複雑・ファジー小説
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- 千春の人生 過ち
- 日時: 2020/06/10 09:54
- 名前: ドリーム (ID: Oj0c8uMa)
春雷 千春の人生
千春は鎌倉で生まれ育った。両親は先祖代々から受け継いで来た秋沢酒造を営んでいる。千春は一人っ子だ。親とすれば後を継ぐ息子が欲しかっただろうがこればかりは仕方がない。父はいずれ婿を迎えるつもりのようだ。もちろん千春もそうなるだろうと覚悟はしている。だがそれは突然やって来た。縁談相手の親は鎌倉でも老舗の和菓子屋、赤城本舗の次男との縁談を進めていたが、千春はそんな話は寝耳に水だ。急すぎる。まだ十九歳だしずっと先の話と思いこんでいた。千春も年ごろ、好きな人が出来て当然。親は男と付き合うなとは言っていない。ただ結婚は親が決めるというのが口癖だった。
時は昭和三十二年(1957) 千春は大学に通っていたが、やがて好きな人が出来た。家の跡を繋ぐ宿命にあったが人を好きになる事は止めようがない。その男の名は朝倉幸太郎二十歳だった。交際して間もなく一年になる。千春はいつかそんな宿命にあるのだが幸太郎に言いそびれていた。出来るなら彼が婿に入ってくれる事を願う。幸太郎は平凡な家庭に生まれ育って真面目で純粋な男だ。そんな時に両親から合わせたい人がいるから一週間後に時間を空けて置くように言われた。
「お父さん、それってまさかお見合いじゃないでしょうね」
「そうだ。お前の縁談相手だ。お前もそろそろ結婚してもいい年頃だろう」
「まだ十九よ。まだ早すぎるわ。もっともっと社会勉強をしたいの」
「何を言っている。十九歳と云えば立派な大人だ。それに相手は老舗の和菓子屋、赤城本舗といったらこの辺では有名だろう。そこの次男だ。その人を婿に迎えて秋沢酒造を受け継ぐんだ」
「いやよ。私に一言も相談なしに話を進めていたの。別に後を継ぐのが嫌だと言ってるんじゃないの。結婚させるならまず私に相談するべきじゃないの」
「何を馬鹿の事を言って、娘の相手を決めるのは親だと昔から決まっている。我儘は許さん」
「そんなの横暴よ。もう封建主義の時代は終り民主主義の時代なのよ」
この頃はまだ親の意見は絶対だった。結婚も恋愛よりも見合い結婚が圧倒的に多かった。特に古くから受け継いで来た酒造屋は封建主義が根付いていて、そうやって代々守って来た。だが逆らう娘に思わず怒った父の一徹は千春を殴ってしまった。父としてもショックだっただろう。今まで親に対して反抗的な態度を取った事がない娘の抵抗につい殴ってしまった。一人娘として多少は甘やかされて育ったかも知れないが千春も殴られたのが初めてだった。千春は泣きながら家を飛び出して恋人の朝倉幸太郎の所へ逃げ込んだ。
「どうしんだい千春。眼が真っ赤だよ。何かあったの」
「聞いて幸太郎さん。父がね、いきなり縁談の話を持ち掛けて来たの」
「えっ? 縁談。そんな……」
幸太郎は驚いて次の言葉出てこない。人の良い幸太郎は。そんなの断ってとは言えなかった。
「ねぇ幸太郎さんどう思う。縁談の相手と会ってもいいの」
「そりゃあ嫌だよ。でも親の決めたことを断れるかい」
「もう私が聞いているのは幸太郎さんが私と結婚するつもりがあるの。私を連れて逃げる覚悟はあるの」
「そっそれは急に言われても。とにかくお父さんに謝って仲直りしたら」
「それってどういう意味なの。謝るということは縁談をしてもいいと認める事になるのよ」
「しかしなぁ親子喧嘩は良くないよ」
「私が聞いているのは幸太郎さん。私が本当に好きか嫌いか聞いているの」
「そりゃあ好きだ。だけど千春の親と喧嘩してまで付き合いないよ」
「それって私とは遊びだったの。私の両親の前で貴方が結婚させて下さいと言ってよ。それでも断られたら私を連れて逃げるべきでしょう。幸太郎さんは意気地がないだけよ。情けないそんな人だと思わなかった。それが本当の愛じゃないの。それが出来ないならもういい私達別れましょう」
千春はイエスかノーと迫ったが幸太郎は用事があるとその場を去って行った。こんな大事な話なのに他にどんな用事があるいうのか。幸太郎はお人よしで意気地なしだった。千春も愛想が尽きた。こんな人と連れ添ってもイザという時、また逃げ出しに決まっている。それでも一年も交際した相手、気持ちの整理が付かないまま桜の花びらが舞い降りて来る公園の脇を走った。そんなとき上空がピカッと光りドドッンと雷が鳴り響く。春雷だ雨が急に降ってくる。千春は泣きながら雨の中を走った。千春は真っ直ぐ家に帰れず親友の吉本咲子の家に向かった
「千春こんな時間にどうした。びしょ濡れになって。あれ……泣いているの」
「あのね咲子、聞いてくれる。ほら幸太郎さんって人知って居るでしょう」
「うん、もう付き合って一年ちょっとよね。将来結婚するんでしょう」
「私もそのつもりだった。だけど父が縁談の話を持って来たの。私は後継ぎだから仕方ないけど、いきなりだものね。それで幸太郎さんに私を連れて逃げてと問い詰めたの」
「うんうんそれで、まさかその人が逃げたの」
「そうなるかな、人は良いけど意気地がないのよ。情けない。でも良かった早く分かって」
「そう言えば気が弱そうな感じだったね」
「仕方ないわ。縁談の話、これで踏ん切りがついたわ」
そんな時だった。千春は急に気持ちが悪くなり吐きそうになった。
「千春どうしたの。何が食中りするような物を食べたの?」
「……」
「まっまさか千春、妊娠したんじゃないでしょうね」
「分らない。でもどうしょう。こんなじゃ親にも顔を合わせられない」
「もう何やってんのよ。じゃ幸太郎さんに責任取って貰わないと」
「無理よ。さっき別れたばかりだし、それにあんな男なんかもう二度と会いたくない」
「意地を張っている場合じゃないでしょう。これからどうするの」
「お願い、こうなったら咲子だけが頼りよ」
その二日後、隣町の産婦人科で調べて貰ったら三カ月目に入っていると分かった。間もなお腹が目立つようになるのは時間の問題だ。五日後に縁談の相手と会う事が決まっていたが、千春はもう家に居られない。また親にも妊娠しているなんて言えない。もし告白したらすぐ降ろせと言われる。その二日後、幸い親は親戚の家に用事で出掛けている。千春は自分の通帳と私物を出来るだけ持ち出し、親友の咲子に頼み車を手配して貰い、久里浜のフエリーターミナルまで来た。其処から東京湾を渡り千葉の富津に着いた。此処からさほど遠くない富山町に小さな温泉宿があり咲子の伯母さん夫婦が小さな旅館を経営しているらしい。咲子も一緒に来てくれて咲子の伯母さん夫婦を紹介してくれた。
「話は咲子から聞いたわ。酒蔵のお嬢さんだってね。いいの? お父さんお母さん心配しているわよ」
「はい分かっています。でももうどうにもならないんです。ですからこちらで働かせてください」
「まぁその辺の事情は咲子から聞いているわ。その身体で大変だろうけど働けるだけ働いて。でも大したお給金出せないわよ。それでいいなら」
「勿論です。置いて頂けるだけで感謝します。宜しくお願いします」
咲子が紹介してくれた伯母夫婦で営む宿の名は小端屋旅館、客室は七部屋ある。従業員は六十過ぎの板長と三十代の料理人の二人。運転手兼雑用係と他は仲居さん二人と経営者の女将、合わせて六人、女将の旦那は勤め人らしい。主な客層は温泉を楽しむ客より釣り人が多いらしい。 千春に与えられた部屋は旅館の離れにある倉庫を改造したものだ。此処には布団、座布団やお膳といった備品を納めてある。その一部を改装して五畳ほどの部屋が千春の部屋だ。咲子は頑張ってねと言って帰って行った。千春は深く頭を下げてお礼を言った。親友とはいえ本当に世話になった。だが咲子にきつく言われた。勝手に家出したのだから、
ほとぼりが冷めたら実家に連絡するようにと。分かってはいるが、まさか子供が出来たなんて言えない。一応置手紙は残してきたけど怒っているだろう。千春がしでかした出来事はあまりに大きい。
その頃、親戚の家から帰って来た両親は置手紙を読んで茫然としている。すると千春の母春子が。一徹に文句を言う。
「貴方が強引に事を進めるからよ。あの子だって子供じゃないのよ。有無を言わさず殴ったのは不味いわよ」
「……まさか家出するとは思っても見なかった。そうだ学校に連絡して見よう」
大学に電話を入れたが既に退学届けが出されていた。もはや何処に行ったか見当もつかない。母の春子はその場に泣き崩れた。だが父の一徹は心配を通り越して怒っている。
「まったく親不孝者め。あのくらいで何が不満なのだ」
千春は翌日から旅館で働いた。これまでアルバイトはしたことあるが本格的に働くのは初めてだ。これから同僚であり先輩の仲居二人は、最初は親切に教えてくれたが、要領が悪い千春に次第に厳しく当たるようなった。しかし何を言われようと我慢して働かないと行く所がない。
千春は旅館の近くにある産婦人科を訪れたのは妊娠四カ月目に入った頃だった。
「奥さん、おめでとうございます。双子ですよ」
「えっ? 双子。確かに目出度いけど二人も育てる自信ないわ。どうしょう」
「大丈夫ですよ。夫婦で力を合わせれば」
「それが……結婚していないんです。だから一人では厳しくて」
「ほうそんな事情が、それならご両親に協力を仰ぐとか」
「それも勘当同然に出て来たので頼めません」
「なんとまた。それなら役場に行って相談した方がいい。後で看護婦さんから資料貰って役場に行きなさい。育児支援という制度があるから」
それから暫くして朝倉幸太郎は千春の子供が出来た事を知らずに別な女と婚約したらしい。それを親友の咲子から知らされたが千春は動揺もなく祝福もしなかった。もう人の事を心配している余裕もない。大きなお腹を抱えて頑張ってはいるが仕事が遅いとか要領が悪いと先輩の仲居に辛く当られる日々だが父親に似て強気な性格の千春は文句ひとつ言わず働いた。いくら怒鳴られても嫌な顔ひとつせず先輩の苛めに近い仕打ちに耐えた。
働き始めて三か月が過ぎお腹も大きくなった。これではお客さんの前には出られない。女将もちろん承知で雇った。こうなるとは分かっている。裏方として風呂場の掃除など出来る仕事はなんとかこなした。給料もみんなと同じに働けないから半額の月八千円となった。食事と部屋代は支払わなくよいのが助かる。この頃の大学卒の初任給は二万三千円。都バス初乗り二十円。蕎麦五十円カレーライス百二十円だ。千春は現金で三万、通帳には三十万あった。父はから貰った小遣いやお年玉をせっせっと貯めていたのが今では助かる。大学に通いながら三十万もあるなんて親には感謝しなくてはならない。これでお産の費用はなんとかなるし何か合った時の為に出来るだけ使わないようにした。しかし子供が産まれてから大変だ。仕事を休んでいる間は無給。そして食事代と部屋代合わせて三千円支払わなければならない。お産してから一月後働く予定だが子供を見ながら働く事になる。それでも毎月お産前と同じく八千円貰える。
やがて千春は双子を産んだ。しかも男と女だ。祝福してくれたのは女将夫妻と咲子だけだったが自分が望んで産んだ子は可愛いい。別れた幸太郎には未練はないが、妊娠した時は迷わず産むと決めた。これが女の性と言うべきか母のなる本能がそうさせたのだろう。その娘に小春と息子は春樹と名付けた。だが双子の子育ては予想以上に大変だった。初めての母が二人を面倒見るのは並大抵ではない。産婦人科で聞いた育児支援を役場で相談した。生後三カ月目から預かってくれるという。ただではないが町の施設なので半額だ。千春は産休を三週間取って復帰した。その後は自費で赤ちゃんを世話する女将の知り合いのおばさんに預けて働いた。同僚で年配の仲居は相変わらずきつくあたったが負けて堪るかと必死に働いた。千春は母になって強くなった。母は強し、と言われるが千春も例外ではなくお嬢様育ちの千春も一皮むけた感じだ。
つづく
- Re: 千春の人生 千春の成長 ( No.1 )
- 日時: 2020/06/11 09:27
- 名前: ドリーム (ID: Oj0c8uMa)
平穏な旅館に事件が起きた。五十歳前後の夫婦が泊まった時のこと。夜の十一時過ぎ、仕事も一段落し板長と板前さんが帰って行った。そんな時に客室から仲居頭である芳江が呼ばれた。呼ばれた部屋に行って見ると財布が無くなったという。
「あんたがこの部屋の担当だろう。俺が風呂から帰って来たら財布が消えていたんだ。あんたが盗ったのか。それしか考えられん」
「そっそんな。お風呂に入る時は、貴重品は持って行くか受付に預ける事になっています。そうでないと私達はお客さんの部屋の掃除も布団も敷けなくなります」
「なんだと、客のせいにするつもり」
「しかしそれはお客さんの管理が……」
そんな事は知らず自分達も終りにしようとしたとき客室から怒鳴り声が聞こえて来た。更にガシャーンと激しい音が聞こえ女性の悲鳴が聞こえる。何事かと女将が問題の部屋に駆けつけると男が割れたビール瓶を持って暴れている。
「お客さんどうなさったのですか」と女将。
「あんた女将だろう、あんたどんな教育しているんだ。この仲居が俺の財布を盗ったんだ」
「わっわたしそんな事をしていません」
「ふざけるなぁ警察を呼べ。突き出してやる」
「旦那さん落ち着いてそのビール瓶を下ろしてください。それからお話を伺いましょう」
「五月蠅い! お前もグルか。とんでもない旅館に来たもんだ」
帰りかけた千春が慌てて部屋に向かった。鬼の形相で男がビール瓶を持って仁王立ちしている。その側で芳江が震えていた。そこに千春が割って入った。
「なんだオメイは、もしかしてお前が犯人か」
「ハァ? なんの事ですか。盗ったとか犯人とか。こんな夜中に他のお客さんに迷惑です。理由は私が聞きますから。部屋から出て下さい」
「なに客に喧嘩売ってんのか。とんでもないアマだぜ」
「お客さん。仲居が盗ったとか聞こえましたが証拠があって言っているのですか。ないなら旅館の信用にも関わる問題です。ハッキリさせましょう。いくらお客様とは言え人権に関わる問題です。盗人呼ばわりされた仲居にも立派な人権はあります。いいですね。これだけ騒いでおいて有りましたでは収まりませんよ。もし出て来たら名誉棄損、営業妨害及び著しく旅館の信用を失わせた損害賠償を請求しますから宜しいですね」
客は名誉棄損、営業妨害とか損害賠償と聞き急におとなしくなりビール瓶を置き椅子に座った。
「まぁ俺も頭に血が上って泥棒呼ばわりしたのは悪い、だがない物はないんだ」
「処で奥様はどうなさいました」
「あいつか風呂に言って居る。女ってっのは長いからなぁ」
「では奥さんがお財布持っていたとか考えられましたか?」
「なに? あいつそんな気遣いのいい女ではない」
タイミングが良いっていうか、其処に奥方が帰って来た。
「あぁいいお風呂だったわ……あら大勢集まって何かあったのですか」
すると旦那が慌てて妻に言った。
「お! お前まさか俺の財布を持って行ったのか」
「ええそうよ。だって誰も居ない部屋に貴重品置くのって、なんか嫌でしょう」
旦那は真っ青になった。もはや言い逃れは出来ない。大暴れし盗人呼ばわりしてごめんなさい、では許されない。最後の手段は土下座して謝るしかなかった。旦那が椅子から降りて土下座しようとしたら千春が止めた。
「お客さんお止め下さい。問題が解決して何よりです。私もタンカを切って御免なさい。ただお客様に冷静になって欲しかっただけなんです。もう今日の事は忘れましょう。ではお休みさない。では女将さん私達も失礼しましょうか」
奥方は何があったのか分からずポカーンとしていた。
「ああ驚いた、どうなるかと思ったわ。それにしても千春ちゃん大した度胸ね」
「いいえ父に鍛えられましたから」
すると芳江が膝から崩れて大きな溜め息をついた。
「怖かったぁ殺されるかと思った。しかし千春は凄いね。あのタンカの切り方。損害賠償とか言ったらお客さん急おとなくなるんだもの。しかも部屋を出ろって。お客さんに喧嘩を売っているみたいだった」
「千春ちゃん何処でそんな度胸を付けたの。理詰めに追い込んで置いて大人しくさせた後、財布の行方が分かり青ざめたお客様を責めもせず、最後の収め方も見事だったわ。謝る前にサッサッと引き上げる手際良さは見事よ」
「誰でも財布がないと思った途端に冷静さを失うものです。旅館の支払い、この先の旅の予定も立たなくなるし、頭に血がのぼったのでしょう。そこに芳江さんが担当だったら真っ先に疑ったでしょう。冷静になれば分かる事なのに」
千春の取った行動は今で言う神対応に等しい。客も冷や汗だけで済んだ。そんな事件があった後、先輩仲居も千春を認めるようになった。そして急に優しくなった。
双子はたいした病気もせずにすくすくと育った。小春と春樹が四歳くらいになると旅館の掃除やお客さんの靴磨きをして女将にお利口ねと、お菓子や洋服を買ってくれる事もあった。女将夫婦には子供が居ないから孫のように可愛がってくれる。
やがて月日は流れ小春と春樹は六歳なり今年の春、小学校に入学する予定だ。
「小春、春樹もうすぐ小学校に入るんだね。ごめんね、お金が無くて幼稚園に入れてやれず」
「いいのアタシなんとも思っていない。でも入学式にはお母さんしか来られないのよね」
「それってお父さんも居て欲しかったの」
「でも仕方ないよね。死んじゃったんだから」
「……ううん。お母さんだけでごめんね」
「お母さん、いつもごめんねと言うのは止めてよ。僕もお母さんの苦労は分っているから」
二人共も母親思いの良い子のようだ。千春にとっても親を気遣う子供は可愛い。本当に良く育ってくれたようだ。千晴の苦労も報われるというもの。
先輩にあたる仲井の二人は一年前に辞めて今は新しい仲居がふたり入り千春は仲居頭として頑張っている。
昭和三十九年(1964)まもなく双子が入学すると知り、親友の咲子が久し振りに互いの子供達を連れて会おうと手紙が来た。その親友の咲子は五年前に結婚して一男一女をもうけた。千春も咲子も子育てに忙しく最近は疎遠になっているが千春にとって咲子は恩人である。確か子供は三歳と四歳になって居るはず。子供を連れて七年ぶりかに東京に出る。千春は心が踊った。小春と春樹はテレビを見て数年前に完成した東京タワーを見たいと何度も言っていた。咲子とその東京タワーの展望台で会う事に決めた。千春にとって子供を育てから初めての贅沢な一日となりそうだ。現在は廃止されているが木更津—川崎間のフエェリーがあった。三人はそのフェリーに乗り東京湾に出た。子供達は船に乗るのも海に出るのも初めてで大喜びしている。千春はそんな二人を見て思えば何もして上げられなかった。こんな母でごめんねと心で詫びた。今は元気だけと高熱を出したり怪我をしたりと、苦労がなかった訳ではない。それだけにこうして元気で入学を迎えるのは本当に嬉しかった。
やっと苦労が報われた頃、ふっと両親の事を考えた。あれから一度も連絡していない。厳格な父だから怖くて連絡も出来なかった事は確かだが、今になって自分も親となって分る事がある。もし小春が私と同じことをしたら千春はおそらく発狂したかも知れない。六年ぶりに千春は両親に手紙を書いた。ただ住所は知らせなかった。風の頼りでは今でも酒造業は続けているらしいが細かい事は知らない。
「あなた! あなた千春から手紙よ。元気なのかしら一体どこで何をしているのよ。でも手紙が来たと云う事は生きて居るのね。それだけでも良かった」
「なんだって千春から手紙。あの親不孝者め。今更なんだっていうのだ。まさか金が底を突
き助けを求めて来たのか。だが遅い! 勘当覚悟で出ていったのだから俺は知らん」
「なんでそんな意地悪な事を言うのよ。強がり言ってもたった一人の娘よ。もっとあの子の気持ちを考えてやるべきだったのでは」
「もういい。とにかく手紙を読んで見ろ。親不孝でもたった一人の娘に違いない」
『あれから役七年の月日が流れましたね。勝手に出て行った私を許してとはい言いません。お父さんもお母さんも息災でおりますか。今だから本当の事を申します。私には当時好きな人がいました。そんな時に縁談の話が持ち上がり私はどうして良いか分からなくなりました。勿論家の跡を継ぐ事は分っていました。でも好きになった人と別れる事が出来ませんでした。そしてその好きな人に私を連れて逃げる勇気があるかと問いました。もちろんと言ってくれると思いました。だがその人は優しく良い人ですが気が弱い所があり結局は私から逃げてしまいしまた。もう私も諦め、お父さんの言う通り縁談の話を引き受けようとした時、妊娠している事が分かったのです。ふしだらな女で申し訳ありません。でも気が付いたら妊娠三ヶ月になっておりました。でも別れた人は知りませんし言う気もありません。こんな事をした私をお父さんが許してくれる訳がない。更に世間の笑い者になるでしょう。仕方なく友人の力を借りて温泉旅館に仲居さんとして働かせもらい、そこで子供を産みました。いまやっと親の気持ちが分かる気がします。驚くでしょうが双子だったので本当に大変でした。今年の春に小学校に入学する予定です。娘の名を小春、息子は春樹と名付けました。私のせいで父親の居ない子ですが、とても良い子に育ちました。そうお父さんお母さんにとっては孫ですよね。出来るなら孫を見せたいのですが、こんな親不孝の産んだ子は見たくありませんよね。私は元気です。親不孝者です陰からお二人の幸せを祈っております』
「あっ貴方! 双子だってよ。しかも男と女」
双子が生まれたと知り千春の母、春子が号泣した。親にも言えない事情があったとは。過ちを犯した千春だけを責めるのはおかしい。親にも相談出来ない状況に追い込んだ親も悪い。春子は一徹をキッと睨んだ。
「貴方が厳し過ぎるのよ。たから千春は本当の事を言えなかったのよ」
「馬鹿な、ふしだら事をした娘をどう許せと言うんだ」
「それが厳格過ぎると言うのよ。もっと娘の気持ちを尊重してやれば相談してくれたはずよ。そうすればこんな事にならなかったのに」
「それにしても相手の男はなんて野郎だ。見つけて半殺しにしてやろうか」
「今更なにを言っているのよ。その相手の人も子供が出来た事を知らないのよ。もし知って俺の子だからなんて言ったら大変よ。そんな知らない男に孫を渡せますか」
春子は手紙が届いてから居ても立ってもいられない様子だ。一徹も落ち着かない。怒りと安堵と入り混じって複雑だ。だが双子の孫が居ると知ってどうしようか迷っている。
こんな時に打算的だが一徹は孫が跡を継いでくれるとふっと思った。
「貴方、この手紙を見て住所は書いてないけど切手の所にある消印に木更津とあるわ」
「なんだって千春は千葉に渡っていたのか。俺達は横浜や湘南などを中心に探したのに、まさか千葉に住んでしたとは。考えてみればフェリーを使えば千葉へ簡単に渡れた。盲点を突かれたな。よしじゃあ木更津に行って見よう」
「えっ勘当だといつも言ってたじゃない」
「そりゃあ従業員の手前、そう言わないと示しが付かないだろう」
そして千春と小春、春樹は憧れの東京タワーに登った。展望台から見る東京の景色は沢山の建物や大きなビルが出来て戦後の焼け野原のような景色と一変し驚きと感動を覚えた。子供達は大喜びしている。其処に咲子と咲子の子供二人がやって来た。久し振りの再会である。二人は顔が合った瞬間抱き合って喜んだ。子供達はビックリしている。
「千春、久し振り元気そうで何より」
「咲子、貴女も元気そうで。あらぁ可愛いわね。二人とも咲子に良く似ているわ。あれ? 旦那様は一緒じゃないの」
「うん、仕事が忙しくて。それに小春ちゃんと春樹くんに気を使って楽しんでおいでと送り出しくれたの」
「別に気を使わなくてもいいのに。それにしても優しい旦那さんね」
東京タワーで楽しんだあと、お昼ご飯を六人で食べた。子供達はお子様ランチだ。乗物の器には日の丸の旗が立って居た。ハンバークとオムライスのセット。子供達は大喜びしている。そして小春と春樹は咲子の子供とすぐ仲良くなった。それを見て咲子は。
「この子達も大きくなって私達と同じく親友になれたら最高だね」
「本当ね、私もそうなって欲しい。そして咲子とは互いに白髪になっても行き来したいわね」
千春にとっても子供達にとっても忘れられない最良の日となった。また再会を約束して別れた。
それから数日後、千春の両親は木更津に渡った。今のところ分かるのは木更津周辺の旅館と言うことだけだ。二人は木更津周辺の旅館を調べたが多すぎて見当もつかない。まず木更津市役所に行き秋沢千春、二十七歳は住んでいるか調べて貰った。この当時は個人情報保護法という法律はなく、親の証明出来れば調べて貰えた。だが木更津市内に住んでいないと分かる。近隣の富津町を調べてみたらどうでしょう、あの辺は海辺に沢山の旅館があるからと勧められた。二人は富津に足を延ばした。役場でまた調べて貰った。
「お待たせしました。秋沢千春さんですね。一人該当者がおりますね、この住所からすると小端屋旅館になりますが。こちらにお勤めでしょうかね」
「旅館に勤めていると聞きましたから、間違いないと思います。助かりました有難う御座います」
二人は住所と地図を書いてもらってやっと目的の場所に辿り着いた。
旅館を前にして緊張している。約六年ぶり、いや間もなく七年近くか本当に久し振りの再会だ。親から見ればまだ子供で頼りない娘が今や二人の母になっている。嬉しさもあるが心配もある。会いたくないと言われるかも知れない。
「とにかく今日は此処に泊まろう」
「じゃあ最初に私が入るわ。私なら会ってくれるはずよ」
「まぁそれがいいか」
最初に春子が予約してないけど泊めて欲しいと申し込んだ。
「いらっしゃいませ。はい空いていますよ。おひとり様ですか」
「いいえ二人ですが連れは少し遅れて決ますので」
受け付けたのは千春の後輩の若い仲居だった。春子はドキドキして居る。バッタリ千春と鉢合わせになるのも気まずい。この若い仲居さんに聞こうか。それとも女将さんに先に会うべか迷った。取り敢えず仲居に案内されて部屋に入った。東京湾が一望出来る眺めの良い部屋だ。
「あの〜こちらの女将さんは」
「はい女将は間もなくご挨拶に来ると思います。小さな旅館ですが女将が挨拶するのがしきたりになっております」
「そうですか、それは丁度良かった」
暫くすると六十過ぎの女将がやって来た」
「ようこそ、いらっしゃいませ。何もない所ですが温泉と料理は自慢出来ますよ」
「あの〜単刀直入に申し上げますが、こちらに秋沢千春がお世話になっているでしょうか」
いきなり言われて女将は絶句した。ついに来る時が来たかと覚悟した。
「……あの〜もしかして千春ちゃんのお母さん?」
「はいそうです。やはりこちらにお世話になっていたんですか、娘が大変お世話になって」
すると女将さん床に頭を擦りつけ謝った。
「こちらこそ申し訳ありません。本来ならすぐ知らせるべきでしたが千春ちゃんはそれだけは止めて下さいと哀願するもので。たぶん親御さんに知らせたら、まだ何処かに行ってしまう気がして。私の姪の紹介なんです。咲子といいまして学生時代からの親友だそうで。身ごもっているからお願いと頼まれましてね」
「とんでもない。そんな娘を雇って頂き感謝しています」
「そう仰って頂くと肩の荷が降りた感じです。今では千春ちゃんが料理を除き旅館を切り盛りしているほどで助かっていますよ」
「いいえ女将さんの指導の賜物でしょう」
「今日は泊まり客も少なく千春ちゃんにはご両親と心行くまで話し合って下さい。……あの今日はお一人で?」
「いいえ、亭主は表に待たせています。なにせ千春は父が怖くて逃げるんじゃないかと」
「それはないでしょう。千春ちゃんはもう立派な大人であり二人の母親ですよ。あっまだお孫さんに会ってないんですね。では私、千春ちゃんが驚かないよう話してから来させましょう」
つづく
(尚、この小説は3話完結の2話目です)
まだ使い方が分からずこの2話をシリアス・ダーク小説に掲載してしまいました。
改めてこちらに掲載します。申し訳ありません。
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