複雑・ファジー小説
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- 三國志【完結】
- 日時: 2019/09/14 09:20
- 名前: 渾身2 (ID: m16n.Ntt)
渾身2の作品です。朝鮮史を百済滅亡出征の時代を描きます。
- Re: 飛天舞~忠かれた王室~ ( No.6 )
- 日時: 2019/09/04 20:23
- 名前: 渾身 (ID: Xr//JkA7)
第1話「反逆」
西暦648年、大耶城の城主であったピダムが反乱を起こす。キム・ユシンはピダムを窮地に追い込むと、ピダムは弁宰城に逃亡する。しかし、その弁宰城には最大の敵の百済軍が布陣していた。
【キム・チュンチュの屋敷】
チュンチュは口を開ける。 キム・チュンチュ(新羅の太子、真徳女王の従兄)
そして「即急に弁宰城を陥落させねば、ピダムが百済を手を組むやも。」と不安そうな顔をしてキム・ユシンに話す。 キム・ユシン(新羅の武将)
「しかし太子殿下。弁宰城に布陣していたのはあの豪将ケベクとケベクの最精鋭の兵士達です。」とユシン。
チュンチュは頭を抱えて悩む。
【弁宰城】
ピダムの元にケベクが。 ピダム(上大等、反乱の首謀者) ケベク(百済の武将、義慈王の忠臣)
ケベクはピダムに剣を突きつけて言う。「百済大王の力を借り新羅の国王となるか、或いは私のこの剣に斬られるか。」と。
ピダムはケベクに疑問を抱く。
【酒場】
酒を交わすユシンとケベク
「そなたはあの乱臣賊子と手を組むのか?」とユシンが。
「いいや、私はあの者と手を組むつもりはない。だが、百済大王の命令だ。私が嫌でも大王の命令とあらば従う他ない。」とケベクが。
涙を目に溜めてケベクを見るユシン。
「なぜ…我らは戦わねばならぬのだ。なぜ…何故…」とユシンが。
【チュンチュ側 軍営】
そこにヨムジョンが偵察にやって来る。 ヨムジョン(ピダムの部下、イチャン)
そんなヨムジョンの様子を後ろから見るユシン。
「ピダムはついに正々堂々と戦わないようになったのか。部下に偵察に行かせるとは。」とユシンが。
するとヨムジョンは服から短刀を取り出しユシンに斬りかかるが、ユシンに腹を殴られて腰を抜かしたヨムジョンはユシンの背後にいたボムミンによって捕えられる。 キム・ボムミン (チュンチュの息子、太孫)
【軍営前】
軍営前にあったヨムジョンの生首。生首からは真っ赤な血が垂れる。
その生首を見た傘を被るピダムとその部下チャンシク
ヨムジョンの死で士気の上がったピダム軍はその後、軍営に奇襲を仕掛けるが、既にそれを知っていたチュンチュはピダムを生け捕りにする事に成功。
【処刑場】
手足を縄で縛られ、連れて来られるピダム。
ピダムの四方には馬が。
ピダムの様子を見守るアルチョン。 アルチョン(ピダムの元同志)
ピダムは兵士達の手によって手足の縄を解かれ、馬の腰に繋げてあった縄を両方の手足に縛られ、馬によって手足を引っ張られる。ピダムの手足は今にも引きちぎれそうになっており、血が地面に垂れるほどだ。
地面には血の溜まり場のような物が出来ている。
その様子アルチョンと一緒に見ていたチャンソン。 チャンソン(ピダムの長男)
終
- Re: 飛天舞~忠かれた王室~ ( No.7 )
- 日時: 2019/09/06 18:26
- 名前: 渾身2 (ID: Xr//JkA7)
第2話「羅唐同盟」
西暦643年9月、ピダムは唐の太宗より「善徳女王を廃し、唐王室より新羅王と立てろ」との要求を受けていた事が後の西暦649年に分かった。それにより、親唐派と反唐派に分かれる事になる。ピダムは親唐派の立場であり、反乱を起こしたと見られる。そして、外交面で活躍していた太子・チュンチュは唐の太宗より同盟承諾を受けた。649年2月、新羅は唐衣冠礼服の制度を取り入れた。650年に独自の年号を廃止して唐の年号・永喜を使用した。また、その後、唐制に変更する事になる。
西暦649年2月13日 【妓楼】
アルチョンは酒を飲みながら唐の官服を着て、太子となったチュンチュに話しかける。
「太子殿下。何故 それほど唐に執着するのです。」とアルチョンが頭を下げて言う。
「アルチョン公。私は夢見ているのです。唐の力を借りて三韓の民が手に持つ武器を農具に溶かして、それで耕した畑に出来た野菜を食べてみたいのです。それをするまで死にたくても死にきれません。」
「はっはっは。太子殿下は随分立派な夢をお持ちなのですな。」と笑いながらアルチョン。
翌日【唐の王宮】
苦しみに耐えて胸を押さえながら喋る太宗
「皇太子よ…そなたは…新羅の太子を裏切るなどしてはならぬからな。」
涙を流して太宗の手を握る高宗
「もちろんです父上。」
【アルチョンの屋敷】
外で酒を飲むアルチョンの胸に矢先を向ける謎の刺客。
そして、そのアルチョンの胸に矢が刺さる。アルチョンは酒瓶を落とし、息を引き取る。
その黒の覆いを取る正体は…蘇定方だった。
【皇太子・皇太殿】
皇太子の元にやって来る蘇定方。
「アルチョンを始末したか?次は新羅の太子を殺せ__」
終
- Re: 飛天舞~忠かれた王室~ ( No.8 )
- 日時: 2019/09/06 18:27
- 名前: 渾身2 (ID: Xr//JkA7)
第3話「三韓植民地計画」
西暦649年7月10日__唐の皇帝・李世民が崩御した。彼は、626年に実兄を殺害し皇帝の座に座った独占欲の強い皇帝だった。そのため、高句麗を幾たびも自らの植民地にしようと出兵を重ねた。彼は後に皇帝となる息子の高宗によって「文武大聖大広孝皇帝」と名付けられ、その後は聖君として崇められるようになった。そして、唐の王位には皇太子が座る。
*西暦650年4月、唐は新羅に新羅独自の年号を廃止し、唐の年号を使用する事を要求する。
【新羅の王宮】
キム・フムスンは摂政となったチュンチュに言う。
「摂政殿下。新羅を植民地にするおつもりですか?」と。
すると、親唐派のキム・ジンジュがフムスンを指差し、口を開く。
「フムスン公!なんと言うことを!摂政様は羅唐同盟のために…」とフムスンに向かって強く言う。
すると、フムスンの隣に立っていたヤンドも口を開く。
「摂政殿下!これは唐の植民地になる事同然でございます。このような屈辱我々が受ける事など…」と。
ユシンは困った顔をしてこの言い争いを見ており、王座に座る真徳女王も共に困った顔をした。
*この反唐派、親唐派の争いは以後25年は続き、新羅史上最も醜い争いとなった。
【高句麗の王宮】
ヨン・ゲソムンの笑い声が王宮中に響き渡る。
「ハッハッハ。新羅は自滅する事になるだろう。このまま、親唐派と反唐派が対立し、戦争を起こしでもしたら、新羅はとても弱り、我らの足元にも及ばぬ弱國となるだろう。」とヨン・ゲソムン。
宝蔵王はヨン・ゲソムンに。「大莫離支。このまま新羅へ出征し、我らの脅威となる前に潰してはどうだ?」
「大王陛下。そう慌てなくても良いでしょう。今日は宴会でも開こうではありませんか。」とヨン・ゲソムン。
不安そうな顔をする宝蔵王。
【新羅の酒場】
酒を交わすケベクとユシン。ケベクは不思議そうな顔でユシンに尋ねる。
「将軍。新羅は何故…あのような状況になったのです。」と。
「私の生涯の友人の摂政様を信じすぎてしまったのだ。私はこれまで摂政様のために何だってして来た。それが三韓一統の為になるならと。だが、それは全て羅唐同盟のためだった。私の責任だ…私が羅唐同盟を成り立たせてしまった…」と涙を流すユシン。
「ハッハッハ。最近ユシン将軍はよく泣きますな。新羅で民に神と崇められるユシン将軍がなぜ、弱気になり、泣くのです。ユシン将軍の責任ではありません。一度誤り違う道に入ったとしても人間関係というものは変えられるのです。」とケベク。
「つまり、私が摂政様と手を切れと?」とユシン。
「はい。ユシン将軍。」とケベク。
ユシンの肩に手を置くケベク。
【チュンチュの屋敷]
刀を持ち、チュンチュの屋敷に入って来て、刀を抜いてチュンチュに向ける摂政の服を着たユシン。
チュンチュはユシンの様子に驚く。
「なぜ…ユシンが摂服(チョルボク、摂政が着る服)を着ておる!」
「キム・チュンチュ!唐の手先が新羅の摂政でいる資格はない!」
チュンチュは目を大きくして驚く。
終
- Re: 飛天舞~忠かれた王室~ ( No.9 )
- 日時: 2019/09/08 07:42
- 名前: 渾身 (ID: Xr//JkA7)
第4話「チュンチュの即位」
【チュンチュの屋敷】
チュンチュに刀を向けるユシンの背後から真徳女王、キム・ジンジュ、キム・ボムミン 、キム・インムン 、キム・フムスン、ヤンドゥヒ、イェウォン、そしてチュンチュの妻・太子妃キム氏がやって来て、一斉にチュンチュに刀を向ける。
そして、チュンチュに襲いかかる__
そのような夢から目覚めるチュンチュ。そんなチュンチュの元へ太子妃キム氏がやって来る。
「どうしたのです?悪夢でもお見られに?」と心配そうな顔と声でチュンチュに尋ねる。
「あの…ユシンが私を斬り倒そうとしたのだ…一体…この夢は何だったのだろうか…」とチュンチュが不安そうに言う。
「ユシン兄上が?」
【ユシンの屋敷】
屋敷に集まる反唐派たち。
「今日より!我ら反唐派は摂政様たち親唐派に全面対抗する!」とユシンが刀を揚げて力強く言う。
「だが、兄上…摂政様が王位に就かれたらどうするのだ?その時になれば我らは殺されるだろう。」とフムスン
「そうだ。摂政様が王位に就かれたら新羅は唐の植民地となるだろう。その前に!摂政様を説得するのだ!」
とユシン。それを不安そうな顔で聞くイェウォンとヤンド。
【真徳女王の寝室】
咳き込み、横になる真徳女王の元に座るチュンチュ。
「大王陛下。早く病を治して政局にお戻り下さいませ。」とチュンチュ。
「摂政…そなたに…そなたに…太摂政を任ずる。」*太摂政…政治以外の全権を現の君主に任される事、崩御を近くした君主が臣下に任せる役職 朝鮮半島ではチュンチュが唯一無二の太摂政だった。
「大王陛下!何を仰られます。まだ大王陛下はお若いですのに。」
西暦652年に摂政だったキム・チュンチュが太摂政の座を任じられた。真骨だったチュンチュは最優先王位継承者になった事に多くの反感を抱かれ、命の危機を何度も感じされられたとキム・チュンチュは言ったらしい。その後、真徳女王は崩御する日まで床から出なかったと言う。
西暦654年3月 真徳女王が崩御した。真徳女王は前王・善徳女王の継夫の国飯・葛文王の娘。長身であり美女だった。善徳女王の娘ではなかったため、善徳女王が即位するまでは真骨だったが、善徳女王が即位して聖骨となった。647年1月に起こった古代朝鮮半島最大の反乱・ピダムの乱では名将キム・ユシンと力を合わせて見事な兵法によって648年の即位直後に乱鎮圧に成功した。即位存位中は甥のキム・チュンチュを太子に任命し羅唐同盟の大義を守った。その同盟は後に三韓統一を成し遂げる一歩となった__
【チュンチュの即位式】
「新 大王陛下 万歳!万歳!万歳!万歳!万歳!万歳!万歳!万歳!」とユシンが声を荒だげる。
西暦654年5月、摂政だったキム・チュンチュが王位を継承する事となる。キム・チュンチュは幼い頃から生涯の友キム・ユシンと''三韓一統''の大義を抱き続けてきた。羅唐同盟を結ぶ事が三韓一統に繋がると信じたチュンチュは649年に羅唐同盟を組む。そして650年には唐の元号を使う事を宣言したりとして羅唐同盟の大義を貫き続けた。ちなみにチュンチュは真骨だ。その理由としては祖父は廃位された真智王だったからであった。そして真骨になりながらもその聡明さによって世間から認められ、朝廷に再出仕する事が可能となり、王位に就いた。
存位中にチュンチュは倭国の律令制度を朝鮮に取り入れ、新羅を最盛期にした。
__西暦655年1月
【百済・高句麗国境会議所】
ヨン・ゲソムンとソンチュンが対面する_
「そなたがソンチュン公か?」とヨン・ゲソムン。
「はい。大莫離支。」とソンチュン。
ヨン・ゲソムンは衣から宝蔵王の国書を取り、ソンチュンに渡す。
「これを。百済の大王に渡しなさい。」とヨン・ゲソムン。
「はい。」と大事に国書を持ち帰るソンチュン。
【百済の王宮】
王宮中に響き渡る義慈王の笑い声。
「ハッハッハ。」と女と酒を囲んで遊びまくる義慈王。
そこに高句麗の国書を持ったソンチュンが。
「大王陛下。ヨン・ゲソムンより国書を受け取って参りました。」と言って国書を義慈王に渡すソンチュン
「大王陛下。こんなに酒を飲んでいては政治に支障が出るのでは?」とソンチュンが言うと…
義慈王は立ち上がってソンチュンの白髪を掴み、振り回していると、ソンチュンは義慈王を突き飛ばしてしまう。
義慈王は腰を抜かして笑い出す。
「ハッハッハ。余の事を…あのソンチュンが突き飛ばしたぞ!君主を…あやつが…突き飛ばしたぞ!」
「貴様…何が…君主だ。むしろ王宮の蔵を潰して奸臣の言葉に惑わされて!これが大百済の君主とは!国として恥だ!故にお前のような奴が君主であるこのような大百済にはもう住みたくない。故に殺せ!殺すんだ!早く殺せ!」とソンチュンが気が狂ったかのように義慈王を煽る。
「この者を投獄せよ!この者を生かしてやる代わりに絶対に食べ物を与えてはならない。」
成忠__百済時代末期において活躍した元学者である。この者は若き頃から聡明であり、知識が豊かだった。それ故、若き頃に海学問(百済の上級階級専門の学校)で入学1年で上学長(海学問の長、正7品)となった男だった。実は彼は倭国の母と百済の父を持っていた。そのため、倭国語(日本語)を喋れる彼が使臣として送られる事があった。百済には倭国との関係の派閥があり、蘇我入鹿派と中大兄皇子・中臣鎌足派がいたが、彼は中大兄皇子派であったため乙巳の変の後も倭国から優遇対象者として扱われた。また、年が離れていたとされるがケベクとも仲が良かったとの諸説がある。
655年に彼は義慈王の反感を買い、獄舎の中で餓死させられた。これにソンチュンの友人フンスも抗議し、流刑に処された。
終
- Re: 飛天舞~忠かれた王室~ ( No.10 )
- 日時: 2019/09/12 22:15
- 名前: 渾身2 (ID: Xr//JkA7)
第5話「羅唐連合の出征」
【新羅の王宮】
キム・ユシンは大きな怒鳴り声でチュンチュに言い聞かせる。
「大王殿下!唐は新羅を植民地にしようとしています!そのような国と共に百済に出兵して、勝利を収めても唐はその手柄を横取りするでしょう。」とユシン。
「ユシン大将軍。三韓一統を遂げるまで一時的に唐と手を組むだけだ。」とキム・ジンジュ。
「ユシン。分かった。余が断言しよう。新羅は唐の植民地には決してなる事はない。」と力強く言う。
西暦656年__反唐派と親唐派は和解を遂げる。その和解の意味でキム・ユシン将軍は武烈王キム・チュンチュの娘・チソ夫人と婚姻し、キム・ユシンは王室と親戚となった。当時キム・ユシンは61歳だったとされる。
4年後…酒色に染まった百済王・義慈王は次々と臣下らを粛清した。義慈王は''酒と女に溺れて遊ぶ暴君''と呼ばれるようになり、唐・新羅は出征の時期を早めた。
西暦660年3月
【唐・新羅の幕舎】
蘇定方はキム・ユシンに言う。
「そなた、手土産はないのか?私は詔を受けた大総管だ!」と怒鳴り声でユシンに。
「なんだ?そなたは新羅の大将軍に詔を口実に手土産を要求するのか?」
「貴様!こやつを直ちに斬るのだ!」と蘇定方がそういった時…
キム・インムンが止める。
キム・インムン…彼は後に実質 新羅の国王となる。彼は反唐派の実兄ボムミンと対立する武烈王チュンチュの次男だ。彼は幼い頃から唐に憧れており、父チュンチュと共に唐を目指し政治を行おうとしたらしい。彼は8世紀初期まで生きたらしい。660年、663年、668年に起こった新羅の戦争にはインムンが全て関わっていた__
当時7世紀中期の660年代は30代前半だった。漢字は金仁門と書く。
【百済の王宮】
酒を飲みながら、臣下の話を聞く義慈王。
「大王陛下。現在、羅唐軍が百済に侵攻しております。このままでは…」とボクシンが。
「それはボクシンに任せる。余は残りの治世は酒を楽しむのだ。戦乱など…人が死ぬのを見て何が楽しいのだ?」と義慈王が言うと…
ケベクが「戦乱は見るものではなく戦うものです。先代の武王大王陛下は決して部下たちだけに戦わせず、自ら戦場に向かわれたのです。これは常識でございます。また、現在18万の羅唐軍が都に迫っていると聞いた民は動揺しているため、自ら陛下が出兵し、民たちの心をお沈めになられてください。」と。
「何だと?大将軍ごときが一国の君主に命令するのか?」と怒った様子でケベクに言うと。
「今の陛下の様子ではとても君主の姿とは言えませんぞ?」とケベクが義慈王を睨みつける。
「よかろう。余が自ら出兵し、民の動揺を沈めてやろう。」と義慈王が言うと、そこにパク・スンがやって来る。
「大変です!大王陛下。羅唐軍が…莫山城を奪落させました…」とパク・スンが。
数十人いる臣下たちは驚いた顔をして、王宮から走って逃げていく。
「ど、どこへ行く!」と驚いた顔で言う。
西暦660年3月下旬、羅唐軍は百済の西部にあった莫山城を奪落させ、急速に百済へ侵入した。
【莫山城】
喜びの声を掲げる羅唐軍と深刻そうな顔をするユシン。そんなユシンの元へ蘇定方が。
「どうした?ユシン大将軍。何か心配事でも?」と蘇定方。
「いら、何でもない。侵攻を早くしよう。下手をすれば王宮から脱せられるやもしれない。」
「だがな、侵攻はゆっくりと進めればいいのだ。今日は宴会を開くゆえ宴会を楽しもう。」と蘇定方が言うと。
「誠にそなたは大総管だと言うのか?兵法を知らぬのか?それとも新羅と唐の兵法の習得の仕方が違うのか。このままここはまだ百済の端っこにしか過ぎぬ。百済の都はあと100里(40km)もあると言うに…今年中には都に入りたい。できるだけ早く行く。そう長くはしていられんからな。」とユシン。
蘇定方は拳を握る。「こんな出征は私が指揮をする側だと言うのに何と言う事だ。。。」
終