二次創作小説(新・総合)

Re: 月に叢雲 花に風【キングダム】 ( No.1 )
日時: 2025/04/28 20:47
名前: 酒杯 (ID: ir9RITF3)

>>01
紀元前258年。
秦と楚の国境線であり、その旧都である郢。
年の暮、そこに楚軍第一将、晃蘭華は訪れていた。
命令内容は秦軍の監視。
正直言って自分が行っても仕方のない部分はあるだろうが、見かけによらず世話焼きな宰相からの有り難い休暇として消化するとした。
眼下では秦兵が見て取れた。
仮にも王命としてここに来ているため、役目は果たさねばならない。
それに加え、最近秦軍が北部で怪しい動きをしているという。 その波紋は南にも伝わっているはずだ。
己が情報収集を生かすため、蘭華は自ら足を運んだと言う訳だ。

晃蘭華。
楚軍第一将として中華の戦場を賑わせている。
蘭華の立った戦場では必ず勝利を収めている。
だが、蘭華は謎の多い将だ。
何処から来たのかは勿論、年齢、性別全てが謎に包まれている。
何故か。
それは蘭華が人前で姿を見せない上に仮面をつけ、頭巾を被っているからだ。
徹底した情報管理も蘭華の得意分野である。
「さてと。宰相様に感謝するとして⋯⋯そろそろ戻るとしようか」
欲しい情報は得れた。
ここに用はない。
蘭華は一言呟き、マントを翻した。

楚の首都、陳。
蘭華は宰相の屋敷を訪ねた。
召使に声を掛ける。
「宰相様は」
聞けば出かけているそうだ。
あの人は肝心な時にいない。
思わず天を仰いだ。
あんのクソジジイ、帰って来たらぶん殴ってやろうと決意を固めた。
階段を登り、宰相の部屋へ行く。
勝手知ったるように宰相の部屋を漁った。
目当ての酒を見つけ、盃に注ぐ。 口につけた時に、下で悲鳴が聞こえる。
好奇心に負け、盃を持ったまま扉を開け、下を見下ろす。
悲鳴の原因と目が合う。
不味い。
面倒事に巻き込まれる。
蘭華は急いで扉を閉める。
ドタドタと階段を上がってくる音が聞こえる。
扉を開けられた。
「何故余を避けるのだ!」
入って来たのは細身で優美な体つきで貴族らしい端正な顔立ちをした男だ。
普段は目元が涼しげで知的、だがその瞳は激情をはらんでいる。
いつもは黒の長髪を結い、きれいに整えているがその艷やかさも色を失い乱れている。
何よりも血に濡れていた。
「単純に面倒事に巻き込まれるのが嫌だから。この説明で結構?―――信陵君魏無忌」
蘭華は盃を煽りながら言った。
男―――信陵君は顔を上げた。
「貴様⋯⋯余を愚弄しているのか」
血濡れの手で蘭華の襟を掴む。
信陵君。
楚の北に隣接する魏国の公子である。
戦国四君の一人であり秦に攻められた魏をまとめ上げ、三千人の食客がいるとされている。
その映えある信陵君に対し蘭華は冷たく接する。
「どうせ趙勝殿に唆されたのだろう。あれを裏切ればあんたの名にも傷がつく」
趙勝もとい、平原君は信陵君と同じく戦国四君に数えられている趙の公子である。
「君が趙勝殿を嫌っているのは知っている。だが⋯⋯」
「私が私情で動くとでも?考えてもみろ。白起と戦をするのを楚王が許すわけ無いだろう」
「君は⋯⋯一体何処まで余等のことを知っている」
信陵君はもとは穏やかな性格だ。
頭が冷えてきたらしく、蘭華が促すと大人しく椅子に腰掛けた。
「此方としても、情報を擦り合わせたい。知っていることをすべて話せ。協力するか判断するのはそれからだ」
「⋯⋯余も怒り疲れた」
ボソリと呟き、信陵君は語り始めた。
紀元前260年、長平の戦いにて趙軍を大破した秦軍が、ついこの間、趙の首都の邯鄲を包囲した。
魏の大王、安釐王は趙の救援要請に対して、晋鄙を将軍に任じ援軍を出すことは出したが、そこで秦から「趙の滅亡は時間の問題であり、援軍を送れば次は魏を攻める」と脅されたため、援軍を国境に留めおいて実際に戦わせようとはしなかった。
信陵君の姉は趙の平原君の妻になっていたので、信陵君に対して姉を見殺しにするのかと何度も来た。
信陵君はこれと、趙が敗れれば魏も遠からず敗れることを察していたため、安釐王に対して趙を救援するように言ったが受け入れられ無かった。
しかし見捨てることも出来ないと信陵君は自分の食客による戦車百乗を率いて自ら救援に行こうとした。
信陵君はまず、兵が魏に戻れないことも考え、親子で従軍している兵は親を、兄弟で従軍している兵は兄を帰し、また一人っ子の兵も孝行させるために帰した。
そうして残った兵を率いて戦い、秦軍を退けた。
この辺りが良く言えば信陵君の優しさ、悪く言えば爪の甘さだった。
しかし信陵君は思慮深い。
勝利したものの勝手に軍を動かしたことで安釐王の大きな怒りを買うと解っていたので、兵は自分の命令に従っただけで罪はないとして魏に帰し、自分と食客は趙に留まった。
趙は救国の士として信陵君を歓待し、5城を献上しようとした。
最初は信陵君もそれに応じようとしたが、食客に諭され、以後固辞した。
しかし、諦めが悪いのが秦軍の憎き長所である。
秦軍は自国の選りすぐりの将、秦国六大将を邯鄲へ派遣した。 つまるところ、本気で趙国を滅ぼすつもりだ。 その弊害を受け信陵君は命からがら楚に亡命したのだ。
「ちょっと待て⋯⋯まさかクソジ、春申君が不在なのは⋯⋯」
「ああ、今趙勝殿は王と謁見中だ」
春申君は蘭華の主で、戦国四君の中で唯一王族ではなく、宰相の地位に就いている。
国の二番手として楚を率いている。
軍事面では疎い彼を支えているのが蘭華であった。
「だから余は君を説得しに来た」
まっすぐ見つめられる。
「私は宰相の勅命には逆らえない⋯⋯」
蘭華は目を逸らす。
尤も、仮面によって表情は伺えないが。
それをわかって来たのだ。
蘭華は肩を竦めた。
「敵わないな、あんたには。⋯⋯対秦にうってつけの策がある」
信陵君は目を輝かせた。
「だが、その策を話すには条件がある」
蘭華は言いながら人差し指を立てた。
「楚は選りすぐりの百人のみの支援とする」
「なっ⋯⋯」
信陵君は絶句する。
それでは援軍とは呼べないではないか。
立ち上がった信陵君を蘭華は諫めた。
「まあ待て。私の戦に敗北の文字はない」
⋯⋯それにやりたいことがあるしな。
蘭華は心のなかでほくそ笑んだ。