複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.404 )
日時: 2021/02/01 21:00
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)


†終章†
『黎明』



 みるような冬が過ぎて、季節は春になった。

 吹き抜ける風に撫でられ、一面の花が、さわさわと揺れている。
春は、シルヴィアがいなくなった離宮の庭園を、燦々さんさんと照らし出し、鮮やかに彩ったのであった。

 離宮の石壁に寄りかかって、ルーフェンは、細く立ち昇っていく灰煙を見上げていた。
足元では、ぱちぱちと音を立てながら、黒ずんだ紙片を舐めるようにして、炎が蠢いている。
燃やしているのは、全て、離宮の中から見つかった魔導書であった。

 人を寄せ付けなかったシルヴィアの自室には、禁忌魔術に関する魔導書が、大量にしまい込まれていた。
それが、召喚師一族に代々受け継がれてきたものなのか、それとも、シルヴィアが独自に集めたものなのか、それは分からない。
ただ、蠱惑こわく的に囁き、滴るような色香を以て誰かを誘っている、それらの魔導書を、ルーフェンは、一部を除いて燃やし尽くした。
それが、自分が母にしてやれる、唯一のことのような気さえしていた。

 シルヴィアの部屋からは、侍女とのやりとりらしき沢山の手紙や、手記なども見つかった。
ルーフェンは、それらも、一切中を見ることなく、全て燃やしてしまった。
孤独に綴られた母の想いなど、今更知りたくなかったし、読んではいけないと思った。
彼女が人知れず死んでから、ルーフェンの胸中には、ずっと、虚ろな闇が沈んでいる。
その物悲しさに似た何かを、なかったものとして忘れるためにも、ルーフェンは、亡き母を理解したくなかったし、これからも先もずっと、憎んでいたかったのだった。

 物陰から、長らくこちらを注視していた気配が動いて、ルーフェンは、すっと目を細めた。
警備の者達には、しばらく離宮周辺には近づかぬようにと言ってある。
最近、度々こういうことがあった。
シュベルテにて、教会と対するように並んだ召喚師を、イシュカル教徒が、虎視眈々と狙っているのだ。

 ルーフェンが、指を動かして焚き火を消し、魔力を練り上げた、その時だった。

「──死ね! 邪悪なる悪魔の使い手め……!」

 突然、離宮の影から、男が叫びながら飛び出してきた。
口ぶりからして、やはり教会の人間のようだ。

 男は、持っていた剣を振り上げ、猛然と走ってきたが、しかし、その刃が、ルーフェンに届くことはなかった。
斬りかかる寸前に、いきなり男が白目を剥き、血反吐を吐いて地面に倒れたからだ。

 男は、手足を痙攣させながら、しばらく地面の上でのたうっていたが、やがて、動かなくなると、そのまま息絶えた。
次第に、庭園全体を覆い尽くすように、禍々しい魔力を渦巻き始める。
大気が淀み、草木が戦慄わななき、花の間を行き交っていた蝶は、射落とされたように地に転がった。

 只ならぬ空気を感じて、身を強張らせたルーフェンの前に、それは、煙のように現れた。
重みを感じさせない、華奢な体躯に衣を靡かせ、滝のような黒髪を、ふわりと広げて地に降り立つ。
橙黄の目を怪しく細め、音もなく舞い降りてきたそれは、人の形をしていたが、人間ではなかった。

「……何者だ」

 低い声で尋ねると、それは、温度のない瞳を、ルーフェンに向けた。
滲み出た汗がこめかみを伝い、背筋が冷たく凍っていく。
まともに相対あいたいしてはならないと、本能が告げていた。

 それは、口端をあげると、男とも女ともとれぬ、中性的な声で答えた。

「我が名はエイリーン。北方の砦、アルファノルの召喚師にして、闇精霊の王……」

 ルーフェンは、はっと目を見開いた。
信じ難い言葉であったが、このような魔力を見せつけられてしまえば、その正体は疑いようがない。
それは、紛れもなく、他国の召喚師であった。

「……サーフェリアに、何の用だ」

 続けて尋ねると、エイリーンは、不愉快そうに眉をひそめた。
そして、ふと、視線を落として、転がっていた男の死体の腹を、片足で踏みつける。
その瞬間、死体から、凄まじい腐臭が立ち上ぼり、見る間に肉が溶け、白い肋骨が剥き出しになった。

 腐敗は留まることなく進み、こそげ落ちた肉が滴って、水溜まりのように汚汁おじゅうが広がっていく。
ややあって、半分白骨化した腐乱死体を軽く蹴ると、エイリーンは、忌々しげに鼻を鳴らした。

「口の利き方には気を付けよ。……このようになりたくなければな」

「…………」

 ルーフェンが、ここで抗う理由はないと、口を閉じる。
探るような視線を向けながらも、表向き、従順な姿勢を見せたルーフェンに、エイリーンは、満足げに返した。

「なに、そう身構えるな。争いに来たわけではない。我はそなたと、取引をしに来たのだ」

「取引……?」

 エイリーンは、黒髪を翻して、ルーフェンに近づいてきた。
底光りする橙黄色の眼差しが、銀色と交差する。
その瞳の奥にある、怨嗟(おんさ)と狂気に震える炎を、ルーフェンは、はっきりと見たような気がした。

「我に従え、サーフェリアの召喚師よ。さすれば、そなたの望みを叶えよう。命短き人の身では、決して知ることのない、この世の姿を見せてやろう」

 そう言うと、エイリーンは、唇を釣り上げるようにして嗤ったのだった。


Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.405 )
日時: 2021/02/01 21:11
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)



  *  *  *


 誰かが髪に触れた感触で、ファフリは、ゆっくりと目を開けた。
ぴくっと狼の耳を動かしたユーリッドが、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
慌てて起き上がると、ごんっと二人の額がぶつかって、ユーリッドとファフリは、思わず草地に突っ伏して呻いた。

「ごっ、ごめんね、ユーリッド! 痛かった……?」

「……う、うん。大丈夫、大丈夫。俺、石頭だから……」

 額を擦りながら尋ねると、ユーリッドが、むくりと起き上がる。
ユーリッドは、ファフリの手を握って、立ち上がるのを手伝うと、自分の髪や服についた草を、ぱたぱたと払った。

 ファフリもそれに倣って、羽毛の混じった髪に指を差し入れると、草や花弁がはらはらと落ちてきて、なんだか恥ずかしくなった。
頭上では、そんなファフリを笑うように、緑葉がかさかさと揺れ、枝に止まっていた小鳥が、鳴きながら飛び立っていく。
昼休憩の時間に二人で会おうと、城の中庭で待ち合わせをしていたのだが、先に到着していたユーリッドが、ぐうすか大の字になって寝ているのを見て、いつの間にか、ファフリもその隣で、昼寝をしてしまっていたようだった。

 暖かな陽射しに向かって、ユーリッドは、うーんと伸びをした。

「ごめん、なんか、すっかり寝込んじゃったなぁ。俺、そろそろ戻らないと」

「え? まだ、お昼の時間だよ」

 真上で燦々さんさんと輝いている太陽を一瞥して、ファフリが目を瞬かせる。
ユーリッドは、頭をぽりぽりと掻くと、困ったように答えた。

「そうなんだけどさ、教官に、放置されてた倉庫整理を頼まれちゃって。今日中に終わらなさそうだから、昼休憩を早めに切り上げて進めないとなって、イーサと約束したんだ」

「……そっか。見習い兵でも、お仕事大変なのね……」

 しゅん、と俯いたファフリであったが、我に返ると、慌てて表情を引き締めた。
ユーリッドは去年、屈強な獣人兵士たちで構成されたミストリア兵団に入団し、立派な正規兵になるべく、頑張っているのだ。

 剣を握らせてもらえるのは十二歳からなので、今、十一歳のユーリッドは、毎日雑用ばかり押し付けられているらしい。
それでも、かなりの重労働のようで、朝から晩まで、汗だくになって働いている。
無理を言って、遊びに来てもらっているのはファフリなのだから、別れを寂しがるような素振りは、見せてはいけないと思った。

「……疲れてる日は、無理してお城に来なくても、大丈夫よ。怪我とかしないように、頑張ってね。私、応援してるから」

 笑顔になって、ファフリが言うと、ユーリッドは、ぱちぱち瞬いてこちらを見た。
ファフリの声は明るかったが、何かを察したのだろう。
ユーリッドは、拳をぐっと握って、力こぶを作って見せた。

「爆睡しておいてなんだけど、俺は元気だから、平気だよ。俺もファフリと話したいし、毎日は無理かもしれないけど、ファフリが寂しいと思う日は、いつでも会いに来るよ! 明日でも、明後日でも、正規の兵士になった後でも」

 そう言って、ユーリッドは、歯を見せて笑った。
その開けっ広げで、真っ直ぐな言葉を聞いていると、いつも、ファフリの胸はぎゅっと締め付けられる。
昇格して、訓練兵や正規兵になると、容易に兵舎から抜けられなくなることを、ファフリは知っていた。
それでも、迷いなく会いに来ると言ってくれるユーリッドの言葉が、本当に嬉しかった。

 ファフリは頷いてから、控えめに言った。

「ありがとう、ユーリッド。私、嬉しい……。でも、訓練兵や正規兵になったら、もっと忙しくなると思うし、任務で遠くに行かなきゃいけないこともあるはずだわ。私はユーリッドが元気なら、寂しくないから、本当に無理しないでね」

「ああ、そっか……。確かに、任務で遠征したら、流石に来られないなぁ」

 難しい顔で下を向いて、ユーリッドは、しばらく何かを考えているようだった。
だが、ややあって、顔をあげると、ユーリッドは、言葉を継いだ。

「……そう、そうだね。もしかしたら、間が空くことはあるかもしれない。でも、ファフリが寂しいときとか、困ったときは、どこにいても、絶対行くから。それで、いつか、一緒に遠くを探検してみよう! ファフリ、前に城から出て、いろんなところに行ってみたいって言ってただろ?」

 ファフリは、眉を下げた。

「う、うん。でも、それは、ちょっとした夢のお話っていうか……。私は、城から離れちゃ駄目って、お父様に言われてるから……」

 目線をそらしたファフリに、ユーリッドは、ぶんぶんと首を振った。

「そんなの、俺が強くなればいいんだよ! ファフリだって、この国で一番強い召喚師様の娘なんだから、これから、びっくりするくらいムキムキになって、強くなれるさ。俺とファフリが強くなって、どんな悪者も倒せるようになったら、どこに行ったって、誰も文句は言わないよ」

「ム、ムキムキ……には、ならないと思うけど……」

 ユーリッドは、雲一つない、真っ青な空を仰いだ。

「この前、初めて、ミストリアの地図を見たんだ。こんなにでっかいノーレントが、地図の上だと、豆粒みたいだった。ミストリアは、本当は、すっごく大きいんだよ。そんでもって、海の向こう──他の国も含めたら、この世界は、俺達が想像もできないくらい、ずっと、ずーっと遠くまで……広がってるんだよ!」

 いつか、行ってみような、と笑って、ユーリッドはファフリの手を握った。
ファフリは、束の間黙っていたが、やがて、笑みを返すと、深く頷いた。

「……うん!」

 二人だけの約束を交わすと、ユーリッドは、慌ただしく塀を登って、兵舎へと帰っていった。
戻ってきた小鳥が、ぴちぴちと鳴いて、ファフリに話しかけてくる。
ファフリは、しばらくの間、その鳴き声に耳を傾けていた。

(海の向こう……か)

 不意に、目を閉じると、ファフリは、見たことのない海の先を想像した。

 遠い、遠い、獣人ではない、別の種族が住まう国。
そこには、ファフリと同じ、召喚師の力を持つ者たちがいるという。
彼らが一体、どんな風に生を受け、歩んでいるのか──考えるだけで、魂が共鳴し、ざわめくような気がした。

 花の香りを乗せて、爽やかな風が吹き抜けていく。
風は、どこから生まれて、消えていくのだろう。
もしかして、海を渡り、世界中を駆け巡って、ファフリの知らないことを、沢山見てきているのだろうか。

 風を感じるように、手を広げると、ファフリは、澄みきった空気を、すうっと吸い込んだのだった。






See you next story....

~闇の系譜~(サーフェリア編)【完】