複雑・ファジー小説

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君想う、故に愛在り
日時: 2019/03/28 00:41
名前: サンダース (ID: WZM2PwQU)


 我思う、故に我在り。高名な哲学者、ルネ・デカルトはそう記した。

 目の前に広がる世界が現実か否か、それは誰にも証明できない。甘くて美味しいケーキも、肌寒い秋風も、その時々私たちが知覚する様々な事象は、もしかするとまるっきりウソなのかもしれない。

 私たちがこの目で見て、耳で聴いて、嗅いで、触って、感じている物事全て、誰か偉い神様が作り出した、幻想なのかもしれない。高校時代に聞いていた一曲も、そんなことを言っていたっけ。何もかも口先だけで、作り物でない代物などこの世界にカイムであると。

 だが、それでも。そんな不確かで証明など誰にもできない不安定な認識の中で、唯一その存在証明を明確に断じられるものがある。そう、デカルトは言ってくれた。もしかしたら、彼がいたという歴史も、残した言葉も、私が脳裏に描いた夢にたむろする虚構の一つかもしれないのだけど。けれども、彼の遺した言葉は、あまり上等と言えない私の頭脳でも、真であるように思えた。

 私達が知覚するあらゆる事柄の真偽は議論できない。知らない間に、脳に電極を刺され、思い思いの夢を見させられている可能性があり、夢の中の自分がそれに気がついていないだけの可能性がある。だから、手を繋いだ恋人の幸せな温もりさえ、錯覚という心ない正体を持っているやもしれない。

 それでも、今こうして、暖かいだとか、不快だとか、幸せだとかお腹が空いたとか、そんなことを考えている自分だけは、存在していると言って問題ない。何故なら、存在していないのならばそのような疑念も思考も起こり得ないんだから。

 そう、女子大生だった私は信じていた。高校の世界史だか倫理だか忘れたが、何かの授業でデカルトを教わってから、漠然と大切なのは自分だけと信じていた。彼氏はできなかったし、友達は勿体ないと言っていた。けれども私は怖かったんだろう。素敵だと思った人は、ただの錯覚で、本当はそうでもなかったとしたら。いや、きっと、それならまだましだ。本当はそんな人居なくて、ふと瞬きをした拍子に消えてしまったとしたら。

 だから決めた、信じられるのは私だけ。誰も愛さなくていいし、私だけはちゃんと満足する人生を歩もう、って。だからこそ、私はずっと独りでいいんだと決めていたのに。

 どうしてこうなったのだろう。それは、私が私に訪ねるべき疑問だ。今目の前にいる人に尋ねたところで分かる筈がない。見たことも話したこともない筈なのに、不思議と目の前に彼がいることが異常事態とは感じなかった。

 うたた寝をしていたせいか、本調子で頭が回らない。家で一人くつろいでいたはずではあった。けれども私が体を預けていたそのソファは、下宿している学生の私が、六畳しかない部屋に買う訳がない大きさだった。

 不安そうに私を見つめる男性の視線を無視して、寝る直前の記憶をなるべく思い出してみる。確か今は、大学二年の終わり際。実験実習のレポートをまとめており、それが一段落ついたところで一眠りした、ような気がする。

 そう。だから。私はあの固いベッドの上にいなければならないはずだ。しかしここは何処だろう。柔らかな反発を全身で受け止めていると分かる、この家具は私の寝具より遥かに上等だ。

 酔い潰れた私をこの人がお持ち帰りでもしたのだろうか。とすると納得できることがいくつかある。どことなく体は重たいし、弱い吐き気もやって来た。貧血ぎみなのか少し頭が重たいのは、流石に寝起きのせいだろう。

 しかしこの男の人をよく見るに、そんなことをしそうな風には見えなかった。実直、誠実、思い遣り、そんな言葉が眼鏡をかけて服を来ているような印象だ。関係ないけれどもよく見てみると、それなりに整った目鼻立ちをしていた。わざわざお酒に頼らずとも、意中の女性くらい射止められそうかなと思うくらい。

 私はまだ知らなかった。目の前にいる人とは初対面ではないことを。恋人でも友達でもないことを。その人は、私から見て配偶者にあたる人物だった。

 即ち、夫と呼ぶべき人間だった。

 平たく言えば記憶喪失。それが私の身に降りかかった不幸だった。それが、雨の滴のように、じわりじわりと滲み寄るものならばどれだけ楽だったろう。それなら、彼ないしは私たちの娘が前兆に気づけたものを。

 それは言うなれば、春一番だろうか。穏やかな空の下不意に強い風が吹いて、私の記憶をかっさらっていった。

 正直なところ、私は目の前の人が夫である事実にひどく驚きはしたけれども、すぐに受け入れることができた。それは私が築いていた価値観のおかげだ。目の前の世界はいつ瓦解するか分からない。そう信じていたからこそ、大学生だった私に、いきなり夫があてがわれたところで、現実は奇なるものであるなと乾いた笑みだけ溢すのみだ。

 しかし私はひどく衝撃を受けていた。人生最大の衝撃を受けていたつもりだ。それはやはり、価値観に由来する。間違いなどないと信じていた、『自分自身の確固たる存在』の一つ、信念を否定されたせいだ。

 恋人も夫も要らない。信頼できる、私のためだけにこの人生を使うんだ。ずっと、ずっとそう思っていたというのに。

 気づけば私は誰かを愛していたらしい。結ばれていたらしい。

 デカルトでもいい、神様でもいい。あるいは、昨日までの私よ、教えてくれ。



 唯一信じていた自分に裏切られた私は、一体何を信じればいいというのだろうか。






※医学の知識には一切基づいて書いておりません。ご了承ください。