二次創作小説(映像)※倉庫ログ

第二章:『蔓延する狂気』 ( No.18 )
日時: 2015/08/08 22:26
名前: 霧桜 ◆U7aoDc6gZM (ID: K3Hf956n)



 かしょかしょ。かしょかしょかしょ。

 性質の悪い旅人に絡まれ、散々酒を飲まされた身体の細胞一つ一つに、不気味な音が刻まれていく。聞いているだけでうなじの毛が総毛立つ、何とも言えぬ痒い音——どうやら足音らしい。ドアの外をうろついているようだ。だが、安心は出来ない。酒場に併設された安宿の大半は、ドアの鍵など使い物にならないも同然である。

 かしょかしょ。

 奇妙な足音に混じって、ギィ、と蝶番(ちょうつがい)の軋む音がした。やはり安普請だ。残ってしまった酔いのせいで思うように動かない身体を動かし、得物を探す。すぐ近くに置いていたことが奏功し、探し当てるのに時間は掛からなかった。

 かしょかしょかしょ。

 近付いてきている。えもいわれぬ緊張感が全身を血のように駆け巡って、酔いと重さがすぅっと波のように引いていった。ぐっ、と握り締めた得物から伝わる、微かな冷たさが緊張感を引き立てる。

 かしょ。
 きりり、きりり……

 痒い音が、傍で止んだ。代わりに、ぜんまいを巻くような音がしている。
 彼は、音の正体を討たんと、瞬時にして上体を起こし——

 かきょっ。

 冷たい金属の感触を顔一杯に感じて、それきり動きと思考を停止した。

「えっ」

 状況が、一瞬頭から飛ぶ。そしてすぐに理解する。
 ——蜘蛛だ。
 巨大な蜘蛛が、顔に……!

「ぅギャあああ゛あぁああ゛あぁッ!?」

 それは、夜明け三十分前のこと。
 まだ一行がまどろみの中に居る、その最中のことだった。



「うるっせぇ……ンだぁ朝っぱらから……」

 酒場中にこだまするほどの大声でまず起きたのは、同室の弓使いである。
 久方ぶりの快適な休養を邪魔された挙句、昨日の酒が抜け切れていない男の言動は、酷く気だるげだ。もそもそと布団の中から這い出した弓使いは、寝ぼけ眼で部屋の中を三回見回し、天井と床を交互に見た後、ようやく声の主に気付いた。

「何やってんだよお前……」

 視線の先にあったのは、床にへたり込んで顔を押さえている槍使いと、傍で仰向けになっている十本足の機械、それぞれ一人と一台。この間に何か一悶着あったのだろうと、そこまでは察せられたが、今の頭ではそれが限界だ。ごしごしと乱暴に目を擦りながら、彼は面倒くさそうに眉根を寄せた。

「おーい、どーした槍使い」

 至極だるそうな弓使いの声、それに槍使いはか細い半泣きの声で返す。

「シンゾーがギュッっていった……ヤダこいつ……」
「状況を説明しろっつってんだろ」
「かおにとびつかれた……うぅ……」
「……あー」

 槍使いの返答で、ようやく今の有様と先程の声が繋がったようだ。表情に目一杯同情の色が浮かぶ。
 かきょかきょと妙な音を立てつつ、何とか体勢を戻そうと右へ左へ重心を傾ける、蜘蛛形のメカ——その全長、実に三十センチ。そんな機械虫の巨体に突然飛びかかられては、こうなっても仕方のない話だろう。元気出せよ、と投げやりな慰めを送る弓使いも、同じ状況になれば同じ様になってもおかしくはない。

「えっと——何だ、槍使い。こっちで寝る? 現実逃避大事だぜ?」
「ほっとけ……」

 槍使いの返答もぞんざいだ。動きたくても腰が抜けて動けない、と言うのが実情なのだろうが。
 先程からうつ伏せたまま動けそうにない男に、弓使いは「まあ頑張れよ」と適当な励ましの言葉を投げつける。槍使いから返るものは最早なく、彼は部屋の隅のコート掛けに引っ掛かっていた外套を引っ掴むと、それを肩に引っ掛けながら部屋を出て行った。
 後に残るのは、腰の砕けた槍使いと、未だ起き上がれない蜘蛛だけだ。