複雑・ファジー小説

Re: 拝啓、黒百合へ訴う【短編集】 ( No.44 )
日時: 2019/07/27 18:52
名前: ヨモツカミ (ID: w9Ti0hrm)

♯34 泥のような人でした。


「初めまして、仲良くしてね」

 使い古した言葉で、私達は友達となる。

 親の転勤の都合で、私はしょっちゅう転校をしなければならなかった。新しい学校で新しい友達ができても、またすぐにお別れが来る。そういう小学校生活を続けていたから、別れというものに慣れてしまっていた。
 小五となってから半年ほど立ったその頃。彼女とは、そうして新しく転校してきた学校で、隣の席にいたから、私から話しかけて、友達になれたのだった。転校ばかりしていると、居場所を作るのが得意になる。誰とでも仲良くできそうな当たり障りない話題とか、相槌の打ち方とか、そういうのをよく知っていたから、彼女と仲良くなるのも、それほど難しくはなかった。
 いつも本ばかり読んでいる、おとなしい子。彼女に抱いたイメージはそんな感じだった。おとなしい、というよりは、少し暗い子だったかもしれない。前髪が長くて、目元が隠れているし、話しかけたとき、やたらとおどおどしたいた。
 それから、ランドセルの傷が妙に気になってしまった。

「猫。猫にね、引っ掻かれたの。わたし、猫飼ってるんだ」

 訊ねてみると、彼女はそう語った。

「なぁにそれ。猫に爪とぎでもされたの?」
「そう。悪い子だよねえ」

 そうやって、彼女は長い前髪の奥で笑っていた。赤いランドセルに付いた幾つもの爪痕は、猫によるものなのか。上向きの三日月型の傷が点々と連なって、列になっている。それも、猫の爪痕なんだ。
 私は自分の爪になんとなく視線を落として、彼女に当たり障りない話題を振って、適当な会話を続ける。

「今日はなんの本読んでるの」
「これは、花言葉辞典だよ。普段花なんかみても、名前の知らない花だなって思うこと、よくあるでしょう? そんなのは寂しいから、こうやってお花の知識をつけて、見かけた花の名前と花言葉もすぐにわかるようになれればいいなって思うの」

 確かに、道で花を見ても、名前も知らない綺麗な花だって思って終わってしまうことが多い。彼女の言うことに興味が湧いてきて、私は本の表紙を見つめる。表紙にある花ですら、知らないものばかりだ。

「ね、今度その本貸してよ。私も花に詳しくなってみたい」
「本当? 興味があるなら、すぐにでも貸すよ」

 彼女はそう言って、私に本を差し出してきた。受け取った本のページを捲っていく。季節の花ごとにまとめられているから、最初の方は春に咲く花が並んでいるらしかった。アネモネ、マーガレット、フリージア……。名前だけなんとなく知っている花達。

「ねえ、次の授業、理科室だって」

 彼女に声をかけられて、意識が現実に戻される。教室を見回すと、確かに人の姿が疎らになっていた。多分、殆どの生徒が理科室に行ってしまったのだ。
 それじゃあ一緒に行こうね、と教科書やノート、筆箱を胸に抱えて、私達は教室を出る。途中、あまりよく知らない女子生徒三人くらいのグループと目があった。じっと私を見定めるような視線を向けてくる。何かおかしな格好をしているだろうかと、少し心配になった。

「私、なんか変かな」

 彼女に訊ねてみると、少し曖昧に笑顔を作って、そんなことはないと告げられる。それなら、あの視線のことも、あの女子生徒たちのことも気にする必要はないだろう。

 そう思っていた放課後、例の女子生徒三人組が私に話しかけてきた。

「ねえ、あの子とは関わらないほうがいいよ」

 どういうつもりで言ったのだろう。彼女達の顔を見つめてみるが、どれも悪意のある表情とは遠く、本気で私のことを気にかけてくれているみたいだった。

「なんで? それって、もしかして、あの子がいじめられているから?」

 私が訊ねると、女の子たちは表情を曇らせた。
 彼女のランドセルに付いていた三日月型の爪痕。あれは、人間の爪の形だった。きっと、誰かに付けられた傷だ。だから、私はなんとなく予想が付いてしまった。彼女がいじめを受けていて、だからこの子達はいじめられっ子に関わるのなんてやめたほうがいいと、忠告しに来たのだろうと思った。
 三人の女の子は依然晴れぬ表情のまま、私を見つめていて。そのうちの一人がやっぱりやめたほうがいいんじゃない? と控えめに口にする。真ん中にいた子は少し考えたあと、曖昧に首を降って、それから視線を落とした。

「逆だよ。あの子が……」
「ね、なんの話してるの?」

 女の子たちと私は、唐突にかけられた声に肩を跳ねさせた。振り向くと、その噂になっていた彼女がランドセルを背負って突っ立っている。これから帰るところらしい。
 彼女は一瞬だけ凄く冷たい目をしていたが、私と視線が合うと、柔らかく微笑んで、一緒に帰ろうよと言った。その言葉で私達の会話に終止符が打たれる。でも、完全に途切れてしまった訳ではなくて、何か波風が立ったまま。私の中に、彼女に対する不信感という波紋が広がったまま。
 逆だよ、あの子が……。あの三人組は、私に何を伝えようとしたのだろう。



「これ。お家に植えてみてね」

 ある日の放課後、彼女から唐突に渡されたのは、小さい玉ねぎみたいな、なんだかよくわからないもの。聞いてみると、花の球根らしい。

「何が咲くの?」
「教えなーい。花言葉辞典をしばらく貸しておくから、咲いたら自分で調べてみてよ」
「それは面白そうだね。でも咲くまでずっと借りていていいの?」
「うん。わたしのこと、忘れないでね」

 忘れないで、なんて。お別れをするわけでもないのに、どうしてそんな言い方をしたのだろう。少し引っかかったが、そのことについてはなんとなく触れることができなかった。触れてはならない、暗黙のうちの何かがある気がしてしまって。
 球根は持ち帰って、すぐに家の鉢植えに植えた。なんの花が咲くのか知らないから、育て方が正しいのかもよくわからなかったが、とりあえず水やりを欠かさなければ、花は咲くだろうと私は思い込んでいた。



 新しい学校で生活していくうちに、なんとなく知ってしまうものがある。
 彼女についてのこと。どうやら、いじめられていたのではなくて、彼女がいじめをする側の人間だったらしい。だから“逆だよ”とあの女の子三人組は言ったのだ。
 彼女がクラスメイトの物を隠したり壊したのだという噂を耳にしたときには、あまり信じたくはなかったが、クラスに何人もの被害者がいて、私が思っている以上に彼女が問題児であったらしくて、私も彼女から何かをされるのも時間の問題かもしれなかった。
 だから、私も彼女との距離を置くことになるの、当然の結果で。
 数ヶ月後、あの日植えた花はしっかりと咲いていた。紫色の、少し大きめの花びらが五枚か六枚ついた、可愛らしい花。相変わらず名前はわからない。本は放課後、彼女が帰ったあとに何も言わずに机の上に置くという形で返してしまったから。
 これで彼女との関わりは無くなったと思っていたけど、花が咲いた数日後の放課後、彼女が下校前の私の前に現れた。

「ねえ、あの花咲いた?」

 彼女との関わりを断っていて、でもあまりにも愛想がないのは良くないかと思って挨拶だけはする関係だった。こうして面と向かって話をするのは本当に数カ月ぶりな気がした。

「……咲いた、よ」

 そう伝えると、彼女はニコニコ笑って、またあの花言葉辞典を差し出してきた。

「もう一度貸すから、ちゃぁんと調べてみて。答え、自分で見つけてみてねえ」
「……」

 受け取らない、という選択肢はなかった。
 でも、このままずっと借りっぱなしになるのは嫌で、私はその場で本のページをめくる。一番最後の方に、色や季節で花を探す索引があることは知っていたから、そこを活用して今月咲く花を探していく。あの特徴的な紫色は、

「あった」

 案外すぐに見つかって。

「クロッカス」

 アヤメ科、クロッカス属の総称。寒さに強く、植えっぱなしでもよく生育するほど丈夫である。花名のクロッカスは、ギリシア語の「krokos(糸)」が語源となり、クロッカスが長く糸状に伸びるめしべをもつことに由来する。ヨーロッパでは古くから春の訪れを告げる花とされ、花言葉もそこからきている。
 花言葉は、愛したことを後悔する、私を裏切らないで。
 彼女は優しく私の手に触れてきた。それから、耳元で囁くように言う。

「ねえ、わたしのこと裏切らないでよ」



***
アンソロジー企画「花束の其の一輪は」に載せていた、花言葉アンソロジーのやつ。
気持ち悪い作品が書きたかった。クロッカスの花言葉は「裏切らないで」