二次創作小説(映像)※倉庫ログ

Re: 虚の旅路 -Story of TERRA BATTLE- ( No.35 )
日時: 2015/10/17 21:37
名前: 霧桜 ◆U7aoDc6gZM (ID: kkPVc8iM)


 彼女の眼前で、期待は粉々に打ち砕かれた。
 雨が止む止まないの話ではない。彼女の前には、最早水浸しを遥かに通り越し、水中都市状態となった街が広がっていたのだ。何故これほどまでに水で溢れるのかは全く分からないが、通りに並ぶ建物が皆高床である理由だけは、この有様から容易に察しがつく。
 ぽかんと口を半開きにし、診療所の出入り口を開けた体勢のまま固まるバル。その横から、誰かが声を掛けた。

「ねぇ、あなたも旅人さん?」
「!——そう、だが」

 はっとしたようにバルが見た先は、広いポーチの隅。華奢な体躯には不釣合いに大きなとんがり帽子、ふんわりと羽織ったマントから、ローヒールのパンプスの先までもれなく雨に濡れながら、しかしその少女は笑っていた。葡萄酒のような赤紫色の瞳が、分からない程度の検分の色を含めて、バルを見ている。
 お前は誰だ。単刀直入な女旅人の言葉に、少女はにかっと歯を見せながら返した。

「わたし、リッキー。西の都に行こうと思って、北の方から来たんだ」
「北の方か……」

 一行が一夜滞在していた街も、北の辺境区にある。北としか言わない以上正確なことは不明だが、己をリッキーと名乗ったこの少女もまた、あの街に居たのかもしれない。だからどうだと言う訳ではないが、妙な親近感をバルは覚えていた。そして差し向かいのリッキーは、そんなバルの微かな感情に気付いている。
 気付きながらも、言動には表さない。ただ、快活な少女としてリッキーはバルに接しようとしていた。

「名前を教えて。旅人さんじゃ呼びにくいからさ」
「嗚呼。バルだ」
「そっか。よろしく、バル」

 ひゅたっ、とばかり、勢いよく差し出される右手。いつぞやか、ナイトに同じようなことをされた記憶が脳裏に引っ掛かる。しかし彼女は、あの男にやったような拒絶をリッキーには向けなかった。握手を求めてくる少女に対して、彼女は黙って手を取ることで応える。
 ぐっ、と力強く手を取り合い、寸秒目配せを一つ。手を離した双方の口の端に淡く笑みが浮かぶ。

「ところで、何故扉の外に? 言えば中へ入れてくれただろう」
「それが、ノックしても誰も出てこなくってさ。その時は居ないのかなって思ったけど」
「嗚呼。恐らく聞こえていなかっただろう」

 少し思い返せば、あの散々目を通した文が目に浮かぶ。結局彼女には何も分からなかった。
 何処か遠い目で、しみじみとしたように前方の街を見つめるバル。その横顔に、リッキーは問う。

「どうして? 此処の人がノック音聞き逃すなんて普通ないよ」
「新しい魔法を作っていたらしい。私にはさっぱりだったがな」
「へぇ。やっぱり治癒魔法なのかな」

 どんなのだろう、と、頬杖をつきつき、リッキーは斜め上の虚空を見上げる。自分は早々と理解を諦めた境地について、眼前の少女は自分から、好奇心ではなく興味によって片足を突っ込もうと言うのだ。彼女がそれを本当に理解出来るのかは別と置くにしても、その心意気は感心に値するだろう。
 ——この少女はいかなる者か。
 バルは不意に興味が湧いた。利用価値ではなく、純粋な人柄に。

「リッキー」
「なーに? バル」
「お前は何の為に、何処へ行く?」

 問う言葉はそれだけだった。親しく話が出来るほど、彼女は語彙に優れてはいない。
 そして少女は、朴訥な問いに対し、歯を見せて笑う。それは不気味なほど快活に。

「何の為でも、何処へでも。誰かが強く願う所へ」

 不思議な答えだった。思わず眉根を寄せ、バルは問いを続ける。

「真実の為に、死出の道を歩むと。そう言ってもか」
「それに価値があるならね。——驕ってるのかもしれないけど、わたしはそこら辺の馬鹿や能無しと自分は違うと思う。ただ自棄になって自滅の道を走ることも、何も考えず何も知ろうとしないのに、いざ終わりが来たときだけ「話が違う」と喚くことも、わたしはしないと思ってる」

 返答のようで、返答に非ず。だが妙に言葉は説得力を帯びていた。
 バルは沈黙によって言葉を催促する。彼女は小さく頷いて、続きを紡いだ。

「例えば、あなたの言う真実を求めて、あなた達が旅をしている時。どうしても越えられない壁の先に求めるものがあって、その壁を壊すか超えるかするためにわたしを求めるなら、喜んで手伝ってあげる。でも、ただそこにあるだけの壁を壊すためにわたしを求めても、わたしは絶対応じてあげない」

 ただあるだけの壁なんて、あなた達だけで壊せるから。
 抱えた膝に頭を乗せ、にんまりと口の端を釣り上げて、謳うリッキーの声は軽やかに弾む。その軽やかさに紛れた、強い毒を含んだような黒い意思に、バルは背が不気味に冷たくなるのを感じた。安易に敵へ回ればただでは済まない、そう感じ取らせるだけの厳格さと老獪さを、彼女は意図的に含めたのだ。
 しかし、そんなリッキーに対し、バルは平静な態度を繕ってみせた。

「目的なき旅をするほど、私達には愚かでない。その余裕もない」
「そうだね。雨が止むかもなんて期待してるくらいだもん」
「気が急いていると笑うか?」
「いや、だって当たり前じゃん。時間が無いんでしょ?——この、星には」
「……!」

 にんまりと、楽しそうに。
 放たれたリッキーの声に、バルはいよいよ寒気がしていた。
 初対面の時から、バルは己が抱えた旅の詳細など何一つ語ってはいない。だと言うのに、目の前の少女は、これまでに交わした僅かな会話から、彼女が抱えた事情を見透かしている。
 恐ろしいまでの洞察力。バルにはない、しかし何よりも強烈で強力な武器だ。
 目を見開き、眉を寄せ、ただ沈黙するバル。そんな彼女に、リッキーは純粋な笑みを向けた。

「んっふふー、人間観察はわたしの趣味で得意技だもんね」
「口も上手いようだが、弁護士でもやっているのか? お前は」
「そ、そ。ワルに騙されて土地を根こそぎ持って行かれたって人が居てさ。今から取り返しに行くんだっ」
「やけに生き生きしているな」
「だってさ、ばっちり悪党だもん。悪党に騙された人の弁護なんて楽勝楽勝!」

 けらけらけら。そんなオノマトペがぴったり当てはまる、心底楽しそうな笑声は、雨音を掻き消して朗らかに響く。何故これほど楽しそうに出来るのか、バルは想像しようとして、即座に止めた。
 彼女が弁護人として法廷に立ち、弁舌を振るう情景。その想像の中で、リッキーの姿は限りなく悪魔に近いものだったのだ。これまでの会話で生まれた偏見に基づく空想だが、少しずつ外堀を埋め、退路を断ち、真綿で首を絞めるが如く追い詰めていく彼女のイメージは間違っていないと、バルは断言できる自信があった。
 ふぅ、と疲れたような溜息を一つ。リッキーの隣に、彼女もまた腰を降ろした、その時。