二次創作小説(映像)※倉庫ログ
- 第一章:『叫ぶ虚』-3 ( No.3 )
- 日時: 2015/08/08 22:00
- 名前: 霧桜 ◆U7aoDc6gZM (ID: K3Hf956n)
「老師、酒場に来て水だけと言うのはどうかと思うが」
「真昼間から酒盛りと言うのも大概だと思うのだがね」
「それはそうだけど、真水は貴重品だし……」
「バル、そこは論点ではないよ」
純白の花園から、徒歩二十分ほど。荒廃の土地に佇む賑やかな街の一角に、二人はその足を休めていた。
街と言っても、此処に定住する者は百人にも満たず、規模としては集落程度でしかない。ここの賑やかさの大半は、旅商人による市からのものである。一方、バルとソーマニアが立ち寄ったこの酒場は、この場所で何十年も前から経営されている老舗だ。世代を超えて営まれる酒場は、格好の憩いと出会いの場だった。
年若い店主が出した琥珀色の酒を嗜みつつ、バルは横目で酒場の様子を探る。
増改築を繰り返し、お世辞にも統一されているとは言えない雰囲気の店内に溢れる者達の多くは、バル達と同じヒトだ。しかし、とても同族とは思えぬ生き物——或いは獣の耳を持った人間と似て非なる者、また或いは明らかに爬虫類じみた姿の者、或いは硬質の鎧のようなものを身に纏った者——も散見される。
「ヒトに、ケモノ、トカゲ……あれは?」
「さて、儂にも分からん」
なみなみと水の注がれたグラスにちびちびと口を付け、無造作に質問への返事を放り投げながら、ソーマニアはバルと同じ方を見る。一方、彼女は隣の老師へ、信じられないと言ったような表情を向けていた。
「老師が知らないだと?」
「知らんよ。語らんのだから知りようもない」
正面に顔を戻しつつ、老人の光に乏しい瞳は透明なグラスを透かして、何処か遠い所を見つめるばかり。
己より遥かに齢を重ねた老人が知らないと言うのだ、己が聞いた所できっと分からないだろうと、バルは心中で溜息をつきつき、酒を一口含みかけて——
「っぶ!?」
ふと視界の端へ入ったものに、危うく酒を噴き出しかけた。
「よう」
バルの眼が捉えたのは、槍を携えた一人のヒトだ。それが己と同じ種族であるは放つ雰囲気によってすぐに分かったが、兜によって顔の造作を完全に覆った状態で、且つ音もなく背後へ立たれては、幽鬼か何かと思ってしまう。薄暗い酒場の中では尚更だ。
「っ、んだ貴様ッ!」
動揺か、それとも警戒か。柄にもなく大声を上げながら、バルはカウンターにグラスを叩き付け、神速で剣を抜き放っていた。酒場は瞬時にしてどよめきに包まれ、店主は突然のことにおろおろとして言葉も出ない。そして肝心のヒトはと言えば、余裕綽綽の風情で両手を挙げる始末だ。
状況と、時間と。バルの警戒が攻撃に転ずるまでの条件は揃ってしまった。
「貴様何者だ、答えろ!」
びゅっ、と、残像さえ残す速度で刃がヒトに向かって放たれ、それの首元で急停止する。鋭利な切れ味を誇る刃は、あろうことか対峙するヒトの首の肉を浅く裂いた。あわわわ、と店主の焦る声が上擦る。
「そう怒らんでくれよ。同じヒトだろ、俺ら?」
繕っているにしては涼しすぎる声は低い。ヒトは男だった。
着込んだ白い外套に、首から伝う血が滲む。それでも、彼女は刃を離さない。それどころか、より深く抉ろうと力を篭めてくるのだ。それでも男はしばらくの間平静を保っていたが、ずりっ、と重い音が首から聞こえ、刀身から床へと紅い雫が落ちた所で、遂に余裕の態度を崩した。
当然と言うべきか、情けないと言うべきか。一連の騒動を見ていた者は、誰もが男の評価について迷っただろう。
「お、おまっちょ!? お、おい、止せ! 俺はこう言う者だからっ!」
切迫した悲鳴と共に男が解き掲げたのは、彼が首に巻いていた青いスカーフである。そこに刺繍された模様に、バルは多少の見覚えがあったものの、だからと言ってそう易々と警戒を解きはしない。頚動脈に刃を食い込ませたまま、彼女は剃刀のように鋭利な視線を男へ送った。
ぼたぼたと血が滴り落ちる。酒場の客が騒然とする中、男はパニックを一週回って冷静になったか、溜息と共に篭手を着けた手で静かに刃を押さえると、自分の身体をそっと横にずらした。途端、刃で押し留められていた血が溢れ、裾の長い外套を紅く染めていく。
「おっかないなアンタ。俺ァすぐ近くの王国の近衛隊に所属してる者だよ、身分は保証されてる」
「……そのような身分の者が、何故私達の後ろに立つ。何も言わずに」
兜を脱がない男の表情は伺い知れないが、声色は完全に呆れ返っていた。緊張が解けた者特有の、深い溜息混じりの声で、バルも冷静さを取り戻す。その場で軽く剣を振るい、付着した血糊を落とす彼女へ、男は至って簡単に要件を告げた。
「仲間に入れてくれ」、それだけだった。
「何だと?」
「言ったとおりだよ、お嬢」
「何故仲間になりたい。まず貴様は我々の事を何時知った?」
「へっ。当ててみな」
突然の提案に警戒を強めるバルへ、男は大股で迫る。男の上背は高い。それなりに高いバルさえ顔を見るに頭を上げるしかないほどだ。覆い被されるほどの背の高さは、そのままバルへ強い威嚇の空気を纏わせた。
再び張り詰める緊張の糸。バルの手は剣の柄に掛かったまま、男も携えた槍を手放さない。
しかし——その糸は、ぷっつりと途切れた。
「何をするにもその傷を治してからだよ、騎士殿」
宝玉の付いた杖で男の背を叩く、ソーマニアの穏やかな笑みに、逆らえる者が居なかったのだ。