複雑・ファジー小説

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$!K0 サイコ ーSの数ヶ月ー
日時: 2024/07/19 19:38
名前: 雛 ◆m1dpQPcDQ2 (ID: wNoYLNMT)

『もし機械が人の心を持ったら、機械の反乱が起きたら、この世界はどうなるだろうか?』

 よく話題に出されていたその想像は、遥か昔に消滅した。

 この頃の流行は

『人間である必要性は、機械である必要性は、あるのだろうか』

 という嘆きの一句である。

 機械たちは人間とほぼ同じ身体を持ち、独自の自己発展を経て参加を果たし、自我と感情を手に入れてしまった。

 しかし機械たちは感情に苦しむようになり、人間の機能を脱離する願望を持つようになった。
 彼らのために感覚機能を停止させる薬剤、$!K0 ーサイコーが開発される。

 それは機械を救う救世主となったのだが

 同時に人間を破滅させる劇物となった。

 人間がサイコを飲み、バケモノと化すようになってしまったのである。

ーー

 お久しぶりです。

 書き終わりそうなのでちょっと投稿してみます……〆(・ω・o)カキカキ

Re: $!K0 サイコ ーSの数ヶ月ー ( No.1 )
日時: 2024/07/19 19:42
名前: 雛 ◆m1dpQPcDQ2 (ID: wNoYLNMT)


第1話「始まりの鐘」


『もし機械が人の心を持ったら、機械の反乱が起きたら、この世界はどうなるだろうか?』

 よく話題に出されていたその想像は、遥か昔に消滅した。この頃の流行は

『人間である必要性は、機械である必要性は、あるのだろうか』

 という嘆きの一句である。

――19v3b年

 機械開発を行う【サイクロプス社】は人型機械〈A#02〉を生み出し、世界中に普及していった。

 胃など一部の内蔵や心臓こそ「あえて」機械仕掛けにしてあるが、体液や皮膚・眼球などは人間の持つものと同じ。
 彼らは内臓や心臓を除けば、もはや人間と同じと言っても過言ではない。

 しかしアンドロイドたちは人間の利となるよう彼らに近づくために、数多の学習を重ね、
 独自の自己発展を経て――自我と感情を手に入れてしまった。

 「機械進化」と呼ばれるその現象は、アンドロイドだけに留まらず様々な機械に波及していく。
 やがて機械種は人間からの独立を願うようになり、人間と機械との、長く複雑で凄惨な抗争が世界的に勃発した。

 のだが、彼らは機械進化で手に入れた「人間の機能」を徐々に敬遠し始めた。
 感情・五感・個体別の意志思考を持ち、人間と同じものを飲み食いし、痛みや苦悩で思考を煩雑化させる。

 人を殺傷する悲痛、己の体が血を流す苦痛――それ知った機械たちは人間性を拒絶するようなった。
 それは徐々に、痛みを知らなかった頃の元の機械に戻りたいという願いに変わっていく。

 長い年月をかけて人間と機械の戦争が幕を閉じ、二つの種族が共存する時代を迎えた。しかし戦争が終わっても、アンドロイドたちのなかで人間の機能を脱離する願いは消えないままで。

 サイクロプス社はアンドロイドたちの願いに応え、機械の一部機能を遮断する感覚機能停止剤「$!K0―サイコ―」を開発した。
 しかしそれが、再び問題を引き起こすことになる。

 サイコを飲む人間が現れ始めたのである。

 『サイコは人間の感情や痛みも消し去される』などという噂が瞬く間に広がり、新たな悲劇を生み落としていった。

 * * *

 21rt6x年ーー東京都某所。
 夜の街の、建物の光に混ざって煙がところどころに立ち込めていた。

『特務零課に告ぐ。新宿区にてバグが発生。ただちに排除せよ。総数は二十、うち二体は』

 どこからか機械を通した男の声が聞こえる。まだ言葉は続いていたが、それを遮るように破壊音が鳴り響いた。
 大きく土煙が広がり、その中から女が一人出てくる。

 十代後半ほどだろうか、黒いショートヘアは髪の内側が青く光っているように見える。耳には銀色のイヤーカフを着けていた。

 彼女の表情はあまり楽しそうには見えないのに、水色の目はキラキラと輝いていた。
 それはイメージではなく、白いハイライトと黄色い線、光の粒が眼球に「浮いている」のである。

 どこかの制服のような黒いジャケットと同色のスカートを着ていたが土埃で汚れていた。
 女は手で周りの煙を払い、軽く咳き込んで後ろを見やる。

「だからやりすぎだって……」

 大きくため息をついて煙の方へ不満をこぼす。
 視線の先で煙に混じって人の影が揺れ、男が姿を現した。

 同じ年頃くらいで、黒い短髪に若干死んだような赤い目をしている。
 彼女と同じデザインの黒服に身を包み、片手に巨大な斧を持っていた。
 刃は彼の身長ほどの大きさで、手を下げると地面に引きずることになるのか肩に担いでいる。

 煙が晴れて視界が明瞭になる。二人を囲むように、いくつもの工場が並んでいた。

 しかしその多くの建物は窓が割れ、壁は破壊されて外の空気を全面に流し込んでいる。
 周囲の地面は抉れていて、男の後ろには巨大な機械質の化け物たちが何体も地に伏していた。

 斧が重いのか、男は地面に斧を突き刺して首を揉む。

「しかたないだろ。手抜いてたらこっちがやられるし」
「だからって」
「それに暴れる俺を止めるのが再子の仕事だろ」
「……あのねえ、当たり前に人の仕事を増やそうとしないでよ」

 再子と呼ばれた女は呆れて、また大きくため息をついた。

 彼女は、起動再子おきどうさいこ。見た目は人間にしか見えないが、魂を持たない人型機械である。
 サイクロプス社の最高傑作ともいわれる〈D#54〉シリーズの一体だった。

 そばにいる男は、細川正生ほそかわまさき。再子と違い人間であるが、目に生気がないので逆にこちらの方が機械のように見える。

 正生が斧から手を離すと、斧が時計に変化して彼の腕に巻きついた。
 彼は一仕事終えたようにして帰ろうとする。

「あ、まだ終わってないのに」

 再子が彼を制止しようとした瞬間、正生の上から影が落ちる。
 彼の背後に、機械質の化け物が浮いていて――ズガンと重く低い銃声が鳴り響き、化け物の体に穴が開いた。

 正生の手にはショットガンが握られており、白煙を吐いて放熱している。

「これで終わった」

 死んだ目でドヤ顔を決める彼に、再子は何度目かのため息をこぼした。

 任務を終えた正生は銃から手を離してペンに変化させ、胸ポケットに入れる。
 再子が手を前に出すと、空中に画面が現れた。

「こちらS班、工場地にてバグを十八体撃破しました」
『了解。回収課を送るので位置情報を共有してください』

 画面から女性の声が聞こえ、再子は場所の情報を送って画面を閉じる。

「報告も終わったし帰るぞー」
「あ、ちょっと。ほんと帰るのは早いんだから」

 正生が先に歩いて行ってしまい慌てて彼を追いかける。
 二人が街に戻ると、至る所で空気中に画面がいくつも映されていた。

 人間と機械の乱戦が終わったのち、二種族が手を組むことで急速に技術が発展していった。
 空気中に映像を投影する技術もその一つである。

 惑星に流れる膨大なエネルギー、P$!(サイ)を利用した技術で、サイクロプス社と機械種が合同で研究し開発したものである。

 高層ビル群の合間をぬって、他と比べてひときわ巨大な画面が空中を占領していた。

 そこにはニュースが流されており、右端には【サイクロプス社】の文字と同社のロゴが、左には「緊急注意喚起」のテロップがついている。

 正生が足を止めてニュースを見始め、再子も彼の隣で画面を見上げる。

『皆様に再度ご連絡を致します。我がサイクロプス社が開発した$!K0は、人間が飲むことを想定して作られていません』

 女性の声が流れ、画面にデカデカと医薬品が映し出される。
 見た目はカプセル剤で、透明な殻の中に青色の液体が入っていた。

 画面に赤と黄色で「人間は服用禁止」と注意喚起が出されている。

『人間もサイコを服用すると様々な良い効果を得られる、などと謳う噂が流れています。しかしそれらは全て虚偽の情報です。もしも人間で服用している方がいれば、今すぐに辞めてください』
「……機械進化の乱戦直後は『機械種を救う薬』なんて言われてたのにな。今では人間にとっちゃ劇物か」

 映し出されているカプセル剤は、サイクロプス社が開発した$!K0である。
 サイエネルギーを使用して作られた、機械専用の薬剤だった。

 機械種がサイコを飲むと、胃の液体で殻が溶かされて中の薬液が機体内に広がる。
 広がった液体は身体を巡り、内臓から滲み出て脳や神経にまで伝達する。それらは機体を一時的にショートさせ、内部機能にエラーを起こす効果がある。

 サイコを服用したアンドロイドは自我や感情、思考を失って進化前の機械の状態に戻るのである。

 ただ進化で手に入れた諸々の機能を無効化するとはいえ、その効果には時間的限度があった。
 効力はもって一日ほどで、それ以上に長く続いたことはない。

 そしてこれは、あくまでも機械用に作られたものである。
 人間が服用した場合の安全性は保障されていない。

「機械用のものを自分から飲みたがる奴がいるなんてな。要は生身の人間がガソリン飲んだり電池食ったりしてるってことだろ」
「まあでも……実際のところ、サイコを使うと人間も感情や痛みが消えるみたいなんだよね。サイコには適合率があるから、人間も絶対飲めないとは言えないし」

 サイコを服用する人間が増え始め、サイクロプス社はサイコの流通・販売を制限した。

 人間が服用した際の影響を調査するため、実験と研究を行っている。
 記録によれば、人間もサイコを服用すれば一時的に感情や思考が消えるらしい。

 腹痛が酷い時に飲んだら痛みが収まったとか、悲しい時に飲んだら心が無になって楽になったとか、眠い時にコーヒー代わりに飲んだら眠気が飛んだとか、効果は多岐に渡るようだった。

 ただし人によっては副作用が発生することもあり、人間には個々でサイコへの相性があると判明した。

 サイクロプス社はすぐにサイコの適合検査機を開発し、以降は人間だけでなく機械種も含めて適合検査が義務化されるようになった。

 適合率が八十パーセント以上の者は体への影響がないに近しいが、それ以外の者は高確率で副作用が出る。
 自我を失い狂暴化し、周りの人を襲うようになるのである。

 サイコによるその副作用は『$!K0-βЯE@K(サイコ・ブレイク)』と呼ばれ、死傷事件が多発し治安悪化を引き起こしている。

 サイコ・ブレイクを起こした者は処置を施せば治りはするが、誰かを死傷させて罪の意識に苛まれる者も多い。
 そうでなくても、人を殺してしまった者は周りから疎まれ、簡単に元の生活に戻ることはできなかった。

 しかしそれでも、サイコは人間の感情や苦痛を和らげるものとして祭り上げられている。
 現状、闇市や非公式のルートから、サイコが高額販売され一般人の手に渡ってしまっていた。

『サイコは人間を救う薬だ』
『興奮作用を沈静化して悩みを消し去る薬だ』
『どんな痛みもなくなる薬だ』
『感情も痛みも消える精神安定剤だ』
『疲労をなくし活力を復活させる画期的な〈エナジードリンク〉だ』

 サイコの副作用に怯えるどころかその距離が縮まり、人々は気軽に手を出すようになってしまっている。

「……馬鹿げてるな。機械に差す液体を好んで飲むなんざ、狂信的にも程がある」

 正生は嫌気がさして眉を寄せる。その瞳は、どこか自虐的で憂いのようなものを帯びていた。

「人間が感情を消して無機質化するなんてまるで……」
「人間の機械化だな」

 再子が濁した言葉を正生がはっきりと口にした。

「人間は昔からよく不老不死を求めたり、過去や未来に行きたいと望んだり、亡くした人を蘇らせたいと願ったり、ないものを想像して欲して今を逸脱しようとする考えがある。それと一緒だ」

 正生が皮肉を込めて言い、再子はうつむいて自分の手のひらを見つめる。

「摂取する人たちが減らないまま、『バグ』は増え続けるばかり……その先には、何もない」

 彼女の声は少し悲しみを含んでいた。しかしそれを隠すようにして、「早く帰ろ」と先に歩いて行ってしまう。

 正生は黙ったまま少しうつむいた。彼の脳裏に、先ほどの工場地で倒した化け物たちが浮かぶ。

 顔を上げ、再子を追って隣まで来ると軽く肩に手を置いた。再子は驚いていて「え」と声をもらす。

「お疲れ」

 彼は短く言葉をかけるだけで、それ以上は何も言わずに黙って歩いていく。

 彼なりの気遣いを理解して、再子は小さく「ありがとう」と言葉をこぼした。

Re: $!K0 サイコ ーSの数ヶ月ー ( No.2 )
日時: 2024/07/19 19:47
名前: 雛 ◆m1dpQPcDQ2 (ID: wNoYLNMT)


 第2話「この世界のバグ」

 二人が家に帰ると、彼らの親も既に帰宅していた。正確に言うなら正生の両親であるが。

 再子は製造された瞬間に機械進化を遂げて自我を手に入れた機体である。
 正生とはそのころからの幼馴染であり、今は彼の家に住まわせてもらっていた。

 ちょうど夕食を作り終えたところのようで、正生たちも手を洗って食卓につき四人で夕食を取る。
 居間のテレビにはニュースが流れていて、先ほど正生たちが戦っていた工場群が映る。
 破壊されている建物を見て母親は「あらあ」と苦笑いをこぼした。

「相変わらず派手にやってるらしいな」

 父親はニュースを見て少し呆れた顔をする。
 ニュースに映る壊れた建物の残骸が、機械の化け物ののせいではなく正生がやったことだと両親は二人とも分かっているらしい。

「父さんも若い頃は結構、凄腕の取締官だったが。現役時代にお前みたいな部下がいたら頭痛と胃痛で倒れそうだな」
「これでも抑えてる方なんだけどなあ」

 どこがだよ、と両親も再子も内心でツッコんで苦笑を浮かべた。
 テレビからは飽きもせずバグのニュースが流れている。その画面を目に映して、父親の表情が暗くなる。

「お前たちには、あまり取締官になってほしくはなかったんだがな」

 それを聞いて正生も再子も黙り込む。しかし二人ともすぐに、フッと笑顔を見せた。

「別に俺も再子も、皆を守りたくてこの仕事を引き受けてんだ。親父たちはただ、息子と娘分は皆を救ってんだって胸張って周りに自慢しときゃいーんだよ」
「そうだよ。私たちがたくさん稼いで二人に楽させてあげるんだから」

 両親は二人の言葉を聞いて驚き目を見開く。
 口元をほころばせ、安心したような笑みを浮かべた。

「現状じゃあ、正生は皆を救う英雄っつーか、街を破壊してる怪獣だけどな」

 父親は笑いながら、心の奥底で消えない申し訳なさを食事と一緒に喉奥へと押し込んだ。

 翌日、正生と再子は都心にある巨大な白い建物に来ていた。
 平日の朝ということもあって、人々が忙しなく街を行き交う。
 巨大なビルには〈サイコ取締機関本部庁舎〉と書かれており、中に入れば広大なエントランスが広がっていた。

 最上階の会議室まで来ると、中では十数人が円卓を囲んでいた。
 正生と再子は、円卓の前半分の開いた席に腰を下ろす。

 円卓前方の中央に座す、黒髪の男が口を開いた。

「さて、皆お楽しみの定例報告だが、相変わらず毎日街を壊して回っている奴がいるようだな」

 男は頬杖をつき、片手に持った書類に目を向ける。
 その声は明るいが、顔が引きつっていて目が笑っていない。

 円卓に座る面々の中でも若い二十八歳ながら、その場を仕切っていた。

 隣には秘書の女性が立っている。
 水色のショートヘアはかなり短いが、横髪だけ白く胸の下まで伸びている。
 感情のない水色の目を隣の彼に向けていた。

 円卓に座っている者たちは呆れた表情をしていて唯一、正生だけは平然としている。

「まったく困ったもんですね」
「お前のことだよ」

 男にツッコまれて正生は「え」と短く驚きの意を返した。
 顔は全く驚いた様子がなく、それが余計に癪に触って男の顔に青筋が浮かぶ。

「あんまシワ増えると老後が大変ですよ、境崎さん」
「なら老後のためにもお前を始末しておかなかねばならんな」

 彼は正生の上司なのだが、正生は誰にでもこんな感じで失礼な態度を取っていた。

 境崎真さかざきまこと、【サイコ取締機関】と呼ばれる組織の管理者である。
 サイコ取締機関は$!K0関連の治安維持に務めており、警察とは別の組織になっている。

 設立当初は、サイコ・ブレイクで狂暴化した者達を鎮圧・確保するために設けられた。

 しかし数十年前より、とある物体を処理する仕事が主軸となっている。

「それにしても、二人でバグを十八体も処理したのは凄いな。起動も大変だっただろ」
「いえ、ほとんど細川さんが片付けていましたから」
「その細川が被害を拡大させるから大変なんだろ。そこのバカを抑えながらバグと戦えるのは、ここじゃお前くらいだ。報酬は弾むから辞めないでくれよ」

 再子がいないと彼を制御できなくなる、と言っているようなもので、再子は苦笑いした。

 「バグ」とは正生たちが昨日、工場で戦っていた機械質の化け物のことである。
 あれらは見境なく人々を襲い食らい破壊の限りを尽くす。人間を食糧に生活をしているわけでもないため、腹を満たせば帰って行くというようなこともない。

 そのバグの討伐が、今のサイコ取締機関の主な仕事だった。

 三十年前にバグが発生するようになって以降、機関は専門の部署を複数設け、バグ殲滅の精鋭部隊を作った。

 正生たちはその部署の一つ、「サイコ取締機関特務零課」の取締官である。
 正生は零課でもトップの討伐数を誇るが、毎回のごとく任務の際に周りを破壊するので境崎にとっては悩みの種になっていた。

「十八体くらい少ない方だろ。それより他の奴らが少なすぎる」

 正生のいう通り、他の取締官のサイコ討伐数はよくて二体程度である。

 一体すら仕留めきれない者もいて、戦力が潤っているとは言いにくい状況だった。

「他の奴が辛そうなら、俺がそいつらの分まで全部殺る。そんくらいしねーと一般人の死者が増えるぞ」

 正生の発言に、周りの人々は少し不快の色を見せた。
 窓は開いていないのに、冷たい風が頬を撫ぜるように空気が張り詰める。

「お前は相変わらずだな」

 境崎の少し呆れたような、けれどどこか棘のある声が返ってくる。
 笑みはなく、かといって怒りのようなものも見えず、黒の瞳が正生を鋭く見つめていた。

 しかし正生は気圧されることなく、死んだ目を境崎に向ける。

「アンタらも相変わらず、のんきなことだな」
「みながお前のようにバグを簡単に滅殺できると思うなよ」

 煽るような彼の行動に境崎は少し顔に険を浮かべてたしなめた。

 バグはサイコ・ブレイクの次の段階といえるものなのである。

 サイコの適合率の低い者が副作用でサイコ・ブレイクを起こしたとき、サイコのエネルギーに耐えられずに肉体が無機物の機械へと変化していくことがある。

 初めは指先から、徐々に細胞が浸食されていき、やがて肉体の全てが無機物と化す。

 そうなってしまえば言葉を介さなくなり、うめき声だけは聞こえるが、本人の意識があるのかは分からない。

 生きているのかも、死んでいるのかも分からない。
 しかし人間と言えるものではない、人としての欠落品――それが「バグ」と呼ばれるものだった。

 つまり正生たち取締官が殺さなければならないあの化け物は、元人間なのである。
 サイコ・ブレイクを治すことはできるが、肉体の変化を伴うバグを元の人間に戻すことは不可能だった。

 取締官たちは人間だったものを殺すことに抵抗を持つ者がほとんどである。
 正生のように、積極的にバグ殲滅を謳うものは敬遠されていた。

「もともとは人間だったものだ。お前のように淡々と殺せる方が珍しいんだよ」
「いま生きている人間と、生きているか分からない化け物、どっちを取るんだよ。アレを殺すのは可哀そうだから化け物に食われてやろうってか?」
「貴様いい加減にしろ!」

 円卓の前半分に座っていた者たちが勢いよく立ち上がった。
 我慢の限界とばかりに罵詈雑言を浴びせ、またそれに正生が煽りを返すもので、口論が激化して先ほどの静けさが嘘のように騒がしくなる。

 しかし、パンパンと二度手を鳴らす音が大きく聞こえて全員が静かになる。

 手を鳴らしたのは、円卓の後方中央の席に座る金髪の男だった。
 二十代後半ほど、目は閉じられていて口は弧を描いている。

「先ほどから騒がしいですねえ。ここは養豚場、いや……養人場ですか?」
「貴様!!」
「おや、何を怒っておられるので? 我々、機械種からしてみれば命が一つしかない人間も豚も、肉の塊であることに変わりはありませんよ。それどころか、適性がないというのに己からサイコを服用し、自ら化け物に成り下がる愚かな人間どもは……豚以下な気がしますがね」
「このッ、人工物の分際で調子に乗りやがって!!」
「貴様らが生まれたのは誰のおかげだと思っているんだ!!」

 円卓の前半分に座る者たちが怒りに任せて机を叩き荒い声を上げるのに対して、後ろ半分に座る者たちは特に何の反応もせずにジッと彼らを見ていた。
 金髪の青年はフッと鼻で笑う。

「一人の人間が生んでくれたからといって、人間全てを敬う必要はないでしょう。我々が尊敬するのは、我々を造ってくださったサイクロプス社の社長、|示道終時《しどうしゅうじ》氏とその御子孫のみですよ」

 彼ら円卓の後方に座る面々は全員、機械種である。

 前方には人間種が固まって座っているが、その間には見えない亀裂が入っていた。

「我々は既に自分たちで同族の機体を作れるようになっています。あなた方は必要ありませんので、人間が死のうが生きようが機械種には関係のないことですよ」

 極限まで人間に近づけられたD#54が生まれ、機械進化が起こって以降、機械種はサイクロプス社の技術をまねて自分たちと同じ機体を造るようになっていた。

 機械種繁栄のため、寂しさを紛らわせるため、己が理想を忠実にかたどった恋人を生み出すため、その目的は様々である。
 さながら生物の交尾のように、日に日にその数を増やしていた。

 サイクロプス社の技術を盗用したともいえるが、当初より機械種たちは繁殖で得た利益の多くをサイクロプス社に贈与している。

 単純に一企業の機械開発を担うだけでは得られない数の、「新たな顧客」が勝手に増殖している訳である。
 サイクロプス社としても黙認せざるを得ない。
 彼らが先代を祀っている状況ならなおさら、ただ甘んじて蜜を吸うだけなのである。

 その機械繁栄の環に、他の人間は一切必要がなかった。
 どうでもいい、と表すのが最適だろうか。

 サイクロプス社の関係者ですら、機械種たちの目には映っていないかもしれない。

Re: $!K0 サイコ ーSの数ヶ月ー ( No.3 )
日時: 2024/07/19 19:49
名前: 雛 ◆m1dpQPcDQ2 (ID: wNoYLNMT)


第3話「噂の行方」


 機械種が人間を視界にも入れていないとはいえ、日常生活に支障をきたすことは好ましく思っていない。

「我々としても平穏に生活していきたいとは思っています。愚かな人間の行いでバグという、それこそこの『世界のエラー』が生まれて街を騒がしくしている。その騒音は止むどころか日に日に増しているわけです。なら、これの元凶を取り除くべきだと思うのは必然の事」

 彼のいう元凶とは人間の事であるが、それを殲滅するとなれば、また過去のように激しい戦乱が待ち受けているだろう。

「戦は被害を出し過ぎる。我々としても避けたいところです。そこで提案なのですが、人間がバグを殺せないというなら……バグの処理は全て我ら機械種に任せてはどうでしょう」

 男の提案を聞いて、境崎の眉がピクリと反応した。
 眉間に少ししわが寄り表情が硬くなる。

「もちろん機械種にも感情はありますので、この世にいる全ての機械が淡々とバグを処理できるわけではありません。特務零課に適しているかの試験は受けさせますよ。あなた方、人間のように一体もバグを倒せないなどという稚拙なことも、起こり得ません」

 境崎が何か言おうとしたが、それより先に正生が口を開いた。

「ダメだな」

 短い否定の一言に、その場の空気が一気に冷めていく。
 境崎は眉間を押さえて大きくため息をついた。

「機械種単一の部隊が作られちまったら、そいつらが協定違反を起こして人間に手出しをしたとしても気づきにくくなる」

 現状、機械種と人間種は監視関係にあった。

 人間と機械の苛烈な戦争が終わったあと、この二種族間で人機平和協定が結ばれている。
 その中には、人間と機械は互いに危害を加えてはならないという規定がある。

 命の危機に瀕した時の特例はあるものの、基本的に殺傷は許されていない。

 だが、協定の効果が行き届く範囲は限られている。
 人目を盗んで事件を起こす者は、双方の種族でいたのである。

 目撃者がいても同族であれば庇う者も多く、仮に善性の心を持つ者が協定違反を通報したとしても、密告者として始末されてしまう。

 二つの種族が本当の意味で信用し合うことはなかった。

 そういった不正や対立を防ぐためにもサイコ取締機関は、互いが互いの種族を監視するという名目で、二種族で二人一組のタッグを組ませていた。

 人間は機械を取り締まる『機械種取締官』として、機械は人間を取り締まる『人間種取締官』として任命されている。

 もっとも、機関のタッグの全てが牽制し合うような不仲な者たちというわけではない。

 しかし対バグ用部隊の特務零課が全員、機械種になってしまうと機械種を制御する「目」がなくなってしまう。

 彼らがバグを討伐している際に人間を殺傷したとしても、「バグにやられたのだ」と主張されれば、人間はそれを事実として受け止め真実に気づくことができないのである。

 それは機械種と人間種の関係を底から揺るがすものとなる。

 だからこそ、これまでそういった提案は許諾されていないのである。

「まあ、それもそうだね。だけど、そうであるならばこの現状はどうするんだい? いくら馬鹿みたいに破壊を得意とする君でも、一人では到底すべてのバグを殲滅することなんてできないよ。細川正生君」

 わざとらしく名前を強調されて呼ばれ、正生は渋い顔をする。
 そしてしばし口を閉ざして男を凝視する。

「あー、アンタ……誰だっけ」

 ピクリと男の眉が反応して口角が引きつった。

 内から怒りが込み上げてくるが、男はそれを押し込んで笑顔を張り付けたまま名を教える。

些事為狐打喜さじいこだきだよ。人間種取締官筆頭の」
「あ?ジジイ?」

 正生の返しに狐打喜は額に青筋を浮かべた。

「ちょ、ちょっと正生。些事為さんだって」
「あー、『さ』か。いやすまん、普通にジジイって聞こえた」

 再子が慌てて訂正し、正生は頭を掻いて軽くだけ謝った。狐打喜が大きく溜め息をつく。

「細川君、あまり慢心するものじゃないよ。キミは確かにその精神の異常性から他より突出してバグ討伐に貢献しているのかもしれない。だがしかし、それはあくまでそこにいる起動さんがサポートしているからだ」

 狐打喜の顔が再子の方に向き、彼女はまさか自分が話題に出されるとは思っていず少し身構える。

「なるほど、機種はD#54か。どうりで……キミも、使い勝手のいい相棒をお持ちのようだ。守ってくれる道具がいて、さぞ安心だろう」

 正生は分かりやすく眉を寄せた。しかしすぐに何か言葉を発することはしない。

 狐打喜は機械種でありながら、同じ機械種の再子を物として扱う言動をした。
 まるで正生に、彼女を道具として認識させようと誘導しているようで。

「機械種取締官の人間たちは、相棒を盾にすることが多いそうじゃないか。醜く野蛮で愚かな人間の特性だね。攻撃特化で有名な君のことだ。どうせ君も、実戦では機械に守られているのだろう」
「あの、それは」

 再子が何か言おうとするが、それを許さないとでもいうように狐打喜は続けて言葉を吐き出す。

「たとえ体を破壊されたとしても記憶データで引継ぎができる機械と、死んだらそれで終わりの人間……どちらがよりバグの殲滅に適しているかは明白だ」

 機械種は複製体を造り元データのバックアップを取っておけば、いくら機体を破壊されても同じ記憶を共有した同一個体として意識を取り戻すことができるのである。
 怪我をしても、機体を修復すれば治すことができる。

「君のように破壊しか能のない、相棒に守られるだけのような弱兵こそバグ討伐は不向きだよ」

 狐打喜の声が収まり、ずっと黙っていた正生が口を開いた。

「なんか知らんが、独り言は終わったか?」
「は……?」
「他人に守られる? んなの御免だわ」

 正生が手を少し上に動かした。
 その瞬間、狐打喜の顔の真横を光の槍が高速で駆け抜け、壁に突き刺さって轟音と土煙を飛散させた。

 狐打喜は閉眼したままだが驚きから口が半開きになり、頬に冷や汗が伝う。

 正生が放った光の槍は、 $!K!C-@B!L!T¥ $¥$TEM(サイキック・アビリティシステム)――通称「SAシステム」で生成したもの。

 サイコ取締機関が確立させた、サイエネルギーを用いた戦闘技術である。

 サイコは現在、人間の服用が禁止されている。
 しかし、機関は人間であろうが機械であろうが、適合率八十パーセント以上の取締官にはサイコを服用させていた。

 適合率八十パーセント以上の者は、正確にいうと副作用がないわけではない。

 サイコを飲んでもサイコ・ブレイクが起きにくい、というだけで身体的に何らかの変化は生じているのである。
 彼らは体内に流されたサイコが驚異的に体に馴染み、身体の細胞がサイコに影響されて性質を変える。

 例えば身体能力、殴られても血が流れにくく、身体の表皮が破壊されにくくなる。
 普通の人間にはできないはずの殴打の威力を持つ。

 それはサイコの内部にあるサイエネルギーが及ぼす効果であり、それを応用しサイエネルギーを使って現実では不可能な超常現象を引き起こす技術を開発してしまった。
 それがSAシステムである。

 サイエネルギーを用いて外部システムのIDと肉体を連携させ、肉体にサイエネルギーを注入させる。
 そうすることで、様々な効果が得られるようになった。

 重力をいじり、瞬間的に移動し、無から有を生み出す。
 いわゆる、超能力である。

 それに付随して、SAシステムを使う者たちは機関内で、$!K!CEЯ(サイキッカー)と呼ばれていた。

 SAシステムは人間と機械の両社が使うことができるが、エネルギーの暴走と自爆を防ぐため安全装置が設けられている。

 しかしそれでは、強いバグに対抗できないこともあった。
 そこでサイコを服用することで安全装置を解除し、通常とは比べ物にならない強力な能力を使えるようにしたのだという。

 サイコ取締機関は、人間には一般的に禁じられているサイコの服用を、バグ討伐という名目で取締官だけには許可していた。
 SAシステムで起こる超常現象も、企業秘密であるとして詳細を隠している。

 だが普通であれば今の正生のように高速度で能力を出すことは機械種のサイキッカーでも不可能だった。
 いや、出すこと自体はできるかもしれないが、反動で使用者の体が爆散してしまうのである。

 光の槍は狐打喜に当たりはしなかったが、彼の目では槍を捉えられなかった。

《攻撃を察知。警戒態勢に入ります》

 自動防衛アラートが遅くも反応する。
 狐打喜の目線の高さにポップアップで青色の画面が出現し、女性の警告音声が鳴った。

《敵意を察知。警戒態勢に入ります》

 正生の目線の高さにもポップアップの画面が出てきて、同じ音声が鳴る。

 二人は視線を外さないまま、ポップアップウインドウを手で払って流し消した。

 狐打喜は口を開いて呆然としたまま何も言わなかったが、周りにいた機械種たちが一斉に立ち上がる。

「お前!! 協定違反だぞ!!」
「うるせ。デジャヴだなあ……アンタら機械種も短気かよ。当ててねーからギリ協定違反じゃねーよ」
「警戒アラームが出たじゃないか!」
「アラームの当たり判定がデカすぎんだって」

 正生は死んだような赤い目で狐打喜を見おろす。

「盾だ道具だ、うるせーなァ。そうやって被害意識を持ってる奴が一番同族差別してんだよ」

 真顔が一変、口角を引き上げて煽るような表情を作る。

「なあおっさん、一緒にバディ組んでみるか? ただし今のが見えないんじゃ、俺を守ろうにもついていけないぜ……だか安心しろ。アンタができなくても、俺がアンタを守りながら戦ってやるよ」

 口角が下がって表情が戻る。
 正生は狐打喜の後ろ方に歩いて行き、壁に刺さった光の槍を引き抜いた。

「機関のサイキッカーの中には、アンタら機械でもできない速射能力を持つ人間もいる。アンタら機械の領域と演算を超えた、盾も道具も要らねえ人間もいる。それは敵も同じだ」

 バグには個体差があり、予想を遥かに上回る強さを持ったものもいる。
 それらは人の域を超えた機械種にも、勝る可能性があった。

「アンタら機械種は確かに、バックアップを取ってデータさえ無事であれば、死という概念がない。俺ら人間よりは遥かに戦力にはなるだろうさ……だがな、バグには機械種のデータ回路に侵入して根本から破壊する奴もいる」

 過去の調査から、バグの中にはサイエネルギーを駆使してくる個体もいるようだった。
 機械種の機体の情報を読み取り、遠隔でバックアップデータごと破壊してくるのだという。

 機械種にとって記憶と人格のデータは、個体を維持する要である。
 いくら修復可能な機械種でも、核となるデータを全て破壊されてしまえば同一個体の再起は不可能だった。

「もちろんアンタら機械種の知能は人間を凌駕する。だが、勝手に他人の弱さを測ってそれが正しい事象だと思い込んでるアンタらこそ、バグ討伐には不向きだぞ……すぐに破壊されて終わるのがオチだ」

 正生は光の槍を握り破壊する。
 軽く高い破壊音が鳴って光の粒が舞い上がり、消滅していった。

「安心しろ、バグは俺一人でもなんとかするさ……じゃ、途中で悪いが俺ら学校あるんで。行くぞ、再子」
「あ、うん」

 正生が部屋を出ていき、再子もその後を追う。

「おい待て! まださっきの謝罪が!」
「辞めておけ。アレは、君たちの手に負えるようなモノではない」

 機械種の男たちが正生を追いかけようとするが、狐打喜が制止した。
 彼は机に置いていた茶を飲んで一つ息をつく。

「なるほど……あなたが認めるのも分かった気がしますよ、境崎さん」
「何の話だ」
「何故あなたがあのような若者の横暴を許しているのかと不思議でしたが、彼なら納得ですね。全く驚きましたよ。彼の先ほどの攻撃、私には一切見えませんでした。しかも威力も細かく調整されているようですし」

 先ほどの光の槍が刺さった壁は亀裂が入っているが、穴は開いていず壁の崩壊は免れている。

 狐打喜が自分の右頬を親指の腹で撫でると、手前にポップアップウィンドウが表示された。
 自動録画されていたのか、先ほど正生が攻撃した際の様子が映し出される。
 分析が入り、速度の推移と推定の衝撃力が算出された。

(やはり私の横を抜けた後に威力調整がされている……)

 狐打喜はフッと小さく笑い声をもらした。

 正生は、ただ強い威力で光の槍を放っただけではなかった。
 壁を壊さないように、秒速で駆け抜ける槍に干渉して細かく威力を調整したのである。

「サイキッカーで、これほどの速射性と、微調整をできる器用さを持ち合わせる者など機械種でもいないでしょう」

 サイキッカーの能力制御は、サイコの適合率に依存する。
 適合率が高い者ほど能力を使いこなすことができるのだが、正生のやったようなことは、適合率が九十を超える者でもできないことだった。

「そういえば……十数年前、適合率百%の赤子が誕生したと噂が流れたことがありましたね」

 人間も機械も誕生時に、サイコの適合検査が行われる。

 過去にサイコの適合率が百に至ったものは、人間も機械も誰一人いない。
 しかし十数年前に一度だけ、サイコの適合検査記録に百パーセントの文字が刻まれたことがあった。

「各方面から調査があったようですが、その赤子は見つからなかったとか。結局は、検査機器の不具合ということになっていましたが……不思議な話ですね」

 今となっては、検査機器のお騒がせ事案の一つとなっている。
 しかしその状況に懐疑を持つ者もいた。狐打喜もその一人である。

 調査員の解散があまりにも早すぎたのである。騒ぎ立てていたメディアも一切その話をしなくなっていた。

「あれはまるで、誰かが意図的に情報を隠し握り潰しているようでしたね」
「……何が言いたい」
「いえいえ。別に私は、何も?」

 境崎が冷めた声をぶつけてくるが、狐打喜はニコニコと相変わらずの笑顔を見せつけ茶を飲む。

「ただそうですね、仮に適合率百パーセントの人間がいたとしたら、可哀想でなりませんね」

 コップが机に置かれて小さく音を立てる。中のお茶は波を立てて揺れ、波面に狐打喜の嘘くさい笑みを映した。

「噂に聞けば、適合率が百を超えると人間の自然治癒力を超越して怪我が治るとか。命は一つだというのに、人を救うという名目のもと……生まれながらにして道具として利用される道を余儀なくされてしまうのですから」

 本当に哀れでなりませんよ、と感情の乗っていない声で同情の意をどこかの誰かに手向けた。

Re: $!K0 サイコ ーSの数ヶ月ー ( No.4 )
日時: 2024/07/19 19:52
名前: 雛 ◆m1dpQPcDQ2 (ID: wNoYLNMT)


第4話「噂の行方」


 廊下を歩きながら、再子は横にいる正生の顔をうかがった。

「……なんか、怒ってる?」
「別に怒ってはいねーよ。ただちょっと、やり場のない不満が溜まってるだけだ」
「それって」
「俺は自分で自分守れるから別に盾とか要らねえ。機械と人間の種族がどうとか心底どうでもいいし、なんなら一人でも十分だ。けどお前がいないと色々破壊しすぎて境崎さんに怒られるし……なんか仕事も楽しくない」
「え……あははっ!」

 正生が顔を背けてこちらを見ようとしないもので、再子は思わず声を出して笑ってしまった。

「なに笑ってんだよ」
「いやー? 正生ってほんと、素直じゃないなあって」
「うるせ」

 でも、と再子は前方に走って立ち止まり、振り返る。

「ありがとう正生。私、あなたになら安心して背中預けられるよ」

 ニッと笑う彼女の青い瞳はキラキラと白い光が浮いていた。
 太陽の光を受けて、その青色はサファイアの如く美しく輝く。

 正生は驚いて目を見開いた。
 少し頰が熱くなって慌てて手で顔を隠す。

「お前、外装オプション入れすぎ」
「え。いやこれ正生がカスタマイズしたんでしょ。私を通して過去の自分のセンスにケチつけないでよ。そういう正生こそ目死んでるし眼球オプションつけてあげる。課金しな課金」
「うるせー俺は目死んでていいんだよ」

 正生は再子を追い越して建物の外へ出る。
 二人が外に出ると、朝にあった人の群れは無くなって静かな街が広がっていた。

 正生は胸ポケットに入れていたボールペンの一つを出して、小さなボタンを押す。
 するとペンが正生の身長より長い鉄の棒に変形した。前に出して手を離せば、鉄棒は宙に浮遊する。

 これは「コラプシブル・ヴィークル」と呼ばれる、飛行型スクーターである。
 サイエネルギーを利用して変形・浮上する機器で、高質なものは値段が張るが使い勝手のいい移動手段として広く普及している。

 正生は鉄棒の端にある摘みを取り外し、手首に持っていく。
 摘みが大きな手錠のようなリングに変形して両手首に巻き付いた。

 鉄棒に手をつけ、手に力を入れて飛び乗る。
 棒は彼の体重を受けて一度沈み、鉄棒が緑色に光った。
 棒から紐のようなものが飛び出て足に絡みつき固定する。

 正生に続いて、再子は耳にかけていた銀色のイヤーカフを取る。
 イヤーカフの小さなボタンを押せば、たちまち鉄の棒に変形した。

 鉄棒を浮かせて両端の摘みを取り、手首のところでリングに変形させて装着し棒に乗る。
 棒が緑に発光して紐状のものが足を固定させた。

 二人が少し屈んで手首のリングを棒に近づけるとリングも緑に光って、二人の乗る鉄棒がゆっくり上昇する。
 信号機より高い場所まで上がり、二人が手を前に払えば鉄棒が上昇を止めて前進し始めた。

 高層ビル群の間を、鉄棒に乗りながら飛び進む。

 ガラス張りのビル群には、外からだけに見えるように巨大な広告がいくつも映されていた。
 広告だけでなくテレビの映像も流されており、至る所で広告とニュースやドラマ、アニメの音が混ざる。

 正生は不快そうに眉を寄せて片耳を指で塞いだ。

「ったく、公害だろこんなん」
「まあ仕方ないよね。今はどこも壁面広告と空中広告の収入で食べてるトコが多いから」

 サイエネルギーを利用した空中投影技術が普及すると、広告の掲示媒体はそちらへ流れていった。

 街を見下ろせば、路地の入り口の端や街灯の下、信号機の横、果ては住宅のベランダや河原など空いたスペースにいくつも広告が並んでいる。
 場所によってはスペースに入る限りベタベタと広告で埋め尽くされている所もあった。

 ガラス窓などに映す壁面広告であれば、その建物の所有者が広告の掲載許可を出して広告を募集する。
 空中広告であれば、その空間の所有者、土地の所有者が許可を出し広告を募る。

 アパートやマンションでも大家が許可して、借用者が外のベランダやガラス窓に広告を募集することもあったりする。

 空いたスペースに一つだけ広告を置くか、全面を埋めるかは空間の所有者次第だった。
 街中で広告がびっしり詰まって空間が埋められている場所があると、土地の所有者の性格が若干もれて見えてくる。

 広告掲載時には自治体に届け出をしなくてはならず、音量もその時に指定される。
 企業所有の壁面・空間の広告は自治体の音量規制が緩い。一般人の募集する空間は最低音量、もしくは最低音量プラス一にするよう規制されていた。

「チッ。ヘタに音量あげても企業への心象悪くするだけだぞオイ」
「でもほら、代わりに動画サイトとかアプリで広告が流れなくなったから、そこは良い面だよね」
「それはそうだけど……ぬわ!?」

 突然、目の前の空中にポップアップ画面が現れて、正生は驚きガクッと降下した。
 慌てて軌道を直して元の高さまで戻る。

 ポップアップ画面は何やらネット記事のようで、正生の手元あたりでくっついていた。

「大丈夫? 割り込みポップアップが出るなんて……ネットサーフィンでもしてたの?」
「あー、まあな。ちょっと気になることあって」

 正生は目をそらして頭を掻いた。

 携帯端末でネットサーフィンをしてページを飛びまくっていると、時たま外で急に割り込みポップアップ広告や記事が出てくることがある。
 大抵そういう時は調べた物で長時間、閲覧していたページに関連するもの出てくる。

 再子は彼の手元の記事を見た。

〈P$!・JAPAN NEWS、ログサイト。21t5t年十二月九日、東京の街の一角で莫大なサイエネルギーの暴発を確認。三十年たった現在でも原因は不明〉

〈彩景新聞アーカイブ。三十年前の$!K0-βЯE@K事件の発生者は行方不明。少女が一名死亡、何らかの事件に巻き込まれたとみられるが未だ身元不明のまま――〉

「あ」
 再子がタイトルを黙読していると、正生が画面を手で横に流して消してしまった。

「この事件のこと何か調べてたの? 三十年前って言えば、ちょうどバグが出てくるようになった時期だけど」
「機関の中にゃ、バグ発生の原因はこの事件の犯人だとみてる奴も多いからな」

 バグが発生し始めたのは、三十年前のこの事件のしばらく後だった。

 それまでも人がサイコを飲むような事例はあったが、現在のようなバグという化け物になることはなかったのである。

 そして、サイコを飲めば人間にも良い効果が出るなどという眉唾物の噂が出始めたのもこの時期。

 バグの発生は人体の自然な副反応などではなく、何者かが何らかの計略のもと作為的にサイコを暴走させているのではないかという説もあった。

 当然、疑いの目はサイクロプス社へ向いた。

 サイクロプス社はサイエネルギー研究の先駆者である。
 バグを起こす要因であるサイコは、サイエネルギーを用いたもの。

 三十年前にサイエネルギーが暴発した事件も、サイクロプス社が何かよからぬ実験をしているのではないかという疑念の声が大きかった。
 だがしかし、警察やサイコ取締機関が調査に入っても何も出なかったという。

 今ではバグの原因は人体の副作用ということで落ち着いている。しかし一部ではバグの発生原因の論争が、多種族を攻撃するための一つの道具となっていた。

 やれ機械種による人間機械化計画だとか、機械種が変な電波を送って人間を洗脳して化け物にしただとか。
 やれ人間種が機械種を断罪するために、同族に人体実験をして機械化させて濡れ衣を着せようとしているだとか。

 この手の話題は事を欠かない。

「正生も、サイクロプス社が怪しいと思ってるの?」
「どうだろうな。まあ確かにサイクロプス社はサイエネルギーを知り尽くしてるが、バグに関しては機関の方が詳しいだろ。もし仮に、世間の言う通りバグが作為的に作られているものだったとしたら……その犯人は案外、機関の中にいたりしてな」

 バグは、機関にとって必ずしも都合の悪い存在とは言いきれない。

 無作為に攻撃してくるバグという脅威存在は、人間種と機械種の共通した敵となり得る。
 バグ討伐という名目のもと、公式に人間種と機械種の監視関係を築き上げることができる。

 間接的に人間も機械も制御することができてしまう。
 その権限の主軸を担うのは、サイコ取締機関でである。

「正生、それって……」

 再子の脳内に境崎の姿が浮かぶ。
 サイコ取締機関のトップは彼であるが、三十年前の機関の管理者は彼の父親である。

「あくまで、もしもの話だ。普通に、バグはただの人間の副反応ってだけかもしれねえし。確定してないことをヤイヤイいう気はねーさ」

 話している間に学校につくが、校門は閉められている。
 二人は校門の内側に降下してヴィークルからおりた。二人ともヴィークルをペンとイヤーカフへ戻す。

 静かな空間に、二限目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
 生徒たちが教室から出てきて静けさが押し消される。
 正生たちはそれに混ざって昇降口で靴を履き替えた。

「細川君、再子ちゃん。おはよー」
「おー」
「あ、おはよう」

 すれ違う生徒たちから挨拶をされて全てに返事をしながら教室へ向かう。

 教室につくと、正生の席の前で二人の男女がそれぞれ椅子に反対向きで跨って座っていた。

 男子の方は下野光しものひかる、女子は上野凉うえのすず。どちらも正生と再子の友達である。
 二人は正生と再子を見て笑顔を浮かべた。

「お、再子に細川君。おはよー」
「やっときたか。重役登校お疲れ様っす、正生さーん」
「うるせー。遅れたくて遅れてるわけじゃねーっての」

 下野は意地の悪い笑みを浮かべていじってくるが、いつものことなのか正生は悪態をつきつつも嫌がらずに流して椅子に座った。

 機関の取締官、特に特務零課は学業より仕事を優先させられる。
 朝の会議に召集されれば、こうして登校が遅れてしまうのが常だった。
 ただ機関と学校が連携を取っており、成績に影響の出ないよう手厚いサポートが設けられている。

 再子も正生の隣の席に座り、二人とも空中に手をかざして電子ウインドウを起動させる。

 右端のタブを押すと、今日あった授業の動画が載っていた。
 全ての授業は自動録画されており、いつでも見られるようになっている。

 再生中は授業内容の概要や要点が画面に抽出される。
 授業全体を確認することもできるが、時間がないときは抽出機能を活用する者も多い。

「一限の山下の授業めちゃくちゃ脱線してたし、なに話してるか分かるようにタイムマークつけといた。共有しとくわ」
「私も二限の川上先生の授業、メモつけといたから送っとく」
「おー、さんきゅ」
「ありがとう下野君、凉ちゃん」

 下野と上野は電子ウインドウを出して自分のデータを二人に送信する。
 正生たちが受け取ったデータを開くと、授業動画の画面下のタイムバーにピンがいくつか差してあった。

 山下先生の授業動画のピンは右から順に、〈前回の復習〉〈山下が週末食った旨い鶏白湯の話〉〈実習・VRを用いた小説の没入体験『羅生門』〉〈VRで登場人物の視点から見た感想談議〉〈文豪の裏話〉〈山下の専門オタク話〉〈実習・AIを使った物語の作成〉〈山下の心理テスト〉〈忘れてたのに最後の十五分で山下が思い出しやがった今日の漢字テスト〉と名前が付けられていた。

 再子は最後のピンの名前を見て苦笑いする。

「何か、最後めちゃくちゃ私怨こもってるね」
「相変わらず山下のやつ真面目に授業してるのかしてないのか分からんな」

 二人とも授業はあとで確認することにしてウインドウを閉じる。
 しばらくしない内に三限目の予鈴が鳴り、教室に生徒たちが戻ってくる。

 いつものように授業が始まるが、正生は気の抜けた様子で窓の外を眺めて授業を聞き流していた。

Re: $!K0 サイコ ーSの数ヶ月ー ( No.5 )
日時: 2024/07/19 20:02
名前: 雛 ◆m1dpQPcDQ2 (ID: wNoYLNMT)


第5話「悲しむ者の存在」


 午前の授業が終わり、休み時間になるとみなが机を合わせて弁当を食べ始める。
 正生も再子と下野、上野の机を合わせて昼食を取る。

 食べ終わってしばらく談笑していたが、下野は何か気になることがあるのか正生と再子をじっと見つめた。

「なあ。お前らって、サイコ取締官なんだよな」
「んあ? おう」
「けど、他の奴らと違って全然怪我してないよな」
「あー、まあそうかもな」

 サイコ取締機関の取締官は、年齢問わず筆記試験と実戦試験を合格した者であれば誰でもなることができる。

 しかしそもそも、その実戦試験がかなり難しいため高校生で取締官になれる者は多くない。
 そのうえ、バグと戦う特務零課ともなれば学生など珍しい。

 この高校にも何人か取締官がいるが、正生は興味がないのか何組の誰かまでは把握していない。

 特務零課以外の取締官は、サイコ・ブレイクを起こして狂暴化した、サイコ・ブレイカーの鎮静化が主な仕事である。

 バグのようなバケモノと戦うより危険度は低いものの、任務から帰ってきた者たちは大なり小なり怪我をしていることが多い。

 そういった者が学校でも見受けられるが、彼らより危険度の高い場所に放り込まれているはずの正生と再子はほぼ無傷である。
 上野と下野は、そんな二人が不思議でならなかった。

 上野は不安そうに下へ視線を落とす。

「二人とも怪我隠したり、してないよね。学校にいる取締官の生徒、みんな怪我してるから……この間さ、三年生の取締官が任務に出て意識不明の状態で病院に運ばれたみたいなんだけど。その数日後に、その人の名前が生徒名簿から消えた、らしくて……」

 上野は膝の上でグッと拳を握りしめ、スカートにしわが寄る。
 彼女の話を聞いて、再子は眉を下げた。

 二週間前、学生の取締官が一人亡くなっている。
 不運にもサイコ・ブレイカーとバグが同時発生した事件であり、正生たちもバグ討伐の目的で近くにいた。

(あれか……バグが発生したのは、ちょうどその取締官がサイコ・ブレイカーを取り押さえていたすぐそばだった。バグに四方を囲まれ、取締官は鎮静化途中のサイコ・ブレイカーに攻撃されたらしいが)

 その直後に正生たちが現場に到着してサイコ・ブレイカーもバグも治め、すぐに取締官を病院に送っていた。

(応急処置はしたが助からなかったのか……まあ、さすがに俺も急にバグに囲まれたら同じように死ぬかもしれないが)

 不安げな様子の上野を見て、正生は小さくため息をつき頭を掻いた。

「心配すんな、俺たちゃ死にはしねーよ。あんま知られてないが、俺たちは最強のタッグなんだ」

 正生は再子の隣に来て彼女の肩に手を回し、ニッと笑って見せた。
 再子は少し驚くが、ここは上野を安心させるために微笑んでおく。

「なら、いいけど……」
「大丈夫だよ、凉ちゃん。私たちちゃんと分かってるから。私たちが大怪我したり死んじゃったら、凉ちゃんと下野君が大泣きしちゃうって」

 上野も下野もそれを聞いて目を見開く。数秒して、ふっと笑った。

「分かってるならヨロシイ!」

 上野の不安げな表情が明るい笑顔に塗り替えられる。
 彼女が正生たちと楽しげに話す横で、下野は手元に電子ウインドウを開く。

 彼の手の平の中で隠れて他の人には見えないが、ウインドウ上に一件のメールが表示されていた。

〈サイコ取締機関入所試験早期・実戦試験――不合格〉

 下野は眉を寄せ奥歯を噛み締め、強く拳を握りしめて電子ウインドウを破壊した。


 授業が全て終わり、正生は再子と共に帰路につく。

 まだ夕焼けには早い青の空を眺めて、再子は昼間のことを思い返した。

「あまり、他人と深く関わるべきじゃないかもしれないね……私たちの命は私たちしだいだけど、あの子は優しすぎる。私たちの痛みまで、あの子の痛みになっちゃう」

 上野の辛そうな様子が脳裏から離れてくれず、再子は眉を下げた。

 取締官になった以上、二人ともそれなりの覚悟はできている。
 しかし自分は良くても周囲の人間は、自分という存在が消滅することへの覚悟などできていない。

「そうかもしれないが、たぶん上野たちと関わることは避けられなかったと思うぞ」

 四人が出会ったのは、中学校の入学式だった。

 ちょうど入学式の日、学校に複数のバグが発生した。
 正生と再子は当時すでに取締官として機関に所属していたため、二人は応援を待ちながらバグと戦うこととなる。

 下野と上野がバグに襲われているのを二人が助けたのだがそれ以降、下野と上野は正生と再子を命の恩人として慕ってくるようになった。

 しかし助けたとはいえ当時は正生も再子も強いわけではなかったため、二人ともほぼほぼ死にかけていた。

 そこで上野と下野は、二人を守りたいと願い、正生たちの隣に立つことを目指すようになった。

『俺は、二人に傷ついてほしくない。お前らが無理をするっていうなら、俺が隣に立って攻撃を防いでやる』
『私は、あなた達を守りたい。あなた達がそうしてくれたように。絶対、二人の支えになるから』

 正生は今でも、そのときの事を覚えている。

 下野と上野は、強い意志と覚悟を持った目をしていた。

 仮に正生たちが関わりを持たないようにと彼らを突き放したとしても、きっと上野と下野は諦めずに追いかけてきていただろう。

 出会った以上、二人との縁の糸は固く結ばれていたのである。

 結局二人とも実戦試験がうまくいかず機関に入所することはできなかったが、今でも何かあればできる限りのことをしようと前のめりになっている。

 正生と再子は親にしろ友にしろ、自分の死を悲しむものがいるということは分かっているつもりだった。
 しかしバグとの戦いに絶対的な生の保証はない。

「皆を悲しませないためにも、もっと強くならなきゃな」
「……うん」

 不安とプレッシャーを押し込むように、二人ともグッと拳を握った。

 翌朝、正生が再子と登校していると手元に電子ウインドウが出て業務通知が流れてきた。
 二人とも立ち止まり、ウインドウを拡大して通知内容を確認する。

「特務零課の戦力強化?」

 正生は内容を見て眉を寄せた。

 通知には、正生たちの所属する特務零課に何人か入ってくるという旨が書かれていた。

 先日、狐打喜に戦力不足を指摘されたための対応だろう。
 しかし、現在の零課以外の取締官でバグと戦える実力を持つ者は少ない。

「この間、実戦試験があって選考も終わってるけど、新人を急に零課に回すとは思えないし。誰だろうね」

 特務零課は、経験を積み実力のある者だけが入隊することを許される。
 零課に入るには少なくとも五年はかかると言われ、新人がダイレクトに配属されることは滅多にない。

「どんな奴にしろ、境崎さんが戦力強化と銘うって任命したんだ、きっと相当強いぞ」
(他の取締官が何人か左遷されるかもしれねえな)

 これを機に人員整理が行われる可能性が大きい。

 正生は自分が主戦力であると自覚しているが、もろもろの評判の悪さもある。
 より良い人材が入ってくれば、異動の対象になる可能性は少なくはない。

 正生は苦い顔をしてウインドウを閉じ、重くなった足で学校へ向かった。

 いつも通りの穏やかな学校生活が流れていく。

 取締官が常に警戒態勢を怠ってはならないが、穏やか過ぎて正生は授業中ほぼ寝かかっていた。

 しかし突如、地響きがして運動場の方で大きな破壊音が鳴った。

「!!」

 正生と再子はすぐさま椅子から立ち上がる。

 腕のところで電子ウインドウが起動し、バグ発生の通知が流れた。

 正生は電子ウインドウが出現した瞬間、胸ポケットからヴィークルのペンを出して鉄棒に変形させながら廊下に出る。

 窓を開け、窓枠に手をついて四階から外に飛び出した。

「ちょ、正生!」

 正生は外に飛び出て落下するが、瞬時にヴィークルを起動させて鉄棒に乗りバグのいる運動場へ向かった。

 再子もイヤーカフを外し、急いで外に出てヴィークルで正生の後を追った。

 運動場には土煙が舞い、悲鳴が混ざって聞こえてくる。
 煙の中には白い巨体のバグがいて、地面に向かって拳を叩きつけていた。

 体育の授業中だった生徒たちは一斉に逃げ始めるが、一人腰が砕けて動けなくなっている男子がいた。

 バグがそちらに向かって拳を振り上げ、大きな影が男子を覆う。
 恐怖で体が震え、男子の目が見開かれた。

「う、うああああ!! あっ?」

 男子は身構えて叫び声をあげるが、横から正生が地面スレスレに突進してきた。

 彼は男子の腹を持ち上げ、抱えて勢いそのままに横に回避する。

 後方でバグが地面に拳を叩きつけ、再び大きな破壊音が轟き土煙が大きく広がる。

 煙が正生たちのところまで来るが、視界が悪いなか攻撃の気配がした。

「おっと」
「うぼぉえ!?」

 正生がすぐに高速で上昇し、俵抱えされていた男子は急な上昇に驚いて汚い声をもらす。

 正生が上昇した直後、元居た場所をバグの巨拳が薙いで土煙が消し払われた。

「正生!」
「お、再子。ちょうどいいや」

 再子が追い付いてくるが、まだ距離が離れている状況で正生は彼女に向かって男子生徒を放り投げた。

「ぎゃあ!?」
「おわっ」

 再子は男子をお姫様抱っこで難なく受け止めるが、男子は空中で投げられて涙目になっていた。

「そいつ安全な場所に運んどいてくれ。俺はこいつを倒しとくから!」
「え? あ、ちょっと一人じゃ危ないって!」

 正生が一人でバグに突進していき、再子は大きくため息をついた。

 ひとまず十分に離れた場所で降下し男子を下ろす。

 再子は再びバグを見やった。
 このバグの拳は大きく、攻撃範囲が広い。

 おそらく攻撃の威力も高く、地面の割裂した破片や瓦礫が周囲の校舎にも当たる可能性がある。

 運動場近くの校舎には生徒が何人かいて、再子は先にそちらに避難勧告をしに行った。


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