二次創作小説(映像)※倉庫ログ

Re:   永遠の記憶を、空に捧ぐ。__ドラゴンクエストⅨ ( No.288 )
日時: 2013/03/30 09:28
名前: 漆千音 ◆1OlDeM14xY (ID: vQ7cfuks)

    【 ⅩⅣ 】   激突

     1.



 満身創痍だった。                 ・・・
 両側から兵士に引きずられるようにして、マルヴィナはそいつの前に突き出された。
 転移呪文で連れてこられた場所は不毛地帯。草すら生えぬ黒い大地、まるで影の世界。
そして、ここは——意識をわずかながらに取り戻したマルヴィナが見たのは、
血と汗と死の臭いがする不気味極まりない牢獄だった。血を吸った断頭台の横の階段を上り、
奥の塔に入り、次は階段を下り——そこにあった一室に、今マルヴィナはいる。
のろのろと、顔を上げる。視界がはっきりとし始める。多くの宝箱が目に入る。
軽く四人は吹っ飛ばしそうなほど大きな鉄球が転がっている。
鎖の先に、その持ち主がいた——無骨な鎧をまとい、鼻の曲がったところが
いかにも喧嘩慣れしてそうな大男。その鼻のせいで、その顔はまるで猪だった。
だが、人間だ。この牢獄の統治者だろう。
 意識をはっきりとさせたいが、既に切れた唇をこれ以上噛み切るのは厳しい。
 どうにかして立ち直らねば。思った矢先、両側の兵士から背中を殴りつけられる。
「おら、しっかりしねぇか!」
 兵士の言葉は耳に入らない。今の一撃は逆に意識が飛びそうだった。
どうしよう。自分の存在は、帝国には既に知られていると聞かされた。自分の命は狙われている。
 今ここで意識を失えば、確実に死ぬ…!
 だが、その耳に飛び込んできた目の前の大男の言葉は。思わず耳を疑うほどだった。
「あぁ? わざわざこの俺様に報告するほど、大したやつなのかぁ? こいつは」
 え、とマルヴィナは少しだけ表情を変えた。——知られていない?
理由は分からないが、とりあえず言い表せぬ安堵を覚えた。
隣の兵士も、「いや、あの空の英雄と共に闇竜に戦いを挑んだあたり、普通ではないかと思いまして」と
しどろもどろに説明しているところから、この者たちは自分の正体を知らないらしい。
 助かった。実際そう言うには悪すぎる状況下ではあるが、悪状況をこれ以上
重ねるのを避けられるならそれ以上のことはない。
「あぁそうか。ついにあの憎き英雄とやらを滅ぼしたのだったな。これで帝国を邪魔するもんは
もはやあの小賢しい五人だけとなったわけか!」
「はぁ」
「まぁ、顔は知らんがな、はっはっはっ!」
 ——いったいどういう状況下におかれているんだ、こいつは。
恐らくその五人とはマルヴィナたちとチェルスのことだろう。
そのうち一人が目の前にいることを知らない。兵士も、…はっはっは、と取り繕うように笑う。
だが、その乾いた笑いを、大男の怒声がぶった切った。

「こンの、大馬鹿者共めがぁ!!!」

 鼓膜が破れるかと思った。
二人の兵士が、そろってスポンジのように縮む。
「俺が捜してんのは天使だ! こいつのどこが天使に見える!? お前ら『天使狩り』の担当者だろうが!!」
「は? い、いえ、我々は——」
「言訳無用っ!! とっととそいつは牢にぶちこんでおけぃ!!」
 あわて了解の声を上げる兵士たちの間で、マルヴィナは目を見張っていた。

 『天使狩り』?
                    ・・・・・・・
 まさか。いや、…本当に? みんな実は、ここに捕まって——?
 だが、問いただす時間を与えてはくれなかった。兵士に再び引きずられる。

 途中、この二人の会話という名の愚痴から、大男の正体を知った。

 ——“強力の覇者”ゴレオン。帝国の『戦士』にして、三大将軍の一人である。




 先に述べたように満身創痍のマルヴィナは、やすやすと牢の中に入れられてしまった。
黒ずんだしみが壁に点々と浮かび、首枷がつるされており、骸骨の頭が隅に転がる、かび臭い部屋。
あまりの暗さに、自分の手もうまく見えなかった。  ベホイミ
 傷を癒したかった。けれど、今の自分は魔法戦士。回復呪文は使えないし、薬草も背嚢の中、
とうに奪われてしまい、手元にはない。どうにかこのままで生きながらえねばならない。
 …残っているのは、一つだけ。これだけは取られまいと咄嗟にスパッツの中に隠した、ガナン帝国の紋章。
何故その行動をとったのか、覚えていない。無意識だったのだ。
 暗闇に目が慣れ、マルヴィナは鉄格子を見た。どうにかして、抜け出さなければ。
身体を引きずるようにして鉄格子に近づき、揺すってみる。当然だが、びくともしない。
耳の後ろにヘアピンがあったはず——そう思って耳の後ろを探ると、
そこにピンはなかった。それまで奪ったか。目のいい奴らめ。
 だが、鉄格子が壊せないのなら、鍵を壊す以外にない。
いじってみるが、鍵穴がはっきり見えるほど目が慣れているわけでもなかった。

「おい、うるさいぞ」

 どうにもならなくて歯ぎしりした時、右隣から声がかかった。重く、低く、
マルヴィナにはしっくりと来る—すなわち、人間にしては不思議な響きの—男の声だった。
「…どうやら新人のようだな。こんなところに連れてこられて不安なのはわかるけどよ、まずは落ち着くこった。
ここぁ無駄な体力使っちまったらおっ死んじまう場所だ、今日はしっかりと寝ておけ」
 マルヴィナは驚いた。朦朧とした意識の中で辛うじて見ただけだが、
恐らくこれ以上ないほど酷い場所だろうと思っていたこの場所で、こんなに冷静に
ものを言える人がいるとは思わなかったのだ。少々妙ではあったが、素直に従うべきだと直感的に思った。
名を聞くべきか、了解と先に言うべきか。マルヴィナが悩んでいると、
既に右から聞こえてくるのはいびきの音に変わっていた。

Re:   永遠の記憶を、空に捧ぐ。__ドラゴンクエストⅨ ( No.289 )
日時: 2013/03/30 09:31
名前: 漆千音 ◆1OlDeM14xY (ID: vQ7cfuks)

 街や国の状態を知りたいのなら空を見ると良い、と信じる者たちがいる。
空はその場所の土地柄や人の生活状況、治安をうつすと考えられているのだ。
 信心深い性格ではない為、“蒼穹嚆矢”やその仲間たちはその考えを信じてはいなかったが、
いわれのように魔帝国の大陸上空は、暗雲が立ち込めている。
案外、間違ってはいないのかもしれない。正しいとは言えないだけで。



 北へ行くにつれて暗くなり始めた空を、蒼い鳥は飛んでいた。

“ 新月か ”
 真っ先に聞こえたのは、マラミアの声だ。

“ それも狙いのうちでしょうね。相変わらず腐った妖術師だこと ”
 ついで、アイリスの声。

“ 相変わらずなのはアンタの毒舌っぷりもね ”
 そして、マイレナ。

“ 覚悟の上さ。…今夜が、勝負時だ ”
 最後に、チェルスの声がした。



 蒼穹嚆矢のもう一つの姿。彼女の三人の仲間の力を借りて作られた蒼い鳥。
帝国へ向かいながら、四人は会議を開いていた。

“ マイの力を借りる。奴らをもう一回ぶっ潰すためにもね ”
 チェルスが言った。

“ 了解 ”
 マラミアがちょっぴり凶悪に笑った。

“ 問題は、どうやって帝国のヤツラにウチを蘇らせるきっかけを作らせるか——だよね ”
 マイレナが考える。

“ 毒には毒を——そうせざるを得ない状況を作るのが手っ取り早いでしょうね ”
 アイリスが冷静に言う。

 ま、それしかないわな——と言おうとして、チェルス&マイレナコンビ、同時に反応。

““ …毒? ””

 マラミアが笑った。
“ まー確かに、あんたら二人いたら帝国にはきっつい毒だろー ”

“ いまいち褒められているのかけなされているのかが分からんのだが ”
 チェルスが微妙な表情をする。

“ 意味、理解してないよね、あんたら ”
 それにツッコんだのはマイレナである。今度はチェルス・マラミアコンビが同時に頓狂な声を上げた。

“ 毒には毒を、ってことは—— ”
 呆れた声で説明しようとしたマイレナの声が途切れた。
チェルスとマラミアが今度は問い返し——そしてその意味を確認する。
蒼い鳥の目の前——すなわち彼女らの眼先に、妙に大きな積乱雲が迫っていた。


“ ちょ、前! 前、ちょわ、わわわがっ!? ”
“ せ、旋回っ、ちょ積乱雲ーーー!! ”
“ わぁばか暴れるな、ちょっ右、右行けってそれ左!! ”
“ …落ち着きなさい ”



 あまりにも会議に集中しすぎるのも考え物である。

Re:   永遠の記憶を、空に捧ぐ。__ドラゴンクエストⅨ ( No.290 )
日時: 2013/03/30 09:36
名前: 漆千音 ◆1OlDeM14xY (ID: vQ7cfuks)

 朝か、昼か、夜か?
 空がない、時間が分からない。けれど、旅の経験から——おそらく今は朝だ。
流石に疲労が激しかったらしく、マルヴィナは今回ばかりは眠りに落ちていた。
寝心地など気にならないほど深く眠っていたらしい。
すっきりはしていないが、昨日よりは幾分か身体の至る所が機能した。身体を起こし、頭を振る。
目を少し閉じ、開けた。大丈夫。まだ、大丈夫。貧血や立ちくらみで倒れることもない。
 マルヴィナは改めて牢の中を見渡した。昨日うっすらと見えたものと同じ様子だ。
部屋の隅の骸骨を見る。マルヴィナは目を細め、ちゃんと顎を下にして立たせてやった。
片膝を折り、もう片膝は立て、手を組んで額に近づけ、頭を垂れる。目を閉じて、祈る。
 おそらくこの牢獄はひどいところだろう。彼、もしくは彼女も、決して良い死を迎えたとは言えないはず。
だから、せめて。そのあとだけは。

 ——どうか安らかに眠れ。



 がしゃん、と乱暴な音を立てて、鉄格子が開かれる。そして、鍵を開けた紅鎧は、思わずたじろいだ。
臆することなく、人の死の証に見向く小娘。骸骨のいる部屋の鍵開け係なんてたまったものじゃない、
なるべく見ないようにしようと考えていた兵士には、その時骸骨よりも
マルヴィナのほうが恐ろしく、不気味に思えた。
こいつ、まさか精神異常者か。ひどい侮蔑の言葉が頭に思い浮かぶ。
 だが、その時その娘が振り返った。兵士はぎくりとした。その整った顔に、強い眸が閃く。
見えない強い光に射抜かれた気がして、馬鹿な話だと後から思ったが、
本当に穴が開いてしまったかのように感じて思わず兵士は自分の鎧を見下ろしてしまった。
「…何か用か」
 静かに、娘は言った。その言葉に、正気を取り戻す。
何をしている、自分は兵士、こんな囚人の娘ごときに、何を恐れている!
 自分に言い聞かせ、喉に引っかかっていた言葉を何とか出す。
「仕事だ。お前はきたばかりで知らないだろうが、お前たちはここで働くんだ。
この牢獄は入ったが最後、決して外には出られない。お前は一生逃げられない!」
 動揺は隠せていなかった。思わず饒舌になったことに赤面しかける。
こういう時だけ、顔を覆う兜のありがたみが分かる。
 娘がその言葉に大きな衝撃を受ける——ことを想像していた—どこかで期待をしていた、と言った方が
正しいかもしれない—、だが、娘の表情は変わらなかった。ただ一言、言った——
 ・・
「一生?」

 ただ復唱されただけの言葉に、何故こんなにも圧力を感じる。
 あぁそうか、と、兵士は理解した。落ち着きすぎているのだ。
こんな状況下におかれても、どっしりと構え、慌てず騒がず。
噂は聞いていた。光の竜『空の英雄』と共に闇竜に挑み、敗北し、捕虜となった旅人。
だが、それを悔しがるわけでもない。絶望するわけでもない。ただ、次の機会を狙っている。
ここから抜け出し、次は、勝つ、ために——?


 ——まさか。                   ・・
 まさかこいつは——今、最も帝国が恐れているという、あの——?




 …そんなはずはない。もし奴なら、とっくに殺されているはずだ。
そう、この娘は、ただの旅人だ。今は強がっているが、じきに弱音を吐き始めるさ。
言い聞かせるように兵士は勝手に自分を納得させる。
「とにかく、出ろ! なんだかんだ言って出る勇気がないのか?」
「自分が塞いでいるんだろう」
 しかし、傲慢に言ったその言葉は呆れ声で返された。「そう言うならその場を退いてほしいのだが」
 兵士は初めて、自分がこれ以上ないくらいに間抜けな状況を作り出していることに気が付いた。

Re:   永遠の記憶を、空に捧ぐ。__ドラゴンクエストⅨ ( No.291 )
日時: 2013/03/30 09:41
名前: 漆千音 ◆1OlDeM14xY (ID: vQ7cfuks)

 ごつごつした地面に裸足は痛い。
 けれど、感覚が麻痺し慣れ始めればどうということはない。
マルヴィナは階段を上がり、あたりを見渡した。昨日見た景色。
騒音、異臭、兵士、働かされる人々、そして何より——あの、断頭台。
恐らくあれは、人々に見せつけ恐れおののかせ、思い通りに働かせるだけの飾りではないだろう。
 …きっと、あの犠牲になった人々も。

 マルヴィナは唇を結んだ。冗談じゃない。自分がここにいる以上、犠牲を出してたまるものか。
 やるべきことがある。待ってくれている人がいる。種類は違えど、それはここに捕まった皆に共通しているはずだ。

 …絶対に、負けないから…!

 マルヴィナは、その海の蒼の眸に、静かな炎を宿した。




 アギロだと、大男は名乗った。
 その声からして、昨夜の声の主だろう。頑強な肉体を持ち、マルヴィナの二倍ほどある逞しい腕の、
そこんじょそこらの兵士よりよっぽど強そうな男であった。
「一応、ここの囚人のまとめ役をしている。…お前さんの名は?」
 マルヴィナは思わず男をまじまじと見てしまった。どこかで見たことがあるなぁと思ったのだ。
「わたしは、マルヴィナ。旅人だ」
「『元』じゃねえのか?」
「残念ながら、過去にするつもりはない」
 きっぱりと言い切ったマルヴィナに、アギロは肩を震わせた。少々びくっとして観察したところ、
どうやら笑っているらしい。恐い笑い方をするなこの人は、とマルヴィナは少々引きながらも呆れた。
「…あぁ、こいつぁ驚いた。——おっと、気にすんな。じゃあまず、ここの仕事を教える。
鬱陶しいと思うかもしんねぇが、これも仕事でね。わりぃが、付き合ってくれや」
「了解した」
 大丈夫。この人は信用していいだろう。マルヴィナは頷き、アギロについて行った。

 立ち並ぶ墓と、黒ずんだ染みの目立つ壁、床。
何が入っているかわからない袋の山。               レンジャー
ここに治療師はいないのだろうか。マルヴィナはそっと思った。…もし然闘士のままだったら、
傷ついた人々を助けてあげられるのに。
「治療師? …あぁ、いるよ。だが、かなりの歳でな…皆気ぃ遣って、治してもらおうとはしねぇのさ。
…治療してもらって生き永らえるのと、そのまま死んじまうのと…
どっちが楽かって、考え始めているのかもしれねぇ」
「そんなの」マルヴィナは言った。「…生きている方が、いいに決まっている」
「そりゃそうさ。だがな、皆が皆そう考えているわけじゃねぇ。自由の手に入る当てがねぇうちはな」
「手に入る」再び、マルヴィナは言った。「…そうしてみせる」
 アギロはマルヴィナを見た。冗談を言っている眼ではない。もちろん、ここで冗談なんか言ったら、
新入りであろうと娘であろうと、ぶん殴っていただろう。
「…変わったやつだな、お前さんは」
 言葉の意味が分からなくて、マルヴィナは思わず聞き返す。「…えーと。どういう意味で?」
「安心しな、悪い意味じゃねぇ」アギロはまたあの若干恐い笑い方をした。
「ここに来た人間ってのは皆、最初っから絶望に打ちひしがれてんだ。
これからどうなっちまうんだってな…お前さんは違う。最初っから脱獄する気満々だ」
 当たり前だ。マルヴィナは笑った。

Re:   永遠の記憶を、空に捧ぐ。__ドラゴンクエストⅨ ( No.292 )
日時: 2013/06/11 22:44
名前: 漆千音 ◆1OlDeM14xY (ID: 9ikOhcXm)

 案内されるままに歩き、やがて二人は妙な物体の前に立つ。
 雷電の音をたて、壁の間に薄く張られたそれは、結界だった。
「入口に兵士が見えるだろ」
 アギロは牢獄の入り口を指した。言おうとしていることが分かった。
入口を塞ぐ兵士のさらに向こうに、同じ結界が張られていたのだ。
「お前さんも連れてこられたとき、あれを通っただろう。…あの痛さは、半端なかっただろ」
「…いや…多分既に、気絶していたと思う。意識が戻ったのは
ここを牛耳っている奴の目の前に突き出されていた時だから」
「およ…そうなのか。そりゃ幸せだったな。ありゃあほんとにひでぇぜ。
あれに触れたときはオレすら意識が飛びかけた…
要するに、兵士をブッ倒しても、あの結界がある限りオレらはこっからでられねぇのさ。
これが、一度入ったら出られないと言われている理由だ」
 マルヴィナは頷きかけ——止まる。アギロですら意識が飛びかけた結界。
アギロの体力はまだどれほどのものかわからないが、それでもそれほど酷い結界を通り抜けて
よく自分は無事だったな、と思った。…確かに、意識が戻った時は、満身創痍だったけれども。
でもそれは——ゲルニックに捕まった時から既にそうだった。となると——

「アギロ、これは本当に誰も通れないのか?」
「あん? ——いや、ここの兵士とかは普通に通ってやがる。なぜかは分からんが、
おそらく兵士が通った時にゃ結界が作動しねぇ仕掛けがあるんだろう…何だお前さん、もしかして疑ってんのか?」
「んー……」
 はっきりしない物言いは嫌いなのだが、さすがに今回ばかりははっきりさせられなかった。
そんな様子を読み取ってか、アギロは—少々人が悪いとは思いつつも—「じゃあ試してみるか?」と言った。
「は?」
「だから、実際に通ってみるかってことだ」
 まぁまさかそうするとは言わねぇだろう——
「そうするか」
 肯定かよ!
「いやいやいやいやいや、マルヴィナちょっと待て。そりゃいくらなんでも——」
「あなたが言い出したんだろう…」マルヴィナは少々呆れて、進み出た。
アギロの慌て止める声が聞こえたがもう遅い。
マルヴィナはその速度を速めることも遅くすることもせず——最初から最後まで同じ速度で、

 ——そのまま、通り抜けた。



「なっ!?」
 アギロが思わず叫び、咳払いで誤魔化す。「お、おいマルヴィナ、戻って来い早く!」
 マルヴィナは振り返り、再び結界を通り抜けた。無事。二たび、驚くアギロ。
「待て、おま、何で——ん? …心当たりでもあんのか?」
「ん。——まぁ」
 曖昧に頷き、マルヴィナはしゃがんでスパッツの裾を上げる。
手に落ちてきたのは——マルヴィナが咄嗟に隠した、ガナンの紋章だった。
 アギロの目つきが険しくなり、マルヴィナは慌てて誤解される前に説明した。
「あ、誤解するなよ? もらったんだ。『空の英雄』に」
「『空の英雄』? …あーあの老ドラゴンか。…成程ねぇ、ってことは、
奴らが結界にはじかれねぇのはこれのおかげってか」
 得心いったように頷く。
 マルヴィナの表情が変わった。
何かを思いついた顔だ——そのあとに言われることが大いに想像できたアギロは、
ちょっと待て、と制し、声をさらにひそめた。
「…おい、このこと、まだ誰にも言うな」
「え? …何で」
 やはりこの紋章を利用して結界を抜け、敵を攻めるつもりでいたのだろう。
不満たらたらな声を出され、その無謀さに呆れ—どこかで、あぁやっぱりこいつは、…と思いながら—、
アギロはぽん、とマルヴィナの肩を叩いた。
「今はまだその時じゃねぇ。…いいな、まだ駄目だ。無駄死にしたくなかったらな」
「でも」
「いいな」
「…」
 反論は瞬時に封じ込まれ、マルヴィナは不承不承でも頷かざるを得なかった。



 彼女の初仕事は円盤に生えた棒を持ってその円盤をただひたすらに回していくという見たこともない装置を、
言った通りただひたすらに回していくという本当に訳の分からない仕事に就かされそうになっていた。
 …未然形なのは、その仕事を見たマルヴィナが、何故か激しい拒絶感を覚えてしまい、
それを見たアギロが代わってくれたからだった——
何故この仕事をあんなに拒絶したくなったのかは、分からなかったけれど。