複雑・ファジー小説
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- 安楽死
- 日時: 2019/01/21 20:15
- 名前: 板谷 狂史郎 (ID: eMnrlUZ4)
よろしくお願いします。
- Re: 安楽死 ( No.1 )
- 日時: 2019/01/24 20:10
- 名前: 板谷 狂史郎 (ID: 9fiZbYIX)
第1章 自覚
大学に入って、およそ9か月くらいの月日が過ぎた。今年の冬は、去年ほど雪が降らない。そういった内容の会話を、何度も耳にするほど、今年の冬は、雪が少なかった。雪は、降らなかったら降らなかったで、味気ないものである。降った場合は、それはそれで、文句も言うであろうが。雪はなかったが、風はあった。冷たい風が肌を切るように吹く。伸ばしっぱなしにしていた髪が、何度も乱れ、そしてそれを直した。電車を待つ時間は、なぜこうも長く感じられるのだろうか。ちょうどいい時間に駅に着くように計算して大学を出てきたはずであったが、予想よりも早く着いてしまった。携帯電話の電源も切れてしまい、いよいよやることがなくなった私は、なぜか寂しさに似たような感情を覚える夕方の冬の中、一人立っていた。何気なくあたりを見回すと、誰かがこちらへ歩いてくるのが見えた。おそらく、いや、確かに、それは、友人であった。
「よっ!」
角田という名の、かなり親しい友人であった。彼とは、中学からの仲である。音楽の趣味が合い、仲良くなった、と、記憶している。常に明るい男であった。彼は私の肩のあたりをポンと叩いて話しかけてきた。
「サンちゃんどしたの、元気なさそうにして」
「別に何も。汽車くるまで時間あるし、少し喋ろうか」
電車のことをあえて「汽車」と言うのは、私のくだらない洒落であった。もっとも、意識してやっているというものではなく、幼少の頃よりやっていた洒落が身に染みついてしまった、という言い方が正しい。あんまりやるものだから、私の周りの人間も、最初こそ笑いながらツッコミを入れるものの、最近ではこの洒落に対して何も言わなくなっていた。私は、こういう類の洒落、というか、ギャグ、というか、そういうものを、結構やる。ハンカチをハンケチと言ってみたり、じゃんけんでチョキを出すときは、人差し指と親指でチョキを作る。
- Re: 安楽死 ( No.2 )
- 日時: 2019/01/22 19:37
- 名前: 板谷 狂史郎 (ID: zpQzQoBj)
角田と二人で、駅のホームの一番端のイスに座った。ひじ掛けの部分には空き缶が置いてあった。
誰かが忘れていったのだろう。角田はそれを持ち、ちょっとこれ捨ててくる、と言ってゴミ箱の方に歩いて行った。不便なことにこの駅にはゴミ箱が一つしかなく、しかも今座っているイスからかなり遠いところにあった。角田は歩いて行った。再び一人。いろいろなことを考える。
私は、よくものを考える。もとい、考えすぎる。これは私の悪癖の一つであると、そう言える。私はなぜ生まれてきたのか、なぜこの世界はあるのか、考えてもどうにもならないようなことを、私はよく考えた。そして時には、それが、いわゆる「損」であるかもしれない、ということをふと思っても、考えることはやめられなかった。そして、道行く顔も名も何も知らぬ通行人を見て、あの人も、私と同じようなことを考えているのだろうか、ということも考えた。偶然目が合ってしまった場合など、今相手は私にたいしてどんなことを思っているのだろうか、ということを考えた。考えることは、私にとっては呼吸や食事と同じようなものであった。最近は、友達に見せている自分と、自分の内面との差異に嫌気がさしてた。既述のようなしょうもない洒落を言い、時に人を笑わせ、特に目立った悪いところも良いところもなく、ただ、毎日を生きる。しかし実際は、考えてもどうしようもないようなことを、大学の講義さえ上の空になるということも珍しくないほど考える、いわゆる、「変人」というやつなのである。
「お待たせ」
角田が戻ってきた。そして座る。電車は、あと4分か5分で来そうだ。
「これ知ってっか?」
角田が自慢げに私に何かを見せた。それは、おにぎりであった。彼は何かが入ったコンビニ袋を持っていた。どうやら小腹が空いて、何か買ったようだ。その中の一つを、私に見せた。そのおにぎりは、最近発売された、新しい味のものであった。私は、また考えた。
私は、それを知っていた。一人暮らしをしている手前、自炊はかなりの頻度で行うが、面倒だと感じたときは、コンビニで買ったものや、買いだめしてあるインスタント食品で済ませてしまうということも少なくはなかった。だから、このおにぎりも知っていた。だが、ここで知っていると返事をすれば、話はそこで終わってしまうし、自慢げに見せた角田にも、なんだか悪いような気がした。私は言葉を選んだ。
「いや、知らないな」
「なんだ知らねえの?うめえぞこれ、食ってみ」
「悪いよ。腹が減ったから買ったんだろう」
「いいから、じゃあ半分やるよ」
角田は実に楽しそうであった。そうしてそのおにぎりの封を開け、器用に半分に分け、その片方を私によこした。若干私の分の方が大きいような気がしたが、おとなしくもらい、食べた。うむ、確かに美味い。
「美味いな」
「だっろ?これ最近見つけたんだよ」
その「美味い」という感想は、私がよく使う、体裁を取り繕うための、いわゆる「嘘偽り」ではなく、本心であった。ただ、知っていただけだ。その味を私は知っていただけなのだ。だが私は、嘘をついた。
- Re: 安楽死 ( No.3 )
- 日時: 2019/01/26 10:53
- 名前: 板谷 狂史郎 (ID: eMnrlUZ4)
嘘も方便、という言葉もあるが、私はこのことに若干の罪悪感を覚えた。普通は、こんなことに罪悪感など覚えるものではないのだろうか。私は、どういう人間なのだろう。なんと表現すればいいのだろう。わからない。これも、考えてもどうしようもないことのうちの一つのように思われた。知っているおにぎりの味が、いつもと違うような気がした。そうこうしているうちに、電車が来た。
「お、空いてんな」
この時間帯は、人が少ない。私はそれを知っていた。それを狙って、いつもこの電車を利用していた。私は、人が少ない電車が好きだった。落ち着く。電車が来ても、人が多ければ乗らないということも少なくはなかった。もちろん、友人と一緒の場合はそれに合わせて乗るが、一人の時は見送ることが多い。人の多い電車は、私にとっては不快なものだ。蜂の羽音が嫌いだった。それと同じくらい、だ。電車のドアが閉まるのと同時に、角田が声をかけた。
「座ろうぜ」
一番近い席に腰かけた。人がいないうえに、一駅で着いてしまうため、贅沢に席を使っても構うまい、ということで、4人席に座り、お互いに荷物を自分の横に置いた。角田と斜めに向かい合う形になった。
「なぁ、最近俺、引き締まったと思わないか?」
いきなり角田が問うてきた。厚着をしているため、身体の変化はよくわからなかったが、確かに顔の肉が若干落ちて、引き締まっているような気がした。なぜそんなことを聞くのか、と返すと、角田は何やら嬉しそうに答えた。
「実は最近、早朝に走るようにしてるんだ」
「ほう。この寒い時期にか」
「おう。なんか最近、新しいこと始めようと思ってさ」
「どうして」
「え?別に理由なんていらないだろう。新しいことを始めるのはいいことなんだから。それだ。それが理由だ」
これには驚いた。私から見て、角田はとても明るい人間だし、感情表現を惜しまない、好感を持てる人物であった。そんな人物だから、今の生活で十分、満足をしているのだろう。と思っていた。しかし違った。新しいことを求めていた。新しいことを求めるということは、何か自分に変化をもたらしたいと思うからだ。と私は勝手に思っていた。そして自分に変化をもたらしたいと思うのは、今の自分がいけないものであると感じているか、貪欲であるかのどちらかだ。と、また私は決めつけた。しかしどちらにせよ、この事実の判明は、私をはっとさせた。
「へぇ」
「なんだよへぇって」
「いや...いいなと思って」
「そうか?まあ何か新しいことを始めると、心が洗われる感じがするからね。サンちゃんも何か始めたらどうだい?」
私はこの提案に、ふっとただ笑って返した。
駅に着き、角田と別れ、相変わらず風の強い外を、少し背中を丸めるようにして歩き、家についた。時刻はちょうど6時であった。私はリビングのソファに座り、最近買った西洋の掛け時計を見ながら考えた。角田のような人物でさえ、何か新しいことを始めていた。その理由の答えがああだった以上、なぜかはよくわからないが、角田のような人物がそうしているならば、私も自分を変えるために、何かしなければなるまい。謎の使命感のようなものが、心の中に芽生えた。実際、そう思うことは多々あった。しかし何を始めたらよいか見当もつかず、具体的には思考せずにいた。そうしてきたのはその時その時でやるべきことがあったから、というのもある。しかし今日は後は寝るだけだ。今日はあまり食欲が湧かないので、夕食を作る気は起きなかった。米を炊いて寝ようと思っていた。だから、よく考えた。だが考えても、何も思い浮かばない。思い浮かんでも、頭の中の自分は、なぜか大した思考もせずそれを破り捨てた。とりあえず米をといだ。炊飯器に米と水を入れ、タイマーをセットした。その時、インターホンが鳴った。
- Re: 安楽死 ( No.4 )
- 日時: 2019/01/28 18:57
- 名前: 板谷 狂史郎 (ID: eMnrlUZ4)
「はい」
「宅配便でーす」
愛想のいい若い男性であった。しかし私は、宅配便にまったく心当たりがなかった。家のドアを開けた。
「こちらにサインかハンコお願いしまーす」
ハンコをどこに置いたか忘れたので、ボールペンでサインをし、紙を手渡す。男は一言礼をいい、そそくさとエレベーターまで走っていった。この後も仕事があるのだろう。マンションの8階まで届けてもらったのが、なんとなく悪いような気がした。荷物は実家からであった。箱は、割と大きめであった。ハサミの片方の刃を持ち、カッターのようにしてテープを切り、箱を開けた。一番上に手紙が入っていた。母親の字で、こう書かれていた。
——年末の大掃除で部屋を片づけてたら出てきたものを送ります。捨てようかと思ったんだけど、使えるものがあれば使った方がいいかなと思って。では、引き続き大学頑張ってください——
と、いうことだった。中を見てみた。確かに、見覚えのあるようなないような、という小物が入っていて、若干懐かしいような気もした。だが、今の生活に使えそうなものはあまりない。今思えば、母親は昔から物を中々捨てられない性格であった。その性格に屡々助けれたということもあったが、今回のは少し迷惑であるように感じた。とりあえず使えそうなものと、いらないものとに分けようと思ったところ、一つのブックカバーに目が留まった。こんなものあったか、と過去の記憶を紐解く。思い出した。これは中学1年の時に、クラスの女の子がくれたものだった。名はなんといったか、はっきり思い出せない。その子は、学年が1つ上がる頃に転校してしまったのだった。誕生日の日に貰ったと、そう記憶している。私の誕生日は2月の21であるから、貰って間もなく転校してしまったのだった。特別仲が良いというわけでもなく、席も、近くになったことはあったが、隣になったということはなかった。そのため、誕生日の日にこれを貰った私は、なぜだろうという風に疑問に思ったのだ。そうだそうだ。その時の不思議に思う気持ちだけ、はっきりと覚えていた。
改めてそのブックカバーに目をやる。自分に美術的なセンスがあるとは思っていないが、これは世間的にいう「オシャレ」というやつなのではないか、と思った。布でできていて、色は赤、柄はチェックであった。右下の方に、白い2つの花が、リボンで結ばれている刺繍があった。私が使うには少々似合わないものかもしれないが、私がこれを貰った当時、本に興味があれば、愛用していただろう。
「...そうか」
思わず声が出た。そうだ。本だ。本を読めば、新しい知識が入ってくる。そこにある言葉に、自分を変えるために役立つものがあるかもしれない。世の中の見方、考え方。それらが変わるかもしれない。そうすれば自ずと、自分も変われる。それが今感じている、内面と外面の差からくるストレスを無くすものになるかどうかは分からないが、とりあえず何か始めてみるものとして、読書という行為は悪くはない筈だ。その瞬間、ブックカバー以外のものがどうでもよくなった。すぐにブックカバー以外のものを全て段ボール箱に戻し、物置と化している部屋に置いた。明日、本を買いに行こう。大学は休みだ。バイトも入っていない。私は、これから自分が変われるかもしれないという事実に胸を躍らせ、名が思い出せぬあの子と母親に、心の中で礼を言った。
- Re: 安楽死 ( No.5 )
- 日時: 2019/01/29 17:31
- 名前: 板谷 狂史郎 (ID: eMnrlUZ4)
翌日。早速私は本屋に向かった。この日も、風は強かった。しばらく歩き、家の近くにある本屋に入った。あまり客はいなかった。外はとても寒いのでかなりの厚着をしてきたが、中は暖かかった。早速私は、国内小説のコーナーへと足を運んだ。そこには、様々な小説家たちの作品が、たくさん並んでいた。何を買ってよいか、分からない。とりあえず、知っている作家だろう。そして、よく聞いたことのあるタイトルのものを選べばよい。そうしてしばらく試行錯誤した結果、私は太宰治の「人間失格」を手に取った。本とは、あまり関わったことはなかった。だから、昔の小説はみんな分厚くて読みにくそうなものばかりだと思っていたが、「人間失格」は意外と薄かった。裏返して、価格を見る。およそ300円であった。これには少々驚いた。もっと高いものだと思っていた。実は、このように自己啓発を目的として本の購入をしようと考えたことは、過去に一度だけあった。まだ一人暮らしを始める前、実家の近くにある古本屋に行って、何か本を買おうと思ったのだが、目ぼしいものはなく、結局数冊の本の最初の部分を立ち読みして、すぐに帰ってしまった。読まなくなるかもしれないから、という理由で1円でも安く買おうとしていた自分が恥ずかしく思われた。こういうものは、自分の財布からしっかりとお金を出して買うものだ、と、ふと思った。暑くなってきたので、一旦本を棚に戻し、マフラーを脱いだ。本を選ぶのに夢中になっていて気づかなかったが、首とマフラーの間に若干の冷たさを感じていた。汗をかいていた。
さて、どうしようか。とりあえず、この「人間失格」だけを購入して、出ようか。しかしそこで、また自分の悪癖が顔を出した。私は考えた。この作品が、太宰の最後の作品であるということ、そして「斜陽」「走れメロス」と並ぶ著名な作品であることを私は知っていた。だから、なんとなく、著作だけを買う、という行為に、私は若干の抵抗を覚えた。別に、読みたい本がそれならばいいじゃないか、と思うかもしれないが、私は抵抗を覚えた。そしてそういうことを考える自分にも、嫌気がさした。自己啓発を求めて、本に、自分を啓蒙して、新しい世界を切り開いてくれるという力を期待して、購入しに行ったのに、そこで考えていることは、またしても他人からの評価である。これにはさすがに自分で自分に呆れた。「本はちゃんとお金を出して買うべき」という考えを、先ほど得た。これは、変化であり、成長だ。しかし私は、またここで後退した。もとい、私は変わっていなかった。
迷った挙句、私は太宰治の「人間失格」と「晩年」、さらに漱石の「こころ」を購入し、本屋を後にした。中で少し汗をかいたため、外が凄く寒く感じられた。私はさっき脱いだマフラーを再び首に巻いた。私が3冊の本を購入した理由は、ちょうどいい値段になったから、すぐに新しいのが読みたくなるから、というものであった。今思えば、先ほどの他人からどう見られているか、ということを気にした自分を、正当化もしくはそのことをなかったことにしようとした、自分のさらに醜い部分の現れであったかもしれない。そこから家に帰る道は、なんとなく、いつもと違う道に感じられ、私の胸は妙にそわそわした。
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