SS小説(ショートストーリー) 大会【平日イベント】
彼岸花の咲く教室 ( No.8 )
- 日時: 2016/01/31 20:32
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM
title:彼岸花の咲く教室
とても静かな夕暮れだった。普段であれば、部活動をする生徒のにぎやかな声がするであろう時間なのに、今日の学校は異常なまでに静かだった。グラウンドには一人の生徒も見受けられず、閑散としている。
三階の隅の教室、少女は一人窓辺に立っていた。一輪の真っ赤な花を持って、氷のように無表情に。あまりの衝撃に、色を通り越して感情を失ってしまったようだ。
彼女は自分のカバンから、一本のペットボトルを取り出した。中身は空っぽで、ラベルも剥がれていてふたもついていない。彼女はそのペットボトルを教室の一番隅の座席に置き、花瓶に見立ててその中に真っ赤な花を活けた。
その一連の所作は、映像というよりもまるで絵画のようだった。静寂の教室の中、音も無く彼女は花を扱い、静かにたたずんでいる。だが、そうしないといけなかったからだ。今の彼女は騒音と言わずとも、きっと些細な音にも過敏に反応してしまうだろうから。
ため息を一つ吐き出す。が、そのため息もあまりに弱弱しく、耳に届く前に空中で消えてしまった。
窓の外を見やると、もう既に西日は傾いていた。太陽の下の方は、もう既に地平線の下へと潜り込んでいる。西の空が、綺麗な橙色に煌めいていた。雲はその光を受けて、元の光よりも濃く染まり、深紅に輝いている。
その深紅を目にした途端に、彼女は昨日の出来事を思い出す。濡れた袖を握りしめ、下唇をかんだ。
昨日、彼女の一つ前に座っている少年はなぜか休んでいた。その前日は体調も悪くなかったようなので、彼が病欠をしているとも思えず、疑問を感じていた。
どうしてその時に自分は気づくことができなかったのかと、今でも悔やまれる。充血した目で、茜色の空を睨みつけた。
昨日彼女は、授業の途中で外の様子を眺めていた。窓際の席で、その時間は体育の授業だった。下級生がサッカーをしていて、かなり白熱した試合だったのでゲームに引き込まれていた。
楽しそうだな。そう思った瞬間だ。彼が、彼女の目の前を通り過ぎたのは。
ほんの一瞬の出来事で、彼女は我が目を疑った。グラウンドを眺めていると、不意に目の前を一人の少年が頭から落ちて行くのを見たのだから。
ほんの短い時間であったはずなのに、彼が通り過ぎてからその音を聞くまで、ずいぶん長い間隔が開いていたように今でも思える。気付いた時には、彼女の耳には人が潰れる音が聞こえた。
彼女だけでなく、周りの人は皆その音に気付いた。どうしたものかと窓際の人達が覗き込んだその時、学校中から悲鳴が上がった。アスファルトの地面には、紅い血が一面に広がっていたからだ。そしてその中心には少年が一人――――。
彼女は、自分が見たものを信じたくなかった。落ちていったのはあの人なのだと。
だが、無情にもそれは数分後には肯定されてしまった。
彼女は、中学生時代にいじめを受けていた。周囲に溶け込めず、馬鹿にされ、最後にはずっと無視され続けた。だが、その状況を打ち破ってくれたのが彼だった。
彼は、彼女が一人ぼっちでいるのを見つけて話しかけた。その日をきっかけに、彼女へのいじめはぴたりと止んだ。そもそも理由のないいじめで、やめるタイミングを失っていただけであり、すぐにそのいじめは元から無かったようになった。
そんな彼が、高校に入ってからいじめられ始めた。実に、一年以上前の話だ。
最初は小さなものだったが、次第にそれは大きくなった。そして今では、以上と言えるほどに悪質になった。
最初の方は彼女は少年に、恩返しをするためにずっと話しかけていた。だが、ある日少年の方から話を切り出した。これ以上自分に肩入れすると君も標的にされると言われて。反論しようとしたけれど、その迫力に負けて彼女は食い下がることができなかった。
そして話は、三日前へと移る。彼の母親が、浮気をしている現場をみつけられてしまったのだ。
その日のいじめが、彼女が知っている中で、最も陰惨で、最も残酷なものだった。
彼が何を言われていたのかなんて、思い出したくもない――――。
遺書には、それだけのことが書いてあった。今までどんないじめにも耐えられたが、母親のことを侮辱されるのだけは、我慢できなかったのだと。
そして彼は屋上から飛んだのだ。
その事を思い出すと、彼女は自分の中に段々と感情が戻ってくるのを感じた。ただしそれは、途方もない悲しみしかない。
怒りは湧いてこなかった。もう、全部終わった今となっては、彼を追い詰めた人たちなんてどうでもいい。
彼女は、最後に見た彼の表情を思い出していた。ほんの一瞬の出来事ではあったが、瞼の裏に彼の姿は焼き付いている。
彼は最後の最後に、解放の喜びに包まれていた。
熱い衝動が、目の奥底で燻っているのを感じる。だが、もう涙は枯れ果ててしまっていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい……」
彼女は、枯れ果てた声でそう言い続ける。許して欲しいのか、許されずに罪を背負いたいのかは、彼女にも分からない。
机の上には、一輪の彼岸花が咲いていた。
彼岸花は、何も答えない。