二次創作小説(映像)※倉庫ログ
- Re: 虚の旅路 -Story of TERRA BUTTLE- ( No.4 )
- 日時: 2015/08/08 22:01
- 名前: 霧桜 ◆U7aoDc6gZM (ID: K3Hf956n)
“老師”、ソーマニア。職業、ヒーラー。
今日こそはバクロウの群れに対し己も杖を振るったが、彼の本懐は闘いではなく、癒しにある。力も魔法も若い者には負けると笑う彼だが、それでも、男の首の傷を癒すに彼は十秒以上を必要とせず、その十秒間で傷跡も残さない。圧倒的な魔力や腕力で押す者にはない繊細さは、この老人の癒しに対する心持の表れと言えよう。
だが、目の前の男は、そんな繊細さに対し多分に礼を失していた。
「もー俺死ぬかと思った……爺さん、アンタも大変だろこんなお嬢と一緒で」
「御主が無言で後ろに立つからだろうに。時代が違えば首が飛んでおるよ」
「お嬢なら気配に聡そうじゃん。気付けるかと思ったんだよ」
「お嬢お嬢と不愉快な代名詞を連呼するな」
軽薄な話口調は、神経質なバルの苛立ちを助長する。先程叩き付けた際に浅くひび割れたグラス、そこに残った中身を乾していきながら放たれる彼女の声は、物理的なダメージさえ与えそうなほどの鋭さだ。
これ以上怒らせると本当に命が危ない。そう本能的に察して、男はその軽薄さを一旦腹の底に仕舞い込んだ。黙ったまま、先程解いたスカーフを首に巻き直し、ソーマニアの隣にやおら腰を降ろす。そして、まだ動揺している店主へぶっきらぼうに注文を投げ付け、カウンターに頬杖をついた。
「それじゃあ教えてくれよ。あんたの名前」
「貴様から名乗れ」
「さぁね」
沈黙。バルの表情はあからさまに怒りを浮かべている。そんな顔をするなと苦々しい笑声を零しながら、男はやおら己の立場についての弁解を始めた。本当に名前がないんだ、と。
「俺ァ物心付いたときから近衛隊の所属でね。まー名前付けるのもメンドかったんだろ、小っちゃいころから騎士サマだのナイトサンだのとしか呼ばれたことがない。本当は俺にも名前があるのかもしれんけど、誰も教えてくれんから俺も分からんのよ。つーことで、呼ぶときは適当によろしく」
「適当か……」
ふっ、と、バルが口の端に浮かべた黒い微笑を、男は見たものか。変な名前は止めろよと苦く釘を刺しながら、彼は顎で二人に言葉を促す。曲がりなりにも素性を明かしたのだからそっちも、という構えだ。はぁっ、と刺々しい溜息を一つ吐いて、バルは表情から笑みの色を消した。
「バルだ。此方はソーマニア」
「そっか。よろしくな二人とも……って、おい」
気さくに差し出された右手を、バルは気安く取らない。取ってくれるはずの相手から拒絶され、中途半端に宙を彷徨してしまった手を、代わりに老人の手が握り返した。顔に浮かべられたまま、不気味なほど変わることのないにこやかな笑みが、今は場の空気を和ませる。
「儂の方からよろしく頼みたい。ヒーラー以外の殴り役も旅には要るだろう」
「嗚呼そっか、爺さんヒーラーか! それだったら俺、良い殴り役知ってるよ」
ぷいとそっぽを向いていたバルが、目だけ男の方に向けた。これからの道程、道中にバクロウのような雑魚が出るだけでは済まされないであろうし、三人だけではとてもではないが旅など続けられないだろう。仲間を増やすことは、現実的に考えて最も優先すべき事項だった。
三人の——と言っても、槍使いの男は顔が見えないのだが——視線が一瞬交錯し、見えない火花を飛ばしてそれぞれ散っていく。そして、店主が革の水筒に水を湛えて戻ってきた頃に、まず男が膝を打って立ち上がった。
「いつも悪ぃねぇ旦那。冬越しで水枯れ気味だろ?」
「いいえ、そんなことは……最近は雪解け水が川作ってますし、当分は困りませんよ」
「雪解け? 北はまだ氷点下だぜ、解けんだろ普通」
「ドラゴン達の仕業ですよ。最近よく暴れているとか」
「はぁはぁ、なるほどね……後で退治の依頼出しとく」
慣れきった会話からして、それは男の注文だったようだ。ちゃぷちゃぷと潤沢な音を立てる水筒をカウンター越しに受け取り、彼はそれを外套の中へ無造作に押し込むと、槍の柄尻で軽く床を叩いた。ドンッ、と、椅子が倒れるような音が響いて、男の携える槍の重さを物語る。
一瞬だけ、バル達には入り込めない世界がそこにはあった。だが、床を一突きした後からの男は、彼女達の仲間以上でも以下でもない。カウンターに金貨を数枚転がし、黙って酒場の出口へ歩き出した男の背を追わんと席を立ちつつ、バルはやおら服のポケットをまさぐって、淡い縁色に発光する六角形の機械をその場に置いた。
これに驚くのは店主の方だ。彼はその機械が何であるのか知り、何が入っているのかも知っている。
「おっ、お客さ……!?」
「騒ぎを起こした迷惑料だ。釣りは要らないが、アーカイヴは後で返して欲しい」
「でっ、ですがこんな大金」
「好きなだけ散財してくれて構わない。私達は急ぐ、多すぎるというのならば、その中から必要な分だけ抜き出せ」
有無を言わさず店主に機械を持たせ、彼女は先に出て行った男と老人の後を追って出ていく。
残された年若い男は、六角形の機械を握りしめたまま、ただただ唖然とするしかなかった。