまりない。
「なるべく早いほうがいい。父上、相手方にお伺いを立てましょう」
「乗り気になってくれたか!」
ティヤムの父の声は弾んでいた。手を合わせ、顔を綻ばせる。そうして、茶目っ気たっぷりに片目をつむった。
「それなら、ティヤム。女性には、かわいらしい贈り物が必要だと、そう思わないかね?」
「父上、マラミク嬢には、特に慎重になったほうが……」
「おおい、誰か! 薔薇の花束を用意しておくれ!」
ティヤムの言葉を遮って、父は声を張り上げる。ティヤムはうんざりするほど、思い出したことがあった。姉の奔放なところは、父譲りなのだ。
- Re: さいわいを編む ( No.2 )
- 日時: 2018/11/26 16:58
- 名前: 遠野 (ID: aruie.9C)
この国では、死神は畏敬の象徴だ。死者の魂が留まることのないよう、黄泉へと連れてゆく。だから、年にいちど、死神に感謝と祈りを捧げなければならぬ。死神の貴婦人にあつらえた、うるわしいドレスを仕立てること。それが、夜を編む一族の生業だった。
マラミクはそのような一族に連なる娘だ。射干玉の髪と揃いのまなこは、常に頼りなく伏せられていたし、真白の肌には、いつだって黒い装束がまとわりついていた。彼女は、誰よりも卑屈だったのだ。
「マラミク、頼んでいた刺繍は出来上がった?」
「これがそうよ、かあさま」
マラミクの日課は、帳を落とした室内で針仕事をすることだ。好きな香を焚いて、滑らかな布に針をすべらせる。それだけで、マラミクは幸福だった。
「まあ、見事な柄だこと。マラミクは一族の中でも、一番の腕かもしれないわ」
「……いいえ、そんなことない。あたしなんて、その」
マラミクが差し出した紗には、花を象った刺繍がみごとになされていた。感嘆の息を吐く母に、マラミクはかぶりを振る。
「マラミク、卑屈と謙虚はちがうものよ」
「……ごめんなさい」
「もう、謝ることじゃないの。それで、あなたの婚約のことなんだけれど」
母の言葉に、マラミクはぴたりと動きを止めた。婚約。それは、ここ数日の悩みの種だった。マラミクは年頃の娘だ。結婚といった類の話が出るのは、当然だろう。彼女だって、望まないわけではないのだ。けれども。
あたしなんかが、結婚だなんて。
相手の方に迷惑をかけてしまうかもしれない。
マラミクの頭をかすめるのは、そればかりだった。
「ティヤムさまがね、ぜひあなたにお会いしたいそうなの」
「……断ること、できないのかしら」
「だめよ、マラミク」
マラミクのつぶやきに、母は顔をしかめた。
「とにかく、一度お会いすればいいじゃない」
「……わかった」
マラミクは、不安そうに瞳をまたたかせる。ひとすじに引き結ばれた唇は、かすかにわなないていた。マラミクの母は、娘の細い肩に手を置く。
「いい、マラミク。あなたは、幸福なのよ。ティヤムさまは歳が近いし、物静かな人柄と聞きます。あなたに、乱暴はしないでしょう。それだけで、どれだけ恵まれたことか」
マラミクはうつむいて、静かに母の言葉を受け止めた。嫁ぐということは、すなわち大きな賭けなのだ。顔も、歳も、名前すら知らぬ婿殿へ嫁ぐことは、そう珍しくはない。だからこそ、マラミクの父がこの婚約に心を砕いたことなど、身に染みていた筈だった。
マラミクははっと面をあげて、そうして確かに頷いてみせた。
「いつまでも、子どものままじゃいられないもの。あたしは、なんて幸せな娘なんだろう」
マラミクが淡く笑む。
「……マラミク」
ティヤムの一族は、マラミクからすれば格が落ちるだろう。けれどもあの家は近頃、商売が軌道にのっていると聞く。だからこそ、あの家の欲するものとは、ゆるぎなく続く血脈との繋がりだった。この婚姻は、たがいに都合が良かったのだ。変わり者の娘を嫁がせることのできるし、向こうとて格式が得られる。すべてが、まどかに収まるのだ。
母はマラミクを引き寄せ、ひしと抱きしめた。
「あなたは、しっかりした子だもの。きっと、向こうでも可愛がられるわ」
「ありがとう、かあさま」
「けれどね、マラミク。ティヤムさまが寄宿学校を卒業される、あと少し。しっかりと、仕度をしましょう」
「……うん、もちろん」
そうして、しとやかな時間がめぐる頃。廊下から、ぱたぱたと小気味好い足音が響き渡る。ふたりは顔を見合わせて、扉の方へと視線をやった。
「お嬢さま、たいへんでございます!」
長く一族に仕える、年嵩の家政婦のものが扉を勢いよく開けた。右腕には、真っ赤な薔薇の花束。マラミクは目を丸くした。
「まあ、見事な薔薇だこと」
マラミクの母は、頬に手を当ててうっとりとつぶやいた。家政婦は花束を、ずいとマラミクへ差し出す。ふわりとした芳香が立ち上がった。
「こちら、ティヤムさまからの贈り物でございますよ!」
「なんて情熱的なのかしら!」
「これだけではございません。もっとたくさん、届いておりますゆえ、あちこちに飾りたてましょうね」
マラミクを置きざりに、母と家政婦がはしゃぎ立てる。当の彼女は、薔薇の花びらを睨みつけながら、目眩をおさえていた。ひとつばかりの束ならまだしも、大量の薔薇の花だなんて、持て余すに決まってる。なんて押し付けがましい人だろう。そのようなことを、マラミクは考えていた。
それに、赤い薔薇なんて似合うはずがないのだ。あたしは、夜を編む一族なんだから。
あかあかと広がる花びらを撫でながら、マラミクの胸中はくすぶるばかりだ。そうしているうちに、家政婦は「あっ!」と大きな声を上げた。
「おやおや、忘れていました。ティヤムさまからね、ぜひお嬢さまに会いたいということで」
次に家政婦が差し出したのは、ティヤムの名があてがわれた封筒ひとつ。マラミクはこわごわと封を切る。几帳面な文字でつづられていたのは、形式ばった挨拶と、明日の午後にはマラミクを訪うという旨。母は手紙をのぞきこみ、そして口角を上げた。
「やっぱり、ティヤムさまは決断力がある人なのね!」
マラミクは、そうは思えなかった。けれども、マラミクはティヤムを受け入れねばならぬ。人嫌いと噂される娘を娶ろうなど、ティヤムのほかに誰がいよう。マラミクはぐっと言葉を飲み込んだ。
あたしは、幸せものなのだ。
そうやって、ぽつりと胸の内に語りきかせた。傾きかけの歴史ばかりの一族と、位の低く小金だけを蓄えた一族。ふたつの婚姻は、ほの暗い背景があったわけである。
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