二次創作小説(新・総合)
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- 狗巻がパンダに優しくされる話
- 日時: 2020/11/03 22:09
- 名前: ぴゃん (ID: KLpo2fZJ)
呪術に関わる家、特に伝統がある家ほど、不思議と栄えているものだ。
呪言師の狗巻家も、例に漏れず郊外に大きな屋敷を構えていた。
狗巻は呪言師の末裔として、幼い頃から訓練を受けた。
かといってよくあるような恐ろしく厳しい両親なんかはいなかったし、むしろ周囲は狗巻の才能を評価していて、訓練でも不当に痛めつけられたことはなかった。
しかし、狗巻は実家が嫌いだった。
狗巻の家にはその屋敷の大きさに見合った使用人が住んでいた。忙しい両親に変わって、食事を作ったり、運んだり、掃除をしたり。時には幼い狗巻に本を読んだりと、狗巻の幼少の思い出のほとんどは使用人とのものだ。
生まれた頃から顔ぶれが変わらない使用人たちと、狗巻はなんの問題もなく暮らしていた。ある出来事が起こる前までは。
小学校低学年の夏休みだった。立派なつくりの日本家屋は、周囲を自然に囲まれていることもあって、夜に縁側に面した襖を開けておけば気持ちのいい風が入って室温調整がいらないほど快適だったが、蚊帳を張っても虫が奥の狗巻の部屋にまで入ってきた。
いつもなら数匹の蚊が入ってきても気にせず眠れる狗巻だったが、その日は掛け布団で蚊帳を持ち上げてしまっていたのか、原因ははっきりとわからないがとにかく蚊帳の中で虫の羽音が鬱陶しかった。
なんども、眠りに落ちるかというタイミングで耳元にぷうん、ぶうん、と音がするものだから、さすがの狗巻もフラストレーションが溜まっていった。
最近になってだんだんと本格化する訓練で狗巻は疲れていて、まぶたは重たいのに虫が近づいては遠ざかっていく音だけで狗巻の意識はもう数時間、眠りの淵でグラグラと揺らされて落とさせてくれない。
そこでついに、狗巻はうまくまとまらない意識の中で言ってしまった。
「静まれ」と。
途端、 「っぞ、」 と、大きくはないがかなりの広範囲から音がした。それきり、羽音は一切聞こえなくなった。不思議に思いつつも、そのまま、狗巻は眠りに落ちた。
翌朝、喉の痛みで目が覚めた狗巻は、使用人たちが起き出すより一歩早く目覚めたらしいと、襖から差し込む控えめな光であたりをつけ、布団から身を起こした。
喉が痛い。
水を飲みに行こうと立ち上がって、部屋に違和感を覚えた。
布団も蚊帳もいつも通りだ。部屋のものが変わっているわけでもない。でも、何か少し、違うような。起きたばかりで焦点を結ばない視界をゆっくり凝らして、畳の目を見つめる。
………………………….畳が、黒い。
そして次の瞬間、狗巻はヒュ、と息を詰まらせた。
___________________________________蚊が。
畳が黒ずんで見えるほどおびただしい数の蚊を含む数種の羽虫が、蚊帳の外に落ちていた。よく見ると、まだ動いているのもいて、ただ飛べず、動けず、”静まった”状態である、と理解した。
蚊帳を出かけた足を引っ込めようとして、しかしその途中で気づいて振り返る。
蚊帳の外ほどではないものの、布団の周りにも数匹、同じ状態の蚊が落ちていた。
「……………………っ、っ、……………..」
血の味がする喉。それを引きつらせつつゴクリと一つ唾を飲んで、蚊帳を出て部屋の外に駆け出した。
隠さなければ。狗巻は必死にそのことを考えていた。
幼い頃から「呪言を悪用してはいけない」と言われている狗巻に思いつく悪用といえば人を傷つけたり法に触れたりするようなことだったが、部屋の異様な状況から、真っ先に頭に浮かんだ言葉は”悪用”だった。
狗巻はどうしても、この悪用を知られたくなかった。実際がどうであったにしろ、狗巻が感じる親や使用人たちからの愛情の裏にはいつも、呪言師の才能があった。末裔だから愛されている。才能があるから大事にされている。幼い狗巻になかなか顔を見せない両親の存在や、広い屋敷、そして小学校で触れ合う友人たちの何気ない会話は、そんな認識を与えるのに十分だった。
だから、こんなことをしたと知られたら、自分はこの家で居場所をなくすのではないか。狗巻はそれが何よりも怖かった。
使用人に気づかれないように掃除用具を持ち出し、部屋の虫たちを外へはき出した。それでも多少土の上で目立つそれを今度は外用の箒で散らした。
それからもう一度布団をかぶって、使用人が起こしにやってくるのを待った。
完全に日が昇って、起こしに来た使用人は狗巻の声が枯れていることに気づいた。普段訓練では声を枯らすようなことはしないと知っている使用人は、風邪だと思い込んで狗巻を心配した。汗をかいた狗巻の寝間着を触って、熱があるのではないかと甲斐甲斐しく額に手を当てる。
だがその直後、どこかで使用人の小さな悲鳴が上がった。
尋常ではない数の落ちている羽虫を発見したからだった。
狗巻は”自分の部屋にいた”虫を呪ってしまった、と思っていたが、その規模は”屋敷の敷地全体”に及んでいたのだ。
その日、両親は家にいなかった。呪言が使える人間は、狗巻一人しかいなかった。
両親や親戚たちは、そのことで悪い顔はしなかった。むしろ、その才能をまた、評価して褒めた。
しかし、使用人たちは違った。
部屋の虫を処理してしまったことで、意図的に行ったことだと確信して使用人たちは狗巻を気味悪がった。
初めは風邪を心配していた使用人も狗巻のしたことを知ると怯えるように後ずさり、結局その日は水も飲めないまま学校へ向かった。
その日から、あからさまな嫌がらせなどはされないものの、どこか冷たい視線と遠巻きな態度は狗巻から居場所を奪った。
風邪を引いても、使用人たちはまず呪言を疑った。だからいつしか、風邪を引いても、喉が枯れたらそのことを隠すようになった。
高専が寮生活だと聞いて、狗巻はやっと実家を離れる機会を得た。息子の成長を喜ぶ両親は、狗巻がそんな状況になっていることなど夢にも思わないだろう。
*
「……………….ごほっ」
寮の部屋で目覚めた狗巻は、喉の痛みに顔を歪めた。唾を飲み込むどころか、呼吸でさえも違和感を感じる。
カーテンを開けたまま眠っていたらしい。窓を閉めていてもひんやりとした冷気が肌に滲むようで、今年は夏から冬に一気に変わったように思える。
「……………..」
風邪だ。呪言などは全く関係なく、ただの。
季節の変わり目で、最近は特に気温の変化が激しかった。
こういう時期、田舎では年寄りが一気に死んだりする。前の日まで元気に話して食べて笑っていた年寄りたちが、朝になると冷たく固まっていた年を、狗巻は実家にいた頃、何度か経験していた。
もちろん狗巻は年寄りではないのだが、最近は任務もなく授業ばかりの日々だったので気が抜けていたのかもしれない。
「………………」
流行り風邪ではないから、マスクはいらないだろうと部屋着の上にフリースの上着を羽織って部屋を出た。人から風邪をもらうような人間はまず、狗巻の周囲には思い当たらない。それにマスクなんか、初めから持っていない。
時刻は午前10時。休日で、他の高専生たちは各々何処かへ出かけているのか、周囲には見えない。
狗巻が向かったのは寮の端っこに設置されている給湯室で、とりあえず何か飲みたかった。痰が絡むがどうにかしようにも無理に咳払いすれば余計痛むし、熱はなくとも薬は飲んでおいたほうがいい。乾いて張り付く喉では呼吸すら引っかかって咳き込みそうだ。
素足に靴を引っ掛けてぺたぺた給湯室の前まで行くと、中から人の気配がする。
給湯室に扉はない。入り口には薄っぺらい布が垂れ下がっているだけだ。片手で布を避けて覗くと、白黒の柔らかそうな塊がせっせとカップラーメンにお湯を注いでいた。
鋭く長い爪の生えた指で器用にケトルを持って、内側の線少し手前で注ぐのをやめる。濃いめが好きらしい。
「…………….」
「っお、棘か。おはよ」
のっそり、という表現がぴったりな動きで首を回したパンダは、そのまま出ていくと思いきや狗巻の前まで来て止まった。
「………どうしたお前、まだ寝ぼけてんのか」
「………………」
どうやら返答がなかったことを不思議に思ったらしいパンダは、割り箸で蓋を押さえたラーメンを片手に持ち替えて狗巻に触れようと片手を伸ばした。
「…………っ、」
とっさに、一歩後ずさった狗巻。それに驚いたのはパンダはもちろん、狗巻自身もだった。
「…………..お、う、なんだ、ごめん手は綺麗なんだけど……..」
出し掛けた手を裏返して手のひらを見せるパンダの手がラーメンの汁で汚れてなんかいないことは、狗巻もわかっている。
「…………….っ、」
そうじゃない、故意じゃない、と弁解しようと口を開くが、そこで迷う。
狗巻には喉が痛いということ以外に、声を出したくない理由がある。
「……………………………………..」
そのまま沈黙の数十秒が流れた後、ふと狗巻の手に握られているものに気づいたパンダが声を発した。
「……………..っあ、なにお前、声嗄れてんの?」
手に握っていたのは喉薬だった。風邪薬を持っていなかった狗巻が唯一常備していたものをとりあえず持ってきたのだ。
「…………….、っ、ごほっ、」
やはり何も言わず咳だけをこぼした狗巻を見て、パンダはびっくりしたような顔をした。
そして、
「あ、なんだ棘、お前風邪か!水?白湯飲む?」
なんの躊躇いもなくパンダはそう言って狗巻の背をさすって、給湯室脇の椅子に狗巻を座らせた。手に持ったカップラーメンを机に置いて、
「お前、”喉から”のタイプだったんだな〜。あ、優太なら持ってんじゃね?ベンキブロック」
言いつつ給湯室に戻ったパンダは、口の広い陶器の湯のみに先ほどラーメンのためにあっためていたケトルの残りを注ぐ。そして振り返って「棘、お前蜂蜜大丈夫?」と聞くから、意図がわからないまま頷けば、戸棚から蜂蜜を取り出した。
んにゅるる、と湯気のたつ白湯に蜂蜜が溶けて、白湯がとろりとツヤを出す。少しだけ空いた給湯室の窓からの風がほのかに甘い匂いを運んでくる。
最後に冷水を混ぜて温度を調整して、「ほい」とそれを狗巻の目の前に置いた。
「………….あれ、知らない?蜂蜜白湯。風邪の時とかいいらしいぜ」
狗巻の向かいに座ったパンダがカップラーメンの蓋をあける。少し伸びてしまっているように見える。ぐいっといけ、ぐいっと!と酒を勧めるような雰囲気でいうパンダに従って、そっと一口飲み込んで見ると、痛みがなくなるわけではないが、丸い味はすんなり喉を通った。
「……………………….お゛、かか」
「はは、ガチめの風邪じゃん。あとで優太の部屋行こうぜ」
感謝を込めたつもりの言葉まで、丸く返されてしまう。そしてまたしても器用に箸を持つパンダに向かって、数種類、おにぎりの具材を問いかける。
「え?ああ、なんで風邪ってわかったかって、そりゃお前………」
「こんぶ」
「風邪の時と呪言で枯れた時の声、全然違うし」
「……………………….じゃげ?」
「うん。ていうかみんな気づくと思うぞ」
もはや狗巻を見ることなく麺をすするパンダを見つめて、狗巻は喉を通っていく蜂蜜白湯が一気に全身を駆け巡ったような感覚がした。
「しかし、最近一気に寒くなったしなー。あったかくしとけよ、棘」
ハフハフ言わせながら麺を頬張るパンダが言うには、乙骨と禪院と五条は授業で必要なものを買いに揃って朝から出かけたようで、昼前には戻るらしい。
ゆっくりと白湯を飲みながら、狗巻はふと、気づいた。
ここは随分と、居心地がいい。
木製の椅子は座面が硬いし、窓の開いた給湯室は少し足首が寒いけれど、実家の上質な座布団や布団より何倍も快適だった。
「………………………..、い゛くら」
「…………….おう!!そーだな!!!!!!」
なんの意味もない「いくら」に適当に威勢良く返事をしたパンダに、狗巻が笑う小さな鼻息が、立ち上る湯気を揺らした。