二次創作小説(映像)※倉庫ログ
- Re: ポケモンメモリアル集 ( No.31 )
- 日時: 2012/09/06 17:06
- 名前: 霜歌 ◆P2rg3ouW6M (ID: 5QvnJaR.)
これで、「私とクーちゃん」の物語は完結となります^^
読んでくださった皆様、ありがとうございました!
とりあえずしばらく時間をおいて、「あとがき」を書きたいと思います。
「あとがき」には、私がこのお話で詰め込んだ設定の説明などを書きたいと思っています。
↓より、あとがきです。
あとがき
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます……!
いくら感謝しても、足りないくらいです。本当に、本当にありがとうございます!
・「私」について
妙に大人ぶっているけれど、やっぱりまだ子ども、ということを表したかった子です。「素直になれないお年頃の女の子」というのを描きたかった……。
泣きたいけれど、プライドや状況的に泣くことをこらえなければならないという状況、このくらいの年頃ならよくあると思います。
親に怒られて、泣きたいけれど悔しいから我慢するとか、友達とケンカしているうちに、理解してもらえない事に涙が湧いてきたけれど、恥ずかしいから我慢しなきゃ、とか。
時々ある矛盾したような描写は、そういうことを表したかったのですが、なかなかうまくいかず^^;「私」と同い年に近い、10代の女性の方ならなんとなく気持ちはわかる……かもしれない(?)
そうして、後で一人ですすり泣きしている時の寂しさといったら、もう本当に切ないですよね。そういうときに、本当に信用している人が慰めてくれたら、とても嬉しい。変な慰めの言葉よりも、じっとそばにいてくれたりする、ささいな思いやりがとても心に沁みるということは、絶対にあると思うんです。
もちろん、ガツンと言ってあげなくてはならないときもありますが(笑)
タイプ的には、クラスで孤立していても、その不器用さからうまく話しかけることができず、最終的には「別に一人でいいし」といったタイプの子です。なんだかんだ言って寂しいのに、それを自分でなかったことにし、閉じ込めてしまっている。
ちょっと仲のいい友達が、新しく出来た友達と仲良くしていたら、相手にされなくなったように感じ、やきもちやいちゃうタイプの、面倒な子ですよね。だから、クーちゃんが病気になってまで作っていたものが、自分宛のものじゃなかったとわかったとき、がっかりしてしまう。
口げんかで、黙ったら負けって、今でも私はよくやります^^;
大人の冷めた反応に怒ったり、ムキになったり、泣いたりして、成長していく女の子。喪失を経て、自分の悲しみ、寂しさ、過ちに気づいて……。
そんな中、クーちゃんの死を一緒に立ち会っていた少年が徐々に不思議な存在となり、自分でも知らないうちに呼び止めてしまったり……。
私自身、結構ねじくれたタイプなので、「私」の行動には少なからず共感する部分があるのですが、読者の皆様が「あ〜そうかも」と思う部分があったらな、と思っております^^;
・少年クーちゃんについて
言ってしまえば、最初にハハコモリのクーちゃんを捨てたのは、このぐらいの年頃の男子にありがちな、瞬間的な怒りです。前にワカシャモに負けたのが悔しくて悔しくて、勢いのまま再戦を望んだけれどやっぱり負けて、負けたことにイライラしているのか、自分にイライラしているのか、短パン小僧にイライラしているのかわからない。
わけがわからないのに、ぶつけどころのない怒りや悲しみが湧いてくるのが、このぐらいの年頃のように思っています。
それでハハコモリを捨てた後に、自分の今までの行動を「私」に見られていて、それだけでも驚いて、屈辱的だったのに、変に説教をされ、嫌味を言ってやろうと適当な言い訳を言っていただけです^^;
決してボックスシステムを否定していたわけではありませんっ(汗)
そして、その後虫使いの四天王を見て反省し、新しく仕切りなおすため、旅へ出たわけなんですね。もしかしたら少年の中で、あの時「私」が少年に怒って言った言葉が、支えとなっていたのかもしれません。自分が旅の中でつらい時に、「私」の言葉でダメな頃の自分を思い出し、そのたびに努力していたのかもしれません。そうして、知らない間に、少年も「私」が特別な存在になったんですね。
その辺は、私にはわからないので、彼自身にきいてください(笑)
このあたりの少年の心情は、一人称が「私」なので、わかりにくいことにあまり説明できませんでしたが……;;
そういう風にイライラしたり、自分の不甲斐なさに八つ当たりしてしまう部分があっても、根は優しい人だと思っていただけたら嬉しいです。
だから、「私」がクーちゃんが自分に贈り物をくれたわけじゃないと知って、「本当の独りぼっち」と落ち込んでいたのを見て、「お前は一人じゃない」と慰めてあげたわけということで……。タマゴの中のクルミルだって、もうトモダチなんだよ……と。
「私」と「少年クーちゃん」、これからもお互いに間違った事を指摘しながら、成長していけるといいな〜と、作者は願っております(笑)
・ハハコモリことクーちゃんについて
少年と同じ名前を持っていても、少年と対になった存在にしたかった子です。
カッとなって八つ当たりすることもある少年ですが、ハハコモリのクーちゃんはそうではない。飼い主に捨てられても、それでも恨まない、柔らかい心の持ち主です^^
とはいっても、少年クーちゃんも根は優しい人なので、そういう面ではハハコモリのクーちゃんと共通した部分も持っていたのかもしれません。だからこそ、「私」と心が響きあったのかも……。
「私」が一人ですすり泣きしている時に技を出したのは、大声で泣く事も出来ず、寂しい思いを抱えながら一人ですすり泣く「私」に笑顔を見せてほしい……と思ったからです。
クーちゃんの残したタマゴには、「私」への思いと、「タマゴの中の子供」への思いと、「少年」への思いの三つが込められています。虫としての短い命を終えた代わりに、色々なものを残していきました。「私」と少年が結びついたのも、クーちゃんが残してくれたキセキみたいなものなのかな〜と感じていただけたら幸いです……!
少年とハハコモリの名前が同じというのには、個人的に深い意味をこめたつもりだったのですが、描写力のなさゆえに、それがしっかり、それでいて間接的に読者の心に入り込んできていないのが無念です……。
「私」にとって、ハハコモリのクーちゃんは大切なトモダチ。
少年にとって、ハハコモリのクーちゃんは元パートナー。
「私」にとって、少年のクーちゃんも大切な存在。
・その他設定
季節の流れとしては、
夏(「私」と二人のクーちゃんの出会い)→二年後の夏の終わり(別れ)
と、こんな感じになっています。
懐かしさを感じる季節といえば、日本人なら色々な面でも夏のように思いまして。そして、虫の短い命とその尊さ、それが残してくれるものを考えても、夏がはじまりで、代償として夏の終わりに別れを入れるのが、一番いいように思いました。
この作品のテーマはタマゴなのですが、お話の中にとっての「タマゴ」は「私」が大人ぶって強がり、閉じこもっていたタマゴでもあり、クーちゃんが「私」に残してくれた新たなトモダチのタマゴでもあり、「私」と少年を結び付けてくれたきっかけのタマゴでもあります……;;
この小説を通して言いたかったことというものはあんまり考えたことがなかったのですが、お話を通して、切なさや温かさを感じ取ってもらったり、ほっこりしてもらえたらそれ以上に嬉しい事はありません……!
タイトルの「私とクーちゃん」のクーちゃんは、ハハコモリのことでもあり、少年のことでもあります。お好きなように、小説の中の時と場合によって、「あ、このシーンでいうタイトルは私と少年だ」という風に解釈してもらったら嬉しい……。
ということで、読み終えた後に温かさや切なさが溢れる話を心がけたつもりです。
読者の皆様に、夏の終わりの夕暮れ……湿度のある空気や柔らかい風を感じていただけたら、これ以上嬉しい事はありません。
(その前に、まず私の描写力がないのですが;)
表紙のイラストは、夏の終わりの夕焼けをイメージしました。盛大に赤いのに、どこか消えてしまうそうに薄い黄昏色を……。
それでは、本編だけでなく、ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました!