二次創作小説(映像)※倉庫ログ

Re: 序章 再改訂版 ( No.44 )
日時: 2013/12/04 15:00
名前: 朝霧 ◆Ii6DcbkUFo (ID: 9kyB.qC3)

 窓から差し込む夕陽が、部屋をほのかなオレンジ色に染めていた。
その部屋で一人の少女が、ベッドから上半身を起こし、ぼんやりと窓の外を眺めていた。踝まである青いカートルの上に白いエプロンを身に付けていた。腰にはベルトが巻かれ、革で作られた小さな袋がぶら下がっていた。背は高くも低くもなく、体躯はやや細身。
 瞳の色は鳶色で、その上に銀縁の眼鏡をかけている。栗色の髪はお下げにし、肩に垂らしていた。
 少女の視線の先には、オレンジ色に染まった空と石の壁が見える。それをしばしぼうっと見つめると少女は欠伸をし、手を組んで身体を上に伸ばした。長く眠っていたせいだろうか。身体がだるい。
 一体どれくらい寝ていたのだろう、と少女はふと思った。
 最後に空を見た時、太陽は真上にあったはず。それが沈みかかっていると言うことは、かなりの時間眠っていたことになるが、いまいち実感として伴ってこない。
 中々眠気が去らない頭に、ふっと先程の声が聞こえてくる。闇が貴方たちの近くに

「闇が私の近くに?」

 何となく女性の声を繰り返してみると、下から声がした。

「シャウラ、お前も私と同じ夢を見たのか?」

 シャウラ、と呼ばれた少女が視線を下に向けると、そこには一匹の獣がいた。
 見た目は豹に似た獣。黄色い身体には黒い斑点が散り、背中には赤いたてがみが生えている。閉じた口からは牙がはみ出し、手足にも鋭い爪を有している。
 この世界で、『地獄の殺し屋』と言う異名を持つキラーパンサーと言う生き物。それが、うつ伏せの姿勢になりながら、頭だけを動かし、じっとシャウラを見つめていた。

「え、どんな夢?」

 ベッドから足を下ろしながら問うと、キラーパンサーは黒い瞳を細めた。

「女の声で『起きて助けて、闇が近くに』と訳の分からないことを言われた夢だ」
「私が見た夢も、セシルと同じ内容よ」

 冷静にシャウラが言うと、キラーパンサー——セシルは顔を前に向け、伸ばした前足に乗せる。

「また私たちは、同時に同じ夢を見たようだな」

 シャウラとセシルは、ここ一ヶ月、二人揃って全く同じ夢を見ると言う奇妙な現象を体験していた。
 初めは真っ白い空間に二人で立っているだけだったが、だんだん誰かの声が聞こえ始めた。ある日は若い女性の声で、またある日は若い男性の声で。しかし先程の夢のように、いつも弱々しく雑音混じりのため何を言っているか、はっきりと聞き取れなかった。そのため夢に出てくる声の主たちは何を望んでいるのか分からない。
毎日その繰り返しであるためシャウラとセシルはうんざりし、教会で悪魔祓いを行い、最終的には自分の見たい夢を見れる、と言うまじないまで試したが効果はなかった。

 夢はその内容によって身体が病気であるかが分かるらしいが、毎日同じ夢を、しかも同じ人間——正確には一人は獣だが、が見るという前例はないらしく夢占い師もお手上げのようだった。誰も、二人にこのような事が起きているのか説明できなかった。

「でも今回は、はっきりと声が聞こえたわね」
「闇が近くに、だったか? これは警告をしているのか?」

 セシルが首を傾げたその時。
 シャウラの身体が一瞬硬直した。
 駆け抜ける悪寒。速くなる鼓動。身体が危険な"何か"がいると訴えかけてくる。姿こそ見えないが、嫌な気配が近くに存在することをシャウラは感じた。足元ではセシルが立ち上がり、用心深く辺りを見回している。
 いるだけで身体を震わすような圧倒的な力と禍々しさを兼ね備えた、例えるなら悪魔のような気配。それが近くにいることをシャウラは直感で感じ取った。

「近いな。町の中か」

 鋭い牙を剥き出しにしながらセシルが言った。
瞳は獰猛な光を帯び、毛も逆立っている。その敵意に満ちた反応を見て、シャウラは気配の主が相当危ない部類であることを悟る。
出会ったら死ぬかもしれない。出て行くべきか迷ったが、シャウラは家に一人でいる父親のことを考え出て行くことにした。

「行きましょう、セシル」

 シャウラはドアを勢いよく開けたが、そのまま立ちすくんでしまった。
 ドアの外に一人の少女が目を丸くして佇んでいたからだ。長い茶色の髪を後ろで一つにまとめた、シャウラと年頃が近い娘だった。

「シャウラ、セシルどうしたの? そんなに慌てて」

 少女は何度も瞬きをしながら、心配そうにシャウラとセシルを交互に見やった。
 説明をしている余裕がないため、シャウラはユリマの横を通り抜けながら、早口でまくし立てる。

「ユリマ。ちょっと出掛けてくるね」

 ユリマをまともに見ず、一人と一匹は大急ぎで部屋を飛び出し、派手に音を立てながら階段を下りていった。途中で白い煙が上がった。

「……いってらっしゃい」

 ユリマは呆然と彼らを見送ることしか出来なかった。

 夕暮れの中、シャウラはセシルと共に高台と高台を繋ぐ通路から、町の広場を見下ろしていた。
 シャウラとセシルがいる町の名はトラペッタと言う。人の背丈の何倍はあろう巨大な石の壁に周囲を囲まれた町だ。人を襲う生き物——魔物から町を守るべく作られたこの石の壁は非常に厚く、多少の攻撃ではびくともしない。
 現にシャウラは、町が魔物に襲われたと言う話を聞いたことがない。
 だからこそ、この町にあのような悪い気配を感じるのはおかしい、とシャウラは考えた。悪い気配は、大概魔物のものだ。だからシャウラは町に魔物が侵入したと考えていた。魔物は町の外に暮らす異形の生き物の総称だ。一口に魔物と言っても姿は様々で猫や犬に似た生き物から、石像が動いたような生き物までいる。しかし、彼らは総じて人を襲い、人に害をなす。そのため魔物と戦う術を持たない人間は集まり、村や町を作り、魔物のいる外と境界線を引く。すると魔物は、何故か村や町には入ってこない。しかしごくまれに魔物が村や町に入ることがある。シャウラはその可能性を考えていた。
 石の壁に囲まれたこの町に出入口は二つしかない。いつも町を訪れる旅人のために開け放たれているが、常に衛兵が立ち、目を光らせている。魔物が入ってこようものなら、衛兵が退治するはずだ。かりに衛兵を倒してトラペッタに入れば、人々は恐怖に陥り逃げ惑うだろう。

 シャウラの眼下には、いつもと変わらぬ夕方の光景が広がっていた。
 壁沿いに作られた露店では商人たちが片付けを始め、その前を帰宅の徒に着く子供たちが大声を上げながら走り去っていった。
 町の灯りに照らされた、子供たちの長い影が遠くへと去っていく。冷たい風に乗って料理の匂いが運ばれてくる。——いつもと何も変わらない、ありふれた光景だ。
 違うと言えば、夕焼けの中にある怪しい雲。シャウラはふっと西の方角に目を向けた。
 白い城壁のさらに上、上空の一部が違う色の雲に覆われていた。雨雲に似た黒い色をしているが、所々毒を思わせる紫が混じる、見たことがない雲だ。

「あの雲、まだあったのね」

 シャウラは壁に手をつき、身を乗り出して、空を見た。
 今朝から見えたあの雲は、夕方になった今も変わらず存在している。
 そういえばトラペッタの人々も朝にはあのおかしな雲に気が付いたらしく、今朝はその雲に関する雑談があちこちで聞かれた。雨が降るから洗濯は出来ないと、ユリマに愚痴を溢されたのは先刻である。
 皆、大した雲ではないと考えるらしいが、シャウラはそうは思えなかった。

 古来より、悪魔が町を襲う際、怪しい雲が町を覆ったと言う伝説はいくらでもある。もしかしたら、今日の予兆だったのかもしれない。雲が留まるなど、不自然だ。
 改めてシャウラは視線を下ろし、広場の様子を窺う。
 町に騒ぎが起きている様子はなく、広場を行き交う人々に特に異常はない。家に子を迎える親、穏やかな時間が、そこにはあった。

「む……どういうことだ?」

 シャウラの横でセシルが腕を組み、首を傾げた。
 ただそこにいるのはキラーパンサーではなく、ユリマその人。髪型から背格好、服装までユリマに酷似している。

「気配は確かにあるのに」

 変わらず嫌な気配は、このトラペッタの町から感じられる。
 どこか特定、と言うわけではなく町全体から嫌な気配が漂っているようだ。相手が複数なのか、よほど強い力を持つのか。

「あの西の雲と言い、悪い予感しかしないな」

 セシルの言葉にシャウラが頷く。

「あの方角は、トロデーン城の方?」

 石の壁が高すぎてここからは見えないが、雲があるのは、トラペッタの西にある、トロデーン城の方角。 この世界でも稀有な王国だ。

「昔、昔……」

 その時、広場の方から声が聞こえてシャウラは下を覗いた。
 広場では一人の男シャウラに背を向ける形で立ち、子供相手に昔話を語って聞かせていた。
 男は長身で、背中まで伸ばされた銀髪は手入れされていないらしくボサボサだ。赤と紫の縞模様の服装。その下には、三角形に切り取られ、先端に丸い玉が着いた、ひだがついていた。どこにいても人の目を引くであろう派手な服から、道化師であろうことが分かる。
 ただ、この男は道化師には不釣り合いに思える杖を持っていた。
 男の背丈より、頭一個ぶん高い木製の杖。杖の先端には、赤い玉を加えた鳥が彫られ、下には生き物の瞳のような青い玉が嵌め込まれている。先端の鳥は今にも羽ばたきそうな力強さを感じさせるが、鳥の赤い瞳は血のような禍々しさを湛えていた。

「あるところに、とても大きなお城がありました。そのお城には、賢い王様と美しい姫がいて、みんな幸せに暮らしていました」

 シャウラとセシルは声を失った。
 セシルは冷静に様子を窺うが、シャウラは固まっていた。顔は青ざめ、身体が微かに震えている。

「とても美しい宝がありました。それは、ひとふりの杖」
「杖?」

 子供が無邪気に問い返すと、道化師は首を縦にふった。

「そう、昔からお城に伝わる杖です。手にすれば、最強の魔術師になることが出来ると言われるそれを、王様は先祖代々守ってきたのですよ」
「いいなあ、僕も欲しい」
「私も!」

 子供たちが杖の話で盛り上がると、男は口角を持ち上げた。
 シャウラの中で、不安が這い上がってくる。

「ところがお城は呪われ、滅びてしまいました。王様は化け物に、姫は白馬へと姿を変えられたそうです。王国はもうどこにもない。悲しいなあ。悲しいなあ」

 悲しい、と言う言葉とは裏腹に男の声は狂喜に近い喜びに満ちていた。

 言葉そのものは他人事のように聞こえるが、その端々から喜びが溢れている。悲しい、悲しいと呟いたそれは嬉しそうな響きを伴っていた。
 ——まるで自分が王国を滅ぼしたぞ、と自慢をしているようかのようだ。

「やつめ、ただのおとぎ話にしては、やけに嬉しそうに話すな」

「まるで自慢話みたいね」

 自分で呟きながら、あり得ないと同時に思った。城が簡単に滅んだりするだろうか?
 そう考えた時、悪寒がシャウラの肌を這いずった。セシルも青い瞳を限界まで見開き、彫像のように固まった。

「ふふ……お二人は、この童話の真実をお知りになりたいのですか?」

 いつの間にか、下にいたはずの男がシャウラとセシルの背後に立っていた。
 冷や汗がシャウラの肌を撫でた。振り向く勇気がない。背中越しに感じる威圧感にすくんでしまい、身体が動かないのだ。
 永遠にも思える無言の時間が続いたが、不意に圧迫感が弱まった。

「おや。もうこんな時間か。ごきげんよう、可愛らしいお嬢様方」

 うやうやしく一礼をすると、道化師の輪郭が揺らいだ。みるみる内に身体が透き通り、やがて空気に溶けるように消えた。
 圧迫感から解放されたシャウラはふう、と安堵の息を吐きながら振り向く。
そこには誰もいない。

「今の……まさか」

 聞き慣れた声、見覚えのある姿。どう見てもあの人だ。魔法の修行に耐えられず、父の元を逃げ出したあの人。
 シャウラが声を震わせながら言うと、セシルが否定する。

「他人だ。あいつからは、尋常では力を感じた。魔法の才能がない奴にあんな魔力はない」
「そう……よね」

 シャウラは無理やり自分を納得させるようにうなずいた。