複雑・ファジー小説

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花誘う
日時: 2023/06/20 17:26
名前: 清夏風 (ID: b9FZOMBf)

首を切られて死ぬとはいかほどなものだろうか。
痛くて苦しいのであれば、それは残された者の心に比例するものであろうか。
師は、私と同じ苦しみを味わったのであろうか。

久しぶりに夢を見た。
既に日が昇りつつあり、窓からは光が差し込んでいる。時計を見ると6時過ぎ。2時間ほどは眠れたな、と軽く笑うと突っ伏すようにして寝ていた机から顔を上げた。
明治維新後に内務省なる役場に配属され、政府高官への道も歩みつつあったが、その内情は恐ろしいほどの多忙で、家に帰れない程だった。
しかたないよな、と思う。大きな仕事は大久保さんがしてくれているがその分小さな仕事が全て私に回ってくるような感覚だ。実際そうなのか?
かの有名な西郷隆盛が下野し、機嫌が若干悪くなった我が上司は結構無理強いをしてくる。
いや、私が長州出身だからか?
まあ、どうでもいい。この数カ月ほど家に帰れず2時間睡眠で通しているからか体が怠い。
すっかり固くなってしまった体を軽く伸ばし、今日の予定を確認する。
…大久保さんが来るのか…。
私はそっと溜息を零した。

「少し瘦せたのでは?」
開口一番其れか、ともお前の所為だよ、とも思いながら「最近は仕事に追われておりまして」と微笑んで見せた。ここで「休みをどうぞ」と言わずに「頑張ってください」なのがこの鬼上司だ。
その横につき従っているのがかつての同志伊藤俊輔、改め伊藤博文だ。
お前は気楽だな、とか女遊びもたいがいにしろよとか言いたいことはたくさんあったが飲み込んで
「何か御用で?」と本題へ切り込んだ。

仕事が増えた。
いつ帰ってゆっくり眠れるのだろう。
あの人でなしが…。でも、この多忙が私の感傷に浸る時間を消してくれるおかげで、生きている。


ズキズキと痛む心の傷を時はいやしてなんて呉れない。
復讐なんて目的にしたら後が虚しいだけなのにそれを望むことでしか己を保てない自分もいた。
師は今の私を見たら何を仰るのだろうか。

身を殺し、体を殺し、心を殺しこなしてきた仕事は終わりが来た。いや、厳密にいえば一段落した。
3日間の休みが出た。
今日はその前日にあたるのだが。私の心は全くと言っていいほど晴れなかった。
おそらく1日なら喜んで寝ただろうが…。
此処までたまった疲れだ、丸一日なら眠れる。だが。
…残り二日は?師が亡くなってから眠るたびに悪夢が襲う。
そして飛び起き、罪悪感と無力感と恐怖と寂しさに苛まれながら長い長い夜を過ごす。
昼は昼で鬱状態。…これなら仕事でいいですよ大久保さん。
私が求めているのはこういう極端なのじゃなくて毎日適度に仕事が有って一日5時間睡眠です。
そう嘆こうとも決まってしまった休みは仕方ない、と腹をくくり如何恐怖や寂しさを紛らわせるかに思考を巡らせた。

「だからいいんだって」「しっちょる」
「なわけあるか!」「聞多…」「井上…」
騒ぐの大好き長州人はほぼ毎日どこかで騒いでいる。其処に飛び込めば、と思い立った。幸い倒幕運動には積極的に参加していたのも有って仲間には事欠かない。
悪酔いした何人かが井上馨に絡んでいるのを横目に酒をあおった。
「呑んでるな」
「俊輔か、今日は芸者さん侍らしてないな」
「俺のイメージそんななの?酷いな」
軽口をたたきながら横に勝手に座ってくる。彼はそういうやつだ。よく言えば人たらし、悪く言えば八方美人。
小柄な体躯に柔らかなたれ目、茶色の癖毛。自分の衣食住には無関心という噂は本当らしく着物は乱れている。
「ま、お前は逆にもっと女に手を出せばいいだろ、甲斐性なしか?」
「…あまり興味がない、というか…何というか…」
言葉を濁し、話を切り替えろ、と暗に云う。
「松下村塾の頃からだもんな、先生に恋してただろ、絶対」
「…かもな」
其れが恋だったのか、唯の憧憬だったのか今となってはもう分からないが。
思わず過去を思い出してしまい、思い出さないためにここに来たんじゃないのか、と打ち消す。
伊藤がボソッと呟いた言葉を聞き逃してしまい、慌てて聞く。
「ん?なんか言った?」
「…いや、何も。女遊びしないのは先生への貞操を守っているの?」
「其れはちょっと複雑な事情があるからだけど」
先生の事を思い出すだけで辛いから、と続けて言った。忘れさせろ、と。
「忘れたいのか?」
「…いや、振り切りたいというか、過去から決別したいというか、それこそ俊輔の言葉を借りるなら初恋引きずってるみたいな状態だしな、うん」
それに、私は重大な秘め事をしているから。踏み込まないで、と心が叫んだ。

家に伊藤が上がり込んできた。
「今日は寝たいんだが」
久しぶりに家に帰ったのに此奴もかよ、と思いつつ、布団をもう一組用意した。
「溜まってない?」
「仕事が?」
「そっちじゃなくて」
意味を理解すると思わず半目になった。
「お前とは違うんだ万年発情期」
「一度もそういうことしてないだろ」
「余計なお世話だ」
一体何なんだお前は。人の家に上がり込んだ挙句これ。
「俺とやる?」
…。理解に苦しむわ。
「お前は男とやる趣味だったのか?」
その嫌味を無視し、近付いてきた伊藤は私の唇に無理矢理自分の唇を重ねた。
そして口の中に舌が侵入し口内を蹂躙する。息が吸えなくて苦しくて、思い切り相手の胸板を叩いた。「ちょっと待て」
息も絶え絶えに問い詰める。
「何をするんだ」
「何ってやるんだよ」
「馬鹿かお前」
「馬鹿なのはお前だよ。いちいち理由なんて聞かないでよ。この気持ちに対応する言葉なんて存在しないんだ。先生に恋しているお前に腹立たしかったり、お前が思いを寄せる先生に嫉妬したり、先生の事想ってるお前の顔は綺麗だったし、愛してるし、俺だけを見てほしい。幸せになってほしいし、かと言って他人の手で、とかだったら殺したくなる」
伊藤はそのまま私の襟に手を掛けた。
「待て!盛ってるところ悪いんだが」
伊藤は一瞬止まった。
「実は私は女だ」
この25年間くらいは、ずっと男装していたんだ、と吐き捨てた。

閨に吐息と喘ぎが響く。
伊藤は止まらなかった。私は止めなかった。
どうせ寂しかったんだ。淋しかったんだ。肌恋しかったんだ。一人は怖かったんだ。
それに。
先生は帰ってこないんだ。もう私の頭を撫でることもない。
性別を隠して通学して、恋も隠して、疲れていても、先生にとって私は一塾生だった。
「しゅん、すけ、おちつけって」
溜息のように息を吐く。
「先生なんて見ないで。約束しろよ」
見たくて見たわけじゃない。恋はするものじゃなくて落ちるものなんだって。でもさ俊輔、
そんなこと言うくらいなら。
「っ、ちょっと、ん」
俊輔の顔を見て言う。
「じゃあ、私を助けて。離さないで。もう一人は厭なんだ」

微かに動きだした街の音に目を開く。隣には俊輔。
此奴は奥さんがいたんじゃないのかって思うけど、そんなのは今さらだろう。
「俊輔、起きてくれ」
「ん?」
「抱きしめてくれるか」
寝惚けたまま私の体を抱きしめる。
「…これからも性別は隠すよ。仕事はしていたい」
「俺もお前が女って他の奴に知られたくないしいいよ」
「…先生は私を特別視してはくれなかった」
「俺がする」
「でも、先生が亡くなった時、私は一気に落とされた」
「…一緒に落ちよう」
「私の其れは恋じゃなかったんだ、一種の憧憬、崇拝、尊敬。でも人の感情なんて其処に差はあまりない」
だから錯覚したんだ。あの人の事が好きだったと。
「私は先生に別の意味で依存していたんだな、稔麿とかと一緒だよきっと」
だから、復讐を考えた。
「復讐は終われば虚しい」
「そうだな」
「なあ俊輔、私はもう私を生きても良いのだろうか?」
もう、師へのこの想いは捨てるべきだ。死者は蘇らない。あの人にはもう、会えない。
「お前の人生、俺に頂戴」
「え?」
「お前が精一杯生きて、輝いた人生を俺に頂戴。俺の人生も君にあげる」
「なあ」
「なに」
「お前は」
私の事が好きなのか?なんて聞けなかった。
優しく唇を塞がれる。
「好きなんだよ」




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