複雑・ファジー小説
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- 狭間に生きる僕ら ~混血(2)~
- 日時: 2025/06/21 19:03
- 名前: 花火 (ID: vCVXFNgF)
少年はうつむいたまま、遠い所を見つめるような表情で語りだした。
僕は、親じゃない宇宙人に育てられて、その人から聞いた話なんだけど、僕のお母さん、宇宙人だったけど、地球人の今山一裕を…僕のお父さんを好きになっちゃんたんだって。どうしてかは教えてくれなった。君もいつか分かる日が来るって。そういうものは、説明のできる感情じゃないって。でもね。地球人って、宇宙人に比べるとすっごく早死になの。病気にもなるし。戦争なんて馬鹿なこともする。地球人はみんな、馬鹿野郎だって教えてくれた。だから、本当は俺のお母さん、あいつのことなんて好きになっちゃいけなかったのに。僕は、地球人の血を引いてる。宇宙の血を汚す存在だって。みんなに言われた。僕を育ててくれた人は、僕をどこかに逃がした。誰かを恨みたかったんだ。そうじゃなきゃ何を恨めば良いのか分かんなくなっちゃうから。お母さんが今山一裕を好きにさえならなくちゃ良かったのにな。今山一裕さえ、お母さんと出会わなかったら。僕が生まれてこなかったら、誰も僕を怖がらなかったのかな。誰かを恨むことが、僕にとっては逃げ道だったんだ。誰かを恨むことが、僕が生きる理由になってしまってた。
少年の目が潤んでいるのが分かった。蓮くんは正座して少年の目をずっと見つめていた。少年が伝えきれない何かを探すようにじっと。「お前、生まれない方がよかったか。」「うん…。」少年は小さく、でもしっかりと頷いた。
私は毎年誕生日が来るのが楽しみで仕方がなかった。仲のいい友達を家に呼んで、カラオケしたりゲームしたり、食べきれないくらいの量のケーキを一緒に食べたり。だけど、少年にとってその日は、誰よりも自分を恨んでしまうんだ。でも、その勇気が無くてずっと、身代わりになってくれる誰かを探して彷徨っていたんだ。
でも僕やっぱり怖いんだ。生まれなかったら良かったって周りに言われ続けて、自分もそうだって思い込んで。生きているのに疲れちゃって。だけど、死んだらどこに行っちゃうのかなって。逃げ道を作る勇気を持てないんだ。
「お兄さん、ごめんね。八つ当たりしちゃったよ僕。」「持たなくていいだろ、そんな勇気。俺も怖がりだからさ。それで…」
蓮くんは少年の顎を左手でクイっと上にやると、右手でポケットから青いハンカチを持って、そっと少年の目を拭った。「一度会ってみないか?お前の父親に。」少年の目に再び憎しみの火が点いたのが分かった。「お兄さん、聴いてなかった?そいつは…」「だから。」蓮くんが少年の言葉を遮るように続けた。「そいつに直接言ってやればいいんだ。佳奈美。」蓮くんは少年の目を見つめたまま言った。「今度こそ戻るぞ。俺らがいた現実に。今山一裕に会いに。」
「お兄さん、お姉さん、現実ってどこ。」「お前が言ってた馬鹿野郎の世界だ。」
少年の目が、何かに反射するように光り始めた。
光の粒が扉を作り始めていた。
蓮くんが、キーホルダーを強く握りしめていた。キーホルダーが光の粒に反射してきらきらと光る。蓮くんが少年の手首を少し乱暴に持ち上げると、少年は不安げに私の方を見た。何を言えばいいのか分からなくて、私はただ黙って目を伏せて、もう片方の少年の手首を両手でそっと持った。「行こう。」少年は静かに首を縦に振った。
扉の向こうには、見慣れた街中の景色だった。信号の音、走る車の音、カフェからかすかに聞こえてくる音楽、人々の他愛もないおしゃべり。すべてが懐かしくて涙が出そうになる。「あれ、自動車っていうやつ?原始時代に宇宙人が初めて発明したものって書いてあるの、僕見たよ!」「へえ、そりゃすげーな。俺らの先祖はそのころ石ころ使って動物狩ってたぞ。」街の人たちが訝しそうに少年を見る。無理もない。少年の服は何日も着っぱなしのようにヨレヨレだ。今気づいたけれど、近くをランドセルを背負って歩いていく子らと比べると、やっぱり少年は痩せ気味で骨と皮で出来ているような見た目だった。「あ、見た目は宇宙人の血が混ざってるから。」少年が私の心の中を読んだかのように、心配ご無用というように親指を立てて見せた。「ああ、やっぱりお前はあいつの子だ。それ、かずの癖だ。」そう言われると少年は上げていた手を服の後ろにすっこめた。蓮くんは一点を見つめている。「かず、お前は我が子を苦しめるようなやつじゃない。」そう言って、蓮くんは今山一裕の家がある方に少年の手首を強く握って歩き出した。少年が後ろに体重をかけるようにすると、蓮くんが一瞬だけガクンと前に倒れそうになった。この先に、憎い相手がいるということを分かっているようだった。でも、少年は蓮くんの方を見ていない。私の脇腹から顔を覗かせるように、商店街の奥の方を見ていた。
「あれ?!蓮じゃん。」私の知らない声が、少年の見ている方向から聞こえた。蓮くんと私がほぼ同時に声のした方を見る。
「かず…。」ほんの少し蓮くんの目が見開いた。「小学校ぶりじゃね?久しぶり。あれ、お前彼女いんの。ずりーぞ!ん?その子誰よ。弟出来た?」今山一裕が無邪気に一人ではしゃいでいる。彼の様子は、小説で読んだ、成瀬蓮の家にやってきた宮司龍臣の無邪気っぷりを思い起こさせた。「初めまして。」今山一裕が少年と目を合わせるように腰を屈めた。その人の目は、子供好きそのものだった。いったい誰が、この男子高校生がいずれ、我が子を窮地に追いやると想像できるだろうか。少年が私の服の裾を強く握った。「あなたが、僕の、父親。」「いや、違うと思いますよ。」今山一裕は笑い飛ばした。
彼だけが、まだ何も知らなかった。
少年の顔から血の気が引いていくのがわかった。目の前にいるのは、ずっと恨んできた男。だけど今目の前にいるこの人は、まだ何も知らない。何もしていない。
今山一裕は、少年の顔をじっと見て首をかしげた。「あれ、もしかして…会ったことあるかな?」
まるで昔の記憶を辿るような顔で、彼はじっと少年の目をのぞき込んだ。
「お兄さん…これ、本当に、あの人?」少年が震える声で私に囁いた。
私にも分からなかった。これが、かつて少年を追い詰めたという“父”なのか。
その問いに答えたのは蓮くんだった。
「かずは変わってねえよ。昔から、無自覚で人を振り回すやつだった。お前が生まれた頃も、たぶんそんな感じだったんだろうな。」
そう言って、蓮くんは少年の頭を軽く撫でた。
「けどよ。お前が今ここにいるのは、ちゃんと意味がある。だから、言ってみろ。自分の言葉でさ。」
少年は息を吸って、吐いた。
一裕に向き直った。
「僕は、あなたの息子です。」
その瞬間、一裕の顔が止まった。笑っていた口元がゆっくりと閉じ、眉がわずかにひそめられた。
「……は?」
「母さんは、宇宙人でした。あなたと恋をして、僕が生まれました。でも、そのせいで僕は、宇宙にも地球にも、どこにも居場所がなかった。」
少年の声は震えていたけれど、まっすぐだった。
「僕を育ててくれた人は言ってた。あなたのことを、忘れていいって。あなたに、会わなくていいって。でも……それでも、どうしても、あなたの顔を見てみたかった。」
「……なんで、俺にそんなこと言うの?」一裕の声がかすれた。
少年は一歩前に出た。
「だって、あなたは僕の父親だから。」
一瞬の沈黙のあと、蓮くんがゆっくりと後ろを振り返った。
私の目を見て、そっと口を動かす。
「始まったな。」
あら、あの男の子、若くして子どもなんて作っちゃったのかしら、やあねえ。
少年の透き通るような声は、街中の喧騒の中を夏の日にスッと吹く涼しい風みたいに通った。近くのおばさんたちがコソコソと話し出している。「えっと。」一裕がポリポリと、汗でテカった黒い髪を指先で掻いた。「ちょっと、何のことかわかんなくて。暑いだろ。俺んち来いよ。」
一裕の家は存外片付いていた。彼の性格からして、もっと散らかっていた。フローリングにはゴミ一つ落ちてなくて、家その物が新品のようだ。「俺の親、海外出張でいなくてさ。」一裕が水で濡らしたタオルで顔を吹きながらもう片方の手で冷蔵庫を開けた。どれがいい、といって一裕はジュースを五種類くらい持ってきて少年に選ばせようとした。「見たことない…です。」未知の液体を前にしてためらう少年の横で、蓮くんが牛乳を飲んで見せた。一裕はタオルで全身を仰いでいた。部屋の中をパタパタと仰ぐ音だけが響く。時計の針の音と微妙にずれているのが気持ち悪い。
「さて、本題に入りましょうか。」一裕は仰ぐのをやめて正座をした。「俺はあんたのお父さんだってか。」「おい、かず。冷房付けていいか。」「うい。」蓮くんが冷房のリモコンを取りに席を外した。
冷房のスイッチを入れた蓮くんが、カチッという音とともに部屋に涼しさを流し込む。けれど、部屋の空気は逆に冷たく、張りつめたままだった。
少年は小さくうなずいた。
「母さんは、あなたのことを愛してたって……僕を育てた人が言ってました。」
「へぇ……」一裕は、さっきまでとは別人のような顔になっていた。
その声に、さっきの茶化しも軽さもなかった。
「それで、その母さんってのは……宇宙人?」
「はい。」
「マジで?」
「マジです。」
少年の声は震えていなかった。
「……なるほどなぁ。」
一裕は、どこか納得したように口をすぼめた。そして、畳に手をついて静かに息を吐いた。
「じゃあ、俺の人生ってさ。お前の一言で、すげぇSFになったってことだな。」
その一言に、蓮くんがふっと鼻で笑った。
「ようやく飲み込んできたか?」
「いや……まだ正直ピンときてねぇけど。でも、なんかお前の目、俺のに似てるかもなって思ったんだよ。」
少年が目を伏せた。
「でも、僕はあなたに捨てられたんです。」
一裕がはっとしたように顔を上げた。
「俺、そんなこと……」
「僕が生まれた時、あなたはいなかったって。」
少年の言葉に、一裕の目がぐっと揺れた。
沈黙。時計の秒針の音だけが部屋に響く。
「覚えてないんだ、やっぱり。」
少年は、ふと立ち上がった。
「やっぱり会うんじゃなかったかもしれない。」
背中を向けようとしたそのとき、蓮くんが短く呼び止めた。
「待て。」
そして一裕が立ち上がり、少年の肩に手を置いた。
「……本当に、ごめん。何が起こったか、全部は覚えてない。でも、お前が俺の子供なら、せめて名前くらい……教えてくれないか。」
少年は、振り返らずに答えた。
「楓(かえで)です。」
「かえ…で…?」一裕の手が楓の肩から離れた。「思い出したんか。」蓮くんが身を乗り出すようにして一裕の太ももに両手をついた。一裕がそれを振り払う。一裕の瞳孔が激しく揺れ動いていた。でも、それがピタッと止まった。
「あれ、何の話してたっけ。」
一裕がケロッとした顔で楓を見た。
「で、君の名前は何でした。」
この人。今、一瞬だけこの人の中に、父親になった後の一裕の人格が流れ込んだんだ。大学生の蓮くん、高校生の蓮くん、幼少期の蓮くんと同じように、一裕にも父親としての一裕がどこかにいるんだ。「楓です。」楓がもう一度しっかりとした口調で答えた。
「だから、行かないで、お父さん!」
楓の叫びに一裕が驚いて目を見開いた。それと同時に一裕の瞳孔が再び揺らぎ始めた。
「俺の…息子…。」
一裕の声はもはや、男子高校生のそれではなかった。
「僕は、お父さんの子供でいたかった。お母さんに抱きつきたかった。みんなで一緒にいたかった。あなたなら、わかってくれませんか?」
リビングの至る所に、今山一家の家族写真が貼られている。幼少期から、今から数年くらい前のものまで。
「写真の貼り方が雑です。あなたが貼ったんですよね、お父さん。」
一裕の目は激しく揺れ動いていた。一裕の両手がガタガタと激しく震えていた。
「楓が…息子…俺の…。」
蓮くんがちょびっとだけ残った牛乳をゆっくりと時間をかけて飲み干しながら、その様子をうかがっていた。
「……ごめんな。」
一裕が、震える声で言った。その言葉は、時間の底からすくい上げられたみたいに重たく、はっきりしていた。
「俺……お前のこと、覚えてる。」
蓮くんがそっとグラスをテーブルに置いた。
「やっとか。」
「でも、どうしても思い出せなかった。お前のことを心から好きだったのに、何かが邪魔してて……ずっと。苦しかったんだ。」
一裕が両手で顔を覆った。その肩が小さく震えていた。その姿はもはや「父親になる前の高校生」ではなく、何かを必死に取り戻そうとするただの一人の人間だった。
楓が、おそるおそる一裕の前に座りなおした。
「ねえ……僕が、生まれたこと、後悔してますか?」
一裕は、顔をあげた。
目の奥に涙を浮かべたまま、首を強く横に振った。
「違う……!違うんだ、楓。お前がいたから、俺は……俺は、生きられたんだよ。」
静まり返る部屋の中で、楓の目から涙が一粒だけ、ぽとりと落ちた。その涙は、フローリングに音を立てて落ちた気がした。
「お前が生きてるって知って……今、こうして会えたのが……信じられないくらい嬉しいんだよ。」
「ほんと……に?」
一裕の手が、ゆっくりと楓の肩に乗せられる。
「楓。帰ってきてくれて、ありがとう。」
楓は、もう言葉が出なかった。ただ静かに、一裕の胸に顔をうずめた。
キーホルダーが、また青く光りはじめた。
蓮くんが、立ち上がる。
「楓。もう一度、選べ。」
楓が顔をあげた。
「お前は――この世界に残るか?それとも……」
蓮くんの目は真剣だった。
「全てを元に戻すかだ。」
「全部なかったことにして、最初からやり直す。」
楓が一裕の、父親の胸に顔をうずめたまま答えた。
「地球人として、生まれ直す。」
楓が言い終わるか終わらないかのうちに、一裕は楓を両手で強く抱いた。一裕の腕に血管が浮き上がっている。
「駄目だ…お父さんより…先に…いかない…で…。」
今にも消え入りそうな声で一裕が楓に訴える。
「また会えるんだよ、お父さん。だから怖くないよ。僕、怖くない。」
楓が色の白い細い腕を一裕の背中に回した。
「お兄さん、お姉さん、僕が初めて瓦礫の世界で宮司龍臣って名乗ったのはね、お父さんが何となくその人に似てる気がしてたからなんだ。じゃあ、お兄さん、お姉さん、またね。」
楓の両腕が一裕の背中から、力を失ったようにだらんと垂れ下がった。
「だめだ、いやだ、いやだ、いやだ…。」
一裕が一層強く楓を抱きしめた。楓の足元から、あの扉を作る光の粒みたいなものがフワフワと少しずつ舞い上がってきた。楓を離すまいとしていた一裕は、その光の粒が身体に触れた途端に力なく倒れた。それは、我が子が自分の元を去っていく親としての絶望か。それとも、その絶望を感じさせないための息子の計らいか。
「お兄さん、お姉さん、宇宙人がどうやっていなくなるのか見たことないでしょ。見てて。」楓の声は、水の中から話しているように聞こえた。光の粒が楓の両足、ふくらはぎ、背中、両腕、と順番に包んでいく。楓の身体が風に吹かれた砂みたいに散っていく。「またね。」そう聞こえた時には、楓がそこにいたという余韻を前に、一裕が倒れていた。
一部始終をただ黙って見守っていた蓮くんが一裕の身体をゆする。「かず、かず。」一裕の目がゆっくりと開いた。男子高校生の目に戻っていた。「あれ、あの子は?帰った?」肉付きのいい長身の身体を重たそうに腕で支えながら、一裕はあたりをきょろきょろと見まわした。「うん、帰った。また、戻ってくるけど。」「あ、そう?」 今山一裕に、父親としての面影はもはや残っていなかった。
扉が閉じたあとのリビングには、夏の光がただ差し込んでいた。窓の外では、蝉が、なぜか今だけは遠慮がちに鳴いている気がした。
蓮くんが、そっとカーテンを閉めた。
「なあ、蓮……俺、今、泣いてた?」
一裕が、空っぽになった目で自分の頬に触れる。
蓮くんはゆっくりと頷いた。
「……ああ。泣いてた。」
「夢でも見てたんかな。すっげえリアルで……胸が、苦しくなるような……」
一裕の指が、無意識のうちに、床の上に散っていた小さな光の粒――それとも、ただの埃か何か――に触れた。
その時、一裕がふとつぶやいた。
「『またね』……って……誰が言ったんだっけ。」
蓮くんは黙っていた。ただ静かに、一裕の肩に手を置いた。
「なあ、蓮。俺ってさ、いつか……いい父親になれるかな。」
その問いに、蓮くんははじめて、少しだけ微笑んだ。
「さあな。でも、お前が本当にそう思ってるなら――もう、なれてるんじゃないか。」
蝉の声が、また元のようにうるさく鳴き始めた。
それでも、その声が妙に遠く感じられたのは、部屋の中に、まだあの少年の「余韻」が残っていたからかもしれない。