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複雑・ファジー小説
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.153 )
- 日時: 2019/07/07 20:36
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 1Fvr9aUF)
旧王都シュベルテにある、魔導師団の本部に戻ると、案の定、恐れていた事態に陥った。
ゼンウィック常駐のメレオン・ザックレイの報告で、サイ、トワリス、アレクシアの三人が、虚偽の申請を出して、無断でラフェリオンの破壊に向かっていたことが、早々に露見してしまったのである。
しかし、意外だったのは、その際にアレクシアが、サイとトワリスを騙して連れ出したのは自分だと、すんなり白状したことであった。
騙されていると気づいていながら、結局着いていったのは自己判断だったので、同罪にされても文句は言えないとトワリスは思っていたのだが、アレクシアは、一方的に自分に責任があるという風に、上層部に伝えたようだ。
おかげで、サイとトワリスは、数日間の謹慎処分を受けるだけで済んだのだった。
謹慎処分を受けた日数分、卒業試験で、任務を受けられる期間が減ってしまったこと。
そして、本来は三人組で受ける卒業試験を、アレクシアを抜いた二人でこなさなければならなくなったので、他より条件的に不利な状態で、試験を続けることになった。
加えて、失格を免れたとはいえ、上官からの目が厳しくなったことは確かだったので、試験の全過程が終わっても、トワリスはしばらく、不安な日々を過ごしていた。
だから、どうにか合格できたことを上官から伝えられたとき、心の底から安堵した。
入団試験の時とは逆で、筆記試験の成績が上から数えて五番目だったので、その結果に助けられたのだろう。
サイも、流石というべきか、筆記試験で周囲と圧倒的な差をつけて首席だったので、合格であった。
正規の魔導師の証である、腕章とローブを手渡してくれた上官に、トワリスは、深く頭を下げたのだった。
一方で、本当に自分は合格して良かったのだろうか、という罪悪感も抱いていた。
アレクシアは結局、不合格──つまり、今年の卒業試験受験の資格を剥奪されて、正規の魔導師にはなれなかったのだ。
規律を破ってしまった以上、仕方のない結果だと思うが、それならば、自分も不合格になるべきだったのではないかという気持ちが、ずっと心の中にあった。
それこそ最初は、アレクシアの強引なやり方に腹が立っていたし、脅されて連れていかれたことに関しては、今でも納得がいっていない。
異端だの、気持ち悪いだの言われた時は、心底性格の悪い奴だと、腸が煮えくり返る思いだった。
それでも、きっと彼女にも思うところがあったのだろうと感じ始めたから、最後まで任務に付き合ったのだ。
途中で任務を放棄して帰ることもできたのに、そうしなかったのは、紛れもない自分の意思。
そのことを認めてしまうと、アレクシアだけに責任を押し付けるのは、なんだか気が引けた。
ずっとずっと、魔導師になるのが夢だったし、合格できたことは嬉しかったが、本当にこれで良かったのかともう一人の自分に問われると、正規の魔導師になったという事実が、心に重くのし掛かってくるのであった。
ラフェリオン破壊の任務を終えた日以来、どこに行ってしまったのか、アレクシアを二月ほど見なくなっていた。
同期の中では女二人だけで、部屋も隣同士だったので、姿こそ見なくとも、不在かどうかくらいは分かるのだが、どの時間帯に様子を伺ってみても、アレクシアは自室に戻っていないようであった。
もしかしたら、魔導師になることは諦めて、故郷に帰ってしまったのかもしれない。
もう二度と、会えないのだろうか。
そんな風に思い始めていたから、ある日、アレクシアの部屋から話し声が聞こえてきたとき、思わずどきりとした。
アレクシアが、自室に戻っているのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.154 )
- 日時: 2019/07/09 19:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
聞こえてきたもう一人の声が、若い男の声だったので、なんとなく声をかけるのは躊躇われた。
しかし、この機会を逃したら、またアレクシアがいなくなってしまうかもしれない。
少しでいいから、もう一度話がしたい。
そんな思いが先立って、しばらくアレクシアの部屋の前をうろうろと彷徨っていると、不意に、扉が押し開かれて、中から黒髪の男が現れた。
見覚えのある鋭い顔つきに、赤を基調としたローブ──宮廷魔導師のジークハルト・バーンズだ。
予想外の人物がアレクシアの部屋から出てきて、トワリスは、つかの間ジークハルトの顔を見つめたまま、呆然と立っていた。
入団試験でこてんぱんにやられて以来、話したことはなかったが、つい最近、歴代最年少で宮廷魔導師にまで上り詰めたことで有名な人物であったから、当然名前は知っている。
訝しげに眉を寄せたジークハルトは、トワリスを一瞥したあと、部屋の中にいるアレクシアの方に振り返って、言った。
「……おい、客だ」
不機嫌とも取れるような、低い声。
自分のことを言われているのだと気づいて、トワリスは、慌てて顔をあげた。
遠慮がちに部屋の中を覗いてみれば、寝台の上に足を組んで座っているアレクシアと、ぱちりと目が合う。
アレクシアの部屋だから、派手な内装を想像していたが、実際は備え付けの寝台と文机しかなく、間取りは同じだが、トワリスの部屋以上に殺風景で生活感がなかった。
トワリスは、アレクシアとジークハルトを交互に見ると、一歩その場から引いた。
「あの……お取り込み中だったら、すみません。都合が悪ければ、出直しますが……」
控えめな声で言うと、表情を険しくしたジークハルトに対し、アレクシアは、おかしそうに笑った。
「あら、そう? 気を遣わせて悪いわね。二人きりでお取り込み中だから、後でもう一度来てくれるかしら?」
「誤解を招くような言い方をするな。何も取り込んでない」
アレクシアのからかうような口ぶりに、ジークハルトが眉をしかめる。
ジークハルトは、アレクシアを睨むと、ため息混じりに言った。
「お前、ふざけるのも大概にしろ。誰のお陰で除名されずに済んだと思ってる。少しは軽口を控えて、反省したらどうだ。また留置所に送られても、今度は助けてやらんぞ」
留置所──。
その言葉に、トワリスは耳を疑った。
もしやアレクシアは、今まで留置所で拘留されていたのだろうか。
卒業試験の受験資格を剥奪されるどころか、まるで罪人のように拘置されていたなんて、正直信じがたい。
確かに、規律違反は犯した。
しかし、たかが訓練生が無断で任務に出たくらいで、これといって大きな問題を起こしたわけでもないのに、除名や拘置しようだなんて、いくらなんでも重罰すぎる。
トワリスは、顔色を変えると、ジークハルトに詰め寄った。
「今の、どういう意味ですか? アレクシア、今まで留置所に送られていたんですか?」
アレクシアの顔が、珍しく気まずそうな表情に変わる。
黙ってしまった彼女を一瞥すると、トワリスは、ジークハルトに向かって続けた。
「……ラフェリオンの件が原因ですか? 確かに、そのことに関しては、身勝手な行動ばかりして、本当に申し訳ありませんでした。ですが、私たちはあくまで、卒業試験の一環として、魔導師の職務を果たそうとしただけです。アレクシアが拘束までされる理由が分かりません……!」
思いがけず刺々しい口調になってしまって、トワリスは慌てて口を閉じた。
別に、アレクシアの処分を決定したのはジークハルトではないだろうし、口ぶりからして、彼はむしろ、アレクシアのことを助けてきてくれたようだ。
それなのに彼を責める謂れはなかったのだが、つい熱くなって、口走ってしまった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.155 )
- 日時: 2019/07/11 18:37
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: exZtdiuL)
アレクシアは、少し驚いたように目を丸くして、トワリスを見ている。
一方のジークハルトは、すっと目を細めると、冷静な口調で答えた。
「魔導師団の上層部からすれば、目を瞑ってはおけなかったということだ。自分達が何に手を出したのか、分かっているか? 前魔導師団長、ブラウィン・エイデンが禁忌魔術を犯そうとしたことは、魔導師団が必死になって隠蔽した過ちだ。それをお前たちは掘り返して、暴いた。訓練生にそんなことをされては、黙っていられないだろう」
「…………」
うつむいて、トワリスは、ぐっと唇を噛んだ。
今回トワリスたちが挑んだのが、ラフェリオンの件でなければ、こんなに大事にはならなかっただろう。
規律違反をしたとか、そんなことは端から重要視されていなかったのだ。
魔導師団にとって都合の悪い真実に触れてしまったから、アレクシアは処罰されたのである。
同時に、任務に赴く前、アレクシアが言っていた言葉が、ふと脳裏に蘇った。
──魔導師団の上層部が、臭いものに蓋をしたって考えるのが、普通じゃない?
単なる憶測かと思っていたが、やはりアレクシアは、全てを知っていたのだ。
知っていたけれど、独力ではどうにもならないと分かっていたし、魔導師に昇格してからでは、自由に任務に出られることなんてないだろうから、卒業試験という機会を利用して、サイとトワリスを巻き込んだ。
反面、深く関わらせるべきではないとも思っていたから、なかなか事情を話そうとはしてくれなかったのかもしれない。
結果的に、真相の断片をトワリスたちは知ってしまったが、それでも、アレクシアが主犯は 自分だと明かしてくれたお陰で、サイとトワリスは、何も分からず丸め込まれただけだと思われている。
上層部が、トワリスたちの合格を黙認したことが、何よりの証拠だ。
トワリスは、拳をぎゅっと握ると、ジークハルトを見上げた。
「……納得がいきません。都合の悪いことを暴いたから、アレクシアが悪者になるんですか? そんなのおかしいです。私も、詳しい事情は知りません。だけど、アレクシアはむしろ、魔導師団が助けてあげるべき立場だったんじゃないんですか? ハルゴン氏だって、そうです。彼はずっと、ブラウィン・エイデンに禁忌魔術を使うよう脅されて、苦しんでいた。手をさしのべるべき、被害者だったんです。それなのに魔導師団は、助けるどころか、事実を隠蔽したいばっかりに、ハルゴン氏を亡き者にした。……悪者は、どっちですか」
言ってしまってから、トワリスは、自分の手が微かに震えていることに気づいた。
それが、怒りから来るものなのか、怯えから来るものなのかは、分からなかった。
こんなことを宮廷魔導師であるジークハルトに言ったら、アレクシアだけじゃなく、トワリスも真実を知っているのだと、上層部に明かしてしまうようなものだ。
そうしたら、合格取り消しどころか、アレクシアと同じように、処罰を受けさせられるかもしれない。
それでも、言ってやらねばと思った。
念願の魔導師になれて嬉しかったし、規律違反をしたことは本当なので、多少の罰を受けるのは仕方がないものと納得していた。
けれど、臭いものの蓋を開けられたからという理由で、理不尽な目に遭わせられるというなら、話は別である。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.156 )
- 日時: 2019/07/13 18:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
ジークハルトは、長い間黙って、トワリスのことをじっと見つめていた。
トワリスもまた、目をそらさずに、ジークハルトのことを見つめ返していたが、内心、何を言われるだろうかと気が気ではなかった。
入団試験を受けたときと同じ、強い光を宿した、漆黒の瞳。
ジークハルトの目には、相手を捕らえて離さない、強く鋭い意思が宿っている。
しかし、不意に目を閉じたかと思うと、ジークハルトは、僅かに纏う空気を和らげて、言った。
「……全くもって、その通りだな」
思いがけず肯定的な答えが返ってきて、ぱちぱちと瞬く。
ジークハルトは、一つ息を吐くと、トワリスに向き直った。
「一応弁解しておくが、人形技師のミシェル・ハルゴンを葬った連中は、前団長ブラウィン・エイデンに加担する魔導師だったんだ。魔導師団が事件を隠蔽しようとしたことは事実だが、証拠隠滅のためにハルゴン氏を殺害しようとしたのは、魔導師団の総意だったわけじゃない。禁忌魔術をハルゴン氏に強制した挙げ句、自分達の悪行が暴かれそうになったからといって、関係者を片っ端から亡き者にしようとしたのは、言わばエイデン派の人間たちだ。そしてそいつらは、後々魔導師団の方で見つけ出し、ちゃんと裁いている。……アレクシアが、お前たちにどんな説明をしたのかは、知らんがな」
ちらりとアレクシアの方を見てから、ジークハルトは続けた。
「ついでに言えば、魔導人形ラフェリオンの正体は、現状俺とお前たちしか知らない。上は、気の急いたアレクシアが、手柄欲しさに宮廷魔導師団宛の案件を盗み出し、サイとトワリス両名を巻き込んで、結果ラフェリオンの破壊に成功したと思っている。つまり、今いる魔導師団の幹部も、大半が“ラフェリオンとは、ハルゴン氏が禁忌魔術によって生み出した強力な魔導兵器”であり、それはお前たちが破壊したものと信じこんでいる。……そもそも、事件発覚以降、姿を眩ましていた魔導人形が、実は感情と思考を持っていて、自分の偽物の情報を流して逃げ回っていたなんて、そちらの方が真実味に欠けるしな。魔導師団にとって都合が悪かったのは、禁忌魔術によって生まれた人形がいる、ということよりも、その禁忌魔術に前魔導師団長が関わっていた、ということだ。ようやくその真実が過去のものになろうとしているのに、今更深追いして、本物のラフェリオンの正体を暴き追おうとする者もいないだろう」
ジークハルトの静かな声色に、ささくれ立っていた心が、徐々に落ち着いていく。
身体の強張りが少しずつ解けていくと、トワリスは、ほっと胸を撫で下ろした。
「そう、なんですね……良かった」
気が抜けたような返事が、思わず口をついて出る。
それでも、未だ浮かない顔つきのトワリスに、ジークハルトは尋ねた。
「……失望したか?」
質問の意図が分からず、眉を寄せる。
ジークハルトは、険しい表情のまま、付け足した。
「ハルゴン氏を殺害したのがエイデン派の人間だったとはいえ、魔導師団が、被害者の保護よりも事件の隠蔽を優先したのは事実だ。ラフェリオンの件だけじゃない。魔導師団には、こういった黒い噂なんて、いくらでもある。口では国の平和を守るだなんだとほざいても、その実、自分の体裁を守るので精一杯な連中なんて、魔導師団には五万といる。馬鹿馬鹿しいだろう」
トワリスは、目を見開いて、ジークハルトの顔を見つめた。
この言葉が、ジークハルトの本音なのかどうか、彼の動かない表情からは、何も伺えなかった。
本音のようにも思えたし、逆にトワリスの心を探られているような気もする。
けれどそれは、魔導師団への忠誠を確かめられている、というよりは、純粋にジークハルトが、トワリス個人へとしている問いかけのように思えた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.157 )
- 日時: 2019/07/14 18:54
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
トワリスは、目を伏せると、ぽつりと本音を溢した。
「……馬鹿馬鹿しい、とは思います。貴族出だとか、平民出だとか、男だとか女だとか、普通じゃない生い立ちだとか、そんなどうでもいいことばかり気にする人に、沢山出会いました。自分の立場を守るためだけに、他者を踏みにじって、騙して、嘘の上塗りをして……そういうのって、本当に下らない。でも、現に私たちも、嘘をつきました。魔導師としての選択をするなら、禁忌魔術で作られたラフェリオンを壊すべきだったのに、そうしなかった。そして、偽物のラフェリオンを本物だったということにして、結果的に事件を解決したと、虚偽の報告をしました。……私は、その選択が間違っているとは思いませんが、それでも、嘘は嘘です」
次いで、ジークハルトの目を真っ直ぐに見ると、トワリスは続けた。
「納得がいかないことも、悔しいこともあります。だけど、何かを守れる人間になるためには、魔導師団の一員であることが、一番の近道になると思うんです。だから、失望してはいません。……というより、まだしたくありません」
「…………」
ジークハルトは、再び口を閉ざして、トワリスのことをじっと見据えていた。
しかし、不意に踵を返すと、扉の取っ手に手をかけて、振り向き様に言った。
「そこまで考えられるなら、まだ堪えておけ。気に食わないことがあるのは、よく分かる。だが、今のお前の立場でところ構わず噛みついたって、叩き潰されるのが落ちだ。……魔導師団は、俺が変える」
それだけ言うと、ジークハルトは、扉を開けて部屋の外へと出ていってしまう。
トワリスは、しばらくの間、ぽかんと扉の方を見つめていた。
胸の中にあった苛立ちがしぼんで、代わりに、僅かな羞恥心が込み上げてきた。
自分の発言は、間違いではないと思う。
だが、実力のない今の自分が、それをところ構わず訴えたって、ジークハルトの言う通り、一蹴されて終わりだろう。
冷静になれば分かることなのに、頭に血が昇ると、つい考えるより先に行動してしまうのが、自分の悪い癖だ。
そのことを、まだ会って間もないジークハルトに見抜かれたのが、なんだか恥ずかしかった。
アレクシアが、どこか呆れたように口を開いた。
「あの自信は、一体どこから来るのかしらね? あの人だって、まだ二十歳よ?」
寝台の上で、気だるそうに髪をいじるアレクシアに、視線をやる。
トワリスは、アレクシアの方を向くと、不思議そうに尋ねた。
「……アレクシア、バーンズさんとお知り合いだったんだね。アレクシアも、入団試験の時に会ったの?」
何気ない問いに、アレクシアが眉をあげる。
少し黙りこんだあと、やれやれと首を振って見せると、アレクシアは、大袈裟な身振り手振りをつけて答えた。
「その程度じゃないわ。もっと深ーい関係よ」
「えっ……」
トワリスの頬が、微かに赤くなる。
気まずそうに視線を背けると、トワリスはもごもごと口ごもった。
「ア、アレクシアって、しょっちゅうそんなことしてるの……?」
批判的な色を混ぜて、躊躇いがちに尋ねる。
アレクシアは、面白がっている様子で、くすくすと笑った。
「そんなことって?」
「いや、だから……。ゼンウィック常駐の、あのメレオンっていう魔導師の男の人とも、なんか、その……ただの友達って訳じゃなさそうだったし……」
「ただの友達じゃなかったら、どうだっていうのよ?」
聞いているのはこちらなのに、アレクシアは、質問ばかりで返してくる。
トワリスは、逡巡の末、一層顔を赤らめると、目線を床に落としたまま、呟いた。
「そ、そういうのは……あんまり、良くないと思う……」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.158 )
- 日時: 2019/07/16 18:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
瞬間、吹き出したアレクシアが、からからと高い声で笑い出す。
たじろいだトワリスを、ひとしきり笑って馬鹿にすると、アレクシアは言った。
「馬鹿ね、冗談に決まってるじゃない。本当に貴女って、いちいち真に受けるから面白いわ」
むっとしたトワリスが、アレクシアを睨み付ける。
未だ笑いを噛み殺しているアレクシアに、トワリスは反論した。
「真に受けてるわけじゃないよ! ただ、アレクシアは色々だらしないから……!」
そのまま説教を続けようとして、口を閉じる。
トワリスはそっぽを向くと、冷めた口調で返した。
「……なんか、思ったより元気そうだね。心配して損したよ」
アレクシアが、ふっと鼻を鳴らす。
「何よ、心配して来たわけ? 随分お優しいことね。あれだけ私に敵意剥き出しだったくせに」
トワリスは、口を尖らせた。
「……それとこれとは、話が別だろ。アレクシアがかばってくれたから、私とサイさんは正規の魔導師になれたわけだし……その、一応、お礼を言っておこうと思って……」
罰が悪そうに答えたトワリスに対し、アレクシアが、目を丸くする。
彼女は、毒気を抜かれた様子で、何度か目を瞬かせた。
「……はあ? お礼? 貴女、一体どこまでお人好しなのよ。私がサイとトワリスを巻き込んだのは事実なんだから、変な罪悪感を感じてるんじゃないわよ。分かってる? 私、貴女たちのことを勝手に視て、それを脅しの材料に使ったのよ」
トワリスは、真剣な表情になると、アレクシアを一瞥した。
「それだけ、ラフェリオンに会いたかったってことだろ。奪われたヴァルド族の目が、どうなったのか、どうしても確かめたかったから……」
どこか申し訳なさそうに言って、トワリスが俯く。
これ以上、アレクシアの過去に関わる話を、するべきじゃないと気遣っているのだろう。
しかし、無理に話題をそらすのも不自然だから、必死に当たり障りのない言葉を探しているようだ。
分かりやすいトワリスの反応に、アレクシアは、大きくため息をついた。
「辛気くさい顔して、鬱陶しいわね。……あのね、本当は、ヴァルド族なんて存在しないのよ」
「えっ」
思いがけない言葉に、トワリスが瞠目する。
アレクシアは、寝台から腰をあげると、ぐっと背筋を伸ばした。
「西の一部に伝わる伝承にね、ヴァルド族と呼ばれる、透視と予知の能力を持った一族が出てくるの。彼らが実在していたのかどうかは、分からないわ。私は、その名前を語った、偽物ってこと」
随分と簡単に明かされた真実に、トワリスが頭を捻る。
怪訝そうに眉を寄せると、トワリスは、アレクシアに詰め寄った。
「ど、どういうこと……? じゃあ、ラフェリオンに話してたことは、全部嘘だったの? アレクシアの目には、特殊な力なんてないってこと?」
アレクシアは、隣部屋であるトワリスの自室と、この部屋とを隔てる木壁を指差すと、小さく首を振った。
「嘘はついてないわ。私には、壁を隔てた向こうの景色でも、山一つ向こうの景色でも、普通は見えないはずのものが視える。だから、貴女が昨晩、どんな寝相だったかも知ってるわ」
「……私、真面目な話をしてるんだけど」
半目で睨んで、ふざけるなと訴える。
トワリスの鋭い視線に、アレクシアは、ふふっと笑って、肩をすくめた。
「真面目に話すほどでもない、下らない能力ってことよ」
次いで、トワリスの横を通りすぎると、アレクシアは背を向けて、淡々と言い募った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.159 )
- 日時: 2019/07/18 20:24
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: kEC/cLVA)
「見えないはずの景色が見えたからって、何になるっていうの? 別に、見たいと思った景色が、自在に見えるわけじゃないの。意図せず、急に頭に流れ込んでくるのよ。だからって、声が聞こえるわけじゃないから、映った相手が何を話しているかなんて分からない。直接干渉できるわけでもない。ラフェリオンの術式だって、そう。近づかなきゃ見えないような小さなものは、私にだって見えない。こんな能力、何の役に立つっていうのよ。役に立たない力なんて、異端扱いされる理由にしかならないわ。……せめて予知能力でもあれば、伝承に伝わるヴァルド族みたいに、神聖視されたんでしょうけれどね」
「…………」
アレクシアの声色が、微かに暗くなったような気がした。
トワリスは、続きを聞いて良いのか迷いながら、小さな声で尋ねた。
「……それで、ヴァルド族の名前を語ることにしたの?」
アレクシアは、壁の一点を見つめたまま、返事をした。
「言い出したのは、私の姉よ。元々、私達姉妹には、大した力なんてなかったのに、伝承にあるヴァルド族の末裔だとでも言えば、周囲は皆、自分たちのことを崇拝するだろうって。姉は、透視だけでなく、予知能力もあるだなんて嘘をついて、周りを騙し続けたの。結果、一時的に注目は集めたけれど、悪目立ちして、魔導人形の材として目をつけられた。十四の時に、ブラウィン・エイデンに眼球を奪われて、そのまま死んだわ。……笑えるでしょう。自分でついた嘘のせいで、惨めに死んだのよ。善良で正直に生きたって、ろくな人生にはならないけれど、他人を騙して欲深く生きたって、結果は同じなのね」
皮肉めいているような、冷たい口調であった。
アレクシアが話し終えると、薄暗い部屋の中に、静けさが戻ってくる。
ややあって、決心したように拳を握ると、トワリスは、はっきりとした声で言った。
「……私やっぱり、アレクシアに賛同してラフェリオンの破壊に行きましたって、報告してくる」
こちらを見ようとしなかったアレクシアが、振り返る。
心底呆れ果てた様子で息を吐くと、アレクシアは、トワリスの顔を覗き込んだ。
「今の話の流れで、どうしてそうなるのよ? それで合格を取り消されたら、貴女どうするのつもりなの?」
トワリスは、アレクシアの蒼い瞳を見つめ返すと、頑なな態度で答えた。
「そうなったらそうなったで、しょうがないよ。来年、もう一度試験を受ける。……だって、やっぱりアレクシア一人に責任を押し付けるなんて、駄目だよ。私、アレクシアが何か企んでるんだろうなって、分かって着いていったんだもの。同罪だよ」
アレクシアが、大きく目を見開く。
やりづらそうに顔を片手で覆うと、アレクシアは、再度盛大なため息をついた。
「同罪って……あのねえ、私は貴女たちと違って、どうしても魔導師になりたいわけじゃないの。だから、卒業試験の受験資格を剥奪されたからって、大した痛手じゃないわけ。分かる? 第一、貴女が馬鹿正直に上に報告にいったとして、私が感謝をするとでも思ってるの?」
トワリスは、ふるふると首を振った。
「思ってないよ。私が合格取り消されたって、留置所に送られたって、アレクシアはどうせ、『馬鹿じゃないの? これだから獣女は短絡思考ね』くらいにしか思わないんだろうけど、それでも、私が納得いかないんだよ」
「…………」
もはや返す言葉も思い付かないのか、アレクシアは、何も言わなくなってしまった。
トワリスもまた、唇を引き結んで黙っていたが、やがて、いつかのように、アレクシアに額を指で弾かれると、顔を上げた。
「……意味のない責任なんか感じてないで、魔導師になりなさいって言ってるのよ。なって、 街中でふんぞり返ってやりなさい。獣混じりの女魔導師なんて、皆びびって声もかけてこないわよ」
言葉の意味を探るように、トワリスはアレクシアの表情を伺った。
アレクシアは、心底呆れたような顔をしている。
「私以外にも、女が入団してるなんていうから、どんな気狂いかと思っていたけれど、話してみれば、ただの真面目一直線だものね。あれだけ私に散々言われたのに、のこのこ間抜け面でやってきて、『同罪だから』なんてほざくんだもの。貴女みたいな馬鹿丸出しは、正義の味方に向いてるわ」
トワリスは、怪訝そうに眉をしかめた。
「……それって褒めてるの?」
「褒めてるわよ。貴女ほどお人好しで、ろくな死に方をしなさそうな人間は、そうそういないって言ってるんだから」
「褒めてないだろ」
呼吸をするように貶してくるアレクシアに、もはや感心さえ覚える。
それから、先程指で弾かれた額を擦りながら、トワリスはぽつりと問うた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.160 )
- 日時: 2019/07/20 19:14
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「……ねえ、さっき、どうしても魔導師になりたいわけじゃないって言ってたけど、それならアレクシアは、どうして魔導師を目指したの?」
アレクシアの目の色が、微かに変わる。
閃く蒼をじっと見つめていると、やがて、アレクシアは口端を上げた。
「生まれに関係なくなれる職業で、一番成り上がれる職業って、何だと思う?」
トワリスが何かを答える前に、アレクシアは続けた。
「私はね、魔導師だと思ったわ。だから目指したの。正義の味方なんて柄じゃないけど、英雄面すれば、きっと見える景色が変わる。魔導師になって、地位も名誉も手に入れたら、今まで私のことを指差して、異端だと蔑んできた連中が、途端に顔色を変えて頭を下げるのよ。魔導師様、魔導師様ってね。こんなに愉快なことって、他にある?」
艶っぽく、一方でどこか子供のような、いたずらっぽい笑みを浮かべて、アレクシアは言う。
彼女らしい返答に、一拍置いて、トワリスは苦笑した。
「……動機が不純だね」
「言ってなさいよ。私は貴女みたいに、清廉潔白じゃないの」
アレクシアは、吹っ切れたような声色で言った。
トワリスは、微かに眉を下げると、アレクシアから視線を外して、目を伏せた。
「……別に、私だって、清廉潔白なんかじゃないよ。他人を踏みつけたり、嘘ついたりするのは良くないって思うけど、綺麗事だけじゃ生きていけないっていうのも、分かってるつもり。自分一人生きるのだって、大変だもの。人助けしたり、国を守ることが、もっと難しいことくらい知ってる」
言ってから、アレクシアに向き直ると、トワリスは手を差し出した。
眉を上げたアレクシアは、トワリスの顔と手を交互に見ると、訝しげに尋ねた。
「……なによ?」
トワリスが、微苦笑する。
「別れの挨拶。……一応、ね。次、いつ会えるか分からないから」
そう答えると、アレクシアは、付き合っていられない、とでも言いたげな表情で、トワリスを見た。
それでも、手を引っ込めずにいると、アレクシアは嘆息しながらも、その手を握ってくれた。
──と、次の瞬間。
その手を思いっきり引っ張ると、トワリスは、その懐に身を沈め、彼女を背負い投げした。
予想もしていなかった攻撃に、アレクシアは、いとも簡単に投げ飛ばされる。
着地したのは寝台の上だったので、大した痛みはなかったが、急に仕掛けられた衝撃で、心臓がばくばくと音を立てていた。
「ちょっ……っ、なにすんのよ!」
思わず大声をあげて、トワリスの方を振り返る。
トワリスは、アレクシアから一本とった優越感に浸りながら、ぱんぱんと手を払った。
「お返し」
その言葉に、アレクシアが目を見張る。
トワリスは、してやったりと笑った。
「異端だの、野蛮だの、気持ち悪いだの、今まで随分好き勝手言ってくれたじゃないか。正直今でも怒ってるけど、仕方ないから、今ので許してあげる」
「は、はあ……?」
アレクシアの顔に、困惑の色が浮かぶ。
トワリスは、寝台の上で受け身をとったまま、唖然としているアレクシアの目線に合わせて、屈みこんだ。
「……アレクシアが良いって言ってくれるなら、私、一足先に魔導師になるよ。だから、アレクシアも来年、必ず魔導師になって。私達、全く気は合わないけど、共通点は沢山あるから、アレクシアも、きっと魔導師に向いてると思う。私達、異端同士、女同士、でしょ?」
普段の姿からは想像もできないくらい、呆気にとられたような顔で、アレクシアは黙っている。
そんな彼女の額を指で弾くと、今度はアレクシアが、枕を投げつけてきた。
ぼすん、と音をたてて、トワリスの顔面に枕がぶつかる。
落下した枕を、そのまま手で受け止めれば、姿勢を戻したアレクシアが、トワリスのことを見ていた。
「貴女と同じにしないでちょうだい。……これだから、獣女は嫌なのよ」
憎たらしい口調で言って、それから、アレクシアは強気な笑みを浮かべる。
トワリスは、困ったように肩をすくめてから、つられたように笑ったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.161 )
- 日時: 2019/07/22 18:48
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
* * *
例えば、空腹や渇きで、今にも死にそうな子供が倒れていたって、平然と見殺しにしてしまうような──。
姉は冷たくて、とにかく性格の悪い女だった。
自分勝手で、一方的で、一言でも口答えをすれば、百の言葉で怒鳴り返してくる。
そんな姉、トリーシアのことが、アレクシアは嫌いだったが、生きている肉親は彼女だけだったので、なんとか二人で助け合って、生きていくしかなかった。
二人は生まれつき、見えないはずの景色が視える、不思議な蒼い目を持っていたが、その能力のことは、口外しないようにしていた。
かつて母が、異端だと蔑まれ、村人たちから石を投げられて生活する様を、嫌というほど見て育ったからだ。
母は、穏やかで優しい性格の持ち主であったが、貧しい中で娘二人を抱えて生活していく内に、病で倒れ、トリーシアが十二、アレクシアが八の時に、呆気なく死んだ。
すると村人たちが、蒼い目の異端者が流行り病を持ち込んだと騒ぎ、家ごと燃やそうとやって来たので、二人は夜通し走って、別の村まで逃げたのだった。
移り住んだ村でも、珍しい蒼髪と蒼目は、歓迎されなかった。
それでも、出来る限り従順に、静かに暮らしていれば、石を投げられることはなかったし、幸いというべきか、トリーシアは見目の良い女だったので、一部の者たちからは、気に入られている様子であった。
けれど、どんな理由で姉が人々の気に引き、金や食料を手に入れていたかなんて、当時のアレクシアは、考えてもいなかった。
ある時、村が干ばつに襲われた。
トリーシアとアレクシアには、山一つ向こうに、枯れていない泉があることが視えていたが、そんなことを知らない村人たちは、飢えと渇きに喘いでいた。
アレクシアは、姉に言った。
「姉さん、泉の場所を皆にも教えてあげようよ。このままじゃ、村は終わりよ」
しかし、トリーシアは、首を縦に振らなかった。
「教えてやる義理はないわ。泉を見つけたのは私達なんだから、私達だけが使っていいのよ」
干からびていく村人たちを見もせずに、トリーシアは、平然と言ってのける。
そう、姉は冷酷で、非情な人なのだ。
アレクシアは、村人たちが哀れでならなかった。
一応この村には、置いてもらっている恩もあるし、何より、このまま死んでいく村人たちを横目に、自分達だけ隠れて喉を潤しているなんて、いくらなんでも忍びない。
アレクシアは、引き下がらなかった。
「でも姉さん、私達じゃ、毎日水桶を持って山一つ越えるなんて、体力的に無理だわ。村の男の人たちに、運んできてもらおうよ。それで、泉の場所を教えてあげたお礼として、水を分けてもらうの」
名案のつもりで言ったが、結局その日、姉は頷いてくれなかった。
けれど、その翌朝、村の手伝いとやらを終えて帰ってきた姉が、ふと言い出した。
「アレクシア、私達、これからはヴァルド族だって名乗るのよ。村の連中が、言ってたの。昔、この近辺の山には、ヴァルド族っていう不思議な一族が棲んでいたんだって。そいつらは、どんな遠くの景色でも、未来すら見通せる目を持っていたらしいわ」
珍しく、興奮したように語る姉に、アレクシアは首をかしげた。
「でも私達、未来なんて見えないわ。遠くの景色だって、時々夢みたいに頭に浮かぶだけだもの。どうしてそんな嘘をつかないといけないの?」
問うと、姉はいつものように、苛立たしそうな顔になった。
「いいから、言うことを聞きなさい。あんたは黙って、私に従っていればいいの。何にも出来ないくせに、一丁前に文句ばかり言うんじゃないわよ」
「…………」
怒ったトリーシアには、何を言っても負けてしまうので、言う通りにするしかなかった。
実際に、姉がヴァルド族の末裔を名乗り、泉の在処を村人たちに教えたところ、彼らの自分達を見る目が明らかに変わったので、余計に文句のつけようがなくなってしまった。
トリーシアのついた嘘のお陰で、村人たちが、自分達を神聖な一族として敬うようになったのだ。
異端だの、気持ち悪いだの、指を差されて貶されることもなくなった。
蒼い瞳も髪も、特別なものだと噂され、村人たちは、トリーシアの出任せを予言だと信じ、「ありがとう」とお礼を言うようになった。
前の村では、眼の力のことを話したら石を投げられたのに、伝え方一つでこんなに待遇が変わるなんて、なんだか奇妙な気分だった。
トリーシアは、穏やかでのんびりしていた母に比べて、頭の回転も速い女だったから、生き方が上手なんだろう。
そんな彼女に従っていれば、きっと自分も生き延びられる。
そう思う一方で、やはりアレクシアの心には、村人たちを騙している罪悪感が、日に日に募っていっていくのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.162 )
- 日時: 2019/07/24 20:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
ある日、アレクシアは、トリーシアに言った。
「ねえ、もうやめようよ。私達、予知なんてできないんだし、これ以上はったりを言い続けても、ばれるのは時間の問題よ。ヴァルド族だなんて嘘をついていたことが知られたら、私達、どんな目に遭わされるか分からないわ。泉の場所を教えたのは事実なんだし、今、正直に言って謝れば、村の人たちも許してくれるよ」
素直に不安を打ち明けたが、トリーシアは、相変わらずの刺々しい口調で返事をした。
「そんなの、ばれなきゃいい話じゃない。あんたは、前の惨めで汚ならしい生活に戻りたいって言うの? 私は嫌だわ。地面を這いずって必死に生きていくなんて、もうこりごりよ」
「そりゃあ、以前の暮らしは苦しかったけど……」
反論しようとすると、案の定、姉は声を荒げた。
「うるさいわね! 大体、あんたの考えは都合が良過ぎるのよ! 正直に言って謝れば、許してくれる? そんなわけないじゃない。どこまで馬鹿なの? 私達、もう引き返せないところまで来てるのよ。分かるでしょう? 私達はヴァルド族で、村を救った英雄! この嘘で生き永らえてるの。それが真実よ!」
アレクシアは、泣き出しそうになりながら、強く言い返した。
「それなら、姉さん一人でやってよ! そもそも、最初から正直に泉の場所を教えていれば、村の人達とも仲良くなれて、胸を張って生きていけたかもしれないでしょ! 姉さんが村の人を騙そうなんて言うから、こんな、後ろめたい気持ちで暮らさないといけなくなったんじゃない。もう私を巻き込まないでよ!」
トリーシアは、アレクシアの頬を平手打ちした。
「そうやって能天気に、正直に生きた結果が母さんでしょ! なに、あんたは母さんみたいに死にたいわけ? 石を投げられて、家まで燃やされて、最期まで蔑まれながら野垂れ死にたいっていうの? 私達はね、異端なのよ。異端な上に、無力で弱いの! 助け合いだの何だのとほざいて、どれだけ善良に、正直に生きたって、結局糞虫みたいに泥にまみれて、踏みつけられながら生きていくしかないのよ。だから、すがれるものにはすがって、利用できるものは全部利用して、そうやってのし上がっていくしかないの!」
頬を押さえて、涙目で睨んでくる妹に、トリーシアは怒鳴り続けた。
「後ろめたいって、誰に対して言ってるのよ? 頭の悪い、この村の人間? それとも、存在しない神でも信じてるわけ? そんな役立たずから見返りを求めてる暇があるなら、水の一杯でも汲んできなさいよ! 自分達の力で踏ん張らなきゃ、私達簡単に死ぬの! 馬鹿な母さんみたいにね!」
「……っ」
そんな言い合いをした日以降、アレクシアは、トリーシアと口をきかなくなった。
自分だって、辛い日々を一緒に乗り越えてきたのだから、姉の考えだって少しは理解できる。
ただ、彼女のやり方はあまりにも汚いから、それは間違っているんじゃないかと、意見を述べただけだ。
それなのに、姉はいつだって聞いてくれない。
頭ごなしに怒鳴り返してくるばかりで、挙げ句、一生懸命自分達を育ててくれていた母まで貶す始末だ。
姉は冷たくて、とにかく性格の悪い女だった。
だから、自分以外のことは、本当にどうなったって良いと思っているのだろう。
妹であるアレクシアのことだって、邪魔なごく潰しくらいにしか思っていないのかもしれない。
その日から、アレクシアは、姉のことが大嫌いになった。
そんな姉に天罰が下ったのは、茹だるような、暑い夏の夜だった。
突然、数人の男たちが家に押し入ってきたかと思うと、男たちが、抵抗する姉に刃を突き立てたのだ。
頭を殴られ、気絶していたアレクシアが目を覚ました頃には、姉は血塗れになって、部屋の隅に倒れていた。
まだ微かに息はあったが、彼女の両の眼球は、男たちが抉りとっていったらしい。
トリーシアの眼窩(がんか)には、ぽっかりと暗い闇が広がっていた。
「……神、様……」
姉の乾いた唇から、吐息のような声が漏れている。
殴られて、鈍く痛む頭を押さえながら、どうにかトリーシアの元まで這いずると、彼女は、繰り返し何かを呟いていた。
「……神、様……助けて、助けて、ください……。どうか、妹だけは、助けて……ください……」
手を伸ばしても、もう感覚などないのか、姉は反応しなかった。
ただ、壊れたかのように、同じ言葉を、何度も何度も紡いでいた。
「全部……私です。村の人達を、騙した、のも、盗みを、したのも、全部……汚いのは、私です……」
「…………」
「悪いのは、私です……。罰なら……私が、受けます……。妹は、関係、ありませ……」
いつも気丈だった姉の、掠れて弱々しい声。
アレクシアは、それをただ呆然と聴いているしかなかった。
悔しくて、涙が出た。
悲しくて、苦しくて、恥ずかしくて──いろんな感情がごちゃ混ぜになって、涙が止まらなかった。
もう私を巻き込まないでよ、なんて、どうしてあんなことが言えたのだろう。
母が死んだ後、ずっと周囲を蹴散らして引っ張りあげてくれていたのは、姉だったのに。
彼女が選ぶしかなかった選択肢を、ただ呆然と見つめて「それは汚いやり方だ」と罵っていた自分が、ひどく情けなかった。
「妹は……妹は、正直な、優しい子です。だから、どうか、妹だけは……」
トリーシアの唇は、やがて、動かなくなった。
古の時代に存在したとされる、ヴァルド族の力を持った娘だと、トリーシアの名は近隣の村々にまで届いていた。
そんな彼女の不思議な能力に目をつけたある魔導師が、特殊な魔導人形を作るために、姉の目を奪っていったのだと。
そんな事の顛末を知ったのは、何年か後のことであった。
そして、家の場所を知らせ、自分達姉妹を売ったのが、金に目が眩んだ、村人たちだったということも。
姉は性格が悪くて、日頃の行いも悪かったから、天罰が下ったのだろう。
母のような間抜けな人間は切り捨てるし、姉のような汚くて残酷な人間にも、勿論容赦はしない。
もし、神様がいるならば、きっとそれは、そういう存在だ。
「……神様は、いないんでしょう?」
アレクシアは、姉の手を握った。
姉の手は、石のように硬く、氷のように冷たかった。
To be continued....
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