二次創作小説(新・総合)

■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
 入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)

『或る楽章』
日時: 2022/05/23 19:25
名前: 虚言の魔術師(緑) (ID: UMqw536o)

 小雨が降っていた春の日の朝方、私の家は音を立てて崩れた。
バンバンという想像を絶する破裂音と轟々と燃える我が家の衝撃的な光景を私は呆然と眺めることしかできなかった。あの時駄々を捏ねなければ良かったと本気で思った。そんなことを思っていても炎の手は収まるはずはなく、小雨程度で静まるような大きさではなかった。もう取り返しがつかなかった。

 火災になった理由はほんの些細なことだった。
いつもならば火なしコンロを使うのだが、その時の私はどうしても楠公飯が食べたかったので火なしコンロよりも手っ取り早い火鉢を使って、お湯をわかしてもらっていた。だが、湯を沸かしている途中、近くにあった縫いかけの靴紐がちゃぶ台から落ちてしまった。火鉢の火が紐へと燃え移り、乾いた畳に落ち、それがさらに燃え移り、煙と火はジワジワと広がっていった。勉強中だった兄が気付く頃にはもう火は大きくなっていた。兄は泣き疲れて寝ていた私を抱え一度外へ出ていき、私を火の燃え移らないところまで運んで、大急ぎで防水井戸の水を汲みにいった。雨が少しずつ強くなっていく頃、左手に鉄バケツを抱えた兄が戻ってきた。すると突然、鉄バケツに入った水を頭から被り、燃え盛る家の中へと入っていった。泣きながら私の兄を呼ぶ声をあざ笑うかのように炎がバチバチと鳴っていた。
私も兄の後へついて行こうとするが、火の砦に阻まれ、猛烈な熱さに家に近づくことさえ出来なかった。兄が中に入ってから2分ほどして、音を立てて家が崩れた。その崩れる音と少しあとに獣のような叫び声が辺りに鳴り響いた。小雨が大雨へと変わり、炎は自然に鎮火した。火の手が収まった程で私は水を被り、土と灰だけになった家に飛び込んだ。
まだ燃え残っている木片たちの上を熱さに耐えながら裸足で兄の元へ向かった。
兄の左腕は倒れた大黒柱の下敷きになっていた。兄はうめき声を上げながら苦しそうにしていた。近所の大人たちも駆けつけてきて、兄を引っ張り出す。兄の左腕を見ると、皮膚が焼け爛れ、機能が完全に停止しており、まともに目を向けることのできない状態になっていたのだが、黒ずんだ缶が握られていた。中を見ると、僅かながらに砂糖が入っていた。兄は支給品を取りに戻るため、家の中へ戻っていたのだった。
 1944年、兄は特攻隊へ志願した。7歳の私を残し、自決とも言える行動をした。勿論、兄が帰ってくることはなかった。私は支給品や雑草を食ってしのいでいた。兄が旅立って一年程がたった、8月15日、私はいつものように食べ物を探し、荒れた更地を彷徨っていた。カラスも飛んでいない正午、比較的綺麗に整えられた広場にラジオの乗った机が置かれる。数分後、ラジオがなり、終戦が知らされた。これが後の、玉音放送と呼ばれるものになる。その内容はまるで今まで私達がやってきたことを、悪いことだと言われているような言い回しだった。私の他に、家族を失った人はこれを聞き、抜け殻のように動こうとしなかった。大人たちは泣いている人や怒り、狂暴化している人もいたが、最も私が衝撃を受け、今でも目に焼き付いている光景がある。それは、戦争に負け、大切な家族も失っているというのに、笑っている人だった。彼の手にはまだ赤子の子供と思われる、を抱えた母親らしき人と撮った家族写真が握られていた。彼はその写真を一度見て、枯れた声で笑っていた。長い間まともに水を飲んでいない影響で乾燥した喉で、泥のような光の籠らない瞳で立ち尽くし笑っていた。戦争が人の心をおかしくさせたという証明にしかならないものだった。ましてやそんなことは彼らに言えるはずもなく、足音をあまり立てないように、彼らが感傷に浸っていられるように、私は広場を立ち去った。そこからだった、更地のようだった街は、どんどんと建物が建てられ、戦争の記憶を塗り替えるように、新しいものが増えてゆき、カタカナの文字も見かけるようになった。私も身の周りの環境が落ち着いてきたので、昔の家に行くことにした。私が元々住んでいた家へ行くと、とっくに電気屋へと変わっていた。ここにも近代化した家電が揃っており、冷蔵庫というものや簡単に米を炊いてくれる炊飯器という物まであり、扇風機が高騰していた時代とはまるで違った。

 1956年頃だろうか。当時18歳の私はまだ日も射していない商店街を歩きまわっていた。特にすることもなく、家にいるのも何なので、折角の休日くらい外に出ようと思っていたからだ。商店街は閉まっているとかこうなっているのかと感心していると、ふと、懐かしい音がして、その音が鳴る方に向かっていった。一歩ずつ歩いていく度に次第に音は大きくなり、親に呼ばれた子供のように私は走り始める。私の中で心臓が脈を打つのがわかる程に何か強いものを感じていた。音を発していたのは電気屋のモノクロテレビからだった。能く近づいてみてみると、画面の中には様々な楽器があり、しっとりとした曲調の中に軽快なリズムが奏でられている。それを聞いて思い出した。私の兄は時々、鼻歌を歌っていた事がある。兄は家にいるときだけ小さく楽しそうに口ぐさんでいた。一体何の曲なのか私には到底分からなかったが日本の曲ではないことはなんとなく覚えていた。そしてモノクロテレビに流れている音楽と兄の鼻歌が重なった。私の古い記憶がゆっくりと蘇ってゆく。頭の片隅で兄と過ごした日々が灯籠のようにぼんやりと鈍く光っていた。父が戦場へいって帰ってこなくても兄一人で幼い私を育ててくれたことや、兄が戦場に行くまでの日々。兄との記憶が止めどなく溢れてくる。通りかかる人たちが私を見てギョッとしている。それでもなぜかテレビの映像から目が離せなかった。周りのことなど、どうでも良くなっていた。兄の思い出だけに浸っていたかった。またいつか当時の姿のまま戻ってきて、いつものように少し焦げた楠公飯と不味い梅干しを一緒に食べながら上機嫌で口ぐさんでくれると思っていた。不憫な生活は私にとっては孤独な金のある人生より、兄と仲良く貧乏な暮らしをしたほうが何千倍も幸せだったと思う。私のテレビを観る視界が揺らぎ、ボヤけていく。頬を伝い、熱を帯びた透明な五線譜が一つとなり、乾いた地面に暗い色の音符に塗っていった。演奏が終わり、私は現実へと引き戻される。霞んだ瞳に朝日の光芒が乱射していく。敵国が着ていた文化の洋服で涙を拭い、人気のない商店街を抜けていく。厚い雲から、火輪が顔を出す。暗がりの街に、太陽は昇る。


小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


作家プロフィールURL (登録はこちら


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大 7000 文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。