複雑・ファジー小説

Re: 愛に逝けば追慕と成り【短編集】 ( No.76 )
日時: 2020/07/31 15:00
名前: ヨモツカミ (ID: Whg7i3Yd)

♯55 そこにあなたが見えるのだ。

 この世の終わりみたいに、星々は瞬いている。終わった命を叫んでるみたいだ。実際に、このあまねく光の一つ一つが声なのだろう。
 我々は生きていたのだと、声高らかに。叫んでいる。
 そこにあなたが見えるのだ。





「死体を見に行こうよ」

 いつも突拍子もないことを言うあなたが、今回ばかりはずば抜けておかしなことを口にした。何だって、と聞き返すべきか、もういっそ聞かなかったことにしようか迷った末、私は困ったように肩を竦めて聞き返すことを選んだ。

「人って死んだら星になるんだって。あんたが言ってたんじゃん」

 だから天上の星々は死体。夜空はあまねく死体遺棄現場。あなたはそういうことが言いたいのだろう。
 私が人の死後が星になるっていうのは、そういう意味で言ったわけではないのだが。もっとロマンチックな意味合いを混ぜていたのに、星空を死体と表現することで、一気に生臭くてグロテスクなものに変わってしまう。言葉の力を侮らないでほしいものだ。

「でも、星を見に行くなんて。急にどうしたの」

 こう見えても、私達は天文部の部員だった。たった二人で構成された、殆どそれらしい活動もしていない幽霊部員達。一年生のときに先輩たちと一緒に天体観測を行ったことはある。でも、活動はそれっきり。先輩達が卒業してからは新しい部員が入ってくることもなかったし、元々いた部員もやめていったし、気が付いたら私は形だけの部長になっていて、彼女が副部長になっていたのだっけ。
 でも、本当にそれだけ。元々星にそれほど興味があったわけでもない私達が、再び望遠鏡を覗き込むことはなかった。高校三年生の夏、この日を迎えるまでは。

「活動なんかほぼしてなかったけどさ、わたしたち天文部でしょ? 最後くらい、それらしいことしたいと思わない?」

 思い出づくりがしたいとか、そういうことを彼女は言いたいらしかった。悪くない提案だと、私も思えた。星が特別好きなわけじゃない私達でも、一年生のときに先輩たちと見た空の美しさは知っていたから。
 それじゃあ、今週の土曜日。夜の八時に学校に集合。彼女は勝手に決めた。私はその日が晴れるかどうかも知らないのに。
 あとで土曜の八時の天気予報を調べると、その時間に丁度水瓶座流星群が見れるのだと知った。偶然とは思えないので、彼女はそれを知っていたのだろう。下調べはバッチリだったわけか。死体を見ようだなんてロマンスの欠片もないことを口にした割には、素敵な思考回路をしている。
 私はただ、彼女と過ごす土曜の八時を楽しみに待った。





「先に学校で待ってるよ」

 通話口の彼女の声はそう言っていた。お互いの家もそう遠くないのに、むしろ学校のほうが遠いくらいなのに、どうして私達は別々に学校に集合しているのだろう。そんな疑問を抱えながらも、私は一人で電車に乗り込んだ。
 そういえば、電話で聞いた彼女の声にはやけに元気がなかったような気がする。気のせいだ、と言われればそれまでなのだが、どうにもそれが胸に引っかかった。喉に刺さった魚の小骨みたいにチクリと痛みを伴い、そこにあり続けようとする。どうしてこんなことが、そんなにも気になるのだろう。謎の胸騒ぎに、思考が乱される。
 きっと、そんなに心配することではないのだ。だって、ただ単に友人の少し声色に覇気がなかっただけなんだ。そういうときだって、たまにはあるだろう。でもどうしてこんなに違和感があるのか。
 わからないことにもどかしさを抱きつつ、電車の外を眺める。既に暮方の空は、深い青とオレンジが入り混じった不思議な色をしていた。そこに、点々と星の灯りが見える。既に美しい空だと言えたが、これから完全に陽が落ちて、夜の闇に輝く星は、もっと美しいものとなるのだ。私達は、それを見に行く。
 天文部なんて、形だけの部活動だった。でも、入ってよかったと思える。高校生活の思い出なんて、振り返れば辛かったこと、楽しかったこと、なんだってあった。そのうちで、親友である彼女と過ごした時間は一番長かったかもしれない。そんな大切な友と見る星空に、思いを馳せた。
 きっと、素敵な夜になる。
 電車に揺られながら、まだ着かぬかと心を踊らせた。あなたと過ごす時間が、私にとってどれだけ大切なものかなんて、あなたは知らないだろう。隣にいるだけで嬉しくなるこの気持ちなんて、知らないだろう。別にそれで構わない。それでも、私にとってのあなたは、かけがえのない友達なのだ。
 高校の最寄り駅についたので、電車を降りる。本当はもっと近いところで待ち合わせをすればよかったのに。そうすれば、駅から学校までの道のりだって一緒に過ごせた。
 ああでも。もしかしたら、望遠鏡の準備などを先に済ませるつもりだから、集合場所を学校に選んだのかもしれない。彼女の思惑はわからない。まあでも、なんでもいいだろう。
 学校に着くと、彼女にSNSでメッセージを送った。「今どこにいるの」と。返信はすぐにきて、「屋上で待っている」とのことだった。
 私は暗い廊下をスマホの明かりで照らしながら進み、階段を上がっていく。土曜日だけど、この時間では部活に来ている生徒もほとんど帰ってしまっているため、何処も消灯されていた。暗い廊下は酷く不気味に思えて、彼女と一緒なら怖さも和らいだのに、と少しだけ不満を抱く。でも彼女はこの真っ暗な校舎を一人で歩いたのだろう。彼女だって、私と同じように恐怖を抱いたのではないか。どうだろう、あの子は暗闇を恐れるようなタイプではなかった気もする。文化祭のお化け屋敷を意気揚々と進んでいた彼女の背中を思い出して、どうせ私は彼女より臆病者ですよ、なんて一人で勝手にひねくれる。
 屋上に辿り着くと、人の気配は無かった。誰もいないなんてことはないだろう、彼女は先に来ているはずなのだから。そうやって見回したら、彼女は確かにここにいた。

「……え?」

 フェンスの、向こう側に。
 息を呑む。見間違いではない、確かに彼女はフェンスの向こう側、一歩でも踏み出せば終わってしまう、屋上のギリギリのところに立っている。
 何をしているの、冗談でも面白くないよ、危ないよ。そんな声もうまく出ないほどに、私の心臓はバクバクと跳ねていた。

「あ。やっと来たね」

 彼女はこちらに気付くと、いつも通りに笑って、手を振る。なんでもないことみたいな笑顔が、このときばかりは不気味に映る。

「なんのつもりなの……危ないよ」
「だから、死体見に行こうって言ったじゃん」
「……何を言ってるのか、全然わかんないよ。とにかく早く戻っておいで。そんなとこにいたら、落ちちゃう」

 彼女は微笑むばかりで、こちらに戻ってくる様子はない。なんのつもりなのだろう。わからない、親友なのに、何を考えているか検討もつかない。不安で仕方がなかった。怖い。彼女を失うかもしれない。そればかりが私の中をぐるぐると回っていた。
 私は自分の足じゃないみたいに力の入らない足でなんとか彼女との距離を詰める。腕を掴め。こちら側に引き寄せれば、きっと安全が確保されて。大丈夫。
 でも一言、親友が「来ないで」と口にしたから、私達の距離は数メートル離れたまま、縮まらない。

「あんたと過ごせる日々が終わっちゃうならさ。せめて星になって、あんたに観測してほしいなとか。思っちゃったんだよねえ」
「何言ってるか、わからないよ。ねえ、やめて。お願い、やめてよ……」

 普段通りの口調で言うから、日常会話みたいに聞こえる。でもこれは、人の命がかかった最後の会話だ。それがわかっているから、私はとうとう泣きだしてしまった。涙で頬を濡らしながら、懇願する。
 彼女は飛び降りる気なんだ。どうして。理由なんてわからない。でも、やめさせなければならない。わかってはいるものの、方法が何一つわからなかった。
 行かないで、行かないで。うわ言みたいに繰り返すのに。
 言葉は何一つあなたには届かないのか。

「必ず、わたしを見つけてね」

 ああ。声も上げられずに手を伸ばしたが、全然届きそうもない。彼女はフェンスを軽く押して、その弾みでふわりと傾いていく。全ての出来事が、その瞬間だけスローモーションで過ぎていった。
 あなたの長い髪が揺れている。制服のスカートが翻る。長い脚が宙に投げ出される。細い腕が、バイバイって言うみたいに振られていた。
 そうして、あなたは満面の笑みで、でも泣いていた。憑き物が晴れたみたいな清々しい笑顔が、涙で濡れていた。どうしてそんな顔をしたのか、その理由もわからないうちに、彼女は空に投げ出される。
 もう、逝ってしまった。

「……なんで」

 力の完全に抜けきった足では立っていられない。私はその場にぺたんと座り込んだ。心臓はもう、狂ったみたいに胸を叩いている。親友が落ちた。死んだのだ。目の前にいたのに、助けることも止めることもできなくて、どうして、なんで、と自分を責め立てる。
 電車の中で、彼女の声に元気がないのがやけに気になったのは。なのに、私は何もしなかった。何もできなかった。あなたは、元々今日この瞬間死ぬつもりだったのか。どうしてなの。何か辛いことがあったなら、私に話してくれれば、力になれたかもしれないのに。
 それとも、何もなかったから私にも話さずに逝ってしまったのだろうか。
 彼女は純粋に、星になりたかったのかもしれない。この夜空で輝く、あまねく光の一つに。
 ああ、それなら酷い人だ。
 私はぼんやりと夜空を見上げた。薄暗い闇の中、散りばめられた光が自由に輝いている。この一つ一つが、誰かの命であると。そう言ったのは私だった。
 ならば、ここに彼女もいるのだろうか。星の海の中で、私に見つけられようと、光を放っているのだろう。
 泣きながら見上げていると、強い光が空を横切った。そうか、今日は流星群が見えるんだっけ。





 あれから私は高校を卒業して、大人になって、それでも夜空を見上げるたびに、色濃くあなたのことを思い出すのだ。
 星に詳しいわけじゃない私には、この光の一つ一つの名前はよくわからない。配置にすら星座という名前があるが、それだって詳しくはない。だから勝手に決めた星の並びがある。
 夏が来ると、必ず見えるのだ。それはきっと、私にだけ見えるあなたという星座。
 結局あなたが何故命を絶ったのかはわからないまま。遺書だってなかったから、誰も何も知らない。私すら知らないのだ。
 でも、あなたはここにいる。人は死んだら星になるから。


***
みんつく7月編、お題「人って死んだら星になるんだよ」より
実はこの作品は河童さんに案を頂いて書きました。死体を見に行く女子高生の話を読みたかった私達の半合作みたいな。楽しかったです。