複雑・ファジー小説

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夜行性エクソシズム
日時: 2020/08/31 00:39
名前: cross (ID: hgzyUMgo)


 人が燃え尽きるまでは、思っているよりも長いものだ。近しい人物との別れの儀、花いっぱいに囲まれた姉と別れを告げて、少年はそんなことを考えた。数日前まで命に満ちあふれていた笑顔が、別れるその瞬間も幸せそうにしていた笑顔が、今でも瞼の裏から離れない。長い悪夢に閉じ込められているだけで、本当は彼女は死んではいないのではないか、そんな希望的観測をしてしまう。

 だから、ぐっすりと寝こけている自分の身体が覚醒し、姉が生きている現実に戻るその時をじっと待つ。目が覚めて、重い体に鞭打ちながら朝日を浴びていると、背後からその声がするはずだと信じて。

 告別式にはまるで現実感がなかった。父と、母と、祖父母とがひっきりなしに泣きじゃくり、動き回り、そしていつの間にか覚悟をして、受け容れていた。それがどうにも自分とは無関係のことのように思えた。


「だって、姉さんがいなくなったんだよ。そんな、そんなすぐに立ち直れるはずないじゃんか」


 誰しもに愛されていた。級友、先輩、後輩、肉親、教師、近所づきあい、行きつけの商店街。彼女を嫌いだという人は、見事なまでに一人もいなかった。多分、もし居たとしても今更言えないのではないかと本人は分析していた。世間が認めているものを批判する行動には、自分がその後批判されるリスクを伴うから、と。

 ただ、それは謙遜でしかなかった。本当に、彼女は万人に愛されていた。かつて虐められていた事実など初めから存在しなかったように、相模 楓(さがみ かえで)は誰からも愛されていた。




————————なぜなら、「そういう契約だった」のだから。




 少年は信じていた。姉さんは死んでなどいないと。

 少年は信じていた。本当にこれでお別れだと言うなら、二度と会うことができないなら、同じように誰もが泣いて、塞ぎ込んで、悲しみの淵で溺れているに違いないと。

 こんな風に、粛々と、あるいは淡々とその死を受け入れるだなんて、あっていいはずがないのに。

 万人に愛されていたはずの彼女、相模 楓の告別式は身内だけで小さく済ませられた。訪れる友人は一人も居なかった。あんなにも、楓と仲良くしていたというのに、ただの一人も線香をあげにこようともしなかったのだ。

 肉も臓腑も全て滅されて、骨組みだけになってしまった彼女と少年は面会した。理科室の骨格標本とよく似ているなと、見当違いな感想が、彼の現実逃避の象徴だった。


「何だ、やっぱり姉さんじゃないよ」


 こんな骨組みが、姉さんな訳が無い。こんな白っぽくて、温かみも柔らかさもまるでない、スカスカの棒きれの集まりが、自分の好きだった姉さんのはずがない。

 そう思わないとやっていけなかった。眼窩の闇に意識も思考も飲み込まれて、都合の悪い真実を否定しようとしている。見つめ返してくれる瞳がないから、それは人ではないと思おうとしている。

 悲しいかな、少年はもうとっくに気が付いていた。認めようとしないその態度こそが、現実を受け入れたくないという己の行為の裏付けとなっていた。

 姉は死んで、燃やされて、朽ちて、骨となった。原因不明の突然死で、帰らぬ人となってしまったのだ。

 外傷はない。刺し傷や打撲痕どころか、擦り傷さえもなかった。病歴もなければアレルギーもない。服毒した訳でもなければ有害なガスを吸った訳でもなかった。ただ、唐突に心臓が機能を停止した。唐突に、彼女は意識を失った。


 まるで、悪魔に魂を抜かれてしまったかのように。


 ロリポップみたいな甘ったるい幻想が、一気に打ち砕かれる。「なぜ自分は悲しんでいるのか」「どうして必死に認めようとしないのか」「自分の決めた幻想に閉じ込められているのは果たして誰なのか」、それを理解すると同時に、自我が壊れてしまいそうになる。

 張り詰めた緊張の糸で保っていた、ギリギリの理性が崩れていく。満ち潮の波に攫われる砂の城みたいに、何とか持ちこたえていた希望と冷静な理性が潰えようとする刹那のことだった。

 キャンディが砕ける音がした。

 それは、今届いたものではない。耳の奥に残っていたもの、こだましていたもの。茫然とする少年の目の前に現れた、一人の少女の言葉。吐き出す吐息はミントの匂いがした。ハッカ、そう名乗っていたような記憶がある。

 姉さんが不意に倒れるようにして息を引き取ったと知り、その後三日三晩、現場で立ち竦む彼に声をかけた少女。その人は、近所の女子高の制服を身にまとっていた。


「ねえ君、悪魔っていると思う?」


 新しいキャンディの包装を破りながら、見ず知らずのその女は少年、相模 大河に声をかけたのだった。

 なぜ、声をかけられたその時でさえ生返事しかできなかったのに、今になってその存在をはっきりと知覚したのだろうか。どうして今になって、その問いかけが頭の中でぐるぐるとめぐりだしたのだろうか。

 だが、それを考えるのは一先ず後回しでいいだろう。彼はようやく認識したのだ。間違いなく、これは現実で、姉である楓は亡くなったのだと。だから、まだ答えられなくても構わない。喪失と別離に溺れるように、感情が赴くままの慟哭がやむ気配はなかった。


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