複雑・ファジー小説
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- 御魔の囁
- 日時: 2020/01/06 16:58
- 名前: エイ (ID: lBubOowT)
本能寺の変の後に光秀によって書き記された『明智想記』に描かれていた光秀と信長の歴史とは…
【あらすじ】
天正10年6月2日(1582年6月21日)天下の英雄織田信長《おだのぶなが》の忠臣明智光秀《あけちみつひで》が謀反を起こし本能寺で寝込みの最中であった信長は自害に追い込まれる。それから十数年前…明智光秀が仕える斎藤道三《さいとうどうさん》は息子の義龍《よしたつ》に反旗を覆され道三の娘婿の信長も援軍を送るが手遅れとなり道三は戦死した。その後朝倉義景《あさくらよしかげ》に10年使えるが朝倉義景に武術の腕が優れすぎており疎まれ''後に謀反を起こすでしょう''と朝倉家の奸臣に諫言され破門。1566年3月に武田義統《たけだえよしずみ》の下へ入門。その頃足利義輝が三好三人衆《みよしさんにんしゅう》に暗殺され足利義昭に出会う。__
下記将軍の年齢については1566年基準です
主人公・明智光秀《あけちみつひで》36〜39歳(日本史には年齢不詳記/推定1528年〜1582年)
黒髭を鼻下に生やした中年将軍、織田信長に幼き頃から憧れるが1582年に本能寺の変を起こした首謀者、鉄砲や鳥獣と得意とするが老化によりその腕も衰えつつある
準主人公・織田信長《おだのぶなが》33歳(1533年〜1582年)
全国を平定させ朝鮮を始め明国や米国、英国や露国まで全世界を征服しようとする野心家。明智光秀を寵愛する明智光秀の主君であり友人、剣法を得意とする日本一の将軍
準主人公・羽柴秀吉《はしばひでよし》29歳(1537年〜1598年)
織田信長の臣下、織田信長に寵愛される光秀に嫉妬を抱き光秀を次々と罠にはめる。時期朝廷職を約束される若き将軍。いつも懐に鋭い短刀を身につけている。
〜その他の人物〜
鹿奴《かや》22歳
明智光秀の配下 笠を常に被り黒き覆面で面を隠す武芸の達人 幼少時代光秀に助けられ朝倉家に共に使える。
斎藤山氏《さいとうやまうじ》27歳
斎藤義龍の末弟 羽柴秀吉の密臣【隠れた臣下 誰かに正体を隠す臣下】織田信長に長年追われる男 優れた武術を秀吉に魅入れられて永禄の政変の際、連れてこられる。
明智秀満《あけちひでみつ》30歳
光秀の従弟 いつも光秀の隣にいる心強い光秀の忠臣
【目次】
用語解説〔随時更新〕>>3
#1〈戦いの始まり〉>>1-4
登場人物>>3
No.1《全ての始まり》>>1
No.2《光秀と信長の出会い》>>2
No.3《謀反の報告》>>4
#2〈足利家と織田家の対立〉>>5-
No.4《両属家来》>>5
No.5《信長入京》>>6
No.6《対立始期》>>7
〈お知らせ〉
12月26日.誤字修正
- Re: 御魔の囁 ( No.4 )
- 日時: 2019/12/25 18:23
- 名前: エイ (ID: lBubOowT)
雨天の夜更け 三淵藤英《みつぶちふじひで》と細川藤孝《ほそかわふじたか》が義昭が幽閉される興福寺《こうふくじ》に忍び忍んで救出に参った。
義昭はその二人の人影に怯えて刀を手にした。松永久秀が自らを殺しに来たのではないかと怯えた。震え震えに立ち上がり刀を強く握りしめた時…
『義昭公。三淵藤英です。救出に参りました!』その声を聞き刀を落とし気を失う。それに驚き二人は義昭の龍身を背に背負い興福寺を脱出した。
その夜更けに予約していた船に気を失い目を覚さぬ義昭と共に乗り込んだ。
ー近江国 和田ー
日の出る翌日の早朝である。近江国の和田にある船停場に停まる義昭ら乗る船で気を失っていた義昭は目を覚ます__
ーー周辺を見渡していた__少し先の軍営には見覚えのある背姿がありその者は振り向く__黒髭を鼻下に生やし美濃斎藤氏との決闘の作戦会議を執り行う信長__織田信長の姿があった。私は信長を気に入った。一瞬で見惚れたのだ。彼を親公にしたいと私は思った__
親公…自らが従わせる者 別の言い方で配下 部下とも呼ぶ
永禄八年(一五六五)十二月 信長は義昭に正式に奉仕を誓った。その後、信長は一度帰った細川藤孝に上洛の願い届けを出して信長も尾張や駿府から兵を連れて上洛して参ると言い近江より尾張に向かった。上洛の理由はもちろん義昭の推薦擁立が理由だ。しかし美濃斎藤氏との対立で戦乱に発展する。
ー 稲葉山城の戦い ー
永禄十年(一五六七)信長軍との戦いに斎藤龍興《さいとうたつおき》は敗れ伊勢国長島に敗走した。結果としては信長軍が美濃を平定したのだ。しかし戦前に義昭の命令で斎藤氏と織田氏は和睦を結んだが結果的に信長が決起したに至る。この事に義昭は信長に不信感を抱くようになりここから不仲説が浮上したとされる。
No.3《謀反の報告》
世は既に義昭と信長の世に染まりつつあり光秀はどちらに所属せんか迷いに迷っていた。
光秀は両属にしようかも迷ったが斎藤氏の軍営に勝手に攻め込んでいった信長に義昭も不信感を抱いており仲違いの可能性もあった__だからと言い二人に従わない訳にもいかず人生最大の迷いどころである。しかし光秀は両属の意思を二人に伝えてあっさり両属したのだ。『義昭公はそこまで信長公に不信感を抱いていなかったのか?』そう心中、心考し二人に仕えた。
『謀反──今、謀反と申したのか?』
義栄宅の一室
足利義栄はそう尋ねると宇司信山上《うしのやまうえ》は首を縦に振った。
終
- Re: 御魔の囁 ( No.5 )
- 日時: 2019/12/25 20:05
- 名前: エイ (ID: lBubOowT)
前回までのあらすじ #1《戦いの始まり》No.1〜3 >>1-3
光秀は従兄弟の秀満を連れ足利義輝の元へ行くが義輝は暗殺され光秀らは義輝に紹介された義昭に仕えることに…そこで出会ったのは桶狭間の戦いで大勝した織田信長であった…
弓と矢を背負い砂上の地を密かに走る人影が映った。男達が立ったのは茶山《ちゃのやま》氏の屋敷前である。男は屋敷中におる兵《ひょう》らの様子を探り男達に手を上げて合図した。すると男達は静かに弓を構えて矢先を兵士らの胸に当てた。そして男は大声で男達に言った。
『放つのだ!!!』
茶山氏を包囲した百人余りの男らが一斉に茶山氏の兵らに矢を放った。気づいた茶山氏の兵らも刀を抜き回りを探った。しかし周りには誰もいない…決して兵らは油断せず刀を握り締めていた…するとその背後から短刀を握った男が兵の首を斬りつけた。しかし生憎茶山氏の族主は屋敷を出てしまったようだ。それに気づいた男らは屋敷を去った。
No.4《両属家来へ》
それから四刻の時が経ち謀反の知らせを聞いた足利義栄が数十名の護衛を背後に茶山氏の宅邸にやって参った。足利義栄はその際、自らが寵愛していた茶山真忠《ちゃのやままつただ》の屋敷が余りの惨状であった為真忠が死んだと勘違いした。また負けた際には戦国日本人は自害すると思われていた為死んだと誰もが思ったのだ。1571年戦乱が終息した際彼は生きて戻ってくるがその時には既に義栄は生涯を終えている。この謀反を起こしたのは織田信長であると知られているがその時は誰が犯人だか分かっていなかった。信長が謀反を起こした理由は未だ不明である。上洛の準備の為茶山氏を殺したと言う説が有力である。
正親町天皇《おおぎまちてんのう》の令外が信長に綸旨を下した。
『上総介《かずさのすけ》織田信長を皇室領回復の為丁子府右臣《ちょうしふうしん》に命ずる。』
信長はその一言に驚いた。それもそのはず無冠無位の信長が階級を波越えて行ったのだ。余りにも凄すぎる人事であった。
『せ、せ、せ、聖恩の限りでございます。天皇陛下。』永禄十年織田信長は急な人事で官位に就くこととなった。
織田信長は上洛を命じられそれを機に義昭の擁立も試みていた。
『おい、光秀殿。何をやっておるのだ!信長様に怒られてしまう…いや…丁子府右臣様だ。そなたは義昭公の配下であろう?何故ここにおるのだ?』
光秀は木下秀吉に怒られながらもそれを無視して信長の刀を磨いていた。信長はそれを遠くから眺める。
〈あの者は…確か義昭公の家来の者ではないか…何故私の刀を磨いているのだ?〉
信長は光秀の背後を近くから寄り肩を叩いた。光秀はそれに驚き背中から腰抜け倒れたのだ。信長は光秀のあまりの間抜けさにクスッと笑ってしまう。
その小さな笑い声に光秀が気付く目の前に立っていたのは織田信長。彼であった。すぐに信長に気付き立ち上がり手を腰に組んだ。
『右臣様。申し訳ございません。勝手に宅に上がらせて頂きました。』
信長は光秀を少々不審に思ったが訳も分からないままではいけない。信長は光秀に進んで尋ねた。
『光秀殿が何故儂の宅におるのじゃ?』
中々光秀も言いにくかったのであろう。数秒間を開けて口を開いた。
『義昭公の御命令であります。上洛の際、三人衆より抗戦を受けるでしょうから刀を確と磨いて来るよう申されました。』
光秀は信長を少々恐れて緊張でもしたのか…言葉が詰まって光秀は上手く話す事が出来なかった…信長はその様子を察していたながらも義昭の心遣いに感謝して笑い出して光秀に言った。
『ハッハッハ。義昭公が私の心配をして下さるとは。光栄でありますのう。光秀殿。義昭公にこう伝えなさい。
''私の心配をして下さるなら明智光秀を義昭公と私信長家の両属家来にして下さい。''と。』
光秀は信長のその言葉を聞いた瞬間驚いた。
明智光秀__彼は明智光綱《あけちみちつな》の子息として1528年3月(1526年説あり)に生まれたとされる。しかし1556年に長良川の戦いにより血縁の者らを全て失い朝倉義景《あさくらよしかげ》に武術に優れていた事を魅入られ十年世話になる。(朝倉義景に何らかの理由で破門されたという説が有力)朝倉義景と友好関係を築いていた足利義昭《あしかがよしあき》に出会い数年仕え1568年に足利義昭の家来となった織田信長《おだのぶなが》と足利義昭の両属家来になる。
終
- Re: 御魔の囁 ( No.6 )
- 日時: 2019/12/27 18:32
- 名前: エイ (ID: lBubOowT)
永禄十一年(一五六八)九月
『丁子府右臣織田信長が上洛するからには!次期将軍である足利義昭公を必ず将軍職に就けねばならぬ!』
織田信長は刀を上に掲げて刀を京の宮に向けた。
『信長将軍!万歳!万歳!万歳!万歳!万歳!万歳!万歳!万歳!』
万歳百唱が信長立つ京への渡し場で行われた。既に一万五千の兵が岐阜城を出立した。余りの大軍に松永久秀らも驚いたのだろうか。信長軍に参戦したのだ更にそこに徳川家康や浅井長政が加わり約二万の兵が九月八日に愛知川の北岸に進出した。更に九月十日には総兵力五万五千を超える大軍である。
『尾張の織田信長が京に攻め入って参るぞ!』
数日後…上洛戦の一番の山場であったと思われる六角氏《ろっかくし》との戦いで六角氏を薙ぎ払うかのように戦勝し京の民々らは尊卑を関係なくして更に騒然となる。
民々らは織田信長が今日の人々に乱暴狼藉を働き虐殺を図るのではないかという不安が京には広がっていた。
No.5《信長入京》
そしてそんな噂が今日に広がっている間信長軍は破竹の勢いで入京を果たしある居酒屋で信長と義昭は二人で酒を交わしていた。
『義昭公。どうぞご安心下さいませ。私が京に入京したからには必ず次期将軍の義昭を奉じ征夷大将軍に致しましょう。義昭公の御龍魂《ごりゅうこん、命》を狙う輩が私の目の前に現れましたら私の切り味のよい日本刀で討首してさしあげましょう。』
信長のやる気溢れる姿を見て義昭は微笑むかの表情で信長を見つめた。信長はこの時、足利義昭を本気で守ろうと躍起になっていたとされる。配下の者たちには
『警備を怠ってはならぬ』『奉じた御天下様を失えばその配下は終わりである』『御天下様を狙う輩を斬らねば終わりである。』
口を酸っぱくして配下の者たちには幾度となく言ってきたのだ。折角上洛しても主を失ってはとそう心配して来た。お蔭で軍律は確と守られ決して不祥事などが軍兵間である事はなかった。信長は義昭に尽くすだけ尽くしたが義昭は信長の評判や信長を慕う者達が大勢いる事に嫉妬を抱き後々疎むようになっていく。その結果信長の天下取りを邪魔する事になるのだ。
信長は五万を率いて入京するが決して京の民々が信長軍に虐殺されたり乱暴狼藉を働かれる事は無いに等しかった。民々はもちろん公家《くげ》らも信長が朝廷や都を害そうとする意思はない事を知り安堵の息を吐く。そして信長の噂もすぐに広がった。
『先代将軍の足利義輝様を殺害した三好三人衆《みよしさんにんしゅう》を倒す為に上洛したのだ。決して政覆《せいぷ、謀反や乱戦を行う事》を図った訳ではないのやも知れぬ。』
『大変だ!足利義昭様の家来様の明智光秀様が自ら財産を全て米に変えて街市場で配っているそうだぞ。行ってみよう。』
『足利義昭様の所では義昭様側に付けば1両貰えるそうだ。早く行くぞ!』
民心は信長入京後すぐに信長側に向き義栄や三好三人衆は窮地に陥った。
明の銅銭通貨である永楽通宝が描かれた旗印を背中に背負った織田軍が京を整然として足を前にしていた。そのうちの何千人かは火縄銃を手にしていた。この火縄銃の量とは…これを集めるにはどれほどの財が必要なのだろうか…
信長を見物にやって来た民々はいろんな事を呟いた。そして見物人の前に信長。自らが腰に刀を置き図太い眉毛、鼻下に長い黒髭、綺麗に纏めた丁髷、細い目をして口角を少し上げ笑みを見物人らに見せた。
特徴的なその顔彩に見物人も少し驚いたようだ。輿に乗る足利義昭の隣で馬を跨る明智光秀の端正な顔立ちに女の見物人らはキャーキャー言った。しかしこの時明智光秀も歳はそれなりのものであった。明智光秀はこの時丁度四十歳である。明智光秀とこの時初対面だった将軍村永外英《むらながそとひで》の娘は光秀を容姿端麗と申したとされる。(お世辞ではない)見物人らは光秀に見惚れて呟いていた見物人らは一斉に静まり返った。
終
- Re: 御魔の囁 ( No.7 )
- 日時: 2020/01/06 16:56
- 名前: エイ (ID: lBubOowT)
信長軍は滋賀の大津《おおつ》奈良の大和《やまと》京都の山城《やましろ、やまぎ》兵庫の摂津《せっつ》を順に平定し敵に回っていた岩成友通《いわなりともみち》を降伏させ三好の三勢《みろしのさんぜい》を京都から退けさせた。
永禄十一年(一五六八年)十月十八日
その後織田軍は足利義昭らと京に帰還し足利義昭は征夷大将軍の宣下を受けた。この乱事は''織田信長上洛''などと言われるが当時京の人々は信長が足利義昭を奉じ上洛してきたのではなく足利義昭が諸将らを率いて自ら上洛してきたのだと思い尾張や美濃を平定した実力者などと誰一人思わなかった。信長はこの時はまだ名が知れていなかった。信長は義昭からその後副将軍の地位を勧められるが断り何一つ恩恵を受けなかった…
『余の将軍就任を祝い宴会を開くぞ!信長公ら今回の功臣らを早く呼集せよ』義昭はそう言い出し各地にいる功臣らの元へ使者を遣わせ呼集した。光秀も立ち上がり信長の宿所である古津所《ふるつところ》に参上した。
『信長公。将軍様より信長公の呼集を命じられた為お迎えに上がりました。将軍様は将軍就任に尽力した信長公をもてなしたいという気持ちより宴を開かれました。どうか今回の宴にお上がり下さい。』
そう申す光秀に少々信長は渋い顔をした…
『三好勢は今は退いたがいつ京に再び進軍してくるか分からぬ宴をしているうちに数万の軍兵を集め進軍してくるやも知れぬのだ。''私は将軍様のお気持ちだけ受け取り三好勢を全滅させたら再びその将軍様の恩恵を受け取ります''…将軍様にはそう伝えなさい。』
『ですが………』
光秀はどうしても宴に来て欲しかったが信長の後ろに控えていた柴田勝家《しばたかついえ》や木下秀吉《きのしたひでよし》が強く睨んでくる為その二人の圧に押され光秀は下がって行った。
『申し訳ございません。信長公は三好勢の再進軍を心配し今回の宴会を遠慮なさいました。何回も信長公にいらっしゃるよう申したのですが、、、』
光秀は頭を下げ義昭に必死に謝った。
『大丈夫だ。そなたは下り宴会はお開きにせよ』
苛立ちを含んだ声音で光秀にそう伝達した…義昭は自らが将軍であるのに自分勝手な信長に少々苛立ちを感じる。
数日後…永禄十一年(一五六八年)十月二三日
『将軍様。以前、意味の分からぬ理由で宴会を欠席した織田信長を京都から追放して下さい。織田信長は将軍様の命令に背きました。このままでは将軍様の違う命令でも逆らいいずれは反発するようになるでしょう。』
将軍侍下《しょうぐんじげ》である横山命政《よこやまみょうぜい》は義昭に対して奸言した。信長は追放は免れたものの将軍就任第一等功臣の証である長師《おさ》の地位を失った。
『将軍様が私の地位を剥奪するなどあり得ぬことだ。宮のどこかに奸臣がいるに違いあるまい。』
信長は前々から心配になっていた。下々の者らに奉じられた将軍が''将軍地位に就いたのはだれのおかけだ''と奸臣に脅され悪い方向に向かわないか…その心配は見事的中したのだった…
十月二八日に信長は数千の兵を率いて巨大な横山命政の邸に攻め入る。
『我々が立てた将軍様だ!そんな将軍様を悪い方向に持っていく奸臣は武の力で倒さねばならぬ!この乱世…周辺を静謐となり平和にするには…武の力によって天の下に君臨しこの大日本を統治せねばならぬ!儂が統治すれば必ずしも周辺の武将も静謐となり平和が訪れるだろう!』
織田信長は横山命政を最初にし義明に奸言する臣下らを約百名倒したとされる織田信長は三好勢への警戒を緩めることなく勢を増力した。横山命政は足利義昭にも嫌われる程のずる賢い臣下であったとされる…
終
- Re: 御魔の囁 ( No.8 )
- 日時: 2020/04/29 18:01
- 名前: エイ (ID: lBubOowT)
何これ…銀賞取ってますやん( ・∇・)
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